BLACK DRUM IN NJ-06(00)-102017年12月12日 10:11

その10

終わりに添えて
16年後の君はどうしているのか

ストライプドバス


2000年の春に上げたストライパー
どの魚かは覚えていないが当時最大個体は、24Lbくらいあった。
ストライパーとしては成魚になるが、まだまだその倍以上大きくなる。
フェザージグで釣ったものかライブベイトバンカーで釣ったのかも忘れたが、ストライパーはとても元気で良いファイターである。

 この釣行の出発30日くらい前に、米国に長年住んでおられた師匠に聞いてみた。
ドラムには、どのクラスの竿が良いか”とお聞きした。
師匠は、即答で「FTS16クラスで十分である。」と師匠は回答された。

そのような人は我が国にはそう多くはいない、いや殆どいなかったと思う。
今もいないとおもう。
 その後撮影したものをDVD化した。
 それを早速師匠と服部名人にも見て頂いた。
海外釣行の先駆けでもあり、パイオニアでもあった服部名人もドラムは初めて見る魚だとおっしゃっていた。
その当時には、もう既に高齢になられた名人であったが、私のどうでも良いDVDを必死に見ておられる姿には感服したのだった。

 その夜、名人の行きつけのお店で、師匠と名人、ゲスト数名で会話を楽しんだ。
 名人は、あまり魚が好きでない事は多く語られていないが、マグロの赤身だけは食べられるとおっしゃっていたと記憶している。
その日は、今ではソリッド泳がせ竿の有名な会社の関係者とも良い話ができた。
“○越くんも誘ったが忙しいみたいだった”と言っておられたのを今でも何故か覚えている。
その名人も既に故人である。

それだけ一人生と言う事になろう。

再びドラムを釣りに行く事は恐らくないかもしれないが、折角の思い出した事でもあるのでまたトライする日がくるのかもしれない。

2006年のドラム釣を思い出して

2016121

経年とは
形あるものはいずれ滅びると言うが情念は、解放されなければ永遠なのかもしれない

成れの果て1


ほぼ21年前になるこの竿は、ショアGTロッドとして青木氏と屋久島へ出向いたものである。
朽ちる前の風化した状態の竿は見るに耐えない。
私の師匠が1990年頃設計したものでグラファイトのオーバーキャップフェルール方式のロッド。
多くのロッドメーカーがこの方式を採用している。

成れの果て2


当時恐らくFuji HVSG&SVSGと言うロングセラーガイドが装着されていたと思うが、無残にも取り去られていた。
コートは、U40と思ったが定かではないがエポキシは黄変してから何年も経っていた。
当時は、このトロンダック社が最も良いとされていたので使ってみたが現在では使っていない。

 モノであれば何れ無くなる。
経年劣化は、あらゆる万物にはある事で、人であればそれは老いて死ぬ。
モノの価値は、経済的には自然と原価償却と言う事でその価値はどんどんと下がって行くのが普通である。
対して、それに付加価値や希少価値、骨董としての価値がでてくる場合もある。

 2015年の秋頃になってから、20数年と言う歳月と過ぎて放置してあった11fGTショアロッドをレストアしてみる。
捨てようと思ってそのまま、放置されて、毎年分解して捨てようと思いながらも、その主人からの災難を必死で乗り越えて来た道具がそこにあった。
なんとも不思議な事で、なんだか閻魔大王の裁きを逃れて、御釈迦様から雲の糸が下がった感じになった。
しかも、その糸は切れる事なく、無事復活を遂げさせた。
大した釣果も無かったが、蘇生術みたいで報酬と言う経済効果は無かったがそれでも気持ち良いものである。

