南方回帰Ⅳ-影と闇と残光2014‐7 ― 2022年10月14日 16:13
一回戦で強豪とあたる
可能ならば、シード戦に・・・・・してはくれないか
しかしながら、シードで上がってからと言って次が楽とは限らないのが現実である
「ほんじゃぁ、餌の通し方は・・・・こんな感じで・・・ええじゃろ。」
専務は、それを見て即同じ様に刺して行く。
大海原の方角を仰ぎ見ながら、海神様にお願いする。そこは、時代が変わっても国が変わっても変わらない。自然と身についているともいえる、典型的な日本人の無意識なる信仰感でもある。どこにでも神様がいると昔祖母が言っていたのを思い出した。そんな大正生まれの祖母は、八百万の神々を信じていた。それは、釣人の多くが勝手に神の魚と呼ぶアカメもそうだろう。アカメは確かに神の魚と呼ばれていたらしい。しかしながら、その扱いは神にしては少々軽いように感じられるのは私だけであろうか。神と付く名の魚は、神ではないのであろうか。それとも八百万の神々のひとつなのであろうか。もしそれが神ならば今の扱いはかなり神様とはほど遠いのではなかろうか。何せ針で引きずり廻した挙句、フィッシュグリップでその高貴なる顎を挟まれその高貴なる体の鱗を剥がされて行く有様は、神とは程遠いものでただの魚であるのではないか。そう思ったりする。
「さあ~投入~。」
ゆっくりと潮は、左から右に流れているらしい。
ロングロッドもなんのその、風も南が3~4mと言ったところ。
専務のフナッシ―風カラーのM1363-UM9P 13‛6”がすぐ隣に並ぶ。リールは、AVET。私が猛禽ブルーで専務が猛禽シルバーである。私のロッドは、オリーブグリーンで、専務は、フナッシーイエローに銀色猛禽類巻取機械。
時間が流れる。
南の島のさらに南の離れ。
オーバーハングなテラス。
おそらく、他に人間はいない。
AVET
HXJ RAPTOR
時々足元を見ても、あの死肉大好きな掃除屋さんの“ハサミ虫”も本日は、多く現れていない。
見上げれば益々小さな我々。
パノラマの空に見える流れ星。
ひとつ。
またひとつ。
いったい幾つ流れて行くのだろうか。
そして大きな半月。
宇宙に身を委ねるこの感覚と、時々襲ってくる現実と錯覚。
時々上がって来る潮飛沫。
この時間を共有しているのは、おそらくこの二人だけ。
さあ勝負である。
1363-um9pは、前アタリすら逃さないセンシティブソフトトップにベリーからバットにかけての強靭なバネで魚をじわじわと締め上げる、いわゆる“柔良く剛を制す”の竿である。しかしながら、突き技にも対応できる理想とする武術であるような・・・正に日本人好みでともいえるがこの良さは、使った人のみが知りえる特典でもあるのだろうか。はたまた、自己陶酔による錯覚なのかもうその先が妄想で膨れ上がる。
師匠、良くこの竿を設計してくれました。
誠に感謝致します。
と言いたいのであるが・・・既に、この地上には存在していない。本当に一つの命というのは、儚い。
この流れる時の一瞬の瞬きにもならないのか。
刹那の瞬間にも遠いのか。
昨今は、日本の釣人もレバードラグを認識し使い初めているのかもしれない
仕掛けが投入され潮に馴染んでくると、多少の潮流に乗ってラインを少しずつ引きだしてはその先へと送りこむ。この間も突然の奴の襲撃に備えて既に気が抜けない状況にある。その咄嗟の対策は、クリッカーを入れる事である程度解決できる。これをクリッカー有効術とでも言おうか。それも幾分大げさにも思えてくるのだが、これは案外使いこなせた方がいいと思う。
左手で竿をもちつつ、右手でクリッカーをオンに入れる。昨今のジギング専用リールともなると、そのクリッカーでさえ余分な機能なのか付属していないものもある。特に国内メーカーだとそれは顕著である。つまりそのリールは、ジギング以外使わない、あるいは使えないと言うことの裏返しでもある。
右で竿を支えつつ、ラインをつまむと一送り、また一送りする。
軽快でバックラッシュの心配は勿論無い。そして、リールのレバーをフリーポジションから一旦ベイトポジションに上げ、更にローテンションギリギリのところまで1ノッチ、1ノッチとレバーを上げて行く。
ラプターモデルの短所は、その強めのドラグが売りの変わりにレバーの振り幅に対してドラグが効き始める範囲が非常に狭いことである。馴れてしまえばなんとも無い事かもしれないが、これが結構狭いレンジで、日本のクイックドラグシステムに近い感じがする。レバードラグとはいえ、今一つのところでもある。
時々、このドラグテンションを確認しながらの操作は、マニュアル感満載で、この仕事量がいつの間にか、このスーパーマルチパーパスな両軸を使いこなすと言う楽しみを得て行くのである。このドライブ感は、道具らしくてとても良い。そしてこの糸ヨレの無さは、本当にありがたいと思えた。この点は、いくらハイテクになったとは言え、スピニングリールには不可能な特徴である。そして、このダイレクト感もしかり。また、スピニングリールと比較すると、多くの時間ラインと指は触れている状態にある。ここらあたりの使用感も操作の上に成り立っていて、静かな時間でも頭は常にぐるぐると小さい動作に合わせて回転してゆく。ぼーっとする暇はないのである。またそれは、静の中の動と言う感覚である。
辺りは、月の明るさ以外には我々が時々照らす高輝度LEDのライトと先ほどパッケージから取り出して割ったケミライトの光以外には人口の光は見えない。我々が唯一の人工物の塊ということになる。
潮のうねりと波が月に照らされて、飛沫までが照らされている気がして、そして岩にぶつかったその波からサラシが生まれてそれも月の光に反射するような気がした。
静と動、光りと闇。
その繰り返し。
シルバーに輝くAVET各種
そしてまた訪れる
光と闇そして影。
影と闇。
光と月。
月と影。
光と闇・・・・・・・。
影の影。
闇の闇。
星と光。
月そしてまた月
光と闇と影の三重の景色。
そして光に映っては消えて行くサラシの小泡。
全てが自然に溶け込んで流れて行く。
釣り座は私と専務だけ。
心残りは、参加出来なかった将軍様の事で・・・それが時々波の音とそれがぶつかる音と飛沫に交じって・・話題に持ちあがる。今ごろ、雪にあくせくされている頃だろうか。
HX
RAPTORと同HXJ
HXJはナロースプールタイプである
私と専務は、共有と言う名の小さな宇宙の占有をしている気がしてならなかった。そこには、不快な事も多々ある隣人のプレッシャーもなく、人より優位に立ちたいということが生きがいの釣人の思いや、単なるエゴのぶつかり合いだけが生み出す表面だけのお付き合いとはかけ離れられて、少し幸せなのかもしれなかった。ここでは、社会の闇も少し薄らいでいくようである。
利害関係は、ここには存在していないのではないかとも思える自然の中に溶け込みそうになる。
「ああなんていい感じ。」
「世捨て人にでもなるか?」
「はぁ・・・・・。」
