楽園の終焉シリーズ2021年03月13日 11:30


楽園の終焉シリーズ(2021追記)

ロウニンアジとBG73

曲がり切るBG733-TRAVEL 3pcs
当時では、トラベルロッドでGTとはあまり考えられない時代だった

その後、あらゆるメーカーがそれに着手して今や乱立しているがそれも世の流れと思う

今までの長い歴史の中と比較すらまったくなりませんが、このシリーズをアップするのにⅠの2010年から現在(2021313)までのわずか11年程度の瞬きにすら当てはまらない期間に、激動の変化があったと勝手に思っています。そして今もまたその渦中です。それは、人生という短い中でもこれだけの激動の世の中はそうないかと思ってみたりします。

横たわるロウニンアジ

最初の序章アップからまた2年以上経過してやっとⅢまできました。短い文章で短い期間にも関わらず、他のことと平行して書き上げることは、素人には容易ではありませんでした。たとえそれが打ち込みという作業がメインになったとしても、どうやらそれは変わらないようです。

再放流されるロウニンアジ

このシリーズが再び更新されるのかどうか現実が遠くになっていますが、果たしてこの地上に楽園などあり得ないという現実と釣りという俗世間の趣味という一見無理矢理な世界の切り口で書き上げています。心の世界は、現実と度々異なることも多いとおもいますが、その時の心境と現実は事実であろうと思います。

オシア限定アワビ

シマノ製のオシアペンシル18S での1本、一撃でボロボロだった 

キャッチされるロウニンアジ

ロウニンアジの個体差もそれぞれ違う

それは人間と同じかと思う

ロウニンアジとBG73

ロウニンアジ横顔

リアルベイトの威力

リアルベイトは裏切らない

おそらく誰にとっても優しい疑似餌だろう
魚にとっては脅威だが・・・・・

再放流2

それでは、そのⅢの前置きと致します。

2021313

楽園の終焉シリーズ

楽園を目指す


本シリーズは2010年から2013年までのわずか4年間にわたるインドネシア、バリ島におけるロウニンアジを主に疑似餌(ルアー)で釣る旅についての紀行文です。

楽園の上の雲


2018

時代は大きく変わり、地球温暖化の波は、音を立てて迫り、あの忘れがたい3.11の大震災もありました。
 この僅かな4年間ではありましたが、そのような時はアッと言う間に過ぎ去っていきました。

このツアーを組んでくれたフィッシュナビの八鳥洋二氏は、私と同じ大学の水産学部 水産増殖学科 魚類生理学研究室 通称山森研究室の8期後輩にあたります。

つまり、私が卒業して4年後の入学と言うところでしょうか。
 そんな、後輩と釣りの旅に出る事となるとは当時の私にはまったく想像もつきませんでした。

楽園への船


楽園の終焉シリーズのそれ以降が出来上がるのはもう無い事なのかもしれませんが、それでも誰かがこのシリーズを継続させてほしいと思います。

それは、バリでなくても良いのです。

そこに楽園があるのであれば、いや無くても求めるのであればその国も場所も選びません。

どうやら、世界でも有数の経済大国で、東洋で一番の先進国と名乗っていた我が国日本であっても理想の国ではないようです。
ましてやこの先の2020年以降の未来は良い話を全く聞かない今日の我が国です。

近い将来、日本がどの国からも慕われる、信頼される国になる事を祈念致します。

楽園の浪人


さて、そのⅠから掲載したいと思います。

楽園なのか



楽園の終焉2010-Ⅰへつづく

2018910

月竿 代表


南方回帰シリーズ2018年02月26日 18:19

南方回帰シリーズ

イソマグロ


このシリーズもお蔭さま?で二回、三回(ⅡⅢ)と突入する事ができました。

20182月時点で、そのⅤまで一応再編のひと段落を終えていますが、まだまだです。これだから素人は困ったものです。

まだまだ、誤字脱字も多く、自分ひとりでの限界を感じながらの編集ですので

何卒その点は、ご容赦くだされば幸いに思います。

 そのⅠでも少し触れましたがこのシリーズも初めて先輩の野人(F氏)よりK師匠の話を聞いた92年から随分と時が過ぎた。それからの構想から既に20年以上が経過していました。何とも人生はとても短いものです。あっという間に体の不調をしばしば理由に、自らを過酷な域にもって行けなくなった気がします。
なんとも言い訳ばかりの仕方のない親父です。

