南方回帰Ⅳ-影と闇と残光2014‐7 ― 2022年10月14日 16:13
一回戦で強豪とあたる
可能ならば、シード戦に・・・・・してはくれないか
しかしながら、シードで上がってからと言って次が楽とは限らないのが現実である
「ほんじゃぁ、餌の通し方は・・・・こんな感じで・・・ええじゃろ。」
専務は、それを見て即同じ様に刺して行く。
大海原の方角を仰ぎ見ながら、海神様にお願いする。そこは、時代が変わっても国が変わっても変わらない。自然と身についているともいえる、典型的な日本人の無意識なる信仰感でもある。どこにでも神様がいると昔祖母が言っていたのを思い出した。そんな大正生まれの祖母は、八百万の神々を信じていた。それは、釣人の多くが勝手に神の魚と呼ぶアカメもそうだろう。アカメは確かに神の魚と呼ばれていたらしい。しかしながら、その扱いは神にしては少々軽いように感じられるのは私だけであろうか。神と付く名の魚は、神ではないのであろうか。それとも八百万の神々のひとつなのであろうか。もしそれが神ならば今の扱いはかなり神様とはほど遠いのではなかろうか。何せ針で引きずり廻した挙句、フィッシュグリップでその高貴なる顎を挟まれその高貴なる体の鱗を剥がされて行く有様は、神とは程遠いものでただの魚であるのではないか。そう思ったりする。
「さあ~投入~。」
ゆっくりと潮は、左から右に流れているらしい。
ロングロッドもなんのその、風も南が3~4mと言ったところ。
専務のフナッシ―風カラーのM1363-UM9P 13‛6”がすぐ隣に並ぶ。リールは、AVET。私が猛禽ブルーで専務が猛禽シルバーである。私のロッドは、オリーブグリーンで、専務は、フナッシーイエローに銀色猛禽類巻取機械。
時間が流れる。
南の島のさらに南の離れ。
オーバーハングなテラス。
おそらく、他に人間はいない。
AVET
HXJ RAPTOR
時々足元を見ても、あの死肉大好きな掃除屋さんの“ハサミ虫”も本日は、多く現れていない。
見上げれば益々小さな我々。
パノラマの空に見える流れ星。
ひとつ。
またひとつ。
いったい幾つ流れて行くのだろうか。
そして大きな半月。
宇宙に身を委ねるこの感覚と、時々襲ってくる現実と錯覚。
時々上がって来る潮飛沫。
この時間を共有しているのは、おそらくこの二人だけ。
さあ勝負である。
1363-um9pは、前アタリすら逃さないセンシティブソフトトップにベリーからバットにかけての強靭なバネで魚をじわじわと締め上げる、いわゆる“柔良く剛を制す”の竿である。しかしながら、突き技にも対応できる理想とする武術であるような・・・正に日本人好みでともいえるがこの良さは、使った人のみが知りえる特典でもあるのだろうか。はたまた、自己陶酔による錯覚なのかもうその先が妄想で膨れ上がる。
師匠、良くこの竿を設計してくれました。
誠に感謝致します。
と言いたいのであるが・・・既に、この地上には存在していない。本当に一つの命というのは、儚い。
この流れる時の一瞬の瞬きにもならないのか。
刹那の瞬間にも遠いのか。
昨今は、日本の釣人もレバードラグを認識し使い初めているのかもしれない
仕掛けが投入され潮に馴染んでくると、多少の潮流に乗ってラインを少しずつ引きだしてはその先へと送りこむ。この間も突然の奴の襲撃に備えて既に気が抜けない状況にある。その咄嗟の対策は、クリッカーを入れる事である程度解決できる。これをクリッカー有効術とでも言おうか。それも幾分大げさにも思えてくるのだが、これは案外使いこなせた方がいいと思う。
左手で竿をもちつつ、右手でクリッカーをオンに入れる。昨今のジギング専用リールともなると、そのクリッカーでさえ余分な機能なのか付属していないものもある。特に国内メーカーだとそれは顕著である。つまりそのリールは、ジギング以外使わない、あるいは使えないと言うことの裏返しでもある。
右で竿を支えつつ、ラインをつまむと一送り、また一送りする。
軽快でバックラッシュの心配は勿論無い。そして、リールのレバーをフリーポジションから一旦ベイトポジションに上げ、更にローテンションギリギリのところまで1ノッチ、1ノッチとレバーを上げて行く。
ラプターモデルの短所は、その強めのドラグが売りの変わりにレバーの振り幅に対してドラグが効き始める範囲が非常に狭いことである。馴れてしまえばなんとも無い事かもしれないが、これが結構狭いレンジで、日本のクイックドラグシステムに近い感じがする。レバードラグとはいえ、今一つのところでもある。
時々、このドラグテンションを確認しながらの操作は、マニュアル感満載で、この仕事量がいつの間にか、このスーパーマルチパーパスな両軸を使いこなすと言う楽しみを得て行くのである。このドライブ感は、道具らしくてとても良い。そしてこの糸ヨレの無さは、本当にありがたいと思えた。この点は、いくらハイテクになったとは言え、スピニングリールには不可能な特徴である。そして、このダイレクト感もしかり。また、スピニングリールと比較すると、多くの時間ラインと指は触れている状態にある。ここらあたりの使用感も操作の上に成り立っていて、静かな時間でも頭は常にぐるぐると小さい動作に合わせて回転してゆく。ぼーっとする暇はないのである。またそれは、静の中の動と言う感覚である。
