南方回帰Ⅳ-影と闇と残光2014-17あとがき2023年06月26日 18:20

 蒸し暑い梅雨の最中ですが、如何お過ごしでしょうか。
この調子ですと、今年の夏もとても暑くなりそうです。既に公式FB等でもアップしておりますので既にご存知の方もおられるとおもいますが、今年で月竿も21周年を越えることができました。今まで応援してくださった皆様には誠に真に感謝申し上げます。足掛け29年になろうとしています。今でも厳しい修行時代のことを思い出しますがそれも過去のことです。これらも必要とされるまで次世代に向けての良い製品を生み出し製作していきたいと思います。ささやかではございますが21周年企画をしよう思います。オリジナル世代と次世代への小さな心のこもったプレゼントです。月竿としてはこの昨今の諸事情としては破格です。ぜひこの機会をご利用ください。
21周年記念新型GTRK
オリジナル元祖磯キャステングロッド1002GTR右端#2センターグリップ搭載左端”1
中央3pcsが新型CT1003-GTRK-UM-ARMOR
新型GTRK2
詳細は、別途また情報公開いたします。

 とても前置きが長くなりましたが、それではその17あとがきになります。

あとがき

あとがきにそえて

誰でも過去は振り返るものですが、若者は先を見据えて行かなければなりません。それは、後で過去を振り返るにしても栄光と挫折を語らなければならないからです。挫折は多くの人が必ず味わうことですが、それが無意味とは私は思いません。2022年からすると、既にひと昔前の話になるこの2014年の暮れでの釣りもそんな人生の一コマでしかありません。それもどこかに書き留めていないとその記憶も曖昧になってしまい、歳を重ねる毎に忘れて行くことになるでしょう。また、記憶に残るようにデーターを保管していても、それを顧みる人がいないとそれは、単なるゴミにしかなりません。例えそれを引き継ぐ親族がいたとしても多くは消えていき、その足跡も風化して消えて行く運命なのかもしれません。自分が若い頃は、そんなことを微塵にも考えたこともありませんでした。当時の道具で当時の実績をより重ねること以外に興味がなかったのかもしれません。いつも申し上げているかもしれませんが、道具というものは、30年も過ぎるとかなり違うものです。比較的クラッシックな様式美を重んじる傾向にあるフライフィッシングにおいても、ブランクの性能やガイド、そして一見なにも変わっていないようなリールでさえ、その耐久性やドラグ性能はアップデートされていくようです。

それと異なり、魚というものはその100年、200年、そのまた100年後でも進化することはあり得ません。いつも申し上げていることですが、環境が大きく変わることがある昨今でも、魚は変わりません。(そう簡単には進化しません。)

私は、3歳の頃より魚と親しみ釣りや自然を体験してきました。一応不出来ながら大学の専攻も水産学部水産増殖学科魚類生理学専攻ですが、その名前というと現在はありません。また、懐かしいそのキャンパスも今は研修所になっています。それも当時の私からは全く想像もつきません。その後の人生も全く解りませんでした。解らないことばかりです。それが未来というものであれば、それが解っていれば、ああした、こうした、こうできたと分かるのですが、それも全く解らないものです。そうして10年が過ぎ、20年が過ぎて、30年が過ぎ、更に年数を重ねるとあっという間に生きていれば老人です。そんな短い人生の中での釣りの思い出は一体なんなのかと思います。それを単なる親父の趣味としては真に残念でもったいない気がしますが、人はふつう本人以外のことはあまり関心のないのが現実です。誰それがこんな魚を、こんな記録を、どんな釣法をなんていうことなど後の人にとってはどうでもいいことです。そんな中にある釣具会社というものも全くもって忘れられてしまうものです。この間にも多くの釣具会社が出てきては倒産していきました。それだけとっても解らないことだらけの人生であるとするならば、先人の辿った道を顧みてもいいのかもしれません。

 この南方回帰シリーズも勝手にⅣまでになりました。そのⅤも既にある程度書き終わっていますので、若干の手直しをして近い将来勝手にまた更新してアップすることに致します。誰も期待していないでしょうけれどそれではここであとがきを終えたいと思います。

過去の風景


20226月吉日

2023626日追記

月竿代表

おわり

南方回帰Ⅳ-影と闇と残光2014-162023年06月20日 01:22

 梅雨も早々で、外房は朝夕涼しい日が続きます。
久しぶりにメバルさんが掛かってくれました。尺にはちょっとまだまだですがそれなりに良く太っていました。胸鰭軟条16みたいなのでこれはクロメバル。ほぼ学生時代はメバルはメバルでした。現在は、釣人の多くもアカ、シロ、クロと認識されているようです。とても面白いお魚です。相変わらずもやっつけ撮影ですが。
クロメバル
それではその16です。

                終了とは
500円ビール

沢にも監督のお勧めの軟骨ソーキそば。それも軟骨ソーキ倍増設定の特注八重山そばは、胃袋を十分満足させてくれた。今回も様々な出来事があり、ギリギリまで島に居た。

明日からの現実が大きく見えてきたころ、監督の見送りに手を上げて答えた。

なんとも辛くも、楽しい紀行であった。

オリジナルカレー

マスターオリジナルカレー

ゴーヤがハイインパクト

これが、明日への現実へと繋がるかどうかは、我々次第であるが、点と点は線でつなぐのが一番良い方向なのかもしれない。この島々は、この先も我が国の固有の領土であって欲しいと思うが、本島とのギャップに悩む頃、保安庁の船は何隻も係留されていた。中には、独立や大陸の植民地を選ぶと言う事も聞くが、果たしてその先にはもっと明るい未来があるとは到底思えないのだが。どの国の人も植民地が良いと言う人は無いと思うが、そこは少し信じがたい意見だった。

2014年も終わりを告げようとしていた。

軟骨ソーキそば

特注軟骨ソーキ倍増そば

バラフエ


帰りの荷物は限界まで手持ちとなり、愛竿達も手持ちになった。恐らく、お土産がそのうち最低5㎏はあったと思う。なんとかかんとか、空港に降り立ち着いたがそこからがまた長かった。バスを待つこと2時間、何もすることはないが、離島から田舎道へのアクセスはその10年前よりは良くなったものの流行り田舎の不便なアクセス。それも旅ならば敢えて受け入れる。

 バスを降りると、北風は更に冷たくなった。
「おおお、さぶ~。」
心が冷え固まる前に次への計画を立てないとまたまた凍結してしまいそうだった。まあ、いつも解凍作業からの計画であるから、特段何がと言う事もないが。
 2015年という年が一体どういう年になるのだろうかと考える時、いっそ心は閉ざされようとした。

光と闇。

星と夜。

その先の天。

琉球への旅は、ここでは終わりそうもなく、おそらくは続くかもしれない。

さて、次は何処で待ってくれているのだろうか。

I氏のたそがれ


その5は・・未来へつづく


イソンボリール
その17あとがきへつづく

南方回帰Ⅳ-影と闇と残光2014-152023年06月14日 17:38

6月も半ばで梅雨入りしてからほぼ毎日雨か曇り空です。アップスピードがとてもゆっくりですみません。
南方回帰Ⅳも終盤となります。
つきまろ秘密兵器
それではその15になります。

反省会と言う名の小さな宴会

晩餐会


イソマグロとヨコシマクロダイの刺身
イソマグロはほぼこの鮮度が釣人では難しい
ヨコシマクロダイは、初めて食したがこれが絶品
だった

晩餐会2



 仲間と酌み交わした酒とあるが、酌み交わしたのはオリオンとサンピンだった。しかしながら、その気持ちと心は変わらない。これほど良い時間は、短い人生にとってそう多くはないのではないか。孤独と仲間どっちを取るかといえば、間違いなく仲間である。恐らくそれは大半の人がそうだと思うのだが。極稀に孤独がいい人もいるのかもしれない。

 その後に交わした会話は、当然ドラグ値のプリセットのことだった。

Y監督は、この状況が全く理解できていなかったが、やり取りさえ満足にできないまま糸が切れた事だけはしっかりと認識していた。
「それじゃ、とれないよ。」
「全く獲れる気がしないねぇ。」
と、いやごもっとも。最もやってはいけない事の代表格をやってしまったのだからなんの言い訳も成り立たないのは、専務自身が良く知っていた。その後、確認、議論及び反省会を執り行ったのは当然の事でもあり、自然な事でもあったようだ。
それは、翌日の昼間だったのだが、改めて確認したところ・・・。

“ドラグをFULLポジションに上げたのか?”