 よく、ボート、船とか、磯の方が上とか下とか堤防とか砂浜なら云々とか、人は皆区別を付けて、他を認めたくない傾向が強い人も多いのかもしれません。性分なのか、否定できない私達であると思える事もしばしばです。それがどうしてそうなるのかは、私には良く解りませんが、他の事もそうですが、趣味の中での優劣を決めてしまう事で、ある程度の差別化を求めているのかもしれません。

 しかしながら、同じ趣味と言う気持ちや体験が共有できたらそれがベストであるように思えてきます。
何処の世界にも、素晴らしい世界や境地、到達点が必ずあると思います。

人は、それをまた馬鹿なおひとよしが考える机上の空論、理想であると言います。

そんな事を感じながら、あの磯に立つ恐怖と戦う自分がまだ少しだけある気もします。のんびりとか、肩の力を抜いてとか平和な釣りなどできないものかと思うこの頃です。

それでは、また前置きが長くなりそうなので、そのⅡとⅢに入りたいと思います。

駄文ではありますが、お付き合いの程宜しくお願い致します。


南方回帰ⅡⅢへとつづく



DOGTOOTH IN RYUKYU-05 南方回帰Ⅰその1 -For Shore Fisherman-VOL1-72017年10月15日 08:22

その7

それから11年後

それから、何度もこの釣にトライするとは、今さらながら思いもよらなかった事である。
 11年と言うスパンはとても短いが、それでも周りの状況も釣も大きく様変わりして行った。

最重要課題でもあった仕掛けの習得と完成は、その後少しずつ改良に改良を重ね、身内ではRYUSEIRIG-KAI(流星仕掛け改)と勝手に命名した。
 2015年も多少の改良をしたが何といっても最初にそれを見いだした人が一番偉いと言う事には変わらない。
 最初に開拓した師匠には、尊敬の念を決して忘れてはいない。
昨今では、釣りの情報も、それに付随するリグ(仕掛け)事情も大きく様変わりしてしまい、さも一から自分で作り上げた最高傑作風に紹介する風潮は、流石に如何なものかと思う。
 それは、守・破・離の3原則に反している事は明白であるのだが、そもそも、その理屈などどうでも良いと思っている輩には到底理解できない事かもしれないとおもった。
 その後参加する事になったJUNNSYU、監督は、その先人の恩恵を多分に受けていると思う。
 話を大きくすれば、

その他に於いても歴史の恩恵を受けている現在の我々は、その英知の結晶の恩恵をも受けているのである。
 なんと言っても便利になったのは、ライト(懐中電灯)である。
師匠達は、単1アルカリ電池4個入りの豆電球懐中電灯に背負い籠無しのスタイルだった。
私自身もこの非常に重いライトに電球がこの頃くらいまではメインだった。
(
思えば皆さんナショナルの白いヘッドライトを買ったものであるが私もこのころまでまだ家に転がっていたと思う。この辺りの話は、ある程度の経験のあるアングラーは皆さんご存知で懐かしいところかと思います。) 
それから20ルーメン程度のLEDライトも導入し始めた頃である。
2015
年時点では、通常の普通クラスの少し上の280ルーメンを使用している事からすると想像を超えている。

また交通に関しては、航空事情が大きく異なってしまった事である。
これには当時からするととても悩みの種である。
それだけ911の影響も大きかった事になる。
そして2015年は、世界でも激動の年となった。

 師匠は、2015年時既に完全に磯からのイソンボ釣をリタイヤされてしまったが、その目は決して衰えてはおらず、まだまだ先を見ていたようであった。
こと釣の話となるとその皺の奥にある目を輝かせておられた。
この引き際は、言葉に言えないほど武人であると思う。
 引き際の難しさは、先輩方が良く承知の事であるのであえて割愛させて頂く事にした。

