蓑魚のゆくえ特別番外編22025年10月28日 21:03

蓑魚のゆくえ

特別番外編2

四万十アカメ1

四万十幻想

川は眠らない

今日も明日も眠らない

それが絶えても変わらない

闇に溶けても、声を失わず

砂礫に記憶をかき消されそうになっても

石の記憶を撫でながら

その岩の如く

永遠なるその普遍流れと共に

その真実の

次の語り部を待っている

REDMOON1

冒頭の川は眠らないという言葉はかの文豪の河は眠らないという著書が無ければ思い浮かばなかった言葉である。それは、素人がいくら考えてもそのような表現には至らないということになるのだろうか。想像するに、その文豪がこれに向き合った釣りと執筆をしていたならば、それは超大作だったに違いない。あるいはそれが短編であったとしてもかなりのインパクトを与えた作品になったにちがいない。それは、容易に想像がつく。ただただ文豪がその昭和にトライできなかったのがとても残念に思えてならない。もしかすると、その時代に企画が上がらなかったのは、彼のスタイルにあった釣りで結果を出そうとするとこれは困難を極めるし、長期に至るリスクを敬遠してのことだろうか。いずれにしても、もう文豪は故人であるのでそれを聞くこともできない。

 もし万が一にも彼が四万十川へと足を延ばしてそれを行ったなら、そのタックルは容易に想像がつく。ZOOMのヘビークラスにもちろん十八番の両軸リールだろう。開高健つながりと言えば皆さん、すぐにAbuAmbassadeurを思い浮かべるだろう。その昔、私の旧友は、かつてのそのABU製品の輸入総代理店であったエビスフィッシングのMR.DON6500Cのコンボで四万十の蓑魚クラスを釣った。それは20㎏を超えていた。もちろんナイロン30Lbにオリジナルルアーでの結果だった。現在の国産高性能ベイトキャスティングリールからするととても貧相に見えるが当時としては、ベイトタックルでとなるとベターな選択だったと思う。当時は、ベイトでやっている人はほとんどおらずもっぱらスピニングだった。当然専用タックルなどそんなマイナーな魚にある筈のなかった。いいとこシーバスタックルのヘビークラスがやっとの時代である。もちろんリールはpeラインに全く対応していなかった。先述の開高先生もきっとこのクラスのリールを使ったに違いない。

 

満月の大潮、月が昇る。

闇夜の大潮、そこに月は見えない。

その当たり前のそれを幾度となく繰り返してきたのだろう。

その長い歴史の中で彼らは、我々よりもそれを繰り返し見てきたのだろう。そして命をつないできた。

だが、今我々はそのような長い歴史と命、それらを我が物顔で踏みにじっているのだろうか。

最近は、それを神の使いとも神の魚とも呼ばれない。そこには、尊厳も畏怖も信仰も何もない。ただその疑似餌の対象魚でしかないのだろうか。それは、時と共に進化し続ける高性能リールと高性能ラインと驚くほど大きくかつデジタル設計されたルアーという疑似餌だったりする。そんな無機質な疑似餌達とその釣り人の前にはもはや、神の魚の勝ち目はあまり残されていないだろうか。それでもその太古より備わった強靭な顎の骨は、抜くことが極めて困難である。いや不可能に近いほどの硬さを誇る。また、その強烈に太い尾柄部と尾鰭とその筋肉から繰り出す豪快はジャンプと鰓洗いは、キャッチすることがコンプリートという観点からすると、勝負は最後まで分からない。

その硬い顎は、強力に科学研磨された日本製針をしっかりと突き抜けられるのか。無論突き抜けなければ意味はない。となるとそのポイントは、その釣りなるものを経験したものだけが知ることとなる。掛かりどころそれは、釣果にとっても獲物にとっても極めて重要である。所詮トレブルフックではその掛かる場所をフロントとリアフックの両方で捉えない限りその捕獲率を下げていくようである。その体の全身を蓑で纏ったようであるとのことからそれは蓑魚(ミノイヨ)と呼ばれてきた。しかしながらそれを知る人も最早少ない。ただただそれは、その眼が赤く見えることからアカメとなってそれが標準和名となり、その俗に言う正式名称と呼ばれるアカメがいつのまにかその欲望の端の獲物としてのアカメと呼ばれるようになったとまでは断言できるのかどうか結論に至っていない。

