21周年記念御礼 ― 2024年03月04日 17:38
2024年もスタートしたとおもいきや、もう3月になりました。いよいよ卒業式それから新学期ですね。久々の更新になりました。
20℃近くなったと思ったら、長雨と低気圧。北風がとても冷たい一日となりましたが、3日の日曜日のひな祭りは暖かい一日となりました。観光客もとても多い一日でした。
毎年同じような画像ですが、今年も撮影してきました。一日に何人の方が同じような画像を撮影するのか解りませんけれどほぼここに来られた方は何等かの形で撮影されているとおもいます。ありきたりな撮影ですみません。
平日を狙っての撮影
観光客はさほど多くはない
21周年記念特別モデル
お蔭様で当方は、独立21周年を越えてなんとか22周年目に入りました。この春は、若き日の私が鈴木師匠の門を叩いてから30年以上も年月が過ぎようとしています。以前も何度も書いてみましたが、自分が師匠と呼べる先輩方々は、その時代をけん引してきましたが、もうほとんどの方が故人となりました。そして、また筍のように新しい方が出てこられます。そうするとかつての故人は、忘れ去られて行くようです。なんとも無念で無慈悲とも思えますが、それだけ故人を偲ぶということがない、もしくはそれに値しない人が殆どということにもなるのかもしれませんね。
そんな数十年ともなると当然私も歳もとる筈ですし、人生もそう長くないことを誰もが知りながらも日頃考えないようにしているのが人間なのかもしれません。それだけ人生は短いもので、さらにその中の釣人生とかっこよく詠んだとしてもそれは大変短く、その若い頃のような身体能力はないものです。当然同じことをやるには、よほどの訓練の積み重ねを行わなければならないのは誰もが知るところです。それと反比例して上がって行くものとしては、経験値かとおもいます。それプラス昔とった杵柄で総合的に判断しながら、その釣りの方向性をシフトしていくだけのようにも感じます。
記念モデル元祖GTRK10-3pcs
つきましては、21周年モデルをご注文ご依頼くださった方々におかれましては、真に感謝申しあげます。また、思うがまま記載している当ブログの駄文をご覧のみなさまにも感謝申しあげます。古いユーザーさんは既に20年を超えております。長い間お付き合いくださいまして、大変ありがとうございます。
時代は、AIがどんどん進化するにしたがって創作作文してくれる時代に於いてこのように打ち込む時代もそう長くはないかもしれませんね。
更に道具も日々進化し続けますが、時代が大きく流れていっても魚の本質は今も変わっていません。またそれと対峙する人間の本質も有史以来そう大きく変わるものではありませんね。
そんな野生の彼らが、これからも逞しい野生の姿を見せてくれることを心より願って止みません。
野生それは、野生なのです。養殖でも蓄養でも家畜でもないのです。
竿の本質もそうであるように、一対一の対峙であることはそう変わらないと思えば1本の竿の先の相手にも敬意を払えるようになるのかもしれません。
この先は、後半または晩年に近い製品作りになってしまうことと思いますが何卒宜しくお願い申し上げます。
旧1363-UM9P 3pcsと西表型山刀
1363-UMシリーズは月竿草創期から支えてくれた竿です
現在は、より進化した1403シリーズになっております
2024年3月4日
月竿 代表
寒中お見舞い申し上げます ― 2024年01月17日 17:55
元祖GTR後継CT1003- GTRK-UM-ARMOR 締切 ― 2023年12月20日 18:30
月竿21周年記念企画 ― 2023年11月16日 18:25
月竿21周年記念
モデル元祖GTR改良型GTRKと記念品
BLACKMOONロゴの復活
元祖GTRについては、21周年記念モデル
https://tukinoturisi.asablo.jp/blog/2023/07/11/9601250
https://tukinoturisi.asablo.jp/blog/2023/08/11/9608986
をご参照ください。
月竿21周年記念品ご案内
1オリジナルマグカップ MOON/21周年記念刻印入
1WJ 300ml日本製ダブル込\2,035
2重構造シングルと比較して耐熱性があり、取手もパイプ構造になっています
1J 280ml日本製シングルマグ 込\1100
1C 250mlシングルマグ 中国製 込\550
2HS ステンレスナイフ125㎜ MOON/21周年記念刻印入
3YA倭 ステンレスアウトドアナイフ日本製、シース付
3-164 込\7,810 3-163IPメッキ込\9,460
4ネイルノッター日本製
簡単に針が結べる便利品込\550
5スプリットリングオープナーミニ 込\1,210
GSS 月竿手打ガーラナイフ特注使用極小11㎝サイズ
※別途要相談※長納期極小サイズ11㎝レザーシース付
