楽園の終焉Ⅲ-5 ― 2021年04月12日 16:48
少しばかり雲と風のある月夜のこと。
月明りがぼんやりと地面を照らしかたと思うとまた、流れる雲が被さって辺りを暗くする。風に乗ってその雲がゆっくりと月を隠すと周りのトーンは更に闇に近くなり、また辺りを少しずつ明るくして行く。
辺りには、私以外に誰もいない夜。
聞こえるのは吹き抜ける風と、それに靡く小枝の音。
川の流れる音。
落ち込みが水を打つ音。
少しばかり蛙が鳴いているが、それも川の流れと一緒に聞こえてくるのは、何時もの事なのかもしれない。
足元の草むらをブーツ越しに踏むとその前には、7cm~8cmくらいのダルマガエルが鎮座していた。話によると、今では彼らも絶滅危惧種らしい。昭和の40年代は、田んぼにわんさかいたのだが。
そんな、蛙の風情の夜の事。
そのプラスチックの疑似餌塊は、またポコポコと音を立てて自分の方に向かってくる。それを何度も何度も少しずつパターンは換えてみるものの、基本は投げては引きの繰り返しである。時折竿先でイレギュラーに動かしてみたり、水の流れや変化に合わせてその巻き取りスピートを変えてみたりと余暇の入り口で右往左往する気分。
"人生もそんな感じなのかな。"
何も悟っていないのに、そのような悟った気分を自分自身で審判してしまう自分。
何の変化もないまま、ルアーなるものは手前に寄って来てはまた、それをその先にある流れの奥にくれてやる。
奥。
その奥の奥に。
そのまた奥だよ。
きっとさらにその奥には、幸せと言う何かがあるのかもしれないのに。
楽園があるかもしれないのに。
あなたは、また諦めてしまうのですね。
その自然空間の間に聞こえる機械音と言えば、‟カチィッ”と言うリールのクラッチを切る僅かな音と、竿が風を切る音の後を追って唸りをあげるリールスプールの逆転音。
そしてまたリールのハンドルを回すとクラッチが跳ね上がる音。
ああ、自然の音と小さな機械の音。
なんて夜なのであろうか。
本日のここは、少しばかり寂しい感じもするが、いや寂しいのであるが、それが独りの静寂となるとそれはそれで良いのかも知れない。
何も特段楽しむ事などなく、今晩も終わりそうであるがそれでもまた投げてみる。シューンというリールのスプール回転音と共にまたルアーが着水する。その投げられている、大陸製のプラスチック疑似餌は、1920年代の米国でその形が既に形成されていたらしく、そのような時代にこのような遊び道具を作った米国人には少しばかり羨ましい気もしてみる。勿論生まれてもいないのですがね。
その頃は、私の祖母がまだ生まれたばかりの頃。我が国には、そのような遊びがあまり無かったであろう時代である。その後、半世紀以上もマイナーチェンジを繰り返してきて2014年までの今では、遂に生産国まで変わって当たり前になってしまったが、それでも世界中にその愛用者がいると言う事はもの凄い事のように思える。一遊び道具の疑似餌としては、驚異的なロングセラーである事は間違いないらしい。多少どころか手抜きだらけのその大陸疑似餌は、それでもその究極的なフォルムと動きに魅了されてしまうのである。それは、もう大分過去の中学生の頃になるが、思わずそれを生産している米国本社に手紙を書いてカタログを送ってもらった事がある。その手紙は、汚い筆記体で書いた英文で出してみた。
何処にも暖かい気持ちの人は居るらしく、 暫くしてから、エアメールでカタログが届いた。
※画像カット
何もかもがオリジナルのFred Arbogast 1982 年のカタログ表紙
2018年から逆算したら36年も前の話になる。
とても楽しかった時間だった。
1982年の事だったかと記憶している。
もの凄くそれが嬉しかった。
日本には、このようなルアーは、まだ無かった。
※画像カット
驚くほどのサイズとカラー展開だった。
米国の市場の大きさに更に驚いた。
まだまだネット環境などとはほど遠い何十年も前の話。その頃は、その製品がまだUSA製であった。
※画像カット
一番、欲しかったのが鳥のカラーだったが、鳥を魚が本当に襲うのかと信じがたかった頃
たった一つ残っていた1981年頃購入したジョイントタイプ。この頃は、BOX入りでUSA製であった。
様々な雑念の心中とは裏腹に、そいつはテキパキと音を出しながら迫ってくる。
"今回も何もないのかな?"
と思いつつも、竿先をトントン、ツンツンと動かしてみる。ルアーが僅か1秒かそれ以下なのか一瞬止まって見えたり動いたり。その時、水面を大きく割って水飛沫があがる。
そして・・・・。
バフン!!と言う異音!
と同時に水飛沫が舞う。
シブキが正に小さな光の粒みたいにはじけ飛んで行くようだ。
疑似餌が弾き飛ばされて、また横たわってそこに浮かんでいる。
"ああ!!"
"でた!!"
闇夜のプレデターとはあいつの事ではないかな・・・。
怪物風ではあるが、怪物ではないなぁ。あくせくとした都会の風がとても近く感じるが、闇夜のハンターが野生をあげる。
空気音と水のはじける咆哮が、己の闇の鬱陶しいこころと共に咆哮を上げる。
怒りにも似た咆哮。
風の匂いと血の匂いがする。
上げろ。
挙げろ。
雄叫びを!
咆哮を!