そのような世捨て人になれたらいいかもしれないが、現実はそうでもないし、世捨て人には世捨て人なりの苦労もあるだろう。隣の垣根は良く見えるもので、いいところだけが良く見えたりするものだと言う結論は出ているのであるが、ついつい同じ話をしてしまう。
おもてなしの国の裏は、とても辛いのだろうか。世界一気を使う国、日本。その気づかいと細かさは、その裏でストレスを飼う事にもなるのが矛盾するところなのかもしれない。ましてや、この国で当たり前の事が、そうは出来ない海外ではそれも何故かストレスに繋がって行くのが辛いところ。どこに行っても闇はそれなりに深い。
高鳴る心臓を抑えて、落ち着かせようと必死にもがいている釣り人。そこに必要なのは恐らく第一にくるのが平常心だが、ついつい気が張ってそれが醸しでている気がした。
メンタルトレーニングという合理的なトレーニングによる自分の精神面を鍛える方法が今はアメリカをはじめとしてあるらしい。あのトップアスリートを要請する学校が本場らしい。一方、ひたすら根性と忍耐、精神統一の言葉だけを教えられて来た我々日本人は、一体いつから、そのような訓練を怠って来たのであろうか?いや、怠っているのではなく、その方法を知らないだけ、なんてアメリカでの現場レポート中継番組から知るなんて思ってもよらなかった。
おそらく、武士道の道にはそれがあったのかもしれない。
多くの歴史と戦場とで積み重ねて来た我々の御先祖様は、それをその環境に身を置く中で鍛え上げられてきたのかもしれないと思ったが、私には何の確証もない。
静寂の闇の中に激しい波の音。
風の音にこの興奮をどう抑えて継続し続けられるかが問題である。
興奮することで、覚醒はするけれど、一体それがいつまで続くかと言う疑問が生じるようになる。
そこをタウリン高配合の栄養ドリンクとなるもので
「ファイト!」「いっぱ~つ!」
と言いたいところではあるが何故かそれが選択肢にない。長期戦では、それが切れた後の辛さをなんとなく感じるからかもしれなかった。これを釣りバカと言うのは、少し抵抗があったりもした。あの釣りそのものよりも、人間ドラマ中心のそのマンガのイメージで語られるのを敬遠する気持ちからなのだろうか?
何もない一時が流れて・・・。
波と飛沫だけの強烈な音以外は、サンゴ岩を切り裂く風の音だけ。
そしてまた、将軍様いじりの会話。
それは、汗だくになって2時間が過ぎたころだった。
専務が投入して仕掛けが潮にうまく馴染んだ頃を見計らってから、愛竿を振った。そんなに力まず、肩の力を抜いて竿のしなりを感じて前に押してきたら両親指を離す。放物線の下降を意識した頃にスプールにサミングをする。ここでいつも多少の糸ふけを感じるならサミングは、ラインを押えるより、サイドのスプールに摩擦を掛けた方が良いと言う事は、その昔岡田師匠から学んだ。その時は、まさかそのような釣りはしないから適当に流せば良いとは思わなくて良かったと今思うこのごろである。
その8へとつづく
南方回帰Ⅳ-影と闇と残光2014-6 ― 2022年10月06日 18:07
開戦
戦となれば、双方同じ条件でぶつかる事はほぼ無い
それは、現代のスポーツ競技の世界でも同じこと
例え、あらゆる面で不利な状況であっても
とても困難であっても、それでも勝つ方法を見出して行かなければならない
それが戦というものらしい
なかなか面白かった
タングステンカーバイドハイフレーム
翌日の天気は、雨時々曇りのち晴れの日。
それまで、雨も降らず思わず雨乞いしたくなると言っていたY氏であるが、どうやら恵みの雨らしい。
さて本番の出陣である。早々に荷物を纏めるとする。到着後は、息をつく暇もない感じである。移動手段は、師匠愛用のR号。それは、もう更に歳をとり過ぎてとっくにリタイアしたと思いきや、その5年後もなんと現役であることにびっくりしながらもその外観ボロボロのR号に必要な荷物を積み込んだ。それにしても良く頑張っている。まさかとは思ったが・・・確か5年前もそろそろ車を入れ替えると言っていたとおもうが・・・・・なんと今でも現役だった。
荷物を積み終えると、専務と二人で賽ノ河原風のあの場所を目指した。整備が行き届いているのか、潮風でボロボロに錆びて朽ち果てそうなボディとは裏腹にエンジンはとても良い音がした。エンジンは、まだまだ走れると言っているようだった。その登録年は見てないが恐らく20年選手かもしれない型である。他の送迎車を見て回っても、ぱっと見ここ数年のうちに切り替えたと思える年式ばかりだった。それだけR号は、古くかつ見劣りした。平成初期の生き残りなのかもしれない。
しばし走ると、目標地点に到達した。汗の中二人は、膝サポーターに磯必須の尻当(ヒップガード)、長ズボンに磯靴を装着した。因みにこの磯靴は、その5年前に1万円以上したものだが、いきなり今回、底が禿げてしまった。これは、神のお告げであると悟り一旦師匠の元に帰る事にした。案外と言っては失礼ではあるが、信心深く思慮深い専務の助言がかなり効いた。更に危険との判断で、専務がシ○ノのシューズを貸してくれ、専務は、師匠のタビを借りる事となった。タビ、これが案外理にかなっている。案外とタビは快適そうだった。次回から磯タビにしようかと二人で思った程である。それと、取り替え式の靴底は便利ではあるが、危険だと言う事を実感した。買ってすぐは軽快だったのだが、それは買った当時のみの話だったようである。マジックテープ機能は、全く衰えていなかったのにはその技術レベルの高さが伺われたが、靴本体とべりピタを貼る接着面が完全にその能力を失っていた。次回から、この取り替え式のものは、選択肢から外すようにしようとつくづく思った。
「さあ、始めるかね~。」
専務はと言えば、所謂呑みこみがとても早かった。
今回が初めてにも関わらず、リグも完璧だった。その手際良さには感心した。彼は、一度教えるとすぐものにしてしまう。(勿論何度も下準備と打ち合わせはしたのだが)
それだけ、自ら近道を知っているのであろう。
“守”は完ぺきに守られていたのである。
目標は、はるか上にあればある程、最短コースで行けるところまでは行った方が良いと思うこのごろ。何故ならば持てる人生には限りがあり、更に体の自由と無理が利く期間ともなると人生の大半を寝る事と労働する事に奪われてしまう。そんな人生とすれば、尚更である。残念ながらここが欠けていることに気が付かない人々が、どれだけ多く存在することか。それが持論による拘りにもなるのだが、こだわりは得てしてもろ刃の剣のような気もする。こだわりも良し悪しだろう。残念ながらそんなことは、釣り動画にもDVDにも、雑誌にも何処にも映っていないし、記載もない。おそらく動画配信サイトにも、でていない。年に数度か行われる釣りセミナーの中でも、道具の説明と釣り方云々は多く語られても、本質いついては語られる事はほぼない。それどころか、その半分は、主催者の販促であったり、あまりあてにならぬ情報だったりするのかもしれない。ここの重要と思われる基本的な考え方や方法の部分は、元々培った教育環境に依存するとも言えるが、現代の義務教育がそこには全く触れていない事実の表れととることもできると言えよう。それだけ世の中に情報と言う必要以上の知識が山積みにされて、どこを拾ったら良いのかで止まってしまうか、片っ端から片手落ちの状態で吸収風になってしまうのだろうか。