独立創業から振り返ってみますと、最初は3周年を企画しようとしましたが、あっという間にそれをしないまま過ぎていきました。それから5周年こそ、10周年こそと思いつつも、なんの企画もないままにひたすら投入することに追われてしまい、構想はあっても実際取り組めることもなかった10年でした。では15年周年は?というと、それもできませんでした。20周年こそは!とおもいきや、それも結局1年ずれ込んでしまい結局21周年になってしまいました。
いや、それでももう22周年が目の前なのでほぼ22周年記念としてもいいくらいです。よく10年ひと昔と申しますが、22年近くなるとその間当然ながら世代交代もしてしまいます。当然ながらユーザさんも徐々に私の子供と同世代の方に入れ替わってきました。あと10年もするとうちの孫が・・・ということもあるかもしれません。
思えばBLACKMOONシリーズを一般的に基本廃止したのが、もう創業から数年後とかなり早い段階でした。その理由はいくつかありますが、当初はまだ独立したばかりで、オリジナルブランクの良さを知ってもらう為のものと思ってそれを始めてはみたものの、結局BLACK MOON仕様と言いながらかなりの拘りや、希望仕様がそのほとんどで最早そのコンセプトとはかけ離れてしまうことが多かったことが主たる原因です。以来月竿は、ほぼオリジナルブランク素材に徹してきました。それもほぼほぼ国産です。
真にささやかですが、少し企画してみました。30周年が迎えられたらそれはそれで十分な気もしますがそこまで製作できるかは私もわかりません。それだけ人生は短いということになりましょうか。GTRK的な磯、サーフからのある程度の大物釣も2023年では最早業界的にはなんの珍しいことでもありませんが、当時は珍しいことでした。時代がやっと追いついたと思うとそれもつかの間、すぐに埋もれてしまうのも致し方ないところと承知しております。それだけ世の中の流れは早くなっていると思います。ましてや90年代のそれとは大違いです。
月竿を超えるものは月竿。
それは誠に微力でも独走、独創し続けます。
月竿代表 平野元紀
2023年11月吉日
釣竿工房 月21周年記念企画-月竿 元祖GTR10 ― 2023年08月11日 16:00
釣竿工房 月21周年記念企画
月竿 元祖GTR10が帰ってくる
新型CT1003-GTRK-UM-ARMOR 3pcs
上:元祖GTR10-2pcs 2003年製造
下:新型CT1003-GTRK-UM-ARMOR
3pcs
スペック
ブランク仕舞寸法※106.3㎝/CW/GW=キャスティングウエイト最大g/DM=設計上最大ドラグ値(B破断値)/DS=設計上実用/又適正参考値/TIP=先径㎜BUTT=元径㎜/BWT=ブランク重量g/UM=特殊UMグラス
30-50(IGFA30) Line class PE:3-8gou
実用ドラグ:3-8㎏ Casting Wt:40-130g
特徴
・SHORE CASTING 磯ルアーキャスティング元祖GTR10の心技体正統伝承機=磯及び岸からロウニンアジ、イソマグロ、キハダ、ヒラマサ、ブリ等の青物
・IGFA30Lb Class Record 対応
・月竿独自のUM-ARMORブランクブレンドによるブランクプロテクト
・COMPACT コンパクト化実釣バランスを兼ね備えて携帯化した3pcs仕様
・Fuji SiC 富士スーパーオーシャンガイドMNSG40と同等高さのPKWSG40L 30L以降PKWSG20 16 12 12TOP
・Fuji DPS20+LOGR20ロックナット※Bブラックフード個数制限あり、以降はGMガンメタル仕様
・ALPS社製スリーブにオリジナル記念ロゴ※カラー選択できません(BorGM)
・創業以来の月竿伝統の長巻仕様及びオールダブルラッピング及びと独自のナルトトリムピンデザイン
・高級USA製耐UV EPOXY主体の重ね塗りコーティング/エポキシを薄めての糸目止め不使用
・下請けやOEM製ではない、創業者ビルダー平野による組上及び仕上げ
特典
シリアル登録ユーザー:創業者平野が生産/修理できるまでの生涯保証(Real Lifetime warranty)※実費
富士工業 DPS20B+21周年記念/国旗月竿ロゴ
オリジナルデザイン国旗&月竿デザインロゴ入
月竿伝統のLong Wrapping【超長巻】及びNaruto Trim design(鳴門金線)は機能美と様式美の融合でもある
※希望者様GTRについての詳細は別途パンフ有
※今回の限定品は、ベイトモデル仕様はありません
※フルカスタムおよびキットの方は別途要相談
21周年限定 BLACK
MOON 21限定モデル特別価格
本体\120,000 税込\132,000
送料無料 北海道、沖縄及び離島の場合は別途要相談
締め切り
2023年12月31日予約まで
納期:受注より1年以内程度(ずれ込む場合があります)
※シリアル所得順/2023年内納品は終了いたしました。
2023年8月11日
釣竿工房 月
代表:平野元紀
元祖GTRその流れ ― 2023年07月11日 17:47
MOON 月竿 GTR10-1
正統新生CT-1003-GTRK-UM-ARMOR
その類なき10ft磯3本継ルアーショートロッドの流れ
