楽園の終焉-小楽園の幸福2011番外編 草創期のGTルアーの一端を垣間見る2020年10月05日 17:00

10月に入ってもう5日、とても早いものです。
それでは小楽園番外編になります。

楽園の終焉-小楽園の幸福2011番外編
草創期のGTルアーの一端を垣間見る
GibbsFred Arbogast

SWルアーゲームの日本の歴史は米国に比べてはるかに短い。

Fred Arbogast2

しかしながら、その諸流れを知るものは案外少ない

 

※本編は、日本の海用ルアーの中でも比較的その波が遅かった大型対象魚とりわけロウニンアジにややスポットが当たっています。よりマクロなその流れを知りたい場合は、各自で調べて頂くことをお願い致します。また、本編の小楽園のおまけ程度に記載しおりますので予めご了承ください。

 

古くから我が国には、その長きに渡っての職漁文化があり、独自に発展を遂げた漁具も多数存在すると言われている。その中でも、疑似餌の歴史は古い。その多くは、職としての漁業の合理性からも独自に開発されていった。その代名詞が餌木であろうかと思う。しかしながら、古くから釣りをゲーム、スポーツとして捉えて来た欧米、とりわけ近代の米国に於いては、我々がまだそのような概念の薄い頃から、海でも淡水でもこの釣りを遊びと捉えてきた文化は、日本のそれとは少し異なる。

 そんな、疑似餌の発祥こそ少し異なるが、戦後から高度成長期に入り我国の海のルアー釣りと称した基本となったのが、GIBBS社であり、Fred Arbogast社では無かったかと思う。

そして今回は、主に挙げていないが、COTTON CORDELL社のPENCIL POPPERが上げられる。これで90年代はGTを狙うアングラーもいた。先ほどのポップンフミーの元になった方も恐らく使っていたと記憶している。またナイロン主体でGTを狙っていた時代でこそ成り立つものかとおもう。

PENCIL POPPER

19956年頃購入したコットンコーデルのペンシルポッパー

フレッドアーボガストといえば、多くのルアー釣りを行うアングラーとしては、やはりバスルアーとしてのフラホッパーと、なんと言ってもジッターバグを想像するのではないかとおもう。それほど、ジッターバグは、世界中のアングラーからその代表であると認識しているのかと思う。筆者もその一人である。

Fred Arbogast

筆者が1980年から1982年頃に購入したもの、USA製で厚紙の箱に薄いプラのカバーだったように思う。箱は、もう無い。

 GIBBS社でGTルアーと言えばPORARISPENCIL POPPERだと思うが、特にPOLARISは有名で、90年代半ばまで使われてきた名品であったと思う。北米発祥のこのルアーは、日本には居ないストライプドバス釣りの為に開発され使われてきたと言っても過言でない。それほどそのストライプドバスは、北米東海岸人気の魚種である。我が国には存在しないが(一部の管理釣り場で淡水化したのはある)強いて言うならば、スズキに近いがその形状やサイズは大きく異なる、その昔は、和訳でシマスズキと言われたころもあったそうである。

 また、それと双璧をなすのが、このARBOGAST社のSCUDDERではなかろうか、もっぱらGTで使われたのは2400シリーズの2ozだったのではないかと思う。このスクーダーは、20年ほど前(2011年当時から)に友人からもらい受けたものでその時代には既に中国製だった。当然作りもオリジナルの時代よりも悪かった。ワイヤースルーのこの基本的な構造は、今でもある程度のSWルアーの基本構造となっているようである。

SCUDDER


日本のSWの草分けの一つに数えられる名品だった
時代は、ナイロンラインしか使われていない頃である。

それも時代がPEライン化するに従って、これらの初期の時代を担った名品も片隅に追いやられていったようである。これを改良したと思われる、クレイジースイマーはF師匠の名品であり、90年代のGTルアーといえば、クレイジースイマーだったように思う。90年代は、この古きアメリカンルアー達と国産ルアーが混在していた時代だったとおもうが、後半になるにつれ、国産が増えていったように思える。いや、ほぼ国産ルアーが制する時代へと変わっていった気がした。時代が変わっていることを意味していたのだろう。またGT専用機まで出て来た時代である。 D社、S社は勿論のこと今は無きリョービまでエンターソルトシリーズのガーラという名のものまで出現した。この時代まだ少しナイロン2030LBというクラスで戦うGTアングラーもいた時代だった。

FISHERMAN LURE

左端:同時にGTポッパーといえばこのGL工房のツルポップンだった。
左端2番目:そのブームに乗ってできた同GL工房製ポップンフミーだったがこれはさほど人気が無かったように思える。

FISHERMAN LURE

1996年頃購入したFISHERMAN社クレイジースイマーとロングペン

1990年代をすばやく駆け巡ったGTルアーの名品

この時代に生まれた世代は2020年現在は、既に30歳前後であることを考えると知らないのも無理はない。

GL工房 ツルポップ

90年代という時代の一翼を担った、ツルポップンとポップンフミー
フミーの評価は、あまり聞かなかったがそれなりに釣れたのだろうか…それは未だ謎である

fiserman

2つがFISHERMANのカップと下がSUCCUDERのカップ
(上から撮影したところ)

GL工房 ポップンフミー

以来個性的なルアーは、GTと言うジャンルからもその姿を徐々に減らしていったようにも思える

GL工房 TMミノー

GLで思い出したのは、トビミノーとリラミノー、GLの佐野さんは常に独創的なルアーを生み出していた。

話しが少しまた戻ってしまうが、1982年当時、これらの輸入品のルアーが国内でも一部の店でも売られていたが、一体これをどう使うのかさえ分からなかった私には、到底買う事の選択には無かった。呉のささきつりぐ“には、同社のHUMMERHEADが何時までたってもぶら下がっていたのを良く覚えている。そんな、時代がとても懐かしく思えた。サイズは覚えていないが、当時の私にはとてつもなく大きなルアーであり、それを襲ってくる魚のイメージが全く湧かなかった。とにかくその近くにあったマグナムラパラと同様に。それらは、瀬戸内で使い道もない気がしてならなかった。なにせスズキ釣り、とりわけ60㎝を超えるものが大型と思っていた懐かしい時代のころのことであったので無理もないかと思う。当時の中学生には、今ほどの情報量はなかった。恐らく今現在からすると、無きに等しいと言っても過言ではないような気がした。

HAMMERHEAD

HAMMERHEAD


90年代末からさらに数年後の2000年代に入ると、日本の市場では殆ど見られなくなり、米国でも廃版になっていったのである。ギブスのルアーが未だに現役であるのに対して、フレッドアーボガストのSWシリーズはすべて廃版になってしまった。残念ではあるが、それも時代の流れなのかと思う。売れないから廃版になると言うのは資本主義社会の基本なのだから。ないものねだりは後のことで、当時からすると多少のあれこれはあるにせよ、淘汰にすぎないと思った。

過去の疑似餌

今もほとんどそのベースは変わっていないGIBBSのウッドプラグ
上からGLIDER PRO PENNCIL CANNAL SWIMMER

過去の疑似餌2

右端のリールは、スーパーパウオリと言うブラジル製
なんでもラグザーのクラックのコピーらしい
つまり、バンスタールの原型の親戚の従兄あたりなのか

Gibbsのペンシル

日本が戦争で死にかけていた頃、ギブスは、その生産を始めていた。
これが、世界一豊かな国の象徴だったのかもしれない。
祖父たちは、その事実を当然知らないまま片道燃料で突撃して行った。

Gubbusのポラリスです

下のPOLARISは最小サイズ
1995
年頃の頂きもの

ペンシルポッパー

同じくGIBBUSを代表するPENCIL POPPER
30
年近く開封していないまま

2014年当時新型のルアー

GTも対象魚に入れて生産されているのだろうか

2014年当時のPOLARIS POPPER PRO SERIES
アメリカもPEラインが主力となり、強度上がっている
また、VMC社フックも使用している

PROSERIESのペンシル

同社のPENCIL POPPER PRO

アメリカのルアー産業は、繰り返しになるかと思うがとても古いもので、日本はその概念さえあまり無かった頃に巣既に盛期を迎えたのではないかと思う。
 その後、多くのブランドが買収されて、その量産先を大陸に移した。
ギブスはそれをせず、小さく、地道にコツコツとやってきたかと思う。そのかいもあってか、現在でもUSA製で頑張っている。それは、評価に値する。一体日本でそのようなルアーメーカーが何社あるだろうか?

