タックルバランス その先の行方2026 ― 2026年07月09日 14:05
タックルバランス その先の行方
月竿最弱クラス
CT702‐UM1p CT562-UM0p
序章
月竿の根幹を実践するエクストリームゲーム
新型CT1203₋UM6xp 12’0’’f 3pcs 30Lbクラス
“An
extreme game that embodies the core philosophy of the MOON ROD.
New CT1203‑UM6xp, 3‑piece, 30‑lb class.”
IGFAルールがもたらす“誇り”と“達成感
IGFA30Lb classライン道糸約8号で30kgを優に超を超えるロウニンアジとその古参実践者のライトタックルバランスを最重要視しての結果
そのIGFAのルールを実践することは本人の決定に基づくプライドでもあり、人生を豊かにする糧になる
それは、激動変動してどんどんアップを迫られる動画配信とは異なる、己の誇りを具現化する達成感にあるのかもしれない
真実だからそれが正しく評価されるとは限らないということにも似ているのだろうか
考え過ぎだろうか‥‥
月竿ULクラスの現在地
2026年の冬。月竿ULクラスは、24年の歴史を経て新たな局面に入りました。
本稿では、CT702-UM1p/CT562-UM0pから最新S100シリーズまで、
“最弱にして最強”のタックルバランスを、実践例とともに振り返ります。
房総ライトゲームの変遷、ULで挑む大物、そして道具と釣り人の関係性──。
長文ですが、ゆっくりお付き合い頂ければ幸いです。
今年も冬になり、それなりに寒い毎日です。日本海側は、毎日大雪で太平洋側は雨も降らずというとになっております。温暖化が叫ばれて久しいですが、それなりに今年は寒い気もします。そしていきなり短い春から夏に突入なのでしょうか。
さて、寒い時期のFW以外のウルトラライトタックルと言えば、アジ、カマス、ニベ(イシモチ)、春前のメバル等々親しみ易い魚種達の時期になりますがそれに関しての道具となりますと、月竿には、その表にそう多くは出てこないシリーズも多々あります。それは一重に当方代表のプロモートの脆弱さにあります。それも当方の実力と言えばそうなります。
UM₋Graphite ULクラスの代表でもあるCT702-UM₋1p
その中でも軽量級のULクラス、CT702-UM1p及び0pそして1xp、CT562‐UM0pのこれらは草創期よりラインナップされているシリーズです。そんなウルトラライトクラスの機種も現在では、月竿最弱の最強と言う、CT632-S100-01xp及び562‐S100-01xpという最新機種が主力となっていきました。製作見本等は公式FBにてご確認いただければ幸いです。
CT632-S100-01xp CT562-S100-01xp
そのビックゲーム譲りの“S”は最強最弱のはじまり
その瞬間は、突然襲ってくる
CT632-S100-01xp作品一例
左からピンク、サンドベージュ、ダークグレー、ブラウン
赤いスレッドカラーと飾り入りの632‐S100-01xp
新型CT632-S100‐01xp 2~8Lbクラスまで対応の最強最弱の竿
中型のヒラスズキ ナイロン1号だが6Lb表示である
中量級3.26㎏ヒラセイゴキャッチ後のCT632-S100- 01xp とそのリグ
ユーザーさんが勝手に房総スペシャルと呼んでいたりする
リールはおもちゃと称するあの千葉真一さんもびっくりの筆者お気に入り
リールは最上位機種でなくてもよいのだろうか・・・・・
上3段目CT503₋S100-01xp プロトタイプ
CW/GW=キャスティング.又はジグウエイト最大/DM=設計上最大ドラグ値/
DS=設計上実用ドラグ又は参考値/TIP=先径㎜/BUTT=元径㎜/WT=ブランク重量 S-Blend=特殊Sグラス配合/UM/S=特殊UMグラス+特殊Sグラス
CT632-S100-01xp 形状記憶スパイラルベイト仕様
個性は、カスタムされる
かつての2Aは3Aになった気がする
1点モノのウッドスリーブ
ウルトラライトタックルの有力種のひとつであるアカメバル尺超え
CT632-S100-01xp White phoenix
K-sp
尺を超えてくるととてもパワフルなファイターである
アカメバル
クロダイもそのライトタックルでの対象となる
それを巷では、チ二ングというらしい
もはや日本語となりつつある現在進行形の釣り用語なのか
中型ヒラスズキ ナイロン1号 6Lb
その昔のナイロンより明らかに強度は高い
セイゴの合間のプレデターを獲れるか獲れないかは大きい
CT702-UM1p/CT562-UM0p
草創期から続くライトタックルの系譜
それでも、この初期からのUM1pと0pはライトでしなやかUM₋Tipというフレックスグラストップ(チューブラ)を採用したハジキやショートバイトに対峙するしなやかさと一体化するグラファイト部分の絶妙なバランスの上に成り立つ特殊なブランクです。それは現在の市場に於いてもかなり特殊なブランク、ロッドになります。つまり一般的ではないことになります。今となってはいや当時からかなりマニアックなブランクには間違いないようです。一度手にしてそれを武器化できたその釣り人には、強力なアイテムになり得ることでしょう。
月竿最弱のルーツ
ROOTS OF KENCOR MAGNAGLASS USA
なんと言っても月竿ライトのルーツは、1981年頃に購入したKENCOR Magnaglassと当時の国産オリムピックリールとストレーン4Lbだった、強烈にドラグはスカスカカクカクだったが竿の柔軟な対応が衝撃を吸収してくれたように思えます。
https://tukinoturisi.asablo.jp/blog/2017/07/12/8619123
※ブログ参照
約45年後のKENCOR46の残骸
大森製作所のコメットそしてシマノ22SEDONA
1989年7月1日撮影(既に購入から8年後)
この脆弱というか、現在とは比較にならないほど低スペックのオリムピックリールとコンボでいくつか数えていないほどエゾイワナと戯れた
いわゆるインスタントカメラ“写ルンです”だったような
もちろんデジカメという概念すらない時代背景
KENCOR66₋2V改(30年で2回目のレストア)
2001年と2023年2回のレストアを経て既に違うものになっている
富士KLガイドに変更 によりPEラインも軽快に操作できるようになった
オリジナルは旧PBのアルミナオキサイトガイドである
UMシリーズ誕生の背景
2000年代初頭のSWライト事情
