楽園の終焉-番外編-AFTCO FISHING GEAR ― 2022年05月04日 17:16
楽園の終焉ⅠⅡⅢ-番外編
AFTCO Legendとは
Support Gear
釣人には必須であるが、未だ完成形ではないのか
3代目の(上)インドネシア製のグローブと(下)ベトナム製
AFTCO
アフコ【AFTCO】と聞いてすぐにピンとくる方は、既に往年または、現役のビッグゲーマーだと思います。それだけこのアフコ社は、世界中の多くのリアルビックゲーマーを支えてきたのは間違いないでしょう。それは、最早伝説級かもしれません。既にその最右翼とも言われた伝説FIN-NOR社が身売りに身売りを重ねた挙句、最早その名声も過去のものとなってしまったのは、誠に遺憾ではあります。2021年現在もPURE FISHING傘下にてブランドだけは生きているようですが、私の主観からすると、最早亡霊に過ぎないと言っても過言ではない感じです。それは多くの欧米のマニファクチャー(メーカー)やそのブランドが辿った道でもあります。これは何百年もそののれんを維持している日本の企業からすると考えられないことではありますが、それも米国流の商売からするとブランド買いというのは日常のことです。
1958年創業のその老舗メーカーは、そんな現在(2021年)でもAFTCOは、未だオリジナル釣具製品も生産しているようです。どちらかというと今のイメージは、アウトドア、アパレル色がかなり濃いですが、いずれにしてもその継続は、米国メーカーとしてはかなり珍しいことかと思います。
詳細やその歴史に於いては細かく公式サイト等に記載されていますのでご興味のある方は、調べてみてください。ここではその詳細について触れません。
世界のビックゲーマーを魅了してきた、
アフコフィッシングギア
同社の後の功績は偉大である
米国製のアフコギア
師匠とアフコ創業者のMILT SHEDD氏は旧知の仲だった
恐らく初代グローブだったと思う(2008年頃の筆者)
(画素荒くすみません当時のデジカメです)
2009年のグローブとブレイドのシャツとイソンボ
そんなアフコのアイテムの中でもここ20数年は、アパレルを多くリリースするようになりました。その中でも私が一番多用しているものが、グローブです。
ここは、釣人にとっても他のアウドドアスポーツ、レジャーと同様に重要なアイテムですが、多くの人がなかなか迷うところです。私が思うところ、これが一番というギアではないかと思っています。そんなこのアフコグローブの中でも、最も長年愛用してきたのがLONG RANGEの方です。恐らく2007年くらいから使っているのではないでしょうか。恐らくですがそこは明確な記憶がありません。
2009年のグローブとイソマグロ
先輩が格闘の末手中に収めたそのレコード
ナイロンラインが、もうこれでもかというくらい伸びてしまい、それがぐちゃぐちゃになって刷れ傷だらけである
それは、その激しさを物語っている
2010年のグローブ
この時点で何代目かは忘れたが、マジックテープは剥がれかけの様子である
ロングレンジタイプは、親指から人差し指にかけて当て布があり、これがかなり強い
と同時に縫い目がそれなりにあるし、その分はその肉厚もあってかやや硬めである
アフコグローブ歴もそれなりに重ねていくと、しばしば後輩からそのAFTCOのグローブとその釣りとのコンビは、(コーディネート)なんとも私らしいと言われます。しかしながら、そもそもAFTCOのグローブを使っている人が我が国では殆ど見かけないばかりか、販売すら殆ど見かけません。更に小物釣りとしばしば写っているそのグローブと私をみて、いつもかの後輩からは指摘されます。それもまた事実みたいなので受け入れています。国産あるいは、国産メーカーにはこのような製品は今のところ見当たりません。それは今後もおそらく無さそうです。それも致し方ありません。ただただ流れを受け入れるだけです。
指摘対象のグローブとギア
見る人が見ると、時代もバラバラだし、そのジャンルに拘る日本人には、とても滑稽に見えるらしいがそれもいいだろう
他人は、それほど他人のことやそのギアのことがきにならないらしい
そう思って久し振りに某大手がリリースするジギンググローブなるものを使ってみましたが、サーフからのキャスティングを行うこと3日目で駄目になってしまいました。流石に3日で駄目になると割に合わない気がします。それなりの価格であることを考えると甚だ疑問に思えましした。個人的には、せめて週一ペースの釣でも1年は使いたいと思います。そこにはその価格とは少しズレのある大陸製とあります。そう考えるとまぁベストとはいえませんが、AFTCOのSHORT PUMPとそのLONG RANGEの2 種のこれらは、十二分に持ちこたえています。よって、ここ13年前後のお気にいりです。本編の楽園の終焉-バリ遠征でもこれをほぼ主に使用しています。それは、Ⅰ Ⅱ Ⅲでも継続して使っています。今のところ私の釣では、これがベターに思えます。それは、磯場でも珊瑚岩を掴みながらの移動でもとても楽で手の保護も一般のジギング、キャステンググローブではお話しにならないほど耐久性がありました。それは、ちょっと褒めすぎなんじゃない?という気がする方もいらっしゃるとは思いますが、今のところ私の釣でのベターな選択です。他には何がありますか?と言われれば、FISHERMAN社のグローブかと思います。ここではFISERMANのグローブについては省略しますが、それまで私のグローブは、これ一択でした。今でもかなり完成度の高い国産メーカーの国産グローブだと思います。それまでの日本の釣ではルアー専用キャステンググローブなど見たことがありませんでした。PEラインを用いたキャスティングが同社によって開拓されてきたこともあり、GTの釣にはこのグローブ一択だったと思います。それも、2021年現在となっては、多種多用、ピンキリの時代です。
私の使用する2021年現在のグローブは、4代目になります。私と多くの釣に付き合ってくれたこのグローブにさえ感謝しかありません。もちろん、このベトナム製のものが完璧であるとはとても言い難いですが、メンテや工夫で使ってきました。それですでに5代目が必要になってきましたが、予備にとっておいた5代目になる筈だったグローブは、末っ子に渡しました。
このグローブの欠点もいくつかありますが、本体の劣化よりマジックテープの欠損が早いことや、おろしたてですと、フィット感がかなり悪いようです。