と言う質問に対して、なんと上げていなかったと言う事であった。
何故上げなかったのかと言う事に対して専務は、フルポジション=ロックと勘違いしていた事をその時始めて知ったのであった。
なんと、そこに穴があったか・・・。私もそこを反省した。
そこまで彼には説明していなかったからである。
FULL
LOCKではない。また昨今の和製英語のフルロックは、ちょっとおかしい表現になろうかと思う。
この事が、仇になったとは。
あの23㎏のドラグテンションであれば、FULLに上げたとしても1㎏上がるかどうかだったと思うのだが、 それが仮に1㎏でも上がっていれば、止まったかも?知れない。仮にそうだとしても、獲れると言う保障は全く無かったが、プラススプール横をグローブで押えていれば何とかなったかもしれない。
そこで、デモ、シカは禁句なのだがどうしても言ってしまう。

「そこで一旦止まっていれば、プリセットし直せたかも?」
などと話してみても、それは全て後の祭りである。そもそも、ドラグが何故緩んでいたのか?と言う疑問が最初に生じるのだが、その点が今回の最大の失敗であったのは言うまでもない。
 これは、そもそも釣り始める前にレバーのストライクポジションでのドラグ値を確認し怠ったのがそもそもの原因である。後の祭りとはこのことであるが仕方がない。

後の後悔先に立たず。

そのどれをとっても当てはまる。

私も専務への確認を怠ったのも敗因の一つでもある。確認は、大事だと再認識した。

ここで更にY監督の手厳しいご指導が、いっそ怖くなったのである。
それからもY監督の痛い恐怖指導が続くのであった。
Y
監督から差し入れの野菜ジュースを頂きながらのご指導だった。

さて、お昼ご飯となった。その日は、Yコーチ改め、監督、専務、私の3人でと先日釣ったイソンボのお造りと、タマンの薄造り、イソンボ腹身の炙り少々、煮付け少々と島おにぎり、さんぴん茶と専務はオリオンビール。
ささやかであるが、島のごちそうだった。おにぎりには、伝統?のスパムが挟まれている。

 そして、時々、監督の厳しいご意見がまたとうとうと続くのである。

イソマグロハラミ

イソンボのハラミ

この状態のイソマグロハラミはなかなかお目にかかれない

ハラミ2


質素だが楽しい宴会、いや反省会。

さてさて、野人の捌いてくれたイソンボの腹身は、私の予想よりも遥かに身が硬かった。あと1日寝かせなければ味の濃さもまだまだと言う感じだった。そう言えば20年前、F先生と島のすし屋で食べたあの握りは一体なんだったんだろう。口の中でぐしゃりと潰れてしまうあの味気ないネタを思い出した。Y監督に5年前、御馳走になった定食のマグロの味噌和えはなんだったのだろう。それと同じ魚には、思えなかった程に鮮度は保たれていた。
あとは、どれだけ上手に熟成出来るかなのだが。


 そのような小宴会場での時の流れは止まったようにも感じられたが、止まってはいなかった。
 ここにも壁掛け時計がしっかりと時を刻んでいたのであるから・・・・。
 小宴会も早々、後片付けをする。

ハラミ部分

ハラミの部分

大トロなどという表現とは程遠いが最下部の脂肪に見えるのは結合組織なのかとても硬い

火を入れてみるがこれがなかなかでキャキシャキな歯ごたえだった


反省会後、それから、釣具の準備にとりかかった。
本日の専務はと言うと、仕掛け総入れ替えとなった。一気に、道糸と仕掛けを失って非常に忙しそうにも見えた。対して、私の方は、バラフエの5㎏強くらいのを1本釣っただけでそう慌てる事も無かったが、コブシメのイジメには逢ってしまいワイロンは、ボロボロだった。ワイロンは被膜とソフトさが命であるから、そのどちらかが欠けてもNGである。ワイロンの欠点は、そこにある。

 風は一気に北に代わり、気温がぐっと下がっていった。島は、一気に真冬になった。半袖では、とても寒くなって来たので長袖と上着を着る。更に風も雨も強くなった。時折その雨足は、屋根を打ちつけて来る。
それが我々を不安にさせた。
 それでも北であるから、師匠はポイントへは問題ないと言ったので若干安心した。
“そうだ、冬はこの感じの釣りだったな”

いつものように現場に向かい車を降りると案の定、風はものすごかった。そして予報通り、一気に寒くなっていた。
 歩く工程は、その風により倍の辛さがあった。汗よりも、荷物の上に強風で吹き飛ばされそうな感じだった。ビュービューと強風が我々に容赦なく吹き付けたが、それでも最後と移動を始めた。これは辛い。専務も監督も風が凄いし、雨が酷いなんて言うものの落ち着いたものだった。崖から見下ろすと、荒れ模様の海上でこの急な天候の変化に果たして魚が掛かるのかと言う不安も少しずつ出始めた。がそれはいつものこと、我々に明日と言う日は無いのはわかっている。泣いても笑っても最終日には変わりないのである。

北風のフォローもあって仕掛けは良く飛んでくれるし、バックラッシュの心配も殆ど無かったが、磯に立つ我々には過酷な環境であった。今回の遠征では、もう必要ないと思っていた長袖を着こみ、風雨対策にと予備に積んできた、レインギアの上下を取り出した。流石に今日は、防寒具もフル稼働で、役にたったと同時にここの準備を怠らなくて良かったと思った。万が一に備えて持参するのは、アウトドアスポーツには鉄則である。今日は、その備えの有り難さを実感する事となった。

吹きつける北風。

体を吹きぬけては、体温を奪って行く。

そして、追い打ちの雨。

よこなぶり。

体感温度はかなり低く感じた。

フードまで被っての本日となった。

実弾も底をついてきたので、まずはコバンくんを始めとした、ベイトの確保から入った。そのような状況1時間が過ぎると、体力もかなり落ちて行った。
 体温が奪われる。
そこで、冷やしておいた水をクーラーボックス外に出し、その水温を上げた。
こんな日に冷水は、更に体温を奪うのでNGである。


 雨の合間を縫って、菓子パンを齧って体力を補おうとした。

それから2時間が過ぎても、反応は全く無かった。

とても辛くなってはきたものの、まだ諦めてはいない。

監督が、崖を上がって風の様子を見に行った。
暫くすると

「おお、凄い風だよ!」

「吹き飛ばされそうだ!」

そう言うと、何やら歌など謳われている様子だった。

月が雲に覆われて隠れていた。
雲と雲の間に僅かに出てはまた隠れた。

光と光の狭間。

闇の中の闇と雲。

心も闇の中。

光は何処に見えるのか。

闇の月

BLACK MOON

ブラックムーン。

黒い心と闇と鬱。

光と希望。

それが交互に映って行く。

流石に3時間。

この風雨に晒されて、体力も更に低下して行った。それでも私と専務は、希望を捨てることは出来ずに最後の望みにかけた。

万が一の餌不足対策として、コバンアジを確保する。ことのほか、こいつの皮はものすごく硬かった。カットゴリラ針でさえ、ある程度貫通させるのに力を要したのには少しびっくりした。更に潮止まりともなると、このような状況でもコブシメのバイトは、何度もあった。彼らは、どれだけ餌に執着するのか。

4時間が過ぎて、更に希望が薄らいできた。

全く持って本命の反応はない。

開始から6時間が過ぎた頃のこと。

専務に待望の反応があった。

「なんか、怪しい反応だなぁ。」
「また、外道かな・・・・。」
専務は、完全に気を抜いていた。
その言葉を聞いて、一先ずテンションを下げた私ではあったが少し気になった。

「判らんよ、ちょっと寄せて合わせてみたら?」

専務は、それを聞いて、次のアタリでその如くに合わせを入れてみた。

 13.6f1回煽り、二回目の追い合わせを入れた。
するとそいつは、一気に沖を目指して勢い良く糸が走りだした。

「ああっ、それはイソンボだよ!!

それから、専務は、我に帰った如く、必死の形相に代わった。
その間が果たして良かったのか、悪かったのか、奴は沖にぐんぐんを走りだした。ギューン、ギューンとリールからクリッカー音がけたたましく夜空と風の狭間に鳴り響き、竿は弧を描いたまま一度もポンピング出来ないでいた。
魚は、勢いを増してどんどん沖を目指して行く。彼が完全に腰を落としての姿勢を確認してから、何とか映像に撮っておきたいと考えた。

ここは、デジカメよりもムービーに残したい。

“ええと、撮影、撮影”

監督に任せたいところではあったが、監督は撮影する事は出来ないので、私がカメラを取りだす事になった。
漸くセットして、スイッチを入れた。

糸は、相当出されている事が気になった。
ギリギリリとリールが音を出したままで更に焦りを誘うのであった。
クリッカー音に紛れてナイロンのパリパリと弾ける音が合い重なった。

「ああああ、っ・・・・・。」

「えっ・・・・。」

「まさか・・・・。」

そこで落胆してしまった。

「やはり気を抜くと駄目なんだよな~。」

と監督からも厳しい意見が下された。

後にも先にも本日の一撃は、この一発だった。

重い水達をすべて磯場に撒いて、掃除片付けに入った。

食べ物もすべて片付けた。

餌ももう残ってはいない。

補充したコバンアジももう必要なくなった。
ここでストップフィッシングとなった。

その後、監督はおろか師匠からもお叱りを受けた事は言うまでもないが、専務はそれを喜びながら受けていた。最後は、実践と現実を受け入れた分がすべて財産なのを我々は知っている。いくら情報がありふれて、氾濫してやまないバーチャルや動画の世界では決して悟り得る事もない、現実で結ばれた体験と人間関係。最後はそれに尽きるのではなかろうか。
 釣りと言う行為は、バーチャルゲームでも動画だけの世界でもない。
そこには、実践のみが全てなのである。情報や動画は、目標を掴む為の一手段に過ぎない。また、その人が積み上げたものでも経験したように見えてもそれは見えただけ。
何も残る事はない。
そのような当たり前の事ですら、私達は忘れてしまう場合があるのはとても残念である。

HXW


その16へつづく

南方回帰Ⅳ-影と闇と残光2014-142023年05月22日 17:30

 5月も暑かったり、寒かったりとその落差も10℃を大きく上回ることしばしば相変わらずの気候に早くもバテぎみです。
夏服と思ったらまた春服を取りだしてみたりします。
富士リールシートフード
今まで修理したり、取り換えたりした富士工業製のシートももう古いものは30年以上も前の型です。歴戦を渡り歩いたこれらは、常に縁の下の力持ちであったことは言うまでもありません。
 それではその14です。

さてさて

島の猫


それでどうした
Y監督は、コーチ兼任と言う事

ここで翌日は、Y氏の来島である。
なんとか間に合った様子をとうとうと我々に話してくれた。それを、まず受け入れて聞くに徹した。おそらく、それなりに大変だったのであろう。