それも一瞬。
何度も何度も吠え続けろ。
咆哮と咆哮の狭間。
闇の中の光。
それも一瞬。
それは蛍の光の様に儚いのか。
幻想なのか。
幻覚なのか。
単なる夢なのか。
その後、同じ場所に何度も打ちこんで、送りこんではみる。
がしかし、再び竿が曲がる事は無かった。
一瞬の出来事に、眠る獅子の咆哮が上がる。
目覚めるのか、そうでないのか。
そしてまた、静寂。
静寂の中でまた静寂が訪れる。
その闇に舞うホタルをみつける。そのホタルが、疑似餌に付いているケミホタル(人工発光体の商品名)に寄り添ってこようとする。
それを暫く観てみる。仲間と勘違いなのか?とも思える動きをするのか。
‟へぇ~これは面白い“
最初にそれに気が付いたのは、うちの末っ子であった。まさかと思って観ていたがそれは、本当だった(本当のように見える)。自然の発光体と人工の発光体が何故だが、上手くリズムを取ろうとしているのには少しばかり心が緩くなった。竿先からぶら下がった疑似餌についているケミホタルを左右に動かしてみるが一匹のホタルがそれに連動して附いてくるではないか。
いと面白きかな・・。
楽園の終焉Ⅲ-4 ― 2021年04月08日 17:49
-闇夜の怪物-
でもはやり怪魚ハンターとは呼べない ものな
のかな・・・・・・・・・・
腹部は、白いものや、ブチのもの個体差は大きいがこの個体の腹部は、かなり綺麗な白だった。
631-UM100-4XP
5/8ozをフルキャストすると掛かった
ホテル敷地内から撮影する
既にホテルは4つ星までランクを上げてもらったが庶民風情には、全く贅沢な話である
パンダは怪物に喰われるのか
恐るべき怪物のように思える表現は、現代には安易に多く使われる。
しかしそれは、本当の怪物では無く、自然に存在する希少性がある特異な生物と言う言葉のほうが正しい表現なのかもしれない。
言葉の一人歩きは、やがてそれ自体が怪物と化す・・・恐ろしい。極ありふれた在来種であっても勝手に言葉遊びに替えられることもあるらしい。
子供から大人まで可能と思わしきローカルな遊び(釣り)の一つに、擬似餌釣りなどと言うものを多少たしなんでみる。昨今世知辛いと一言で表現するには、複雑に絡まり合って、あまりにも人間の個人主義の蔓延とそれにまとわり附く寄生の様な怪物がおんぶにだっこをしている感がある。多様化多様文化などと言う言葉のオプションまでくっついた反秩序道徳倫理がそれを覆うのだろうか。それならそうと、極力その勢力や力が及びにくいと思われる、釣り場と釣りを選んでみるがそれも少しずつ難しくなってきた。
631-UM100-4XP 師匠の晩年の設計ブランク
まさかこれが、最後になろうとは思いもよらなかった
SILVERにWHITE、グリーン、ゴールドのコンビネーション
それにダブルラップを加えてあるALPS社のトリガーシートは、当時としてはまだ珍しかった
同じ631-UM100-4XPを駿河湾で使用する
水深は120mラインを攻める
嘗ての90年代は、ほぼ入れ食いで超と名の付く大型が釣れたが今は殆どが20㎏以下でしかも渋い時が多くなった。
何度ながしても、10㎏前後の小型が多くなった。バラムツが絞り込んで行く
同じ竿でナマズ時々バラ釣りを楽しむ
深海では、ネズレはないので船に擦る以外は、その心配はないが、ラインは400mを巻く
1997年から通った船長も高齢になってしまった
昭和の水揚げが許可されていた時代沼津の主力魚だった
普通に食されていたが現在は商用取引禁止である
親父さんは、漁で鍛えてほぼポイントを掌握している
問題は、後継者不足にある
それほどまでに、釣り場もそれに纏わる釣り業界なるものもネタが無いという事であろうか。それは、マイナスに(負の遺産)が加算されていると言う事なのであろうか。
釣りに纏わる産業界は、ネタ無さを無理やり有にする事にして、それが起爆剤になったりするが、それも長年持たないのが今の特徴であるとも言えようか。インスタントフィッシングが主流なので、安、近、短はもはや常識となってしまった感も否めない。それに更に加えて、即結果に結び附く事も要求されるようになったのではなかろうか・・とも考える。それとも、我が国が抱える人口の減少化をひたすら待ち続けるのが得策なのだろうか・・・・。
それは(その釣りは)、ポコポコとポップ音を立てる不思議な疑似餌。プラスチック製の小さなトノサマガエル大の大きさ。LUREなるものを使う。所謂、古い言葉で言うところの、西洋文化の疑似餌釣り。その疑似餌が、 自分の方にゆっくりと向って来ては、またその水面に飛ばされて空しく落ちて行く。
そのような釣り。
楽園の終焉Ⅲ-3 ― 2021年03月30日 17:03
錘もスカリー40号でボトムが取れました。それも極端に発達したPEラインもかなり影響しています。1.2号を300mほど小型ロープロファイルのゲンプウに巻いてのトライでした。
時にジッターバグを投げて遊んで、深場を細かく探る。
チェックイン時に無料クーポン券なるものが何枚か添付されているものの、所詮釣り以外に楽しむ事をあまりしらない日本の小さな釣師であるから、それらを使う事もない。ほとほとこれらを含んだ全てと、公共場には多少困惑してみても、それを受け入れる自分がそこにある。そこは同じ日本人であっても、その現地感覚というものは日本に在住する日本人とは異なる気が多分にしてしまう。馴染むとはこのことなのだろうか。
環境とその文化の狭間に生きる日本人。
それを受け入れなければあの島には行かない方が良いのかもしれない。我々と同じ感覚は、当然通じる事もなく、同じ顔つきで恐らく同じ民族でありはすれどもそれは、もう他文化人と言ってももはや良いのかもしれない。果たして今現代の日本人の多くの感覚が、正しいのかさえ疑問である。今となっては、何の根拠も必然もあり得ないのかもしれないが・・・。
時代と共に我々の文化も変化して行く。
一方、我が国のお隣の国のような儒教文化も今の日本では、ほとほと少なくなったらしい。(だがそれも、その国が抱えている事情で少しずつ変化はしているらしいが・・・)
それでも日本に来た多くの外国人観光客の多くは、この国は安全で親切であると言う事らしいので、その面目はとりあえず保っているらしい。ここら辺の評価がいまだに高いのは、若干安堵もしたりするのである。どうか、今後の未来もそうあって欲しいと思うのは私だけではないと思いたい。ここまで来てそんな事を考えるとは、どうやらストレスは、なかなか抜けないらしい。
まったく困ったものである。
ホテルの敷地にある庭でリスを撮影してみる。
早朝のホテルをプール越しに撮影(I氏撮影)
楽園の終焉Ⅲ-2 ― 2021年03月24日 18:16
その浜とは、その楽園の浜なのか?