 先ずこのどの部分を活かしてからレストアするかと言う事になるが、リールシートはそのままクリーニング作業で使えると判断した。

それだけかっちりと接着されていたこともあり、リスクを負ってそこまで破壊するまでもないかと思った。
 またこのグリップの太さと長さが幸いした。
画像にはないが、リアグリップのEVAはセパレートで25cmくらいあったのでそれをカットして縮めた。
 汚れてしまったこのEVAグリップを新しい綺麗な面がでるまで#60番~#400番で研磨作業をおこなった。
ここは、流石EVA 直径1mm程度削ればほぼ新品の状態となった。

 次にこの古いスレッド(糸)を外して行くがスレッドはまだ生きていた。(劣化していなくて強度がある状態)
そこは直射日光に晒され続けられていない証拠でもある。
作業が進むと、ちょっと黄変したエポキシの残骸が多く出る。

再生1

 仕事は、古い部分をすべて取り去る除去、クリーニング作業を繰り返すしかない。

オリーブグリーンの部分は全てスレッドである。
ウレタン塗装ではない。

再生2


ハンドル部全容、グリップバランスは見直した。
RG(
リアグリップ)は10cm程度カットされているブランクはその部分はスレッド巻きしてある。

再生3


バットキャップは富士BRC22.0であるがここは、取り去る事はしなかった。
20
年選手続行になる。
トリムピン(飾りの金属光部分の糸線)は、ここのところナルト巻きと言うサンドした手法を用いているパターンを増やした。

再生4


フロントは削り直し、ワインディングチェックも新規とした。
ガイドはFujiの主力でもあるKWガイド。
よりよい実践的なガイドの開発を望むばかりだが、規模の小さいビルダーの意見は、大企業株主総会の数株程度の影響でしかすぎない。
 つまりあまり意味がないと言う事である。

再生5


ブランク部は、塗装をすべて剥がして、仕上げ直す。
 つまりこのロッドは、塗装部分もすべて剥ぎ取られて磨きなおされてからグリップの成形し直し。
そしてクリーニングされてから再度スレッドを巻いて行くと言う工程を辿る。 
これは、なかなか大変である。

 これに、過去からの生まれ変わりと行きたいもので、それを祈念してレストアしたのかもしれないと思った。

2015年から16年への橋渡しのなってくれればと思うこのごろである。

2016年1月21日
再編集日 20171211

釣紀行(INDEX

釣竿工房月(HOME

おわり。
未来へつづく

BLACK DRUM IN NJ-06(00)-92017年12月11日 17:15

その9

我が国は言わずとしれた四方を海に囲まれた海洋国家であるが、沿岸部、海岸線の多くが人の手が加わり、都心部はなかなか人工物で囲まれている。

この国もNY周辺マンハッタン、イーストリバー、ハドソンリバーと東京に似てなくもないが、やはり魚は豊富であるのには少し驚いた。

このツアーでの最大級のサイズ。
これだが、撮影時には既に死んでいる

ドラム釣果


海にロープに繋がれて、帰港路に向かう前に引きあげられた直後の画像であるが、すべて州のレギュレーションの元でキャプテンの希望もあり一人3本ずつキープされた。
魚は、微妙に生きてはいるが、味や品質を重んじない米国人はあまり気にしていない様子であった。
マグロなら既に刺身にならない状態かもしれなかったが、こいつはコンビニ氷で冷やされてなんとかなった。
その大半は、キャプテンとそのファミリー、仲間達のディナーになった。

北米での魚の切り身歩留まりは、すこぶる悪い(少ない)。
頭はそのまま捨てられるのが基本で、カマと言われる鰓のすぐ後ろの鎌状の切り身部分も食さない。
 日本人なら当然あり得ない。
ハラミもそのまま捨てられて、なんとも背中の四半身の骨のない部分が可食部となる。
非常にもったいなく思えたし、無駄に思えた。
 当時は、刺身で食べる事も考えられず、もっぱらグリルで焼くか、おきまりのフライがメインだった。