ザウルスのトビペン

日本製のGTを視野にいれた大型ペンシルの中では当時リアル系に走ったザウルスのトビペン。元祖に近いかもしれない。バブルの象徴でもあった同社もその崩壊と共に人々から次第に忘れ去られていったように感じる。

パッケージ

パッケージ裏

サウルスカタログ1998

1998年度ザウルスのカタログ
ふと思い出して、家探しすると見つかった。

ウイルスバリという疑似餌


バリで購入した、インドネシア製ペンシル

たしかウイルスバリとか言う貝張りのシンキングペンシルだった


GT2-1

筆者及び月竿が最も信頼する疑似餌の一つであるクラフトベイト社のGT2

GT1は生産終了になって久しいが、再生産して欲しいと願ってはいる

GT2-2


圧倒的な出来の良さとセンス、そしてその実用性は大変素晴らしい


その分厚いコート層と塗装には脱帽だった

GT2-3


GT1 画像もこの画像が最後となった
何れ、クラフトベイトとそのビルダーである谷口氏の特集をしてみたいと思う。

リアルベイトサンマ月sp


リアルベイト MOON SP SERIES

日本のSWルアーは、その淡水ルアーがそうであったように、コピーから始まった。現在ではそれを知ることもないまま多くの釣人が使っていると思う。

勘違いの果ての中には、それが日本発祥であるかの如く他を下にみることも多く見受けられる。しかしながら、最初に開発したその国、その会社、その人が一番偉いし、立派であるし、かっこいいに違いないと思うのだが、その多くが否定されていると思ったりもする。

ただ、今現在のハイテクルアーを使いながら過去の開拓者に思いをはせるのも良いだろうと思う。また違った釣り感が味わえるのかもしれない。

明日への釣師に捧ぐ。

それが疑似餌だろうと餌であろうと、釣りの基本は同じである。そしてそれを昇華させるのも釣師となったあなた次第なのだから。

リアルベイト月sp2

終わり

2020105日編集追記



楽園の終焉-小楽園の幸福2011-142020年09月25日 20:26

 急に涼しくなりました。2020年の秋もたけなわになったのか、コウロギとスズムシが大半になってきました。台風、台風と恐怖におののく昨今では、その鳴き声すら耳に残らないことが多いかもしれません。
清水製パン

 さて先日清水に行く用があり温泉のお話しを少ししましたが、今日は、清水製パンについて少しだけお話ししたいと思います。この静岡の清水製パンは勿論ローカルなのですが、どうやらホームページがないようです。(あったらすみません)その歴史もどこを調べても解りませんが、この感じは呉製パンな感じなので、おそらく学校給食ご用達かと思いました。それは的中したようです。
 なんでもマグロメンチカツバーガーなるご当地パンがあるということで買いにいきました。工場でお昼の時間のみ販売しているらしいので工場へ行ってみます。(暇な親父です。)そこはかつて私がアルバイトに行ったことがある超巨大製パン工場とは大きく異なり、こじんまりとした昭和の工場の雰囲気でした。何処にも売店らしき場所は見当たりませんのでとりあえず事務所で聞いてみます。どうやらお昼の時間だけ販売しているそうです。しかもマグロメンチカツバーガーは基本置いていないそうです。これは清水駅の売店で基本購入するそうですが、1個だけ偶然あるとのことでその1個と気になるアンキリ、等々をごっそり買いました。どうやらこの餡は自家製ということでその味に納得しました。もともと子供の頃よりアンドーナツがとても好きでしょっちゅう食べていましたが、清水製パンの揚げあんぱん(アンドーナツ)は、やはり私を昭和の時代に一気に引きずり込みます。

あんきり

アンキリは、その看板らしく餡と生地のバランスがとても良く、口に合いました。焼きたてということもありますが、とても満足でした。昔ながらのあんきり、一体いつごろから、清水の皆さんが食していたのでしょうか。誰か教えてください。
 それで、肝心のマグロメンチカツバーガーは、1個しかないのでそれを三等分して食べました。もし世界最大のファストフ―ド代表のなんとかフィッシュとこれを比較したならば、圧倒的にマグロメンチカツバーガーです。(あくまでも個人の意見ですが)バリュー的にも圧倒的にマグロ~です。
 やはり私は、ご当地、地場というのはとても心を惹かれます。そこには、その地で生きてきた人達の、歴史や文化が織り交ぜられていて、その味も噛み締めているからだと思います。

 今回はとっても長くなりました。番外編に入れてともおもいましたが、いつもの余談にしました。

がそれではその⒕になります。

ハットリくんの夢の会話

哀愁の背中の後輩

後ろ姿が巡礼者とは言えない哀愁漂う背中の名人
2019108日の会話

旧式(水産学部)を名乗る割には、結構自称体育会系草食動物(イボイノシシらしい)ハットリ君が言うには、I氏とのやりとりがあった事を忘れていた。
そういえば、何度か聞いた話なのになぜいままでスルーしてしかも綺麗に忘れていたのかと思うと、とても悔しい残念な思いがしてならない。

がしかし、カモはネギを背負ってやってくるもので。

彼と他愛もない柚子虫とやらの会話をするうち、そういえば・・・・・。

この当時、バリ島にて、彼が手の感覚で、リールからラインを引っ張って・・・・。

「よし、これでドラグ7㎏くらいはかかっているだろう。」と超自信を持って彼に渡したそうな。

「すみません、ドラグ2㎏でした・・・・。」

それには、オチがちゃんと待ち受けていたのには、笑ってしまった。

マジうける~と思ったのだが、もし彼が彼でなくて私でもそんなことは良くある?話なのかもしれないと思った。

この話は、小ネタとしては面白いかも知れないけれど、ハットリ君が私であればこれはもう物凄い赤っ恥であったかもしれないと思うと笑いも止まってしまった。人の手の感覚なんてそんなものかもしれない。最近は、リールから直接ギーっと引っ張ってドラグテンションを決める人が多いと聞いた。最悪一人の場合は致し方ないかもしれないが、やはり竿に糸を通してゆっくりと何度か負荷をかけて確認した方がより良いかと思う。糸がますます強力になる時代であるので、かつてのナイロン何号とか言っている時代とは比較にならないほどそのブレイデットライン(PE)は強烈な強さであるのは間違いない。くれぐれも事故のないように趣味、スポーツ、レジャーを楽しんで頂きたいと思った。

落花生を貪るサル

鎮座して落花生を貪るバリのサル。
しかしながら、我々もたいして変わらないのかもしれない。

サルその2

人間にもこのようなヘアースタイルの人がいる

捻じれたリング

200Lb強度のリングもロウニンの首振りなのか、バイトの瞬間なのかS字に変形していた。
信頼のフックだが針先は案外直ぐに曲がってしまう。
使い捨て時代の刹那。

以上フィッシュナビブログより抜粋

-終わりに添えて-


聖地へ

震災から丁度一年を迎えたが まだ平安は訪れていない。
この国は一体何処に行こうとしているのだろうか。

3月に入ってもなお、肌寒い日が続いた。

御霊がとても寒がっているのかもしれない。

君が代が流れる。

その日の午後天皇陛下の慰霊のお言葉をなぜか直立で聞いた。
この国の完全復興にはまだまだかかりそうな雰囲気であった。

震災の慰霊と復興を願って

2012311

2020925日再編集
番外編小楽園番外編SWルアーの草創期につづく




その15番外編小楽園SWルアーの草創期につづく

楽園の終焉-小楽園の幸福2011-132020年09月20日 17:58

 9月も20日を過ぎ、シルバーウィークとか。蒸し暑かったり、急激に気温が下がったりと体調もなかなかだと思います。暫く閑散としていた、我が寂れた昭和の銘観光地も今日は多くの県外ナンバーが訪れています。経済と両立と政府が申してから、なんとなく過ぎ去る日です。
 その連休前に、所用で清水まで行ってきました。三保の松原は目前ですが、そこへは行くこともなく、諸事情で三保の松原温泉天女の湯へに行くことになりました。ほぼ貸し切りでしたが、何とも昭和の佇まいが憎めません。末っ子と2人で露天風呂自動貸し切りはなかなか贅沢です。そして、天然温泉には間違いなく、とても良い湯でした。僅か60分程度でしたが、疲れにはとてもいい感じの温泉でした。そして昭和の修学旅行を思い出しました。作りはとても古いですが、なぜかまた行きたくなりました。お近くに寄った際は、日帰り温泉だけでも堪能されては如何でしょうか。きっと昭和に戻れますよ。
三保園ホテル


 さてその13になります。

-FISH NAVI の向こうから-by名人

レンボンガンを望む

フィッシングは全般的に、予め計画しても自然が相手なだけにツアー当日にならないとどんな結果になるか予想がつきません。

ただ、シーズン、潮、最近の状況、どんなルアーでヒットしたかなど、私(フィッシュナビ)が持っている情報をツアーのお客さんに提供するのは当然の事、そしてツアーからご帰国されたお客さんからHOTな情報を頂き、それをまた次に行くお客様に提供する・・・、日々めまぐるしく変化する自然に少しでも対応すべく、それを日々更新して行く。