そう言えるかどうかはその人次第であるが、なんとなくそう思えたりするのはその神の使いの位置からの転落がもたらした意識の没落からの故なのだろうか。いつから人はその神とその使いを恐れなくなったのだろうか。神の魚は、もう神の使いでもなんでもない、ただ怪魚として雑に扱われて行くのか。怪魚という名の崩壊なのかはまだそれは分からない。判らないので、もはや神の魚ではない家畜の延長線上の産物まで落ちていくのか。それは彼らの地獄なのかどうかもそれは知る由もない。神が神でなくなってしまった時点でそれはもう彼らの地獄なのかもしれない。たかが魚と言うなかれ、かつては神の魚であった。そして未だそれを神の魚としている人も存在しているのかもしれない。その数は決して多くはないだろうけれど。

四万十SP1

月竿の誇り

日の丸と四万十

ジョージアとマックス

現在(2025年)においてもデザインこそ変わってしまったが

ジョージアオリジナルコーヒーもマックスコーヒーも健在である

ある面脅威のロングセラーである

既に周知ではあるが、マックスコーヒーの創業者は現在と異なる

「おお、おんしゃあアカメしっとるんかえ!」

「だいぶ前じゃけど、わしの船のしたにがいにふといアカメがついちょったがや。」

「ざまに太かった。」

140をこえとった。」

「突いて上げたら、おばちが下へついたぐらいざまにふとかった。」

それを話してくれたお世話になった人は、若かりし頃桂浜水族館に勤めたことがあると聞いた。それは意外だった。どうやら銛で突いたらしい。それは、釣りではなかったがそんな大型のアカメが昭和のその時代にはまだまだお目にかかることもあった時代なのだろう。

それが1960年代なのか70年代なのかは聞いていない。

四万十SP2

「あんちゃんらぁ、わしは海軍で鍛えちょったけぇそこらへんのやつらにはまだまだ負けんどぉ。」

「鍛え方が違う。」

「まあ、コーヒーでも飲んで

と言ってはジョージアのオリジナルミルクコーヒーを出してくれた。それはとてもとても甘かった。甘過ぎた。それを筆者はもう何十年も飲んではいないが、恐らく千葉県民のソウルドリンク?と称されるMAX COFFEEと同レベルだったように思う。人生はそんなにも世知辛いのになぜジョージアはそんなにも甘かったのか、MAX COFFEEは未だ加糖練乳と砂糖マックスが健在なのか。なぜその初老の先生はとても優しかったのか。

「アカメ?ミノイオかぁ若いころはなんぼでもおったがのぅ。夕方涼みよったらざまに太いがおったがのぅ。」

 それは、彼が戦後故郷に帰った1940年代後半なのか50年代なのかは分からない。聞いておけばよかったと思うこの頃である。

「最近は、あんまりみんようなった。」

「コーヒーがあったかって?」

「ああ呉の海軍にはあったよ。」

「ふつうに美味しかった。インスタントなんてない。」

よくコーヒーを飲みながら戦時中の話、特に呉の海軍兵学校に居た頃の話を聞いた。それだけ当時は生きるか死ぬかの選択の中で生きてこられたのだろう。

故のやさしさは、本当の厳しさを熟知しているが故のやさしさというものを知っておられたのかもしれない。そして、そんなある日のこと、ちいさなその街の午後

「焼き肉を食べに行こう。」

と誘って頂き、ご馳走になりすっかり甘えてしまった若い頃を。

もうその肉の味もその店のタレの味ももう思い出すことはできないし、その店が今もあるのかないのかも分からない。ただそのやさしさの味は忘れてはいない。そのやさしさは、やはり死闘の中の平和を誰よりもわかっているからの他ならないのだと思う。その平和を熟知している人の一人ではないかと思う。

学校で先生から教えられたことよりも何倍も何十倍もいや比較対象にならないくらいその重みは違うと思った。それは、黒板に平和と書かなくても・・である。教育者は、その重みと深みも加わったほうが間違いなく良いとは思うが現実は、その薄い紙のページと黒板ですぐに消される重みと深みが現実なのかもしれない。あの時の大先輩、どうもありがとうございます。

四万十アカメ2

先の大戦以来、80年も我が国では戦争をしていない。先人の粉になるまでの玉砕と戦闘、死闘、それら戦いの犠牲の上に成り立つ報酬なのだろうか。それは誰にも分らないが80年もの間に戦争または戦闘に巻き込まれたことのないという国はそう多くはない。むしろ極少ないといってもいいだろうか。世の人々の中には、平和、平和と叫ぶ人や団体は多いけれど、わずかな平和を勝ち取るために多くの犠牲の上に成り立っているのかを考える人は、そう平和という言葉だけを一人歩きさせない。戦争と平和は常に表裏一体の歴史な気もするのは私だけなのだろうか。戦後は、誰もがそれを否定してみたがどうやら戦争や紛争は終わっていないようである。そして今現在もその戦闘に巻き込まれて真の平和を願っている人は多い。それを現実と取れないのは、80年とう月日がそうさせたのもあるだろうが、どうもそれだけが原因ではないのだろう。