この間にも師匠のお父さんも既に100年の人生を超えられた。
一旦話始めると止まらない性格は、先祖代々なのかそれとも個性なのかは解らないが、師匠も師匠の父上もその妹様もとてもお話の好きな方であった。
 何時までも人は若くはない事を、若いアングラーに無駄とは解っていても話をしてしまう。
それは、彼らにはきっと将来がある筈だからである。
 一時の勝手に作り上げた名声など、ほんの灯にさえならないまま、忘れられ、消え去る事を知らないでいるのは、あまりにも不憫でならないと思う親心からかもしれない。
 経験値に裏付けられた実践度を尊重して行かなければ、我々に明日はないと思う。

 最後になるが、この釣り紀行を続けるにあたり、10年以上も悩み続けた一番の課題は、釣りをしない人には全く理解されず、チンプンカンプンと言われて困ってはいるが、釣をする人対象なのだから、まあいいかというつもりで書き続けて来た。
 だが、そこに落とし穴はあった。
釣をしている人と言う大きな括りでは、既に全く理解できないと言う釣り人の意見があったからである。

よくよく思えば2016年の時点では、釣専門誌、とりわけ紀行文等々メインの書籍と言うものは全く持って皆無に近くなっている上に、それを皆求めていない時代にネット上にそれに近い内容を記載してみても良く解らないと言うのがごもっともの様な気がした。

小学生の頃、無理して、釣り雑誌“フィッシング”を読んだのを思い出した。
それでも、当時の私(同世代)は、その意味が少々解らなくても、解ろうとして必死だったのかも知れない。

MOON 1302-scs 3/4


師匠譲りのトリプルラップデザイン。
苦労の果てには、その幸せを願う職人魂がある。

MOON 1302-scs 3/4 2


どうか良い釣りをしてほしい。
人生にとって良い思い出と共に。

201614日追記
2016
18日追記並びに訂正
(2017年10月15日ブログ版)

おわり

  


DOGTOOTH IN RYUKYU-05 南方回帰Ⅰその1 -For Shore Fisherman-VOL1-62017年10月12日 16:33

その6

なかなか辛いものであるが
これも旅の趣

MOON RODS


 ほぼ4日間毎日2時間睡眠程度にて久々に釣りをした。

島は観光客が他島に比べ少ないが、それでも多くなったそうで島人は少しだけ戸惑いを隠せず商売っ気ムンムンの内地の人は、 それなりに今風の商売をしている。

 今回のガイドを務めていただいたK氏は、F先輩と東京で仕事をしていたそうだが、島に帰島してからイソマグロにトライし始め、独自の試行錯誤の末、今のシステムに辿りついた。
それが確立したのは、もっともっと後の事だが、
F
先輩の話によれば、まだまだインターネットもない。
離島からの通販は、困難を極めた。
そんな中での苦労は、今現在では考えられないほどその道のりは遠い。

それには、どれだけの失敗があったか。
掛けるところから、取り込みまでたった独りである。
何年も、かかったそうである。

そんなこんなで、トータル2t前後は釣ったそうで脱帽である。
その内容は次の
南方回帰Ⅱ でも記載している。

今は仕事に追われて、年齢も積み重なり、次第にイソマグロ狙いの釣も減っていったとのこと。
 内地からはロウニン狙いで長期泊り込みの方もいて、3点式のロープワークをメインにした嘗て全盛期のあった釣りサンの「巨魚フィッシング」路線を持続しておられる方も居るそうだ。
素泊1泊2500円、隣は売店にて困る事も無い。

何時の日にかまたトライして行きたい。
望みは捨てず人はまた海に石を積んでいく。
それが捨石となって、いずれかはおおきな堤防になってゆくのかもしれないのだ。

20055月吉日(2017年10月12日ブログ版)

MOON 1363-um5p orijinal


その7へつづく



月のかけら2017年05月15日 17:14

工房月

オリジナル版と改訂版に分かれています。

オリジナル版はリンクしています。

改訂版はこれからアップして行きます。

釣紀行

夢が消えて行かないうちに・・・・・


夢を見るものの証し

イシナギ1

イソマグロ1
black drum

その2へつづく