楽園の終焉-小楽園の幸福2011番外編 草創期のGTルアーの一端を垣間見る ― 2020年10月05日 17:00
楽園の終焉-小楽園の幸福2011番外編
草創期のGTルアーの一端を垣間見る
Gibbs&Fred Arbogast
SWルアーゲームの日本の歴史は米国に比べてはるかに短い。
しかしながら、その諸流れを知るものは案外少ない
※本編は、日本の海用ルアーの中でも比較的その波が遅かった大型対象魚とりわけロウニンアジにややスポットが当たっています。よりマクロなその流れを知りたい場合は、各自で調べて頂くことをお願い致します。また、本編の小楽園のおまけ程度に記載しおりますので予めご了承ください。
古くから我が国には、その長きに渡っての職漁文化があり、独自に発展を遂げた漁具も多数存在すると言われている。その中でも、疑似餌の歴史は古い。その多くは、職としての漁業の合理性からも独自に開発されていった。その代名詞が餌木であろうかと思う。しかしながら、古くから釣りをゲーム、スポーツとして捉えて来た欧米、とりわけ近代の米国に於いては、我々がまだそのような概念の薄い頃から、海でも淡水でもこの釣りを遊びと捉えてきた文化は、日本のそれとは少し異なる。
そんな、疑似餌の発祥こそ少し異なるが、戦後から高度成長期に入り我国の海のルアー釣りと称した基本となったのが、GIBBS社であり、Fred Arbogast社では無かったかと思う。
そして今回は、主に挙げていないが、COTTON CORDELL社のPENCIL POPPERが上げられる。これで90年代はGTを狙うアングラーもいた。先ほどのポップンフミーの元になった方も恐らく使っていたと記憶している。またナイロン主体でGTを狙っていた時代でこそ成り立つものかとおもう。
1995~6年頃購入したコットンコーデルのペンシルポッパー
フレッドアーボガストといえば、多くのルアー釣りを行うアングラーとしては、やはりバスルアーとしてのフラホッパーと、なんと言ってもジッターバグを想像するのではないかとおもう。それほど、ジッターバグは、世界中のアングラーからその代表であると認識しているのかと思う。筆者もその一人である。
筆者が1980年から1982年頃に購入したもの、USA製で厚紙の箱に薄いプラのカバーだったように思う。箱は、もう無い。
GIBBS社でGTルアーと言えばPORARISとPENCIL POPPERだと思うが、特にPOLARISは有名で、90年代半ばまで使われてきた名品であったと思う。北米発祥のこのルアーは、日本には居ないストライプドバス釣りの為に開発され使われてきたと言っても過言でない。それほどそのストライプドバスは、北米東海岸人気の魚種である。我が国には存在しないが(一部の管理釣り場で淡水化したのはある)強いて言うならば、スズキに近いがその形状やサイズは大きく異なる、その昔は、和訳でシマスズキと言われたころもあったそうである。
また、それと双璧をなすのが、このARBOGAST社のSCUDDERではなかろうか、もっぱらGTで使われたのは2400シリーズの2ozだったのではないかと思う。このスクーダーは、20年ほど前(2011年当時から)に友人からもらい受けたものでその時代には既に中国製だった。当然作りもオリジナルの時代よりも悪かった。ワイヤースルーのこの基本的な構造は、今でもある程度のSWルアーの基本構造となっているようである。
日本のSWの草分けの一つに数えられる名品だった
時代は、ナイロンラインしか使われていない頃である。
それも時代がPEライン化するに従って、これらの初期の時代を担った名品も片隅に追いやられていったようである。これを改良したと思われる、クレイジースイマーはF師匠の名品であり、90年代のGTルアーといえば、クレイジースイマーだったように思う。90年代は、この古きアメリカンルアー達と国産ルアーが混在していた時代だったとおもうが、後半になるにつれ、国産が増えていったように思える。いや、ほぼ国産ルアーが制する時代へと変わっていった気がした。時代が変わっていることを意味していたのだろう。またGT専用機まで出て来た時代である。 D社、S社は勿論のこと今は無きリョービまでエンターソルトシリーズのガーラという名のものまで出現した。この時代まだ少しナイロン20~30LBというクラスで戦うGTアングラーもいた時代だった。
左端:同時にGTポッパーといえばこのGL工房のツルポップンだった。
左端2番目:そのブームに乗ってできた同GL工房製ポップンフミーだったがこれはさほど人気が無かったように思える。
1996年頃購入したFISHERMAN社クレイジースイマーとロングペン
1990年代をすばやく駆け巡ったGTルアーの名品
この時代に生まれた世代は2020年現在は、既に30歳前後であることを考えると知らないのも無理はない。
90年代という時代の一翼を担った、ツルポップンとポップンフミー
フミーの評価は、あまり聞かなかったがそれなりに釣れたのだろうか…それは未だ謎である
上2つがFISHERMANのカップと下がSUCCUDERのカップ