それを可能にするのはツアーにご参加頂くお客様あっての事です。

そんな大切なつながりで成り立っているのだなと改めて実感・感謝し、特に渡航者数の多いバリ島はそれをより一層感じさせてくれます。
10月ぐらいから雨季(釣りとしてはシーズン)に入り、既に3組のお客様たちがチャレンジし、皆さん見事ファーストGTをここバリ島で飾って頂きました。そこまでに至るプロセスは皆さんそれぞれですが、生まれて初めて取った1本!どんなサイズであろうとも嬉しくてなりません。

絶景の名場所

そんな幸先の良いスタートをそのまま持っていきたいと願い、11月上旬、遂に4組目として私たちの番がきました。

 今年のメンバーは、H様、T様、I様、そして引率で私(八)が入り計4名のツアーとなりました。
ツアー中は、気まぐれな大自然を相手に、皆さん試行錯誤しながら最終的には9本のGTにめぐり合う事ができました。
苦しい状況でも頑張って出して頂き本当にありがとうございました。

今回のツアーは、GTキャスティングしたり、泳がせしたり、餌釣(おかず釣り)したり、釣った魚で宴会したり、釣具屋巡りをしたり、観光したり・・・・、「釣り好な方」、「魚好な方」 にとって楽しめる内容を計画しておりました。
アフターフィッシングとして釣人を最大限に楽しませてくれるのは、やはり釣った魚での宴会ですね。
そしてこの宴会の主役になるのが、ここバリ島でジギングをすると必ずと言っていいほど良く釣れるのが“オオクチハマダイ”。
あの高級魚オナガの近種で見かけは全身が真っ赤なので「金魚」と呼ばれローカルでは親しまれております(誰が教えんだか・・・)。
「キャスティングでGTがダメな時のコイツがいるさ!」と言ってもいいぐらい、多くのお客さんを喜ばせてくれる魚で、釣れるサイズは約1m(重さ10キロ以上)。

脂が乗り身もプルンプルンで、揚げ物、刺身、塩焼き、アラ汁、何をやってもパーフェクトな魚です。これを1本釣ってしまえば、フルコースができて盛り上がること間違いなし!と私の中ではシナリオが出来ていたのですが、あえて狙おうとするとなかなか釣れない(結局釣れなかった)。
本来なら戦力外通告されそうな私ですが、皆さんGTフィッシングの合間にコツコツ頑張って釣って頂き、ヒメダイ(オゴ)、大カサゴ(ウッカリカサゴ)を見事キャッチ!

 今回の釣行は、「4日間フィッシング」+「1日の観光」+「1日ジュクンフィッシング(番外編)」と体育会系合宿のようなヘビースケジュール(汗)で頑張ります。
バリ島でのGTフィッシングはバリ本島周辺でなく、本島(ベノア港)から船を40分走らせたヌサペニダ(レンボガン・チュニガン・ペニダ島の総称)周辺を丹念に探りますが、それらのポイントは大きく分けて4つに分けられます。

【ダラダラポイント】
レンボガン島北部、一見緩やかな海域に見えがちですが、下降流と上昇流が入組み、大小様々なGTが回遊するポイント。

【パトロール岩】
ペニダ島西端部、この岩の周りに縄張りをもった大型GTが単独でグルグル回遊し一発大物狙いのポイント。

【ドーナツ岩】

ペニダ島南西部、見渡す限り断崖絶壁で景観も荒々しい、海中から大きな岩が突出している名ポイント。

【バトゥアバ】
ペニダ島東端部、2つの岩が目印。超がつくほどの激流ポイントでバリ島フィッシングを代表する一級ポイント。

一度バリ島フィッシングを経験するとポイントは網羅できてしまうほど少ないのが特徴ですが、潮が複雑に入組み、同じ場所でも時間帯によって全く違う顔をみせます。
全ての「良し悪し」を決めるのは、このめまぐるしく変化する「海流」であり、釣人を喜ばせたり泣かせたりするのもこの「海流」なのです。

そしてツアー初日、今回の釣行で記念すべき1番目のポイントは「パトロール岩」!ここには縄張をもった大きなGTが単独でウロウロするポイントで単発ながらも出ると大きいのが特徴。
このポイントで記録更新したお客様は数知れません。
  まずポイント付近につくとエンジンをニュートラル(もしくは切る)にし、船体を流れにまかせ徐々にポイントに近づきます。
キャスティング圏内に入ると順々にルアーが投入され、いつ誰に出てもおかしくない状況でドキドキしながら見守る私・・・・、そんなルアーが流芯に差し掛かった瞬間、大きな水柱が立ちとドラグ音が「ジー・・・・」響き渡る。
 周りを見ると釣竿師さんが竿を曲げている、巻いては出されるといった攻防を繰り返しこの激流から姿を見せたのは30kgオーバーのロウニンアジでした。
やはりこのサイズになると、風格、顎の分厚さ、鰭やゼイゴの節々が大きく、まさにロウニンアジという名に相応しい魚体。
わずか数投で出して頂き、ツアーのモチベーションを上げる最高の1本となりました(Hさんありがとうございました)!その後はIさんにバイトが続くも、どうも食いが渋いのか?うまくノッてくれず初日はこの1本で終了。


 ツアー前半は大雨が降り続き、気温も水温も低く、そんな状況を引きずった2日目はこの世の終わりかと思わせるほど、全く生命反応がなく何も出なく終了(怯)。
「こうなったら八がGTの役になって竿を曲げてもらうしかないね」と・・・・、冗談?もちらほら、何とかせねばと神に願う。

ツアー後半、フィッシング3日目に入ると快晴で気温も水温も高くイケそうな雰因気。
GTメインでそのままバトゥアバに直行し早速開始。
海況はちょっと荒れ気味ながらも海色は良くGTがチェイスしたり、バラクーダがきたり、生命感があふれ状況は明らかに良くなっていた。
 Hさんがミノーにチェンジすると否や30kg級をキャッチし、それを皮切りにTさんも数本追加しバリ島らしい良い日となった。


最終日もこの勢いでバトゥアバに直行したが、昼から大荒れになり撤退。
午後からは西回り(ドーナツ、パトロール、ダラダラポイントへと北上)して、Hさんがパトロール岩でおそらく今ツアー最大であろう大型GTを掛けるが、船の取回しが遅れ、根にやられてラインブレイク(悔)。
最後を締めくくるダラダラポイントでTさんが15~20kgクラスのGTを数本キャッチして終了しました。

 バリ島は本当にクセがあります。
時には優しく、時には厳しく、バリ島の海は多くのお客様を迎えてきました。
そんな気まぐれな状況下でも、皆さんいろいろな方法を駆使して最終的には9本ものGTを出して頂きました。本当にお疲れ様でした。

初めてGTフィッシングをチャレンジされたお客様がGTを掛けた時、たとえ過去に同じサイズの違う魚を掛けた経験があったとしてもGTはそのパワーを凌駕する・・・それがGTフィッシングの最高の魅力であります。
ただ歴史が浅いゆえに、「我こそが~」、「サイズこそが~」と記録を競うことが先走りしてしまい、そのイメージが高い壁となり、とっつきにくいものとなっていた様に思えます。

フィッシュナビではそんな壁を取り払い、「GTフィッシング」について適切な事を学んで頂ければ、多くの方が楽しめるものだと考えております。

計り知れない感動をもたらせてくれるこの釣りを、初めてチャレンジする人、女性、多くの世代がエントリーしやすく、楽しめるようにサポートしております。


 あとはタックルですね。
「GT専用タックル」・・・・これはGTを取るために現代技術が集結した最強タックルである事は間違いありませんが、重々しく体力がない方にとっては投げ続けるのは一苦労です。
ツアーというソフト面だけでなく、道具面においても体力のない方でも使えるものを選択肢として増やさなければいけないと考えております。

そこで、私の大先輩でもある、釣竿工房 “月”が女性向け(体力がない方向け)のライトロッドを開発!
20ポンドラインクラスのロッド(見かけ本来はシイラやライト青物を狙うような竿)で狙うのは何とGT!テストを兼ねてHさんがGTに挑みました。
H
さんは、お客さん一人一人に対して、対象魚、釣り方、経験値・体力・データ(性別・身長・体重・腕の長さ、手の大きさ・体力の有無などの身体的特徴)に応じて、適切なブランクを導き出し、概観や好みのパーツ使用して作上げられます。
その要望は十人十色、一切の妥協を許さず真心を込めて作られた竿は、釣を極めたいと願うお客さんに絶大な支持があり、私もその一人です。