先輩に使ってもらいましたが、その縫い目が当たって痛いと言うご意見も聞きました。靴等もそうですが、やはり手に馴染むまでは、違和感もあるかもしれませんね。それと、このグローブに限らずすべてに言えることですが、一度水や魚、餌に触れてから、放置しますとそれはもう強烈な異臭を放ちます。これには皆さん共通の悩みです。釣りから帰ると真っ先にやることといえば、グローブの洗濯、洗浄です。長い遠征に於いては、翌日生乾きのまま使用することも多々あるので可能であれば予備もあったらいいと思います。
カットしされている指先部分の処理も完璧とは言えないが、まあ及第点
前述した通りBIG GAMEと言えばAFTCOでしたが、その名声も時代と共に劣化を逃れることもなく我が国の多くの釣人は、その名前さえ知らない人も多いことでしょう。それだけ、時代の流れは、大きく更に多くの分枝流を拡張させているのかもしれませんね。
2013年のこのグローブ
スタンダップギアとの相性は良い
国内では、その釣り方は受け入れられず、変わってスタンディングまたは、電動スタンディングへと市民権を得た
ここは、釣りをよりスポーツとして認識するか、娯楽や漁に近いものと認識するかという国民性もあるとおもう
酷使されることにもいとわない
2014年末頃のグローブ
魚の粘液を吸う
強力なスパインを持つ硬骨魚類に触れると負傷が多く付きまとう2016年当時
SHORT
PUMP GLOVE
こちらの方が更に使い易いとは思うが、それは造りがLONG RANGEよりライトなこともあるかと思う
磯の上で格闘するグローブ
磯-ISOそれは、ロックショアではない
アフコのグローブと世界を巡りたい
海へお帰りいただく
AFTCOその名声が朽ち果てるまで
REAL BIG GAMER
あと何代つづくのだろうか
2022年5月4日
楽園の終焉ⅠⅡⅢ-番外編-終わり
楽園の終焉Ⅲ番外編タリスマン3 ― 2022年04月23日 08:24
それでも安定?のタリスマン
大陸からやって来たそのリールは、
我が国の高級リールを脅かすのだろうか
何度も旅を共にしてきたリールと言うのは、もはや盟友と言っても過言ではない
生産国で区別される謂れはないが、背負うものが少し違うのだろうか
初期型:左と後期型:右
石井氏所蔵
このリールでロウニンアジをキャッチしてきた
それは、まぎれもない事実である
当時のTICA JAPANの話では、
NZにて超大型のヒラマサや、国内でもキハダキャッチの情報は上がっていたとのことだった
初期型は、当時の国内法人の回答によるとステンレスメインギアと聞いていた
後期型は、ブラスに変更されているとのことだが真相は
こだわりなのか、形だけなのかはわからないがシリアルナンバー入りであった
なんとも、惜しいリールである
後期型:メインギアの変更及び価格の大幅値上げ
T-BARノブから国内市場は、ラウンド型へ変更された
厳重に梱包されていた
一見高級機種みたいである
その後のギアボックス確認
やはりとても気になってギアボックス内を比較することにしたが
後期型は、所有していないのでI氏にお願いしておいたところ早速回答が画像と共に帰ってきた。
あれ?
初期型のギアボックス内
メインギアはステンレスだった
後期型
あれ?ステンレス?
後期型は、お決まりの穴あけで軽量化している
しかしながら、どうみても真鍮にはみえない
TICA JAPANの最初で最後の名品?
だった、のかもしれない・・・・・・
更なる進化を期待したのではあるが・・・・・・
それもかなわぬ夢だったようである
ロウニンアジを浮かせるI氏とタリスマン
それより以前に購入したと思うSPINFOCUS GJ2500R/M
未だ現役であるが、現在は多用していない。
同価格帯の他メーカーよりは優秀だった
(2008年頃)
同じく同社のSPINFOCUS2500(左)
末っ子が小学生の頃買い与えたものであるが、万能に使って既に使える状態ではない
それでも、コバスからキス、ササノハ等々を釣りあげながらも数年持ち応えた当時としては及第点と思う
そのお守りリール(TALISMAN-TG8000H)
と上がったロウニンアジ
確かにお守にはなったのかと思うけれど
その後我が国でTICAが復活したという話は聞いていない。
2010年当時発売価格\19,800のリールとしては、なかなか優秀だったと思う
高額なスペアスプール
多くのメーカーがパーツは割高ではあるが、まさかの本体29,800円でスペア付きとするとかなり割高感がある
折角のシリアル入りも国内法人が無い現在は全く無意味である
その後の国内法人
それから、すぐにHPは全く更新されなくなり、営業窓口も消えていったようです。倒産したとの連絡もなく、連絡も取れなくなりました。電話ももちろんつながらなくなりました。2022年3月現在、その痕跡すらなくなってしまったことになります。
国によっては、まだ発売も生産もされているらしいですが、我が国なら忘れ去られて数年以上も経過しています。国内で10年は頑張ってきた会社であったことは、今でも私の記憶に残っています。師匠と同社社長は、知り合いでした。2004年だったか5年だったかもう覚えていませんがまたひとつ生まれては消え、また生まれるのでしょうか。多くのアジアメーカー特に台湾発祥の会社に於いては、旧D社の影響を多分に受けていると思います。
同社もそうだったように聞いています。かつての日本メーカーが欧米のほぼコピーから始めたことから考えてみても、時代が流れてシフトして行くのも当然の流れと言えばそうなります。それは、竿もそうだと思います。
その後の2022年3月中旬時点で簡単に調べてみると、まだ国際市場では営業を続けている様子です。
お守り
世界のどこかで生き残ってどうか消えないで欲しい。
楽園の終焉Ⅲ後編番外編 TICA TALIAMAN
2022年4月16日加筆
おわり
楽園の終焉Ⅲ-番外編タリスマン2 ― 2022年04月12日 16:33
直ぐに折れてしまった鳴きバネ部パーツ
幸い当時は、修理部品として購入できた。(2013年同時)
あっさりと。
そこは、検討の余地ありなのと、スプールに穴を空けてスクリューネジを入れているところには、潮が溜まり、結晶化して、すぐに腐食に繋がった。またそのスプールのアノダイズ加工(アルマイト処理)も今一なのか、すぐに電蝕を起こし腐食していった。そこも少しばかりいやかなり残念なところだった。いやはや真に残念である。惜しい、の一言に尽きる。
このリールでは、浪人鯵の15~30㎏超えを5~6本獲ったと思うが、ギア内部はまだどこもおかしくない。これで当時本体19800円のリールとしては、サブ機として十分に威力を発揮したのかもしれない。それにしても業界のチャレンジャーであった事については、評価したいと思う。このTICAについても多少のストーリーがあるが、2018年時点においてメーカー存続しているので今後の動向を見守りたい。
2011年購入当時の撮影2
2011年購入当時の撮影3
2011年購入当時の撮影4