さて彼のリグの組み付けに於いて教える側が、これだけ楽な事はない。テキパキと己の武器に磨きが掛かっているからである。それは、初日の多少の説明で十分話が通じた。
当の私は、当初このリグを初めて見た時はなんだか闇夜の中の現場では理解するのに物凄く時間がかかったのである。その時、現場で初めてリグを見てからの釣りは、何とも心細かったのを覚えている。それからあっと言う間に10年が過ぎ去ってしまった。これが今思うととても短く感じるのはどうしてだろう。
戦う武器は、1363-um9pクラスの竿とAVETのラプターモデルと言うマルチパーパスなコンベンショナルリール(両軸リール)。その豊富な知識と世界中を釣り歩いた師匠ならではの設計のこの竿は、正に現代のモーゼの杖であったりする。信頼のものである。
今回使用するそのリールは、この釣りには最も向いていると思われる程で、その名をHX猛禽類と言う名前のリール。特段ハイテクでも、超ウルトラ高性能と言う訳でもないが、この手のコンベンショナルリール(ベイトリールを含む)では断トツの機能満載リールで、あらゆる釣りにマルチパーパスに使える超実践リールなのである。この手の発想は、我が国を代表する国内大手二社には全く持ってないと言っても過言ではない。もしくは最初から想定していないと思うくらいに選択肢が全く無い。むしろ意図的に限定モデル化して特化仕様が目立ち過ぎる傾向にあるのは、売る側の理屈なのは否めないところであろうか。但し、こいつの販売する側としての欠点は、世界にそれなりにばらまかれて価格も同一でないばかりか世界のいかなるルートでも入手が可能と言う事になっており、もう訳が解らないと言うのが現状である。使う側としては、便利は便利なのであるが。
ターミナルタックル(仕掛け)は、既に欠かせない“Rリグ改”である。その先のフックは、OWNER社のゴリラでもリングドゴリラでもムツでもリングドムツでも良いのだが、ここはスタンダードと刺さり優先のゴリラを使う。使い捨て針ではあるが、とても優秀な日本製のものである。その切っ先は、オーナーカットと呼ばれる三方向のブレイドからなる化学研磨の先で、初期性能は恐ろしいほど良いのである。欠点としては、量産なりのメッキと少しでも刃先が当たっただけでその性能が半減されてしまうこと。よって、こまめなチェックを必要とする。それさえ怠らなければ、きっと多くの釣り人を良い方向に導いてくれるに違いない強い味方である。この部分は、他にこれ以上進化はないのではないかと言う完成度である。これらのターミナルタックル(仕掛け)に使うパーツは、一切妥協を許されないのである。
多くの釣人は、ロッド&リールと言う根幹の部分には相当の力を入れるが、それより以下のターミナルタック等については適当と言う釣り人が多いのもこの手の釣りから遠のかせているのかもしれない。とても面倒なことばかりである。不便を楽しみその先の何かに期待するという釣りの中でも、どちらかというと参入し辛いところに位置すると思う。
その点はとても残念である。
南方回帰Ⅳ-影と闇と残光2014-5 ― 2022年09月28日 16:51
終夏
何ともそれは、残暑と言う概念を超えた冬という季節の中の暑さである
このような、冬も流石に珍しいらしい
Tシャツに短パンそして草履姿。
風が少し止んでくると、即蚊の猛攻がある。
思わず蚊取り線香全開してみる。ここに一か所、あちらにも一か所と、四方を蚊取煙でバリアを作る。
そう言えば5年程前、ベ―プマットの使い方が判らないと助けを求めた若いおねえちゃんがいたな。
マットを敷かずに、コンセントを入れても全く蚊が死なないと言うのだ。これには一瞬唖然としたが、年齢を聞くと19歳と言う。もの心ついた時には、既にその家ではこのベ―プマットは使われておらず、ノーマットの時代だったのだろう。そして彼女は、一人旅という。その旅の目的は、ないらしい。ここが、昭和生まれと平成生まれとの差なのかもしれない。その差は、一人生の中ではかなり大きい。世界広しといえど、19歳の娘さんが一人旅でも特に問題もなくこなせられるのも我が国の特徴と言えば特徴だろう。今のところ治安は世界トップレベルなのはいうまでもない。それが絶対条件に思える。
ここはまだ夏なのかと思ったが、島の人に聞いても暑いそうなので、どうやら季節に似つかわしくない天候らしい
とにかく暑い冬だった。
少し気になるのは、ヤモリの数が少しばかり少ない様に感じた。
専務といえば旅慣れていることもあると思うが、この島を満喫している様子である。そう、今回は専務と同行である。では、将軍サマはと言うと、彼は臨時の仕事がどうしても抜けられず、今回は延期となってしまった。そこは少し残念ではあるが致し方ない。
スキあれば攻撃したいと臨戦態勢のこの八重山産の蚊達は、まだまだ元気いっぱいで、おまけにネズミが同じ位置前後に必ず糞を残している。この家は、完全に彼らの住処でもある。
ここで持参した、UZUのラジエーションシャツが重宝している。
近年の機能性化繊はとても楽であると同時に荷物事情が益々厳しくなる昨今の航空事情に上手くマッチしているウェアである事は間違いなさそうである。しかし師走始めとはいえ、国内でこの暑さとは全く持って想定外であり、冬対策として持ってきた長袖や万が一と持ってきたレインギアがただのお荷物と化しているのは、嬉しいのか悲しいのかと言う感じだった。それでもまた一日が過ぎようとしている。
その日前日の事になるが、島で“しましん”と言う島人のY本監督がお勧めの店に入った。島で野人と専務とY監督と野人の奥さんとでささやかな晩餐会をした。ギジムナが迎えてくれた。迷わずお勧めの“軟骨ソーキそば”をオーダーした。ありきたりの事になるが、ヘチマやゴーヤ、とうふチャンプルがとても美味しかった。ヘチマは、本州では食べものとして扱われていないようであるが、これが結構いけた。豆腐も島どうふと言うのは、水分が少ないそうで少し硬めであるから、チャンプルにしても崩れてぐちゃぐちゃになる事は無いそうである。どうも家庭でのガスレンジとは火力の差があり、強火で炒められることとプラス苦すぎない島のゴーヤのコンビでは最高である。とても良く口に運ばれて至福の味であった。そして、なによりも気の合う仲間との夕食会はとても楽しいものである。それが永遠に続くと幸せなのかもしれなかったが、それは昨今の状況下ではあり得ないことなのだろう。
僅か90分くらいのささやかな幸せ。
そのささやかさえも得る事ができないでいる国の人々とその世界の情勢は、いかんともし難く、ふと一人になるとそこまで考えてしまう。それが、豊かな国の人々の出来る事の第一歩なのか、それとも単なる同情だけなのかその先はまた分れるところでもある。