既にこの竿をリリースしてから20年以上経過しておりますが、当初は管理釣り場というものは既に存在しておりましたが、現在とは若干変わっているとおもいます。現在の管理釣場というものは、よりレジャースポットとしても洗練されてアウトドアエントリーとしても認識されているようです。昨今のアウトドアブームは既に去ったように思いますが、そういう施設が残るのは外で楽しむことへのきっかけになっていることは悪いことではないと思います。またその当時は、SW、FWライトタックルと申しましてもそのラインというものはまだナイロンライン主体の一部フロロカーボンの構成でした。そんな時代背景からすると現在は大きく異なると思います。そんな2002年頃は、まだアジングとか言われることも少なかったか使われなかったと思います。それは、エギでイカを釣ることがエギングと名が付いてから以降の展開になろうかとおもいます。そのイカ釣りでさえ、90年代初頭頃はエギングなんて言われていませんでした。
アジング以前の時代とユーザーの要望
24年続くUM-Graphiteの進化
そんな時代背景ですが、アジ等をルアーで遊ぶと言う当時のSWの大物狙いの方から“月さんでもライトでアジとか小物を狙う竿作ってよ”と言う要望から腰を上げたシリーズです。当時は、そんなハードコアなより大物へと狙うユーザーさんの予備程度にと考えてはおりましたが、彼らの遠征や大物狙いはともかく日頃のライトな遊びの要望に応えるために機種は増えて行きました。そんな背景を持ったUM₋Graphiteシリーズですが、今でも現役で活躍しております。また、年毎に多用化するデザイン、変異、進化するパーツ群より、より時代に合わせた仕様、あるいはネオクラシカルな仕様も時代の要望に応えて参りました。そうこうするうちに24期です。そこはカスタムロッドの強みの一つであることは認知されるところです。
https://tukinoturisi.asablo.jp/blog/2018/02/07/8783840
しかしながら、もう既に無い機種アイテムもあり残す在庫はけっして多くはありません。今後は、後継機種に移っていくかもしれません。(一部そうなっております)
創業以来じっくりと組上げられる方針は今も変わらない
変わるとすれば世の中の世情と事情なのか
2004年当時のCT562-UM0p
※当時のデジカメになるので画質はかなり劣ります
当時のグリップ部分(2004年)
RECの形状記憶ガイド2004当時
21年以上も前のデジカメは今現在のスマホにもはるかに劣るのか
月竿初期のULクラス
上記は、当時のユーザー希望で渓流向けに作成2004年初夏
2011年当時のCT702-UM1p
ユーザー希望でシンプルかつSW4~6Lbクラスラインでのハード使用の希望
シンプル&シングルラップミリタリーグレーンの希望仕様(2011)
後にこれがドラマを起こす
このハードユーザーはシンプルかつ実践的なデザインを好む
同701₋UM1p コルク2A仕様(2011)
当時の主力である富士TYSG通称Yガイドはそのスピニングロッドに於いて人気機種であった
2011年当時の2Aコルクは現在の3A程度にあたる
コルクのグレードは落ちる一方で値上げにつぐ値上げはコストアップに直結する
今更ながらですが、今回はこれらのUM₋Graphiteシリーズを中心にスポットを当ててみることにしました。しかしながら、そう申したものの既に完売の機種もありますので詳細はお問合せください。と言うのは今も昔も同じと言えばそうなります。
これらは、新型アイテムでもないので製品案内とすべきか悩みましたが、より総合的なタックルバランスということを表題に展開して紹介することに致しました。20年前にそれをしておけよと言われればその通りかもしれません。そこに異論はありませんが、世の中の主流でなくなったが故の発信なのかとも思います。しかも今時ブログなんて見ないよという方々の多い昨今では、さらにインパクトを欠いたものになります。
CT562-UM0p/月竿早初期より既にラインナップされていた
当初はFWの渓流ロッドとしての色あいも強かったが、世の中のイメージは恐ろしいものですっかりSW専門ということになりつつあった頃の完全仕立作品でパーツは当時の新型アイテムになっている軽量トルザイトガイドと富士グラファイトシート
そしてオリジナルロッドケース
富士TVS系のリールシート
ユーザーの希望によって採用するのが基本
三河綿による竿袋はカスタムメイドである
製作者の好みというよりは、そこはカスタムロッド
ユーザーの希望が色濃く反映される
イシダイ竿とCT562-UM0p
SWといえども、全く異質な組み合わせ
タックルバランスとは何か
現代釣りにおける“バランス喪失”
2002年製造のCT562-0p (上)
主に渓流トラウト用と房総のULゲーム兼用として作られた
結果主義とエンターテインメント化の影響
リール性能依存の時代に思うこと
釣りでいう「タックルバランス」は、竿・リール・ライン・ルアー(仕掛け)・フックなど、道具一式が目的に対して無理なく調和している状態のことを指します。それは単なる相性ではなく、狙う魚・フィールド・釣り方に対して最も効率よく力が伝達される組み合わせを意味します。これのバランスが欠けてしまうと、時と場合、条件等によって最終であるキャッチという結果を見いだせない場合があります。これは、その設定がギリギリであればあるほど顕著に出てきます。多くの釣り人はこれを語ろうとしますが、案外バランスを見失っていることも多く認められます。それは現場であればあるほど見かけたりします。
しかしながら、昨今の流れではそれがあまり顧みられなくなりつつあるジャンルや対象魚もあります。その負担は、どんどんリール性能とその高耐久性に依存しているあるいは、デジタル機能、モーター機能に依存する釣りです。もちろんそれに比例して耐えうるラインの高強度、高性能も多分に要求されることは誰でも容易に到達する考え、事項でもあります。特にスポーツ&ゲームとしての釣りが破綻しているジャンルもあるでしょう。ルール無用は、娯楽の世界や広い意味での釣り、遊漁を包容して行くことでしょう。さらに先の結果、成果まで到達します。そしてそれは、常態化から習慣化しそれが型にまで嵌まっていくことでしょう。それはそれで有りで否定されるものではありません。むしろ、釣り業界自体も商売に乗ることにつながっていくので歓迎になる傾向かと思われます。また、有りとしなければその到達点も見えないまま、つまり結果がでないと意味はないという究極の結果主義ということになるかもしれません。結果が伴えばそれなりに評価されるべきでしょう。そこには、綺麗ごとの一切を排除した達成があります。勝てば官軍なのは今も昔も変わりません。大義名分、理想も負けてしまえばすべてを失うそのような戦いなのかもしれません。しかしながら、これはあくまでも遊漁というカテゴリーなのです。
そうなると、その楽しみの部分を自ら排除していくということにもなりかねません。
昭和のタイガーマスクとMr.NO
「ルール無用」の象徴としてのミスターノー