タリスマンTG8000でGTを掛けるI氏と、
ブレイド製ロッドベルト
ブレイド社の全盛期も90年代に思える
あれだけ市場を寡占していたが、今となっては知らない若者も多いらしい
案外と言っては、開発者に失礼に思うがGTでもいける
2011小楽園-ライトタックルでも使用したその結果
それなりに高負荷にも耐える
少し無理を押し込んだようなデザインも、味と言えば味?なのかも・・しれない
さらに高負荷に耐えるTALISMAN
大陸からやって来たそのリールは、
我が国の高級リールを脅かすのだろうか
何度も旅を共にしてきたリールと言うのは、もはや盟友と言っても過言ではない
生産国で区別される謂れはないが、背負うものが少し違うのだろうか
さらに高負荷に耐えるTALISMAN
楽園の終焉Ⅲ-番外編タリスマン1 ― 2022年03月18日 16:44
すみません。
世界を巡る情勢も明るい兆しは少し遠いのか近いのかは全く解りませんが、本当の平和というのは言葉だけ一人歩きしている気もしないでもありません。先の大戦以来戦争を経験していない我が国は、平和ボケと言われて50年以上経つのかと思うと世界ではいまだ武力ですべてを解決しようとする国があることを再認識しました。この時点で私も平和ボケの一人と言われても何も言えないと思いました。まだまだ、武力で制圧しようとする国が1国でもある限り、また核の脅威をチラつかせて脅してくる国がある限りは、武装解除なんていうことはなさそうです。
楽園の終焉Ⅲ-番外編
TICA TALISMAN-TG8000H
END OF PALADICE Ⅲ-SPIN OFF
GT in Bali 2013-TICA TALISMAN-TG
案外とおしゃれなデザインのスプール
主観的に嫌いではない
バリ洋上に映えるお守りタリスマン
この激流の中でも使用した
大陸製と言うだけで当時は、格下の更に下に見られる運命だったこのリール。しかしながら、国内市場でも多くの名だたるメーカー品の大半がこの2013年現在、大陸製なのが現状である。それは、自力(自国製)か他力(他国製)かの違いにもとれるが、TICAは元々台湾の会社だったらしい。(1965年創業とかなり歴史は古く2004年にTICA JAPAN が設立されたらしい)
2011年購入当時の撮影1(画質も当時のまま)
この頃は、筆者も半信半疑だった
2004年頃から突如として国内市場にも表れたメーカーえある。
さほど私は、注視はしていなかったが、少しだけ気にはなってはいた。その中でも更に気になった機種は、トーラスと言う名前だった。国内でも売り出されているものの、まだまだ使う気もおきなかった頃だった。
それから更に数年後には、国内最大級のフィッシングショーにもブースを出すようになった。時代が傾きかけているのかもしれない?とも思えなかったが、それでも年々その期待度は上がっていった。そのピークは、2010年くらいだったようにも思える。
その時、当時の担当と話をする機会があった。
「今、SW大型魚対象魚用に耐えうるスピニングリールを開発中です。」
とのことで、そこは楽しみに待つことにした。
それからまた、少し経ったそんなある日のこと、TALISMANなるリールが突然発売されたのである。TALISMAN=お守りとか魔除けという意味になるらしい。そのスペックは、間違いなく当時の国産高級大型SWクラスのリールに近いものであったが、それを信頼するには無理があったように思えた。(最大ドラグ30㎏)
何せ当時このリールの価格は、定価本体19,800円で売られていたからである。そうなれば、おのずと使ってみたくなる性分ゆえ即予約し購入した。
発売最初は、異例の順番待ちであったようだ。近年国産メーカーでも順番待ちなんてそう無かったし、業界下降気味の流れだったように思える。そんな状況の中の一瞬ではあったが、当時の注目度は目を引くものがあったのだろう。それだけ異質だった存在である。しかも、これまた異例のシリアルNo入りで高級風な紙箱で型抜きのパッキンも専用に梱包されて、まさに超国産上位機種もびっくり高級品風な感じだった。これには多少なりとも大手2社は、目障りに映ったに違いない。当時は、この価格帯でGTクラスは見当たらない時代だったからである。もちろん、製作しようと思えば彼らにはそれができたのは容易に想像がつく。
それからまた数年後の後期モデルは、スペアスプールが標準装備されて、ハンドルがTバーからラウンドタイプに変更された。また、メインギアはステンレスからブラスに変更された。(らしい)コストや精度の問題だろうか。それと同時に価格も29800円前後と大幅値上げされた。いきなりの1万円のアップである。
当時の担当者曰く、元々19,800円という価格は、お試し価格ということで、本来は29,800円ということらしい。まあそれでも脅威の価格には変わらないのだけれども。
それもつかの間、その事情の詳細は判らないが、国内市場から徐々にその姿を消していった。タリスマンであるのに・・・・・お守りの役目をとっくに終えてしまったのか?いつもの寂しい感じは、その終焉に近いのと吾しかなさそうだった。
さて、ユーザーが最も気になる使用間だが、トップでのダイビングペンシル、ポッパー釣りに於いては、そうストレスを感じ無かった。それでも、ストライクプロマグナムミノ―フローティング20㎝のリトリーブは、そのリップの抵抗からか若干重たい気がしたが、それはおそらくこの無理やり押し込んだボディの中に入っているギアの大きさもあると思う。なんともこの8000番に至っては、大き目のスプールやローター部分の大きさなのに、実にコンパクトなギアボックスな構成だった。しかも、汎用に近い中途半端なデザインになっている。もっと冴えない部分は、ハンドルキャップが安っぽいプラスチックであったことである。しかし、最初から予備キャップが付いていたのは確信犯なところもあったと思う。
極限のコストダウンなのか安物プラキャップ
(それもサービスのつもりなのかは判らないが)後期モデルに関してもここは変わる事は無かった。(No68 ハンドルスクリューキャップ)そこらへんが安っぽい、あるいは廉価と言われても致し方ないところだと思った。
当時は1個数円にとも言えそうな、かなり汎用的に使っていたとおもわれるプラキャップだが、シルバー塗装が更にちゃちさを増幅させた。ここも金属で仕上げるか、耐久性のあるカーボン樹脂等で仕上げて欲しかったと思った。そこが少し気になり、直接同社日本法人に問い合わせしてみた。その回答は、‟コストカット“の一言だったが、量産であれば金属キャップは不可能ではないし、そうコスト高ではないと思われる。そこは、国内大手メーカーも何時からか樹脂製が大半であることからも、そこまでこのパーツを指摘することもなかろうが、TICA社渾身の高級機種と名乗るならば・・・としてもご理解頂きたい。