胃袋が満たされると、自然に解散の雰囲気が漂ってきたので我々は、明日の事を考えて早々にお開きにした。そして我々二人は、ホテルに向かった。このホテルはと言うと系列のホテルであって、サービスは均一で、支障のない、本州のビジネスホテルとなんら変わりが無かった。(いやビジネスホテルである)そこは素直に受け入れて明日を待つ事にした。
タングステンカーバイドガイド
実用性の高いものだが、2014年時点ですでに国内はほぼ存在していない
南方回帰Ⅳ-影と闇と残光2014-4 ― 2022年09月10日 20:15
師匠
それは、師事されたものの宿命なのか
その重き心の師弟関係に成り立つ人間関係であり、それは決して滅びない
私は、どちらというと師匠と言う存在には大変恵まれた方だと思っている。当の私の方に才能がある、無いはともかく師匠と言う存在だけは恵まれた。人生の師匠に恵まれる事ほど経験を相続し、勝ち取った徳を積めるチャンスを得る事はない。また、師匠が存在してこそ指導も受けられる。師匠とは、そのような存在と心得る。そこには、自己主張とは無縁の必ず通過する“守”と言う掟が必ず存在するのだが、守のない我流と言う存在は“守”がそもそも存在しないので発展性に欠けてしまいがちで、必ず限界を迎えてしまうのである。それも往々にして、気づかないで終わってしまうのが普通なのかと思う。幸いにして後で後悔しなければそれはそれでいいのかもしれないが、多分にして後の後悔先に立たずになってしまう。それが人生というのであれば、それもまた間違いでないのかもしれない。
さてもう昔の1990年代初頭、私は旧中村市(現四万十市)の“おかだ釣具”に良く通った。当時は、ルアー釣りがとても面白く感じた時代でもっぱら私の行う釣りはこのルアー釣りであったが、店主の岡田さんは、1970年代から80年代にかけて離島遠征を続けて来た人である。面白ことに、当時から磯竿一本勝負を平鯵(GT)に対して行って来たと言う事がとても新鮮であった。また当時からルアーフィッシングとも言っていたような気もするが、私が子供の頃は、“ルアー釣り入門”とか言う本の題名通りな感じだったように思える。ルアー釣りかぁ・・・と言っていた懐かしい時代である。
「よう行ったもんよ。」
その一言にも、とても重みがあったのをまだ覚えている。過去の紀行にも少し取り上げたが、いつもこの言葉は忘れない。
「死に物狂いで踏ん張ってギリギリの中で、ケツが浮きそうになるのを必死でこらえて・・・・。」
勿論、人間味もあり、情も厚く、土佐の武人の香りもした。たばこをいつも吹かしながらの会話も、いつも数時間にも及んだ。嫌な筈のたばこの匂いも、衣服に沁みわたってしまうけれどそこは、とても居心地の良い場所であると当時に“おかだ道場”でもあり、秘密会議室でもあった。
「釣り有名人?そんなの嘘っぱちじゃあー、おらほの方がよっぽど上手いわー。」
なんとも豪快で痛快。しかも、袈裟掛けでバッサリと、という展開になった。
そうこうするうちに、
「あんたら珈琲のむね?と奥さんがあきれ顔で出してくれた。」
時計は既に夜中の12時をとっくに過ぎてしまった頃。
「もううちは寝るけん。」
そう言うと奥さんは、粘りに粘る我々に呆れかえり奥に吸い込まれるように消えて行った。閉店もくそもへったくれもないとはこのことだろうか。
そのような店は、もう無きに等しいのではないかと思える程、今は味もそっけもない同じ味のようである。ファミレスかファストフードなのか、味はいつも同じだし、受けるサービスも全く同じである。そのサービスの均一化は、安心感もあるが、ドキドキ感も期待感も何もない。新メニューや限定メニューと書いてあっても特段変わりはない。そこに広島産カキと言う言葉も枕詞みたいに冬ともなれば毎年のように使われるが、それが岡山産となってもまず期待はない。しかしそれは、現代の日本人の多くが、多くの冒険よりも、いつもと変わりない安定を希望しているのか、その方が無難なのか、それらが人気なのも理解できる。ならばこの私が、その小売専門時代の良さをと思っても見るが、よくよく考えてみると当時の岡田さんよりも今の私の方が年上になっているのは、時が流れていてそこには至りきれていないところを見ると、現実はそうは行っていないと言うことなのかもしれない。それは、多少の形態を変えても輪廻していることへの証明なのであろうか。時代とともに大きく変化しているとも言えるのだろう。
それから20年以上が過ぎ、かつては大変貴重であった動画は、極一般的なものとなりその動画も慣れてくると、それからは感動が出て来なくなり、プロモーションと名がつけば色眼鏡になる。そんな時代である。これが更に20年後はどうなっているのだろうか。逆に言うと、誰でも気軽に撮影も公開もできる時代になり、それ自体を商売とする人も増えた。これは世界的らしい。
そんなアナログ時代、土佐守で豪快な師匠も既にもう故人なのは少し寂しい気もするが、順当でまわってくる時系列なのは良く解っている。
ここにもう一人、師匠がいる。
なんでも話によれば、琉球時代の銘家であるらしいが、政治犯として島に流されたらしい。その歴史は、ひも解いてみなければ全く解らないが当時の主力勢力にクーデター等や反発をすればその結果は、本人が主勢力となるか、その末は抹殺か極刑なのは今も昔も流れ的には同じである。恩歳68歳にして、その父は98歳。そろそろ師匠も高齢に差しかかって来た。そしてこの家を一人守っている。歴史は、常に勝利した側に書かれその主観に属する。正しいとか正しくないとかではない。勝てば官軍負ければ賊軍とはよく言ったものだと思う。それは世界の何処も変わることはなさそうだ。そして、現代もその繰り返しをしているようでもある。負けた側には、すべてにおいて蹂躙される運命なのだろうか。
数年ぶりにお会いしてみると、その格尺とした背筋と、全く持ってぶれていない発言。そして、容赦ない説教。それは、一見の観光客に対しても容赦が無いのはいかにも師匠らしい。師匠は、そうでなくてはと言う師匠振りであった。しかし、そのような師匠の内心は、とても優しくて思いやりもあり人の気持ちが解る人であり、そして時々寂しい背中を見せる。愛想と言う事だけが、不器用なだけであろうか。そんな師匠は、この島では異例と言ってはとても失礼であることを重々承知の上でだが、“飲酒は身を滅ぼす(飲み過ぎ)とたばこは健康に悪い”は口癖である。そう言うと、普通では無い気がする方も多いとは思うが、元々無医村で多くの先人達をこの2つが主要因で失った経験を持つ師匠にとっては、それが元凶の一要因であることを見に染みて理解していると言うことだろう。今は、ヘリも飛ばせるし、飛行機もある。高速艇もあるので、そのリスクは緩和されてはいるものの、一昔前では、一度倒れれば即それは死に結び付いた時代を知る師匠にとっては、その口癖に変わりない。そんな、禁欲的な師匠を、島の人は変わりものと呼ぶが、私はそうは思わない。ということは、どちらかと言うと自分もそちら側の変わった方なのだろう。