そんなHさんと向かった舞台はバリ島から海路で40分、レンボガン・チュニガン島周辺。この海域は一見緩やかな海域に見えがちですが、下降流と上昇流が入組み、大小様々なGTが回遊するポイント。


 ジュクン(漁などに使うローカル船)を利用し、誰もが経験してない冒険的で新感覚な “超ローカル・フィッシング” をお楽しみ頂きました。
船長もそんな経験はした事ないので、潮目など魚がいそうなポイントを船長に伝えて、「ここだ」と決めたら「OK」と指示しキャスティングをします。
それを繰り返す事4時間・・・・、最後の最後でHさんがGTを見事キャッチ!自分で目星をつけたポイントで、開発したライトタックルでGTを釣った時の喜びもひとしお、W企画成功に導いて頂き本当にありがとうございました。

ボートに乗る

帰り際は、どこか寂しい。

【スケジュール】 バリ本島から日帰りツアー
08:30ご宿泊ホテルお迎え、送迎⇒場船場へ/10:00(予定)、定期船でレンボガン島へ(約40分)⇒到着後、
★2時間フィッシング(前半)/お昼休憩(レンボガン島上陸)/ ★2時間フィッシング(後半)⇒16:00(予定)定期便にてバリ本島へ(約40分)/送迎にてホテルへ17:30着(予定)

弊社フィッシュナビのバリ島フィッシングツアーにおいて、カイザー3号を使うフィッシングに勝るものはありません。
・・・でも、そこまで王道ではなく、もっと安く、誰もが経験してない冒険的なフィッシングにチャレンジしてみたい方もいらっしゃるハズです。
そんな開拓精神あふれたお客様にもってこいのツアーが、ジュクン(漁などに使うローカル船)を利用したキャスティングゲーム。
普段やっているGTフィッシングのポイントと重なりますので、条件が重なれば大きなGTに出会える可能性大!
自分で目星をつけたポイントで、魚を釣った時の喜びもひとしお、新感覚な “超ローカル・フィッシング” をお楽しみ頂けます。



その14ハットリ君の夢の会話へととつづく

楽園の終焉-小楽園の幸福2011-122020年09月12日 13:52

 9月も中頃ともなれば、少しは涼しい日もでてくるかなともおもいますが、地域によってまだまだ残暑が続きますね。今日は台風にはならなかった低気圧の影響か雨です。早く涼しくなって欲しいものです。
 そんな秋ですが、一番元気の良く鳴いているのは、ズスムシとコウロギみたいです。
マチックと月竿
前回の流れから、マッチックを出してみました。
マチックと562-01pベイトモデル
秋の夜長これで遊んでみたいものです。
田辺のかりん糖
友人から頂いた、新潟のお菓子たなべのかりん糖ですが、昭和2年創業のこのお菓子とても美味しく頂きました。これが昭和の初期から存在していたことに驚きですが、当時の人々は今の私よりももっと美味しく食べていたのではないでしょうか。飽食の我が国では、当たり前になった嗜好品も世界のトップクラスかもしれませんが、食べ物のありがたさを忘れていっているような気がしています。
別の友人から送られてきた、トレーダーズジョーのホンジュラスのコーヒー豆を挽いて一緒に頂きました。

さてその12になります。

-幻のイカフライ-
それは、郷里が生んだ究極の揚げ駄菓子。
大塩派かスグル派か。
一枚10円だったでしょうか。
その幼き頃のすりこみに洗脳され切ったおっさんは40年近く経過した今もお好み焼きに入れてしまう。

またまたまた、30数年前のこと。一番上の叔母さんがお好み焼き屋をやっていた。

イカ天入りといえば、大塩かスグルかのイカフライだった。ソフトタイプを入れたと思ったが、今でも天かす代わりにお好み焼きに入れてしまう。もちろんそれは、幼き頃に良く食べたものだが、それを県外では広島風と呼ぶ。近頃は、それを更に呉焼きというそうな。今現在は多様化しているので解らないが子供の頃にお世話になったお好み焼きのイカはイカ天を指していた。

豚バラ肉が程よく焦げてカリカリになってそれがとても美味しかったのを思い出した。2012年現在でもクラシックなお好み焼きやさんというのは、まだ存在しているのだろうか?おばさんはもう90過ぎでその頃の話をするととても喜んでくれた。

-これは絶対イカフライだろう・・・・たぶん-

鮮魚コーナー

マーケットを見学する
魚は、我が国ではもう販売対象外レベルであるがこの国では全く問題ないレベルということになるが、今までいくつかの国のマーケットを見て来たが日本より鮮度の良い魚は見たことがない。

カエルむき身

カエルも普通に売られている。
流石に丸のままではなく、既に下処理されているが前脚とほぼ皮だけに近い胴体部だがこれもしゃぶるのかな。

 それから数日後の茶の間での出来事。
「さあキティモドキの絵のプリントしてある、イカフライモドキを食べるか。」

家族の期待と、あの酸化しそうでしていないかどうかの瀬戸際の味なのだが果して・・・・。

このイカフライモドキは、開封すると、まず甘い匂いがした。
「なんじゃこりゃ?」
「硬いし、甘いし。」

なんと言ってもあの歯ごたえとせんべいのようなパリパリ感は全く無いではないか。
イカでもないし、グルソーの味でもない。
暫し考えながらの試食。

「あああ、解った!
それは、イカではなく・・・バ・ナ・ナ・・。

しかも、縦スライスバナナであった。
バナナチップ曰く、バナナフライ。
バナナを立てに切って干したものに粉をつけて揚げたものだった。

なぜもっと早く気が付かなかったのだろう。既成概念というのは恐ろしい。
因みにこれをなぜ選択したのかと言うとそれは・・そのハイパーマート(モール内)の菓子コーナーで何を買おうか悩んでいたところ・・・だった。
スタスタと現れた現地人のお姉さんが何の躊躇もなく、いきなりそのイカフライモドキを掴んでそそくさと行ってしまったのを見たからである。
"
うーん、これは人気の旨い食べ物かもしれない"
そこで買ってしまったものである。
結局この菓子は、いつも子供達がお世話になっているH先生のみ絶賛の言葉をいただいた。レシピまで教えて欲しいとの事だったが
「あのう、それバリで買ったお菓子なので詳細はちょっと解りません。」
最後は、このオチであった。
その話は、名人には話していない。
なぜなら、彼にそれがイカであろうがバナナであろうがどちらでも良い話だったからだ。いやまてよ…話したのかもしれないが、どうでもよかったみたいだった。つまりどちらにも興味がないということになる。
 それよりも明日の仕事。

一見したところ、イカ姿フライ風だったのであるが、モドキでも無かった。
まったく別モノ。

そのような誤解はいつも付きまとうのかもしれない。

バリの餌木

バリの餌木、なかなか綺麗に作ってある
職人技が生きていると思うが、名人曰く元々バリの人は手先が器用で職人文化でもあるとのことだった。


その13へとつづく

楽園の終焉-小楽園の幸福2011-112020年09月01日 16:38

 年々暑さが酷くなる酷暑も体にはものすごく堪えます。
先週、作業中に熱中症になりました。まだくらくらします。
月末から房総は、少しばかり朝夕気温が下がり、クツワムシが煩いほど鳴いています。
ABUスピンキャスト
 子供の頃、スピンキャストリールは、流行の兆しで、店に並ぶこともあったスピンキャストリールも現在の日本では、ほぼ見かけることは無くなりました。日本のつり事情にはマッチしないのでしょう。これも昭和世代しか判らないのかもしれません。下記に出てくる後輩からも酷評を受けるリールですが、私はそんな非力のこのクローズドフェイスリールと呼ばれたリール達が好きです。

それではその11になります。 

-おまけ-

レンボンガンの午後

それは、幸楽苑のおまけではない。

けれどもレンボンガンにもそれは・・・あるのかもしれない。

何時の頃かの釣りDVDにおまけのコーナーが付いていた。
私が思うには、ジャッキーチェンの映画の最後のNGシーン連発のイメージなのかも知れないが、そのDVDは、主人公が酒に深酔いしてぐちゃぐちゃになっているもので、損をした気になってそのおまけのせいでぶち壊した感じに思えた。何ともとても残念に思えたのは私だけではなかったと思う。
 それが何だったか記憶には無いが、おまけでふと思い出した。

