Tribute of Master Kazuo Yuge-22023年03月31日 18:45

特別番外編

Tribute of Master Kazuo Yuge-

DAIWA SEALINE SL50SH

ダイワ精工株式会社

アメリカ生まれの日本製とその栄光/そしてアメリカンリール

ジギング黎明期を支えたダイワ精工傑作の一つ

DAIWA SEALINE SL50SH

SL-50SHbox


軽量グラファイトボディに、超高速巻き上げ6.1:1を実現し自動遠心ブレーキ搭載のこのリールは、ジグのコンビネーションで西海岸のイエローテールに威力を発揮した

スポーティかつ斬新なデザインだった革命的両軸リール

PENNSENATOR

両軸リールの代表といえばPENN SENETOR

1936年発売開始という超ロングセラー

我が国が戦争に突き進んでいった時代にゲームとして釣りが行われていたのは、当時から先進国の最強国であったことは間違いない

ゲームフィッシングのキャリアの差を感じる


 さて、弓削さんが90年代早々にジギングリールとして目を付けて使用していたのは、先に述べた“恐怖のヘビージギングそれは、チーム弓削と魔王への挑戦”のところで述べましたが、(ご関心のある方は、そちらからお読みください。)弓削さんの目のつけどころは、やはり先取りだったと思います。新しいことへの挑戦は、明日への開発につながることです。たしか当時の弓削さんと私の会話はこのようなことだったと思います。

「ちょっと前はな、これアメリカでしか買えへんリールやねん。」

「散々さがしたけどな、これしかなかったんや。」

と申されていたのを記憶しています。逆輸入という言葉が少し流行っていた時代です。まさにこれが逆輸入仕様のそれであり、これがジギングの走りを支えた一つであることは間違いないようです。当時のダイワ精工には、国内にその製造拠点があり、それを世界に輸出していました。高度成長期かつ広島県人の職人魂が加わったまさにメイドインジャパンまさに大和魂だったように思えます。そんな日本製というこだわりも既にどうでもいいことになりつつある、いやなっていることを思い知らされる昨今です。

 私がSL-SHを購入したのは、国内でも発売になってから直ぐのことだったと思います。なんといってもその特徴でもあるデザインは、ギアボックス側が異常に出ている形状でした。それは、ラウンド型、マルチプライヤーリールの常識からは逸脱したものでした。また、そのギア比を上げる為の秘策というか必然というかデザインとバランスは二の次という、なんとも斬新なものでした。そのスピニング並のギア比かつ巻き上げトルクは当然スピニングの上となると、貪欲にそのジギングという釣りを追う釣人にとっては必然だったようにも思えます。一方他社はと言うと、その先取りからはかなり出遅れた感がありました。当時マミヤOPが総代理店であったABUリール名品Ambassadorオリジナルではほぼ使えない上に、ギア比もドラグ性能も巻き上げトルクもすべてに於いてこの釣りには向いていなかったように思えます。それも当然です。元々そのような釣には設計されていません。あくまでもサーモン、トラウトベースから、7000番、10000番もそう強力な巻き上げとスピード、ドラグ性能を有していませんでした。そこをマミヤさんは、なんとかジギング用にマイナーチェンジしてこの世に送りだしていた時代です。残念ながら当時のマミヤ時代のそのウインチシリーズは、購買に至らず所有しておりませんので画像はありません。また、近くの友人知人にもそのような方はいませんでした。少し残念です。

一方今やその代名詞であるSHIMANOのオシアジガーは、98年発売以来改良を重ねてその新製品が発売されるごとに人気の一途を駆け上がって行きました。今では、一番人気を博しているジギング専用リールでしょう。それは、国内にとどまらず世界で活躍していることと思います。それだけSHIMANOの技術は高く世界市場でも不動の位置に立ってということになりますでしょうか。また、蛇足になりますがこのジギングという高強度のPEラインを使うという前提となるとその耐久性及びその性能を上げてきたお蔭で今の高性能、高負荷ドラグ可能なスピニングリールが徐々に進化を遂げていきました。特に当時の(も)日本人は、スピニングにこだわるというなんとも面白い拘りがあったように思えます。今もそのラインナップをみればスピニングリールの機種は、両軸の市場を上回っています。そのこともあり、開発を後押しすることになったかもしれません。今や日本のスピニングリールは、各ジャンル世界最高峰といっても過言ではないと言えるでしょう。スピニングリールによるある程度の大物釣りにまで世界的に拡がっていきました。これは、日本メーカーの尽力とそれを持参して世界の釣をしてきた日本人アングラーの功績であることは誰も否定できないことだと思います。また今後は、アジアの各国製でもそのようなリールが出てくるかも知れません。技術というものは常に流れていくものですし、時代は常に移り変わっていくものですから。