NEW CT1003-GTRK-UM-ARMOR 3pcsTravel
GTR10とVSは最強コンビネーションだった
2003年当時
その蒼き夢
2003年当時のGTR10-2pcs
GTR10VSキハダ
2003年6月出荷時の撮影
当時のデジカメになります。(※画像)
GIMBALは、PERFECTION社USAを採用した初期型
富士工業MNSGスーパーオーシャンガイド全盛期
2002年初期のデザイン/センターグリップ採用
当時のロゴはインレタと言うアナログ転写作業だった。
この作業をする度に、昭和のフーセンガムの転写シールと、プラモデルの水転写シールを思いだす
2005年モデル/コルク採用
大口径コルクリングを集積して製作する
その後10年経過するとSW用大口径コルクリングは入手が難しくなっていったが当時は、まだ扱い業者があり現在【2023年】ほど苦労は無かった
2005年当時のラッピング
当時最先端高級EPOXYAFCOTEUSA製を使用
現在は廃盤
2005年当時の飾り巻きは、GUDEBROD社のスレッド一択だった
グデブロ社の釣竿用巻糸撤退から既にもうかなりの年数が過ぎた
時代は少しずつ変化していくものなのか
スポット作製のRUBYEYE MODEL プロトタイプ
1回切りの刹那
2011年青物フルカスタムモデル
T-KWSGが発売され、採用され始めた
その後改良され、40L 30Lの出現で、それまでの圧倒的支持を得ていたMNSG希望者に対応できるようになった
MOON GTR-10
GTRとは(2002~2013 CT1002-GTR 10ft 2pcs)
当方の磯GTロウニンアジ≪青物≫機のはしりであったとされるGTR10のことです。
これをベースに2018年度から再着手し、再設計し直しました。
元祖と呼んでいるオリジナル設計生産化が2002年春のことです。GTRは、10ftという磯竿にしてはショートロッドながらルアー専用機として2002年に世リリースしました。それから、20年以上も経つと、あらゆるメーカーが後を追うように次から次へと排出されてきました。この当時は、まだほぼ皆無だったように思えます。
ただのルアー釣りから磯のルアー釣りそして磯のルアーフィッシングへ、もちろん「ロックショアGT」とか言う言葉が無い時代の事でした。言葉は生き物であるので、過去も我々日本人は、和製英語を駆使して?きました。英語も和製となり、それがいつの間にか定着することも多々あります。それがデジタル時代前にはただのガラパゴスであった時代からインターナショナルが1秒圏ではその影響は拡大していくのは皆さんが周知の通りです。
その当時ヒラズズキ用の竿としては、12~13ft、特殊な15ftと世に出ていたと思います。中でもFISERMAN MOSS16fと言う磯専用機は、最長ルアーロッドとして一部のヒラスズキマニアが使っておりました。その発売開始は記憶が曖昧で定かではありませんが、1990年代後半であったと記憶しております。FISHERMAN MOSSと聞いて懐かしむベテランアングラーも多くおられるのではないでしょうか?
さてGTR発売当時は、青物、ロウニンアジ対応の磯ルアー竿というジャンルとしては、多くの釣人の認知度はまだまだ低く取り立てて注目を浴びる訳でもなく、左端の異端者製品?として扱われました。ごく一般的には、磯から大型青物、GT専用機なんて考えていませんでしたから。常に業界はその後追い型であったように思えます。それは極自然な流れではありますが。(構想は、既にそれぞれあったと思いますが)
当初のオリジナルは、磯釣りバイブル「磯の作法1」にでてくるもので2003~2013まで使って頂きました。私の勤め人時代からすると、その筆者(友人)に会ってから~25年くらいでしょうか。それと同時に当方のS系とか1202系、旧1363~1403系が、展開され始めました。このGTRは、また違うアクションでレギュラーテーパーですが、ショートロッドな為、バットは少し張りを持たせて、その短所を補っています。
新型CT1003-GTRK-UM-Armor Travel
GTRKという産物
上から旧GTR10=島氏自作カスタム
新型1003-GTRK-3pcs
旧GTR10プロトブランク(2002~2005)
上段:TRAVEL-BG73(オフショアトラベル)
中段:CT1003-GTRK-UM-Armor
Travel
下段:旧GTR10-島氏自作カスタム
今回の新型GTRKは、アクションはそのまま引き継がれるように、旧GTRをベースにモダン化、改良し再設計いたしました。また、磯傷対策のプロテクト機能(UM-Armor)も全くのオリジナル採用です。現在では、10ft前後の磯竿は、一般的なルアー主体のアングラーにとってメジャーなものとなっているようです。
また昨今は、運送輸送業界の方向転換による長尺の扱いや、LCCという格安航空のメジャー化、またそうでない場合の輸送も、よりコンパクト化が求められてきました。
