南方回帰Ⅳ-影と闇と残光2014-13 ― 2023年05月12日 18:37
午後のはじまり
せっせと本日使用分のリグを纏めてから、リールの糸を巻き替える。もちろんそれを新品に巻き替える。その時いつも多少の勿体ない感が漂うのだが、そこは切り捨てる。芯の方は、まだまだ新品なのだがそこで結節するわけにもいかず捨ててしまう。専務は昨晩一度も傷つけることなくラインを回収したので、本日はそのまま行くらしい。ちょっとだけそこは余裕だった。
気持ちとは裏腹に、地味な作業が続く。
それも釣りと言うことなのですがね。その準備に注ぐ2時間が直ぐに過ぎた。
そうこうするうちに定刻となり、荷物をR号に積み込み再び現場に向かう。R号から見える景色の中に、たまに公共工事がゆっくりと進んでいる様子が見える。がそれも、結構マイペースプラス少人数で路面も修繕するよりも傷む方が早い気がする。管理しているのかどうかも解らない道路沿いの植木も若干だが直している様子が伺われた。街路樹と言われる植木等は、島には無くても良い気もするが、公共工事と言うのはそのような要素だけというものだけでも無く他の理由の場合があるのだろう。
現場に到着すると、即出発の準備となる。その間にも汗が滴るこの島の冬であった。本日も基本的に暑いが、日中の気温は29℃を超えていた。まさに夏の気候だった。
日が沈むにはあと1時間くらいありそうだが、昨日と同じ要領で磯場を渡って行った。明るいうちは、ポイントまでの道のりがとても楽である。神眼状態よろしく、天と地の差を実感する。
到着するともう細かい説明は、必要ないのでお互い個々にせっせと準備を始める。とその前に、早速一本目のペットボトルを空けその乾いた喉を潤す。
小休止。
そして、深呼吸。
それからは、波音を挟んでくる竿を振る音。
リールスプールが回転する音。
波が岩に打ちつける音。
南風の音。
そして、そこに暫く沈黙の二人。
その沈黙が祈りに変わるにはまだ少し遠い。
潮が止まると、速攻コブシメの猛攻にあう。おかずにはうってつけだが、相手ではない。1本針では、おかずの外道キャッチにもならない。
気になる餌にもなるオオメカマスは、現時点では居ないみたいである。変わってマルコバンアジが餌取りとなってつっつき始める。想像では、有力大外道である筈のアオチビキの中大型があがっているはずなのだが、ここまでバイトすらない。不思議である。(音沙汰ない)
マルコバンは、以前専務の地獄リグによってその正体を突き止めた。今回の餌取りの主役はどうやらこいつのようだった。
小型外道の猛攻とコブシメの猛攻が続くとなると、オカズ釣りでもしてみるかとボトムを探るが、いつもは掛かる筈のヒメフエフキやハマフエフキ、キツネフエフキ等の攻撃もない。あの頂けないヨコスジフエダイも釣れてこない。変わって苦労の末に、タマン18号針に喰ってきたのは、ゴマヒレキントキと、ホウセキキントキ、カゴダイ類である。これは一体どういうことか。
それから間も無く、お月さまがゆっくりと登り始め、全てを照らし始めると、うす暗いダークグレーな景色に変わる。
水の透明さが判りそうなくらいの光。
余計な人工の光が無いこの場所では、それが全てである。
我らがあのLEDとケミライトを点灯しなければ・・・・。
ケミライトのホワイトとグリーンを割って振る。
足元を照らす用としてかなり役にはたっているのだろう。
何せ、月明りがないと真っ暗闇になってしまう。
※ケミライト:ルミカ製の2液混合型の発光体。
餌取り軍団に少々披露困憊気味の中、売店で買った菓子パンと水をお腹に入れて行った。腹に入れるとはこのことで、味も何もあまり関係ないこの場面。
そうこうするうち、あっと言う間に2時間が過ぎた。
本命は、まだ来ない。
来るのか、来ないのか。
来るその時は何時なのか。
二人並んで海面を見て、天空を仰ぐ。
仕掛けが馴染んでくると、専務のすぐ数メーター離れた位置で同調して流れて行く。