ホテル内のビーチ
流石にここは管理されていてとても綺麗に見える
すべてこうならいいのだが、現実はかなり遠くにある
そこに、楽園は決してないと思っても、また人はそこを訪ねてしまう。
その前の小さな幸せさえもが無いとも解っていても・・・。
なぜだろうか。
早朝のビーチは誰一人いない
掃除のスタッフが出勤している程度
ゴミの浜とゴミの道、人混みの市街地もゴミだらけ、そしてそう言う都市特有の悪臭が少しする。衛生状態は、我が国とはかなり違うけれど、ここは楽園の島である。皆が現実を離れて旅をしようとするパンフ上の楽園なのである。
途中にある大きなゴミ集積場。何度見ても見たくない現実と現状。
島の経済発展がもたらすおつり。いやもうおつりどころではない。環境問題は、かなり深刻である。
マリーナ?周辺でゴミを漁る牛達、野放しの犬達。
勿論の事その首には、首輪と言うものやリードなるものは存在しなく、自由奔放。
ディンゴみたいな逆三角形のスリムなボディ。
たまにその野生っぽい飼い犬か野良犬かも見分け付かない、解らない彼らの全力疾走をみかけたが、猛烈に早い。
かなり遅いチーターみたいな走りっぷりなのだった。また、その浜辺で鳥を貪る彼らの姿。
バリバリ、ゴリゴリと羽の根元の肉を貪っていた。
それも極自然に見えてくる。
そして、その場その場凌ぎで取り繕った人間関係が大きく加算される。
牛の糞とゴミだらけのビーチを直射日光が、躊躇なく照りつけること半日もすると、
あっと言う間にそれらが乾燥してしまったかと思うと今度は、スコールが打ちつける。
そして、その浜辺で元気よく遊ぶ子供達。
男の子も女の子も一緒にワイルドに遊ぶ。
そのゴミと糞の浜であってもお構いなし。
その砂で遊び転がり、通称コンビニ袋なるビニール袋が浮遊する中、海に飛び込む。
何度も、何度も、楽しそうに。
我が国もその一昔はそのような子供達の光景が多少なりともあったと思うのだが、今は公園の砂場で遊ぶ事さえあまり無いと言う。
砂場遊びの子供も居なくなって行く。
抗菌と無菌、除菌とオンパレード。
北里先生は、その当時には、その後の日本にそのような除菌、抗菌な世の中が訪れるとは思っていなかったかもしれないと思った。そりゃ屋台の食べ物も水も彼らはアタル事もないだろう・・・とそう思うには長い時間はかからなかった。
それとは一転してホテルの敷地内は、ゴミ一つさえ落ちていない。
汚さは感じられず、ビーチを含んだエリアにもゴミ一つない。もちろん悪臭、腐敗臭もない。
美しい・・・・・・・・・・。
ただその一言だけ・・。
絵はがきそのもののようであるが、それはプライベートビーチあるいは、管理が厳しい敷地内という徹底された管理下における産物であったりする。一見したところだけではなく、何の問題もなく快適であったりする。
快適なビーチ。
そこには、世界でも類を見ないほど複雑で不思議な日本語なる言語は、殆ど見かけないし、通じもしない。
ホテルの朝食は、やはりどこもバッフェスタイルである。クタエリアともなるとその多くは、欧米人とりわけ土地柄なのかオーストラリア人とおぼしき人々が多く見られた。しかも、リタイアされたと思われる初老の夫婦がやけに目立つように思うのであった。そして予想通り彼らは、その白い皿にカリカリに焼いたベーコンを山盛りにして、更にやはりお玉いっぱいのサラダ油の入ったオムレツを運んで来る。
それなら、と我々も多少の真似と若者2人と3人で同じ事をやっては見るが、その後はやはり辛い結果となってしまった。
暫くすると部屋には、その後正露丸の匂いが立ち込めていた。
正露丸の匂いは、子供の頃から慣れっこなのではあるがそそくさと退散したほうが良いと考え自分の部屋に戻った。
‟まったく、正露丸でもとても助かる”
部屋に帰ってから仕切り直しと、ポットに水を入れてお湯のスイッチを入れた。僅かに1分位後、お湯は煮立っているみたいだった。
とても早い。しかしながらこの島に来ると、この挽いて粉末と化したバリ珈琲は、この気候にとても合っているのかとても旨い。私だけが何故かカップ3杯ほど飲んでみる。粉末にした時の苦みは加算されているだろうがそれは・・・・・・・・。
"ああ、旨い"
あまり口にすることが無かったが、ジャワからの紅茶が部屋にあるので試してみた。紅茶もそこそこいけるのではないか。
それを毎朝繰り返す事5日間、行動はほぼ同じだった。
流石に我々日本人には、これだけの油料理はかなり堪えるのであったが、やはり皿に盛ってしまうのである。しかしながら若者2人は、おかわりが日増しに少なくなり、2皿目が4日目には無くなっていった。専務(I)のベーコン量は確実に目減りして行き、最終日にはそのかけらさえ盛られていなかった。最後までそれを入れたのは、不思議な事に最年長の私だけだった。なぜだろう。将軍様(N)に於かれては、ベーコンやハム、ソーセージと言うものは皆無になったが、ワッフルだけは何故かあった。但し、誰もが胃もたれしていたのは共通事項であった。どうやらそこには、多少の年齢差はあまり関係ないらしい。
ホテル内にいるリス
かなり人馴れしている
楽園の終焉Ⅲ-1 ― 2021年03月22日 19:15
‐楽園の終焉Ⅲ-
END OF
PALADICEⅢ-No,1
-GT in Bali
2013-
三度目のウブドの段々畑
定番のレストランから望むがもちろん観光客以外はいない
一体何年探せば、それは見つかるのですか
それは、永遠に見つからないのでしょうか
ふと思えば、物心ついた歳から極楽浄土を教えられ、それを信じて・・・それが・・幼き心を失ってしまうと、それも忘れてしまう。