 

※南方回帰Ⅲ-その13-おまけで一度取り上げました。

http://tukinoturisi.asablo.jp/blog/2018/07/23/8923997

なお、SEALINEシリーズの歴史については、残念ながら私はそう詳しくありません。聞いておかなければならなかったことではありますが、それを開発してきた当事者である私の師匠も既に故人です。その時は、常に予想外、想定外です。いつもの通常が突然変わってしまう現実です。

このリールについて検索しますと、その歴史をかなり詳しく述べている方のサイト等がありますのでご関心のある方は調べてみてください。きっとまたあなたにとって無駄な知識にはならない?ことになるかもしれません。

Spinfisherss1

ジギング初期に於いては、やはりPENNはその選択枝のある程度メインだったようである

 

Spinfisherss2

とても古い時代から変わらなかったがゆっくりと時代と共に変化していった

セルフメンテナンスも容易なのも利点である

ゆえに改造もされていった

Spinfisherss4

90年代CCM文字は、SPINFISHERSSチューンをメインにその地位を確立していった

筆者がかつて愛用していたPENNSPINFISHER


NEWELL

軽量両軸リールとは

その栄光と挫折と無念

NEWELLP1


533-5.51

筆者が2001年に購入したオリジナル533-5.5

徹底的に軽量化された

それから軽量と言えばこのリール

http://tukinoturisi.asablo.jp/blog/2018/09/05/8956896

これも2度取り上げましたが、秀逸なリールでした。

カジキとファイト1

当時のカット

カジキの突っ込みに耐える友人と月竿ベストセラーFTSシリーズのM701-FTS30-Master model

カジキとファイト2

ハーネスラグも搭載されている


革命的軽量リール

NEWELLBOX

だが、課題もそれなりに最後まで残っていたらしい

それは、過酷な外洋及びハワイのウルワリールとしての長期耐久性であるらしい

ある面このリールも進化の途上にあったともいえよう

 

 軽量グラファイト両軸リールなら、もうこのラインナップにはどのメーカーも勝てないと思います。残念ながらこのメーカーも現存しないのがとても残念でなりません。リール名がそのまま、名前のこのリールNEWELLさんから上手く引き継ぎが行っていれば、今でも米国内とりわけ西海岸とハワイでは多くのファンを獲得したと思います。当然そのメインマテリアルでもある売りででもあるグラファイトも軽量かつ耐久性アップしたサイドプレートや、キャステングブレーキ等々のさらに改良が進めば、PEライン主体の時代になっても十分戦えたと思うので今でも復活してくれないかと時々思っています。それはいつも思うことですが、それも儚い夢でしょうか。それは、リョービやオリムがまだ存在していたら・・・と同じことに思います。やってみたいことはまだ沢山あったかもしれませんが、これも創業者まかせの小さな会社であった為にその歴史が終わりました。それは、他業種でも多々あることかもしれません。中小零細企業には、そのアイデアや発想というものがあっても実現してそれを継続することが大企業のそれよりも脆弱かつ不可能なことも多いのは皆さんの知るところでもあります。

 

533-5.53

ベアリングは、当時のカスタムチューン職人であるCCM文字さんに依頼した耐錆ベアリングに替えてある


またドラグワッシャーは、スムースドラグのカーボテクスに替えてある

※残念ながらCCM2023年現在は廃業されています

533-5.54

533-5.5500番台最速ギア搭載である

まさにジギングを可能にした秀逸最速超軽量両軸だった

533-5.55

実に最大44インチ、約111.76㎝の巻き上げスピードを誇った

ジギングの為のリールと記載されている

533-5.56

当時徹底的に軽量化が進んだ

5年保証付きだったが、その保証はもうない


 