多くの月竿愛用者が、1pcsの優位性を熟知しているところですが、それにできるだけ近い形の使える携帯化を目指す事になりました。
新型GTRKは、旧GTRを受け継ぐ後継機種として、同じ10ftで3pcs、仕舞寸100+完成長さ(105㎝前後)ラインクラス30-50Lb 最大値12㎏ 破断強度14㎏
安全推奨ドラグ値4.0~8.0㎏(実用最大:9.0㎏)ルアーウエイトを50~120g
を可能なものにしようとしています。
疑似餌は、ミノー、ジグ、ポッパーとあらゆるルアーに対応可能なコンセプトは、その興りから引き継がれそのままです。
もちろん咄嗟のライブベイト等の釣にもショートロッドながらもそのレギュラーアクションから容易にシフトできるものです。
2019年長く愛用されて無事帰還したGTR10
をお化粧直しする
やはりVSやツインスピンが良く似合う
2023年現在TWINSPINも廃盤
2020年始動
十数年後帰ってきたオリジナル元祖GTR
歴戦の雄姿は、その傷で負う
それが磯竿の宿命でもあるのか
竿の事ばかり考えて30年近くが過ぎて行きました。
人生はとても短く思います。
正統
その正しき流れを継承せよ
そして体感せよ
磯竿
約20年振りに蘇ったその正統伝承者とも言うべきGTRK
-BLACKMOON-
両軸モデル例
※21周年記念モデルは、次回に公開致します。今しばらくお待ちください。
人は、何かを求めますが同じことの繰り返しでは生きられないのかもしれません。
2023年7月吉日
南方回帰Ⅳ-影と闇と残光2014-17あとがき ― 2023年06月26日 18:20
中央3pcsが新型CT1003-GTRK-UM-ARMOR
あとがき
誰でも過去は振り返るものですが、若者は先を見据えて行かなければなりません。それは、後で過去を振り返るにしても栄光と挫折を語らなければならないからです。挫折は多くの人が必ず味わうことですが、それが無意味とは私は思いません。2022年からすると、既にひと昔前の話になるこの2014年の暮れでの釣りもそんな人生の一コマでしかありません。それもどこかに書き留めていないとその記憶も曖昧になってしまい、歳を重ねる毎に忘れて行くことになるでしょう。また、記憶に残るようにデーターを保管していても、それを顧みる人がいないとそれは、単なるゴミにしかなりません。例えそれを引き継ぐ親族がいたとしても多くは消えていき、その足跡も風化して消えて行く運命なのかもしれません。自分が若い頃は、そんなことを微塵にも考えたこともありませんでした。当時の道具で当時の実績をより重ねること以外に興味がなかったのかもしれません。いつも申し上げているかもしれませんが、道具というものは、30年も過ぎるとかなり違うものです。比較的クラッシックな様式美を重んじる傾向にあるフライフィッシングにおいても、ブランクの性能やガイド、そして一見なにも変わっていないようなリールでさえ、その耐久性やドラグ性能はアップデートされていくようです。
それと異なり、魚というものはその100年、200年、そのまた100年後でも進化することはあり得ません。いつも申し上げていることですが、環境が大きく変わることがある昨今でも、魚は変わりません。(そう簡単には進化しません。)
私は、3歳の頃より魚と親しみ釣りや自然を体験してきました。一応不出来ながら大学の専攻も水産学部水産増殖学科魚類生理学専攻ですが、その名前というと現在はありません。また、懐かしいそのキャンパスも今は研修所になっています。それも当時の私からは全く想像もつきません。その後の人生も全く解りませんでした。解らないことばかりです。それが未来というものであれば、それが解っていれば、ああした、こうした、こうできたと分かるのですが、それも全く解らないものです。そうして10年が過ぎ、20年が過ぎて、30年が過ぎ、更に年数を重ねるとあっという間に生きていれば老人です。そんな短い人生の中での釣りの思い出は一体なんなのかと思います。それを単なる親父の趣味としては真に残念でもったいない気がしますが、人はふつう本人以外のことはあまり関心のないのが現実です。誰それがこんな魚を、こんな記録を、どんな釣法をなんていうことなど後の人にとってはどうでもいいことです。そんな中にある釣具会社というものも全くもって忘れられてしまうものです。この間にも多くの釣具会社が出てきては倒産していきました。それだけとっても解らないことだらけの人生であるとするならば、先人の辿った道を顧みてもいいのかもしれません。
この南方回帰シリーズも勝手にⅣまでになりました。そのⅤも既にある程度書き終わっていますので、若干の手直しをして近い将来勝手にまた更新してアップすることに致します。誰も期待していないでしょうけれどそれではここであとがきを終えたいと思います。
2022年6月吉日
2023年6月26日追記
月竿代表
南方回帰Ⅳ-影と闇と残光2014-16 ― 2023年06月20日 01:22
贅沢にも監督のお勧めの軟骨ソーキそば。それも軟骨ソーキ倍増設定の特注八重山そばは、胃袋を十分満足させてくれた。今回も様々な出来事があり、ギリギリまで島に居た。