ルール無用ならば昭和の名作タイガーマスクと同じ展開?とも言えなくもありません。当時の少年は、そのアニメのオープニングテーマにもある「ルール無用の悪党に~正義のパンチをぶちかませ!」が既に脳裏に焼き付いていました。そのタイガーマスクには、ミスターノーというこれまたものすごいキャラクターが存在していましたが、これがかなりインパクトのあるストーリーでした。ルール無用の釣りは、どこかタイガーマスクに登場したミスターノーを思い出させます。
彼は勝つためなら手段を選ばず、競技そのもののバランスを破壊する存在でした。
スポーツとしての美しさを守るという視点
現代の釣りにも、道具の性能に頼り切り、ルールやバランスを置き去りにしたスタイルが散見されます。
それは一見派手で結果も出ますが、スポーツとしての“美しさ”や“達成感”を奪ってしまう点で、ミスターノー的と言えるのかもしれません。
筆者は、スポーツに精通する人間でもそのルールに詳しい訳ではありませんが、生き残ればそれが勝利となる究極のサバイバルならルール無用なのかもしれません。それは、前述の「勝てば官軍」に近い意味合いをもつのかもしれません。
なんでもルールやバランスを欠いたものはその感動や達成感、強いては幸福感を奪っていくのかもしれません。そこはもうその境地に至った人にしか分からないのでしょうか。
現代釣りに重なる“バランス破壊”の構図
釣りの成功率と快適さを大きく左右する基礎がタックルバランスと言えますがよりその上には、水(潮)の流れ・魚の気配・風の強さ・自分の身体感覚がひとつの線でつながる状態に近いものがあるのかもしれません。道具が邪魔をせず、自然と一体化していくような感覚。そうなるともうお前は仙人を目指すのかと言われそうなのでそこまでとは言わない、あるいは目指さなくてもよいとしましょうか。
いずれにしても、現在においてバランスを欠いてもその結果自体は変わらないあるいはその欠いたおかげで獲れるようになった怪物もなんとか結果が出るようになったのかもしれません。それは、エンターテインメントとしてはかなり脚光を浴びそうです。その点現在の動画中心の中では大いに有りなのかもしれません。それは、エンターテインメントとしての成功する為の手段でもあるのかどうかわかりません。また、その解説ともなれば当然そのタックルバランスは、形としては一応語られるものでしょう。しかし、その主力はモンスター狩りの結果そしてその製品のオーバースペックなものが、評価に依存しやすくなります。それは、リール、竿、ライン、針等々の中ででも一番派手に映りこむのはリール、次に竿と言う感じでしょう。しかしながら実践中に目立ってしまうのはリールになるかと思われます。そこは、リールメーカーの戦略上重要なファクターでもあるでしょう。その点は、理想と商売のバランスをうまくとる必要がありますが、現実はとても商売の方に傾く傾向にあるのは、必然と言えば必然です。高負荷にも関わらず、けたたましく鳴り逆転するスプールの映像は、そのアングラーの興奮を一気に駆け上がらせる絶好のカンフル剤です。一気にアドレナリンを放出させます。ある程度その逆回転音=魚の抵抗と結びつけられます。容易に興奮度は跳ね上がるのは釣り人の性でしょう。
房総ライトゲームの変遷
2000年代初頭の“おおらかさ”
後継機種のOKUMA ITX
その後オクマITXはさらに完成度を上げてきた
もはや、リール=日本製という評価もかわりつつあるのか
コロナ禍以降の過密化と釣り禁止エリアの増加
話を具体的に展開して一例を述べてみましょう。
かつて房総では、いわゆる“おかっぱり”と呼ばれる身近なところでアジがたくさん釣れていました。コロナ禍前は、メーカーやお店によるアジング大会なるものも行われていたようです。それなりに釣り業界もそれに一部傾倒するあるいは、そのウエイトを置くようになったりもしたように思えます。それでは、2026年現在においてはどうでしょう。業界の波としてはまだ少し残っているか、ある程度の重要ジャンルと呼ばれているかもしれません。しかしながら、こと房総に限定するとかつてのような数釣りはあまりできなくなってきたように思えます。都心のアングラーのアジング聖地と言うにしては、ちょっと辛い展開になってきたのかもしれません。
アジへのこだわりとフィールドの現実
それに代わってかどうかはわかりませんが、年によってはカマス、ニベが多く釣れるようになりました。それに加えてコロナ禍釣りブームが便乗されてか、多くの釣り人が押し寄せることにもなったようです。特にカマスは、容易にたくさん釣れるとのこともあり過密釣り状態となったようです。それは、違う意味でモラル無用のカオス状態と言って過言ではなかった…かもしれません。その後に残されたものは、釣り禁止の立て札ばかりなのかもしれません。地域によっては禁止でないところを探すのにも一苦労という話をユーザーさんからお聞きしました。我が国の流れとしては一度禁止になったことは再解禁、解除という例は多くはない、いやほとんど無い傾向が強いのかと思われます。
それでも比較的おおらかであった房総は、まだいい方と聞いてはおります。
おおらかさが、さらにおおらかであった2000年代初頭では、アジやセイゴが容易に釣れました。もちろん釣り禁止エリアは限定的であったように思えます。筆者は、アジ釣りにさほど関心があったわけではありませんが、暇があるとお付き合いでライトタッルをひっぱりだしてはおりました。その主力の一部がCT562- UM0pと1pです。
現場でちょっとしたコミュニケーションをとる方あるいは取ってくれる方は、ある程度の一定層の多くが「アジは居ませんか?」という質問を何度も何度も聞きました。それは現在でも変わることはないようです。ここでコミュニケーションをとってくれる方と申すのは、とってくれない方も多く存在するからです。一体何がそうさせるのかは私には分かりませんが、きっと日頃から他人と会話は基本しないという方針なのかもしれません。世知辛いと言えば世知辛いですが、これが我が国の寂しい現状の一端ということになろうかとおもいます。海外ではあまりガン無視とかは無いように感じるのは私だけなのでしょうか。事故にもつながりかねないリスクでもありますのでそこはできるだけ挨拶程度の最低限のコミュニケーションをとることをお勧め致します。
さて、その解答には「セイゴなら釣れる」と申しますと「アジじゃぁないのか…」という渋い顔をされることもしばしばです。アジは、釣り、食味、その扱い易さどれもとってもいい魚には間違いないですが、彼らがアジにこだわる理由は、未だに良く分かりません。フィールドは常に変化して行くものであり、アジが釣れることがあったり、混成したり、全くいなかったりと人間の都合通りにはいきません。もちろん他魚種でも同じことが言えるとおもいます。その点、管理釣り場ではそこにいる魚が決まっているのでその心配はほとんどないのかもしれませんが、そこは自然。こちらの都合通りには行かないことが多いです。アングラーは、その環境の中にいることをしばしば忘れがちなようです。その対象魚が釣りたければしかるべき時期のいるところに行くしかありません。