また最大ドラグ値は、異例の30㎏と書いてある。もちろん最大なので実用値は、半分以下とみる(理解する)のが正しいと思う。多少オーバースペックに書いてあるのが常かもしれないけれど、実用ドラグはやはり記載した方が良いだろうが、それでも最大値30㎏の半分を実用15㎏としてもそれは、もう脅威のドラグ負荷値である。実際、GTに於いて初期設定7~7.5㎏で最後の締め上げを最大13.5㎏近く絞って竿を絞りこんでみたが、破損個所は無かった。その動きは、今では珍しい湿式のドラグで90年代のDAIWAを彷彿とさせる。ドラグ関係については、及第点であったがその鳴きバネは、遠征から帰って保管後に再びドラグ負荷をかけてスプールを逆転させると即折れた。何とも悲しかったのを覚えている。
楽園の終焉Ⅲ-後編37あとがき ― 2022年03月03日 16:20
-あとがき-
たがか短編小説にもならないほどの短文であっても、
あとがきなるものを書きたい時もあるのかもしれない
あとがきってついつい、ついでに目を通すくらいになりがちだが、案外と筆者の補足的で面白い事が書かれてある事も多いのではないか…とも思う
旅の形態には様々ありますが、釣りを主体とした海外ツアーの始まりは、昭和の日本テレビの11PMの11フィッシング以降にその知名度を上げて来たのではないかと言われています。そんな11フィッシングは、大橋巨泉と服部名人と、これらのコーディネーターであった私の師匠がまだまだ若かった頃の時代です。
※イレブンフィッシング:昭和時代の金曜深夜服部善郎名人が主に海釣りをレポートしていました。司会は、大橋巨泉さんでした。
後日師匠と名人から聞いた話では、PENNセネター14/0と言う現在は販売されていない伝説的なサイズの両軸リールで挑んだ地中海でのブラックマーリンは、9時間の格闘の末に、リールから煙が上がりながらも、なんとかキャッチしたそうです。その魚は、1400Lb超え=約634.2㎏であったそうです。一生記憶から外れる事は無いとお聞きしました。当時の緊迫感は、既に御年を召していた名人と師匠が熱気を帯びてお話しされていたことを思い出します。
今現在は、誰でも少しの費用と少しの時間さえ確保できれば、容易に遠征を組める時代になりました。時代の恩恵とはまさにこのことかもしれません。既に恩恵を受けた時代に生まれた世代にはそれが当たり前と言えば当たり前のことかもしれませんが、先の敗戦から経験された時代の方々にとっては到底考えられないことだと思います。
そんなお話しも、もう2015年から遡る事5年くらい前に聞いたことです。そして、師匠も名人も故人になりました。その当時の豊富な資金力と、高度経済成長がもたらした我が国日本の恩恵は、その後のバブルの崩壊と言う総崩れによって一度は陰りを見せました。このような近未来の社会現象でさえ、先行き解らないのに、我々は一体どこに向かえば良いのでしょうか。
その先に何が待っているのでしょうか。
誰も未来を予測することはできても、それが見えることはないのですから、近未来さえ誰にも判らないのです。
世界がとても狭くなったのは、冒頭でも述べた通りですが、これからの国際社会の中で日本の立位置が国際的に問われるのは間違いない事なのでしょう。遊びと言っても世界を知る事は、関心の第一歩であり、その初めは人に関心を持つことなのかもしれないと思ってみたりします。そのような意味でも海外での旅行、遠征と言うものも決して意味の無いことではないと思います。
ワールドスタンダードなアングラー(釣師)が我が国にも多く現れる事を期待して止みません。
日本は、今更言うまでにも及ばす、その世界のフィールドでは井の中に過ぎないでしょう。井の中にいる蛙大海を知らずとは、正にこの事ではないでしょうか?
今まで3回も訪れた、華僑系釣具店前の道路前で撮影する
店主は、我々のことを良く覚えていた
もちろん我々が日本人であることも承知していた
寒い冬から春に向かおうとする2015年も早2月を過ぎてしまいました。思えばこの釣行は、2013年の終わり師走の事です。それから直ぐに、私の街周辺からの成田行きのバスは無く(廃止)なりました。
これは、便利になると思ったのも、つかの間でした。それからまた、後編のここまで終えるのに1年と数カ月を要してしまいました。
寒い時期には、身も心も閉ざしがちですが、それでも前を向いて生きる人が存在する限り、人は、何かで後世に残さなければならないと考えても良いのではないかと思いました。未来が明るい事を願うのは、いかなる思想や宗教を持っていても変わらない本質なのかと思います。あるいは、そうでないのか今考えてみます。ただこの世界の現状は、まだまだきな臭く、混迷の中にあるみたいです。つまり混沌の渦中ということなのでしょうか。
それから2022年があっと言う間に2月です。
当初からその後、これらのことをアップして公開することを計画していましたが、その後の2020年世界を脅威と恐怖に陥れたコロナ禍とあらゆる災難を知る由もありませんでした。
観光用ルアック=ジャコウネコ
こいつの糞が、なんとアジア圏の最高級珈琲になるなんて
ケージの中のルアックは、見世物にされてその糞は最高級珈琲にされるのか?
我々は知る由もない
珈琲農園での観光客に見せるだけの豆と思う
次の浪人鯵釣りは何時にしようか
※注1詳細は、編集しなおしのところで、後輩から指摘があった。まあ、指摘とはいうものの、以下の通りだった。
「余談ですが、私たち釣人は、あの2つの岩をバトゥアバポイントの象徴としていますが、実際はその手前にある岩を示すらしいです。」
Batu=岩、Abah=矢印・方向
「因みに、みんな大好きドーナツ岩は、Batu Bolongで、Bolong=穴あきという意味だよ。」
ということでした。一応親切なのでしょう。
ホテルを出発する準備、迎えの車を待つたそがれているN様とそれを撮影するI専務
そして、真夏な暑いクリスマス
バリヒンドゥーな島ではあるが、観光客向けにこのようなディスプレイがされていた
世界を再び自由に往来できることを願って
2015年2月吉日
2022年2月26日/ブログ版追記
後編終わり
楽園の終焉Ⅲ-後編36 ― 2022年02月25日 18:00
さてさてキノコ(岩)のパターンは、前編で述べた通りである。
潮は思いっきり差していて、かなり早い流れになっていた。
我々には、残された時間的もそうない。いつ、非情な終了コールが上がらないとも限らない状況に我々は、必死?のラストスパートに入った。
私は、M76-TCDH-KVGを手に取り、最後はやはりこれで勝負とリアルベイトを装着した。
さあ、開始である。
泣いても笑っても終盤。
行けヤマメ!