「ぎりぎりだったよ~なんとか間に合った!」
相変わらずの元気さは、年齢を感じさせない。Y監督はバナナに拘っていた。バナナは、釣りに欠かせない様子だった。野人もそのバナナが好きみたいだったからかもしれない。しかしながら私とI専務は、それに全く関心も興味もないのである。

 コーチ兼監督を依頼せずとも、きっとその位置には立ってくれるであろう。
いや、その位置にすぐに立ってしまう。本日の釣りはきっと賑やかになるだろう。きっと。それはそれで、面白いので受け入れるのである。
レギュラーメンバー化と言うよりもコーチ化のY氏は、果たしてどのような指示とコメントがあるのだろうか。

さてさて、その時間となると今日も出発する。当然ながら3人分の荷物は、重い。年の功で、Y氏は最低限の荷物で次に私が20kgほどを背負って、若い専務が40kg近くの道具と食料、水&PET氷を背負う。汗が滴るのはもう馴れて来た頃で、ドライシャツが有効に効いているのか、少しばかりラジエーションが効いた様な感じに思えた。

 現場の上にY監督が立つと、その高い位置から我々を見下ろす。
監督の眼下は、我々と海原、小宇宙の二人。
三人と言うのは、何故なんだろう。
二人よりも力が出る感じがする。きっと。

潮は、左から右に流れている。

監督は、暫く監督として頂くが二人は竿を海原に向ける。
風も少し南より。
波も幾らか大きい様子。
向かい風の釣りとなる。
唯一コンベンショナルリールが苦戦する向かい風キャスティングだが、そこはブレーキのかけ次第となる。それでも、バックラッシュ気味になるのが嫌なのは誰でもそうである。

波間に浮かぶ仕掛けと竿2本。

奴を迎え撃つ。

果してそれは・・・・・・。

その日の奴も、突然やって来た。

仕掛けがグンと沈んだ後、横っ走りするのが月明りに照らされて魚体が動いたように見える。

反転前なのか、うっすらと白銀影。
喰い上げた様に感じた。

その竿先は、どちらなのか。

その竿はと言うと、専務の方だった。

「おい!それはイソンボだ!!」

そいつは、高速で右に泳ぐと、大きく進行方向を変えて今度は沖にまっしぐら。これは面白い!
高速加速は止まらない。
リールクリッカーは、ジージーと言ったまま鳴きやむことは全くない様子だった。
ここでやってはいけない事、スプール押さえ・・・なのだが。
専務は、それを咄嗟にやってしまった。
当然あっと言う間に指が火傷した。

やられたい放題とはこのことだろうか。

どうやらトラブル気味なので私が、フォローに入った。

ラインは、ぐんぐん引きだされて行く。

その間、1分程度の時間。

“ちょっとこれはおかしいぞ?”

「やばい、バッキングまであと少し。」
「こりゃ、参った!」

遂にバッキングPEまで見えていた。

「ド、ドラグが利かない!」
「えっ!!

そこで咄嗟に思いついたのが、サミングしながらレバーをフリーにしてプリセットし直すと言う事だった。今思えばそれがベストでは無かった事に気づくのだが、後で気付いたのは、翌日の会話の中の事であった。
 何とかこの現状を咄嗟の判断で解決すべく、指でグローブを押えるには少し不足と、人差し指と親指で押えに掛かるがアッと言う間の間で手を離さざるを得なかった。当たり前と言えば当たり前であるが、即火傷した。
なんと私のグローブも指が抜けているカットタイプな上に専務はというと、なんと言うことかグローブをするのを忘れていた。

 それでも私は、レバーを下げ切り、ブリセットつまみダイヤルを回してレバーを上げた。

「よし、行けるぞ!」

その間は、30秒と経っていないと思えたが・・・・・。
レバーを上げた時には魚は既に付いていなかったようだ。
沖目のブレイクラインまで走り切りのブレイクであった。
正に逃げ切られたとはこのことなのだろうか。まさかの逃げ切り。人為的ミス。

当然の事、専務はライン回収には暫くかかった。

ドラグは、23㎏しか利いていなかった。
これでは、止まる筈がない。
10
㎏程度の小イソンボでも簡単に糸を出して行くのは容易に想像がつく。白い影はもちろんそんな小型でもなかったように思う。

暫し、リセットには時間がかかる。
専務は、フリーズしたかの様だった。

それが、落胆なのか、脅威なのか、心の整理がついていないのかもわからぬまま。

全くの放心状態とはこのことである。

この間数分の出来事である。

気を取り直して仕切り直しとした。このまま、引きずってもなんのプラスも無い。なんでもそうなのだが、この手の釣りに於いても気持ちの切り替えは重要である。それとは裏腹に、二人の指先は、火傷でひりひりと痛んでいた。
それが、悔しさとなってふつふつと湧き上がるのを抑えるのに必死であった。

 専務は、悔しいと言いながらも再び仕掛け製作に取りかかった。

気を入れ替えてなお、また悔しい。

その悔しさを引きずったまま時間が過ぎる。

そしてまた、時間が流れて行った。

それからまた1時間が過ぎても反応は、無かった。

それからどれぐらい時が過ぎたであろうか。
2時間なのか・・・。

3時間なのか。

もうどうでも良い感覚にも襲われたように感じた。

真冬なのに汗が出る。

緊張で喉が渇く。

そして水を口に入れる。

暫くして・・・・また・・・・・・動く。

それて、再び専務の仕掛けに動きがあった。

「きっ、キタっ!」

今度は、空かさすファイティングポジションに入った。どうやら、運気の流れは専務に傾いて来たようである。

 いつも不思議と思う事が、運勢やその気運は常に移動していて流れが変わって行くのを感じるのは当然私だけではない。実際、同じ様に同じ事をしていても、これだけ差がでるのは単なるテクニックだけと言う訳ではないのではないかと思う。もちろん、同じ条件に近い状態での話であるが。

その時の口癖は決まってこうである。

「なんで同じ様にやって同じコースと棚でこうも違うんだろう?」

 今度は、渾身の力でとバランスで耐えている専務であった。
「よしよし、よっしゃぁ~!」
完全に流れは、これで専務に傾いていた。

「あっ・・あれぇ!・・バレタ。」

「えっ・・・マジかよ!」

更に残念そうな顔持ちで専務は、がっくりと気を落としながら、ラインを巻き取るその後ろ姿があった。

「くそっ。切れちったかな?」

それは、切れてはいなかった。

「おいおい、香取神道流!」

しっかりと針が彼の手元に帰ってきた。なんと、バレである。(フックアウト)掛かりが浅かったのであろうか。なんとも派手に現れて、あっと言う間に寂しい海からの回答であった。

流れは変わり運気も変わったが、何かが足りなかった。それは、経験値だったのかもしれない。

その悔しさは、今まで何度も味わって来た。
敗北感も、脱力感も。

そして、挫折も。

だがそれだから、辞める訳には行かないのである。釣り人よ、大いなる釣師になるまでは。

その日の帰り道は、重かった。
明日への希望を引っ提げてはいても、敗北は敗北であるから。
時折足の筋肉がピクピクとしていた。

大になる敗北の足並みはとても重いのである。


夕べの武者

その15へとつづく

南方回帰Ⅳ-影と闇と残光2014-132023年05月12日 18:37

 5月の大型連休も終わり、みなさんそれぞれご満喫された方もそうでない方も等しく今日も過ぎました。その後も安定しない天候がつづき、暑かったり、ちょっと北にかわると寒かったり。これでは、安定した釣りも望めないことも多いです。そして震災以来の地震に恐怖と脅威を感じた今週でした。
 さて、特別追悼文にほぼ二ヶ月ほど費やしてしまいましたが故人を偲びつつも、そろそろ南方回帰Ⅳのつづきに入りたいと思います。
 私の連休は、急ぎの仕事もあってほぼ無きに等しい感じではありましたが誰でもそれは往々にしてあることです。それでもその合間を縫って小物いじめとかできました。かつてのロウニンアジやイソマグロ達はとても力強く、その生命力を示してくれましたが今は小物と戯れても小さなビックゲームを繰り広げられるだけでも好敵手であることは間違いなさそうです。
 世の中というのは、無慈悲なもので過去の栄光はすべて抹殺されてしまうようです。
さて、その13です。
大変暫くぶりに更新致します。
小物との戯れ
小物いびりな日々とタックル


午後のはじまり

たそがれ


せっせと本日使用分のリグを纏めてから、リールの糸を巻き替える。もちろんそれを新品に巻き替える。その時いつも多少の勿体ない感が漂うのだが、そこは切り捨てる。芯の方は、まだまだ新品なのだがそこで結節するわけにもいかず捨ててしまう。専務は昨晩一度も傷つけることなくラインを回収したので、本日はそのまま行くらしい。ちょっとだけそこは余裕だった。

気持ちとは裏腹に、地味な作業が続く。
それも釣りと言うことなのですがね。その準備に注ぐ2時間が直ぐに過ぎた。

 そうこうするうちに定刻となり、荷物をR号に積み込み再び現場に向かう。R号から見える景色の中に、たまに公共工事がゆっくりと進んでいる様子が見える。がそれも、結構マイペースプラス少人数で路面も修繕するよりも傷む方が早い気がする。管理しているのかどうかも解らない道路沿いの植木も若干だが直している様子が伺われた。街路樹と言われる植木等は、島には無くても良い気もするが、公共工事と言うのはそのような要素だけというものだけでも無く他の理由の場合があるのだろう。

 現場に到着すると、即出発の準備となる。その間にも汗が滴るこの島の冬であった。本日も基本的に暑いが、日中の気温は29℃を超えていた。まさに夏の気候だった。

 日が沈むにはあと1時間くらいありそうだが、昨日と同じ要領で磯場を渡って行った。明るいうちは、ポイントまでの道のりがとても楽である。神眼状態よろしく、天と地の差を実感する。