(上から撮影したところ)
以来個性的なルアーは、GTと言うジャンルからもその姿を徐々に減らしていったようにも思える
GLで思い出したのは、トビミノーとリラミノー、GLの佐野さんは常に独創的なルアーを生み出していた。
話しが少しまた戻ってしまうが、1982年当時、これらの輸入品のルアーが国内でも一部の店でも売られていたが、一体これをどう使うのかさえ分からなかった私には、到底買う事の選択には無かった。呉の”ささきつりぐ“には、同社のHUMMERHEADが何時までたってもぶら下がっていたのを良く覚えている。そんな、時代がとても懐かしく思えた。サイズは覚えていないが、当時の私にはとてつもなく大きなルアーであり、それを襲ってくる魚のイメージが全く湧かなかった。とにかくその近くにあったマグナムラパラと同様に。それらは、瀬戸内で使い道もない気がしてならなかった。なにせスズキ釣り、とりわけ60㎝を超えるものが大型と思っていた懐かしい時代のころのことであったので無理もないかと思う。当時の中学生には、今ほどの情報量はなかった。恐らく今現在からすると、無きに等しいと言っても過言ではないような気がした。
HAMMERHEAD
90年代末からさらに数年後の2000年代に入ると、日本の市場では殆ど見られなくなり、米国でも廃版になっていったのである。ギブスのルアーが未だに現役であるのに対して、フレッドアーボガストのSWシリーズはすべて廃版になってしまった。残念ではあるが、それも時代の流れなのかと思う。売れないから廃版になると言うのは資本主義社会の基本なのだから。ないものねだりは後のことで、当時からすると多少のあれこれはあるにせよ、淘汰にすぎないと思った。
今もほとんどそのベースは変わっていないGIBBSのウッドプラグ
上からGLIDER PRO PENNCIL CANNAL SWIMMER
右端のリールは、スーパーパウオリと言うブラジル製
なんでもラグザーのクラックのコピーらしい
つまり、バンスタールの原型の親戚の従兄あたりなのか
日本が戦争で死にかけていた頃、ギブスは、その生産を始めていた。
これが、世界一豊かな国の象徴だったのかもしれない。
祖父たちは、その事実を当然知らないまま片道燃料で突撃して行った。
下のPOLARISは最小サイズ
1995年頃の頂きもの
同じくGIBBUSを代表するPENCIL
POPPER
30年近く開封していないまま
GTも対象魚に入れて生産されているのだろうか
2014年当時のPOLARIS POPPER PRO SERIES
アメリカもPEラインが主力となり、強度上がっている
また、VMC社フックも使用している
同社のPENCIL POPPER PRO
アメリカのルアー産業は、繰り返しになるかと思うがとても古いもので、日本はその概念さえあまり無かった頃に巣既に盛期を迎えたのではないかと思う。
その後、多くのブランドが買収されて、その量産先を大陸に移した。
ギブスはそれをせず、小さく、地道にコツコツとやってきたかと思う。そのかいもあってか、現在でもUSA製で頑張っている。それは、評価に値する。一体日本でそのようなルアーメーカーが何社あるだろうか?
日本製のGTを視野にいれた大型ペンシルの中では当時リアル系に走ったザウルスのトビペン。元祖に近いかもしれない。バブルの象徴でもあった同社もその崩壊と共に人々から次第に忘れ去られていったように感じる。
パッケージ裏
1998年度ザウルスのカタログ
ふと思い出して、家探しすると見つかった。
バリで購入した、インドネシア製ペンシル
たしかウイルスバリとか言う貝張りのシンキングペンシルだった
筆者及び月竿が最も信頼する疑似餌の一つであるクラフトベイト社のGT2
GT1は生産終了になって久しいが、再生産して欲しいと願ってはいる
圧倒的な出来の良さとセンス、そしてその実用性は大変素晴らしい
その分厚いコート層と塗装には脱帽だった
GT1 画像もこの画像が最後となった
何れ、クラフトベイトとそのビルダーである谷口氏の特集をしてみたいと思う。
リアルベイト MOON SP SERIES
日本のSWルアーは、その淡水ルアーがそうであったように、コピーから始まった。現在ではそれを知ることもないまま多くの釣人が使っていると思う。
勘違いの果ての中には、それが日本発祥であるかの如く他を下にみることも多く見受けられる。しかしながら、最初に開発したその国、その会社、その人が一番偉いし、立派であるし、かっこいいに違いないと思うのだが、その多くが否定されていると思ったりもする。
ただ、今現在のハイテクルアーを使いながら過去の開拓者に思いをはせるのも良いだろうと思う。また違った釣り感が味わえるのかもしれない。
明日への釣師に捧ぐ。
それが疑似餌だろうと餌であろうと、釣りの基本は同じである。そしてそれを昇華させるのも釣師となったあなた次第なのだから。
終わり
2020年10月5日編集追記
楽園の終焉Ⅱ2011番外編 ― 2020年10月10日 16:56
楽園の終焉Ⅱ2011番外編
出陣前のT先生と現地ツアー会社社長?