人間余裕が無いと言う事は、あらゆる事に焦りを生じさせる。
ホテルに帰るなり、速攻で荷物を纏める事にした。
12
40分発の飛行機に乗る為に。
タイトスケジュールというのは、まさにこの事であろうか。
半日後は、日本に向かう飛行機の中なのである。
 シャワーも早々に、ロッドと共に潮を流して、もくもくと帰り支度のラッシュ。
「ええと、この駄菓子とコーヒーは…。」
モールで買った怪しいのしイカの揚げたようなものと、どう見てもキティちゃんのバッタもんの絵が描いてあるスナック駄菓子。それを見た名人がさらに呆れる。兎に角、これらを迅速にかつ冷静沈着にまとめ上げ無ければならない。
 少し焦る。
これこそ人の事をかまってはいられないのだが、合い変わらす名人の様子が少しだけ気になった。そして、バタバタすること約2時間。
なんとか荷物が纏まったように感じたので最後の晩餐をホテル内のレストランで食べた。何かも忘れたが、ホテルのプレゼントで招待されたディナー。特に期待もしていないが、はたしてそれは・・・・・。

隣のステージでは、わけのわからん白人客がバンド演奏する。元来ロック好きの私だが、これは酷い。

酷すぎる。
もはや雑音でしかなかった。
勘弁してほしい。
気分は、ぶち壊しである。

気持ちよさそうなのは、歌っている本人達だけだろうな、きっと。
 コースとは別に、ツマミになにかと2品ほど別途オーダーした。これまたすべてのメニューにポテトフライが入っていた。
「おい、なんかわざわざポテトフライ頼まんでも良かったなあ。」
「ええっ…そうですね。」
コースよりもフレンチフライポテトで満腹になった。それは、マ○○フライドポテトLLが3個分くらいの量だった。
 さらにデザートは、揚げたバナナのチョコがけだった。
それも、微妙だがまあ頂けた。(不味くはない)どちらかと言うとありのほうかもしれない。カロリーはものすごく高いのは必至だった。

満腹感も早々に部屋へ戻ると、少々油で胃がもたれたたが、気合で荷物を担ぐ。
 夜の10時前のホテルロビーは、とてもさびしい。
そしてまたユリアナさんのお迎え。

そりゃ疲れるわな。

さあ、いざ空港へ・・・となるが足取りはまあまあ早いけれど少し寂しい感じがした。
 これが10時半には着いてしまうために暇を潰そうとするが、もう空港内であっさり出国手続きが終われば時間は余る。空港内では、もう店に行く事もない。
座るところもないほど、空港内はごった返しである。
 少しばかりあたりを探して、なるべく人の少ないカフェを選んで座った。
もうここまでなんとか辿り着くと、他にやる事も特にない。
隣は恐らく日本人ファミリーで物静か。
まわりはオージー達だった。
暫しの休息。
その10分後、そこに静寂を突き破ってうるさい東洋人の若い集団が雪崩込んできた。中国語であるが圧倒的にうるさい。金持ちそうな若者の集団に見えた。
これには、参った。
彼らは周りの迷惑もお構いなしに騒ぎ、挙句の果てに禁煙にも関わらず煙草まで吹かす始末。店員に注意されて、なおさらへらへらと笑って誤魔化す。
「いやぁ、同じ集団には見られたくないなあ。」
「そうですね。」
その店のテーブルから動く事も出来ないので30分ほど我慢した。
「ところで飛行機はまだだよね?」
「ちょっとレストルームへ行ってくるわ。」
余裕帰ってくると・・・。
「あれっ!時間が20分早くなっているのに見落としていました!
と彼が血相かいてこちらに言う。
「そりゃまずいよ!!
慌てふためいて店員を呼ぶなり
「チェック!!
最早、おつりなど気にしてはいられなかった。

ダッシュ!!

荷物を背負ってダッシュ!!

おつりを受け取る事もなく、搭乗口に走った。
これが案外と長い距離。
息が切れる。
まだ人々は、並んでいた。
間に合った。

ぜいぜいと肩で息をするが、そのこころは何とか乗り遅れずに済んだ安堵感でいっぱいだった。
 最後の荷物検査をする。
それが・・・。
見事に引っかかった。

ほとばしる冷や汗。

出発時間は迫る。

"ああ、キティちゃんモドキの菓子・・!!"に気をとられてこのざまか・・・。“
そう、まったく問題ないキティちゃんモドキ菓子と、イカ天フライモドキ、子供用他飴をスーツケースに入れ、問題のある、スリーブペンチ、プライヤー、釣り針等・・・。すっかり逆になっていた。
手荷物にこれらを入れた。
そこから検査員のおばちゃんの猛攻は始まった。
OH!! UUOH!
「ヤバい・・・。」
「…OHOHOH……!
「これは?」
Lureです。」
「これは?」
「釣りバリです。」
「これもだめでは」
「いいえ、これはただのビニールチューブ!
「全部駄目だな…。」
「急ぎます。」
「もう時間がない…。」
検査員は、なにやら無線で話した後、取りあえず行けと言った。
早速待ち構えていた係員が
「今から預け荷物に入れる」
と言う事で一件落着になった。
いやあ、冷や汗でした。
これがUSAなら捨てられかねない。
少しいや、かなり手落ちであったのは認めるが、紐やチューブ、フックのついていない疑似餌まで文句を言われたのには少々焦った。

その後、我々は、なんとか無事日本に着いた。
 自分の国に着いた。
自分の身元を保証してくれる国があるという事はとても有りがたく幸せな事である。早々に荷物を詰め込み、名人のマニュアルミッション車で家に向かう。

「大変お疲れ様でした。」
「ありがとう。」

旅も終りを告げた。

T- 先生と私の後姿

修行僧と間違えられるT先生と煩悩の親父

 
その12幻のイカフライへとつづく。

楽園の終焉-小楽園の幸福2011-102020年08月23日 18:04

暑い、暑いといっても9月が訪れようとしています。連日35℃超えとなるともう力もでませんね。
そんな今日23日は、曇りで30℃を切っていました。秋が近く感じます。
庭で今年2匹目のトゲナナフシを見つけて撮影してみました。

トゲナナフシ1


トゲナナフシ2


トゲナナフシ3
こいつがなかなか面白いやつで、脚を上げされるとそのままの姿勢を保ちます。ちょっと悪いなあとはおもいつつ、脚を1本、2本、そして3本と上げさせると、ぷるぷるいわせながらも必死でその姿勢を保とうとする懸命な姿が何とも笑えました。そのごすぐリリース。ナナフシさんすみませんでした。

-コピ・ルアク-

Kopi Luwak

珈琲の箱

昨今の我が国の食事情は、恐らく世界でもトップクラスなのは誰も否定し難い事実であろう。しかも200国中ベスト5でも恐らくさらに上位に値すると思われる。世界には富豪やミリオネア(リールじゃあないですよ)と言われる人々も多く存在するもので彼らにとっては別段それをいちいち取り立てて言うまでもないのだがついつい口にしてしまう。

 バリのコーヒー事情も他の生産国と同じく最高級と言われる豆を使ったコーヒーを飲む機会は、恐らくある特定の人々以外には、彼らの一生の中でも殆ど無い。もちろんその中でも、毎日そのルアックの豆を扱う農園に従事している労働者でさえ、生産こそすれども試飲する機会さえ殆どないのではなかろうか。
 このマレージァコウネコと呼ばれる動物の糞から作られたコーヒーのイメージは、最初にTVで見た時とても違和感を覚えて、ゲストが変なリアクションをしていたが、その後口に運んだあとは一転。TVを本気であまり見る事もないが、それは後に事実である事を知った。
 今ここのテーブルの上に置かれているカップにはなみなみと注がれている。
今日で豆も消費しつくしてしまった。恐らくこれを日本で買う事は無いだろう。
日本での価格は、庶民にとっては驚愕の値段となっているからである。
 なんでも嗜好品と言われるものは、ピンキリであろうがコーヒーもそのひとつであろうかと思うことしばしば。糞から得た最上級というのを最初は一体だれが試したのであろうか?最後の一杯はとても美味しかったが、再び訪れないかぎりこのコーヒーに出会う事はおそらくない。
鼻から抜ける香りと舌の上にある旨味とが上手く絡みあって、至福の時を迎えるが喉元を過ぎて胃に入って暫くすると、飲みすぎのせいか今度は、胃の中から不快感が続くのであった。例えそれが23個のクルミと同時に味わってみても。
飲みすぎにご用心。

珈琲箱裏


 コーヒー事情は、さらに本来あまり飲む事が無かった中国の消費の拡大でマグロと同じく価格は高騰の方向に進んでいるみたいだ。
すべて幸せとはいかないものだ。
その後得た情報では、ルワックを飼いならしてひたすら豆を食べさせてその糞を回収するのが今のスタンダードらしかった。そう、天然の糞だけを集める事などそう容易くはないし、あっても私などには永遠に買う事が出来ないかもしれない。
 何処にも商売人はいるものだ。
こうなると次に想像したのがフォアグラを作る為のあの光景。
そこまでとは思いたくないが。

脂肪肝料理はとてつもなく美味しいそうだが、それを食べ過ぎると自分も脂肪肝になりそうだ。人間の勝手とは、このようなものだ。
スーパーに並ぶチリ銀もその産物には違いない。そのチリ銀もかつては三陸で多く養殖されていた。今は、チリに取って代わられた。
 そのコストパフォーマンスによってその地位を不動にしていったチリ銀は、もはやスーパーの鮮魚コーナーのメインになりつつある。
 無くなったバリコーヒーで旅の思い出もすべて飲み干してしまった。
またいつの日か、この南国を訪れたい。

そこにいつか楽園があるのならば。

我が国が忘れてしまった楽園。

親鸞聖人は、どんな極楽浄土をその胸に抱いていたのだろうか?