銀毛じゃないけど・・・・。
‟よし、ええとこ入ったでぇ~”
と思ったが、皆さんが良いところに入れて(投入)いる。
ここら辺は、彼らも同じレベルで魚の出そうな場所をその経験から良く知っているようだった。怖いほど狙いが同じである。岩の裏、つまり下流側の流れが二つに分かれてまたそれが渦を巻くその手前のそこ・・・・。
着水した疑似餌が、流れに逆らってひらひらと左右に首を振ると・・・・・。水面から勢い余ってその背中をがっちりと水面上に上げ、その疑似餌に襲いかかった。
ギューンと糸が張り詰めて下降して行くと合わせを大きく入れてフックアップする。
N様のコメントを聞く事も無かったが、良く見ていたのが解った。
彼の後のコメントは、いいのが掛かると私は無言になるらしいと言っている。しかし、それって誰でもじゃぁないでしょうか?
始めのランは、なんとも気持ちいいところであるが同時に根擦れと言う不安が頭によぎる。そうなると次の動作は、魚が止まると直ぐに回収にかかる。3分程すると、ボートもかなり下流に流れて行き、魚とも拮抗状態になった。
‟まさかまた下顎~なのかぁ?”
「まさか、これは40クラス?」
「もっとあったりして・・・・」
何ともまあ期待を持たせる発言が飛び交う中、私は無言らしい。
‟ならいいんだけどなぁ~”
奴は、同じように船下に近づいてからがしぶとかった。確かに回収できてはいるが、時々リールが逆転させられる。
それにしてもこの旧SARAGOSA18000はGTには良いリールなのかなあと思える。僅か300ドル程しかしないこのリール。○○ノさん、お願いですからもう海外仕様と日本仕様共通モデルを出してくださいな。いやそれは、ス○○が売れないなんて言わないでくださいと言われても、言いたくもなった。もちろん、○○○がより良いには決まっているので、懐が痛くない方は、それをお勧めしなくても変わらないだろうからそれは、迷う層にしか通じないことだろう。
ある程度の流れと水深からリフトアップしなければならないこの場所のこの釣りは、やはり堪える。
なんとも‟しんどい“とはこの事であるが、それでもなんとかしなければならない。もう既に状況は、時々チリチリという微妙なクリック音と、リフト&回収の繰り返しなのであるが、これが地味に辛いのである。その辛さとは裏腹に、動画サイト的には、カットの部分かも知れなかった。この地味ながら辛いファイトが、更に5分程続いた。
ドラグ値をあげて、めいいっぱい竿を絞り切る。
どうも浮き方が怪しいが、ファイトの違いは、上がってくる魚で解った。それは30kgにも及ばないサイズだった。
それはそれで辛かったのであるが、良く見てみると、一度はテイルフックがしっかりと顎にかかり、腹側のフロントフックが腹鰭の付け根更に心臓に近い部分にぐっさりと刺さって切り裂いた跡があった。
しかもそれは、あろうことか2箇所もあった。
長いファイトでフロントフックが浪人鯵を引き裂いて、それが一旦外れてから、更に胸鰭の根元に浅く掛かっていた。
それによってバレには至らなかったが、きわどい掛かり方だった。
と言うより、言いかたを変えて推測すると、勢いよく深みから出て来たロウニンアジが、反転して下顎にかかる際にどうも多発傾向にあるような気がする。
シンキングペンシルやミノーでは、真横にがっぷりと喰って掛かっている場合が多い事から、ダイビングペンシルやフローティングペンシルの掛かり方も検討の余地がある。勿論それには、ルアーの浮き姿勢や、長さ、浮力等々、に海況の様々な要因があると思う。よってこれが全てと言う訳でもない。
それにしてもオイカワ、ヤマメと良い成績を残してくれた。どちらもこの南国の海には存在していないのだが。
人を釣ると言う事と魚を釣ると言う事は、全く違うと言うことなのであろう。それは、他の疑似餌釣りに於いても同じ事と言えるのではないかと思う。
嘗てのトラウトフィッシングにはアカキンが定番と言うのもアカキンなど自然の河川には存在しなく、それは強いて言えばキンギョカラーなのだろう。また、シーバスフィッシングに於いても、かつては、レッドヘッドというカラーがド定番とされた時代もある。もちろん現在でもカラーの中でも比較的メジャーなのは間違いないけれど。
こうして、最後はこいつを1本ほど追加して終わった。
決して時間の延長は、無いのがこの船の掟である。そこは、無慈悲にも終わるのである。
‟終わってみればあっと言う間だなぁ~“
こうして長旅というには、あまりにも短い日程の中、観光を1日だけ入れても見たが、一生の中で海外に行ける機会など、仕事等で世界を飛び回る人以外は、そう多くはない。ましてや、パスポートを持っていないまま人生を終える人も幾らかは存在する。自分の両親ともなれば、パスポートも取らないままである。日本が一番ええ、が答えみたいだった。
子供には未来がある
それが良い未来であることを誰しもが望むが、現実は大人たちの目先の利益中心である
テンサパール空港は、様変わりして大きくなったが、帰国の際の夜中のターミナルは皆憔悴しきった感は、今も数年前も変わらない。
変わったと言えば、その腰かける長椅子がカタカタとは揺れず壊れていない事であることと、なんとか座る席も確保できる事である。カフェも然り。こじゃれたものになっていた。
迫りくる現実に、専務と私、N様の3人は、本日迎えるであろう日本の朝をどういう趣で待ち受けるのだろうか。
師走の中、寒い千葉と雪国の人は、ここで旅を終わらせた。
最後は、極めて日本人らしく、ちりぢりばらばらに後姿を残して去って行くのだった。
成田空港は、いつも忙しいようすであるが、我々の心は、からっぽになっていきそうだった。
さて明日がまた来る。
明日が。
せまる。
そして雪国へとかえる人もいる。
楽園の終焉Ⅲ-後編35 ― 2022年02月17日 16:28
さてと、リリース後即続行となりCapt.は再びボートを昇らせた。
俄然やる気の二人が、投入する。
弁当など食べる暇はない。
両名共投げる勢いと、ラインの放出音は相変わらず勢いのある音だった。
一投目、着水後、アクションを加えると直ぐに反応があった。
反転して水飛沫を上げる。
襲われたのは、オイカワだった。そうですあの淡水魚デザインです。
クラフトベイト リアルベイトオイカワ MOON SP
上から170 130 60各サイズ
ここでカラーは、ヒットへの第一要因ではない事への証明のひとつとなるのではないかと思う。