何が一体祭りなのかいまだに不明であるしやけに調子だけはよかった
国内だとアマチュアレベルでも現地では有り難い
カサゴの姿造り(活き〆)
更に大き目のカサゴを使ってのよく解らない姿盛風
でもそれなりなのはよく解る
ここは、日本ではない
SHIMANO SARAGOSA旧サラゴサ14000/18000
そして、旧ダイワ精工EMBLEM 5500T
名実共に世界最高峰と言われる2020 STELLA30000番
その性能、サイズ、価格と世界トップクラスのスピニングリール
そのうちまたこの機種について述べることがあるかもしれない。
上からSARAGOSA 中TWINSPIN 下STELLA
2010年の夏頃、このリール(SARAGOSA)の購入を検討した。それは・・・・。もちろん、相手はロウニンアジの為にということ・・である。(楽園の終焉Ⅰを参照)
コストパフォーマンスは、極めて優秀であるこのリール。当時国内のとりわけSHIMANOでは、STELLAかSALTIGAの2つの選択がほぼこのメインの釣では選択されていたと思う。そんな頃、大変気になったリールがこれである。 早速US在住の関係者に聞いてみたところ、当時盛り上がりつつあった、マグロをルアーのキャスティングで釣ると言う日本が発信元になったこの釣りが、アメリカの一部のマニアの中でも広がっているとのことだった。それは意外だったが、(※Bluefin2002参照)ネット社会の情報伝達は、恐ろしいほどとても早く、動画配信も多くなっていった。それゆえにその以降の普及は、そとは比較にならない程著しく早くなっていた。また、90年代のGTブームの伝播スピードは、比較緩いスピードでアナログ時代をまだまだ反映していたのに対して2000年代に突入後は、その勢いはますます加速していったのである。一秒圏時代の到来である。
その関係者の話によると、100㎏クラス前後のマグロのやり取りで問題視されたのはそのドラグ機構にあったらしい。いわゆる熱によるドラグノブ溶解であるとの事だった。なるほど、それならGTなら問題は無さそうと言う事でテストしてみる気になった。一方他の同行者は、それには関心のあるものの、年一度あるかないかの海外遠征でいきなりそれを使うのはちょっと気がひける・・・と言う極めて慎重度の高いごもっともな意見に、当然の事ながら納得した。
他にそれをやる人はいない。それで思い切って自ら使ってみる事にした。
2000年代-2010頃のデザイン
当時US$300と記憶しているが、STELLA08モデルを彷彿とさせなくも無いデザインである
ステラの廉価版と言う印象だが、当時国内での販売は無い
マレーシア製で国内からは、排除された国際モデル
当時国内ではツインパワー以下の選択は、GT釣行には無かったように思える。
SHIMANOが誇るリールの技術を限りなくコストダウンしたモデル
ドラグノブは、樹脂製でなるほど溶ける可能性がない訳ではないなと思う。サイズ的には18000と14000はスプール共通だった
それでもコストパフォーマンスは、最も優れたリールだったように思えるのだかはたして・・・・
GT15~50㎏クラス10本くらいでは、一度も壊れていない
もちろんそれは、使い方にもよると思う
その使い方が問題なのだか
メインシャフトはそう太くはないが、最大15㎏テンションまで絞り込んでみたが何とも無かった。
これに関する問題のひとつに、以降何年もメイン機で使う前提での耐久性についてであるが、昨今の使い捨てやマイナーチェンジ等によるメンテナンス、アフターの終了の早い昨今に於いては、そこはあまり必要ないのかもしれないと思った。なにせ破損した頃には、パーツが無いと言う結果を多く目にしてきたからだ。それは、ステラを初めとする上位機種であってもそう大差はないと思った。資本主義を貫くとそうなるのも無理はない。それを差し引いても、良いリールだったと思う。それだけSHIMANOの技術は段階的に上がってきたと思う。そしてそれは、少年時代からダイワ精工をこよなく愛する私の心とは裏腹に、次第にDAIWAはグローブライドと言う会社に変わってしまったのである。時代は、虚しくも展開されて行くのだった。それでもDAIWAはDAIWAなのかもしれない。それは、私の中のダイワ精工が終わっただけなのだろうから。むしろ多くの人はそんなことは一切関係のないことなのだろう。これは、あくまでも私の小学生時代からのダイワ精工と言うそのDAIWA製品愛の問題であるとする。
2010年当時のバリにて(※楽園の終焉Ⅰ参照)
GTが疾走するが、しっかりとドラグが利いたSHIMANO
SARAGOSA
きっかけ
バリのハンドメイドエギ
とても良くできていたというのが感想だ
しかしながら、島内生産かどうかは判らない
若い頃ならではのインパクト。それと、それに伴う勢い。それは青いと言うことも言われることもあるが、若者には未来がある。その未来に託せば、その後の成長があるのが人間ではなかろうか。
その若者の経験値は、恐らくそれなり(人生なり)に低い場合が多い。
経験値は、必ずしも年齢には比例しないとは思うが、先輩という存在は、良き教師でもあった。そんな一度使ってみると言う癖は、どうやらF師匠譲りだったようである。未だこの歳になった今もその癖は、治っていない。いいのか悪いのか。何れにしても少し余裕がないとできないことなのかもしれないことと思ったりもした。今時、昭和の子弟関係など、関心の外の人も多いかと思う。
しかしながら、師匠がネットと動画では、なんとも薄っぺらにも映るが果してそうなのかどうかは、その時代の当事者に任せてみるしかない。
時代はF師匠のPEライン革命(PEらいんでのキャスティング)以降、それまで特には問題の無かったスピニングリールの代表格だったPENN SPINFISHER SSメイン機+ナイロンライン時代から、高分子ポリエチレンPEの時代へ、大きく舵を切っていったように思える。そして私の中でのリールも世の中の多くもDAIWA TOURNAMENTの時代へ移って行ったのであるが、当時から師匠の試行錯誤は、常に行われていて、リールに対してのシビアなテスト釣行があった。まさに、開拓者でもあり、大人の余裕と言う感じがした。