明日からの現実が大きく見えてきたころ、監督の見送りに手を上げて答えた。
なんとも辛くも、楽しい紀行であった。
マスターオリジナルカレー
ゴーヤがハイインパクト
これが、明日への現実へと繋がるかどうかは、我々次第であるが、点と点は線でつなぐのが一番良い方向なのかもしれない。この島々は、この先も我が国の固有の領土であって欲しいと思うが、本島とのギャップに悩む頃、保安庁の船は何隻も係留されていた。中には、独立や大陸の植民地を選ぶと言う事も聞くが、果たしてその先にはもっと明るい未来があるとは到底思えないのだが。どの国の人も植民地が良いと言う人は無いと思うが、そこは少し信じがたい意見だった。
2014年も終わりを告げようとしていた。
特注軟骨ソーキ倍増そば
帰りの荷物は限界まで手持ちとなり、愛竿達も手持ちになった。恐らく、お土産がそのうち最低5㎏はあったと思う。なんとかかんとか、空港に降り立ち着いたがそこからがまた長かった。バスを待つこと2時間、何もすることはないが、離島から田舎道へのアクセスはその10年前よりは良くなったものの流行り田舎の不便なアクセス。それも旅ならば敢えて受け入れる。
バスを降りると、北風は更に冷たくなった。
「おおお、さぶ~。」
心が冷え固まる前に次への計画を立てないとまたまた凍結してしまいそうだった。まあ、いつも解凍作業からの計画であるから、特段何がと言う事もないが。
2015年という年が一体どういう年になるのだろうかと考える時、いっそ心は閉ざされようとした。
光と闇。
星と夜。
その先の天。
琉球への旅は、ここでは終わりそうもなく、おそらくは続くかもしれない。
さて、次は何処で待ってくれているのだろうか。
その5は・・未来へつづく
南方回帰Ⅳ-影と闇と残光2014-15 ― 2023年06月14日 17:38
反省会と言う名の小さな宴会
イソマグロとヨコシマクロダイの刺身
イソマグロはほぼこの鮮度が釣人では難しい
ヨコシマクロダイは、初めて食したがこれが絶品だった
仲間と酌み交わした酒とあるが、酌み交わしたのはオリオンとサンピンだった。しかしながら、その気持ちと心は変わらない。これほど良い時間は、短い人生にとってそう多くはないのではないか。孤独と仲間どっちを取るかといえば、間違いなく仲間である。恐らくそれは大半の人がそうだと思うのだが。極稀に孤独がいい人もいるのかもしれない。
その後に交わした会話は、当然ドラグ値のプリセットのことだった。
Y監督は、この状況が全く理解できていなかったが、やり取りさえ満足にできないまま糸が切れた事だけはしっかりと認識していた。
「それじゃ、とれないよ。」
「全く獲れる気がしないねぇ。」
と、いやごもっとも。最もやってはいけない事の代表格をやってしまったのだからなんの言い訳も成り立たないのは、専務自身が良く知っていた。その後、確認、議論及び反省会を執り行ったのは当然の事でもあり、自然な事でもあったようだ。
それは、翌日の昼間だったのだが、改めて確認したところ・・・。
“ドラグをFULLポジションに上げたのか?”
と言う質問に対して、なんと上げていなかったと言う事であった。
何故上げなかったのかと言う事に対して専務は、フルポジション=ロックと勘違いしていた事をその時始めて知ったのであった。
なんと、そこに穴があったか・・・。私もそこを反省した。
そこまで彼には説明していなかったからである。
FULL=LOCKではない。また昨今の和製英語のフルロックは、ちょっとおかしい表現になろうかと思う。
この事が、仇になったとは。
あの2~3㎏のドラグテンションであれば、FULLに上げたとしても1㎏上がるかどうかだったと思うのだが、 それが仮に1㎏でも上がっていれば、止まったかも?知れない。仮にそうだとしても、獲れると言う保障は全く無かったが、プラススプール横をグローブで押えていれば何とかなったかもしれない。
そこで、デモ、シカは禁句なのだがどうしても言ってしまう。
「そこで一旦止まっていれば、プリセットし直せたかも?」
などと話してみても、それは全て後の祭りである。そもそも、ドラグが何故緩んでいたのか?と言う疑問が最初に生じるのだが、その点が今回の最大の失敗であったのは言うまでもない。
これは、そもそも釣り始める前にレバーのストライクポジションでのドラグ値を確認し怠ったのがそもそもの原因である。後の祭りとはこのことであるが仕方がない。
後の後悔先に立たず。
そのどれをとっても当てはまる。
私も専務への確認を怠ったのも敗因の一つでもある。確認は、大事だと再認識した。
ここで更にY監督の手厳しいご指導が、いっそ怖くなったのである。
それからもY監督の痛い恐怖指導が続くのであった。
Y監督から差し入れの野菜ジュースを頂きながらのご指導だった。
さて、お昼ご飯となった。その日は、Yコーチ改め、監督、専務、私の3人でと先日釣ったイソンボのお造りと、タマンの薄造り、イソンボ腹身の炙り少々、煮付け少々と島おにぎり、さんぴん茶と専務はオリオンビール。
ささやかであるが、島のごちそうだった。おにぎりには、伝統?のスパムが挟まれている。
