南方回帰Ⅲ- 闇からの一撃 Fishing from rocks near the shore of the ocean-13 ― 2018年07月23日 12:27
しかし、しかし暑いのである。
日本中が未体験ゾーンに突入しているのではないだろうか?
と思ったりもします。
気候も変動し、温暖化は避けれない必須のこの頃。
これ以上、温暖化が進むと、住む事すらままならない場所ができてくるのではないかと
心配しても仕方がない事なのだろうか?
ニイニイゼミとミンミンゼミ、アブラゼミの3重奏を聞きながら、この暑さに耐えています。
さて、海況もどんどん変わって、手放しに喜んでいる場合ではないと思うのですが、
そんな事もお構いなしに売り込む事だけに集中する、釣業界の一部にもうんざり度がこの暑さと相乗効果を生み、前向きに行こうとする心まで浸食してくるような錯覚を覚える今日この頃であります。
皆様くれぐれもご自愛ください。
ダイワ精工株式会社
その革命的リールの先駆け
その昔ダイワ精工株式会社という釣具主体の会社があった。
創業者は、何度もこの紀行文にでてくる事なのだが、広島県の呉市出身であることは、創業当時の関係者しかあまり知られていない。
名実共に世界一のトップメーカーまでに上り詰めたと思う90年代まで、世界を日本製がすべてを凌駕していて、それが何時まで続くかなんて気にもしていなかった、栄耀栄華時代?
嘗て4大メーカーと言われた、マミヤ(オリムピック)、リョービがまた存在していた時代であった。
オリジナル、DAIWA SEALINE50SH 日本製
これがハイスピード両軸リールの先駆けである事を、
多くの釣り人は知らない。
上記は1996年前後頃購入したものである。
当時の完成度としては、かなり高いものであった。
JAPANの文字がくっきりと
その後、ジギングブームの到来により、このリールは、日本向けに変に改良されてしまい、その名もグランウェーブとなった。
なんともかっこ悪く思えたが、かなりそのモデルを宣伝していたように思える。
その後のXシリーズとしてマイナーチェンジしたもの。
タイランド製に変わってしまい、国内市場から消えていった。
2017年末現在でも国際市場に存在するこのリールは、ダイワ精工の当時の完成度を物語っている。
因みにこの設計をされた本人から、私はその当時の開発秘話から実情をお聞きしている。
ほぼマイナーチェンジだけのこのシリーズ。
ボディは共通と思われる。
ドラグだけは、組み替えてある。
オリジナルが悪い訳ではないが、少し強化させてこの釣りに対応させた。
比較すると記載内容が少し異なる。

ここがダイワ精工のプライドだったように思える。
因みにこの保証書を一度も使わなかった。
あのダイワ精工は、もう帰っては来ないが、ひょっとすると未来はアジアからそんな、メーカーがでてくるのかもしれない。
GS BRACKET USA
GSブラケット。
これも導入してみた。
補助的にハーネスを掛けられる。
日本人には、この発想がないのが残念である。
ものづくりとその考えは世界有数を唱える我が国だが、
遊びの発想はいつも海外からである。
特にアメリカの遊び文化は、世界一なのかもしれない。
そう思うと現代日本発祥の遊びは、あまり見当たらないのは気のせいであろうかと少し考えてみるこの頃である。
2017年12月14日ブログ版編集
南方回帰Ⅳへとつづく
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://tukinoturisi.asablo.jp/blog/2018/07/23/8923997/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。