ULタックルの実践例
セイゴ釣りにおけるUM-Tipの真価
そんなライトタックルを用いた丘からの釣りの現状ですが、ここのところ筆者は、新型ブランクのCT632-S100- 01xpでの釣りが多くなっていましたが、上記機種のCT702‐UM1p等を用いてセイゴ釣等でお茶を濁しています。理由は、簡単でそこにセイゴが居るからです。特にこだわりがあるわけではありません。そしてこの釣りに関してははやりUM-Tipが持つ特性にあります。この竿とのバランスは、ナイロン06~1.0号ですがセイゴ釣りにはナイロン0.6号のワールドプレミアムという製品を使っておりますが、この強度が恐ろしくあり、かつての0.6=2Lbとは大きく性能が異なります。メーカーによって若干異なりますが、同クラスのヤマトヨ社の同号数も併用しています。強度表示は少しヤマトヨの方が下回っておりますが、耐久性は良い方だとおもいます。また同号数であってもどちらかというとトアルソン社の方が太目に感じます。昨今は、どんな釣りもPEという方が圧倒的に多いかもしれませんが、コアユーザーさんの話によるとマイクロノギスで計測すると少しトアルソン社の方が太いとのことでした。
またそのラインを使い分けることは、その釣りの幅を広げてくれるでしょう。またPE主力の昨今である以上は、そのリールのドラグ性能はかつてのものよりはるかに上であることは必須であります。逆に言うと、多くのリールは伸びの少ないPEラインに合わせたよりスムースなドラグ性能を追求してきました。ここでは、より強度の増した高強度高耐久PE かつ高負荷耐久性リール性能については述べません。エステルについても同様に割愛致します。
を付けなればならないことは、一部JGFAのラインクラス部門にトライされている方は、そのライン強度表示通りのラインクラスではエラーが多いことです。ラインメーカーのほとんどはIGFA規格表示のものがほぼ消失してそのライン強度は少し強めに設定されています。つまり4Lb強度表示であったとしても4Lbを超えることしばしばで結果記録が認められない場合があります。
リーダーにはフロロカーボンの1.2~1.5号の6~8Lb強度のものを使っています。ナイロンがメインラインなのでフロロは比較的硬めと言われるサンラインのV- ハードを多用しています。今のところこれに不満がありません。もちろんここは好みによりますので他社でも当然結構です。しっかりした性能のものを好みでご選択ください。
ファーストコンタクト:ジグヘッド(針)の重要性
アジ弾丸1.2g/1.5gの強度差
次に、魚とのファーストコンタクトである針の部分、これはオーナー社のアジ弾丸1.2~1.5gを多く使っていますが、1.2gですとその軸が1.5gよりも細く、セイゴの20~30㎝クラスを10本前後で曲がってしまうこともしばしばです。そこで1.5gを使うとその強度は上がっているのかより多くの魚をかけても曲がったり折れたりすることもが少なくなってきました。ただしそれには、ばらつきがあります。またウエイトを上げることによりそのリトリーブスピードが上がり口を使わない場合も多々あります。その点、オーナー社のこれを開発した担当者は良く考えており、先端の突起をプライヤーで容易にカットできるように設計されています。わずか0.1gに過ぎませんが、ここで釣果を左右するとするなら選択しない手はありません。そこをアングラーが判断できるように設計されているのには脱帽するばかりです。こんな小さなジグヘッドにも考え抜いて作られたのには設計するものの努力が目に浮かびます。そんなことまで考えて今日の釣りがあったと後で考えるなら、その後の珈琲もとても美味しいことでしょう。そこは、インスタントコーヒーや缶コーヒーであっても変わらないボーナスです。
アジ弾丸1.5g先端カット1.4g
このジグヘッド1個で113本のセイゴをキャッチした筆者レコードとわずか3本目で伸びてしまった同製品
必ずしも製作側の正当評価を受けるかどうかはその製作側の考え方一つで左右されるが、113本の22~30㎝セイゴに持ちこたえた同社のこのジグヘッドには賞賛せずにはいられない
114本目で折れた時は、おもわず声が漏れた
なぜだか非常に悲しくも儚い一瞬ではあった
ULで挑む大物
CT702-UM1pでの75cmマダイ
突然の大物と格闘2時間後
10年経過のCT702-UM1p でのマダイ75㎝ 5.75㎏老成魚
ラインはワールドプレミアム0.8号3.5Lb
リールは、最後の日本製(一部他国)フリームスKIXは、日本刀をモチーフにした素晴らしいリールだった
筆者は、旧ダイワ精工の名品と勝手に思っている
なんとこのマダイは、クサフグを7匹捕食していた
そのことをフグ毒の研究をしていた恩師に報告すると
もう隠居なんで、その後はわからんな.…の答えだった
ただこの個体の致死量のTTXではなかったということになる
今はその恩師も故人である人生は短く感じるがその最後は誰にもわからない
咄嗟に出てきたヒラスズキ(ヒラフッコ)と同CT702₋UM1pでの一本
現在もオリジナルユーザーの下で活躍し続ける702‐UM1p
リールはKIXでヤマトヨバーサタイルデザイン1号4Lb
重量感のある最弱の最強例
ヒラスズキとの遭遇
一方の魚は、そのサイズ、ウエイトにばらつきがあり大きなセイゴいや、60㎝を超えてもはやセイゴとは言えないクラスが掛かる可能性も多々あるのです。(関東では40~60㎝程度のサイズをフッコとも呼びます)多くのレギュラーサイズをうまくフッキングに持ち込み、そのバラシを軽減して結果を上げるということと対大物対策はとっても重要なことであり、タックルバランスが問われる局面であり、それは突然訪れるものです。房総では、不意のヒラスズキや80㎝を超える大型のスズキ、他魚種と言うこともあり得ます。同じ60サイズといえどもいわゆるスズキ(マル)とヒラスズキ(ヒラ)でもその重量も体感的な引きつまり魚のパワーも大きく異なります。また時たまヒラを彷彿とするグッドコンディションのマルの場合もあります。局面の中には、そのようなヒラとも対峙して勝利(ランディング)に持ち込むことも考慮して攻略すべきと心得て備えるならば、その達成感は大きく増加することでしょう。この局面において、獲れる、獲れないはその気持ちにも大きな溝が存在することは間違いありません。それはあなたが根っからの釣り人であることへの証明でしょう。月竿ユーザーの大半がそれに属していることと考えます。
タックルバランスの重要性
ラインは、ヤマトヨ社のファメルバーサタイルデザイン0.8号3Lb.