倉田百三の“出家とその弟子”に書いてあったかな。

もう読んだのは29年前の夏。

現実は、極楽浄土も楽園も、理想郷もほど遠いように感じた。

鵜原理想郷は車で20分もしないところにあるのだが。

楽園もその先にあって欲しい。

レンボンガン島の浜を

2012年3月10日
最後のルアックコーヒーを飲みほして

その11おまけへつづく

楽園の終焉-小楽園の幸福2011-92020年08月14日 18:07

酷暑ですね。
今日も、ほんと死にそうなくらい暑いです。一体これ以上暑くなったら人は住めるのかとおもったりもします。呑気に、今まで釣れなかったのに釣れるようになったと手放しで喜んでいては、先がないかもしれませんね。一体どうなるのでしょうか。
 
zebco2021
友人が持ってきたZEBCOのスピンキャストリール。今はもう生産されていない米国製です。当時も恐らく子供用ではありますが、普通にバスくらいはやれるレベルでした。

zebco2022
流石に何年製かは分からないが、1990年代半ばくらいまでは米国で製作していたと思います。同社は、多くのスピンキャストリールを生産してきました。私が小学生のころ、欲しく堪らない機種がありました。舶来製と呼んでいたZEBCOは、子供にとってはとても高級でした。店にはいつまでもそれがガラスケースに入っていました。その店ももう27~8年も前には跡形もなくなっていたと思います。

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ちゃんと刻印されています。米国製。

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うきまろ君と並べてみただけ。まさかのうきまろが。

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うきまろくんは、ピックアップピン方式になっていた。もちろん大陸製です。

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ギアリング。うきまろ君の方が大きい。がしかしそれは、亜鉛ダイキャストなのかな?

zebco2027
スピンキャストリールは、日本では昭和の50年代に一時急激に増えたように思えますが、その後どんどん減っていき、その後ほぼ見えなくなってしまいました。それだけ日本の釣文化には根付く要素が少なかったのでしょう。構造上とっても非力なのは言うまでもありません。

それではその9です。
景色なのだが

このようなところでの休息は、セレブ風に感じるかもしれない。
がしかし、そもそも庶民なのでその真意はわからぬままである。

 どうやら我々2人とツアー添乗員の心が満腹になったらしいので、昼食はどうでも良かったが、早上がりしたので休息がてら食事でも・・・という事になった。これはその流れ上、そうも、なることでしょう。もう丘の上ですから。

と言って、ここで食事と言っても、別段そういつもと変わらないだろうと思った。
 適当にビーチの見える丘の斜面にあるレストランに入った。といってもオープンガーデンなのだが。
 この島の斜面は、景色もとてもいいのでレストランが何件か連ねる。その昔の呉市警固屋的場町の丘と同じ風な瀬戸内の斜面?とは似たようで全く違うようである。(そりゃそうでしょう)既にお昼を回っていたので時間は、午後の休息タイムに差し掛かる頃である。テーブルとその奥を見渡すと、客の多くは白人だった。東洋人と現地人は、私たちだけであった。そこに日本人らしき姿は無かった。
 さてと、メニューを見て悩んだが、久々にミックスジュースなるものをオーダーした。さほど期待もせずに。

島のミックスジュース

全く期待せずにオーダーしたのだが、あまりにも本格的な味にこれまたかなりびっくりした。この島でこれが出るのか。

子供の頃、良く喫茶店で飲んだ味を思い出した。35年位前(2011年から)は、300400円くらいしたと思ったが、よく母親と行ったものだ。呉の中通りの喫茶店や、広島のデパートや駅ビルの中。
呉の中通りも本通りもとても賑やかであった。昭和の全盛期だった。そんな喫茶店で母親は、大体コーヒーを注文した。昭和の喫茶店のアイスコーヒーってなんで最初から甘いのがでてくるのかという疑問すら浮かばなかった頃の夏。

子供の私は、決まってクリームソーダかミックスジュース。そのクリームソーダには決まって缶詰のシロップ漬け赤いサクランボ。そして、合成着色の緑色。
もうそのような過去は帰ってこない。
街の喫茶店と名の付くところも今は殆ど行かなくなった。

 時代は大きく変わり、いわゆるカップ付きの○○バか○○○ズ。それも最近はぐっと回数が減った。
今は、○○○ルか一人の場合は、なんとあの最悪な味だったマ○○。
今では、その3ランクは上の味になった。それほど1213年前のMは不味かった。本国(USA)では、更に不味かった。
とてつもなく不味かった。
とてもブラックでは飲めそうもないあの苦い漢方薬のような味。
それから何度か経て、今の味になったので20円ほど値上げはしたものの利用は返って増えた。

 暫く待たされた後。と言ってもここは、東京でないので問題はない。

ウエイターがミックスジュースとビンタンを持って来た。
"
どうせ、出来合いのもんだろうな"と思っていたのだが、出て来たものは、これまたフレッシュで絞ったものに違いなさそうだ。

「乾杯!
3
人で乾杯した。
ユリアナ氏と私はミックスジュース、名人はビンタン(ビール)。
その味は、懐かしく、本格的な色合いに正直びっくりした。
正直日本の観光地でのイタイレストランや売店よりも数段ランクが上だった。
それだけここは、リゾート観光の客が多いと言う事になるのだろうか。

更に衝撃であったのは、メインのオーダーが来た時であった。

ツナサンド

ツナサンド、本当のツナサンドだった。これまた驚いた。
日本でも、マグロを炒めるところからするサンドは見た事がない。
ツナ缶が普通だと思う。

名人と想定していたのは、どうせインドネシア製のツナ缶にマヨネースで混ぜたものプラス2枚のレタスと付け合わせはもちろん冷凍の出来合い。
このパターンが定番だろうと思っていた。

しかし、予想は大きく外れた。外したばかりか、想定外の展開でかなり本格的なものであった。

これには名人と顔を合わせて
「こりゃ、変なレストランとは言わないな。」
そのマグロは、缶詰のツナではなく、切り身をちゃんと焼いていたその肉の色からしてビンナガかな?挟んであるレタスと玉ねぎも切りたてのフレッシュなものであった。挟んであるパンもどこで焼いているか解らないが手焼きみたいだった。更に驚いたのは、付け合わせのポテトがこれまた"切った生のポテトを今揚げました"という感じだった。

名人とそのまま、かぶり付いた。
「おい、これ案外いけるぞ。」
と思わず口に出たが

「本当だ。」
味覚にうるさい忍者も同感の様だ。

とすると・・・・。

ランチ

本格的ツナサンドとナシゴレン、ミックスジュース等

初日のジャンクレストランが益々怪しくなってきた。
以外に本格的な手の込んだ食事に満足した我々は、そのまま時々襲ってくる蚊にもそう気にすることなく過ごせた。
「そろそろ、船がきますかね?」
名人のその言葉で我々は、席を立った。
旅は終わろうとしていた。

早・・・。

帰りの船中、名人が
「本当に日帰りか?」とクルーに聞かれたそうだ。
なんとも勿体ない話ではないか・・・。
これは、日本の日帰り旅行と同じ感覚なのかもしれない。

宮島に渡って半日観光とか…。

宿毛湾から沖の島か・・・。

また同じコースでバリに着いた。
そしてまた、川渡し・・・ではなく海渡し。
今度はサンダルに砂が入らないように脱いで渡る。

 ユリアナ氏は、ロッドを見て、なんでこんな細い竿であれが釣れるのかな?
と何度も感服していた。「嘘みたい…」と何度も言っては、マジックを見たような気になっていた。同じ事を運転手にも聞いていた。
バリ語でなにやら話をしていたが
「彼は、釣りをするので聞いてみたが、確かにその竿は高級そうで日本製ならそのような出来と性能はあると言っている。」
そう、彼は私に言った。
 それまで彼は釣りに全く関心が無かったし、我々のボートに便乗した事も無かった。もちろん魚を持ち帰る事も無かったので半信半疑であったのかもしれない。いつも魚釣りに来る事だけは解っていたが、このような事をしているとは想像もつかなかったと言った。本当にびっくりした様子だった。