更に動きがあったか、前アタリがあって直ぐにケミホタルが横に移動する。
「ん?!・・・・。」
ラインを巻き込ながら合わせ、また合わせと2回程。
ずっしりとした重みと共に一回目の締め込みが訪れた。
更に一回、ポンピングで更にまた一回とラインを入れて行く。
ギィ・・ギリリィー・・・とクリッカーが鳴く。
更に踏ん張って溜めると、必死の抵抗を見せた。
「んっ・・・チビキか?何だ?これは!」
このパターンは違う魚かな?とも思える。
ジリリィ~とリールは鳴くに鳴くけれど、強烈なダッシュはない。
但し、小物でない事は確かだった。
竿が、大きく弧を描いて糸が吐き出されるギリギリのところまで頑張ってくれているが、リールが時々耐えきれずに糸を海中へくれてやる。
数分が過ぎたころでも奴は、全く浮かなかった。
それどころか、引きの力がそう変わらないのは不思議である。
「こりゃなんだろロウニンかぁ?・・!」
一進一退の引きでだが、昨日のモノとは明らかに違うサイズだった。
すると今度は、右に左に走りだした。横に移動すると言う事は、もう沖にまっすぐ頭を向けられないと言う事でもある。走る方向を見ながら寄せにかかるが、案外とそれはしぶとかった。
更に数分が過ぎて計10分が過ぎたころ、奴が足元下のエグレを出たり入ったり左右に泳いだりした。一瞬気を抜きかけたがそこは、また失敗すまいと気を入れ直した。
ここの詰めが案外と辛いのである。
“この動きはどうやら本命のようだな”
そう思えた。
「イソンボか?」
浮いて来ないか、専務に確認をお願いする。
「う~ん~?まだ浮いてないです。」
「ライトを当ててみて!」
専務がラインの下にいる奴をLED全開で照らしてみる。
一歩踏み込んで前進して下を観ると・・・・。
光に反射してはっきりと銀色に輝く腹部が横走りするのが私にも見えた。
「イソンボだ!間違いない!」
そこから更に気を引き締めて数分を戦った。
「どうだ。浮いたか?!」
「まだです!」
もはや全く糸を出す気力もない状態の奴 には違いないが、ここの詰めでは、オーバーハングの先端岩に擦らない様細心の注意が必要である。
気を抜かないように。
更に魚は右に左に一往復。
丁度楕円の動きに近い。
「浮いたか?!」
「もうちょっと!」
更に一往復させる。
楕円の動きは少し遅め。
いよいよその力を使い果たしたか・・。
「浮きました!!」
「イソンボか!」
「イソンボです!」
「デカイんじゃないですか!?」
「ああ、Jちゃん、そろそろランディングお願い!」
頃合をみて専務に落としギャフを依頼した。
奴は、完全に腹を浮かせてぐったりしていた。そいつは、腹を浮かせて殆ど動かない状態になっていた。完全にグロッキーな状態である。ただ波間に腹を見せて漂うだけのイソンボ。これを今まで何度みたことか。
そこから専務は、迅速で初めてのランディングにも関わらず、その先の物凄く手際が良かった。そんな中段取りどおりに行かなかった部分は、ランディグギアとそれを扱う人の方ではなく、仕掛けそのものだった。遊離するシステムが上手く起動しなかったのである。これは参った。しばしの苦戦の後それは解消されたようだった。
「かかったか?」
「かかりました!」
専務の離れ業でなんとか腹部にギャフを掛ける事に成功した。
「あれ、重いですよ!」
確かに、水汲みバケツでもなかなかなので・・・・・・それが容易であれば魚はかなり小さくブリサイズになる。
8mの落差を専務は、少しずつ手繰り寄せに入りそれを独りで揚げてくると。
他のマグロ類とは一線を期すイソマグロの胸鰭と腹鰭
なんとかずり上げてきた。それはまさしく奴だった。
やはり奴である。
正真正銘の奴であった。
イソマグロ、何処からみてもイソンボである。
「これ、でかいんじゃないですか?」
「20㎏くらい前後じゃぁない?」
「もっとあるように見えるけど・・。」
「まあ、20あるかないかじゃないかな、計ってみるか。」