ハイテク車

到着するともう細かい説明は、必要ないのでお互い個々にせっせと準備を始める。とその前に、早速一本目のペットボトルを空けその乾いた喉を潤す。

小休止。

そして、深呼吸。

それからは、波音を挟んでくる竿を振る音。

リールスプールが回転する音。

波が岩に打ちつける音。

南風の音。

そして、そこに暫く沈黙の二人。

その沈黙が祈りに変わるにはまだ少し遠い。

 潮が止まると、速攻コブシメの猛攻にあう。おかずにはうってつけだが、相手ではない。1本針では、おかずの外道キャッチにもならない。
気になる餌にもなるオオメカマスは、現時点では居ないみたいである。変わってマルコバンアジが餌取りとなってつっつき始める。想像では、有力大外道である筈のアオチビキの中大型があがっているはずなのだが、ここまでバイトすらない。不思議である。(音沙汰ない)
マルコバンは、以前専務の地獄リグによってその正体を突き止めた。今回の餌取りの主役はどうやらこいつのようだった。

 小型外道の猛攻とコブシメの猛攻が続くとなると、オカズ釣りでもしてみるかとボトムを探るが、いつもは掛かる筈のヒメフエフキやハマフエフキ、キツネフエフキ等の攻撃もない。あの頂けないヨコスジフエダイも釣れてこない。変わって苦労の末に、タマン18号針に喰ってきたのは、ゴマヒレキントキと、ホウセキキントキ、カゴダイ類である。これは一体どういうことか。

 それから間も無く、お月さまがゆっくりと登り始め、全てを照らし始めると、うす暗いダークグレーな景色に変わる。
水の透明さが判りそうなくらいの光。

余計な人工の光が無いこの場所では、それが全てである。
 我らがあのLEDとケミライトを点灯しなければ・・・・。

ケミライトのホワイトとグリーンを割って振る。
足元を照らす用としてかなり役にはたっているのだろう。
何せ、月明りがないと真っ暗闇になってしまう。
※ケミライト:ルミカ製の2液混合型の発光体。

 餌取り軍団に少々披露困憊気味の中、売店で買った菓子パンと水をお腹に入れて行った。腹に入れるとはこのことで、味も何もあまり関係ないこの場面。

 そうこうするうち、あっと言う間に2時間が過ぎた。

本命は、まだ来ない。

来るのか、来ないのか。

来るその時は何時なのか。

二人並んで海面を見て、天空を仰ぐ。

仕掛けが馴染んでくると、専務のすぐ数メーター離れた位置で同調して流れて行く。

更に動きがあったか、前アタリがあって直ぐにケミホタルが横に移動する。

「ん?!・・・・。」
ラインを巻き込ながら合わせ、また合わせと2回程。

ずっしりとした重みと共に一回目の締め込みが訪れた。
更に一回、ポンピングで更にまた一回とラインを入れて行く。

ギィ・・ギリリィー・・・とクリッカーが鳴く。

更に踏ん張って溜めると、必死の抵抗を見せた。

「んっ・・・チビキか?何だ?これは!」
このパターンは違う魚かな?とも思える。

ジリリィ~とリールは鳴くに鳴くけれど、強烈なダッシュはない。
但し、小物でない事は確かだった。

竿が、大きく弧を描いて糸が吐き出されるギリギリのところまで頑張ってくれているが、リールが時々耐えきれずに糸を海中へくれてやる。

 数分が過ぎたころでも奴は、全く浮かなかった。
それどころか、引きの力がそう変わらないのは不思議である。

「こりゃなんだろロウニンかぁ?・・!」

一進一退の引きでだが、昨日のモノとは明らかに違うサイズだった。
 すると今度は、右に左に走りだした。横に移動すると言う事は、もう沖にまっすぐ頭を向けられないと言う事でもある。走る方向を見ながら寄せにかかるが、案外とそれはしぶとかった。

更に数分が過ぎて計10分が過ぎたころ、奴が足元下のエグレを出たり入ったり左右に泳いだりした。一瞬気を抜きかけたがそこは、また失敗すまいと気を入れ直した。
 ここの詰めが案外と辛いのである。

“この動きはどうやら本命のようだな”
そう思えた。

「イソンボか?」

浮いて来ないか、専務に確認をお願いする。

「う~ん~?まだ浮いてないです。」

「ライトを当ててみて!」

専務がラインの下にいる奴をLED全開で照らしてみる。
一歩踏み込んで前進して下を観ると・・・・。
光に反射してはっきりと銀色に輝く腹部が横走りするのが私にも見えた。

「イソンボだ!間違いない!」

そこから更に気を引き締めて数分を戦った。

「どうだ。浮いたか?!」

「まだです!」

もはや全く糸を出す気力もない状態の奴 には違いないが、ここの詰めでは、オーバーハングの先端岩に擦らない様細心の注意が必要である。
気を抜かないように。

更に魚は右に左に一往復。
丁度楕円の動きに近い。

「浮いたか?!」

「もうちょっと!」

更に一往復させる。
楕円の動きは少し遅め。

いよいよその力を使い果たしたか・・。

「浮きました!!」

「イソンボか!」

「イソンボです!」

「デカイんじゃないですか!?」

「ああ、Jちゃん、そろそろランディングお願い!」

頃合をみて専務に落としギャフを依頼した。

奴は、完全に腹を浮かせてぐったりしていた。そいつは、腹を浮かせて殆ど動かない状態になっていた。完全にグロッキーな状態である。ただ波間に腹を見せて漂うだけのイソンボ。これを今まで何度みたことか。

 そこから専務は、迅速で初めてのランディングにも関わらず、その先の物凄く手際が良かった。そんな中段取りどおりに行かなかった部分は、ランディグギアとそれを扱う人の方ではなく、仕掛けそのものだった。遊離するシステムが上手く起動しなかったのである。これは参った。しばしの苦戦の後それは解消されたようだった。

「かかったか?」

「かかりました!」

専務の離れ業でなんとか腹部にギャフを掛ける事に成功した。

「あれ、重いですよ!」

確かに、水汲みバケツでもなかなかなので・・・・・・それが容易であれば魚はかなり小さくブリサイズになる。

8mの落差を専務は、少しずつ手繰り寄せに入りそれを独りで揚げてくると。

胸鰭と腹鰭


他のマグロ類とは一線を期すイソマグロの胸鰭と腹鰭

 

なんとかずり上げてきた。それはまさしく奴だった。

やはり奴である。

正真正銘の奴であった。

イソマグロ、何処からみてもイソンボである。

「これ、でかいんじゃないですか?」

20㎏くらい前後じゃぁない?」

「もっとあるように見えるけど・・。」

「まあ、20あるかないかじゃないかな、計ってみるか。」

持参したバネバカリで実測してみると、思った通り実測で20㎏を僅かに欠けていた。このサイズは、敵には変わりないがもはや強敵ではない。ただこちらの体力が明らかに落ちているだけである。

頭部

一先ず安心してほっと肩をなで下ろした。
と同時に思い出すのは昨日の奴のことだった。

あと数メートルで切れた奴。

そして、5年前にあのラインを切って行った奴。

敗北に敗北を重ねてあるこの釣り。

この場所でのキャッチ率は、それなりに低い。

我々にとっては、最早20㎏代を強敵とみなす訳にはいかなかった。
目標を達成するまでに現役である事が必要条件であるからだ。
現役である事は、これからの人生ではそれまでの人生より長くなる事は恐らく無い。焦ってはいないが、少しばかりプランを見直す必要がある。
あらゆる、リスクを考えてのプランが。若い皆さんもそうした方が良いと提案できる。なぜなら、仮に人生80年~としても、この手の釣りに現役参加できるのはR師匠の釣り人生で60歳リタイアを標準としたらもう半分もない。
二十歳で初めても40年。

三十歳で始めても30年そこそこ

四十歳で始める事ともなれば20年足らず。

 現実は、必ずしも予測通りとはそういかないのである。
私の諸先輩が現役または、リタイア後、続々と故人になって行くのを目の当たりにしているからか余計にそう思うのである。

 もし、あなたが、高齢になったとしても、余力があるなら残りの趣味を楽しまれたら良いと思うが、その時は今以上に肉体的制限を強いられる事は必至なのでそこまで考えて楽しんで欲しいと思うこの頃である。私もそうであったが、それを冷静に考えられる様になったのは40歳を過ぎたころからだった。だからそれが、若者にとってその考えに及ぶには少し難しい事なのかもしれない。だから敢えて書こうではないか・・・と言う気にもなったのである。
釣りは、様々な形態があるので釣り自体を辞める必要など何処にもないのだが。果してそれまで健康でいられる保証もないのだ。

人の人生は、生まれた時と死ぬ時は自分自身では決して決められないのであるのは不変の真理でもあるように思う。恐らくこれに異を唱える人が居るとするならば、それは死ぬ時であろう。勿論それは、意図的な行為によってしか成り立たない事ではあるが・・・。

イソマグロ2


「さて、下ろすか。」

「はい。」

ここからは黙々と仕事をこなすのだが、何分ファイト直後で少し疲れ気味な上に手首に力が入らない。

それでも、鰓にナイフを突き立てた。

鮮血がどくどくと流れる。

それを専務が水で流してくれるが、また出る。心臓が止まるまでは出続けるのだろうけど、ここは、殺生と言う最高の概念までに持ち上げるには必須な作業である。

彼らの一心房一心室の心臓が止まるまでは。
血抜きが終わると今度は、腹出し、腎臓を取り出してまた洗い、一旦下処理は完了となる。

それから、それを背負い一旦帰宅する。
これが本当に、「骨が折れる」と言う作業である事は言うまでもない。

それからしつこくもまたまたポイントを目指して辿りつき、竿を出すのであった。それがこの釣りを更に過酷にして行くのであった。その工程をいちいち考えるとうんざりなのだが、その場では前向きに取り組んで進めるしか方法はない。