辺りは、月の明るさ以外には我々が時々照らす高輝度LEDのライトと先ほどパッケージから取り出して割ったケミライトの光以外には人口の光は見えない。我々が唯一の人工物の塊ということになる。
潮のうねりと波が月に照らされて、飛沫までが照らされている気がして、そして岩にぶつかったその波からサラシが生まれてそれも月の光に反射するような気がした。
静と動、光りと闇。
その繰り返し。
シルバーに輝くAVET各種
そしてまた訪れる
光と闇そして影。
影と闇。
光と月。
月と影。
光と闇・・・・・・・。
影の影。
闇の闇。
星と光。
月そしてまた月
光と闇と影の三重の景色。
そして光に映っては消えて行くサラシの小泡。
全てが自然に溶け込んで流れて行く。
釣り座は私と専務だけ。
心残りは、参加出来なかった将軍様の事で・・・それが時々波の音とそれがぶつかる音と飛沫に交じって・・話題に持ちあがる。今ごろ、雪にあくせくされている頃だろうか。
HX
RAPTORと同HXJ
HXJはナロースプールタイプである
私と専務は、共有と言う名の小さな宇宙の占有をしている気がしてならなかった。そこには、不快な事も多々ある隣人のプレッシャーもなく、人より優位に立ちたいということが生きがいの釣人の思いや、単なるエゴのぶつかり合いだけが生み出す表面だけのお付き合いとはかけ離れられて、少し幸せなのかもしれなかった。ここでは、社会の闇も少し薄らいでいくようである。
利害関係は、ここには存在していないのではないかとも思える自然の中に溶け込みそうになる。
「ああなんていい感じ。」
「世捨て人にでもなるか?」
「はぁ・・・・・。」
そのような世捨て人になれたらいいかもしれないが、現実はそうでもないし、世捨て人には世捨て人なりの苦労もあるだろう。隣の垣根は良く見えるもので、いいところだけが良く見えたりするものだと言う結論は出ているのであるが、ついつい同じ話をしてしまう。
おもてなしの国の裏は、とても辛いのだろうか。世界一気を使う国、日本。その気づかいと細かさは、その裏でストレスを飼う事にもなるのが矛盾するところなのかもしれない。ましてや、この国で当たり前の事が、そうは出来ない海外ではそれも何故かストレスに繋がって行くのが辛いところ。どこに行っても闇はそれなりに深い。
高鳴る心臓を抑えて、落ち着かせようと必死にもがいている釣り人。そこに必要なのは恐らく第一にくるのが平常心だが、ついつい気が張ってそれが醸しでている気がした。
メンタルトレーニングという合理的なトレーニングによる自分の精神面を鍛える方法が今はアメリカをはじめとしてあるらしい。あのトップアスリートを要請する学校が本場らしい。一方、ひたすら根性と忍耐、精神統一の言葉だけを教えられて来た我々日本人は、一体いつから、そのような訓練を怠って来たのであろうか?いや、怠っているのではなく、その方法を知らないだけ、なんてアメリカでの現場レポート中継番組から知るなんて思ってもよらなかった。
おそらく、武士道の道にはそれがあったのかもしれない。
多くの歴史と戦場とで積み重ねて来た我々の御先祖様は、それをその環境に身を置く中で鍛え上げられてきたのかもしれないと思ったが、私には何の確証もない。
静寂の闇の中に激しい波の音。
風の音にこの興奮をどう抑えて継続し続けられるかが問題である。
興奮することで、覚醒はするけれど、一体それがいつまで続くかと言う疑問が生じるようになる。
そこをタウリン高配合の栄養ドリンクとなるもので
「ファイト!」「いっぱ~つ!」
と言いたいところではあるが何故かそれが選択肢にない。長期戦では、それが切れた後の辛さをなんとなく感じるからかもしれなかった。これを釣りバカと言うのは、少し抵抗があったりもした。あの釣りそのものよりも、人間ドラマ中心のそのマンガのイメージで語られるのを敬遠する気持ちからなのだろうか?
何もない一時が流れて・・・。
波と飛沫だけの強烈な音以外は、サンゴ岩を切り裂く風の音だけ。
そしてまた、将軍様いじりの会話。
それは、汗だくになって2時間が過ぎたころだった。
専務が投入して仕掛けが潮にうまく馴染んだ頃を見計らってから、愛竿を振った。そんなに力まず、肩の力を抜いて竿のしなりを感じて前に押してきたら両親指を離す。放物線の下降を意識した頃にスプールにサミングをする。ここでいつも多少の糸ふけを感じるならサミングは、ラインを押えるより、サイドのスプールに摩擦を掛けた方が良いと言う事は、その昔岡田師匠から学んだ。その時は、まさかそのような釣りはしないから適当に流せば良いとは思わなくて良かったと今思うこのごろである。
その8へとつづく
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