その10へつづく



BLACK DRUM IN NJ-06(00)-82017年11月22日 17:57

その8

ドラムの下顎

分厚い口に御髭まで蓄えているが、これは、このドラムが底生動物を主力として餌にしているのではないかと容易に考えられる。
口もやや下向きにあり、歯はざらざらとして細かいが甲殻類は丸飲みにしているのかその奥に喉頭歯が有るタイプなのか確認していなかったのはとても残念である。
餌は、カニとくクラムなので日頃からこのような餌を食べていると思われるが、いつか研究者から話を聞きたいと思う。
勿論全て英語だが。
鼻腔は2対、前鼻腔から水と一緒に匂い成分が入って後鼻腔から出て行くシステム。

もう少し掘り下げてこの魚体を解剖学的にも理解したいところである。

ドラムテイル


立派な体型は、成魚の風格でもある。
こうしてみると個体差がかなりある風に見えない事もない。
そして、とても立派な側線が確認できる。 
ギャフ掛けの都合上いつも血まみれになる撮影は若干残念ではあるが、キープされるためなのか、アメリカ人はそれを気にしていないのか判らないが、それは多く望めない。


この魚は、当時の州規則で1日一人3本までキープできた。
この日は、5人だったので、計15本が許されていた。
(キャプテン、カメラマン、アングラー3人の計5人と言う計算になる。)

 しっかりとした資源管理の元で行われている。
その点に的を絞ると我が国には残念ながらその法律はない。
この国では、サイズやキープの違反は即切符で罰金となる。
このレギュレーションは、州によって異なる。
キープする魚の扱いは真に雑ではあるが、そこは流石合衆国である。

ドラム持ち上げ


我々にとってはかなりの重労働な作業であるが、キャプテンはもろともしなかった。
画像は持ち上げようとする友人とドラム。
抱えるにも一苦労する。

 その尾柄部と尾鰭は素晴らしい。
胸鰭も案外長くてシャープなイメージは、面構えからは想像しにくい魚である。
この胸鰭は、ロウニンアジに似てなくもない。

持ち上げる


最大サイズを抱えようとするが、一人ではなかなかである。
折角のシャツも何もかも粘液と血まみれ。


正確には計測していなかったがイグロの160qtには全く入らないサイズで、このクーラーに入った小さめの2本以外は、すべてキャプテンの御持ち帰りとなった。

 この右の画像は、恐らくは40kg前後だったと思うが記憶は曖昧でだが、決して今流行の望遠や魚眼レンズ、前出し撮影はしていない。

この魚は、老成魚の風格もあった。

最大級でも120Lbくらいだったと聞いたのでこのサイズだと大きい方ではあると思う。

 北米では、魚の名前は単純なのが多い。

この魚がブラックドラムと言うのに対してルアーで良く狙われるレッドドラムと言う魚がいる。

レッドはブラック程大型にはならないが、なかなかゲーム性もパワーもあり人気のゲームフィッシュらしい。

 もうひとつ、西海岸でホワイトシーバスと言う種類のものがいるがこれが日本で言うオオニベと比較的近い種類に見える。
詳しく分類した訳ではないが、かなり近い種類に思える。

 因みにと何年か振りにIGFAの記録を調べてみたところ、ブラックドラムのレコードは2015年現在のオールタックルで51.28kg、レッドドラムでなんと42.69㎏あった。
かなり近い数値であった事には少々驚いた。
 さらに序ばかりとJGFAのサイトで確認したところオオニベは27.00㎏であった。
それでも日本にもまだこのようなニベ科の魚が少しでも存在することに完全にフィールドが終わりではない事に救いようがあると感じた。

勿論非公式であれば、どちらも更に大型が上がっている可能性も容易に想像がつく。

 何れにしてもスケールの大きさと豊かさでは圧倒的に負けているような気がした。

これが北米大陸の実力と言えば実力なのかもしれない。

その9へつづく



BLACK DRUM IN NJ-06(00)-72017年11月18日 13:01

その7

FIGHT1

なかなかパワフルな引きで、のっこみでなければ更にパワーはあるのではないかと思う。
とても良いトルクのある引きは、その体高と尾鰭から引き出すパワーなのか、なかなかすばらしい魚である。

drumo1


レギュラーサイズ1本目。
慎重にやり取りしたが中型スピンでも十分いける。
 当時のリールは、日本製でと言う事でわざわざDAIWAフリームスKIX4000番を使用した。
あの価格で日本製とはDAIWAもまだまだやるなと思った頃である。
 