持参したバネバカリで実測してみると、思った通り実測で20㎏を僅かに欠けていた。このサイズは、敵には変わりないがもはや強敵ではない。ただこちらの体力が明らかに落ちているだけである。
一先ず安心してほっと肩をなで下ろした。
と同時に思い出すのは昨日の奴のことだった。
あと数メートルで切れた奴。
そして、5年前にあのラインを切って行った奴。
敗北に敗北を重ねてあるこの釣り。
この場所でのキャッチ率は、それなりに低い。
我々にとっては、最早20㎏代を強敵とみなす訳にはいかなかった。
目標を達成するまでに現役である事が必要条件であるからだ。
現役である事は、これからの人生ではそれまでの人生より長くなる事は恐らく無い。焦ってはいないが、少しばかりプランを見直す必要がある。
あらゆる、リスクを考えてのプランが。若い皆さんもそうした方が良いと提案できる。なぜなら、仮に人生80年~としても、この手の釣りに現役参加できるのはR師匠の釣り人生で60歳リタイアを標準としたらもう半分もない。
二十歳で初めても40年。
三十歳で始めても30年そこそこ
四十歳で始める事ともなれば20年足らず。
現実は、必ずしも予測通りとはそういかないのである。
私の諸先輩が現役または、リタイア後、続々と故人になって行くのを目の当たりにしているからか余計にそう思うのである。
もし、あなたが、高齢になったとしても、余力があるなら残りの趣味を楽しまれたら良いと思うが、その時は今以上に肉体的制限を強いられる事は必至なのでそこまで考えて楽しんで欲しいと思うこの頃である。私もそうであったが、それを冷静に考えられる様になったのは40歳を過ぎたころからだった。だからそれが、若者にとってその考えに及ぶには少し難しい事なのかもしれない。だから敢えて書こうではないか・・・と言う気にもなったのである。
釣りは、様々な形態があるので釣り自体を辞める必要など何処にもないのだが。果してそれまで健康でいられる保証もないのだ。
人の人生は、生まれた時と死ぬ時は自分自身では決して決められないのであるのは不変の真理でもあるように思う。恐らくこれに異を唱える人が居るとするならば、それは死ぬ時であろう。勿論それは、意図的な行為によってしか成り立たない事ではあるが・・・。
「さて、下ろすか。」
「はい。」
ここからは黙々と仕事をこなすのだが、何分ファイト直後で少し疲れ気味な上に手首に力が入らない。
それでも、鰓にナイフを突き立てた。
鮮血がどくどくと流れる。
それを専務が水で流してくれるが、また出る。心臓が止まるまでは出続けるのだろうけど、ここは、殺生と言う最高の概念までに持ち上げるには必須な作業である。
彼らの一心房一心室の心臓が止まるまでは。
血抜きが終わると今度は、腹出し、腎臓を取り出してまた洗い、一旦下処理は完了となる。
それから、それを背負い一旦帰宅する。
これが本当に、「骨が折れる」と言う作業である事は言うまでもない。
それからしつこくもまたまたポイントを目指して辿りつき、竿を出すのであった。それがこの釣りを更に過酷にして行くのであった。その工程をいちいち考えるとうんざりなのだが、その場では前向きに取り組んで進めるしか方法はない。
その後は、野人【先輩】の協力によって、解体はされていた。とても有り難い。
真夜中の解体。
それは誰でもできる事ではないが、野人はプロである。
帰宅後は、野人がすっかり柵取り前まで終えていた。
感謝の一言につきるその日の一日と朝方だった。
冷蔵庫は、柵でいっぱいになっていた。
ほっと一安心である。
遠征では、これがなかなかできないことが殆どである。数ある遠征をこなした人であれば、それは容易に想像がつくことである。それだけ磯の釣とある程度の魚肉としてのクオリィティーを保つことは容易ではないのである。ましてや鮮度落ちの激しいイソマグロとなれば尚更である。
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