アジ弾丸1.2gは、伸びていてギリギリだった
セイゴに混じって小型ベイトを捕食していた大型セイゴ(マルフッコ)
リールはインスパイラだが、国内大手2社はさらに性能を上げていった
スピニングリール
リール選びの考察
その進化は止まるところがない…ただそれだけでいいのだろうか
OKUMA Inspira(2011当時に投入※廃版)
この頃からオクマのリールも性能を上げてきたように思う
2000〜2500番を推す理由
シャロースプール時代の糸巻量問題
最後になりましたがリールです。これは何を基準に選ぶかはその人次第にはなりますが、最高スペックでないといけないということはありません。また、それにこだわる必要はありません。ただしここも嗜好や都合にもよるので最高スペックを使うことは良いことです。最高スペックを使うことが必須かどうかということに関しても選択肢の1つではあるけれど、必須ではないと言えるでしょう。また、そのサイズ規格は各社メーカーによってある程度揃えてきたこともありますが、ここは大手S社と基準として考えることとしましょう。(かつての国産4台メーカーはまちまちでした)
500~1000番の最小サイズあるいは1500番という選択は、ダメではないけれど、2000~2500番をお勧めしたいと思います。現行のスピニングリールに関しては、糸撚れ対策もしてはありますが、それでもキャストの回数とドラグをフルで使うということを考慮するとリム径(スプール径)は可能な限り大き目が良いことになります。また昨今のシャーロースプール化は、便利ではありますが、よりライトでエキサイティングなゲーム展開をすることに於いてその糸巻量は多いに越したことはありません。またライントラブルは必ず起きることですから、たとえトラブルである程度のラインを消失しても、糸巻量が多ければそこから次への対応が可能です。また、即ゲームの継続性を考えるならスペアスプールもあった方がより便利で快適にゲーム展開できることでしょう。昨今ではなぜかスペアスプールが圧倒的に付属しておりませんが、筆者はあった方がありがたい派の一人ではあります。売る側のコストも考えるとスペア付はなかなか辛いところかもしれません。明らかに売値はあがります。現在の大手リールメーカーは、基本部品扱いで別途購入ということになっています。
後にスペアスプールを追加して釣り幅を拡げた
左上のシルバースプール(OKUMA
USA)
要約しますと月竿CT702-UM1pとのバランスタックルは、2500番リールに0.6ナイロン+フロロリーダー1.5号にアジ弾丸1.5gまたは1.4gということになろうかと思います。もちろん不意の大型対応です。また対象魚やそのリグ(仕掛け)は少しずつ異なりますのでこれだけという訳ではありません。今回の具体策としての一例と捉えてください。
上記項のマダイと同じ機種の4000番
筆者が10年以上愛用した旧ダイワ精工のKIX4000番
このクラスでは最後の日本製ではないだろうか
ダイワ精工と言えばこのロゴだった
しかしながらそれも忘れられて久しい
とても寂しくも感じられる
時代も世代も大きく変わる
“月竿最弱にして最強”
偏食の末の捕獲
相手は中量級ヒラ
20㎝のアジもすっぽり一口で入る大きさ
メバルの顎も比較的大きい
尺超えのアカメバル
ジグヘッドはアルカジック社
TACKLE HOUSE オルガリップレス43夜光カスタム
がっぷりと丸呑み
やはりリーダーはフロロ必須である
まとめ:タックルバランスの本質
この最弱にして最強という言葉は、このウルトラライトタックルを用いての最大限の性能を引き出しての戦いにあります。そのバランスの上限のギリギリ。それは、どれか一つ欠けても成立しないぎりぎりの線です。もちろん、より確実な上のクラスを選択すればいいではないかということが出てくるのは自然な質問でしょう。それには、大きく2つの理由があります。一つは、自分(アングラー)がルール付しているIGFAもしくはJGFAの記録を狙うためにあえてその枠に嵌め込んで戦うパターンまたは、それを基軸としているアングラー。
もう一つは、その道具立てでないと口を使わない偏食なパターンとにあります。通称マイクロベイトパターンとも呼ばれているようです。これらはきっぱりと分けるだけではなく、両方を兼ね備える場合、複合される場合も当然あります。またそれらが簡単の区分けできる訳でもない場合は当然多々あります。
そこは十人十色な部分もあることでしょう。そこが趣味としても面白いところの一面でもあったります。
主に後者である口を使わない場合ですが、案外大型にも関わらずそこに餌として存在するベイトが小さいパターンか比較的その小型の群れとは別に同じ餌を捕食し、潜む突然のプレデターの場合です。前者は意図的に人間側のルールに縛ってのゲーム、スポーツにも通じる国際ルールでの戦いに価値を見出している場合とそのアングラー。(IGFA、JGFAに関しては公式ページがありますのでご関心のある方はご確認ください)また後者は、それが必須または有効である場合の中でのアングラーでもあります。ここも人間側にはどちらの思惑も含まれているのでその感覚をどちらも有する場合もあるのは当然です。
釣りを深くする“道具と自然の一体感”
月竿はそのどちらにも対応するようにつまりユーザー本位で仕立てるのがその基本です。そしてなによりも忘れてはならないのが、釣り自体がとても楽しむというあるいは、他の程よい余暇の過ごし方でもあるのです。ここが釣りという特殊でもなんでもない趣味の奥深さ、器の大きさです。他にもそのような趣味はありますが、奥行きは大変深く人生においてはかなり重要なことがらなのでしょう。
房総名物カスザメ
新型CT632- S100-01xpの真価とシマノ
エントリーモデルの22MRLAEL2500 ラインはヤマトヨのフロロ0.8号
ライトタックルでの有力外道の最右翼だが、案外皆さんニベ釣りでキャッチしている
そのスピードは、緩慢な方かとおもう
外道としては大変楽しませてはくれるとてもいいやつである
しかも案外付き合いは良くいい遊び相手ではある
彼らにとっては迷惑至極ではあるだろうが
七夕の日のCT621-S100-01-White Phoenix
そのヒラは71㎝とULタックルとしてはなかなかの出来事だった4㎏に届かず
夏のヒラ
とULタックルバランスを欠くと、難しい領域
すっかり飲み込まれてしまった
細リーダーでは命取りである
フロロリーダーは信頼のあるしっかりしたものを・・・
結果だけでは語れない釣りの価値
「永遠に幸せになりたかったら、釣りを覚えなさい」
「永遠に幸せになりたかったら、釣りを覚えなさい」
という言葉がありますが、一般には中国の古い言葉として知られているようですが、実際の原典は定かではないようです。ただ、この言葉を日本に強く根付かせたのは、故・開高健でしょうか。
また、釣りを通じて幸福や知恵を語る文化は、古来より東洋にも西洋にも存在するようです。
釣りは単なる遊びではなく、人を静かに、そして深く満たす行為である
その本質を、この短い言葉は見事に射抜いていると思います。というのも文豪に対して大変失礼ではありますが、その点ご容赦願います。
最高の名誉
それは、己の自身の持つべき性善である
持てる最後の砦それは月竿
2026年2月吉日
あとがきへつづく
南方回帰Ⅴ‐2025あとがき ― 2026年05月09日 15:48
あとがき2024
南方回帰シリーズも無事Ⅴの再編を終えました。その日の遠征後の原稿から編集をし直してからもう9年が過ぎようとしています。相変わらず仕事の合間に取り組んでいますのでなかなか進みません。最近は、頭に入っていたことや思っていたことをすぐに忘れてしまうようになりました。特に時系列的なところは、ほぼ断片化しています。そして最も難しいのがその当時の最大の感動、心情、心境、興奮がとても薄れてくるところです。それは、動画など見て思い起こすと多少なりとも復帰できますが、その時の感じたことはやはりその半分かそれ以下な気がしております。昔は細かくメモとかをとっていましたが、それはやめて画像の日時と動画でその時系列的なズレを極力減らしております。しかしながら、それも怪しい部分が多々ありますがそれもご了承の上今後もお付き合いください。
