Yellow fin in Tosa 輪廻 -for stand up fisherman-おまけ2 ― 2017年09月14日 17:18
おまけ2
私の師匠が設計したZEBCO QUANTUM EX400についてであるが、それはかなり以前に師匠が設計したものでご本人がそうおっしゃっていたのをそのまま事実と思っている。
そのプロトモデルを頂いたのだが、今現在から遡ると四半世紀以上にもなると思う。
当時は何気なくなりゆきで頂いたが、その後、バス等に行く気も無く、暫く奥にしまったままであった。
バスは、そう興味の対象からかなり薄れていた頃で、当時はバスプロ全盛期?だった?様である。
その後1台は、うちの末っ子愛用のバスリールとなって2010年頃に故障した。
故障時はバス釣りではなく、たまたま使ったカワハギ釣りだったと思う。
その故障品を取り置く気もなく、そのままだと思っていて家探しを決行するも何処にも無かった。
恐らく処分したのであろう。
今思えば、壊れていても確保すべきではなかったかと思う。
それから残り一台は、まだ一応は壊れていない。
一応と言うのは、かなり怪しい状態ではある事には間違いないからである。
師匠の話によれば、その昔まだPENN社セネターが最高機種であった時代に、そのセネターで服部名人とブラックマーリンの1400Lb 超えを獲った時の話を思い出したからである。
言葉は少なかったが、8㎜フィルムに保存してあるとおっしゃっていた。
その8㎜フィルムも処分されてしまったらしい。
9時間以上のファイトの末、リールからは煙が出て、それを水で冷やした話は、今でも面白かったと思っている。
その詳細をお聞きできた師匠本人も、服部名人ももうこの世にはいないので、それっきりの話になってしまった。
誠に真に残念な事ではあるが、後の祭りである。
人は、その時は何時でもいいや・・・とか、またの機会になんてと言って、その場から居なくなった途端に忘れてしまったり、別の事を考えてしまったりと、とにかくその場限りと言う事が多い気がする。
その時もそうだった。
そう後回しにする傾向が少なからずあると思う。
しかしその後、そのまたの機会が必ず訪れる事とは限らないのである。
セネターで獲れた話、FIN-NORの話。
レバードラグの最初はFIN-NORであったとだけ聞いた。
当時は世界最高峰のリールであったらしい。
そんな事も、もう語られる事はないし、聞く事もできない。
何とも残念至極とはこの事かと思った。
まだまだ、日本と言う国が高度成長に乗って勢いがついていた時、日本人は、豊かになることを目的にして生きてきた。
海外旅行は、TV番組の最大の商品であったし、夢のような気がした。
私が子供の頃は、せいぜいテレビ番組で見る程度の事でそれが自分にできるとは思ってもみなかった。
チャンネル争いなど、もう一世代も前の話。
世界がまだまだ遠い時代。
その頃に海外旅行はもちろん、更に海外遠征で釣りなどと言う事は、庶民には到底出来なかった事である。
今となって(2017年)は、その気になればいつでもどこでも行ける時代である。
また¥と言う通貨が世界でもトップクラスの価値のひとつなのも加勢していると思う。
それとは比較にならないほど、"世界を釣りで周る”と言う事など夢のまた夢の事だった時代であったと思う。
そんな時代に師匠は世界中を釣りして周ったのである。
世界が物凄く遠い時代の世界での釣り。
果して何人がそんな事ができたであろうか。
殆どの人がそれを実現出来なかった、そのような時代が我が国にもあった。
DAIWAが世界戦略として万を期して出したSEALINEシリーズ
セネターをかなり意識したものであるという事らしい。
その意気込みが同封の説明書き日本語版にある。
当時はDAIWAにとっても最高級両軸リールと謳ってある。
このリールは、そのセネターの地位を脅かすまでに至ったらしい。
その事を語る人は、今となっては殆どいない。
まさにダイワ精工が一番輝いていた時代のリールであった。
私所有のものは、スムーズドラグ社のワッシャーに替えてあるが
あとはオリジナルのままである。
真に遺憾ではありますが、2017年現在このモデルは廃版になっていた。
その役目も終わったと言うことになろうかと思うが、今現在もセネターは、その事情は多々あれども、現在も生産されている。
その軍配は、どうやら、セネターにあったみたいだが、その大元もオリジナルでない事は少し残念にも思う。
おまけおわり。
2017年9月14日
DOGTOOTH IN RYUKYU-05 南方回帰Ⅰその1 -For Shore Fisherman-VOL1-1 ― 2017年09月25日 17:30
その始まり はもう1990年頃の事になる。
それがF先輩と師匠と私の始まりである。
それから更に15年経ってからの釣りとなった。
なんとも長いスパンでの話であろうか。
それでもつい明日の事の様に思いだされる。
新緑が落ち着き始めて、虫や蛙の合唱と共に、狸やウサギ、小動物達が時々道路に出てくる。
はたまたキョン(旧行川アイランドから脱走したのが始まりと聞いた)まで出くわすこの頃、何時か再び必ず足を運びたかった南国へと渡った。
そう思ったのが、冒頭にも述べた通り90年頃の事である。
最初に訪れたのは、93年の冬だったと思うが、空港とその周辺も寂れた感が満載であったかと思えたのだが、それから更に2005年までかなりの年数を要してしまった。
今回は車で行く・・という訳には流石には行かないので・・途中でどうでも良く面倒臭くなる気持ちを押さえて、ネットにて格安なるチケット購入。
段取りや計画と間違ってチケットを取った為、バス、飛行機、船と乗り継いで1日で目的地にたどり着いた。
当たり前の事だが待ち時間のほうが長かったりする。
西表にて半日過し、宿に泊まるが、近所にコンビニ兼スーパーがあるのは確かに便利ではある。
この時期の南国はすでに梅雨に入り、真夏の台風直後のように蒸し暑く、紫外線もMAX状態。
まさに、少々体脂肪が厚い人には辛いがこれは慣れるしかない。
驚くべきは、もう何年も行かないうちに八重山の中心都市である石垣はさらに急ピッチでリゾート化 西表も何だかその狭間で身もだえしているとか・・・。
それは、地方がいつも抱く第一の問題と連結する内容である。
ようやく辿り着くなり港の海を覗いてみると、トロピカルフィッシュ達は勝手に出迎えてくれている様子?