 いつもバリのドライバーに言われる事は、魚を釣ったらください。
そう必ず言われた。
リリースしたと言うとがっかりされた。
「次はくださいね。」
GTでもなんでも良いから・・・。」
そんな会話が必ず付け加えられるのであった。今後もバリでGTを持ち帰る事はまずないだろう。しかしながら、彼らにとって、GTを始め魚は貴重な食料であるから彼らが食するのは当然である。
 我々は、ボートが決めた規定に基づいて行うゲストであり、トラベラーなのだ。
当然現地の人の習慣や行いにとやかく言う筋合いの無い立場を再認識した。

 ユリアナさん、今日はありがとうございました。

その10コピルアクへとつづく

楽園の終焉-小楽園の幸福2011-82020年08月07日 18:36

8月も6日が過ぎ、郷里の広島にとっては、忘れられない日です。学生で上京した時、6日だからと言って特になに?と言われた時はとてもびっくりしました。海外ならまだしも、東京でそんな風に言われるとは思ってもみませんでした。他人事とは、このことなのかと痛感したほどです。それは、今の世界での現状とさほど変わらないのかもしれません。利己主義の蔓延は、人への無関心を増幅させるものかもしれません。

 季節は、お盆へと移り変わっていきますが海軍将校だった祖母の義弟が当時不沈と呼ばれた超巨大戦艦で最後の任務へと出て、その妻である祖母の妹は被爆しました。
 庭でもアブラゼミが鳴いたと思うとニイニイゼミとツクツクボウシ、ヒグラシが鳴いています。セミには、今の人類が抱えている禍には関係ないように鳴いているように聞こえます。

1062-F1p
公開ついでの画像。鱗目まで綺麗に撮影ってなかなか素人には難しいですね。死体画像は色が死んでいるのであまり好きではないですが、その機会すら与えられない場合もしばしばです。

さてその8日になります。

リリースする。

鰓に水を送り蘇生させる。
野生の背中は、やはり美しいまさに野生美とはこのことだろうか
わずかなコンタクトは、それを昇華させる。

久々に自ら、魚を水に入れて人工呼吸させた。
1
回…2回…3回…4回と。
5
回目くらいで魚が自ら頭を振った。
"
もういいぞ、離してくれ"という合図に見えた。
左手を離し、最後の右手をそのすぐ後で離した。
魚は、その体をまっすぐバランスを取り、水中深く帰って行った。
「バイバイ。」
魚には届く事もない挨拶をした。いや届くかも?しれない。

そこで、ユリアナさんが
「もう燃料がないから一度帰ってからもう一度出直すと言っています。」
そう船頭さんの通訳をした。
「ああユリアナさん!もう目的は果たせたからもう今日はいいですよ。」
「もう満足したので帰りましょう。」
ああ良かった。
肩をなで下ろした。
本当になで下ろしたのは、後輩H名人なのだろうがね。
「キャプテン サンキュー!」
別れ際に握手をした。
「アリガト、アリガト!
とまた、2回答えてくれた。
本当にうれしそうな顔をしていた。

彼の知るもっともメジャーな日本語で。それでも気持ちは痛いほど伝わった。
久々に良い仕事をした達成感があったのかもしれない。
残業のつもりが早上がりになった船頭さん。
今日のキャプテンは家に帰ってどんな話をするのだろう。
そんな、南の島の小さな出来事。

彼にも帰る家があり、仕事から帰った主を待つ家族があるだろう。
しかも、今日は結果的には定時前の仕事だろうから。案外真面目で、紳士な船頭さんであった。なにせ、一旦給油して更に仕事をすると申し出たところは、その心を知ることになった。

ブラックウルワ

みるみる黒くなって行く。BLACK ULUAとか言われるが。
果して、それは。

小さな楽園がここにあるのか。それは、誰にも判らない。
現実はそうでもない裏があるからだ。


たった4人の中の現実と夢。

それは、瞬きの幸せ。

楽園の中の小楽園でなないか。

それが、永遠に続くのならば、小楽園でもいいのではないだろうか。
それだけ、人は平和と

リリース前

幸せに飢えていることへの裏返しなのかもしれない。


その9小楽園の小休止へとつづく

楽園の終焉-小楽園の幸福2011-72020年07月30日 20:48

7月もあっと言う間に過ぎて、ほぼ買い物と近くの散歩がてらの釣程度しかしていないまま半年以上が過ぎてしまいました。今頃、オリンピックが開催されて、多少なりとも盛り上がっていたかもしれません。がしかし、それ以上にあらゆる天災は降り注いでいるようです。
 今日も朝は20℃しかなく、梅雨とはいえとても肌寒い一日でした。

昨晩のメバル
いままで、こんなにメバルを撮影したことはありませんが、まじまじとみると案外綺麗です。
今日のメバル2
いつものアングルですが、昼間ならもっと良く綺麗に映るのかな。これ以上の進化も変化も技術も向上する余地もない撮影レベル(決して高いということではなく、ここらあたりで妥協している素人撮影)
イサキ
夏と言えばイサキ?でしょうか。もっとまじめにこれも撮影しておけばよかったと思いますが、次回に期待したいと思います。
それではその7になります。

 私が良く受ける質問の中では、"ボートからなら誰でも魚獲れるでしょう?"という人が案外と多い。がしかしそれはおそらく、ボートからのゲームをあまりしていないか、操船フォロー無でも獲れる魚しか狙った事のない釣り人の発言である事が多いかと思ったりする。さらに釣りをした事がない人にとっては、竿折れないの?といつも聞かれるのでこれまた、最初の"いろは"からの説明になるのでもっと話は長くなってしまう。その際は、かなり省略して説明をしたりする。
その理由は、結構マイナースポーツなのでこれも仕方が無いことと理解している。彼らの中には元々そう関心が無いので、返って長い説明は、迷惑な話になってゆくのが辛いところである。それは、その相手が何を期待して質問してくるのかにもよるだろうが。

 今度は、ロッドとラインの角度が120100度つまり鈍角に、徐々に縮まりつつあった。
「ストップ!」
キャプテンは空かさずボートのスロットルを戻した。
途端・・・。
エンジンが止まった。
"
えっ?エンジンまで止めたの?"
確かにストップと言ったのが悪かったのかもしれない。
"
ニュートラル!"と指示した方が良かった。
エンジンまで止めては魚の走りが変わった時点での対処が出来ない。
「エンジンは入れておいて!!
キャプテンは理解してくれた。
"
息があっているなんていったものの"なかなか微妙なラインであった。もしかすると燃料の具合も気になっていたのかもしれない。
 魚はもう横になって旋回し始めている頃であろうが、気は抜けないところである。魚は左に行ったり右に行ったりして、廻っているのでロッドも右に左に代わる。たが、舳先の小さな船故に交すのは容易であった。右舷も左舷も竿をひょいと交して態勢を変えるだけである。
 案の定、魚が艫側に移動しつつあったが、このボートの後方は屋根が付いていて、本来遊覧用なので移動するのはその屋根までと、アングラーが動くのは制限がある。直ぐに旋回をキャプテンに要請する。
そこは、小舟の小回りの良さ。
直ぐにボートは、右旋回する。
ラインを中心にぐるりと回る感じのイメージである。
 魚は、下に位置しながら少しずつ方向を変えて行く。
少しずつリフトを試みるが、最後の抵抗なのか、浮かそうとすると竿を伸し行く。ズンズンと尾鰭を叩いて抵抗する様子が伝わってくる。相手はやはりパワフルなのには変わりなかった。そこからさらに12分が経過した。
すると、その動きにも限界が来たのか糸を出すまでのパワーはあまり残っていない感じに変わってきたのである。しかしながら、ロッドはまだ限界値まで曲がり切ったままでいた。
ロッドを起こそうとするとガッガッと下に伸しにかかる。生命感が大きく伝わる。

 それから78分が過ぎた頃、魚が見えてきた。
一気にリフトを試みるがロッドは弧を描いたままで、リカバリー(起きて)してくれない。だた、魚が横になってかろうじて尾鰭を叩いているだけであろう筈なのに。この有り様は、やはり20Lbクラスロッドなのだろう。かなり無理はしているという事である。となればここは、往年のフットポンピング(屈伸で魚を浮かす)しかない。
 ラインスラッグを出さぬように膝を曲げてゆっくりと竿にあわせながら立つ、また膝を折り曲げるの繰り返しの屈伸運動をする。膝を曲げてしゃがむ時に同じスピードで糸を回収してまた起き上る分だけ上に浮かせる。
この繰り返し。
 魚は、見えてからが早かった。
「浮いた!」
ぐらりとヤツが白い腹を見せて横になった。
「ランディングするからグローブをして!」
そう名人に伝えたが・・・。
なんと撮影中だった。(お願いしていたので当たり前)
あとは、操船中のキャプテンかユリアナ氏になる。ユリアナ氏に任せるのはかなり無理があるか・・“
 瞬時に、これは諦めて自分でランディングすることにした。