この間にまた一人生程流れては行きましたが、やはり当時思っていたことと今ではかなり違うように思います。未来とはいうものの、たかが10年程度の近未来というものでさえ結局のところ誰にもわかりませんでした。こうして編集しなおして行くと、当時の筆者の心境、心情と今現在の心境、心情が少し違っていることに気が付きます。それは、当然と言えば当然のことかもしれません。このあと南方回帰Ⅵ-2018の編集をしなければなりませんが、そのⅥから次の遠征計画2019の後、ある日の時が暗黒に変わったようなコロナ禍が到来してきました。これが恐怖のどん底で、いつ平安がくるのか到底わからない中、遠征なんぞもっての他という状況になってしまいました。正に現代の黒死病の如くのようだった気がします。それで多くの方がお亡くなりになりました。その恐怖すら今は無かったように、国内外から人々が再び押し寄せ、インバウンドまくりの昨今です。当選ながらその間の南方回帰計画も3年以上の間頓挫してしまいました。今もコロナウイルスが絶滅した訳でもないのですがそれでも、漸く生活はまた元に戻ろうとしています。そんな、コロナ禍も過ぎようとしている最中にも大きな戦争が繰り広げられ、紛争も含めると混乱は続いています。世界情勢は、ますます混沌としています。我が国は、先の大戦後戦争というものを経験していないのは幸いですが、空想のお花畑だけは、あちらこちらに依然と残っているように思います。
少し国内の釣業界という極小な業界にスポットを当ててみますと、コロナ禍アウトドアブームに乗ったその勢いと、その終息後では少し違います。所謂コロナ禍需要の収束です。一気に不景気の波はこの趣味産業にも流れてきました。これには、大手2社でさえお手上げ状態です。90年代から主力となり始めた大型量販店の平日は、閑散としているようです。コロナ禍中は、週末ともなると満員御礼だったキャンプ場もかつての勢いはみられません。ましてや乱立していた施設型のそれも今はどうなのでしょう。昔も今もやはりブームというものは一過性のカンフル剤でしかないようです。それを知っていてもやはり同じ手法を使ってしまいます。目先の利益は、それだけ刺激的で必要不可欠なものなのかもしれません。そこに残されているのはいつもその遺影と言うべき廃墟とかであったりします。過去のバブルと少し違う点は、それにデジタル化と中古市場の盛隆です。バブル時代は、ほぼ使い捨て文化真っ盛りでちょっと古いものはゴミになっていました。正にバブルです。釣具も飛ぶように売れました。それがはじけるまでは。現在は、モノは溢れ返り有り余っています。中古屋さんにもりだくさんの在庫フロー状態です。ネット上にも少し検索すればこれは!というものも出てきます。
さらに極個人的なレベルとして本編に関することに話を戻します。それは、このシリーズにたまに出てくる“そば”のことです。それは、もうあえて言うまでもありませんが、そばと言っても所謂蕎麦粉を使ったお蕎麦ではありません。そばと名前こそついていますが、主原料は小麦粉です。今現在は、沖縄といえば“沖縄そば”ですっかりと定着していますが、前述したとおり私が師匠(釣りの)に御馳走になった90年代初めの当時の八重山そばの認知度は、まだまだ今のように世間一般的ではなかったと思います。沖縄そばでもそれは、八重山そばという八重山地方のそばになります。そこは、現在差別化されているようですが、八重山地方へ行った方でないとそのことはそうメジャーに知られていることではなさそうです。それから何十年も経ってからのこと、このそばが時々近くで食することがきるようになりました。それは、八重山そばではありませんが店主は、八重山出身の方です。最近は、そのお店もかなり有名になったのか何時も混むようになりました。混むようになるともう私が行かなくてもいいのかなと勝手に思ったりもします。そこには、和食で鍛えたベースのある店主の作る特性のスープの味とは全く正反対とも思えるあのルートビアもあります。これがもう歯磨き粉とも言われている味ですが、我々の祝杯の定番でした。沖縄と言えば、A&Wのルートビア、そしてうちの家族の誰も知らないと言って批難を受けている、紫、コンディショングリーン、喜屋武マリー&メデューサです。これは、解る人には判ります。もちろんそのそば屋の店主もそれは良くしっていることです。主に70年代の沖縄で青春を送られた方々の思い出に過ぎないことなのかもしれません。今でも紫のアルバム、インパクトはたまに聴いています。特にMAZE迷路は好きな曲です。そう書いていると、当時の曲がまた聞きたくもなってBGMにしようと再生してみます。ああ、これってやはりBGMとしてはちょっと。という感じになり、止めました。
地元でも愛される勝浦の沖縄そば
優しい味と風味
時々お店の前を通過すると、いつもそれなりにお客さんが居て、車が停まっています。また連休ともなると並ぶ人も見えるようになりました。こうなると、地元の人は二の足を踏んでしましますが、これは、この街の超推奨のラーメンの以外では、異例なことのように思えます。寂れきったこの街は、そのラーメンばかりになってしまいましたがそれも流行る店とそうでない店に分かれているようです。やはり、たまに一見でトライ的要素の強い食事よりも、負担の少ない優しい味を知らず知らずのうちに求めて行ってしまうことの裏付けにもなっているのかもしれません。そういう意味でもそろそろこのB級グルメにも更に進化が求められるような気がしてならないのは私だけでしょうか?
本編ではでてこなかったですが、今ならそれを書き足せそうです。
それは、その八重山そばをなんとか釣り場のベースキャンプに持ち込んでイソンボそばを作ってみました。これが理想どおりとはいきませんでしたがまあ仕方ないところもあります。また、毎回企画しては駄目というか企画倒れになってしまう“イソンボ草鞋カツ”や保存と味を両立できる“イソンボ西京漬”も西京みそまで持ち込んで迄はみましたが、遠征先では結局のところその時間に追われて未だ実現できていません。せいぜい唐揚げにするのがようやっとでした。それも極めてシンプルな塩のみの味付けです。他に料理といえば、刺身と焼き切り、カマ焼きくらいですがなんとかやりました。薬味らしい薬味もないので、持参したシークァ―サーが唯一のパンチです。当然食べきれませんので、その大半は島人へおすそわけということになります。当時は、この釣りを教えてくださった師匠もご健在でしたので師匠とその関係の方にも食して頂きました。ここでその評価がとても面白いのですが、一様にこれがあのマグロか?と言われたことです。出会った当時の師匠の評価も、イソマグロは美味しくないと言われていました。そこで、師匠に今までどうしていたのか?とお聞きしたことがあります。師匠にはその南方回帰市シリーズⅠから関わって頂いていましたが、その更に15年前の1990年初頭からこの釣りを一人で確立してこられた方です。始められたのがまだ師匠が40になるかならないかの頃だと思います。それは、東京から帰郷してすぐの頃だったと聞いています。道具はというと、ほぼ東京から持ち込んだらしいとのことでしたが、帰郷してからの師匠はどの道具の調達にも大変困っていたとのことでした。今現在のように大手ネット通販サイトも何もないほぼ100%アナログの世界です。せいぜいFAX送信程度ですが、多くの情報は、釣雑誌で通販を行っているところのみの時代です。電話で通販と言ってもアナログ電話でかつ、遠距離となるとまだまだ通信料金もそれなりにお高い時代のことです。本編にもでてくる、釣サンデー別冊巨魚フィッシングにも当時の通販先である、幾つかの専門店が広告を掲載しています。師匠は、そんな状況下の中でも、こつこつと積み上げてガンガン実績を上げていきました。私が参入した2002年頃は、既にその釣りが確立された頃のことです。筆者は、そこから少しずつその仕掛けをよりモダンなパーツに仕立て替えてきました。それも師匠が居なければここまでは当然辿りつけなかったとおもいます。今までも何度もお話ししたことですが、やはり最初にやったものが一番偉いということになります。業界や、他の売名行為または、自己顕示欲の強い人は、多少改良程度でも自分の名前をつけたがる傾向にあるのは、今も変わってはいませんが、筆者は師匠の名前を付けて流星(隆生)リグ改と銘々しています。時が変わって継承されたとしてもその名前が残って欲しいという願いからです。今となっては既に故人ですのでその前に継承できたことは幸いでした。大変几帳面な方でしたのでどこかにノートかメモはあったとおもうのですが、それもどこにあるのかは私には判りません。