以来何年何年も同じ様に楽園を探してみるが、そう簡単には見つかる訳でもなく、そもそもあり得もしないものを探す事事態が無駄も極まり無いとはこの事であろうか。
同じ事の繰り返し。
無駄な事の繰り返し。
業には業の迫りくる毎日。
灰の上にまた灰が積って、また雨で濡れて、積って、固まって。
塵なのか灰なのかもうどうでも良くなる毎日。
ああこの有鬱な日々と先進国特有な精神状態。
脱出不可能な、闇と影のこころ。
これがおもてなしの国の片隅にある人の日常なのか。
碧く果てしない海原と皆は表現して言うが、その何処にも幸福など見つける事が未だ出来ていない。
むろん偶然にも落ちている事もないだろう。
この碧いと言う海にも、利害と欲望が渦巻いているからなのであろうか。
その海の中をそんな事などどうでも良いかの如く、魚達その中の老成魚達が、ゆっくりと泳いでいる。
そこには何の矛盾もないのに。
自然は、同じように流れているのに。
太古の昔から。
何の矛盾もおきていない。
矛盾しているのは、我々人間だけなのだろうか。
そのような心と海。
世間では怪魚ブームとからしいが、それはそれで良い事なのかも知れないが。それは、極東アジアの我国の人達が、それだけ地球を小さく捉える環境になっている事に他ならないと言う事なのだろうか。
そして現代に於いては、その気になればいつでも何処でも行ける環境にはなった。
アジアが縮み、世界が縮む。
その事を近くなったとも言うらしい。
それ自体は、とてもありがたい事なのであろう。
問題は、その恵まれた環境をどう使うかにあるような気がする。
身も心もとっても寒い2014年の冬の新年。
言葉の表現としては、‟身の毛が余立つ”という表現を採用したいと思ったのだが、例えの使い方としては間違っているだろうから、‟芯まで冷えるので鳥肌も立つよ”・・・・と言う感じである。
それこそどうでも良いと言われる釣りの世界でも、何処かに真理が落ちているのではないかと"服部博物館"と言う服部先生の本を見てみたり、小西和人さんの"たのしみを釣る"を読んでみたりしてもみるがそこに、その歴史を観る事が出来たが、楽園など見つける事が私には出来なかった。おそらく、多くの釣り人が見る事も読む事のそう多くは無いであろうその本を読んでみる。また、そのような中でも最も読まれたであろう開高健先生のあのシリーズは別格であろうけれども、ヒントすら見つける事が出来ないでいる。ヒントもなければ、打つ手も無い、正に八方ふさがりとはこの事であるが、特段普段と変わり無く生きている今日この頃。開高先生もその苦悩は、多くあっただろうけれども何の解決には至らなかった・・と言うのが結論の一つ・・とも感じられた。
先日、とある機会があり、高田先生からのお話を聞いた。
「若い頃に銀山の宿であった釣り人にお説教をされた」と言っておられたが、その人が開高さんだったと当時の事をお話されていた。私も諸先輩の話をじっくりと聞ける歳には一応なったけれども、所詮釣りは釣り。それ以下でもそれ以上でもないらしい。その先生の内容を要訳すると、‟君たちこのように魚を全て殺してしまって、将来はどうなるのか考えるべきである”云々と言う事らしかった。再放流ということが我が国にはほぼ皆無に近い時代のことらしい。
ましてや属世間の中の更に属の話であろうから。
まさに、ピンキリのキリの話なのであろうから。
そして、時の流れと共に故人は忘れ去られて行くのかもしれないが、何故か最近それがものすごく寂しい事のように思えるのであった。あまりにも寂しい事ではあるが、それも風化と言う点と捉えれば自然の流れなのかもしれない。それは、急速な風化であって数十年後には、語られる事もないかもしれない。
ボロボロと、崩れ浸食されて行く。
ただそれを受け入れ続け、誰も知られないで終わって行くような気がした。それは、気がするだけなのか、実際そうなのかわからないままである。
楽園の終焉シリーズ ― 2021年03月13日 11:30
楽園の終焉シリーズ(2021追記)
曲がり切るBG733-TRAVEL 3pcs
当時では、トラベルロッドでGTとはあまり考えられない時代だった
その後、あらゆるメーカーがそれに着手して今や乱立しているがそれも世の流れと思う
今までの長い歴史の中と比較すらまったくなりませんが、このシリーズをアップするのにⅠの2010年から現在(2021年3月13日)までのわずか11年程度の瞬きにすら当てはまらない期間に、激動の変化があったと勝手に思っています。そして今もまたその渦中です。それは、人生という短い中でもこれだけの激動の世の中はそうないかと思ってみたりします。
最初の序章アップからまた2年以上経過してやっとⅢまできました。短い文章で短い期間にも関わらず、他のことと平行して書き上げることは、素人には容易ではありませんでした。たとえそれが打ち込みという作業がメインになったとしても、どうやらそれは変わらないようです。
このシリーズが再び更新されるのかどうか現実が遠くになっていますが、果たしてこの地上に楽園などあり得ないという現実と釣りという俗世間の趣味という一見無理矢理な世界の切り口で書き上げています。心の世界は、現実と度々異なることも多いとおもいますが、その時の心境と現実は事実であろうと思います。
シマノ製のオシアペンシル18S での1本、一撃でボロボロだった
ロウニンアジの個体差もそれぞれ違う
それは人間と同じかと思う
リアルベイトは裏切らない
おそらく誰にとっても優しい疑似餌だろう
魚にとっては脅威だが・・・・・
それでは、そのⅢの前置きと致します。