なかなか良いアングルでの撮影がないのが少し残念であるが、アナログ撮影メインではどうにもならない。
友人も私もデジカメは持参していたが、その枚数もあまり無かった。

drum02


こちらは二周り程大きめの太った魚体。
背中のせっぱり具合からすると、恐らく雄?ではないか?と思うのだが真実は如何にと言うところ。

 キャプテンのギャフ掛けは、場所を選ばない。
全くもって気にしないアメリカンスタイルである。 
口の周りに掛ける習慣は、リリースを考えていない場合無いみたいだ。
キャプテンボブは、その怪力でボンボン引きぬく。
そして、時折その合間にジュース変わりにLiteをぐんぐん飲みほして行く。
 全く酔っている様子はない。
ジュースがわりとか言っていた。
恐ろしい体力である。
 まともに戦っては勝てそうもないが、我々の御先祖はほんの70年前に彼らの祖父達と死戦を繰り広げたのである。
年齢的には同じくらいなのだが、なんともボブの方がはるかにパワフルだった。

drumup1


鱗は硬く、大きい。なんとなくおっとりしているその顔つきは憎めないが、その愛嬌面からは想像もつかないファイトをする。見た目とは裏腹なタイプである。
もう少し良く撮影できていれば良かったと見返して何度も思うが、中でもこの魚体が生きた鱗色をしている。

drumfightT1


背後から撮影した中では、この写真が一番竿を綺麗に写しだしている。ゴンゴンと竿を絞り込んで抵抗している様子。
白身のお魚にしては、とても頑張る。

drumup2


この魚体は、大きく背中の肉がせり出してなんとも格好の良い感じだが、これがひょっとすると雄なのかもしれないが、確認はしていない。
頭部はイシナギ並みに硬かったと思う。
(イシナギの頭骨の硬さは半端なく硬い)
頭部は簡単に捨てられてしまう。なんとももったいない話である。

その8へつづく

BLACK DRUM IN NJ-06(00)-62017年11月14日 17:17

その6

我々は、昨日のボーズに加えて益々の不安を覚えたが、それでも船は、希望とやらを乗せて出港して行った。
 この釣は、この広い湾内の魚道と思わしきポイントにアンカリングするのが基本となる。(イカリを下ろして)
湾内は、基本砂地であるらしい。

 観察してみると、どうもノッコミ時の彼らの回遊ルートにアンカーを下ろしての待ちの釣りと言う事になるみたいである。

前日の要領で、仕掛けをキャストする。

そして、しばらくすると・・・・。

ドラムとファイト1


MOON701- FTS16 16Lb
ラインクラスが絞り込まれるが、まだまだ余裕である。 
恐らく一本目のショット。
非常にお気に入りの竿ではあったが、友人のところに置いてきたままになった。
今ごろ、どうなっているかは不明のまま。
その行方は、私は知らないが既に10年後となればもう誰かのものになっていると思う。

LB5Pでファイト

こちらは、友人のMOON 701-umLB5P 
グラスコンポジット、ライブorデットベイトに威力を発揮するソフトティップパワーバット。 
ガイドは富士ハードガイドであるが、特に問題は無い。
1980
年代までは、このハードガイドが最先端であったように記憶している。

このクラスの魚であれば十分である。
竿はまだまだ絞り切れる。
リールはZEBCO Quantumの日本製両軸のスタードラグモデルだったと記憶している。

LB5pでファイト2

かなり竿を絞ってはみるが、まだまだ余裕と言うところか。

キャプテンは、このような竿はUSAにはないと感動していた。
しかし、リバーサルフィルムから起こした写真のセレクトにはかなり困った。
映像に依存していた事もあるし、フィルムは6本しか持って行っていなかった。
すべて撮り切るつもりだったが、ストライパーフィッシングでも2本は使っていた。