こんな離島だと鮮魚は食べ放題と考える人が多いとは思いますが、案外新鮮な魚にありつけるのは極少数以外の人は毎日とは行かなかったようです。私が通い始めた2002年頃でさえ、とある婦人と会話を交わした時に美味しい魚は、“あの脂ののったサケ”と言っておられたのを思い出します。それは、荒巻でもなく、アラスカ産紅でもなく、チリ銀だったのです。そうチリ銀です。当時のチリ銀は内地のスーパーで厚切り80円とか言っていた時代の頃です。切り身から既に溶解したオレンジ色の脂が出ていたあのチリ銀です。当時は、まだ数人程、漁師さんから売店に入荷する魚もありましたのでそれが刺身用となれば即日無くなっていました。それも遠征後期ともなると、お亡くなりになったとかで無くなってしまいました。ここ5年以上も行っておりませんのでもしかしたら誰かがまた販売しているかもしれません。そんな食糧事情ですので、刺身で食べられる鮮魚はある面とても喜ばれました。そんな中で師匠は、そのイソマグロの処理や、他の魚の処理、料理まで追求はしてきませんでした。聞いてみると、仕方がない部分が多くありました。なんせ単独釣行がその殆どだったからです。そして持ち帰った後の処理や下ごしらえする人もおられませんでした。当然その釣りの理解者など居なかった、と申されていました。そんな師匠は、一日に20㎏台のイソマグロを麻袋へ入れて4~5往復したことがあると仰せでした。(たしか、最大7往復と聞いたと思います)これはやった方なら解りますが、とても40代いやそれより若くよほどの体力がある方でも至難の業です。貴重な蛋白源ですので、それは無駄にはしなかったようです。流石です。労働力という体力を武器にしての荒技でした。師匠にその後の魚のことについて聞いてみると、〆ることはしていなく、夏場もほぼ野締めです。野締めでは当然すぐに腐ってしまう状況ですから、いち早く処理しないといけないことになります。腐っては、食すことは当然できません。そうなると1本、1本運ばなくてはなりません。当然冬場なら多少纏めてということもできたでしょうが、2本で既に30~40㎏下手すると50㎏超えとなると、それはかなり危険な重労働です。また、冬といってもまず基本はマイナスになることはありません。10℃も切りません。また、当然悪路です。それで持ち帰った後は、冷凍庫に入れるという感じだったようです。それりゃあ、お世辞にも美味しいと思えないでしょう。また、料理といってもそれを解凍しての刺身か、味噌汁にぶっこむか、揚げてしまうかです。師匠がごはんを一緒にとお誘いを受けて仰せの時も、その時に釣ったオオメカマスやヨコスジフエダイ、アオチビキ等々ぶち込まれていました。ヒメフエフキはマース煮か、煮つけにされました。これは別格のような扱いでした。元々食に関しては食べることができればそれでいいという感じでした。それは他の人もおおむねそうでした。それは、この島々の多くの方が食糧確保についてはなかなか大変だったであろうことは容易に推測ができます。また、ここにでてくる監督と称するY先輩は、かの誰もが知る有名な離島の出身ですが、子供の頃は、それが口に入ればいい、食べることができれば味や鮮度は二の次であると仰せでした。それは、豊富な食材に恵まれている地域のそれとは全く違ったそうです。それはそうでしょう。それはつい最近の1970年代までそんな感じだったと仰せでした。それは、野人ことF先輩も同じでした。わさびこそ現在は簡単に入手できたそうですが、子供の頃となるともちろんそんなものはなく、辛子と醤油か酢味噌で食べたようです。師匠と野人先輩と3人でイソンボの刺身の食べた時のことです。師匠は、どうせ生臭いからと言って、醤油でディッピングして更に箸でぶつぶつと穴をあけながら、しばらく漬けて食べる感じでした。その醤油も主に九州産の甘い醤油でした。すかさず従兄でもあるその野人先輩が、
「それじゃあ魚の味が解らなくなるじゃあないか!」
と師匠に言っていました。
私も漬けに近いなぁと当時思いました。魚は、新鮮なものを頂く機会がなかったようです。そんな地元でもそう高評価ではない、どちらかと言うと不評なイソマグロを師匠の従兄である先輩(野人)と釣ってからは、現場で即〆、血抜き、腸だし、を素早く行い、なかなかの作業で水汲みバケツですべての血を洗い流しました。それから、しんどい思いをして持参したペット氷をお腹に入れて米袋に入れて運び一旦家へ帰って発泡スチロール箱にいれて氷をして、また現場に戻るという技をやってのけました。それから帰宅後、寝る前に解体作業に入りました。“ある程度のサクドリまでして終わり”という作業をやってのけました。正に野人パワーというか長年水産業に従事してきた先輩のなせる技です。20㎏前後程度では楽勝です。足の早いイソマグロですのでここまでやらないと美味しくは頂けないようです。特に大きければ大きいほど、冷やすということが困難になってくるからです。その点は、他のマグロ同様です。またイソマグロの場合は、どちらかと言うとマグロのようにある程度の長い熟成期間を経て旨味を増幅させて行くということはなさそうです。肉質もドリップが幾分多めです。そうして処理された、極上とはいえないかもしれませんが、かなりのクォリテイーで宴会に出された刺身が、イソマグロとは島の人も判らなかったようです。「これがあの、トカキンかぁ?」という反応です。釣人複数であってもなかなかここまでの処理を行うことはとても難しいことです。ましてや、遠征となると尚更それはそうです。これが渡船の磯となると更にそれは難しくなります。扱いも雑になるし、冷やすこともままなりません。ほぼ野締めか締めたとしても保存手段がほぼありません。(一部、即船が回収してくれるということもあるそうですが)
そもそもお金にならないとして、漁の餌になってしまったりもします。そんな、こんなでもある程度の処理をしたものは、美味しく頂けることが判りました。もちろん比較対象を本家本元のマグロ科に属するクロマグロやミナミマグロ、メバチマグロ等とすることは論外になります。あくまでもイソマグロという限りなく、マグロから少し遠いこのイソマグロを美味しく食べるということです。昨今では、ビンナガでさえそれなりの価値と評価を得てそれなりに水産重要魚種となっていますが、ビンナガは、その脂の乗り具合で価値が大きく変わる為、脂のない生ビンチョウよりも旨味があり美味しいイメージです。それはあくまでも個人的な意見はありますが、両方を食したものの意見はある程度重要かと思えないこともないでしょう。
そんなこんなで筆者とその月仲間は、ある面食べることに於いても貴重なイソマグロの刺身をその鮮度を落とすことなく食べることができていました。仮に1本でも上げてしまうと食は一気にイソマグロ一色になってしまいます。そんななか、1本の処理後のイソンボそばということになります。それも小型を含めて、4本プラス他魚ということもありましたのでそうなるとやはり冷凍庫必須になってしまいました。
いずれにせよ、ひと昔前の魚類図鑑や一部の釣人伝説のように不味いを連発されていた方の多くは、鮮度や保管、流通の問題からそう良い魚体には恵まれなかったのだろうと推察できます。また多くの釣人は、そのようが機会にもめぐり合えてなかったことでしょうか。なお、昨今では多くの料理人やその道のプロが参考にしているという“ぼうすコンニャク”こと藤原昌高さんのサイト市場魚貝類図鑑をご参考にしていただくと良いとおもいます。その味評価度は、五つ星になっております。この方の水産資源に対する付加価値評価は、ななかなかできることではないと思います。
将来は、このイソンボが多く捕獲できる国々で寿司ネタになっているかもしれませんね。そうなると、今度は乱獲の恐れも出てきて別の問題が発生しかねないとも限りません。是非とも管理型漁業を実践して頂たく思います。
そんなイソマグロですが、今のところ全国区で水産食品としては重要かつ、経済効果も小さい魚ですのでここ近年揉めに揉めていてなおかつ、その釣りもスピニングタックルでの限界を超えていて既に竿溜して正規のファイトすら極めて難しいクロマグロと比べてもそのトラブルの要因としてはかなり差があるようです。この差が、容易に遊漁、スポーツとしての釣の対象として成立する数少ないマグロに近いターゲットとなると思います。これは、釣人にとって幸いなことです。彼らを何本か獲ったところでまず揉めることがないのはとても大きいことです。近年は、関東でもメジャーとなりつつある、キハダに関しても今のところそう大きく揉めることも無く釣ができてはいますが、今後の動向によってはこれも制限が掛かってくる対象になりかねないと思います。いずれにせよ、我々釣人にとってイソマグロは大変貴重なターゲットには変わりありません。
一度命が終わるとそれは、死の色となる
どの生物も生きた色はやはり素晴らしい
解体作業前のイソンボ
遠征中企画で無理に揃えて実現させたイソンボそば
遠征中だとこれができる限界のようである。
ネギが入手できなかったとしてもせめて、乾燥アーサーでも買って持参すべきだった
前人未踏のイソンボそば、いやトカキンそばが適正な名前なのか?