そして、時々、監督の厳しいご意見がまたとうとうと続くのである。
イソンボのハラミ
この状態のイソマグロハラミはなかなかお目にかかれない
質素だが楽しい宴会、いや反省会。
さてさて、野人の捌いてくれたイソンボの腹身は、私の予想よりも遥かに身が硬かった。あと1日寝かせなければ味の濃さもまだまだと言う感じだった。そう言えば20年前、F先生と島のすし屋で食べたあの握りは一体なんだったんだろう。口の中でぐしゃりと潰れてしまうあの味気ないネタを思い出した。Y監督に5年前、御馳走になった定食のマグロの味噌和えはなんだったのだろう。それと同じ魚には、思えなかった程に鮮度は保たれていた。
あとは、どれだけ上手に熟成出来るかなのだが。
そのような小宴会場での時の流れは止まったようにも感じられたが、止まってはいなかった。
ここにも壁掛け時計がしっかりと時を刻んでいたのであるから・・・・。
小宴会も早々、後片付けをする。
ハラミの部分
大トロなどという表現とは程遠いが最下部の脂肪に見えるのは結合組織なのかとても硬い
火を入れてみるがこれがなかなかでキャキシャキな歯ごたえだった
反省会後、それから、釣具の準備にとりかかった。
本日の専務はと言うと、仕掛け総入れ替えとなった。一気に、道糸と仕掛けを失って非常に忙しそうにも見えた。対して、私の方は、バラフエの5㎏強くらいのを1本釣っただけでそう慌てる事も無かったが、コブシメのイジメには逢ってしまいワイロンは、ボロボロだった。ワイロンは被膜とソフトさが命であるから、そのどちらかが欠けてもNGである。ワイロンの欠点は、そこにある。
風は一気に北に代わり、気温がぐっと下がっていった。島は、一気に真冬になった。半袖では、とても寒くなって来たので長袖と上着を着る。更に風も雨も強くなった。時折その雨足は、屋根を打ちつけて来る。
それが我々を不安にさせた。
それでも北であるから、師匠はポイントへは問題ないと言ったので若干安心した。
“そうだ、冬はこの感じの釣りだったな”
いつものように現場に向かい車を降りると案の定、風はものすごかった。そして予報通り、一気に寒くなっていた。
歩く工程は、その風により倍の辛さがあった。汗よりも、荷物の上に強風で吹き飛ばされそうな感じだった。ビュービューと強風が我々に容赦なく吹き付けたが、それでも最後と移動を始めた。これは辛い。専務も監督も風が凄いし、雨が酷いなんて言うものの落ち着いたものだった。崖から見下ろすと、荒れ模様の海上でこの急な天候の変化に果たして魚が掛かるのかと言う不安も少しずつ出始めた。がそれはいつものこと、我々に明日と言う日は無いのはわかっている。泣いても笑っても最終日には変わりないのである。
北風のフォローもあって仕掛けは良く飛んでくれるし、バックラッシュの心配も殆ど無かったが、磯に立つ我々には過酷な環境であった。今回の遠征では、もう必要ないと思っていた長袖を着こみ、風雨対策にと予備に積んできた、レインギアの上下を取り出した。流石に今日は、防寒具もフル稼働で、役にたったと同時にここの準備を怠らなくて良かったと思った。万が一に備えて持参するのは、アウトドアスポーツには鉄則である。今日は、その備えの有り難さを実感する事となった。
吹きつける北風。
体を吹きぬけては、体温を奪って行く。
そして、追い打ちの雨。
よこなぶり。
体感温度はかなり低く感じた。
フードまで被っての本日となった。
実弾も底をついてきたので、まずはコバンくんを始めとした、ベイトの確保から入った。そのような状況1時間が過ぎると、体力もかなり落ちて行った。
体温が奪われる。
そこで、冷やしておいた水をクーラーボックス外に出し、その水温を上げた。
こんな日に冷水は、更に体温を奪うのでNGである。
雨の合間を縫って、菓子パンを齧って体力を補おうとした。
それから2時間が過ぎても、反応は全く無かった。
とても辛くなってはきたものの、まだ諦めてはいない。
監督が、崖を上がって風の様子を見に行った。
暫くすると
「おお、凄い風だよ!」
「吹き飛ばされそうだ!」
そう言うと、何やら歌など謳われている様子だった。
月が雲に覆われて隠れていた。
雲と雲の間に僅かに出てはまた隠れた。
光と光の狭間。
闇の中の闇と雲。
心も闇の中。
光は何処に見えるのか。
闇の月
BLACK MOON
ブラックムーン。
黒い心と闇と鬱。
光と希望。
それが交互に映って行く。
流石に3時間。
この風雨に晒されて、体力も更に低下して行った。それでも私と専務は、希望を捨てることは出来ずに最後の望みにかけた。
万が一の餌不足対策として、コバンアジを確保する。ことのほか、こいつの皮はものすごく硬かった。カットゴリラ針でさえ、ある程度貫通させるのに力を要したのには少しびっくりした。更に潮止まりともなると、このような状況でもコブシメのバイトは、何度もあった。彼らは、どれだけ餌に執着するのか。
4時間が過ぎて、更に希望が薄らいできた。
全く持って本命の反応はない。
開始から6時間が過ぎた頃のこと。
専務に待望の反応があった。
「なんか、怪しい反応だなぁ。」