中には60cm以上ものも見えるし、ロウニンアジ=GTの大型も出入りすると聞く。
当たり前の事だが透明度は、すこぶるいい南国の離島である。
ボートでの釣りは、遊漁船がないので様子観程度の半日で終了した。
魚種を選ばなければ、フエフキ類やシロダイは飽きない程度に釣れる。
それも30cmは小さい方で大きいと60cmはある。
船頭さんの話によれば時々狙っても居ないのにカンパチも釣れる。
それでは試しにと30cm程度のハマフエフキを針に掛けてハーネスを締めなおした。
何流しか目に同船者にアタリがあった。
ぐっと竿を持って行かれてから、合わせに入る。
ヒット!そしてバレ。
その正体のわからぬまま終了した。
一体何が咥えていたのであろうか。
カンパチでもいいの?
なんてF先輩の同級生兼船長は、そう申しておられた。
どうやら、イソンボマニアと思われて他は関心ないと思われていたみたいである。
それにしても、F先輩と同級生とは、何とも心強い事ではあるが、船長は多くを語らなかった。
それでもF先輩とだけは、少なからず会話は成り立っていたような気がする、そんな一日であった。
その2へ続く
DOGTOOTH IN RYUKYU-05 南方回帰Ⅰその1 -For Shore Fisherman-VOL1-2 ― 2017年09月27日 17:00
さてトライ
ハンドルバリエーションは多彩である。
釣方やスピンかコンベンショナル(両軸)かで大きく事なる。
そのコンベンショナルもの用途によってシート位置は大きく異なるのである。
2005年当時からするとカスタムバリエーションは大きく拡がって、コンベンショナルスタイル(両軸)が圧倒的に増えた。
主力である1363シリーズ。
磯から、丘から狙うこの手の竿は、この当時もう殆ど無かった。
いや、無いのと同じだった。
今回は地元K氏の全面的オファーもあり、K氏を師として磯からのイソマグロ狙いを第一目的とした。
故に船から上がってから少しの休息の後、その夜からの強行軍でショアロッドに持ち代えていざ出陣した。
12f(1202-UM9XP BLUE FANG)と13.6f(1363-UM7P
STAND UP SHORE)の2本を持って賽の河原のような岬を渡る。
これは、なかなか大変である。
汗が噴き出て来る。
肩には荷物の重さが更に増したような気がした。
ショルダベルトのみなので荷物は、あっちへふらふらこっちへふらふらと、脚を踏み出す毎に揺れてバランスを保つのがなかなか大変であった。
さて今回の仕掛けはと言うと・・。
今回は、師匠がすべて準備するのでその必要はないと言う事であったのでターミナルタックル(仕掛け)はお任せする事にした。
しかし、釣師にとってどのような仕掛けか解らずに現場に行くのはそれなりに不安である。
その不安を消し去るには、この仕掛けを一刻も早く伝授して自分のものにするしかないと思ったが、もう移動中の我々には次回の事とするしかない。
磯場に着くと風は無く、どっと汗、また汗で少しながら風が吹いてまた止まると、すぐに汗が出てくる。
長袖のシャツはもうバケツで水を被ったようになっている。
まだ体が慣れていないせいもあって、いきなりくらくらとするし、竿を持つ気力を少しずつ奪い取るような錯覚だかそのものなのか判らない状態だった。
しかし我々チーム勝連は臨戦態勢にて、すぐに道具をセットし始める。
足場は5m~8m前後かなり高く、足元まで魚は近づくそうで、12f以下ではルアーの場合トレースしにくく少々苦戦しそうである。
(やるならジグか・・・な・・。)
ドロップオフブレイクラインは、約100m程沖にあるそうで、そこまで魚が走ってしまえばブレイクは必至と言う。
左右にも瀬があるらしい。
なんとも右も左も先も終わりのがんじがらめのような気がした。
こんな、ところで目標とする50㎏オーバーのイソンボなど取れるのだろうか?
師匠のK氏は、久々の釣りと言う事なので、島の皆に頼まれてボトムフィッシングと決め、淡々と高級魚といわれるヒメフエダイメインにてガンガンと釣り始めるが、ヒメフエダイ(ミミジャー)、ハマフエフキ、カッポレ等々・・・・フエフキ類を合わせてはフックアップ~ごぼう抜き~という具合で、釣果を重ねていった。 案外良く引くバラフエダイは、抜いてからライトを当てるなり「これは駄目だ・・・。」とあっさりリリースするに至った。
流石に誰しもシガテラは嫌らしい。
当然写真撮影もない。
しかし、バラフエはその凶悪面もさながら、なかなかのブルファイターである。
その引きは、好敵手には違いなかった。
その3へつづく