弱ったところを確認しながら、ロッドを引き込み、リーダーを掴み、魚を廻す。

一回目、上手く掴めず。

もう一度廻す。

2回目。

テイルを掴む。

ゼイゴがグローブ越しにはっきりと当たる。

尾柄部を両手で掴む。

船に引き入れる。

歓声が上がる。

ロウニアジ成魚

上がった直後のロウニンアジ
この時点では、まだ体色は、そう黒くない。

 キャプテンのそれまでの暗い顔からおもいっきりその黒く焼けた顔から白い歯を出して円満の笑顔をみせた。
そしてまた、ヒーヒーと声を上げた。
初めて見るユリアナ氏は、驚愕していた。
それまでは、寝ていたのに。
あまりにも突然の未体験ゾーンに一番驚いていたのはこのユリアナ氏だった。
キャプテンがまたヒッヒーと声を上げる。
がっぷりとキャプテンと握手。

ライトタックルとロウニンアジ

ロウニンアジは、ロウニンアジ。
これをGTと呼んだのは、鈴木師匠であることは案外知られていないのは一体どうしたことであろうか。

Thank you captain!!
「アリガト! アリガト!!
何故かキャプテンは日本語で答えてくれた。
それは20kg前後のGTと呼べるサイズだった。
しかも、体色は黒。
ブラックウルアだ。
気持ちは一気に晴れて、小楽園。
4
人揃って笑顔が初めてでた。
初めて4人が同じ気持ちになり得た時間。
束の間の小楽園。小さなちいさな楽園。それでも瞬間に見える刹那な幸福だった。そんなことがこの世知辛い世の中と人生で何度あるだろう。
 見下ろすと、ルアーが下顎にしっかり、ガッツリと掛かっていた。
ルアー腹側の200Lbスプリットリングが、S字に見事に変形していた。
魚の首振りの捩じる力は案外強いものである。針はがっちりと掛かって変形は無かった。(ST66-2/0)
「キャプテンリリースする?」
と日本語で声をかけた。
OK!OK!
2連続で了解を得たのでリリースする事にした。
キャプテンがどうしても欲しいと言う事ならば、差し上げる気持ちはあったがその返事で決まった。



その8へつづく

楽園の終焉-小楽園の幸福2011-62020年07月18日 18:05

7月も半ばを過ぎてしまい、あっという間です。
あらゆる不安要素を持ちながらも前に進もうとする人々にはエールを送りたと思います。この不安があらゆる場所とあらゆる機会で訪れる可能性があると言うことは脅威ではありますが、人類の英知が自然に追いついていない気がするのは私だけでしょうか。
メバル
 友人のきみちゃんとメバルを狙いに行くと、開始早々きみちゃんにアタリがあった。勢いよく4Lbナイロンが出て楽しそうだった。今時ナイロンなんて、と言われそうだがナイロンの良さは使うと直ぐに解ると思います。一発狙いのこの釣りは、ULタックルでのビックゲーム?になるのでしょうか。
昨今は、PEラインが激安傾向にあるので、あえて3~4Lbナイロンを使うのはこの2020年に於いては物好きなのでしょうか。狙いは尺オーバーでしたが、少し足りませんでした。
メバル2
 メバルが3種に分類されるとは、私が学生時代には思いもよらなかったことです。この魚の胸鰭条数は16でした。クロ、アカ、シロは同種とされていたからです。科学は進歩発展するもので、今後もこのようなことがあると思います。古い学問の定説などもはや化石でしかないのでしょうか。

それでは、その6になります。

その先へ

ボートは、上手く島沿いのスリット沖を流されて行った。
いつもとは違う目線での釣りは、新鮮に映る。海面が直ぐ下に映る。
ボートは、ゆっくりと潮に流されて左手に島右手に沖となった。
キャスト方向は、左斜め前11時の方向。

1キャスト目 ジャーク&ジャーク。

2投目…3投目…4投目

汗が滴ってくる。

キャストは私一人になり、名人は撮影に入ってくれた。
いつでもOKのタイミングだけだ。

5投目…6投げ目…7投目

諦めそうな心を押して、再び投げてみる。

それから何投かキャスト&リトリーブを繰り返した。

「出た!!
寝ていたユリアナさんが飛び起きた。
ドン!!と一気に衝撃が・・・。
ラインスラッグ(糸のたるみ)が瞬時に消えて、手元に衝撃と共に"グン"と竿が入る。

ヒット1

信頼のFTSを絞り切る。やはり1pcsを超える竿はない。

その瞬間ほど気持ち良いものはない。
鼻から息をフンッ!!吐き、アワセを入れる。
大きく一回、リールイン、また1回と追い合わせ。
偏光越しに反転したのは、確かにロウニンアジだった。
しかも、56㎏の小型のものではない。
限界いっぱいに絞りこんだロッドは、半分以上がラインと一直線になっていた。
絞りすぎなのは良く解っていた。

ヒット2

ロウニアジは、一気に走りだす。
最初の疾走は暴虐的である。それに酔いしれてみたい。

魚は、水面に飛沫を出して出た後、潮に逆らって一気に下降する。
ボートは、舳先が変わり反対方向に流れて行く。
魚は潮を上り、ボートは潮に流される。
竿は限界まで曲がり、堪らずリールが糸を出して行く。ギリギリファイト。それがとても心地よい興奮を増幅させていった。
初期ドラグ負荷設定がそもそもライトタックルではないのだが。6.06.5kgに絞ったリールからは糸が出て行くが竿も限界までお辞儀したままカクカクと。
微妙ながら、ドラグ性能はそこそこに、まあまあ、という感じだった。

ヒット3

結構絞り込んでの勝負
20Lb
クラスの竿としては、限界を超えている。


「エンジン掛けて!」
キャプテンがバリ語で何か言った後エンジンは掛かった。
ユリアナ氏は、なにやら
「すげえ、すげえ!」
と日本語で連発していた。
よほどびっくりしたらしい。(釣りは、全く関心ない観光メインのガイドさんである)
キャプテンは声が裏返ってヒッヒーと言いながら興奮モードになっていた。
どうもこの船頭さんは、テンションが上がると奇声風になるらしい。一緒に喜んでくれているようでなんだか嬉しくも感じる。
「あれえ、バイトシーンは撮ってないの?」
「いやあ、今まで撮っていたんですが、もう一旦切ろうかと切ったところでした。」
と名人が言い訳をしてくれた。正直仕方ないとは思ったが、一応言って見たかった。それから名人は、慌ててカメラを取りだし、そのスイッチをONに押した。

突っ込むGT1

限界まで絞り切るも、抵抗するロウニンアジ。
あとは浮かせるだけなのだが。

魚は、最初のひと走りを終えたところだった。
ここからは、キャプテンの腕の見せ所だが、果たして・・・それは。
 そのキャプテンは、舳先を流れと逆、つまり魚の走る方向にボート上手く向けてくれた。30㎏オーバーであれば、この程度のプレッシャーはもろともせずに糸を出して行くのだがそれは果して。
 この魚、ライトタックルの限界まで絞り込んで時々リールが逆転して糸を吐きだしては行くものの、それが抵抗の限界と思われた。
"20
㎏前後かな?"
それはむしろ、このタックルでの限界点での勝負には丁度良い感じがしたが水深が解らないのと、糸が底に近い所を走っているのかが解らなかった。そこが一番の不安なところである。
 ゴーへ―(前進)を指示
すると、キャプテンは、ゆっくり間合いを詰めてくれた。

突っ込むGT2

魚は、下方向へ突っ込みを見せる。

「早い、早い…もっとゆっくり!」
キャプテンは、即理解してくれた。確かに元漁師でトローリングもやっていたというのは、嘘ではないと思った。この船は、なりは観光船であるが、乗っている船頭さんは、ベテランの雰囲気に変わっていた。まさに"老兵は死なず"という言葉かいや、"昔とった杵柄"のほうがぴったりであった。
その後の操船には、全く不満が無かった。

 5分が経過する頃、キャプテンとの息もだんだんとあって来た。これが、お互いの息が合わないと何をやっても獲れない。獲れると確信しているものも、全く獲れなくなる事も多々あるのでここの部分は大変重要である。

その7へつづく