2021年3月13日
楽園の終焉シリーズ
本シリーズは2010年から2013年までのわずか4年間にわたるインドネシア、バリ島におけるロウニンアジを主に疑似餌(ルアー)で釣る旅についての紀行文です。
2018年
時代は大きく変わり、地球温暖化の波は、音を立てて迫り、あの忘れがたい3.11の大震災もありました。
この僅かな4年間ではありましたが、そのような時はアッと言う間に過ぎ去っていきました。
このツアーを組んでくれたフィッシュナビの八鳥洋二氏は、私と同じ大学の水産学部 水産増殖学科 魚類生理学研究室 通称山森研究室の8期後輩にあたります。
つまり、私が卒業して4年後の入学と言うところでしょうか。
そんな、後輩と釣りの旅に出る事となるとは当時の私にはまったく想像もつきませんでした。
楽園の終焉シリーズのそれ以降が出来上がるのはもう無い事なのかもしれませんが、それでも誰かがこのシリーズを継続させてほしいと思います。
それは、バリでなくても良いのです。
そこに楽園があるのであれば、いや無くても求めるのであればその国も場所も選びません。
どうやら、世界でも有数の経済大国で、東洋で一番の先進国と名乗っていた我が国日本であっても理想の国ではないようです。
ましてやこの先の2020年以降の未来は良い話を全く聞かない今日の我が国です。
近い将来、日本がどの国からも慕われる、信頼される国になる事を祈念致します。
さて、そのⅠから掲載したいと思います。
楽園の終焉2010-Ⅰへつづく
2018年9月10日
月竿 代表
つきまろでんせつ うきまろのゆめ-16おまけ ― 2021年02月24日 17:45
かつての伝説?
この疑似餌は、伝説なのか?
JAPAN SPECIAL 日本限定カラー
これだけジャパンスペシャルがあると壮観であるのは私だけだろうか。海外には決してないこのカラーリングは、とても楽しいものだったが今後そんなこともないのかと思うと、少し寂しくもある
こんな多彩なカラーが出てくることも2度とないのだろうか
そうと思うと・・かなり・・寂しくもあるけれど、それも時代の流れかと思う
大英帝国さえ餌になるのか?
かつての大国をも襲う日本の大和魂
こちらは、現行でもあるオリジナルカラー
BAZZ PLUG(右下2段)でもトライしてみたが、圧倒的かつ絶望的なフッキングしなさに愕然としたが、もちろん対策はあるだろうけれど・・。あとシャフトがすぐに曲がってしまうのもこの釣りにはあまり向かないのかもしれない
夕マズメに出た06フロッグホワイトベリーでの1本
クラッシックカラーの一つである
ジョイントでトライする
ロストは、圧倒的にジョイントが多かったのだが水深ギリギリのところを引くとよく根が掛かりした
浅瀬では、オリジナルの方が向いているようだ
真夏の1本は、ジョイント07フロッグイエローベリー
これもクラッシックカラーと思う
この釣りにはまさにその色は人間の視覚に訴えるのみ
彼らには、関係ない
かつての名機ABU MATIC セミモダンモデルの170iと並ぶ60㎝オーバー
一度きりしかない、黄金ナマズ
背中が黄色っぽいナマズで腹が黒いとても珍しい個体だった
春先の1本だったが、まさに春の夢のごとし
これもおそらく何度かあるだとうと思ったが、以降アルビノっぽい個体は、ブチ色の数本以外一度も釣れなかった
あろうことか、その画像も紛失してしまった
探し出した挙句この3画像だけである
今でも悔やまれる
しかし何度みても面白いお腹と背中が反対にみえる
とても面白い個体だった
なぜかジッターバグ特集になってしまったが
どのカラーでも関係なく、バイトした
当然ながら、そのカラーバリエーションで人間の方が釣られてしまう
OFT社特注のJITTERBUG
ジョイントタイプでダブルフックであったが、これは更に掛かりが悪かった
何度もバイトに持ち込んだが、針がかりは問題であった
なんとかフックを換えてのキャッチ
フックは、バーブレスのトレブルに換えたが、やっと掛かった
筆者が通う場所は、圧倒的に流れのある河川が多い
ウィードエリアは、殆どないこともあるが、ウィードエリアでトライすると、すこぶる掛かりが悪かった。
その歯は、細かいながらも鋭く、何列にもわたって生えているが、咥えた獲物を逃がさないようにちゃんと内側へ反っている
その昔(2015年)子供と製作した骨格標本
鋭い歯が無数に生えていて獲物を逃がさないようになっている
OFT社最後のオリジナルジッターバグ
これを最後に同社は長き歴史に終止符を打った
昭和時代から憧れのOFTカタログは厚かったし熱かった
そして子供達を熱くしたと思う
また昭和が終わったのは、真に残念である
子供の頃の楽しさを忘れないで
あそびごころ・・永遠に
MOON STARGAZER .Jrとつきまろッド
つきまろもその本体を上回るパーツで生まれ変わったが
それが、幸せなのかどうかは分からない
つきまろのゆめ
さて、今回は、これで終わりにします。
番外編として、うきまろッド&リールの分解と再生改造そして、実釣としてきましたが、思えば初めてジッターバグなる疑似餌を購入したのがもう40年前になります。一重に40年って、人生の半分近くかそれ以上です。その間にも多くの事柄が積み重なっていったのではないかと思うと、人生を一体なんの為に生きて来たのかと思ったりしてみます。世界がまだコロナ禍であると思うとそれも誰が予想できたでしょうか?そう思うと、ついこの間まで少年だった人間もいいおじさんになっていました。疑似餌釣りは、魅力的で楽しいものです、いや他の釣もそれは大変面白いものです。それをその昔は釣り道楽と言ったのでしょうけれど、現在の釣は果してどうなのでしょう。