その後は、野人【先輩】の協力によって、解体はされていた。とても有り難い。
真夜中の解体。
それは誰でもできる事ではないが、野人はプロである。
帰宅後は、野人がすっかり柵取り前まで終えていた。

感謝の一言につきるその日の一日と朝方だった。
冷蔵庫は、柵でいっぱいになっていた。

ほっと一安心である。

遠征では、これがなかなかできないことが殆どである。数ある遠征をこなした人であれば、それは容易に想像がつくことである。それだけ磯の釣とある程度の魚肉としてのクオリィティーを保つことは容易ではないのである。ましてや鮮度落ちの激しいイソマグロとなれば尚更である。

イソマグロ3

ぞの14へとつづく

南方回帰Ⅳ-影と闇と残光2014-122023年02月03日 20:55

 大寒もよろしく、寒い日が続きますね。今日は雪がちらつきました。雪国からすると特段珍しいことでもないですが、年数回の雪の為にスタッドレスタイヤを履いています。
 さて、昭和の頃の話です。クローズドフェイスリールと呼ばれていた時代になんともカッコよさをそこに見出したのは45年近くも前の話です。つまり半世紀も前の話になりますが、ぼくらのルアー釣り風の本には必ず出ていたものです。当時は、ダイワ精工もそれなりに力を入れていたようです。アメリカ市場を狙うにはある面必須だったのでしょう。ゴールドキャストという高級機種から私が小遣いを溜めてぎりぎり手が届いたシルバーキャストSTまで結構バリエーションがありました。でも一番欲しかったのは誰もがその名に憧れたABUのマチックです。当然買うことができなかったのでSTとこのミニキャストⅡを買いました。
ダイワミニキャストⅡ-1
 まだ実家に転がっていました。そのままです。海で使ってろくにメンテもしていないのでボロボロです。中学の頃購入したダイワ精工のPHANTOM PPC-55Lも出てきました。これは学生の頃まで使っていました。相棒のシルバーキャストは、どうやら学生時代に壊れて捨てたようです。この竿にシルバーキャストのコンボでアイナメの2.5㎏を掛けて往生しました。小学生の頃からメンテナンスを覚えていたらこうはなっていなかったと思います。かつては自称ダイワ精工ヘビーユーザーだった?のは間違いない・・・のかもしれません。単純にABUが、いい大人しか買えなかっただけなのですが。
ダイワミニキャストⅡ-2

さてその12になります。

ワイロンという存在

ワイロン仕掛け


大洋ワイロン(アルティフレックス)

The Wylon Ulti-Flexstainless Wire leader material-the ultimate in flexibility and strength

各種釣・漁具用品及び装飾用ワイヤー

並びに関連材料卸

ワイロン仕掛け2

長谷川勝美氏本人による製作仕掛けと直筆メモ

各台紙にもその思いが沢山詰まっていた


 ワイロンと言えば・・・。
これを考案した故長谷川氏の話は、ちょくちょく出てくるので少し話が重複する部分もあるとは思うのだがそれは、それだけ私がとても感謝していることだと理解頂きたい。私は、長谷川氏の晩年(しかも80過ぎ)しかお会いした事がなかったがとてもすばらしい良い方で、研究熱心な方であった。余程昭和の時代に釣りを研鑽されているようだった。その当時のお話をお聞きすれば、それがとても良く解った。誰でも現役時代はあるし、ピークはあると思う。それがどれだけ長いかはその人次第なのだが、長谷川氏はその枯れた枝のような手ともう裸眼では殆ど見えなくなったその老眼で多くを教えて頂いた。とても感謝に絶えない。面白かった当時のお話しも私の記憶の劣化と共に薄れようとしている。細かいことが忘れてしまってゆくのがとても残念であるが、アメリカのフライフィッシングの一部のSWマニアにも使われていて、アメリカへも輸出しているとのことだった。なるほど、それで英語表記もあるのかと理解した。それ以上フライフィッシングについて聞くことは無かったが、歯物系に使用されていたのもその流れからとても良く理解できる。東海岸であれば、ブルーフィッシュなのかな。フロリダなら、バラクーダやシャークも狙うと思うのでサメ対策も大いに頷ける。ここが我が国と違うところでもある。我が国のフライフィッシングは、完全絶滅はないにしろ、絶滅危惧にまっしぐらな感じだ。それも更にSWともなるともっとそのランクは上がる。今のままでは、先細りもいいところだろう。日本における大手釣具メーカーのその力の入れ具合のなさが市場の衰退を物語っている。


その後、ワイロンと長谷川氏の存在がとても釣りの幅を広げてくれたのだが、それもどうやら今現在は進化する事もあまりなさそうな感じを受けるのは恐らく私だけなのだろうか。
 その後、しばらくして会社も譲渡されアイテムは増えるが根底にあるスタンダードなあのワイロンのアイテムは縮小方向にある。特にカラーアイテムの減少については、これも世の中の流れで仕方のないことであるし、現オーナーの考え方ひとつで決まって行く事なので、そこは干渉の余地はないと認識している。しかしながら、とても残念である。それも無念に近い形で。

ワイロン仕掛け2

ワイロンにはそのカラーが何種かあるが、赤でも黒でもそうこの本題でもある釣りに関しては、大差がないみたいである。また、バラムツやアブラソコムツにもこのワイロンがかなり有効である。もちろんこれに関しては、職漁時代は、ステンワイヤーで行われていたので、被膜が無くてもいいらしい。筆者は、過去300匹いやそれ以上釣ってみたけれど、そのカラーによっての釣果の差は見られず、赤でも黒でも海藻と言われる緑でもカスミと呼ばれるシルバーでも釣果にその差はあまりみられなかった。しかしながら、旧ワイロン台紙にはそのカラーにはその意味がそれぞれあるらしい。また、ロウニンアジの泳がせについて質問した時は、霞がいいとお話しされていたのを思い出す。それは、長谷川氏が実証したと思われるが、当方にはそれを比較したデーターを取るまでに至っていない。
 その他、長谷川氏が考案したワイロンリグは、多く存在していたけれどどれも絶滅の方向に限りなく近づいているのがとても残念である。今思えば、もう少しお元気な頃に、ベンダーズ製品とりわけワイロンの使い方及び仕掛け集でも執筆してもらえば良かったといつも思う。今やその氏のデザインした台紙さえ、全く違うものになっていたのはとても寂しかった。またひとつ、小さな現実が変わってしまった。それも時の流れであると思う。所詮趣味とか娯楽と言われるものの多くはそうなるのだろう。

今でも、長谷川氏がその時語ったことが昨晩のようであり、後継者が先に死んでしまったんですよまだ若かったんですがね。という何ともか細くも無念ながら語ったことが忘れられない。

プロギアとワイロン

時代は、流れて行くものでその多くは継承すらされない。それは、砂漠の足跡に似ているのかもしれない。


ダイワみにキャストⅡ-3
その13へとつづく

南方回帰Ⅳ-影と闇と残光2014-112023年01月21日 18:46

 1月も後半になって来て漸く寒波も到達するうようになりました。こんな日は、コーヒーより熱いほうじ茶が合っているような気がしています。もちろんコーヒーは愛飲しているのですがね。正月太りよろしく、ちょっと甘いものは控えましょうか。
 巷では、コロナ禍以降ぶりにフィッシングショーが行われているようです。そういえば、横浜へはもう何年も出向いていません。2020階催事よりも盛り上がっていればいいのですが。
632-S100- 01xp 2-6Lb White&Red
新年なので紅白ということでアップしようとして今になりました。
旧暦の正月ということで。
 
それではその11になります。

それからの一撃

モクズガニ


THEN A BLOW

スッポン


一撃で仕留められればそれは達人である
一撃がだめなら二撃
二撃が駄目なら三撃、四撃と攻め続ければ良いことなのか
そうすれば、おのずと隙は見えてくるのかもしれない


いつもの日常と同じ様に目が覚めた。習慣と言うのは、よほどの変化事が無い限り続くみたいである。ふと隣で寝ている専務を見ると、熟睡の様子だった。それもその筈、専務のライフスタイルからすると夜中まで仕事する日ならば熟睡タイムであろうから。日頃のライフサイクルが、両人で少し異なっているのは当たり前と言えば当たり前の事なのだが。

 独り珈琲を啜った。
なんだか静か過ぎるので移動する事にした。と言っても師匠宅ですが。

師匠宅でインスタントコーヒーをカップに適量入れて濃さ加減もいい加減にと啜っていると、そこへ昨晩車中で一緒になった例のお姉ちゃんのうちの一人が私に気が付いたらしく、声をかけてくれた。