「また、外道かな・・・・。」
専務は、完全に気を抜いていた。
その言葉を聞いて、一先ずテンションを下げた私ではあったが少し気になった。
「判らんよ、ちょっと寄せて合わせてみたら?」
専務は、それを聞いて、次のアタリでその如くに合わせを入れてみた。
13.6fを1回煽り、二回目の追い合わせを入れた。
するとそいつは、一気に沖を目指して勢い良く糸が走りだした。
「ああっ、それはイソンボだよ!!」
それから、専務は、我に帰った如く、必死の形相に代わった。
その間が果たして良かったのか、悪かったのか、奴は沖にぐんぐんを走りだした。ギューン、ギューンとリールからクリッカー音がけたたましく夜空と風の狭間に鳴り響き、竿は弧を描いたまま一度もポンピング出来ないでいた。
魚は、勢いを増してどんどん沖を目指して行く。彼が完全に腰を落としての姿勢を確認してから、何とか映像に撮っておきたいと考えた。
ここは、デジカメよりもムービーに残したい。
“ええと、撮影、撮影”
監督に任せたいところではあったが、監督は撮影する事は出来ないので、私がカメラを取りだす事になった。
漸くセットして、スイッチを入れた。
糸は、相当出されている事が気になった。
ギリギリリとリールが音を出したままで更に焦りを誘うのであった。
クリッカー音に紛れてナイロンのパリパリと弾ける音が合い重なった。
「ああああ、っ・・・・・。」
「えっ・・・・。」
「まさか・・・・。」
そこで落胆してしまった。
「やはり気を抜くと駄目なんだよな~。」
と監督からも厳しい意見が下された。
後にも先にも本日の一撃は、この一発だった。
重い水達をすべて磯場に撒いて、掃除片付けに入った。
食べ物もすべて片付けた。
餌ももう残ってはいない。
補充したコバンアジももう必要なくなった。
ここでストップフィッシングとなった。
その後、監督はおろか師匠からもお叱りを受けた事は言うまでもないが、専務はそれを喜びながら受けていた。最後は、実践と現実を受け入れた分がすべて財産なのを我々は知っている。いくら情報がありふれて、氾濫してやまないバーチャルや動画の世界では決して悟り得る事もない、現実で結ばれた体験と人間関係。最後はそれに尽きるのではなかろうか。
釣りと言う行為は、バーチャルゲームでも動画だけの世界でもない。
そこには、実践のみが全てなのである。情報や動画は、目標を掴む為の一手段に過ぎない。また、その人が積み上げたものでも経験したように見えてもそれは見えただけ。
何も残る事はない。
そのような当たり前の事ですら、私達は忘れてしまう場合があるのはとても残念である。
南方回帰Ⅳ-影と闇と残光2014-14 ― 2023年05月22日 17:30
さてさて
それでどうした
Y監督は、コーチ兼任と言う事
ここで翌日は、Y氏の来島である。
なんとか間に合った様子をとうとうと我々に話してくれた。それを、まず受け入れて聞くに徹した。おそらく、それなりに大変だったのであろう。
「ぎりぎりだったよ~なんとか間に合った!」
相変わらずの元気さは、年齢を感じさせない。Y監督はバナナに拘っていた。バナナは、釣りに欠かせない様子だった。野人もそのバナナが好きみたいだったからかもしれない。しかしながら私とI専務は、それに全く関心も興味もないのである。
コーチ兼監督を依頼せずとも、きっとその位置には立ってくれるであろう。
いや、その位置にすぐに立ってしまう。本日の釣りはきっと賑やかになるだろう。きっと。それはそれで、面白いので受け入れるのである。
レギュラーメンバー化と言うよりもコーチ化のY氏は、果たしてどのような指示とコメントがあるのだろうか。
さてさて、その時間となると今日も出発する。当然ながら3人分の荷物は、重い。年の功で、Y氏は最低限の荷物で次に私が20kgほどを背負って、若い専務が40kg近くの道具と食料、水&PET氷を背負う。汗が滴るのはもう馴れて来た頃で、ドライシャツが有効に効いているのか、少しばかりラジエーションが効いた様な感じに思えた。
現場の上にY監督が立つと、その高い位置から我々を見下ろす。
監督の眼下は、我々と海原、小宇宙の二人。
三人と言うのは、何故なんだろう。
二人よりも力が出る感じがする。きっと。
潮は、左から右に流れている。
監督は、暫く監督として頂くが二人は竿を海原に向ける。
風も少し南より。
波も幾らか大きい様子。
向かい風の釣りとなる。
唯一コンベンショナルリールが苦戦する向かい風キャスティングだが、そこはブレーキのかけ次第となる。それでも、バックラッシュ気味になるのが嫌なのは誰でもそうである。
波間に浮かぶ仕掛けと竿2本。
奴を迎え撃つ。
果してそれは・・・・・・。
その日の奴も、突然やって来た。
仕掛けがグンと沈んだ後、横っ走りするのが月明りに照らされて魚体が動いたように見える。
反転前なのか、うっすらと白銀影。
喰い上げた様に感じた。
その竿先は、どちらなのか。
その竿はと言うと、専務の方だった。
「おい!それはイソンボだ!!」
そいつは、高速で右に泳ぐと、大きく進行方向を変えて今度は沖にまっしぐら。これは面白い!