40年が経過すると、道具は各段に進歩しました。ひときわ釣り糸とリールそれは、目まぐるしいものです。PEラインが当たり前の2021年ですが、私が釣りを始めたころはそんな存在はありませんでした。また、1992年当時はそのPEラインを鈴木師匠から薦められた当時、他の釣人は全く知りませんでした。むしろ怪訝な顔で不思議そうに見られたものです。PEラインをキャステングに使うなど到底今からは考えられないことでした。このPEラインに合わせてすべての道具が進歩してゆきました。それでも、他の主力工業と比較した場合、雲泥の差かもしれません。
私に残された時間はそう多くなないと最近悟るようになりました。
皆さん、未来はどうなっているか、あるいはどうあって欲しいか考えて見られたらどうでしょうか。そんな提案などこんな釣りのブログでは、受け入れられないことなのでしょうかね。
そんなことも、自分がまず釣りたいという魚捕獲優先欲が一番にある間は、それも見えないのかもしれませんが、釣りはそんなことも考えることができる特異な趣味の世界でもあるのかもしれませんね。
世界中を釣り歩いてみたい。そんなことも何時かの未来には実現できる人が、多く出てくるのかもしれません。
釣りはいいものです。
つきまろと菱備のコンボは、
まさかの世代錯誤
電磁誘導ブレーキとV型スプールは昭和のゆめ
広島のゆめの会社でもあった
ゆめのリール?
電磁誘導ブレーキは、昭和のコンバトラーVを連想してしまう
広島(日本)が誇る高性能リールと言えるだろう、きっとそうあってほしい
ゆめよ、さめないで
あの少年のときのゆめ
それは永遠に覚めないでほしい
祈幸釣
2021年2月吉日
その2が更新される?まで・・・おわり
つきまろでんせつ うきまろのゆめ-おまけ15 ― 2021年02月09日 19:00
おまけ
月まろ伝説は、フレッドアーボガスト伝説?
※本編は、月まろ伝説のおまけとして、かなり主観の入ったフレッドアーボガスト社およびジッターバグについて書いたものになります。時代背景や製品の詳細について誤認している部分もあろうかと思いますので詳細は、各自精査してください。また、あまりにもメジャーな会社と疑似餌についてですので現在では膨大なデーターや記事等も多く存在して公開されています。興味を持たれた方はぜひ調べてみてください。楽しい発見があるかもしれません。そんな名品への主観的なものが主体になります。予めご了承ください。
1982年度カタログ
所有が奇蹟に近い
1982年の春だったか、1981年の冬だったかは、うる覚えのことです。恐らく、当時新任の英語の先生にフレッドアーボガストのルアーに同封されているミニカタログを持っていったのがきっかけであることは覚えています。これを訳するには、英語の先生に聞くのが一番と思いました。何故ならもっとも近い英語のエキスパートではないか?という判断からです。それで早速学校へもって行きました。わかりませんか?ということなのだが、当の先生は、いやあ、辞書を片手にしらべないとね。と言う回答だったと記憶しています。そこが最初のつまずきでした。まさかの英語の先生の回答が得られなかったのは。仕方ないので、自分で辞書を引きました。当たり前のことですけれどね。
そこにはなんとも魔法の言葉が掛かれていたようです。そこには、カタログ無償と書いてあったと思います。そこで、中1レベルの英語で封書をだしてみました。所謂エアメール(書簡)と言うやつです。今から思えば何とも古典的な方法ですが、その時代は、それが思いつく唯一の手段だったからです。たいして期待もせずに待つことにしました。果して本当に返事が返ってくるのだろうか?と。その約1か月後、返事が来たのにはとてもびっくりしました。そこには、カタログと注文書まで入っていました。とても嬉しかったのを覚えています。少年には、そのフレッドアーボガスト社は、素晴らしいサービスのある会社であるということがそこで完全に擦りこまれていたように思えます。
恐らくそれは、当時のアーボガスト社担当者かその上司かのいずれか人々の懐の大きさだったのかもしれません。受け取った側にとっては、特に収益に繋がることも恐らくないだろうという極東日本と言う国の少年に期待することもそうなかったと思います。そのことを、いい歳になったおじさんになってもそのことは忘れていません。それから40年経ってみるとその会社ももう買収されてはいますが、微々たる先行投資にはなったのかもしれません。なんせその後いい歳になってもヘビーユーザーの端くれにはなっているのですから。
昨今は、昭和の時代がすべて間違っているかの如く表現されがちですが、私はそう思いません。良いところもたくさんあった筈です。それは私が生まれる戦前にももちろんあったとおもいます。
若者には未来があると思います。若者はその先を開拓していく使命があるからです。その若者に夢を与えるのがその大人の使命でもあると思っています。
いつの日かそのうきまろッドを手にした子供が、未来を切り開く人になったらそれは、幸せなことかもしれません。たとえその会社が買収されたり、形を変えたり、あるいは存在しなくなったとしても・・・・・・・。
1982年当時のカラーチャート
なぜか最下段のカラーがとても気になった
当時の私には、クリア=ゴーストがなぜあるのか理解できなかったが、一方でスパローというスズメカラーには少し驚いた。スズメを喰う魚など想像つかなかったからである
サイズも多彩だった
マスキーって、一体なのだろう?