1本目

中型のブラックドラム。
イシモチのお化けとはこのような感じかな?と思う。
そのボディの感じはアカメに似てなくもない。
正にドラムを叩いたような低い音が響く。
イシモチの様にかわいいグーグーと言う音ではなく、本当にドラムを叩いたような響く音がした。


その7へつづく

BLACK DRUM IN NJ-06(00)-52017年10月31日 16:34

その5
クロ―カー

これが東海岸に生息するクローカー。日本に居るシログチに良く似ているが別種である。いわばアメリカイシモチ?なのか?
さほど遠投せずとも釣れる。美味し魚らしい。
そして、バケツに入れていた隣の親子は、それがいっぱいになると帰っていった。

親子で釣りとは、また健全な時間であるとも思えた。
ここは世界共通な普通にある、小さな幸せなのかもしれない。

その後NJの韓国料理屋さんで、焼き肉を食べた際、このクロ―カーの丸揚げを食した。
確かに、白身で淡泊、日本ではシログチに近い味だった。
美味しい。

初日
終わりよければすべてよし
なんて言葉もあったかな
ただし、これは良ければの話と言う事になる

 高速で何時間も走った後、時間があると言う事で、立ち寄ったタックルショップで“クローカー釣をしたいのだけれど、何処ですればいい?”
などと友人が聞いてみるが、なんともそう簡単には教えてはくれないのではないかと思ったが、それなりに親切に教えてくれた。
勿論、餌はブラッドワームを30ドル位購入したが、昨今の日本ではそう詳しくは教えてくれない方が多いのかもしれない。
 そこは、懐の深さと言うかアメリカの限りないと思ってしまう、フィールドの多さとポイントの多さの現れなのかと思った。
そうあくせくせずとも、魚影はすこぶる濃い。
 流石に何処にでも大漁という訳にはいかないが、そのフォールドの豊かさは日本ではあまりない。

16時がチャーター集合時間なので午後までゆったりと釣をしたが、何ともこのクローカーのリグは大ざっぱではあるがそれでも針掛かりする。
隣の親子などはバケツ一杯に30㎝前後のクローカーが入っていた。
所謂イレグイである。

 移動して、さて本番初日。
潮を選んで挑むチャーターであったが、まさかのボーズとなってしまった。
これには、流石のCapt. Bobも困まった顔をしていた。
それらしきアタリはあったものの、全くのボーズで外道のDogfish(サメ)に齧られた程度だった。
キャプテンの話によれば、このサメは美味しいそうである。
(どちらかと言うと食用にされるホシザメに近い。)
期待はいつも大きいゆえにその落胆も大きいが、何故か前向きだった。

 その夜は、釣りに似つかわしくない、リゾート風のホテルに泊まった。
友人の話では、いわゆるモーテルや民宿や日本で言う船宿は近くに存在していないと言う事だった。
その日は良く寝られたかどうかは、全く覚えていないが往々にして私は、床が変わると寝られないタイプである事からきっと数時間眠った程度だったと思う。
 この町は、NYNJのそれとは全く異なり、とても美しかった。
とても落ち着いていて、日本人でも快適に思えた。
 あのゴミ臭さにいささか滅入ってしまう、NYのチャイナタウンのストリートやゴミがあらゆるところに散在するNJの街とは少し異なっていた。
美しいアメリカ東海岸と言う言葉がそのままに思えた。 


 眼覚めの朝食は、ビュッフェスタイルで、果物が沢山盛られていた。
この果物達に罪はないのだが、どうしてこうも味が薄く、香りがないのか、スイカとメロンには手が出ない。
それでも野菜代わりになると思って口に入れるが、とても美味しいとは言えなかった。
これは毎度の事である。
野菜も何故だろう。
味が無い。
不思議なのはそれだけでは無かった。
卵に味がないのはなんでだろう。