そんな争いを川はずっと見てきたかもしれないが、それは関与していない。その流れに偽りはない。

四万十アカメ3

清流の中にその蓑の如き鱗を纏うミノイヨ
それは老成魚とも呼ばれる歴史を刻む

それから30年もあっという間に過ぎていった。30年という時間は、人のそれには当然かなり長い。述冒頭の話の主も今は故人である。その優しかった長老も故人である。その四万十川で一緒に釣りをした親友も若くして既に故人である。その1の岡田光紀先生も故人となって久しい。それだけ無常にも時は私の親しい人をこの世からあの世に連れ去っていくと思うと次は誰なのだろうか、あるいは私なのかと思ってしまう。

四万十アカメ4

大型になるとその皮膚は厚く鱗も大きい

その骨は、はやり硬い、硬いのだ

  私が学生時代の1980年代では、釣りキチ三平の四万十川の潜水艦と呼ばれる巨大アカメと三平、中村の町でのストーリーも既に終わっていた頃であったが、それの影響をみても一般的にはとてもマイナーでマニアックな魚だった。それは現在のSNSスピードからすると異次元である。

当時水産学部という枠組みの中にいた私でもそれを知っているのは数人だった。当然ながらそれから40年も過ぎて2025年ともなると矢口高雄も釣りキチ三平もはるか過去のことで多くの平成生まれの釣人はそれを読んだこともないのだろう。しかし、よく潜水艦という名前を付けたものである。さすがに4mの特大潜水艦は、幻想をはるかに超えた大きさなのだが、もし仮に本当に居たらそれはそれで楽しいけれどその半分の2mでさえ今のところ上がった記録はない。また当時の矢口先生にも三平にもルアーという疑似餌で釣る発想はない。そこが同イトウ編と違うところである。

「平野、四万十川へアカメを釣りに行こうぜ。」と言った当時(1989年頃)の同級生は、今頃何処で何をしているのだろう。そこが高知であること以外何も知らないその時に。そして、その彼の誘いのその後はというと全く分からないし、実現していない。いや既に絶望的に実現しないだろう。また、その当時の恩師もすでに故人である。

人は、その時多くの約束をするがそれが実現することは決して多くはない。いやむしろ忘れ去られていくことも多いのだろう。常に現実は、明日への希望を打ち砕いてしまい、それを地に撒いてしまう。全く無常とも言え無慈悲でもある。

四万十SP4

蓑魚の行方本編を掲載する前に番外編の方がすでに今回で2回目となるのは今現在(2025年晩秋)の私にも5年いや10年前の私にとっても以外だった。20年前の私はどうだろう。そのことすら掲載する気もなかった。最初の原稿が1993年くらいと考えると短くもちっぽけな人生なことに悲観してみたくもなったりする。