と思った1982年の夏。その正体を知るのはずっと後のことである
ウィードレスタイプもあったが、これも噂に聞くには、掛かりが悪いと有名だった。ちなみに筆者は一度もこのウェードレスジッタバグなるものを一度も購入したことがない
スミス社が復刻させたジッタースティック3/8oz
品質は、今一な出来で後ろのスクリューがそのままだと全く回らないものも多いが、それを含めてもその価値は捨て難い
日本製ルアーなら完全不良と言われても仕方ないレベルであるがそれも許せるということは既に製品愛が逸脱している気がする
とても太い産卵前とおもわしき個体
ジッタースティックを襲う
ドッグアクションし易いのがこの疑似餌の利点かと思う
ずっしりと重いビックママと櫻の花びらでしょうか
その重量感は2㎏超えに感じた(計測していません)
これもダブルフック搭載だった
元々掛かりが悪いと不評であったジッタースティックであるが、更にかかりは悪い仕様だったそれも今なら許せてしまうのはなぜだろうか
なんとか後方のプロペラを取り除かず使用した
なんとか掛けることができたキャッチ後のショット
なんとも中途半端な出来の疑似餌だったが、それがなんとも捨てがたい気持ちを増幅させる。
それを少しチューンと言う言葉も覚えていいように工夫ができる歳になったからかもしれない。恐らく40年前の私なら不良品としかいや不良とも気が付かなかったであろう。
こちらは、グローブライド社が発売したもの
楽しませてくれた蓄光タイプ、とそのパンダカラーのラトル入り、もう生産されることはないと思うが、これもなかなか楽しいレアなものだった。
オリジナルは、ロングシャンクフックであったが、これはショートシャンクのブロンズフックが付いていた。しかもかなり安物のフックに見えた。そこは少し残念ではある
大陸製とあるが、それでもグローブライドらしい台紙裏
そこは大手釣具メーカーである
パンダを咥える大型のナマズ
トラウト用のクラッシックなランディングネットを使うと悲惨な結果が・・・ヌメリがとれない最悪な状態
つきまろでんせつ うきまろのゆめ―14 ― 2021年01月31日 17:22
幼少の頃から、親しんだ川通り餅ですが、県外の片はそう知らないかもしれません。
何と言っても、広島土産の横網「もみじ饅頭」があるからです。それでも今も昔も変わらぬ味でついつい買ってしまいます。その歴史も大変ながいそうで。今回もついつい買ってしまいました。
晩秋のランディング
丁度決まったところだか、やはり微妙に解りにくい
8K撮影なら問題ないのだろうか
使用して、数ヶ月のつきまろ
うきまろリールに誤作動が目立つようになったのが怖い
うきまろリールへの不安が常に付きまとうので、キャストは少し力を抜いてみるが・・・・・
諦めていていた晩秋で
この日、なんと10バイトあった
驚異の晩秋?である
この日は、想像よりも多くのバイト(噛みつき)を拾いました。
そのうち乗ったのは、(針掛かりしたのは)5回程です。更にその5回のうち、その後の首振りで外れてしまったのが2回程です。この日の打率は、まあ普通かもしれませんが3本程並べることができました。あいかわらず爆発音のバイトは、やはりドキドキには変わりませんが、最初の波紋からバイト、そして追って更にバイトというパターンがこの日も3回程度ありました。余程食い気があったのか、かなりやる気のある個体です。この水温前後でこの感じは正直想定していませんでした。もしかすると日中その日差しで水温は暖められていたのかもしれませんね。少し気になったのは、もっと晩秋なら太っていてもいいのにと思いました。今年は餌が少なかったのでしょうか。そういえば、夏場もダルマカエルは少し少ない気がしました。また、本来うようよしている小魚や、多くのテナガエビをあまり見かけませんでした。テナガエビは、彼らにとってとてもよいご馳走です。今年は、餌が少なそうな気がしました。
純国産の野生の姿
それは、長い歴史の中で生き抜いてきた証
野生で生き残るのは、私達の想像よりもずっと厳しいものなのだなと思いました。次々と人工的にモノのように生産されるブロイラーの方がこと餌だけは、過剰に与えられるのでその点だけはいいのかも?しれませんが、それが彼らにとっては拷問なのかもしれません。その餌も美味しく食べられているのかどうかも謎ですけれど。いずれにしても、野生では厳しい環境が待ち受けています。かといって人工的に増殖されられるのも、こと鳥類、哺乳類となるとそれが良いのか悪いのか私には判りません。また、溺愛に溺愛されているペットが幸せなのかどうかも解りません。同じ命だけれども、その置かれておる立場や環境で大きく変わるのが現状かもしれませんね。
少々話が飛びましたが、ここで今シーズンのつきまろのゆめは終わりです。来年も同じことをするかどうかは、今のところ解りません。もしコロナ禍が収束に向かうとするならば、それこそシイラでも釣ってみましょうか。相変わらず世界は、コロナ禍の真っただ中であるのが現状ですが。
最後になりますが、コロナ禍の中でアウトドアブームが到来していると聞いています。多くの量販店が大盛況だと聞いています。しかしながら、それはマナーあっての遊びです。釣り場でのゴミは勿論のこと、駐車マナーや釣り場での最低限のマナーは守って下さいますようこころよりお願い申しあげます。
また、キャリアだけ長いけれど、マナー、モラル無視の方々も正直ある一定数おられます。何処の世界でも見本にならない先輩は、多少なりともいるものです。良い先輩に出会う事が明日への近道と心得ます。是非、あなたの良き先輩、師匠に出会ってください。(これが、現代では最も難しいことかもしれません)
未来は、明日の子供達にあります。彼らが良い釣師になったならば、きっとよい釣りが継続してできるようになるのではないかと思います。
