BLACK DRUM IN NJ-06(00)-2 ― 2017年10月18日 15:57
-9.11前夜-00
あの衝撃は止まらなかった。
そして癒える事はない。
2000年時のファイト中のアナログ撮影のファイトシーン
なんとかかんとか 写真を見つける事ができた若き頃の私
後にも先にも再生可能なのはこれを含めて数枚のみだった。
ロッドはLamiglassだったと記憶している。
右端の若者は、確か大学生と言っていた。
バイトで乗り子をやっていると聞いたが、魚に関心があり彼の専攻は海洋学だったと記憶している。
リールはPROGEAR220と思ったがほんの僅かにハンドルとリム部分が見える。
当時、北米の釣りに関心のある日本人は、殆ど聞いた事が無かった。
我々の情報としては、開高健のサントリーの宣伝で「NYでストライパーを狙っての釣り」くらいで、それが記事になったりしたかは定かではないが、確か何かの連載か記載分であったかもしれない。
御関心のある方は、開高健記念館を訪れてみると良いと思う。
検索すればあっと言う間に辿りつく現在とは、かなり事情が違っていた頃。
日本では、それほどPC環境(ネット環境)は今程でもなかった。
ブラックドラムとの出会いは、正にその時の6月だったか7月だったか記憶にはない。
当時、友人から突然Chesapeake bayにて御誘いを受けて訳も分からず参加したのが始まりであった。
画像に出てくるPROGEAR REELは1990年代から存在していたがまだまだ元気な頃だった。
誘われるままに、経験をとばかりに参加したのだが、今思えばかなり恵まれた事であったと思う。
しかしその時は、アタリが数回あるだけで、魚を掛ける事ができなかった。
そこでと、アメリカ人なりの最大の気遣いを見せてくれた、同行者がフックアップした竿をわざわざ私に渡してくれた事である。
当時は、自分が掛けた魚でもないのでそれは良くない事と言うイメージをもっていたが、その後は一転、一気にその思いを払拭させてくれたばかりでなく感謝さえしている。
その気遣いは、ある面本物であったと思う。
毎日の事と一生に何度あるか解らない事柄について、それには大差がある事と思う。
人生に於いてチャンスは、必ず誰にでもあるが、それをモノにできるかどうかは本人次第という事なのであろうか?
また、上記画像にあるそのクル―の青年は、“フィッシュフィーレカットサービスをしましょうか?”と同船者に聞いていた。
同船者の一人がそれをお願いしたのを見た。
魚は、彼がオイルストンで綺麗に磨がれたナイフで彼なりに綺麗に下していたが、背中の切り身だけがカットされていった。
下ろし方も、面白いもので、魚と立ててから背中にナイフを縦に入れていった。
当然ながら日本人とは感覚が違う事と思った。
この画像のドラムは、私が血抜きをしたが、それを彼は真剣に見ていた。
なぜ血抜きが必要かも聞いていた。
とても真面目な海洋学部青年であったと記憶している。
何処にでも熱心な人は必ず居るものだ。
またその逆もしかり。
その3へつづく
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