NEWELL/DEEP PURPLE

カジキと紫リール

紫の衝撃

紫のリール1


 そういえばと思いだしたことは、友人が所有しているレアな紫仕様のリールをまだ大事に使っていてくれたことを思い出しました。早速連絡をしてみました。そこで彼に撮影をしてもらうようにお願いしたところ、快諾してくださいました。その撮影画像を提供して頂きました。ありがとうございます。これらの紫仕様リール画像は、その友人の提供になります。

 それにしても紫ってかっこいいですね。かなり主観的な意見ではありますが今の国産メーカーもこれくらいの遊び心があってもいいのではないかと思うこの頃です。多くの大陸性にはあらゆるカラフルなリールや迷彩柄まで様々な色使いのものがありますが、なぜか安っぽくかつ怪しく見えるのは色眼鏡でみているからなのでしょうか?いや、単純にとにかく色をあれこれ色々塗ってしまえ、付けてしまえという考え方なのでしょうか。

NEWELL546-4.61

友人は、箱も大事に保管していた

その状態は筆者のそれよりかなりいい

 

546-4.62

紫は、かなりレアモデルである
日本で所有している人は殆どいないと思われる

他にレッド、ピンク、ブルーが存在していたがそれは、かなりレアモデルになるとおもう

赤と紫CCMチューン

2000年代初頭に一度入荷したモデル

赤もレアモデルでロゴも違う

ハンドルはCCM文字特注ベアリングハンドル

これらも手元にはない

54604.6と701FTS20

MOON 701FTS30546-4.6モデル

546-4.63

筆者がオーダーした時は2008年だったのか9年だったのか、オーダーこそ入ったが、ついに納品には至らなかった

既にその時遅かったのが悔やまれるが、その時は突然訪れる

546とパーツ

 

アフターパーツも良い状態で確保している
セラミクスベアリングもあるし、耐熱性のあるグリスもある

533とパーツ

筆者の所有533-5.5とそのパーツ

ドラグマテリアルもオリジナルよりカーボテクスに変えてある

533-5.5-A

スプールサイドのネジパーツ(U-5)まで樹脂製だったのですぐに割れてしまうのが難点だったが、後のパーツステンネジに付け替えてある

   

 

PRO GEAR

それは90年代突如として現れた


RROGEAR1

PRO GEAR 251 440

PROGEAR2

※それと同じ頃、PROGEARが存在した。http://tukinoturisi.asablo.jp/blog/2017/10/23/8711015

 

PROGEAR3

アメリカ製を強調してある

それほど危機感を感じていたのであろうか

それは我が国とは違って愛国心の現れでもあるといえる

 

釣方及び対象魚がPENNNEWELLPROGEARは、ほぼ同じでもこちらのプロギアはアルミフレームにこだわった重厚感がとてもステキなリールでした。90年代半ば日本にもそれなりに入ってきました。初めてみた時は、これも衝撃的でした。国内でもワンピースフレームとか幾らかは存在していたと思いますが、高強度のアルミを削りだすなどとても贅沢です。とてもシンプルですが、両軸リールとしての基本性能はしっかりとしていました。むしろそれが売りのリールでした。また記憶によれば、このリールには最初からスムースドラグが搭載されていると思いました。日本では使い道がないのか、はたまた、常に更新されて新製品を買うという習慣が根付いていったのか、単に新しいもの好きなのかはわかりませんが、この基本性能重要視型のリールは、次第に電動主体に移行していく我が国ではSEALANE同様に人々から忘れ去られるようになりました。ゲームフィッングとしての、マニュアル操作満載の技量が問われるこのリールも素晴らしいものでした。これも現在は、販売されていないようです。2016年頃新機種を引っ提げて復活したと思いましたが、それも今はないようです。いつもあると思う日常からの無でした。