欧米先進国のように、厳格なルールと罰則がなくても、なんとなくモラルやマナーを守っていた我が国の文化(趣味等)は、ある面とても良いことでしたが、それも過去のことかもしれません。守れなければ、それではルールを設定しましょう・・・とは我が国はなっていないようです。日本は、米国のように少しでも釣りのルールを守らなければ、逮捕や罰金がある訳でもありません。また、ライセンス制も導入されていません。(河川淡水等一部を除く)なんとも不思議な国ですが、それでなんとかなっていました…というのが今までであったかもしれません。先進国の中では特異かと思われます。また、それもいつまで続くのか解りません。我が国の場合は、それなりのルールの整備、また管理ということよりも、いきなり禁止となる場合が多いです。釣り禁止は、どんどん増えていく傾向にあります。きっとコロナ禍が過ぎてしまえば、あらゆる他にやることや遊ぶことが増えてくると、このブームは一気に下がって行くことでしょう。そうなれば、その前の状態よりももっと寂しいものになるかもしれません。釣りは健全なレジャー、余暇の側面がありますからそれが長く続き、あなたのお子さんが将来つりを嗜む紳士淑女になるなら、それは良いことではないでしょうか。未来は、子供達の為にあるので、それを失うことは未来を失うことになりかねません。どうか未来への配慮もお忘れなく。それでは幸せで良い釣りを願います。
あなたのうきまろもきっとそう願っていますよ。たとえそれが誤作動を度々起こしても。
だからうきまリールの顔はつねに笑顔なのです。
たとえそれが、生まれる動機が商売ベースであったとしても。
その15おまけへとつづく(期待しないでください)
つきまろでんせつ うきまろのゆめ-13 ― 2021年01月23日 18:08
暫くの更新をお休みしていました。すみません。
昨今のコロナ禍におけるアウトドアブームの中で、釣りが注目を浴びていることは先日も述べましたが、その過熱ぶりは、ここ10年いやもっと聞いたことがありません。かつての釣ブームとか言うことを聞いたのは、私が勤め人時代の25年前後くらい前だったような気がします。嘗てのフィッシングショーを知る人は、良くご存知だとおもいます。
前置きが大変長くなりましたが、それではその13へと進みます。
晩秋のつきまろ
つきまろの快進撃-野戦
それから、更に1週間が過ぎたころ、もう終わりかな?という晩秋ことです。しかしながら、気温は真に不安定です。
ということでまだ活性があるかと思い確認を兼ねて再度トライしてみました。これから関西より西は、後半戦にはいるところではないかと思いますが、関東は終盤戦です。しかもギリギリの線です。温暖化の秋には違いなく、日中最高気温は26℃とまだまだ活性は衰えていない気温ですが夜は一気に冷え込んで16℃になります。それでも恐らく水温はそこまで下がり切っていないだろうと判断しました。アンダーラインでしょうか。
久しぶりに重い腰を上げてみることにします。今晩もまた単独釣行ではあります。そこも致し方ありません。当然ながら、小学4年生の頃から通っていたうちの末っ子も居ませんし。その子は、スピンキャストマニアの私の真似をしてマッチックで釣っていたこともありましたが、90年頃師匠が設計したZEBCO QUANTUM EX400 を最初に使わせました。それは、小学生の手にはとても大きいものでしたが、それなりに使っていました。そんな彼ももう大学生です。それもあっと言う間のことに感じます。
おじさんは、人生の短さを噛み締めて一人でポイントへ向かいます。親子で釣りに行っていた頃が既に懐かしい過去になりつつあるのです。
QUANTUM EX400(左)
ABU 5500C3と比較してもご覧の通り比較的縦長のボディは、成人男子向けの大きさに映るが、扁平なロープロファイルデザインは、小学生でもクラッチが切れた。
さて2020終盤戦の現場です。気温はそれなりに肌寒いですが、水は冷たくはないようです。投げる前に状況を確認してみます。激しい捕食音はありません。また、餌が追われて逃げる様子も見当たりません。さあ、どうでしょうか。
肝心のつきまろッド&リールですが、竿の方は改造後更に水を得た魚のようにいいアクションと仕事をしています。ロッドグリップの黄色は、すぐに汚れてしまうので、いまだそのシュリンクチューブを取り除いていません。それは、汚れないと言う点では、いいことなのかもしれませんが、滑ってしまい、本来の使い方ではないです。やはりそこは、剥いでEVAのグリップ感を得た方が得策です。(ぜひともそうしてください。)また今のところリールは、そう長時間使っていませんが一応壊れていません。2900円のセットリールとしては優秀な方だと思います。時々誤作動を起こし、クラッチを切ってもキャストの衝撃かハンドルの回転なのかピンが出てしまい、ミスキャストが多くなってきました。これでは、スピンキャストリールの簡単さが活かせません。これでは、爆弾を抱えたままの攻撃になります。また、キャストを繰り返すとその単純な構造ゆえに、ラインが撚れ続けます。そうなるとこれが原因でライントラブルになりがちになります。その特性を理解していないときっと釣りが嫌になってしまうかもしれません。またベイトキャスティングリールともスピニングリールともちがう、ラインのサミングの仕方があります。これができればあなたとあなたのお子さんの釣もきっとグレードが上がると思います。それを説明しきれないのがとても残念でなりませんが、致し方ないところです。かといって、あなたが購入された多くの量販店で、それを教えてくれる方(店員)は恐らく皆無かそれに近い説明かもしれません。それはそもそもスピンキャストリールをそう嗜む人(店員)は、極稀なことでしょうから責められません。なぜなら、量販店の店員やバイトの方にそこまでの教育がされているとも思えませんし、そもそも教える側も余程のマニアか熟達者でない限りそれはほぼ絶望的にのぞめません。それだけ我が国のスピンキャストリールユーザーは少ないと思った方が良いでしょう。そこは、少し残念なところでもあります。