「おはようございます~。」
おお、ここは少し希望と思われる朝の挨拶に、会話の始まりかと僅かながら思っているとそこでまた声が。

「昨日は釣れましたか?」

などと聞いてくるではないか。
一体どういう事なのかと半信半疑で私は、その真意を問うてみようと少し捻ってみた。

「おぉ・・どうみても釣りには関心ないと思っていたが・・・関心ないよねぇ?」

「はい、関心ないです。」

「だろうねぇ。」

ある面期待通りのお言葉であった。
彼女なりの目一杯(めいいっぱい)の、ありったけの社交辞令のお言葉であったと直ぐに解った。それもストレートな回答。変化球は全く持っていない様子だった。変化球かと思いきや、ストレートで空振り三振というところである。一体彼女たちは日頃どういう生活を送っているのだろうか、おっさんには全く知るよしもないのでそのままにした。当然魚など全く関心が無い様子なので、敢えて魚種まで説明するまでも無いと判断はしたものの折角聞いて会話をしようとする意思が若干でも見えたので、これをなんと説明すれば解りやすいのか?と自問自答する。関心ない人にさらりと聞き流す程度の説明と言うのは、なんとも簡単なようで簡単ではなかった。それをマグロと言っても想像はつかないのは当たり前で、それがハガツオに近い奴と言ったところでカツオとの区別がそもそも判らないのでもっと次元を下げて話をしなければならない。せいぜい回るすし屋のマグロかネギトロくらいなのかもしれない。

それでも、彼女達は社交辞令挨拶と言う手段を知っているだけそれなりに、社会の中でそれなりに揉まれているのであろう。宇宙からの距離は、月と地球程度には近づいたけれども、いや渋谷の交差点であう確立くらいは近くなったかもしれないが。
 その後も数回彼女達と会うが、全くもって会話は弾まなかったし、関心もなさそうだった。ただのやぼったい親父にかまう暇など、全く持ち合わせていないと言うのがおそらく本音だろう。宇宙から来た人は、幻のように時々視界には入るが直ぐにフェードアウトして行った。ただひたすら1泊と半日の旅をどうこなして行くかが問題のようだった。一体なにを観光するのか私には分からない。

それから半日もすると、その日のその時間も、我々には直ぐに訪れたようだった。午後から夕方にかけて専務と二人、ゆっくりと準備にかかる。チェックする。
リーダー部分を補充。
ワイロン部分を作製。
R
リグ改の根幹の部分である。番手は、#36番でこれが基本となる。(ワイロンの太さを表す記号で小さくなるほど太くて強度があるものになる)
 最近、愛用のプレッサ-に歪が出たのか、カシメの部分がすり減ったのか、あるいは変形したのか、時々決まらない事があるのでスリーブは2個止めにしている。10年近く使えば簡単にカット出来たワイヤーも、少し切れが悪くもなってきた。使用頻度にもよるが、5年も持てばまずまずと言ったところなので仕方ないと思う。そろそろ買い換え時なのは、良く理解している。旧YO-ZURI社からのつづく優良品には違いない。

632-S100- 01xp 

今年もぼちぼちいきましょうか。

その12へとつづく

南方回帰Ⅳ-影と闇と残光2014-102023年01月06日 11:30

 新年は、まだ初釣りをしていませんがちょっとした時間を使っていつもの海を見にいきました。2年前のコロナ禍釣りブームもすっかりと落ち込んでファミリーはかつての1割もいません。それでも何人かは釣りをしていました。ざっと見て釣り場には10人程度です。たまに竿が曲がるのを見ると、クサフグです。クサフグは、クサフグです。TTX搭載の魚類です。今日の釣人は、そのクサフグを陸にあげて粛清の如く拷問放置はせず、リリースしていました。どうやら今日のメンバーたちは無駄な殺生はするなと教えられていなのかな、と思ったりしますがそこは聞いていません。若いカップルに声かけすると、鯊が1匹釣れたと楽しそうです。にこやかにそう答えると一生懸命かつ楽しそうに青イソメを投入していました。今日の釣り場は、幾分ストレスフリーに近かったと思います。久々に家内と海の散歩なるものをしました。コロナ禍で外出も最低限になってからこの正月も出歩かないので体重は増える一方です。

まtikku to
1965年のオリジナルから半世紀以上経って、アップデートしてきたが品質は落ちる一方の170。前作の170Iは、シンクロドラグ搭載だったけれど、この170にそれはないです。また、ますます劣化し耐久性もそうなさそうです。使い捨てのおもちゃに過ぎないのかもしれません。かつての職人気質な品質はもう遠い過去のことみたいです。
ガルシアさんの没落
ABUと言う名のかつての栄光のスピンキャストリールと、その残影に映って見える。
つきまろとマチック
今年もどうか宜しくお願い致します。

さて、その10になります。

夕日をのぞむ

重い荷物を纏め始める。
帰りは、できるだけ軽量にする為に、ペットボトルの真水をことごとく磯場に撒いた。それが多少でも洗浄になれば良いのであるが、誰か先行者がオキアミを使ったのか、この異臭だけは非常に気になるところだった。釣人の多くは、その後のことも気にならないらしい。誠に残念でかつ寂しい限りであるが、それが現実なのだろう。その寂しさは、時に憤りを起こす。

後にこの異臭と汁が厄介な事になるのだが・・・・。

 ボトルの水は、4Lくらい残ってはいたものの、当然足りないので水汲みバケツで海水を汲み上げる。これもなかなかいい仕事になる。それは、岩にごつごつと何度も小突き、あたりながらも引き上げられる。水汲みバケツは、そのテラスのエッジ超えがなかなかどうして大変だった。その度に滑車なら楽だと言われる。もちろんそうだろう。しかし、一体だれが滑車を設置するのか。あるいは、その度毎に簡易的にでも設置するのかということで終わってしまう。これが嫌で皆、その撒き餌、コマセを放置して帰るのだろう。そんなのは、理由に全くならないのだが。

万が一の時の水と食料等は減らしたものの、専務の荷物は行きが40kg、帰りでも魚が無ければ30kg程度はあった。
 私は、少しインチキさせてもらい20㎏くらいを背負った。ここは年功序列という都合のいい言葉で片付けることにした。ほんとそれインチキと言えばインチキなのかもしれない。

とぼとぼと荷物を背負って高輝度LEDの明かりを頼りに歩く。これが帰り道ともなるとなかなか辛かった。それは今も昔も変わらなかったが、進化と言えばLED照明の異常な明るさにかなり助けられていると実感した。専務も私も230ルーメンの明るさは、我々にとって神の照明、召命である事にお互い異議は無かった。更に今は、ヘッドライトといえども300ルーメンが存在するのには、脅威である。

12月に入ろうかと言うその日の晩に、汗は滝のように流れた。
真夜中の汗。そして、黒の景色。

見上げると無数の細かな星の光。

それもぼんやりとぼやけて見える。

歳のせいだろうか。

やっと到達すると、師匠が待ち合わせ場所まで待っていてくれた。星を見に来たという、東京から来た二人組のお姉ちゃん達が、ほぼ我々を存在していないかの如く、迎えてくれた。この二人組は20歳と言う事だったらしい。当然ながら、つい2年程前まで高校生だっただろう。
 この島でその二人のこのメイクとファッションは、あまりにもかけ離れ過ぎて、更に親父の汗まみれで魚臭い二人組との共通点は、全く見出すことが出来ないほど皆無であった。この不思議な二人は、不思議な二人だけの世界が全てかのように、振舞っていた。彼女達は一体何が目的なのか、どうしたいのかさえ聞く事もできないほど、世界が遮断されていた。このタイプの人をこの場所で経験するとは、夢にも思わなかった。しかも、真夜中の釣りの帰り道・・・である。これがなんとも同じ空間の中の異空間であった。

師匠に早速結果を聞かれた。

ぼつぼつと状況報告する。

「ええええぃ・・・。」
と我々と気持ちを同じくとても悔しがってくれた。
師匠は師匠、弟子の至らなさは己の至らなさの如くであろう。次に即、説教が始まった。同じ釣り人として悔しがってくれると言う事は、同じ経験を幾度となく体験したと言うことでもある。その説教を聞くのは、決して嫌では無かったのだが、二人してうなだれる横でお姉ちゃん二人と言えば、クスクスと二人だけの会話を楽しみ、全く違う次元にいて笑っていた。なんと言うこのアンバランスな光景と時間と人間関係。

狭い車内での異空間。

これは、正に真夜中の精神崩壊と分裂な時間なのだろうか。全く理解不能なこの同じ空間にただただ違和感を覚える2人と師匠そして、その異空間の彼女達とその世界と世界観。師匠と弟子2人、おそらく宇宙から来たであろう若い2人組。会話は、当然全く弾むよしもない。なにせ、住んでいる世界が遮断されているのだから。しかし、そこは流石師匠である。そのような事はお構いなしで説教をしてくれた。師匠は師匠。ここは、全くブレていない。これでY監督がくると最強のコーチ陣となるのだが・・・。とても異例極まる真夜中のことだった。

 夜道を15分程で車が無事到着すると、夜中の2時を回っていたこの時間に野人が来てくれた。

「やあ、どうだった?」

「ああっ~1ブレイク~。」

「なんだ、また切ったか・・・いつも切ってるなぁ・・・。」
大変厳しい野人のお言葉である。何とも返す言葉も無いのであった。師匠に加えての辛口な野人様のご意見だった。