それで師匠は、今日までたった独りで完全な趣味としてこの釣りを開拓してきた。そして、独りで獲り込んで、独りで運んでくるという途方もない苦労と労力を難なくこなして来た。そんなことを聞くと、師匠には頭が上がらない。これを高尚な趣味と言っても良いと思うが、島の人がそれに理解することは、あまりないらしい。島では、ただの遊びと理解するのが妥当なところであって、本州から来る釣り人など、遊び人にしか映らないのは無理もない。実際、そのような人がこの南の島に流れてくるのは、そういう人が多いのだろう。それをよく昔の言葉では、流れ者という。
ただ師匠と言う存在は、弟子があってこそ師匠。門下生のいない師匠など意味がない。だからと言う訳ではないのだが、ならば私が弟子になろうではないかと思ったのが2006年のことだった。同じ弟子に野人もなったのであるが、元々従兄の野人に関しては、仕事の師匠でもあったらしいし、その付き合いも50数年にもなるので その点では足元にも及ばない。ブランク【月日は経って】は空けど野人と師匠は、今でも名タッグなのだった。
さてまた数年ぶりに、琉球古武術風隆道場の再開である。
右拳をぐっとその脇に締めて・・左手は開いて前に出す・・と言ったところか。
今年、この島に変わった事と言えば、今年はサトウキビが大変不足で雨が全く降らなかった為に島産の黒砂糖が無い。師匠の家に瓶に入ったあの黒砂糖がないのは、少し寂しい。師匠は大変几帳面なその正確で、いつもそこは整理整頓されていて、インスタント珈琲の位置もカップの位置もいつも同じ場所である。インスタントコーヒーの雑味と苦みを感じながらの黒砂糖を齧る事は、今年は諦めた。ちょっとだけほぼ飲むことの無くなったエクセラが欲しくなった。それは、擦りこみのように感じるのだった。昭和のインスタントコーヒー言えば、エクセラだろう。少しばかりの救いは、夏にはひっきり無しと言う観光客が、かなり少なくなったと言う事くらいだろうか。これは、少しラッキーでもある。島は、元々観光には全く力を入れていなかったし、今も半数はそうであろうから静かな日中を取りあえず保っていた。
南方回帰Ⅳ-影と闇と残光2014-3 ― 2022年09月03日 18:33
会談
とは言うが、それはたった二人だけの秘密会議でもあったのかもしれない・・所謂密談だったのかも
しかしそれは今となってはどうでも良い事であり、その事実と内容だけが重要なことなのであろうか
1995年頃のこと、そこにはまだ今流行のコンビニの税込100円珈琲はおろか、なんとか黒船○○○バックコーヒーも無い頃のことである。
それは、とある埼玉県の喫茶店の出来事。そこで彼と二人で行った。あたりはとっぷりと日が暮れて、もうすっかり暗くなり、夜の街を呈していた。場所は良く覚えていないが、埼玉だったように思う。
紙コップではないちゃんとした陶器のカップに注がれた熱い珈琲の香りが匂い立つその店の名前は、既に記憶に無い。いや、最初から覚えていなかったのかもしれない。そこには、たばこの煙はお互い無かった。
まだまだ若い彼は(私も若いが)、自身に力を示そうと努力していた頃の孤独な釣人だった。
そこで多くを語った。とても面白く、興味深くも楽しい、程よい興奮と交差するその感覚は忘れない。意思疎通も魂の小さな揺さぶりも、そこから始まったような気がする。
それは、時間にして僅か一時間半くらいだろうか。
同じ匂いのする人間。しかし、全く同じではない。
私は、ねっからのジャンクフード、スナック菓子を良くつまむ。未だにブラックサンダーですら珈琲のお伴である。そこら辺りが、突っ込みどころ満載な私とは違うところだろう。だが彼は、一切それを口にしない。当時は、私も今に比べればメタボ親父と言われる筋合いなど全く持って無い程ではあったが、今は見る影もない。対して彼は、今でも己の肉体を鍛え上げている。
ノートPCもまだまだ普及とはほど遠い頃で、口頭とアナログな写真での会話だった。それでもとても面白かった。いやそれだからこそ面白かったのかもしれない。その100枚以上の重ねられた写真は、それまでの我ら昭和世代には、極当たり前の情報共有手段だった。一枚、一枚カードを切るように写真を見ては、ずらりと並ぶに並んだロウニンアジの写真を見ては、感心し、感嘆してように思う。更にこの時は云々・・と言う話が続いた。興味が湧いてきて、主義も見えて来て、想像も膨らんで来た。そして、妄想もめらめらと湧いて来たのである。そのフィルムからプリントされた写真にすべての思いが込められているのだ。それは、間違いなく楽しく有意義に感じられた。そんな、1990年代半ばからすると既にもう20年が過ぎ去ろうとしている。思えば、その前の1980年代が青白い感じの燃え始めの頃なので、その当時の磯釣人の先人のカラーは、もう殆ど何処にも存在しなくなったようなそんな気がした。
「GTじゃない。」
「平鯵、浪人鯵なのですよ。」
彼も私もまだ20代、若気の至りな感はあるが、熱い空気がいつも蔓延していた彼だがクールなのは今も変わらない。変わった事と言えば、それぞれそれなりに親父になったと言う事だった。以降月日は、確実に年齢を刻んでいる。
それがすべて輝く光であれば何もいうことはないのだが。その年齢と月日は、闇と影を映しだしているのだ。
表と裏、表裏一体。光りがあれば影もあり、闇もあるのは常である。
南方回帰Ⅳ-影と闇と残光-1 ― 2022年08月14日 10:55
南方回帰Ⅳ-影と闇と残光2014
Fishing from rocks near the shore of the ocean
何が影で、それが闇で何が光なのかも明確ではないにも関わらず人はまた求め、従う
定めが何かも、その光がなんなのかも、判らないのに
人にも必ず光りと影はあるのだろう
現代(2014年)になっても、世界はまだまだ混迷の中を彷徨い続けている。我々は、時に宗教など関係ないと言う。しかしながら現実は、それが火種になって今も人々は争い戦い続けている現状なのである。
一体彼らは、なんの光を求めているのであろうか。
それが事実として即動画に公表されてきて、殺戮や処刑ですら動画の中の事だけのように錯覚をしてしまう。
そこには、闇の中の更に地獄のような闇が待っているのではないかという不安に集られるのは私だけでは無い筈であると思う。
21世紀になる現代なのに、紀元前からの確執はまだ解決していない様である。
南方回帰Ⅲ- 闇からの一撃 Fishing from rocks near the shore of the ocean-13 ― 2018年07月23日 12:27
しかし、しかし暑いのである。
日本中が未体験ゾーンに突入しているのではないだろうか?
と思ったりもします。
気候も変動し、温暖化は避けれない必須のこの頃。
これ以上、温暖化が進むと、住む事すらままならない場所ができてくるのではないかと
心配しても仕方がない事なのだろうか?