 そしてそれは未だ幻でもあり、幻想でもある。

ゆくえ知らずの幻想に過ぎない。

その幻想の中の幻想に救われたいという思いが駆け巡って行くのだ。現実は、常に辛かったとしても。それは、消えることのない幻想なのだ。それは、逃避なのか。

四万十SP5

それは、まさに釣り人が描く妄想なのだろうか。幻という名の幻想なのだろうか。そこに怪魚なる言葉は似合わない。全く何が怪しいのかも分からない。

FTS20とストライパー

2024年友人の釣ったストライパーと

新型CT702-FTS-20 RED MOON SP

ストライパーとの相性もとても良いそれは40Lb超えであっても

ストライパーは、日本のスズキとは異なってより大型化しパワフルかつとても人気の魚である。

ただし私が経験した中では、ジャンプすることはなかった。

四万十SP6

月竿のリアルダブルラッピングとシングルラッピング

四万十SP7ダブルラップ

昨今は、簡易ダブルラップ仕様の竿も多いらしい

簡易なのはいいとして、通常の工程を踏んだダブルラップと一緒にされるのは職人としては少し心外でもある

四万十アカメREDMOON

四万十川よ、眠るな

それがあらゆる人の手で蝕まれても

あらゆる物理的、科学的汚染されても

その砂礫の流れの記憶の中にも

四万十SPSM


四万十幻想交響曲

 それは、突然やってくる。

その手は、誰の手なのか。

その人が誰なのか。

まさか、神の魚が選ぶのか。

神の魚ではなくなったのに。

そんなことはないと思いながらも蓑魚伝説を現実に換えたい人達がいる。

極まれにそれを実現しようとする人が。

蓑魚は蓑魚、四万十川でなければならないともないだろうに。

それは、たまたま訪れるかもしれないし、狙ったから訪れるかもしれない。狙ってとれるならば誰もが狙うだろうが、それには時の運も左右することを知っておくべきである。そうなると運はとても重要な条件になるかもしれない。幸運なのか不運なのか悪運なのかは選択できるものだろうか。それは、また信じるものが救われるという信仰と神への畏怖の上に成り立つのか立たないのか、それを知るのはそれを勝ち取った者のみへの特別な問い掛けでもあるのか。いやいやそれは単なる妄想であって現実は、ハイテクな道具であっさりとやっつけるものであると若者は言う。そしてそれを引きずり上げるだけ。それだけのモノ、それだけのネタとしていいのではないか。はたまたそこまでは言わないがただの釣り。それだけ。それはそれで寂しい限りだと思うけれどもそれも本人の自由だろう。世の中は。その場当たり的画像か映像に重きをおきつつあるからか。撮影自体もただのデジタルなのか、フィルムという過去の遺物に捕らわれない今の価値観なのか。それは、私には分からない。

ミノイオ老成魚

たしかに突然やってくる

狙いがそこでなくても

ミノイオ老成魚2

それは誰も判らない

選ぶのは神なのか神の魚なのか

ただの怪魚と言われる見世物なのか

ミノイオ老成魚3

四万十の蓑魚老成魚

その赤い目で河を見続けたのか

はたまた一度も人の針にかかったことはないのか

とても気になるが聞くことはできない

それが判れば神の使いは本当なのだろう

ミノイオ老成魚4

潜水艦は、夢のまた夢

多くは夢で終わる

儚き幻想

記録魚

四万十の幻想

記録魚2

137㎝はあまりにも特大である

それは潜水艦なのか

まだまだ潜水艦ではない

それは幻想

記録魚3

それは137㎝という人生のレコード


誰もがそれを手にすることを希望するが

それを手にするものは、ごくわずかである

それを選ばれた人とするか偶然とするか

幻とするか妄想とするか

現実とするのか

手中に

あなたの未来を切り開く唯一の釣竿

それが月竿でありたい

今日それを出す人にも明日出す人にも

未来に出すひとにも、月竿はともにいる

祈幸釣

 

あとがき

稚魚

わずか10㎝にも満たない彼らの仲間から、あのミノウオになる

 丁度わずか一年後に特別番外編その2をアップするとは思いもよりませんでした。もっと先になるいやもうないかもしれないと思っていた矢先、それはいつも突然です。もっと早くアップするつもりでしたが結局今となってしまいました。書きかけては途中までのものが今書きかけのファイルと日増しに薄らいで行く記憶の様を時は待ってはくれずまた過ぎていきます。今回は、私が若い頃、その眼に焼き付けてきた四万十の情景とその昔の話。また、少しの間だけその情熱を注いだ四万十川での記憶とその後の経過を交えて少しだけ断片的に書いてみました。

また、今回の本来の主役、一気に飛び越えてレコードをたたき出してくれた高橋氏を心よりお祝い申し上げます。今までも何度も申しおりますが、チャンスは等しくの話です。人生の中でチャンスは等しく与えられているのかもしれませんがそのチャンスを幸運に変えてさらに、それが目の前の現実として現れることなどそう多くはないとおもいます。むしろ人間不幸を呪うことも多々あるでしょう。月竿は、そんなチャンスを少しでもものに出来るようにお手伝いすることができたらと思い11本手を抜かずこつこつと丁寧に仕上げて参りました。そんな平野屋謹製月竿が幸運をもたらすラッキーな竿であることは、それを手にした方にしか分からないのかもしれません。そのうちのその何人かは確実にその人生のチャンスの一つを掴んでいることでしょう。それは、私が23年前に独立した理由の一部でもあったりします。しばらくハードコアな夢ばかりを追い続けることにすべてを投入してきましたが、年齢に伴う身体能力とその立ち向かう気力も、どうやら過去のようです。あとは、それはマイナーだけど知る人ぞ知る奇蹟の竿と呼ばれるようになれたら…本望かと思ってはおります。そんなバカなことばかり言いよってという方もいらっしゃるかもしれませんが、そこは大目にみてやってください。実に釣りなどという単なる趣味程度、娯楽程度と考えてみると、儚くも空虚なものですが、ひとたびそれをその先の戦う主戦場にしてみると少し見えるところも体験する感覚も異なるのは誰でもそれを経験した方ならばおのずとお分かりかと思います。また、ここまで辿りついて幸いにも月竿を手にしたユーザーの皆さんには心より感謝申し上げます。あなたがより幸運な釣人であることを願います。さらに、手にされた方は幸運がいつか訪れてくれることを切に願います。また、当初よりこのブログを読んで頂いている方にも真に感謝申し上げます。以前にも釣りは好きだけれどあんたの言っていることは良く分からんし、書いてあることの良く分からないその特殊な専門用語はもう理解不能と言われたことがあったりします。そう、好きという感覚にはその人によって案外大きな開きや温度差があります。傍から見ると、「あの人は釣りばかりしている、うちの旦那は相当の釣り好きなので話が合うと思う。」と言われたことがあります。そうその通りなのかと思いきや、そうでもなかったりします。そこはその人の感覚が大きく異なる他ありません。

