南方回帰Ⅴ‐闇と光- 微残光2015‐82026年04月27日 15:54

 随分と空いてしまいましたがその8へ入ります。恐れ入りますがその7以前からの続きを再度ご一読の上お読みください。

大多喜猪バーガー

大多喜の猪バーガー

ジビエブームというか各地で展開されている昨今のようです。


闇の洗礼

南の果てに


光も自然であれば、闇もまた自然

その合間に朝まずめもあれば黄昏もある

白昼の光りも当然ある
終わりが闇で光が始まりであればそれはそれで良いのかもしれないが、それは誰にもわからない

オカヤドカリ


オカヤドカリは沢山いた
SYUU
に言われて撮影している


 最終日、その朝の天候は荒れていた。北東の風もかなり吹いていた。
雨はスコールのように打ちつけたり、また止んだりの繰り返しだった。
単独釣行だと、ついつい休みになってしまう状況である。
 そんな天候は、やはり気持ちを削がれる。それでもなんとか可能と言う判断で我々は、午後のやや悪天候中のポイントに向かったのである。
 風は昨日のそれよりも吹き付けるようになり、体感温度もかなり低く感じた。それでもその先にある希望を掴むためには、前に進むしかないのだった。

 波は高かった。飛沫が時々磯に上がる。波は一旦えぐれた磯にぶち当たりそれから返す波と混ざりあって上へ上っていくのである。
 それでも竿を用意している我々。

希望を決して忘れない様にと祈る気持ちである。

それから早々に竿を出してみるが、反応はない。
波は、大きく、磯にあたっては飛沫を上げる。
時々“ドーン”と打ちつけた波がその飛沫を上げて迫る。

しばしの沈黙。
その波間にアタリがある。

バラフエダイ


南遠征にはつきものであるバラフエダイ
その凶悪な面構えもだが、中々の強力ファイターでもある

その正体は、バラフエ君であった。そこそこ、それなりの抵抗もあるが、それでも我々の敵はない。
 そしてその後、ちょっと微妙なサイズで大物とも言えないネムリブカとのやり取りも、その波に揉まれに揉まれてのランディングとなるとかなり危険な感じであった。ほんとうに骨が折れる。仮に無事奴を寄せる事が出来たとしても、果たしてランディングできるだろうか?そう思ったが、幸いにもハリスが切れた。この番手のステンレスワイヤ-ハリスを切って行くとは。まあサメには良くあることである。昨日のサイズ以上だと、ランディングを断念と言う事も念頭に入れての釣となりつつあった。いや、そうならざるを得ない状況であった。思わずほっとした。ランディングできない場合は、リーダーから切るしかない状況だった。

そんな終盤戦。

それでも、希望は失わない。

失えないのだ。

 その悠久なる歴史の中でこの陸が出来て以来、ずっと波は興りそしてそこに打ち続けてきた。その浸食は、今から数えて何年前からなのだろうか?
また、ところどころある、岩のそのポケット穴は、小石、石塊が回転して拡がったと言うが、それも一体何年の歳月を有したのであろうか?それだけ見ても長い時間をここで転がっていたことになる。

 そんな事を考えることも早々に、何時止め時かを考えるばかりであった。
打ち付ける波はどんどん高くなっていった。
そうなると、釣り云々ではなくなってくる。

「うーん、どうするかぁ~。」

「そろそろ危険ですよ。」

「ここら辺でストップフィッシングかな。」

「そうするかぁ~。」

そんな会話が続いた後、撤収の判断を下した。

「では、撤収~!!」

それからは、できるだけ早い撤収作業に移った。
ここまでくると命あってのものだねと言うことになる。

我々はそそくさと撤収作業に入るが、何と言ってもリールクランプ外し作業が結構現場では手間取る。これって良い方法は無いものかと思ったりもするが、長いリールの歴史でさほど変わっていないところをみるとこのネジ式がベストなのかもしれない、そう思った。早々にネジを緩ませると、リールをバックにしまう。

それから、車までの到着は60分程かかった。これには、流石に地獄からの生還と言う感じの我々であった。
 横なぶりの雨と風と共に、最終日はこのような結果になってしまったがこれも釣りのうちと理解して組み立てないといけないことである。
 計画に想定外と言うことでの言い訳は通じない。この事くらいは想定内に入れておかないと・・・とは思うのだがやはり、最後は、“どうかやり切らせてくれ!”と言うのが正直な思いだった。それは、メンバー全員がそうだったと顔には書いてあった。真に残念である。

慌てるもその日の朝、船は出ると言うことを聞き決断した。最終便で島を後にすることにしたのだ。終わりも予定通りとは行かないものである。

無事最終便に乗ることができた。その日の夜は、島ブランドとなってしまったおきまりの在来和牛の焼き肉はそれなりに、胃に負担がかかったものの、それでも美味しかった。日頃、焼き肉など殆ど口にしなくなった歳にはなったが、1年に一回くらいの御褒美なら許される事なのかもしれない。あの、美味しい脂身とサクサクとあっさり噛み切れる赤身は、野生では先ずあり得ない筋肉なのだろう。正に、現代人に合わせ立て作られた牛なのである。そんな和牛を仲間と食べる。そんな食事は、やはり美味しいのである。ある時は、監督と2人で。またある時は、島人野人と私と監督で。また今回のメンバーで。一体何度この晩餐が繰り返されてきたのだろう。それは、その時々それで楽しいひとときであることには変わらない。

東京から帰宅

羽田に着くとやはり寒い。半袖から一気に上着が必要になってくる。そこから地元へ帰ってくると幾分暖かいと言う今年の冬とは言うものの、とても寒かった。一気に移動すると尚更である。
心も寒くならないようにと思いながら。

その日の夜は、手荷物で持ち帰ったそばを家族で啜った。

そばとカマボコと…それで十二分だった。

明日は、またそばかな。

きっとそばである。

もちろん八重山そばです。

師匠に頂いたソーキそばの店は、もうかなり前から無かったけれどあの味以来時々欲しくなる味である。それは、1992年の冬からだったように思う。それからかなりの月日が流れて行ったがそばは、進化系も含めて繁栄しているようである。

CT1363‐UM 9p


今回、活躍してくれた主力道具達


その団欒の果てにあるもの。
趣味という遊びの中で勝負してみる。

闇から闇へ・・・

光から光へ・・・

そして、また空を仰ぎみてみるも、それは一様に平等だった。
その空は、暗くても明るくても誰でも・・・

皆その下にあるものには平等であった。
そんな、平和は我が人間社会に何時訪れてくれるのであろうか。

塩の結晶


塩の結晶

2015年師走の吉日

その9(終わりに添えて)につづく