我が国では、世界的に稀であった深海への釣が早くも行われていたのでその点は、やはり日本の釣文化として電動リールによる深海の釣はあってもいいのかと思います。それももう20年近く前になりますが、服部名人も仰せだったと思います。一方で小型両軸手巻可能な比較的浅い水深も電動なのは少しやりすぎな気がしてなりませんが、それでも業界の長年の渉外や、先ほど述べた高齢化社会へのアプローチ、あるいは先ほど述べた娯楽化推進という点に於いて必然の流れといえばそうなのかもしれません。なにせその国の勢いは若者の数が多分に影響するのは間違いなさそうなので、もはや健全な体力のある若者の減少は、釣という趣味産業にも多大なる影響を与えていると思います。流石にある程度の国内メーカーでも今は輸出としてのあるいは、現地法人としての経営もされていることでしょうから、市場という点を国外へ向けてみるとその先も見えそうです。なんでもアメリカが良いとは思いませんが、こと遊び、スポーツに関しては常にそのウエイトは大きく、遊ぶために仕事をするという感覚はこれらのリール市場の底上げをしているのでしょう。

 

保証他

保証書もその当時のまま保管してあった

展開図

251440の展開図

シンプルで耐久性重要視なのが解る

そのベースは、どれもPENNあってのことだと思う

これらも保管することにした


PROGEARGS

440はハーネスラグすらない

そこでGSブラケットなるハーネスラグ部品も売られていた

数度使用してみたがまあ高負荷でない限りその役目は果していると言えよう

 

 

DAIWA SEALINE SL50SH

 

SL50SHの通販

家探しすると、捨てていなかった通販カタログの95年度には既に販売されていた

 

 SLSHのリム径は、40502030が共同じのシーラインSLでしたが、ジギングは40の方がし易い印象でした。ジギングに於いては、リム径がワイドだとブレも大きく、巻きとりもナローより均一に巻き取り辛いということもありました。今現在は、ナロースプールの扱いの良さはごく普通に言われ多くのジギングリールは、ナローかナロー気味のものが大半だと思います。ワイドスプールは、イシダイリール以外はあまり見かけなくなってきました。どちらかというと50は、そのキャパが行かされる、イソンボのライブ及びデットベイトの釣に向いていることが実感できました。それも、ラインワインドを指で操作するということを考えると、ワイドよりもナローの方が楽でブレも少ないです。可能であれば60サイズも製作してほしいと思いました。それも具体的にはリム径を一回り上げて40サイズ幅並のナローです。私がダイワ精工の開発であったなら、絶対それを製作してやろうと思いますが、そもそもそんな釣をする人が今日本国内には殆ど居なくなってしまいましたので国内市場だけを意識してしまうとすぐにどんづまりになってしまいます。再び世界戦略を目指すと言うことなら話は別ですが、果して軽量グラファイトボティ、ハイギア、高耐久ドラグ性能、MCブレーキ付のリールなど現在のグローブライドに期待するのは間違いな気がします。私の師匠や服部名人、〇田先輩がまだ現役バリバリならきっと可能だったことでしょう。

またライトジギングとしては2030それぞれ利点はありますが、20の方がよりナローですのでジギングし易いように思えます。20NEWELL200シリーズを彷彿とさせる感じですが、これも現代のジギングリールに影響をもたらした一つであると思います。

さて、バラムツのジギングに於いては、ジグ単体から、ジグ+シングルフック+ワーム、それからジグ+シングルフック+サンマの切り身(半身)と移行してくるにつれ、ジギングする機会は少なく、徐々に連続的なしゃくりという動作、運動が減ってしまい、超スロージャークに近い誘いに変化していきました。そうなると、ジグ重さは徐々に錘代わりとなっていき、そこは錘になっていきました。それと同時に徐々にPEラインの性能が上がって行くにつれ、ナロースプールの40でも十二分に戦えるようになりました。それでも得体のしれぬ大物に対してのラインキャパは大切です。それをカバーするには50でも足りないくらいです。結局バラは、その大半をこの両軸SL50SHで釣ることになりますが、消耗品であるドラグワッシャー交換とオーバーホールをすること以外は、壊れたことはありませんでした。アベレージ20㎏、アブラソコムツに関しては30㎏台ともなるとドラグ56㎏テンションであればガンガン引きずりだしていきます。それでも一度もドラグ周りの破損はありませんでした。とても超優秀な部類に入ると思いました。90年代は、ほぼ行けばイレグイでしたのでジグ単体でもそれなりに釣れました。後半は、前述のNEWELLを使用することが増えました。それは、最軽量、タフで、速いとてもいいリールの一つでした。

 