あとどれだけこのようなことを書くことができるのか全く分かりませんが、あまり期待せずお待ちください。もしかしたらその3が追加されるような140クラスの弩級の蓑魚老成魚があなたの手に収まる時がくるかもしれません。単独または2人組では、それの重量を計量することはもはや至難の業でありますが、もしかしたらその伝説に迫る100Lbクラスにであうかもしれませんね。それも伝説を呼びこしてきた四万十川で。それはあなたかもしれません。たぶんそれは私ではないことでしょう。もしかすると、既にその時私はこの世に存在しいないかつての友人たちのところなのかもしれません。そんなこと若かりし頃は、ほとんど考えなったとことです。

FISHERMANAKAME9

筆者が愛用していた師匠作のFISHERMAN AKAME9一号機と星条旗はためくPENN SPINFISHER Z 5500SS 6500SS

当時としては、最高のドラグの滑りとその金属的サウンドで玄人を魅了してきた

それが静寂の四万十川で鳴り響くと

心も同調して鳴りやまない

 

ミノイヨとFTS20

もてる魂の釣竿

月竿

AKAMR92


1990年代初頭筆者のタックル
6500
SSはのちにCCMチューンしてある

ベイルリターン問題は常に我々の悩みだった

遠い過去の四万十川と私、親友


202510月吉日

その3へつづくかもしれない



簑魚のゆくえ特別番外編-竜王の使い-2024年10月08日 15:42

簑魚のゆくえ

ミノウオ1

特別番外編


岡田光紀著

竜王の使い


全日本希少魚保護協議会会報第11


にっぽんつくりばなし

四万十の夜


 昔々、ずうっと大昔のことです。

四万十川が海に流れ込むところより、ほんの少しだけ上手に大きな島がありました。島は川の中にポッカリと浮いたようで、それはそれは驚く程大きなエノキの木に囲まれた緑一色の美しい島でした。

 夏には島のまわりの水の中にアマモが茂り、その中にはたくさんの魚の仔が育ち、冬には一面ジュウタンのようなアオノリが育ち、島のまわりのエノキには、枝が折れるほどのたくさんの鳥達が止まって羽を休め、生き物の楽園のようでした。

 その島には二人の若い漁師が暮らしており、一人は弥助、もう一人は与助といいます。

 弥助も与助も丸太をくり抜いた小さな船で、ウナギ、スズキ、チヌ、コイ、ナマズ、ボラ、エバ、スミヒキ、アユ、そして、エビだのカニだの様々な川の幸を獲って生活をしていました。