リールに改造やチューンを施すということも出てきた時代、最初にオリジナルから手が加えられたのは、ハンドルとノブそしてドラグワッシャーとベアリングだったと思う。それから、スプールへと以降して行った気がするが、それは、PENNと言う存在あってのことだったようにも思える。90年代はSSの改造がとても隆盛した時代でもあった。
次にリールの選択であるが、F師匠のあくなき追及は、当時その下のクラスであったエンブレムまでに及んだらしい。なんと、当時そのトーナメントシリーズの下のランクである。
“エンブレムでもGTで使える”
と言う結論だったのである。この言葉は、若い私達には衝撃だった。
但し、使い方や耐久性はその上級機種には及ばないと言う条件付きで。
そこで、早速私も購入した。(購入時期は覚えていないが95年~97年くらいだったような気がする。)
ロウニンアジとなると流石にその耐久性や限界値は、師匠頼みだったが、他の釣は、さほど問題はなかったように思えた。それでも壊れた箇所があり、それは、逆転ストッパーだった。当時エンブレムの弱い箇所は、そのストッパーにあったのだが、筆者が無理やり試しに使ったカンパチのジギングで一度それは破損した。ジギング専用リールなどというものがまだ無かった時代ではあるが、元々EMBLEMは、万能型のサーフキャステングリールだった。それだけの用途だったので、逆転負荷はそう高くない。また、当時DAIWAが力を入れていた機構にツイストバスターがあった。ラインローラーのヨレを減らすというものだったと思う。
当時一押しのツイストバスター
それ以前は、ラインローラーの糸ヨレは普通にあった
ヨリモドシ=スイベルを接続する習慣はあったにせよ、撚り事態が戻って快適という記憶もない。
EMBLEMの展開図
恐らくNo56、57あたりが一度破損した。
それほど逆転高負荷がかかる釣りには使用しないと言う前提に設計されていたので、クレームには当たらないと思う。
両アームには、糸絡み防止ガードが組み込まれている
当然ながら当時のダイワには、このリールでGTゲームもジギングも想定はしていなかっただろうからそれは、致し方ないところだった。PEラインを使ってGTなど、まだまだまだ世間一般の釣人からは幾分マイナーだった時代である。ロウニアジってなに?が極一般的な釣人の質問だったように思う。
当時でもショアからのジグキャストでワラサ=ハマチには使っていた人はいた。ショアジギなんて言葉はなかったけれど。その釣り事態は既に行われていた。
それ以来、アカメのキャスティングや投げ等でしか使っていなかったが破損していない。それにまだ当時は、日本製であった。それは、ものづくり大国日本がそれから次第に勢いを世界の工場と謳われる国にとって代わられつつある時代への過渡期だったのかもしれない。それが1990年代だったようにも思える。その時代は、まだ私の中では国内4大メーカーと言われた大手4社(これもその後死語になった)のうちで、最も優れて愛すべき会社であったのかもしれなかった。この時、既に最大手だったオリムピック(マミヤOP)、工作機械のリョービの釣具事業は、その勢いを徐々に失いつつあった頃である。
その後は、RYOBIの最後の総力戦ともいえる、サファリ、バリウス、イクシオーネとそれに続くザウバーやアプローズと一花咲かせてくれたような気もするが、その後間もなく閉鎖となってしまった。だがそれももう過去のことになった。国内4大メーカーと言われた面影さえもう無くなって久しい。
既に遠い過去の話である。息子の同級生に、リョウ―ビ、オリムピック(マミヤOP)の名を聞いたことがある。もちろん「知らない」と言う回答だった。
国内釣具メーカーが勝ち誇った1980年代から、その生産を次第に海外主体に移さざるを得ない時代へと突入していったように思えてならないのは、私だけではないと思う。今更それを、嘆いていても仕方のないことだ。
ダイワ精工製 EMBLEM-Z 5500T
JAPANの刻印が、当時を物語る
その革命的デザインや、機能美にはもう一流の勲章しか与えられなかったと思うのだが
当時は、TOURNAMENTが最上級機種、次席がこのEMBLEMシリーズだったと思う
ダイワ精工が誇るものづくりは、デザインも国内他社を圧倒したが、そのうちそのエンブレムという称号も消えてしまっていた。
今の時代を象徴しているのかもしれない
それは、勲章無き時代の到来なのであろうか
何時購入したかも忘れてしまったが、DAIWAのルアーShore Line Shiner R-55をひっぱりだしてみたがこれも国産だった
OEMと思うが、ダイワ精工が誇るベストセラールアーであった
何もかもがDAIWAな私と時代、世界最高峰がすなわち日本が誇る世界のダイワ精工だったように思えた時代
その後、ダイワ精工という社名も、国内の熊野(呉)の工場も閉鎖された。
時代がまた一つ変わったと思った。時代の流れは、日本製と言う名の製造品が減る一方だった。そんな、その時代の開発秘話を語る師匠ももういない。
昭和時代とダイワ精工は、良い過去になり、そのことを知る諸先輩方も次第に減っていった。時代は、過去の栄光を跡形もなくむしり取って行くのだろうか?栄枯盛衰という昔からの言葉どおりでそれは、誰も変えられないのだろうか。
いやきっと、そんなことばかりではない・・ことを願うばかりである。
その一方で、モノは作られ過ぎて有り余っているのだった。先進国は、如何に作り過ぎたものや、中途半端に使ったものをひたすら捨てることに右往左往し、途上国は、そのすべてが足りない。そんな矛盾がない、きっと未来が明るくなる時代が訪れることを祈る。何時になるのか解らないまま。
今日も、そして明日も。
2020年久し振りに引っ張りだしてみると、びっくりした
このありさまだった。ついに、2回目の破損であるが、今となっては補充も修理もできないない。樹脂は脆い。
30年近く経つと経年劣化も著しいのか真に残念である
船長元気でいてください
これからの若者に明るい未来があるといい。何故なら、若者には未来がありその20年後はその国のすべてを背負って立つからである。その若者が未来と希望を失ってはその国の先はないに等しいのではないだろうか。