 その日の昼食は、Mマークの世界最大ファーストフード店がお決まりのパターンであった。
これまた、飽きのこないと言う言葉の反対で全く持ってすぐに飽きてしまう。
いくら、ソフトドリンクフリーと言ってもあの1000mlサイズかどうかも忘れたが、おばけサイズのカップを何杯でもと言われても全く気が進まない。
固形物が食べたい。
しかも新鮮な野菜が。
 と言う事でMにて、サラダセットなるほぼ草のものとドリンクのセットにした。
ドレッシングとチーズ味しかしなかった。
それでも不快になるのも面白くはないので楽しむしか方法はない。
なんと言っても世界一を誇る超先進大国らしいから。
味覚だけはこの国では退化しているのではないかと思った程である。
なかでもジャンクフードと揶揄されるMは、それでもある一定のレベ
ルの安定したものを提供している。

(安定と言う言葉には、高い安定と、低い安定と様々であるので、そこは個々人にお任せ致します。)

その6へつづく



BLACK DRUM IN NJ-06(00)-42017年10月25日 12:42

その4

2006年の初夏
それから6年と言う歳月が果たして長いのか短いのかは本人が決める事なのかもしれない、そんなつい最近の10年前

筆者にとっては、2000年当時が初めての北米大陸であり、見るものはすべてアメリカンであった。

世界の大国の前には日本は中国の一部と言い放つ米国人もいた。
なんとも残念であるがアメリカの教育レベルの差はかなり大きい。

(決して教育レベルが低いと言っている訳ではなく、格差レベルが違い過ぎると言う事です。むしろハイレベルなところでは太刀打ちできないほど秀才や天才は存在する。)

 それから6年経ってからの2006年、再びチャンスは訪れた。
お客さんの一人が、ドラムツアーでかなりの大型を含んで好成績を上げたから、君もトライしてはどうか?
と言うのがチャンスの始まりだった。

思い立ったら・・と言う行動力だけは、当時まだまだあったに違いなかった。
それには、若さも必要な事のひとつだと今は思う。

 それにしても、成田-NY間の道のりはとても遠い。

全くもって遠い。

できればビジネスクラスで行きたいものであるとつくづく思ったのである。

せめて現実的には、日本の航空会社で行きたかったものである。

 そして、あの大国は病んでいる。
そう思ったが、今現在の2016年の世界は何処も病んでいる様にも思え、我が国もその一つには違いないと思った。

今回のこの初夏は、Cape may NJ で再びこの釣りを実現する事になった。
その段取りの全てを友人にお願いしたので、これまた大変恵まれていた事になる。
友人には、大変感謝している。
当たり前の様で当たり前でない。

真の友人とは、真に良いものである。

当たり前と思っていた、思いやりや心遣いが出来ない場合が増えたように思える我が国のそれとは、違うのか。
あっているのか・・・。

 

これから、その当時の事を記憶している範囲で簡単に述べたいと思うのだが、何せアナログ撮影の為、良いショットがなかなかないのである。
それでもリバーサルフィルムを4本近く使ったのだが、そこから興したスキャンも今と比較して断然劣っているし、本当に良い写真を撮ると言う事に技術やチャンスが必要だった事に気づかされるのであった。

美しいサーフ


ボートに乗る前に近所のサーフでのんびり、クローカー(イシモチ)釣と決めた。

それにしてもとても美しいサーフだった。

外房よりも自然である。
見えている先のテトラの堤防を目標に皆で歩いた。
気持ち良い初夏だった様に思える。

途中カブトガニの空が落ちていた。

また、それが釣れたりして笑った。

ここでは天然記念物ではないらしい。

その5へつづく

BLACK DRUM IN NJ-06(00)-32017年10月23日 08:42

その3

その後聞いた話だが、クル―(乗り子)の収益の殆どは、釣りの補助サービスとこのカットによるチップがその殆どだと知った。

そんな2000年の初夏頃の事であった。

 郷にいれば郷に従うと言うことわざをそのまま実践したが、それが今に繋がっている事を考えると感謝としか言えないのである。
また当時は、既にPCはかなりの勢いで普及していたが、まだ私は所有していなかった。
よって撮影は完全アナログ撮影のみで殆どその写真は見当たらなかった。