ミノウオ2


 ある冬の風の凪いだ真夜中のことです。弥助と与助が舟を横に連ねて、タイ松の灯りをたよりにつきん棒漁でスズキやミノウオを獲っていた時のことです。

 二人の船の先に一そうの船がぼやーっと見えてきました。これまでに見たこともない形の船です。その船の上には人影も見えます。

 近づいてみると、まっ白な長いヒゲをたくわえた見知らぬ老人でした。

その老人が気になった弥助は老人に声をかけました。

「ジイさんジイさん、あなたはどこの漁師さんですか。」

白ヒゲの老人は答えました。

「ワシは、この沖の海の中にあるオガタゴウリという島のものじゃ。」

与助が言います。

「そんな島があるとは知らんが、そんな沖の人がどうしてこんな川の中まで来て、釣なんぞ古くさい漁をしておるんじゃ。そんな漁じゃ銭もうけ出来んぞ。」

 白ヒゲの老人は少しだまっていましたが、キリッとした眼を与助に向けてこう言いました。

 「お前様達は、暗夜にタイ松の灯りをつけて、つきん棒漁でミノウオを獲っておりなさるようじゃが、たくさん獲ることはつつしみなされるが良かろう。その魚は竜宮よりの使いで海と川を行き来して、川の民達に幸福(さいわい)をもたらしておるものじゃ。毎年毎年たくさんのミノウオを殺しておると竜王様が怒り、いずれ災いをもたらすことになるぞ、ワシの言うことを信じようが信じまいがお前様方の勝手じゃが、ワシの言うたこと、夢々忘れるでないぞ。」

ミノウオ3


 弥助も与助も老人の言うことを、馬鹿らしいと思い、聞く耳を持たず、又、つきん棒漁を始めました。カイをこいで老人の乗った船の脇をすり抜けて上手に廻ったすぐ後のことです。グァボーンと言うとてつもない水音に驚いていまが今しがた通った下手を振り返ったのですが、そこには何もなかったように、川の水が静かに流れているだけでした。

ミノウオ4


 それから後は、全く魚の姿が見えず漁にならなくて、二人は戻ることにしました。帰りの舟をこぎながら二人は今夜出逢った老人の話をしました。

 弥助はこう言いました。

「あのジイさんの言うておったことは本当かもしれん。オラはもうミノウオ漁はやめにしようかとおもうんじゃが。」

与助がこう言いかえします。

「なあに、そんな話はウソに決まっておる。本気にする方がおかしいぞ。どうせあのジジイはオラ達が大物のミノウオを獲るのを知ってうらめしく思っておるだけじゃ。オラはやめんぞ。獲って獲って獲りまくって大金持ちになってやる。」

 次の日から弥助はプッツリとミノウオ漁を止めてしまいました。でも与助は、毎日毎日ミノウオ漁をだけをして、これまでにも増してたくさんのミノウオを獲り続けました。その上、町に売りに行った時は、「この魚はミノウオという竜宮に住む幻の魚じゃ。喰うと万病にきくぞ。」と大ウソを言って高い値段で売りさばくのです。それでもあきたらず、大きなミノウオの獲れない時には小さなミノウオの仔を獲って、「このミノウオの仔をコンガリ焼いて粉に引いて飲むと一尾分で一日分若返るぞ。」と又々大ボラを吹いて大金を手に入れたのです。

 一方、弥助の方は、これまで通りの漁だけをしていましたから、いつまでも普通の暮らししかできていません。それでも、弥助は不満とは思わず漁に精出し、楽しくすごしていました。

ミノウオ5


 それから数年たったある夏の終わり頃のことです。四万十川にとんでもない大雨が降りました。

 昼過ぎまでにはカラリと晴れた良い天気だったのが、夕方からにわかに厚い雲におおわれて、急に空は夜のように暗くなり、息をつく間もない程の雷鳴がひびき、大粒の雨がたたきつけるように降り始め、雨はさながら滝のように降り続き止むことを知りません。三日目には四万十川はドロドロに濁って、まるで赤茶けた巨大な竜が山と山の間をのたうちまわるように轟音を鳴らして暴れまわります。

 時間と共に水かさはグングンと増し、弥助や与助の住む島も岸辺から順に濁流に呑みこまれて行き、島の高いところにあった弥助や与助の家の方にも濁流は押し寄せて来ます。

 その内、弥助の家が流れに呑み込まれてあっという間に流れだしました。弥助は何とか屋根の上までよじのぼったのでおぼれはしませんでしたが、このまま流されると家ごと大海原まで流されて戻ることはできなくなります。

 一方、与助の家はと言うと、ミノウオを大獲りしてかせいだ大金をつぎ込んで、とてつもない多いわの石垣を高く築き上げて造ったお城のような屋敷だったので、島中が水に浸かっても大丈夫なようになっていたので、シケなんざとうってことはないと、与助はまくらを高くして、グッスリと寝込んでいました。

 しかし、濁流の力はものすごく、まるで竜の群れが爪をむきだしてかきむしるように、与助の家の大岩をその根元からえぐりはじめました。そのすさまじいこと、すさまじいこと。あっという間に大岩の石垣は根元から、ゴーォォー……ッと崩れ与助共々赤茶けたウズの中に家もろともに引きずり込んでしまいました。