これから人生の後半か、残りが既にターンしているものの願いである。
番外編終わり
2020年10月吉日再編集及び加筆
つきまろでんせつ-うきまろのゆめ-1 ― 2020年10月17日 16:23
さて、今まで年代の時系列に沿って再編集してきましたが、これは、原文から初公開になります。
ブログってもうほんと情報ツールとしては、終わっているそうですね。
私は、プロでもアマでもないレベルですので、それなりに解りにくい部分も多々あろうとおもいますがその点は、何卒ご了承ください。
特別番外編
つきまろでんせつ
うきまろのゆめ
はじめに
※本編は、うきまろ発売元と関係ありません。また、以下本文のそれを推奨するものではありません。
コロナ禍が続いてもう半年が過ぎようとしていますね。そして、2020年もあと僅かになりました。あらゆる障害が出ていることは言うに及ばずですが、それでも世界が混沌の中で活路を模索しています。それは国によってまちまちです。また国によってまちまちであるということは、個人の考え方もまちまちで1方向では動いていないことになるのでしょうか。それも多様化という言葉で済まされるのであれば、良いのかもしれませんが、そう単純ではなさそうです。
そんなコロナ禍で、我が国に於いては、にわかにアウトドアブームが来ているとかいないとか。風の噂というのは、本当なのでしょうかね。今それをそうだとは私は言えませんが、そんなことを彷彿とさせるように、土日、連休ともなれば、夏場地元の海水浴場はすべて閉鎖なのですが、渋滞は続くほどです。例年程ではないですが、それでもコロナ禍での中で皆さん、外でということはあるようです。人間外にでるなと言われればそうしたくなるのも致し方ないことなのかもしれません。
そんな7月も過ぎたころ、うきまろセットが届きました。風の噂は続くのですが、どうも空前の大ヒット商品とも聞きました。
本編はそれをつきまろ改造計画として、勝手に自己責任で行ったものです。笑いが取れればいいなと思ったのですが、そんな、センスもありません。また、それを動画サイトでアップすればよいのかもしれませんが、それも私には向いていないようです。むしろ釣チューバ―とか言われるのもそう重要とも思っていないのかと思ったりもします。よって旧式で若者が誰も読んでくれそうもないにも関わらず、この前世代とも言われるブログ形式にアップすることにしました。
ただ、堅物とイメージされそうな私であっても、案外子供の頃からの“あそびごころ”は捨てていません。いや、未だに持っています。それを汲んで読んで頂ければ幸いです。
がまかつ伝説
がまかつと聞いて、まず浮かぶ言葉、“釣り針はがまかつ~”というTVCMという方は、まず昭和の世代でしょう。そして、私が真っ先に浮かぶイメージ、それは、千葉真一氏です。そうあのJACのいや世界のアクションスター、ミスターソニーチバです。もうすべてがそのイメージです。けんか空手極真拳のあの千葉さんです。いやもっというと普通は、‟影の軍団“なんでしょうけれど、いやいそこは、少し違うんです私は・・・。さてそれでは何か?というと、そうです、少林寺拳法です。千葉氏が主演の映画と言えば、宗道臣先生の人生を描いたもので題名もそのまま、少林寺拳法なのですが、その映画は、オープニングからかっ飛んでいます。その千葉さん演ずる道臣先生が、いきなり中国(満州だったか)でマシンガンを打ちまくるというあのシーン。あぁすみません。かなりマイナーですね。その千葉さんの、TVCMというと、我々の世代普通は、ハウスジャワカレーの宣伝ではないでしょうか?“さわやかな大人の辛さ”が売りのあの宣伝です。故野際陽子さんとの共演でのあのシーンまさに大人のカレーって感じでした。しかしながら、そんなことは本題であろう筈はありません。そうあのCM、かっこよ過ぎた、あのがま磯マークⅡ、そしてがま鮎、の千葉さん、硬派の漢のイメージのかっこよさです。それと、がまかつが上手く相乗効果をだして最早不動の漢の道具感を漂わせました。そこに、当時子供の私の入る余地はありません。しかもそれは、かっこいい大人の漢の道具、男の道具、それです。そのイメージです。
がまかつ=千葉真一=アクション俳優、極真無頼拳のそのイメージでこのまま突っ走るしかないようです。千葉さん扮する大山倍達先生のあのビール瓶を切る、あの、牛を倒す最強のイメージと、がまかつハイカーボンロッド。
つまり最強の竿ということでしょうか。そんな硬派で男の道具で、その先の針は、最強の刺さり。即貫通!狙った獲物は外さない、そんなイメージしかありません。
その超ハードボイルドイメージから40年以上経過すると、それは別世界が待ち受けていました。がしかし、どう考えても千葉さんが忍者の恰好でこれを持っているとは思えません。
服部半蔵もびっくりです。むしろ、忍者はっとりくんが持っていた方がまだましに思えます。そんなイメージとこれから訪れるゆるいイメージがインスパイヤすることがあるのでしょうか?不安は、隠せません。
うきまろッド&リール
千葉真一氏が持つかもしれなかったその道具とは。
説明書きは、簡単に読めるけれど、漢字記載なところは、やはり小学生以上が対象なのでしょうか?そこはお父さんお母さんが読めればそれでよいのだが。仮名は振った方が小学生低学年以下のこどもには良いかもしれない。
うきまろッド以下うきまろということにします。その台紙からも、ゆるキャラ化した、うきまろのファミリーが釣りにでかけるファミリーを意識したものと思われます。いや恐らく、誰が見てもそうでしょう。何ともアットホームな感じがします。うきまろとそのファミリーを囲んで、かわいい、イワシ、アジ、そしてわざわざコッパグレとまで書いてあります。そして、カワハギ、セイゴ、ハゼ、メバル、キス、サバ、カサゴ、まさになんでも来い!のスーパーマルチパーパスなセットです。そこには、海への夢が満載されているようです。ご丁寧に、うきまろロゴ入りの赤いリール止めまで予備として付属してあります。糸もついて(セットされて)まさに、昭和のストロング釣具を彷彿とさせます。
いや待てよ??これは、がまかつなんだよなぁ?