ニイニイゼミとミンミンゼミ、アブラゼミの3重奏を聞きながら、この暑さに耐えています。
さて、海況もどんどん変わって、手放しに喜んでいる場合ではないと思うのですが、
そんな事もお構いなしに売り込む事だけに集中する、釣業界の一部にもうんざり度がこの暑さと相乗効果を生み、前向きに行こうとする心まで浸食してくるような錯覚を覚える今日この頃であります。
皆様くれぐれもご自愛ください。
ダイワ精工株式会社
その革命的リールの先駆け
その昔ダイワ精工株式会社という釣具主体の会社があった。
創業者は、何度もこの紀行文にでてくる事なのだが、広島県の呉市出身であることは、創業当時の関係者しかあまり知られていない。
名実共に世界一のトップメーカーまでに上り詰めたと思う90年代まで、世界を日本製がすべてを凌駕していて、それが何時まで続くかなんて気にもしていなかった、栄耀栄華時代?
嘗て4大メーカーと言われた、マミヤ(オリムピック)、リョービがまた存在していた時代であった。
オリジナル、DAIWA SEALINE50SH 日本製
これがハイスピード両軸リールの先駆けである事を、
多くの釣り人は知らない。
上記は1996年前後頃購入したものである。
当時の完成度としては、かなり高いものであった。
JAPANの文字がくっきりと
その後、ジギングブームの到来により、このリールは、日本向けに変に改良されてしまい、その名もグランウェーブとなった。
なんともかっこ悪く思えたが、かなりそのモデルを宣伝していたように思える。
その後のXシリーズとしてマイナーチェンジしたもの。
タイランド製に変わってしまい、国内市場から消えていった。
2017年末現在でも国際市場に存在するこのリールは、ダイワ精工の当時の完成度を物語っている。
因みにこの設計をされた本人から、私はその当時の開発秘話から実情をお聞きしている。
ほぼマイナーチェンジだけのこのシリーズ。
ボディは共通と思われる。
ドラグだけは、組み替えてある。
オリジナルが悪い訳ではないが、少し強化させてこの釣りに対応させた。
比較すると記載内容が少し異なる。

ここがダイワ精工のプライドだったように思える。
因みにこの保証書を一度も使わなかった。
あのダイワ精工は、もう帰っては来ないが、ひょっとすると未来はアジアからそんな、メーカーがでてくるのかもしれない。
GS BRACKET USA
GSブラケット。
これも導入してみた。
補助的にハーネスを掛けられる。
日本人には、この発想がないのが残念である。
ものづくりとその考えは世界有数を唱える我が国だが、
遊びの発想はいつも海外からである。
特にアメリカの遊び文化は、世界一なのかもしれない。
そう思うと現代日本発祥の遊びは、あまり見当たらないのは気のせいであろうかと少し考えてみるこの頃である。
2017年12月14日ブログ版編集
南方回帰Ⅳへとつづく
南方回帰Ⅲ- 闇からの一撃 Fishing from rocks near the shore of the ocean-12 ― 2018年07月12日 17:30
‐DNA‐海人
50歳前半当時
その引き継がれたDNAとは
あとは、まだまだやる気十分な野人にバトンタッチとした。
野人と言えば一向に気にしていないのか、マイペース。
にこにこしながら、気合のキャスト。
さすが野人、余裕綽々。
すでに“あしたのジョー”になってしまった私とは裏腹に、野人は竿を投入し続けるのだった。
落胆の後の力無い私のあとを何事もなかったようにロッドが振れるその豪胆ぶり。
直ぐには何も無かった。
また、静かな時間。
その事件から30分が経過しただろうか?
全てを失って座って見学の私の前でそれは起った。
「来た!!」
野人吠える!
ポリネシアンパワーでum9Pの曲がりをバットまで溜めさせて最初の引きに耐える。
生まれながらの野生の勘かDNAに刻みこまれた先祖伝来の天性か、余裕の表情である。
彼の父は、150㎝前後程の昔の島人の背丈ではあったが、小舟でカジキやマグロ、イソンボやガーラをその腕一本で捕獲してきた、言わば生粋の海人である。
野人曰く、俺以上にタフで怪力の持ち主だったという。
それは、T-シャツに海人と書かなくてもその背中にはくっきりと刻みこまれ、DNAの中に先祖の霊とともにある血筋である。
そのような、タフな父でも今はこの世にはいないが息子にはその勘とともに生き続けているのだろう。
どう見ても弥生人系の私とは比較にならないようであった。
当然その背中には、海神祭とも書いてはいないけれど。
ところが、である。
今日の相手はそう簡単ではなかった。
本日の3本目もそれは強烈であった。
江戸時代では人生を終わる平均の歳ではある野人であるが、そのどっしりとした姿勢と体力は野人という名に相応しい。
ライトパッドは、ボートではその力を十分発揮できるが、しゃがんだ姿勢をある程度強いられる磯場では、かえって扱い辛い。
相手が沖に向かってぐんぐん走っている時は、竿をまっすぐに立てられるので問題はないのだが、左右、下、バンク下を泳ぐ奴らのそこからは案外厳しい。
D社が誇る6500EXPから逆転音が鋭く「ジーッッ・・・・。」と鳴る。
耐えては鳴る。
耐える。
巻く。
寄せる。
巻く。
鳴る。
野人パワー全開。
巻く。
10分はとっくに過ぎていた。
野人からは汗が滴って、まさに野生。
息はあがって、しんどそうには観えるが、心にはまだ余裕が見られる。
私と異なる点は、牙が止まった時の迅速なポンピングで間合いを詰めるペースがとてもいい。
ここが、功を期すのか。
牙もなかなかの猛獣で決して諦めてはいないようだが、野人は顔が幾分必至には見得たが少し余裕の顔がちらほら。
「大きいんしゃない? 20-30kgは確実にあるよ・・」とかなり、小さく見積もる私。
本当はもっと大きいとは思っていたが、あまり大きく言ってから
“なんだ、そんなに大きくないじゃないか!”と言われることを恐れてなのか、かなり小さく見積もってしまっている私がそこに居た。
さらに10分が経過した頃、奴に変化が出てきた。
既に磯の上で20分以上も戦っている。
相変わらずドラグは出るものの、その出方は少しずつ短くなっており、左右に走りを変えて来た。
疲れて来た証拠だろうか。
野人も少し疲れて来たようで魚とうまい具合に相対している。
後ろからベルトをつかむ私に、彼の疲れが伺える。
珍しく余裕も消えかけ・・・。
更に時間が経過した頃、奴に変化が表れて来た。
寄せに応じるようになったのである。
ゆっくりと寄ってくる。
「あああ・そこでは擦れるよ。もっと竿を!」
とY氏もアドバイスして少し興奮気味だった。
野人にも少しゆとりがなくなってきたのだろうか、我々の適格なアドバイスが彼の正気を呼び覚ましてまた、力強く溜めに代わっているようだ。
左右に走り始めてからも牙は浮こうとしなかった。
ドラグを出し切るパワーも無くなってきたか、でも浮かない。
幾分野人の膝も少し笑っているように感じた。
さらに5分ほどこのやりとりをする。
浮かない。
右に走れば竿を左に、左に走れば竿を右に、基本動作を繰り返す。
「まだ浮かないなあ・・。」
「ロッドを少し起こしてみて?」
そう簡単には浮いてはくれないが足元のバンク下も磯際をゆっくりと右に行ったかと思うと左に方向を変える。