SEALINE BOX

日本の誇りのEMBLEMを備えるSL50SH

このリールが無ければ今のハイスピードリールは生まれなかったかもしれない

SL50SH 50 SHA

 発売当初から90年代までは日本製

旧広島工場で製作されていた
最下段:X-HSA20最小サイズはライトジギングや遠心ブレーキの利点を生かしてブッコミ等で仕様可能な小粒でパワフルなリールである

Stargazer14-50SH

日本のクラフトマンシップ製品は、海を渡って活躍されていたが、その後日本ではこれをベースにグランウェーブというジギングリールが発売されたが短命だった記憶がある

筆者は、その後イソマグロ戦闘で使用することになる

 

200O年代に入ると、弓削さんは関西の実家に戻られて合う機会も激減しました。私の方は、次第に磯からイソマグロを狙う機会が増えました。ここでもスピンタックルは、VAN STAAL VS300PENN 9500SSと決めていましたが圧倒的にVSの方が軽量であった為VSを持参していました。両軸となると、多少の悩みはありましたが、手元にあるSL50SHを使う気になりました。軽量で高速巻き上げ、ワイドスプールが生み出すラインキャパ、投げに対する自動遠心ブレーキ、どれをとっても当時私が行っていた釣りにはベストな回答に思えました。他に同じ性能に近い同様なリールはPENNから出たGSシリーズがそれにあたりましたが、私は545 サイズしか所有しておらず、当時からバラもそれで行っていましたが、どうもSLの方が巻き上げトルクもあるように感じていました。GS555であればある程度イソマグロやロウニンアジでも対処することができることは認識していました。その頃は、古い作法の友人は、GS555を使用していました。

 またSL50SHのドラグ性能に於いては、湿式のフェルトドラグであることは唯一の悩みでしたが、それもスムースドラグ社のものを使うことで解決しました。これは、GSも同様にスムースドラグに変更して2015年くらいまで使用していました。秀作と言えるリールでした。

GS545

PENN GS545

同じくグラファイトボディにサイドフレームデザイン
ギアボックスがはみ出した形の高速ギア

5452

同時期のライバル機だったが

一体どちらが人気で売れたのかは判らない

5453

ドラグホイールはこちらの方が好みだが(GS545

SL50SH7

 オーバーホール後の50SH

流石、メインギア及びピニオンギアはまだまだ十分生きていました

 

 弓削さんとの思いでの一つの接点でもありましたので、今回、仕舞って置いた50SHをひっぱりだしてきました。そういえば5年以上もそのままにしておいたようです。お蔵入りさせるのもそのままとは行きませんでしたのでこれを機会にオーバーホールすることにしました。当然今のグローブライド及びそのアフター会社では修理不能機種に違いはありません。壊れれば、USA現行の後継機種X- SHAとの共通パーツ以外は部品もありません。(探せばあるかもしれませんが)

しかしながら、この2023年に於いてもほぼマイナーチェンジの後継機種があるというのは凄いことです。如何にこの製品が北米市場で愛されてきたか容易に想像がつきます。北米市場に於いて、ベストセラーとなるにはバリューと言う概念がとても重要になってきます。安くて、こわれなく、使えるという点に於いてこのシーラインシリーズは、ダイワ精工では群を抜いています。

 それでは、簡単ではありますが、時間を少しばかり取って分解していきましょう。

分解1

50SHASL50SH

フレーム等は今日共通である

サイドカバー

サイドプレート左

スプール

スプール

SL50はアノダイズドブラックである

当時の日本でのアルマイト【アノダイズ】処理はかなり優秀だったと思う

ギア1

ギアボックス内

メインギアは健在である

潮は、海での釣りでは必然だがその侵入を放置すると致命的な状態に陥る

ドラグワッシャーハンドル側のプレートには塩が侵入していた

ギア2

古いグリスは、硬化している

除去作業およびクリーニング前

細かい粒の潮が付着している

ギアボックス側のサイドプレート

これも作業前

サイドプレート2

古く固まったグリスを取り除く作業はとても地味

しかし基本である

クリーニング

クリーニング後、再度グリスアップする

クリーニング後


 