高速加速は止まらない。
リールクリッカーは、ジージーと言ったまま鳴きやむことは全くない様子だった。
ここでやってはいけない事、スプール押さえ・・・なのだが。
専務は、それを咄嗟にやってしまった。
当然あっと言う間に指が火傷した。
やられたい放題とはこのことだろうか。
どうやらトラブル気味なので私が、フォローに入った。
ラインは、ぐんぐん引きだされて行く。
その間、1分程度の時間。
“ちょっとこれはおかしいぞ?”
「やばい、バッキングまであと少し。」
「こりゃ、参った!」
遂にバッキングPEまで見えていた。
「ド、ドラグが利かない!」
「えっ!!」
そこで咄嗟に思いついたのが、サミングしながらレバーをフリーにしてプリセットし直すと言う事だった。今思えばそれがベストでは無かった事に気づくのだが、後で気付いたのは、翌日の会話の中の事であった。
何とかこの現状を咄嗟の判断で解決すべく、指でグローブを押えるには少し不足と、人差し指と親指で押えに掛かるがアッと言う間の間で手を離さざるを得なかった。当たり前と言えば当たり前であるが、即火傷した。
なんと私のグローブも指が抜けているカットタイプな上に専務はというと、なんと言うことかグローブをするのを忘れていた。
それでも私は、レバーを下げ切り、ブリセットつまみダイヤルを回してレバーを上げた。
「よし、行けるぞ!」
その間は、30秒と経っていないと思えたが・・・・・。
レバーを上げた時には魚は既に付いていなかったようだ。
沖目のブレイクラインまで走り切りのブレイクであった。
正に逃げ切られたとはこのことなのだろうか。まさかの逃げ切り。人為的ミス。
当然の事、専務はライン回収には暫くかかった。
ドラグは、2~3㎏しか利いていなかった。
これでは、止まる筈がない。
10㎏程度の小イソンボでも簡単に糸を出して行くのは容易に想像がつく。白い影はもちろんそんな小型でもなかったように思う。
暫し、リセットには時間がかかる。
専務は、フリーズしたかの様だった。
それが、落胆なのか、脅威なのか、心の整理がついていないのかもわからぬまま。
全くの放心状態とはこのことである。
この間数分の出来事である。
気を取り直して仕切り直しとした。このまま、引きずってもなんのプラスも無い。なんでもそうなのだが、この手の釣りに於いても気持ちの切り替えは重要である。それとは裏腹に、二人の指先は、火傷でひりひりと痛んでいた。
それが、悔しさとなってふつふつと湧き上がるのを抑えるのに必死であった。
専務は、悔しいと言いながらも再び仕掛け製作に取りかかった。
気を入れ替えてなお、また悔しい。
その悔しさを引きずったまま時間が過ぎる。
そしてまた、時間が流れて行った。
それからまた1時間が過ぎても反応は、無かった。
それからどれぐらい時が過ぎたであろうか。
2時間なのか・・・。
3時間なのか。
もうどうでも良い感覚にも襲われたように感じた。
真冬なのに汗が出る。
緊張で喉が渇く。
そして水を口に入れる。
暫くして・・・・また・・・・・・動く。
それて、再び専務の仕掛けに動きがあった。
「きっ、キタっ!」
今度は、空かさすファイティングポジションに入った。どうやら、運気の流れは専務に傾いて来たようである。
いつも不思議と思う事が、運勢やその気運は常に移動していて流れが変わって行くのを感じるのは当然私だけではない。実際、同じ様に同じ事をしていても、これだけ差がでるのは単なるテクニックだけと言う訳ではないのではないかと思う。もちろん、同じ条件に近い状態での話であるが。
その時の口癖は決まってこうである。
「なんで同じ様にやって同じコースと棚でこうも違うんだろう?」
今度は、渾身の力でとバランスで耐えている専務であった。
「よしよし、よっしゃぁ~!」
完全に流れは、これで専務に傾いていた。
「あっ・・あれぇ!・・バレタ。」
「えっ・・・マジかよ!」
更に残念そうな顔持ちで専務は、がっくりと気を落としながら、ラインを巻き取るその後ろ姿があった。
「くそっ。切れちったかな?」
それは、切れてはいなかった。
「おいおい、香取神道流!」
しっかりと針が彼の手元に帰ってきた。なんと、バレである。(フックアウト)掛かりが浅かったのであろうか。なんとも派手に現れて、あっと言う間に寂しい海からの回答であった。
流れは変わり運気も変わったが、何かが足りなかった。それは、経験値だったのかもしれない。
その悔しさは、今まで何度も味わって来た。
敗北感も、脱力感も。
そして、挫折も。
だがそれだから、辞める訳には行かないのである。釣り人よ、大いなる釣師になるまでは。
その日の帰り道は、重かった。
明日への希望を引っ提げてはいても、敗北は敗北であるから。
時折足の筋肉がピクピクとしていた。
大になる敗北の足並みはとても重いのである。