ミノウオ6


 その夜、雨は上がり、次の日には川の水は引ききって四万十川には元の静かな流れが戻ってきました。

 水の引いた流れの中に与助と弥助の住んでいた島がポッカリと浮かんでいるように見えます。

 島の中の与助の立派な家のあったところは跡形もなく何もかもが押し流され、その跡には青々とした深い池だけが残っていました。

 一方、流された弥助の家は、どうしたことかちゃんと元のところに元のように残っているではありませんか。一体どうしたことなんでしょう。


ミノウオ8
 
 それはこう言うことだったのです。

水につかり逃げ場のなくなった弥助は屋根によじ登り、その後濁流に家と一緒に流されたのですが、もうそこが海というギリギリというところまで流されたところ、とてつもない大きなうずがおきて、そのうずは、それまでの流れとは反対方向の上流へ上流へと向い、こんどは上流へも下流へも行かないで、ゆっくりと何どもまわっていましたが、そのうち静かに止まって動かなくなったのです。

その後少しずつ水が引き始めて解ったのですが、弥助の家は元の基礎石の上にぴったりと戻っていたのです。


 

ミノウオ9

 この時、与助は心から思いました。自分が竜宮の使いのミノウオを殺すことを止めたことで、竜王が大洪水から自分を助けてくれたのだと………。

 その年の秋、弥助は四万十川と海のつながるところの岸辺の岩の上に、竜王様を祭る小さなホコラを建て、いつまでも大切におまつりしたとのことです。

ミノウオ10


あとがき

四万十の夜2


 このお話しは、創作童話ですが、今でも、中村市の竹島という集落の一部の人達の間で『ミノウオ(アカメ)を殺しつづけると、その人の家には必ず不幸が訪れる』という伝説が語りつがれています。この話はその伝説を元に創作したものです。

 多分竹島集落で代々川漁を営んできた人達は、ミノウオ(アカメ)は本来希少な魚であるということを十分知っていて、このような伝説を創り上げて、乱獲からミノウオを保護しようとしたのではないでしょうか、私にはそのように思えてならないのです。

ミノウオ11


 岡田光紀

会報11号

表紙写真について

ヤエヤマノコギリハゼ

温暖化により四万十川に生息し始めた魚種の一種です

 

発行 全日本保護協議会

編集 全日本希少魚保護協議会事務局

平成 131215日発行【2001/12/15

通刊 第11

会長 岡田光紀著 にっぽんつくりばなし-竜王の使い-

2024年現在全日本希少魚保護協議会は解散となっています。

ミノウオ12

大型のミノウオと月夜と月竿


掲載に添えて

つりキチ三平


 『竜王の使い』は如何でしたでしょうか。当時の著者の気持ちをそのままに原文をコピーいたしました。文字等もそのままかと思います。当時の著者の思いはほぼあとがきに集約されていると私は思っています。

ここ最近の20249月に目が止ったことがあります。米国分子・進化学会(SMBE)が発行するGenome Biology and Evolution誌の20248月号のオンライン掲載されたものがネット上に紹介されたのを読んでみました。

そこにはアカメが種内の多様性が極めて低く、約3万年もの間個体数が少なく保たれてきたということがわかったそうです。その数はおおよそ約1000という数字も判ってきました。これは種の保存においてはかなり特殊なことは言うまでもありません。それには特殊な免疫のメカニズムもあるそうです。またアカメは、1984年の別種と同定されるまでバラマンディと同種とされていました。ご関心のある方は論文の原文等々をご一読ください。


涌風刀子1

湧風(ようふう)=岡田光紀作刀子


この竜王の使いは、全日本希少魚保護協議会の会長であった故岡田光紀先生の創作昔話ですが2001年の同会報に掲載されたものです。会報中には年度別汽水調査結果も出ていました。ことアカメに関しては999月に24匹が記録されています。これが967月から20004月までの記録のうち最高の数でした。

当時は、平成の真っただ中でしたがアナログ色がまだまだ濃い時代です。その後会は解散となり現在に至っています。この11号が出版されてからもう23年の月日が流れて行きました。時が流れることはとても早く感じられることは他の項でも何度も述べている私がそこにあります。