オイカワでもヤマメでも淡水魚カラーでもそれは、人間の主観であろう。
EXEは、旧リョービ社のブランドの一つであった
さてさて、その主は、N様でした。
サングラス越しに不敵な笑みがこぼれている。
‟ちょっと違う意味でこわいかも”
そんな、N様は、一所懸命な時は、‟おねえ”が入るのでしょうか。
誰か教えて欲しい。
ぐいぐいと奴は首を振りながら引き込んでいたが、見ていると、途中からN様の様子と言えば少し楽になった様子だった。
ゆっくりと浮上してくると、それはグッドサイズの立派なGTであった。
これも、下顎と腹のフックが丁度心臓下の位置にガッツリと掛かったらしく、その周辺の肉を切り裂いていた。
首を振ったのか反転時なのか、彼の腹は十字に切れていた。(切腹もんだな、これは・・・・)
ここが、課題である。
いくらバーブレス(カエシが無い針)でもこれでは、致命傷になるのは否めない。
鮮血が流れていた。
この、ゲームと化したスポーツでも相手が自然だけにそれは、死との隣り合わせのゲームとなる。
ここら辺は、ハンティングと同じであるが、過去の反省からかハンティングは厳しいレギュレーションに支えられている先進国も多い。
同じく魚に対してもレギュレーションの決められている国も先進国では多く存在している。
現実は、いつも残酷な結果をもたらすのであろうか。
しかし、これをリリースする矛盾に果たして耐える事ができるのだろうか。
こいつは、将軍様のレコードとなった。25㎏サイズは、それでも貫禄十分な成魚である。
誰も文句はない、ロウニンアジである。
激しい闘争を物語る傷は、拡がって深かった
狩猟行為に近い漁労的要素を100%回避することは、極めて難しい
昨今では、50㎏と言う言葉だけが踊るだけ踊っている今のGTと言う釣りの中で、その半分サイズともなると頂けないと言う人も多いと聞いたが、50㎏は間違いなく最大クラスの老成魚である事には違いないので、
そう簡単に次々とは上がらない。
また、そのサイズが連発する場所ではキャッチ数が、釣行回数が増えれば増えるほど減少傾向にある。
それは、かつての大物連発と言われた場所がことごとく釣れなくなっている事が証明しているのであろうか。
何度もトライした事がある人には、当然の事ではあると認識するが、動画の世界ではいとも簡単に獲れた感がオートマチックに擦り込まれているのかもしれない。
しかもわずか10分以内で。
また、ボートだから獲れると言う事もない。
おかっぱりの方が上とかなんとか、難しいとか、下とか、ハイレベルなのか、そんな事は、更に全く関係ないし、無駄な議論なのだ。
すべてが現実の戦いである事には違いないのだ。
但し隣の家は良く見えるものでもある。
自分と相手(魚)、自然のとの戦いに於いては人の戦いとは本質が違うのである。結果的に、3連続ヒットに時合いとは正にこの事なのかと実感せざるを得なかった。
その後は、更に続くと思われ暫く叩く。がしかし、ここで打ち止めとなってしまった。他の手立てとしては、移動する事と決めてCapt.は次へ(ポイント代え)走ったのであった。
移動してかつての大場所と言われた通称ドーナツで、N様が小型をキャッチした。そこでも1本きりで、反応が今一なのでキノコに向かった。なんと将軍は、このツアー5本目であった。この状況では好調の様である。
母が大事に保管していたその学生手帳がもうかなり年期が入っていました。驚きは更に続き、あの140年以上も男子校でしたが、今ではどうやら共学らしいです。ほんとびっくりでした。私には到底想像もつきません。
楽園の終焉Ⅲ-後半33 ― 2022年01月26日 14:46
楽園の終焉Ⅰ2010年時は、そこまではメジャーではなかったが
2013年当時となると既にその手の釣ではメジャーになりつつあった
嘗て誰も見向きもしなかった頃、友人が〝ただの大きいミノー″と使っていた頃と比べると、今や(2022)どこでも誰でも容易に買えるものになったが、このStrike pro Magnum minnowが台頭するようになると、他社もそれに追従するかのように対大型用のビックプラグが出てくるようになった
商売というのは弱肉強食である
そこで改めてここはと、タックルボックスを見てみる。
セレクトし直しである。
‟これしかないかなぁ”
その、ブルーの1本しかない、リップレスバイブレーション形状の疑似餌を取りだし、プライヤーでその接続部分であるスプリットリングを開きそのルアーの先菅(アイ)を入れ込むのだった。
セット完了。
キャストに移行する。
‟さあ、出番だ、頑張ってくれよ!“
その激流の中へ、投入する。
フリーフォールはさせず、即リールベイルを戻すとテンションフォールに移行する。それをクロスアップリームキャストから流れを横切らせながら、ジャークさせる。クロスから流れの中央付近でターン姿勢になると、竿を少し立て気味にしながら、ラインを流れに噛まない様に、できるだけ水から上げ、ラインが流されないように調整しながら逆引きに近い状態に持って行くのがこの引き方の鍵となる。
そこで 、このルアーの名前でもあるUZUの梅雨ブギィは、トカラ列島のあの堤防パターンを主力として製作されたのは言うまでもないが、本来の使い方は、フォールにあるらしい。と言うことで考えると、この使い方が正しいかどうかと言うには、どちらかというとアウトサイドに入ると思う。そこは、クリエイティブと言うよりも、臨機応変と言う言葉が正しいのかもしれないが、ルアーは、その対象が釣れる事でその本命を全うすると考えるとするならば、それはそれで有りなのである。無論ヒットに持ち込めればの話ではであるが。
竿先から伝わる情報は、明らかにルアーが水にちゃんと噛んで動いている事を表している感じである。その情報からは、バランスが崩れた様子もないようである。それにしても150gのウエイトを投げ続ける事は、並みではなかったがしかし、ことこのロウニンアジの疑似餌釣りではごくごく当たり前の事なのだ。
「いい、潮になってきた。」
Capt.が将軍様に語る。
益々やる気をだそうではないか。
3人でしつこく、かつ、しっかりとテンポよく流して行くが、数投しても追加のアタリはない。そしてそれから、キャストを繰り返すと更に1時間くらいが過ぎ去って行った。
本日も決して状況は良いとは言えない。
しかし、我々には時がないのである。
それが、遠征という宿命である。