それから、疲労困憊の疲れきったものの、二人就寝したのは朝4時ごろであった。

その日の夢は、なんだったか覚えていない。

ただ、己の未熟さを再確認したのは、自分自身が良く知っている事である。
誰のせいでもないのだ。

それを一体誰のせいにしようと言うのか。

磯をのぞむ

その11へとつづく


南方回帰Ⅳ-影と闇と残光2014-92022年11月29日 13:30

 随分と更新が遅れました。この更新を待ち望んでおられた極希少な方々申し訳ありません。秋も終わろうかという師走なのに今日は南の風強く20℃近い気温です。当たり前と言えば当たり前ですが、それにしても師走前の気温としてはかなり高いです。海水温もかなり高めです。
ストライパ―
月竿とストライパ―。
 とても美しく、美味しいお魚です。ボトムでもトップでも魚食性の強いこの魚は、日本のスズキに近いですが掛けると解ることですがなかなかのファイターでパワフルです。掛かってからの鰓洗い等は、私の知る限りではありませんでした。血合筋がスズキのそれよりも少し多く、その遊泳能力や行動範囲は案外広いのかなと思います。北米で最もメジャーといっても過言ではない、彼らがこよなく愛する魚です。
ストライパ―2
 私も何本釣ったかは忘れてしまいましたが、その昔50匹~は釣ったと思います。多分。我が国と違って魚影は、その保護管理にあるのかすこぶる濃いです。我が国もそうなったらいいなあとはいつも思いますが、日本の漁業は、ますます衰退の方向に進んでいるようです。
 私が学生の頃から資源管理等の講義では魚離れが深刻という議題は、多く上がっていました。それから何十年も後の現在は、その拍車が益々加速して行くばかりです。時々買い物に行くスーパーマーケット等の鮮魚コーナーをみると、とても買う気にもなりません。そしてその鮮度ももうクタクタになっているものが多くみられます。それは、どうやら私だけでなないようです。地元の漁師さんやここの読者である方々もそう思う方が何人もいらっしゃるようです。一般家庭ですと、既に解体され切り身になってその殆どが可食部になっている畜産肉の方が、主婦にとって便利で手軽、そして経済的なのはもちろん理解できます。それらは、人間の勝手で食肉用に効率よく管理されて育ったものですので、当然と言えば当然です。完全に人間の管理下です。
 今後ますます魚は、高級品?になって庶民の口から遠のいてしまうのかもしれませんね。以前もお話ししたかと思いますが、以前子供達と回転寿司に行った際、「お父さんなんか魚が好きという割には、殆ど違うのばかりだよね。」と言われました。
「ああ、ここでは魚があまり美味しくないからね。」と行ったのを思い出します。もちろんその回転にもいろいろとあり、高級回転とかいうお店もあるみたいですので全否定しているわけではありません。ただの会話です。テレビを見る限りでは、高級寿司名店の店主でも頷くものもあるそうですから。(多少の演出もあると少し色眼鏡でみてますが)高級回転に行くなら私は、ふつうのお寿司屋さんに行きたいと勝手に思っています。我が国の食料事情はもとより、水産業は衰退加速の傾向にあるようです。

たまの更新で前置きが長くなりましたが、本題その9です。
 
1363-UM9Pとその先

  さてさて何十年も前の過去のことはともかく、息切れの中で戦うことその倍の10分が過ぎても気力だけはまだまだだった。とっくにおっさんなのに。それどころか、ショートポンピング&リールインする度に奴が寄ってくるではないか。かなり脳内は、アドレナリンが効いている様子なのかまだ無理できると言っているのである。時々奴が反転を試みてラインを出していくが、その距離は、最初よりもかなり短くなった。だがやはり、糸が出る際がとても辛い。むしろ辛さだけは倍増しているかのようだった。そして、常に付きまとう根ずれの恐怖がちらつく。

こちらもとってもしんどいんです。(ぶちしんどい)

とっても。(ぶち)

辛いんです。(つらいのう)

つらいのは、どちらも・・なのかな?(ぶちたいぎぃのはわれもかのう)


 それでも一進一退のやり取りから徐々に、奴の糸を引きだして行くスピードが少しずつ遅くなっていった。それにしてもまだ全く気の抜けない状況に、専務は言葉を失っていた。当然サポートは無い。その代わりにめいいっぱいの気を利かせてくれて、その様子を数枚レンズに納めてくれた。これは、とってもありがたい。それが無ければ、当然ここは文章のみの実力に頼るしか方法がなくなる。

 魚は、どうも左へ、左へと行きたいらしい。

“その左の先に何があるというんだよ”

どうかそっちにはいかないでくれ

15分が過ぎた頃、間合いが詰めに入った。
しかしながら、まだ全くと言っていいほど気が抜けなかった。奴が、ある程度の重量があるのは勿論の事、その力が弱まったとは言えまだまだ諦め切れていない感じだったからである。

夜とイソマグロ

そう、あの5年前、野人(先輩)が掛けたあのイソンボもそうだった。

※南方回帰Ⅲ闇からの一撃参照(http://tukinoturisi.asablo.jp/blog/2018/03/05/8798357

 どうもイソンボには、起承転結が判り易い魚でもあるように思えてならないのは、私だけなのだろうか?いやその完結までたどり着いたものは、それをきっと知っていると思う。その完結まで。その理屈から言うとロウニンアジもそれに似て結の往生際は、野武士の最後のようである。

 状況からするに今は、最後の“結”の部分に差しかかっていると思えた。残り糸は20mをおそらく切っているそのすぐ下の距離だった。
一進一退の状態から、距離を詰めて相手の動きもかなり鈍くなって来た。掛けてから20分近くかその前後、こちらも相当息切れ切れである。それも何とかそこは踏みとどまって、竿を操作しながら相手にプレッシャーをかけて行く。それもいよいよ最終段階に近づいてきたのか、浮かせるだけの状態に移りつつあった。そこでリールのギアをローに入れる。(ラプターは、2段階変速ギアが付いているリール)ギア比が一気に落ちると、ぐんぐん巻きとれるのは感動ものに思えた。
 イソンボは、それでも浮きたがらない様子で右のサラシ下から浮いて来ないばかりか、更に方向を変えて左に走ろうとした。こちらはと言えば、それ以上左には移動できない。ここで13f半の長さを活かしていっぱい、いっぱい左に走るのを必死でこらえる。ここは、長竿の利点が効いている。

‟くそっ・・・なんとかとまれ、止まってくれ”

奴に最初の勢いは全くなかった。ギリギリなのは、奴もそうに違いない。

‟これは、獲れるかも”そう思った。

磯際との距離あと数メートル。

10mを切ったぞぉ”

浮かせるだけだが、左に走ろうとするのがとても気になるところ。

あと少し。

奴の力も最初の2割も残っていないギリギリの状態。

ほんの少し。

浮け!

浮くんだ!

浮かせるぞ!

そしてなお奴は、更に左に最後の突っ込みを見せた。

チッチと僅かにドラグがなり糸が出た。

腰が苦痛を言う。

腕が悲鳴を上げる。

これはきつい。

かと思うと・・

その時は、あっけなく訪れた。

竿は、撓るのを止めたのだ。

あぁ・・・あの嫌な感じ。

そうその予感。

脱力。

「あああぁ!バレた!くそっバレたよ~!」

一発目は、それ相応に大型であったと思う。
あの感覚は、重かった。

十分に奴を追い込んだに違いないが。
またまた、敗北であった。
悔んでも仕方のない事である。

誰も責められない。
完全自己責任である。

これだから、釣りは止められないのかもしれない。
自分の中の消えかけた火をまた点けてくれるものだ。

一体何度消えかけてはまた点き、消えては灯されるのか。それにしても、ほぼ9割の段階に来てブレイクとは。全くもって気を抜けないのである。
空しくも、儚く残りのラインを回収する。空転に近いそのハンドルがそれを物語るか。逃げ切られた。あとほんの8m~10mだった。つまり、水深8m前後のこの場所ではほぼ足元に近い位置であった。隆師匠が、丁度その左下に岩が付き出ていてすぐスリットがあると言っていたのをそれで再認識した。

メインラインは、ところどころ擦れてかなり危なそうだけどなんとか持ちこたえていた部分が数か所あった。それが、多くの負担を強いられてきたに違い無かった。良く頑張ったナイロン糸。切れた部分は、エッジに近いのだろう。斜めにスパッと切れていた。毎度の事ながら難しい。この場合は、PEなら即ブレイクだっただろう。

息切れは終わらなかった。
苦しさ倍増。
そして脱力。
空しく、肩で息をする。

 釣り人の中には、PE世代でナイロンを殆ど使用して来てない釣り人が多くなったようで、事もあろうかPEの方がすべてにおいて強いと思っているらしい。ここで言う強いは、ダイナメーターに対する直強度の話ではなく、摩擦に対する耐久性の事である事を補足しておきたい。

最後の“結”である筈の内容は、想像したのとは少し違っていた。いや、どちらかの選択肢には入っていたことであるのだが、それは期待とは違っていた。それから究極の脱力感の後、気を取り直して2時間くらい、専務と次の襲撃に備えて竿を打ち、再び投入し仕掛けを流し続けた。

「ああ、隆師匠と待ち合わせの時間だ。」
「帰ろうか・・・・。」

 専務は、たった一撃の衝撃を目の当たりにして、若干の動揺を隠せない様子であった。これが最初の洗礼であると認識したようである。

月竿と黄昏時

黄昏時の海と竿
未知への挑戦風にみえなくもない


MOON701-LBUM5Pとストライパ―
月竿701-UM-LB5Pとストライパー
その10へとづつく

南方回帰Ⅳ-影と闇と残光2014-82022年10月26日 16:47

 毎日11月下旬並みの寒さが続きます。
巷では、梨から柿が多く出回るようになりました。そんなスーパーで見つけたとたん、これをカートに入れてしまいました。値段は確認していません。ロゴもなんとなく近くて買ってしまいましたが、当方とは全く関係ないです。また宣伝しているわけでもありませんし、未開封のままです。 
BLACKMOON
しかもお菓子です。なんとも言えません。
 BLACKMOONという竿は、当方が2002年の創業時にそのBlankの良さを実感するために製作しようと思ったいわば月竿のシンプルな作りの竿のシリーズでセミカスタムロッドシリーズでした。簡単に言ってしまえば、量産に近いシンプルな廉価版です。かと言って手を抜く訳でもありませんでした。しかしながら、このBLACK~といいながら結局要望が増えてそれはもう当初の製品コンセプトとは全く違うようになり、数年後基本廃止にしました。
 しかしながら、現在でもそのロゴデザインを使って欲しいという常連さんの依頼で製作する場合があります。もちろんロゴデザインを使用するだけでその内容は、フルカスタムです。ただしこれにもいろいろあり、創業当時の継続で一部輸出仕様があったりします。と本来のBLACKMOONとは異なりますが、形を変えて生きていると言えばそうなりますね。
 FULL CUTOMなんて用語も当方が初めてだと自負していますが、その後それが浸透していったのは驚きでした。こんな零細でも一般的にはともかく業界的には良く見られているのだなと感じます。他のことも多くありますが、いずれの機会にまた別途述べることもあるかもしれません。