何度見てもがまかつは、がまかつです。あの世界の釣り針GAMAKATSUです。そこには男の道具、極めた大人のみが知る究極の竿と究極の針のイメージはありません。大山先生の手刀がビール瓶の口を切り飛ばす、刀の切れ味の如く、いや本多忠勝のトンボキリの如く・・・・・・・のイメージは、全くありません。それは、過去への完全否定なのでしょうか?
それどころかそれは、全く異次元のところに存在するものです。
激動の昭和の夢は、脆くも崩れ去り、達人のイメージ=千葉真一のかけらも存在しませんが、それでもがまかつの銘は捨てていないようです。そんなうきまろですが、気に入りました。その選択に、スピンキャストリールが採用されていることもそれを助長しているのかもしれません。漢の道具、洗練された大人の道具から、なぜか次元の全く違うファミリーへ、そしてその中心は、キッズたちであることは容易に理解できるところです。どちからというともう忍たまです。恐るべし、ガマカツ。恐るべし、うきまロッド&リールセット。しかもそれは、至れり尽くせりの糸付です。果してどれだけ売れて、どれだけ人を幸せにするのでしょうか?それは、販売する側だけのものなのでしょうか?明日への釣師を夢見る子供達のものでしょうか。それは、すぐにゴミ箱へと直行することもあるのでしょうか?
そんな千葉真一さんと、うきまろのギャップはあまりにも大きく、天と地の差ほどもあるのかもしれません。
それにしても、千葉真一氏の持つ竿はほんとどちらもかっこよかったなぁ~。そう思うと、何故か倉田保明アクションクラブが思い出されたり、志保美悦子がヌンチャクを振り回したりする映像が浮かんで払拭できなくなりそうです。そうなると全く収拾がつかなくなってきます。
はたしてその最強遺伝子は、受け継がれているのでしょうか。そんな勝手な思いとは裏腹に、当時と現在を結びつけられる人は、一体何人いるのでしょう。うちの両親なら解る世代かもしれませんが、違う意味で忘れているかもしれません。
つきまろでんせつ うきまろのゆめ-2 ― 2020年10月21日 20:05
それでも撮影中は微動だにしません。ほんと彼女だけは、撮影し易いです。
ちゃんとこの台紙裏には
説明書きが書いてある。
この台紙の裏表を読むと一通りのことは記載されている。
相当担当者は、考えての結論と思う。
うきまろリール
そのスピンキャストリールの全貌
セット(コンボ)のメイン構成でもあるリール
スピンキャストリールは、小学生の頃、クローズドフェイスリールという名で覚えました。釣り入門にも記載されていました。初心者向けとは書いてあっても、それについての詳細はあまりなかったと記憶しています。その名前はどちらも良いのですが、昨今は圧倒的にスピンキャストリールと言う方が多いかと思います。長年慣れ親しんで見てきたリールですが、スピニングリール同様、その昔から基本構造は変わりません。むしろ、スピンキャストの方は、ほぼ変わっていないと言っても言い過ぎではないかと思います。
さてこのリールですが、何度も友人知人達から、「ピカチュウのリールでたの?」との言葉を頂きました。かつてのくまもんリールがそうさせているのかも知れませんが、うーん確かにそう言われるとそう見えます。
真に微妙なところではあります。それで何度もがまかつのうきまろだよと説明して来ました。でもやっぱり似ているとのご指摘を多く受けましたが、それは私の責任ではないよ。と答えるしかありませんでした。そのうち訂正する言葉をスルーするようになってきました。そこは、発売元のがまかつさんにお任せ致します。
左側面
ほぼ中央付近の凸は、もはやなんの意味もないと思われる
がデザインの一つとして見るのが正しい見方なのだろうか?