梅雨ブギィ150gが海原に飛ばされていく。
直ぐに沈んで行く。
ラインスラッグ(糸ふけ)を取る。
ラインが水に浸かる部分はできるだけ少なく。
ジャーク&ジャーク(しゃくりそしてしゃくり)
竿先が丁度目線に来た時、グンと竿元まで伝わる手ごたえがあった。
ズン、ズンと重く強い引き。竿元まで引き込まれていくのだった。
その合わせは、強力かつバットパワー(根元に近い部分)で縦のスライドフッキングをする。これは、非常に需要である合わせになると思う。
間違いなく奴の引きだった。
無言になってやり取りに集中していると、N様がカメラを回して近づいてくる。
フィッシュ・オン!(開口文学風)
舳にて大勢を整え、戦いに挑む
ゴンゴンゴンと手元まで伝わる重量感。そして首振りの大きさからある程度の型なのが解った。
7kg強に設定したドラグから逆転が直ぐに始まった。ここで焦りは禁物である。
‟ちょっと頑張るなぁこいつ・・・”
当たり前といえば当たり前だが、直ぐには巻けなかった。
そいつは、流れに乗って、首を振ってはまた少し、また少しとじりじりと糸を出して行った。まさに、パラフルでストロングという表現がぴったりである。愛機トラベル73SG-3pcsロッドは、その曲がりでしっかりと耐えてくれている。その合間の隙は、間髪いれずライン回収に入る。ここは、隙あれば糸間合いは直ぐに詰めるのが根に行こうとする魚へのアプローチの鉄則であるかと思う。
今回リールは、今回SHIMANOのSARAGOSA20000を投入した
満を期しての新型である(2013年当時)
2010年当時のSARAGOSA14000F
当時SHIMANOの最新鋭だったSARAGOSAも以降世代交代を2世代している
当時、誰もこれでGTなんて考えていなかったがGTでも全く問題なく使用できたが、当時これを日本でGTに使っている人は私の知る限りいない
14000Fと18000Fは、互換性があり所有していれば直ぐに対応できた
当時のSHIMANOあたりから、国際市場における独走の勢いがあったように思える
※楽園の終焉Ⅱ2011番外編参照
楽園の終焉Ⅲ-後半32 ― 2022年01月12日 09:17
-ファイナル-最終日-
もはや、シンキングルアーと言う存在は、GTと言うジャンルでも無視はできない存在なのかもしれない
更には、カウントダウンミノー的アプローチも出てきたのである。これを使用してもう数年が過ぎ去ったが、その版図は拡がりつつあるらしい
※画像カットしました。
それでも我々にはまた、朝が来た。
朝食の流れは、既にその1で記載したように、最終日も同じ事ではあった。無論、珈琲をしつこく飲めたのも私だけだった。どうやら、我々日本人には、どうも脂っこいらしい。いつも早い時間の朝食なので何とも言えないが、宿泊客のオージー達にはなんのこともないらしい。でも彼らでも胃もたれってあるとは思う。※楽園の終焉シリーズⅠより順にご参照ください。
最終日の船に乗り込むと、今まで何度も改善不能と言われてきたソフトドリンク対策は、大塚製薬の工場がインドネシアにも出来たのか、他の飲料と価格がそう変わり無く供給できるようになったことはこれ幸いであった。大塚製薬のこの元祖スポドリは、合成甘味料が入っていないことが私には大変助かった。どうも合成甘味料と私の胃腸は相性が物凄く悪い。合成甘味料主体のスポドリでは過去酷い目に合わされている。
ストレッチも早々に行うが、5日目となるとあちこち体が痛い箇所ばかりである。今までも大体のスケジュールは、5日間の釣りばかりでこれが当たり前のように感じてしまう自分が怖くなるが、フィッシュナビの担当者の話によれば、それはもう過激度トップクラスと言う事らしかった。どうやら過激ツアー万歳派は、どうやら誠に少ないらしい。
どうせ行くならば、良い潮周りを押えての5日間にも関わらず、海は水もの、予測付かないのはいつものこと。ましてや1日のみ勝負となるとそれは、かなり厳しい。少なくとも3日は、チャーターしてそのうち1日が良ければ(当たれば)良いと言う感覚で挑んで頂ければ幸いである。勿論3日押えたからと言って必ずしも良い結果がでるとは限らない事は、周知の事実ではあるが、それでも納得いかない釣り人が存在すると言うことらしい。更にクレームを言う輩が多少なりともいるらしい。それは、それで全く理解不能と思っても致し方ないところである。
さてさて何故冒頭からそのような話になったかと言うと、それは今回も後半は何とか離れ技で1本はキャッチしたけれど、TOPオンリーで勝負していたら今頃は、おでこ=ボーズだったところだったに違いないと思ったからである。最終日だからドラマを!と切願するものの、気合いとは裏腹にこれまたアタリは全くなかった。それで、昨日の状況からストライクプロを早速投入するものの、それでもアタリは全くでなかった。それは、潮が動き始めてもそれは、変わらなかった。
主力ポイント周辺をあの有名なボートが入れ替わり入ってくる。最近はねっからこのボートが人気らしい。栄枯盛衰を感じるし、今は弱体の一途をたどる国内GTゲームをよそに、インドネシアは熱い。そればかりか他のアジア圏、ユーロ圏もGT熱は世界を駆け巡っているらしい。これは、結果的に日本人が世界に広めた釣りになる。その日本人アングラーも、ロウニンアジをGTと言って理解できるようになったのが90年代半ば以降であろうか。その昔GTといったら車か?と言われたことがあった。それはミスターGTとも言われている私の師匠の功績だが、それを踏み台くらいにしか考えていない後輩達には呆れかえるが、それが業界の弱肉強食理論なのかもしれない・・・かもしくは単純にそれはうやむやにされているだけなのだろうか。
全くもってこのボートが、目障りとはこの事なのだが、相手にとっても、それはお互いの事である。問題は、何が?かと言うと、少しの隙間が空けばそこに横入れしようとするからで、これには少しプレッシャーを感じるので致し方ないところであった。Capt.に聞いてみるとお手上げということらしい。どこでも優劣という暗黙の了解やしがらみがあるらしい。ここも強いものが優先する理論は変わらない。簡単にいうと、ジャイアンということになろう。ここで専務が秘密兵器・・・・と言う事でもないが、ここ1~2年の間に浮上してきた、ベベルジャークと言う商品を引っ張り出す。これがある程度、貢献したのかどうなのか、元祖な釣り方ではないものの、GTと言うルアーキャスティングの線の釣りを、面の釣りにしたと言う事は、90年代では信じられない事かもしれない。このベベルと言う疑似餌は、オリジナルのマグナムミノーにウエイトをぶち込んでプラス90gのウエイトを稼いだものである。コストをそうかけずに商品化するパターンとしては、昨今多用されるパターンではあるが、それでもバランスはとらなくてはならないのでただ錘を入れれば良いと言う訳でもないのが難しい所だろう。