確か2、3枚は撮影したように思えたのだが・・・それを見つける事ができないでいる。
必死の捜索の甲斐もあって、翌日なんとかそれを探しだす事ができた。
これ幸いとスキャンしてみるが、ここまでくるともうアーカイブスになってしまうのは否めない。
早速 これもスキャンしてみた。
今思えば、まあまあの型だと思う。

これが、全く、もって人が掛けた魚で、やり取りだけさせて頂いたという事なのだが記念撮影までさせてもらった。

 何とも、当時は微妙な気持ちではあったが、今思えばそれはそれで良き思いでとなっているし、その後の釣り仲間とか友人とかと言う関係を根底から考えさせられる事のきっかけになったと思う。

世界は広いと思った時代であるし、当時北米に釣に行く日本人は確かに存在したが、とりわけブラックドラムとなるとそれは極端に少なかったと思う。(当時私の知っている人の中では、皆無だった。)

その後、このドラムと言う魚を再びトライする事ができるとは想像すらしていなかった。
なにせ、その海は、日本からかなり遠い大西洋の話だったからである。

ただ、明日があればいつかはチャンスがあるかも知れないと思った。

それは、希望すればすぐ近くに案外あるものかもしれない・・・・・・・・・。

現実はそうはいかないと言うけれど、確実に世界は縮まっている。

progear2513


1998
年頃購入したPRO GEAR 251 LAKE LNAD社のトリガーシート。
漢のリールといわんばかりの無骨さと存在感は、当時のどの国産リールにも無かった。

PROGEAR2514


レイクランドのシートは全く耳にする事は無くなったが、それでもこの存在感とデザインは捨てがたい。

その4へつづく

BLACK DRUM IN NJ-06(00)-22017年10月18日 15:57

その2

 -9.11前夜-00
あの衝撃は止まらなかった。 
そして癒える事はない。

ドラムとファイト/ラミグラスロッド


2000
年時のファイト中のアナログ撮影のファイトシーン
なんとかかんとか 写真を見つける事ができた若き頃の私

 後にも先にも再生可能なのはこれを含めて数枚のみだった。
ロッドはLamiglassだったと記憶している。
右端の若者は、確か大学生と言っていた。
バイトで乗り子をやっていると聞いたが、魚に関心があり彼の専攻は海洋学だったと記憶している。
リールはPROGEAR220と思ったがほんの僅かにハンドルとリム部分が見える。

ドラム2000


それは、もう2000年の事。
9.11の前の年である。
 当時、北米の釣りに関心のある日本人は、殆ど聞いた事が無かった。
 我々の情報としては、開高健のサントリーの宣伝で「NYでストライパーを狙っての釣り」くらいで、それが記事になったりしたかは定かではないが、確か何かの連載か記載分であったかもしれない。
御関心のある方は、開高健記念館を訪れてみると良いと思う。
 検索すればあっと言う間に辿りつく現在とは、かなり事情が違っていた頃。 
日本では、それほどPC環境(ネット環境)は今程でもなかった。

 ブラックドラムとの出会いは、正にその時の6月だったか7月だったか記憶にはない。
当時、友人から突然Chesapeake bayにて御誘いを受けて訳も分からず参加したのが始まりであっ
た。