Sealine

世界戦略の看板

DAIWA精工の勢い

シーライン付属書

1987年当時のラインナップ

まだSLシリーズはない

当時の説明書き通り世界戦略リールとしてその名を知らしめたまさに世界のDAIWAを目指したリールである

付属説明書2

当時の自信が満ち溢れている気がする

英語版1

元々の説明書き英語版

英語版2

説明書きその2


Sealine50SHD

最終型シーラインHシリーズは、1987年発売の超ロングセラーだった

この50SHDは、2001年にマイナーチェンジしたもので以降タイランド製に変わった

これは、大半が日本製パーツに組み替えてある特注品

50SHD2

50SHDも廃盤になって久しい

世界的には使い道が多くあると思うが

国内ではほぼ電動リールが主体になっていた

廃盤へと近づいていった時代

Sealinebox

箱も英語記載のみで後からシールで日本語説明されている

50SHD3

輝かしいダイワのエンブレム

個人的にはかなりかっこいいとは思うけれどそれは昭和の人間だからなのだろうか

サイズ比較

GS545とのサイズ比較

新品とまではいかないが、これでお蔵いりしても大丈夫だろう

50SHオーバーホール後

恐らくもう私がつかうことはない

最後の贐にしたい

 時代は大きく移り変わり、私と弓削さんのこよなく愛したDAIWA精工は、もうありません。釣りのスポーツ、ゲーム化が加速した80年代~90年代の20年もあっという間でした。40年以上慣れ親しんできたそのサンマークと呼ばれたエンブレムももうすっかり見かけません。若者が極端に減少している我が国の現状は大きく変わりつつあり、よりエンターテイメント、娯楽化に力をいれてきたのもその流れ、商売上致し方ありません。リールも電動でいい訳です。いや電動でないと行けなくなってきました。それも時代の流れです。かつては、ABU1970年頃までその世界のリールをけん引してきたように思えますがそれも今は別会社です。それでもABUという名前が残っているだけでも凄いことでしょう。これらのかつてダイワをけん引していったリールももう殆ど残ってはいませんが、それも時代の流れです。それでもまだDというデザインのもと、DAIWAという文字が残っているだけ釣り業界の一流企業には変わらないことでしょう。近年の動画を見ると、無名あるいは中華とよばれるリールのレビュー等を多く見かけます。そんなことも、弓削さんと釣りをした時代にはあり得ない話です。当時からすれば、あり得ないことだらけです。ましてやその世界の生産の中心もその大陸となり、経済も我が国を追い越していきました。我が国の国力もどんどん衰退の方向性になっていくのでしょうか。釣具など遊びの商品ですので、それもさらに変わっていくことでしょう。それも時代の流れです。流れに逆らうことは到底ない不可能なことかもしれませんが、その支流から外して生きて行く手段はあるようにも思えます。時には大物もその支流に入ってくることもあるでしょう。そう大型のイトウのように。

 

ラトリンラップ最大サイズ

Tribute of Master Kazuo Yuge

で記載するのを失念していたBILL LEWIS LURE RAT-L-TRAP

の最大サイズ

ラトリンラップ2

これも弓削さんからのプレゼントだった

それから後は、私がその魚を追うことはしばらく無かった

 

筆者が初めて目の赤い魚を狙いだしたのは92年頃である当時は、認知度が割合低かったようで説明に苦労したものである

またその専用も使えるルアーもそう無かった

K-TEN140BOMBER LONG-A Magnumくらいだろうか

 

 いつも当たり前のように存在していたことが、ある日忽然と無くなって行く。そんなことも多々あるでしょう。それも時が経つとまた忘れ去れて行くようです。それは人もそうなのでしょう。多くの人は、その名前も忘れ去れて行くのが世の常なのでしょうか。そんなことをついつい思うこの頃です。

 弓削さんとのわずか5年という時間もあっという間でした。あの日、あの場所で竿を並べて、あの時同じ悔しい気持ち、うれしい気持ち、感動を同時に共有したこと。涙したこと、すべて洗い流してしまうのでしょうか。

 

 単身赴任の引っ越しを手伝いに行った時のあの弓削先輩の悲しくも儚い表情を今も忘れません。私はきっと忘れないです。

フランスの文字


 ※本編は筆者の主観を中心に記述しているものです。また歴史的記載の誤り等がございましたらご容赦ください。

20233月31日

釣竿工房 月代表


またいつの日かつづくかもしれない
またいつの日か

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