円に近い運動になっている。
奴が疲れている証拠である。
漆黒の海原に映らない影は、ぐらりと腹を見せた瞬間、反射してその力に陰りを見せた。
船からのゲームであればとっくにゲームセット。
ファイト時間も半分であろう。
あとは船頭さんのギャフが入るだけ。
たまらず、奴が。
ころりと返ってその闇から白い腹を見せた。
グロッキー。
完全に腹を見せた状態になる。
「止った!」
「やっと止ったよ!」
「浮いた、浮いた!」
「ああ本当だ!」とY氏。
磯際で奴が完全に参っていた。
動かない。
波に身を漂わせているだけの状態。
さあランディングにて交代する。
「掛った?」
ギャフを入れなおすこと3度、4度、波はそうないがやはり崖下なかなかうまくはいかない。
「あれ、上がらないぞ!」
「ちょっと待って今行く!」
ベイルをフリーにしてロッドを立て置く。
二人がかりでランディング。
「おおデカイぞ‼」
しかし問題はまだあった。
「おい、ギャフが唇端に掛ってて・・・切れそうだぞ!」
Y氏の声が潮騒を割って響く。
野人にも多少の焦りはあるだろうが至って冷静な発言が
「ロープを鰓に通すからロープ!」
しかし素手で鰓から口は通せない。
見事な牙が生えそろっているからだ。
「Yさん黄色い小さいギャフ持って来て!」と私。
しかし、Y氏が持ってきたのはなんとボガグリップのバッタもんのエコノリパーであった。
「違う、違う、それじゃあない!」
「どれ?!」
「ああそれでもいいや!」と野人。
野人は器用に口からロープをリパーではさんで抜いた。
「おおお!」
「よし、掛った。あげるぞ!」
「せえの!よいしょ!」
「せえの、よいしょ!」
「せいの、よいしょ‼」
「やった‼」
「でかい!!」
隣の小イソンボがとっても小さく見える。
その体格は数倍だった。
小さい方は、サバみたいである。
確かに今までのそれとは比較にもならないほどデカかった。
島人は海人、野人は野神となる。
3人が一体化した心の充足感で満たされて、釣りの最も重要な醍醐味と達成感を分かちあった。
久々の幸福。
闇夜と潮騒、風と勝利感の中に3人だけが味わう祝福の時。
苦労と挫折、高いハードル、長くて短い人生、蠢く鬱との間に見える一夜の閃光。
それでいいではないか。
「いやあ、ありがとう!」
そう言って野神がイソンボをぽんぽんと叩き検討を称えた。
その眼だけが動いて、我々に語りかけたような気がした。
ぴくりとも動かず、ただ眼だけが動く。
そしてまだ闘いは終わっていない。
ブレイクした奴がまだ待っている。
手の届くところにあって到達できない到達点。
土佐鋼が鰓を突き刺し、鮮血が溢れる。
活きた証は徐々に流れを止め、自然に還る。
人はまた故郷の地を踏む。
ロッドフキのキャップがいつの間にか外れていた。
この竿YUU-SPの完成画像を探してみたが、これがなかなか見つからなかった。
データーは少し残っていた。
この画像がそのメインになってしまった。
バットは補強パイプと、尻手管を搭載している。
故郷。
それは、誰もが持つ真実。
過去も未来も飲み込む人生のターニングポイント。
人は必ず歳を取り、必ず死は訪れるがそれを人は決められない。
2010年も再び八重山の自然と神に出会いたい。
海神の島、多くの民族が通り過ぎていった長い歴史。
悠久の歴史と届かぬ未来。
その後調べてみあると、YUU-SPは、2006年2月に出荷レコードがあった。
当時の撮影でもかなり画像は粗いが致し方無いところである。
記念にと記載してみるが、何とも今一であるがそこはご了承願いたいところである。
2006年仕上がり時撮影のもので、シリアルはかなり若い。
バット部撮影、当時デカアテなるものが少しだけ流行した。
案外使いにくかったか
、その後消滅へと前進していった。
今でもその作風は残っているが、当時はまだまだこれからと言う感じだったように思える。
-09南方回帰Ⅲ-タックル
ROD:
MOON 1363-um9p Yuu‐Special Spin
MOON 1363-um9p Tungsten Special
conventional
MOON 1363-um7p conventional SIC
LINE:
BIGI 24 80LB DMV 170Lb
参加者:八重山の神、師匠、ベスマ野人、島人 最後に私。
まあ、これほど、うれしかった事はない1枚。
1992年にその話をF先輩から聞いてから、既に17年が経過していた。
その当時は、”ふーん“と言う程度にしか聞いて無かった私。
従兄が、島へ帰ってマグロ釣りに嵌っていると聞いていた。
まだ、ネット環境も全くない頃で、釣り道具の購入も紙上通販が最も最盛期の頃だった。
ツボ抜き後のイソンボ。
それでも強烈な走りに対して、50SHAは一度も壊れた事は無かった。
時代は変わって行くのである。
激動の時代。
2009年梅雨吉日
2016年1月追記
その13おまけへとつづく。
南方回帰Ⅲ- 闇からの一撃 Fishing from rocks near the shore of the ocean-11 ― 2018年07月09日 15:41
すべての段取りを終え、荷物ほ大半を高知へ送った。
6日の朝、それは興った。
「あんたぁ、今帰られんでぇ!」
安芸の守である。
-占星術師-STARGAZER-
夜半に近づきつつあるその時は、やはり突然やって来た。
闇からの一撃!
リッチーブラックモア再び。
別段気にもしなかったその時は、まさに一撃での上段攻撃、クリーンヒット。
大技というより、見えない段蹴りのようだった。
あっと言う間にこめかみにその衝撃が入り、崩れる感覚。
シビレル・・・。
「ヒット!」
そう言ってからクリッカーが
やはり1秒か2秒か、鳴いた。
空かさずクラッチを入れた。
それまでの流れのとおり、まだまだ気力十分であった私。
幾分余裕と先日までの釣果が、かなりのゆとりを持たせ勝手な判断が頭を擡げて自分ですでに余裕を持ち過ぎていた。
息を吐いて腹筋に力を入れてフックアップ。
リールを素早く2回程巻いた。
“乗った“
そう心の中で押し図り勝手にサイズまで判断してみる。
ラインの伸びの計算をしていないうちからサイズを判断したが、あっという間にドラグテンションを超えて、スプールは逆回転し始める。
パリパリパリィ・・・と糸が弾けて鳴いた。
野人もY氏もまだまだ余裕な私の顔を見て、これまた余裕の高みの見物になっていた。
またさらに私の判断は、完全に誤った発言にまで至ったのであった。
「まあまあのサイズだ・・・・・」
そう発言したのはいいのだが、どうもスプールの逆転は止まらない。
全くポンピングの間を与える暇もなく、溜めるのに精いっぱいとなってしまった。
ぎりぎり・・ギリギリ。
ギリギリっと、逆転の度、不安がちらほらと付き纏うのであった。
日米開戦の日がそうだったのかは全く分からないが、国が誤ると滅亡に繋がる。
それが私と魚なだけかなり小さい次元での中で、滅亡しなければよいのだか・・・果たしてその末路は・・。
少し緊張度が上がる。
「これはちょっと大変かも。」
「いいサイズなんじゃないの?」
野人が高み見物から、少し考えを変えていた。
明らかに違う引きと重さ。
圧倒的にパワーが違う。
桁違いの粘り。
“これは、ちょっと止まらんな”
“しかし、まだまだブレイクラインまではある?”