またこの竜宮の使いにでてくる竹島の言い伝え(竹島伝説)の竹島集落の人口は2020年現在で既に468人でその大半が高齢者になっているようです。何処も地方の田舎になれば同じような感じですが、その未来の竹島を含む四万十市(旧中村市)もそれに当てはまります。【2024年現在31557人】それこそ四万十市の方は良くご存知でしょうが、四万十市は前関白一条教房公が応仁の乱を避けてこの地に下向し、京都を模したまちづくりを始めたことから、「土佐の小京都」と呼ばれていた古い歴史のある街でした。よって現在の高知市街とはその文化のルーツは異なっていたことになります。その点については、四万十観光の際には是非中村城跡の四万十市郷土資料館をおたずねください。その昔は、アカメの表本が展示されていました。また天守閣からの展望は、その昔時の城主が見た同じ景色が想像をかき立てます。

 20年以上も経つと当然世の中も変わってきます。比較的解りにくい自然環境もこれまたしかりで特にここ10年のスパンはかなり変化が著しいかもしれません。

80年代はもちろん90年代は、アカメという魚については知らない方も多く、釣人であっても「なにそれ?」という感じであったのを覚えています。時代がまだまだアナログで推移している我が国の情報ではそのような感じだったと思います。昭和の大作である「つりキチ三平」で知った人も多いでしょう。当時のその時の釣具屋さんも健在しているそうです。

しかしながらそれ以降からここ最近は、多くの釣人や他の自然に関心のある方の中では一躍その認知度はあがり、度々ネット上でも他のSNS上でもここぞとばかり勢いを増すばかりです。それもその内容もそれぞれになり、もっぱら釣り業界となるとそのポジジョンも様々になりました。そしてその情報も様々となり、あちらこちらで散見されるようになりました。いいネタにされている気もしないでもないです。それに度々三大怪魚とか呼ばれ、はたまた神の魚とも呼ばれていますが、神の魚にしては神さまに対して大変失礼な扱いを受けていることもあるかもしれません。神の魚をやっつけた感は神さま以上になった気分なのでしょうか。そこには、過去の先人が頂いた畏怖や崇拝といった特別な感情や霊性は存在していないのかもしれません。

ミノウオ14


その後の現在ですが、岡田先生がこの物語を作った頃とはまた少しずつ環境は変わってきているようです。毎日のように川の様子を見ている関係者の話によれば、「最近まだ四万十産の稚魚として売られているものも見ますのでいつの時代も変わらないそうです。大島周りもすっかり様変わりしてアマモも見られなくなりました。これは中筋水系の水草全般が壊滅した事にも関係があると思っています。オオカナダモすらほぼ消えました。農薬、除草剤が高濃度で流出しているのではないかと思います。

危惧しているのは人間による環境的なプレッシャーが近年特に影響を与えて来ているという点です。

しかしいくら個人で異を唱えてもどうしようも出来ないのが実情であります。」

とのことでした。いずれこれらも明かにして行かなければならいことでしょう。

ミノウオ15


 前置きが大変長くなりましたが、この竜王の使い等が忘れ去られないように、いつか掲載したいと思いながらも既に何年も経過してしまいました。そして今日の運びとなりました。それもどの項で上げるか迷いましたが、まだブログにもアップしていない『ミノウオの行方』の特別番外編としてこれをアップすることにしました。ミノウオの行方の本編をアップしていないにも関わらず先に特別番外編とはまたちょっと変にも思いますがそうすることにしました。

 また、掲載にあたり会長は既に故人となりましたのでその御親族関係者に許可を得て掲載しております。掲載にあたってはより多くの方々にご一読をお願い申し上げます。なお昔ばなし風になっておりますので直接釣りに関心のない方でも楽しまれるとおもいます。ぜひご活用ください。

ミノウオ16


 多くの種が誕生したのは長い地球の歴史から生まれた産物であり、創造物とされるならば、それは多いなる全知全能の力であると思う方も世界的にみれば大変多いことでしょう。また、偶発的進化の過程と信じる方も我が国においては多いことでしょう。そうなれば、神の魚という表現は少しちぐはぐにも思えます。学校でも人間はサルが進化して人間になった・・・そう教わりました。その種が絶滅するなどという結果は、今の人類にとってはとても容易いことです。また一旦絶滅危惧に追いやられてしまうと、それを維持することがかなり難しくなってくるのは今までの歴史が証明していることでしょう。さてミノウオの未来はどうなるのでしょうか。

涌風刀子2


私がまだまだ若かった頃に岡田先生からオバチ(尾鰭)のつくほどのミノウオの話を聞いて以来それから30年以上も経過してしまいましたが、

またいつの日にかまた伝説のミノウオに出会ってみたいものだと思いながら初老になってしまった私がそこにいます。


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新型CT-702-FTS-20DH Simanto sp

CT701-FTS30-KVG

おわり

202410月吉日

平野元紀

 


おわり