ハンドルがある右側
つまり右ハンドルのみの設定である。少年少女たちはこれで慣れるしかありせん。
とりあえずボティーとその特徴であるクローズドフェイスと呼ばれる所以のカバー(リール前方)もプラスチック構成です。そこは、アルミでという訳にはコスト上できないのかもしれません。おもちゃ感マックスに感じます。いやおもちゃです。しかしながら、使えないおもちゃではもうどうにもなりません。あくまでもリールしての機能の最低限は、備えていると思われます。そこは、値段相応とお考えください。
ハンドルシャフトは金属ですが、細かいことの多くは期待できません。
しかしながら、これも普通に回す事ができます。及第点です。
次に内部構造になりますが、ピックアップピンが採用されています。そこは、少し安心?しました。このピックアップピンと呼ばれる部分とその機構は、最も重要な機能の一つで、これがないとリールとしての機能は全くないということになります。それだけ重要部分です。他にはと言うとですが、なにせコンボについているリールですから、そこも多くは期待しては行けませんが、数度使用した後の下の画像は、既にラインの跡が見えています。ちなみに少し前の現行のアブマチック170iは、ダブルピックアップピン機構になっており、しかもオシュレート(前後移動)します。この機構には、同じ大陸製であっても旧ABU社のエンジニアスピリットを感じます。もちろんうきまろリールの何倍もの価格ですので、当たり前と言えば当たり前なのですが。ついつい比較しがちなので困ったものです。そこは、常に価格相応と言うことを念頭に置かなければなりません。
伝統のピックアップピン
どなたか、これを最初に採用したのはどこのメーカーか教えて欲しい。恐らくアメリカではないかと思ったりもするが、大半の方はABU MATHIC(スウェーデン)と答えるのではないかと思う
だれか詳しい方教えてください
未使用の状態の内部
まさにスカスカの内部だが、白い硬めのグリスが塗布されている
ここも、まともな配慮があった。
うきまリールダイヤルドラグシステム
なんとドラグの使い方まで書いてあるではないか
しかもつり具店さんにまで・・・・という布石まで手を打ってあるのはお見事である
記載に釣具店で仮名うちした方がいいとは思うけれど
グリスアップ後数度使った状態のギアボックス内
メインギアは極めて小さいのだが
恐らく2時間程度の使用を5回ほど使用した後の内部
本舗初公開?2020年9月2日時点では初なのかもしれない。
ギアは勿論ダイキャストギア、亜鉛合金でしょうか?多くのスピンキャストリールの基本構造はほぼ同じでしょうか。それは昭和の時代から変わってはいないようです。ファットな外見からは、想像つかない程小さな心臓部です。
見かけ倒しにも見える程その中は、貧相なものでした。
画像のグリスは、オリジナルではなく、既に一度オーバーホールした後のCalsのリールグリスライトタイプが塗布してあります。グリスはライトタイプよりもレギュラーの方が良いのかとも思いました。
それでは次は、うきまロッドの分解へと入りたいと思います。
つきまろでんせつ うきまろのゆめ―3 ― 2020年10月25日 16:56
分解
壊すのではない、それは分解である。
さて千葉真一総帥の息吹で精神を統一してから、分解を試みることにしました。3度ほど息吹を繰り返して心を統一するとします。
結束バンドのみで止められているロッドとリールを外すところからスタートです。気合いを入れての取り外しです。鋏を持つ手が震えます。(うそ)
一応セットすることは、普通に出来ました。(あたりまえ)次は、パーツの確認です。パーツは、いわゆるノーネーム品みたいです。もっと崩していうところのパチモンです。次に、竿を伸ばしてみました。ガタと呼ばれる合わせ部分のガタつきはありません。これには感心しました。多くのジャンク品竿には、この合わせがガタガタであったりします。それは、国産であっても未だにあるものが存在します。これは、人間の感覚の方がまだまだ研ぎ澄まされているようです。このガタツキに悩まされること25年以上。修行時代からの悩みです。それは、テニス肘と言うおまけを連れてきてくれます。大そうなお土産です。しかも重くてとても辛い。それは、明日への釣さえままなりません。
元ガイド=ストリップガイドは、斜めに接着されていた。
もともとそれぞれの内径外径サイズがあってはいないように感じた大変残念な部分でもある
続いて震える手で(うそ)ラインを通してみます。既に怪しい香りがします。案の定、そのガイド設定は、ちゃんとしているとはとても思えません。曲げてみると、ラインはブランクを擦るというよりも既に下になっていました。
想定内でしたので、絶句はしません。がしかしこれは、堪りません。しかも接着が傾いています。わあぁ・・・・・。それでも釣りができない訳でもありません。100歩譲っても合格とは言え難いですが、価格相応と言えばそうでしょう。数々の指摘はあるにせよ、まあ、なんとかなるかもしれない程度です。この部分には、人件費の多くがかかるところでもありますので、もう少し見直しても良い気がしました。
さて今度は、分解していきましょう。
まずこのガイドから外していきましょうか。熱をどれだけいれると外れるのか、その接着は、十中八九エポキシボンドだと思うのですが、その接着剤の性能もさることながら、接着の仕方、ガイドとその元であるブランクと呼ばれる素材とのクリアランスにもよるかと思います。どうやらこの斜め接着からするとクリアランスはその斜めになるほど、明らかにありそうです。少し遠目からその火の側面から近づけていきます。そうすると直ぐに煙がでます。そう、エポキシ樹脂に熱が入り劣化した瞬間です。その瞬間にすぐ火を離して様子をみながら捻じらすに、できるだけブランクに負担がかからないように取り外します。そうすると、あっさりと外れました。これは、想像以上に緩い接着だと思いました。