 少々長くなりましたがその8へ進みます。

人は、その時には感心が薄くても、覚えておくことは案外後になって役にたつこともあるだろう。人の関心事など、その時々で変わり易いだろう。しかしながら残念に思うことは、感心がないからこそ忘れるどころか記憶にすらないことがとても多いということだろう。

再びキャストする

それは打ち込みと行った方がしっくりくるのだろうか?沖縄の釣人は、打ち込み釣りとは良く言ったものであるこれが本州だとぶっこみになるがこれはどのどちらでもない。

AVETPRO50W


AVET EXW50/2と同MX RAPTOR

 流れに沿って、再度キャストする。丁度専務との距離あと数メートルのところに着点したらしく、HXラプターのレバーをベイトポジションからさらに1ノッチ、2ノッチ、3ノッチと上げてテンションを確認する。ここは、日頃の自動車運転感覚と似てるようで、馴れてくるとある程度クラッチとブレーキ、シフトレバー等を目視しなくてもなんとなく操作できる感が働くのか、体で覚えると言う感覚がよみがえってくる。そこは、呑みこみの早い専務も恐らくそうなのであろう。右手をリールから離して、疲れが出て来始めたのか、腰を落とした。

ドラグフリー


レバーフリーポジション
ほぼ負荷は掛かっていないニュートラルな状態

ベイトポジション


ベイトポジション
餌を付けての位置だがライブベイトの大きさや潮の流れの速さで微調整する

レバードラグのなせる技である

ストライク

ストライクポジション
最初に設定したドラグ設定値
これがファイトする位置の基本となる

 

それから、潮に馴染みかけたと状況確認して一息つこうとするまさにその直前だった。

洋上のケミホタルが高速移動したのが解った。
その瞬間、親指でリールスプールを抑えていた親指が擦れる感じがした。
耳には、クリッカーの音がわずか1秒程度聞こえた。
「イソンボだ!!」
そう思わず声を発した。
親指をフレーム移動すると同時に右手親指でリールレバーをストライクポジションに一気に入れた。カリカリカリと言うノッチ音と共に左手をロッドのフォアグリップに持ち替えて右手をハンドルノブに掛けた。竿に高速で重い引きを感じる。腹筋に力を入れて、1回合わせを入れる。ハンドルを一度回してそれからまた一回アワセを入れる。ハンドルを一回、二回、三回と巻きとる。

1363-um9p-Green


「よし、ノッてる!」

思いきり腰を落として溜めると竿は、グンと曲がってそのまま起きないでいるが、一回、また一回とリールハンドルを回した。ナイロンラインが伸びきる感覚が解る。更に竿がドラグ設定値まで曲げ切ると、たまらずスプールが逆転して勢い良くクリッカーが鳴いた。その逆転は、逆転でもそれは高速逆転である。
 奴はやや右寄りの沖に向けて顔を向けているようである。ここは、“無酸素運動全開せよ!!”との指示が勝手にでている。大きく息を吐きながら堪えられるだけ堪えた。

 闇に響くリールの悲鳴。(クリッカー音)
しかし、短く鋭く鳴く様は、不思議な鳥の鳴き声にも聞こえるのが不思議だった。


単なる機械のバネ音なのに・・・。

まだまだ無酸素運動のまま行けそうで、出された分をショートポンピングで竿を起こすと、一回、また一回とハンドルを回せた。

それから、大きく息を吐く。

そして大きく吸う。

走る。

奴が走る。

まだまだ走る。

走り続けるようである。

そして、一旦止まった。

1363-UM9p-Green2


それから一進一退が5分を過ぎたその頃、当然ながら息切れが始まった。
このところの10年程は、いつも同じ感想なのだがいい加減この時になるまで自分に甘いと言うことが祟るのは仕方の無いこと。そこは諦めて、勝負と決め込む。そのベストな限界値と言うのを選択するしかないのだが、歳を重ねる毎に、そのファイト時間が短縮されるような気がした。

いつも息切れが増すと思うことがある。

それは、もう何十年も前のことなのに。
まだ14歳くらいの時のこと。当時中学校の体育の先生の言った言葉である。当時は、まだ1980年代前半の事なので、先生のビンタやげんこつは当たり前の時代で、一列に並べさせられた生徒をかたっ端から殴っているその先生を見た。でもそれが教育?なのだと思った。それがいびつな日教組教育と重複すると、まさに恐怖の学校だったのかもしれない。と同時に思わされた。そんな先生達が大嫌いだったように思える。何しろ、力には力で対抗しそうになるのはこれ当たり前のことで、それを権力によって押し付けることは、すなわちそれは暴動とかに発展するのだ。それが実現されればだがそれは、暴力革命なのである。
 それは更に小学生の頃に遡ると、もっとそれが恐怖であったがなんとなく上手くやって行けそうな気がしたのはなぜだろうか?怒鳴られるのも説教されるのも当たり前の頃で、手が飛んでくるのは日常茶飯時だったような気がする。吊るし上げ批判は、今ほど叩かれる事はなかったように思える。時代は大きく変化し続けるのだろうか。
 また1980年初頭の学校は、かなり荒れていた御時世だった。
いわゆる今現代で言う“しごき”や体罰を否定する環境には無かったと記憶している。それが、当時の先生達の言う理想的な日教組教育だったのかもしれないが、当時の私にはそもそも右とか左とかも解らない子供であったので、恐怖教育が当たり前に感じたがそれでもこのご時世の学校は、何処も荒れた時代であった。それを防御するのに学校側も必死だったのかもしれない。それを恐怖政治の練習か革命戦士と名の暴力革命児を生み出す練習なのかとも思ったが、まあ考え過ぎなのだろう・・・きっと。

 話が少し逸れてしまったがその体育の先生の言葉は、30数年以上も過ぎておっさんになった今でも明確に覚えている。体育の時間が来るたび毎にあのマラソンタイム計測が地獄に感じ、弁当が喉をなかなか通らなくて、緊張で死にそうなあのマラソンタイム計測の体育授業。先生は日○大出身であり、それが体育のスタンダードな教育かと思った。なんと成績表もそのタイムアップ度で評価されると言うまあ、当時の私なりに過酷な条件だった。当時は、嫌で仕方無かったが、今思えばそれさえもこれから起こり得る過酷な競争社会で生きる為の予行演習だったのかもしれないと思えた。世の中は、無慈悲で過酷な社会であると教わったかのように。さて、それを行う背景の言葉とは以下の内容だった。

「おまえら、今は嫌かもしれんけど、きっと将来感謝する時が来る!」
と言う言葉だった。

実際のところ私は、その先生の言った通りに感謝する事となった。
その後の人生に於いて何度もピンチを助けてくれたことへ繋がっていると思えた。先生のその言葉は、確かに間違っていなかったようだった。その苦痛が感謝に変わった時は、その時から10年と経っていない頃だった。
それは、と言うと。
 やる気を根本から削がれてしまう、ローキックやボディにめり込んで唸る事しかできなかった中段への突きがここぞと言う時に、もうひと踏ん張りできるかできないかは、当時の私には大きな違いだった。

 体罰も日常茶飯時な、あの頃の教育。昭和の時代は、すなわち戦後と言われた時代と、赤いお言葉満載と偏見に満ちた先生達のお言葉だったように思う。
それと同時進行で思い出すあの辛いマラソンの時間。おまけに、天皇批判と反戦教育の嵐の中の環境。皇族は、頭が悪いとまで堂々と授業で言いい放ち、自衛隊は、悪とまで言いきっていた社会科の先生のことまで思い出した。もうその先生方もとっくに定年退職されておられると思うが、御存命なのかさえ解らないのだが。今をどう生きているのかこんな時に思ったりするものだ。

しかし、今でもあの先生には、ある面感謝している。
日○大出の角刈メガネの体育教師。それは、直ぐに激怒する先生。
ついでにさらにリンクして思い出してしまった、最初から竹刀で脅してくる高校時代の体育の先生。彼は、校内にBMWで来る●士○大出身の同じく角刈の先生だった。いつもレイバンのサングラスをかけていた。教師と言う言葉から教員に移ろうとした時代だったのかもしれない。それでも当然だったと思っていたあの時代がもうかなり昔と言う言葉で終えようとしている。

息切れをすると、なんだかそれを思い出す。
すっかりおっさんで体力もないのに・・・。
その息切れがきっかけとなって思い出す、もうちょっとだけ、いや、もうその先までと頑張ろうとする自分。あと半歩だけ前に行こうとする自分だった。

「何故頑張ろうとするのか?」

「頑張らなくても良いのではないか?」

「1番で無くても2番じゃいけないのですか?」

「いまどき流行らない。」

と色々な言葉が頭の中から出てくる。

 ローキックが痛いのは、当たり前。それが、外側上方から振り下ろされるものなのか、あるいは内側から入ってくるものなのか。更に追加で、水月(みぞおち)へのヒザ蹴りで苦痛を倍増させた。
痛かったなあ。
とっても。


BLACKMOONの流れ
今でもイレギュラーに製作していることもあるBLACKMOONであるが当初とはコンセプトが違う
その9へつづく