将軍様の方を見ると、彼もその横で見ていたが、彼はベベルを持参していなかった。私も見学としてそれを観る事にしたが、彼のルアーは、軽く投げるだけで飛んで行った。それから専務は、複雑に入れ込む流れに乗せてラインを送りこんで行くのだった。カウントダウン60秒くらい待つとそれは、底近くに到達するらしい。それから、ジャークをしながら巻き取ると言う基本トップと同じ竿捌きに近い動作を繰り返した。表層のそれとは違い、アタリを竿ですべて取る事になる。
それから様子を見ているとまさかの・・・その竿先が入ったと思うと、それはすぐにバットまで曲がりグン、グン、グン、と三段引きのように曲がった。その反動が専務の体軸までズンズンと揺れた感じがした。それからすぐに勢い良く直ぐにラインが出て言ったのである。
「よしキタ~!」
そのPEラインを良く見ると、そのカラ―が変わって行くが、前へ前へと海の中にラインが引きずられている感じに見てとれた。(ラインは10m毎に染色が5色にしてあるタイプ)
なんと、このパターンでも専務は喰わせることに成功したのだ。
そして、我々は、彼が合わせを入れたのを確認した。
糸は出て行くが、一旦止まると直ぐにライン回収に入る専務。そこの間合いの詰め方は、熟知しているようである。
リールの鳴きバネが鳴り、ジージージーと道糸が出ていくのだった・・・・・・・・(平凡で退屈な表現ですみませんこれじゃ小学校の作文ですね)
即ポンピング・・一回目。
2回目・・。
また糸が出て・・。
3回目・・・・・・。
4回目・・。
気合いをいれてポンピング&リーリング作業に勤しむ専務ことI氏
‟おおおっ・・・やった!”
だが・・・・喜びもつかの間だった。
竿のテンションが無くなり、明らかにその先の生命感が無くなっていた。
またまたまた、バレテしまった。
がっくりと首を落とす専務。その後ろ斜め下を目線に移して、片手を腰に当てるポーズは、反省のポーズにはうってつけではあるが何とも寂しい光景に見える。(かなりがっかりなようすだった)
魚はいる。
確かに居る。
そして、その疑似餌を襲い、喰って来たではないか。
どうなのか。
期待するのか。
バイトはまたあるのか。
それでも投げ続けるしか方法はない。
幾ら高性能に作られても疑似餌は、動かさなくては全く意味がないのである。
楽園の終焉Ⅲ-後編31 ― 2022年01月07日 10:37
その日の夜は、昨日釣ったN様のカンパチフルコースにした。
現地のお勧めで向かったそのお店とはいかに……。
国内でも遠征となると、なかなか大変なその後の段取りなのであるが、まさか海外遠征で血抜き〆から冷やす、即日プロのお店へ持参と言う考えられないコースをやってのけると言うではないか。難関をなんとかクリア―したのである。ここはフィッシュナビさんのお陰であるが、何度も打ち合わせして良かったとつくづく思った。感謝に絶えなかった。ただの一文では済まされない、段取りと労力と行動が要求される物凄くハードルの高いことなのは、行った本人達なら誰でも理解できるところである。その苦労は、裏方さんにしか解らないことなのかもしれない。ただ感謝するしかなかったが、もちろん主役の獲物なしでは、すべて実現しないのである。
この準備の部分でのストーリーをあげれば、かなりの量になるので敢えて省略する事にした
開高健文豪ならそれを至極のストーリーで書き上げただろうと容易に考えられる
そう思うと、その文豪が短命でお亡くなりになったのがとても残念でならないが人死んで名を残すのは、容易ではない
※画像カット
不安と期待に待つ私と専務の二人
どちらかというと不安の方が勝っていたが
そのお店の名前は、“ドンドン”(丼呑?➔丼丼)と言う。最初は、どんどん行けのドンドンかと思い、店名こそ怪しい名前(すみませんDONG DONGさん)だなって思ったのだが、その銘々とは裏腹に店長は、料理の腕が大変良かった。この店の創作と言う名の和食の融合さえも、海外で生き抜くためには必要なことが重々承知の上だと理解した。店長兼板長は、特段の腕を奮ってくださった。聞けば、ちゃんとした修行をした方らしい。カンパチの胃袋もちゃんと使って料理されていた。肝も処理されて、旨味を引き出す事にも長けておられた。
海外で良い日本料理に出会う事がそう多くないと言うことを、多くの海外旅行を経験した日本人が知るところであるが、インドネシアでもそれは多分にある。どうせなら現地の料理を食した方が良いのは、容易に理解できるところである。誠に感謝の晩餐であったのは、全会一致であった。
カンパチの懐石コース
カンパチコースその2
目前のコースをよそに、何人かの外国人と日本人が何組か来たが、どうみても我々だけ異常なほど料理が並べられていた。もうこれ以上は口に運べませんという程の質と量に満足した。もう結構ですと告げてから、最後にマスターに聞いてみた。海外で日本食を出すと、味が薄いとか無いとか言われ、濃い味付けを意識しないと満足されない。
また、本来は多用しないマヨネーズを多めに使うことや、ワサビも多めに使うとのこと、照りも少し濃いめに使うなど、海外で商売をしていくということは、伝統的な完全日本食とまでは行かないようだった。もちろん、言語と同じように料理も時代と共に変化するのでそれは必然なのかもしれないと思った。海外で生き残るのは、日本人としての誇りは持ちつつ、ある程度のその場所と融合して行くのは同じく必然らしい。
チーム全員感謝して店を出た。
そのような満腹状態の上に、最後に良い夢が見られれば良いのだが・・・・。
果たしてそれはいかに・・・・。
ドンドンは漢字だと丼丼というらしい
コロナ禍にあっても2022年現在も健在されているようで現地在住日本人の中でも人気らしい
それでもあっと言う間にまた朝が来たのであった。
いよいよ、最終日である。
‟最終日かぁ“それは、本当に最後の日なのだ。たかが釣り風情なのだが。