こんなことも動画にすれば簡単なのですがね。しかもそのインパクトも活字の何倍、何十倍、いや何百倍それ以上なのでしょうか。打ち込んでいたらそう思えてきました。それも当たり前といえば、当たり前なのでしょうけれど。
竿元のセクションは、口金のみです。それも外しましょう。口金の接着もかなりクリアランスがあります。続いて、接着してある2番竿口のガイドも外してゆきます。最後にTOPガイドと呼ばれる先端のガイド外しです。気が付いたことは、やはり思ったとおり、#1番穂先と呼ばれる竿先は、グラスソリッド(無垢)でした。それは、子供が容易に竿先を折らないための配慮だと思います。そこは、キッズ、ファミリーユーザーへの配慮と思います。多分に漏れず、海外のキッズモデルもソリッドタイプの穂先が基本となっていると思います。穂先は、一番折れやすいですからね。当然の対処と言えば、そうですね。
うきまろスペック
流石業界でも老舗一流と呼ばれるほどのことはあるかもしれない。
スペックと材料の構成とそのうきまろリールのスペックまで記載されている。裏台紙とはいえ、必要なことがぎゅっと凝縮されて記載されている。
ジャンクパーツ
ガイド及び他パーツは、すべてノーネームのものである。当たり前と言えば当たり前なのかな
つきまろでんせつ うきまろのゆめ-4 ― 2020年10月31日 18:08
釣りブームとやらをよそに、釣りらしい釣りをしていないです。
朝、今年もサワガニが入って来てました。危うく踏むところでした。
気が付いて良かったです。青色型と言うらしいですが、私は専門ではないので解りませんが房総にはこの型がいるそうですね。
ちょっと反れましたが、元に戻すと、ガイドは案外簡単に外せただけでなく、TOPガイドは、中心のリングの緩衝として取り付けられている樹脂は熱を入れると直ぐに溶けてしまいました。ジャンクには変わりなさそうです。
ガイドをすべてとり外したところ
ハンドル部分のセクション#4の下が#1トップセクションであるが、グラスソリッド(無垢)だった。裁断寸法もまちまちだが嵌合と言われる合わせはとても良かった
リールシートの重要なパーツ、フロントナットを取り外す
CKと呼ばれるチェックを先に取り外した
リールシートのフード/ナットは、外した瞬間ばらばらになった
これには少しびっくりしたが自動分解といえばそれまで
ほぼ取り去った状態
さて、次にブランクを分解します。4本継なので一旦すべてを抜き取る為にバット部分と呼ばれるエンドから抜こうとしますが、ここもコストダウンの為か、あるいは、メンテナンスを最初から無視した仕様なのか解りませんが、エンドバット(竿尻)がはめ殺しになっていて、同じ黄色いEVAプラグ栓をはめ込んで抜けないように接着されていました。これを抜き取るためには、そのEVA栓を破壊して取り去らなければなりません。
更に驚いたことは、ブランクの裁断が全く考えられずにカットされています。あるいは、あえて1.6mと1.8mの2つの機種を共通パーツで行うため、そのようなカットになっているとも考えられますが、どう考えても設計自体を、がまかつ社が行ったとは思えません。しかしながらそれは、あくまでも部外者の推察です。そこまで吟味するものがまさかいるとは、思っても見なかったでしょう。
おそらく・・・ですが。何れにしても私は部外者であることには変わりません。
ガイドの再構築
さて次の作業は、ガイドの再構築です。オリジナルの位置を確保するのは、接着箇所のガイドのみです。当然ガイド数は、前述した通り、不足していると判断して増やして行きます。
フロントグリップ部分には、昔解体したバスロッドのパーツを再利用しました。もう20年以上眠ってホコリを被っていたものを掃除しなおします。コルク部分は、そのまま放置してあったので、汚れを落とす前にサンドペーパーの400番、600番、800番、1000番と磨いていきます。これのネジ切りと合うのかどうか疑問でしたが、それはねじ切りのピッチとサイズほぼ合っていました。オリジナルのパーツのコピーをしたものではないかと思われますが、それは他のものでも多くあることなのかもしれませんね。ネジを一杯まで締めきってみましたが、どうやらFGはかなり長めの様です。また、ブランク径とFGのブランクの太さと全く合いませんでしたのでFG側の内径を拡げ調整します。次にリールをセットして確認してみます。やはりFGがかなり長いので、5㎜程先をカットして調整してみます。それでも少し長いので更に3㎜ほどカットし、再び削って成形します。何度かこれを繰り返すといい感じまでになりました。
この塩梅でFGカット作業は終了です。フロントグリップがあるとやはり少し違ってきますね。さて次はというと、付着した残りのエポキシボンドを磨いて取り去って行く作業です。まず、ブランクに傷がつかない様にマスキングテープで保護します。綺麗に取り去って、さあ、マスキングテープを外しにかかります。それはいつも行う修理工程では良くある工程です。
いつも通り何気なく剥がして行くと、なんとここで問題が発生します。マスキングテープを剥がすと、一緒にこの竿の顔であるうきまろキャラの姿とロゴの一部が一緒に剥がれたではないですか・・・・・・。しばしの呆然です。しばし溜息・・・・です。気合いの息吹も台無しになってきました。折角の息吹での心身統一もあっさり崩れ去りました。うぅ・・・・・・。
こちらは、まだそのゆるキャラ、うきまろが張りつけてある状態
ロゴ部分は、ラップで包まれている
最低限の配慮が見受けられる