と勝手に思っていたが、逆転に継ぐ逆転でラインは既にスプール半分近くになっていた。
息が上がり、少々状況は不利。(無酸素エネルギーレッドゾーン、という感ありの感じだった。)
まさに状況は、戦局拮抗というところか?
いや、相手の方がかなり優勢になりつつある。
やはり体力低下は如実に表れて息切れと乳酸値を増加していた。
すでに無酸素運動分は消費尽くしているようだった。
息が切れる、切れる。
もうすでに余裕はない筈なのに、自分を落ち着かせて好機をうかがうが、手が痺れてきた。
ロッドフキをその股関節に挟んで、竿が伸されるのを防止する。
僅かに止まった瞬間。
リフトする。
重い。(なんとか頭をこちらに向かせたいところだが。)
これがとてつもなく重く感じるのだ。
いや、重い。
かなり、重い。
竿も簡単には起きないほど感じるものの、ゆっくりとリフトに相対してブランクのバット近くから、じわじわと起き上がる。
かなり粘っこい重たい寄せ、大物独特の重さとトルク。
ハンドルを1回転。
そしてなんとか・・・・もう一回転・・・。
ギリで2回転。
更にギリギリで3回転。
3回転程の回収の後、そこでまた糸が出されて行くのだった。
また、出される。
ドラグテンションは上がっている筈だが、それでもさらに勢い付いてラインはズルズルと出されてしまう。
さらに5m、10mと詰めるより、出される方が上になってラインは半分以下になっている。
バッキングまであと20mあるだろうか。(頭の中の計算が感覚的になって、まだなんとかなると思った。)
すでに100m近くは出されていることになる。
「これは、止まらんな・・・。」
「なんとも辛いわ。」
それまで余裕で観ていた両氏も情景に少しずつ呑まれて行った雰囲気に変わる。
力が入らなくなった両腕ではまだ己の腕という自覚はあったが、ロッドを起せず重心を後ろに移動して奴が止まった隙をみて体ごとリフトを試みる。
これが、とても辛いのだ。
10°程度ロッドを起こしてやっと1回、ハンドルを回す。
それなりのショートポンピングに切り替えるのだが。
もう時間の感覚も良く分らなくなっているか、時間は10分を過ぎていたが尚も奴はまだまだ余力ありそうだ。
キリキリ・・・キリ・・・とまた出される。
さらにスプールは逆回転速度も増しているではないか。
コリコリという感覚。
それがネズレであることを乳酸値MAXの頭が認識するには若干のタイムラグがある。
そのうち、ズリズリ・・・・という感覚が、ドロップオフの深みに向かう奴の走りをやっと認識した。
嫌な感触は、増幅して長くなる。
「くそっ‼擦れてる!」
ここで、初めて沖でネズレをおこしている事に気づくのであった。
生命感の間に無機物の抵抗。
いやな予感。
予感は、不安と一緒について回りつつある。
お約束通りの言葉で表すならば、その表現は、
突然ふっと軽くなった。
である。
これは、かなり頂けないありきたりの言葉ではあるが、そんな感じの切れ方だった。
ロッドはテンションを失って軽くなった。
絶望と安堵。
狂気と冷静。
痺れる体と落胆の精神。
激しく荒げる息。
それぞれが交差と連携して心が飛ぶ。
意識と心の間。
また今年も天を仰ぎみた。
占星術には関心ないが満点の星を雲が覆い、今の精神状態と重なる。
ああ、無常。
無情。
最後は、ラインブレイクの結末。
甘く見過ぎた罰は、やはり己の精神にも心にも矢のように降り注ぐ。
狂気を伝えたラインは先10mがネズレの後、サキイカの如し、に切れていた。
時代をもう少し進めれば、このファイト間も動画等に納められたのであるが。
また、当時のサポート側に回ってくれている筈の両名に気が利いていれば、ファイトシーンの写真もあったと思う。
これで全ての力が抜けた。
脱力感と虚脱感がすべてを支配する。
ごつごつとした岩場にあおむけになる。
「そうがっかりるすな、次があるさあ!」
と他人に気遣うY氏の温かいフォローによって我に返る。
Y氏は、こころ暖かい人である。
人の気持ちが解る人と言うのは、この人の事を言うのかもしれない。
我に帰った精神で言葉にならない唖を吐き捨てる。
「あああああっー切れたくそー!」
落胆の境地。
そして、脱力と緊張。
痺れと麻痺。
相手にとって不足はない、と言いたいところだが
しかし相手にとってこちらが不足であった。
人と人との争いであれば疲労とストレスだけが残るだけだが、相手は魚。
魚に恨みも遺恨もない。
ただ一騎討ちに負けただけ。
そこには、まだ見ぬ希望がぶら下がっているが手が届かないでいる。
そしてまた次へのステップとなるであろう、その日を待つ。
ただ自分が不足なだけ。
それで充分。
戦う相手は人間ではないので魚に対して悔やんでも仕方がない、と悟る。
事実上の私の戦いは今年も終わった。
ふふん、といった感で野人は私を見て、
「なにやってんのかと思った!」
と一言。
野人の太っ腹なところは変わらない。
彼なりのエールなのは解っていた。
野人は野人である。
南方回帰Ⅲ- 闇からの一撃 Fishing from rocks near the shore of the ocean-10 ― 2018年06月29日 19:07
梅雨らしい雨もそう多くはなく、今後の渇水と、一気意にくる豪雨と台風に悩む夏でなければ良いのであるが、なんとも梅雨が明けるには少し雨が足りない気がした。
魚の方も、昨今はそのパターンが掴みにくい環境にあると思うこの頃である。
そんなこんなで2018年も既に半年を切ってしまった。
-序盤中盤戦-
夜の海は、相変わらず我々に違う顔を見せる。
時の流れ。
クリッカーが少し鳴り夜空に消える。
クラッチを入れアワセを入れるとロッドは大きくしなるが、糸は出ない。
「小さいよ、ガーラの小さいものかも、イソンボの引きにしては弱い」
時々、キュッと突っ込みが入るが、寄ってくる。
「どう、魚は?」
野人に確認してもらう。
「イソンボだ!小さい。」
なるほど。
5分も経たないうちに足元まで、左右に泳ぐ。
あっさりとランディング、8㎏ほどのハマチサイズだったが、もはや敵ではない。
まだ幼魚体形に近い感じがする。
目標ははるか遠くにある。
相変らす目だけはぎらぎらしているがまだまだ若すぎて凄味は無いけれど彼も自然の中に立派に生きてきた。
人工ペレットで飼いならされた家畜の如く、隔離され、コストと見合わせさせられ、ストレスを与え続かれた結果の産物とは明らかに違う。
8kgサイズの子牙のヒットによって幸先いい流れ。
益々Y氏の確信は強まったと?思われる。
中型のブリ程度しかない、小イソンボ。
しかしながら、素人のリバーサルでの撮影だとそのクォリティーの高さは望めない。




















