PROGEAR2511


 画像に出てくるPROGEAR REEL1990年代から存在していたがまだまだ元気な頃だった。

PROGEAR2512


誘われるままに、経験をとばかりに参加したのだが、今思えばかなり恵まれた事であったと思う。

 しかしその時は、アタリが数回あるだけで、魚を掛ける事ができなかった。
そこでと、アメリカ人なりの最大の気遣いを見せてくれた、同行者がフックアップした竿をわざわざ私に渡してくれた事である。
 当時は、自分が掛けた魚でもないのでそれは良くない事と言うイメージをもっていたが、その後は一転、一気にその思いを払拭させてくれたばかりでなく感謝さえしている。
その気遣いは、ある面本物であったと思う。
毎日の事と一生に何度あるか解らない事柄について、それには大差がある事と思う。
 人生に於いてチャンスは、必ず誰にでもあるが、それをモノにできるかどうかは本人次第という事なのであろうか?

 また、上記画像にあるそのクル―の青年は、“フィッシュフィーレカットサービスをしましょうか?”と同船者に聞いていた。
同船者の一人がそれをお願いしたのを見た。
 魚は、彼がオイルストンで綺麗に磨がれたナイフで彼なりに綺麗に下していたが、背中の切り身だけがカットされていった。
下ろし方も、面白いもので、魚と立ててから背中にナイフを縦に入れていった。
当然ながら日本人とは感覚が違う事と思った。 
 この画像のドラムは、私が血抜きをしたが、それを彼は真剣に見ていた。
なぜ血抜きが必要かも聞いていた。
 とても真面目な海洋学部青年であったと記憶している。

何処にでも熱心な人は必ず居るものだ。
またその逆もしかり。

その3へつづく 

BLACK DRUM IN NJ-06(00)-12017年10月16日 13:42

BLACK DRUM IN NJ-06(00)
その巨大ニベとは何か

ポイント付近


それはもう過去の事なのか

過去は、未来に繋がらないのか
過去の事は、記憶と共に既に消えてしまいそうになる。
その時間と空間の超越の中には、どれだけの記憶と言う思いがあるのか、残るのか誰も知らない。
その消えかけた記憶を辿る事は、人生に於いてそうない。
なぜならそれは薄らいで消えて行こうとするからだ。 
そんな歴史の刹那にも現実がある。

ドラム釣行前


左からCT-591-4xp 16LbMOON-701FTS-16
701-LB5pと701-FTS-20
乗船前に撮影
なんとも雰囲気が良い港はその奥が湿原になっていた。
ワンドの水路になっていて、60cm程度のストライパーがライズしていた。
小型ポッパーなら掛かったに違いない。


ふと、思った事がある。
昨今の釣り事情は、アカメという限定された地域に生息する魚も、多くの露出環境に出くわすようになった。
同時に日本最大級のニベ科の魚、オオニベの釣果を同じく多く目にする事にもなった。
 勿論ニベ科と言っても案外とその種類が多いと思うのだが、この(日本に生息)オオニベが世界最大種だと思っている人が案外多い事に以前から気になっていた。
それで急に思いだした。

釣紀行を始めたのはいいけれど、その半分いやそれ以上の釣りがそのまま記載される事もなく、時が過ぎて行った事である。
 そもそも、釣り紀行のUSA第二弾は、このブラックドラムにしようと考えていたにも関わらず上記の如く、結局はそのままになってしまった。

 当時は、ドラム釣行2回目の事もあり、撮影スタッフも助人で参加してくださった。(その道のプロ)
当時としては、まあ個人、零細レベルとしては、良い出来のDVDまで作製できた。
そのような事もあり、それで満足してしまった感もあってか紀行文も書かずに終わってしまった感も否めない。
 また、いずれ工房月サイト内でこのDVD紹介をするつもりもあったので、紀行文は必要ないかとも思ったりした。

全くもって、暫く保留にしているうちに今となってしまった。
それも暫くと言うにはおこがましい限りで、既に10年と言う歳月は、一人生なのだから。
 それでもよく紀行文に加えようと思ったのは、これ幸か不幸か。
その記憶は、かなり飛んでしまったが書き始める事にした。
既に忘れ去られた感も否めないまま。

その2へつづく