それでもとても美味しかった
こうしてどんどん掘り下げて行くてうちに資料というか画像が出てきました。釣紀行は、月竿のその魚を釣るまでのストーリーが主たる目的でそれに多少の流れを書き足して単なる釣行記というものから少し幅を持たせた構成にするつもりで始めました。よって他の事柄は当時記載していないところが多々あります。そんな一つ、二つがこのあとがきの項の中でもイソマグロの活用を少しだけ記載してみましたが、その当時全く記載する気がなかったイソマグロを運ぶということでした。それは、南方回帰Ⅲ(2009)でおまけとして記載しても良かったところでしょうが、当時の私にはその気も無かったようです。資料を探してみると、残っていました。それも私が撮影したものではありません。お礼としてメールで頂いたものです。折角ですので序に書くことにしました。その南方回帰Ⅲでは、ここにでてくる野人先輩が40㎏程のイソンボを釣った時です。それは今の私よりも当然若い頃になります。当時新製品で出ていたダイワ精工の名品ソルティガZのエクスペディションが発売されていた頃です。まさにダイワのこのZシリーズは名品でした。当時のリールを撮影した筈なのですがそれが見当たりません。どこに保存したかわかりません。いまだにZを愛用されているユーザーを見るとスピニング最高峰に相応しいものであったように思います。そのⅢでは、幸いなことに何本ものイソンボをキャッチすることができたので、うち1本をなんとか空輸で送ることはできないかと四苦八苦して空輸で発送したことです。なんせ連携ができないと不可能な企画でした。しかもイソンボとなるとそんな魚体を入れる発泡箱も早々ありません。しかしながら、当時は売店にはある程度のサイズまで売られていたのです。最大のものを購入しましたが、それでも小さいイソンボも入れることができません。まあ、仕方ないので入るギリギリで尾の部分を半分切って折りたたんでなんとかかんとか入れました。お腹は既に出していますのでそこはかなり目減りして氷のスペースがあります。なんとかかんとか氷をいれて船が出ることも確認しましたので船に積み込み、ハブ港で運送会社に取に行くようにお願いしておきました。一応この時代となると、ガラケーがほぼ普及していましたので、港から携帯で受け取った旨を聞きました。これなら本日の航空便に間に合うとの力強い連絡を受けたことで、少しばかりホッとしました。あとは、到着後果してこの肉質が維持されているかどうかということになります。これもその翌日、確かに受け取ったと連絡がありほっとしました。多少魚を下せる方なのでお任せしました。聞く話ではファミリーとその友人知人でパーティーをしたらしいです。普通に美味しかったと連絡は帰宅後聞いたのですが、それがそれ以上のコメントがでてきませんでした。当然、友人知人ともなるとただのマグロパーティという企画になっていたらしく、確かにイソマグロであると伝えたのですが、本人はそんなことは全く聞いたこともないみたいで、あろうことか“磯から釣ったマグロである認識であった”とのことで少しがっかりもしましたが、それも仕方ありません。しかも、しかもです。その友人は、そんなデカい魚は下せないとのことだったので、更に知人の水産関係者に手伝って下したそうです。水産関係者なら間違いないとおもいきや、それは私の一方的な思いであったことは否めません。あろうことかその方は、それをキハダマグロと仰せでした。それでみなさんキハダパーティとなったようです。子供達は、手巻寿司でマグロがいっぱい食べられると喜んでいたそうなのでそれなりに感謝はされたようであります。思えば、筆者もイソマグロの手巻寿司など食したことはありません。一度はやってみたいです。とんだ勘違いになってしまったマグロになりましたが、それも私の落ち度といえば落ち度もあるとおもいます。また、突然頼まれて善意で引き受けて下さったその方にはやはり、感謝という言葉しかありません。いろんな事情もあったでしょう。そこを忘れてはいけないと思いました。ご家族の子供さんとその友人たちが美味しくい頂ましたといったお言葉を頂いただけでも感謝すべきなのだとおもいました。それで、自分を納得させました。いや納得するほかないでしょう。
我々現場を振り返ってみますと、中落ち丼すらやっていなかったと思います。それは、記憶にも画像にもなかったので恐らくやっていません。骨身をこそいだ記憶も無いので尚更です。それでも捨ててはいないので当日の昼あたりに中落ちとして皆で食したようです。
その後、ある機会に当時子供であった人にその当時のことを聞いてみました。
「まったくおぼえていません。」とのことでした。
まあそんなものです。
そんなこんなでしたが、ほぼ100%に近い数字で関東圏では流通することもないそんなイソマグロを知らなくても致し方ありません。しかも水産加工関係であってもさほど変わった魚類を扱うところ【店や業者さん】でなければ、マグロは恐らく、冷凍メバチ主体のキハダ、ビンナガあたり、たまに蓄養クロマグロかミナミマグロ、当時は無規制だった本メジとかではないでしょうか。それをイソマグロと認識または、調べる興味もなければ変わったキハダ程度にしか認識されないでしょう。まだ超特大ハガツオくらいに考えていたならば、ある程度の魚に触れたこともあるでしょうが、ハガツオも案外足が早い魚なのでそれも厳しいかもしれません。昨今では、スーパーの記載も昔と比較すると、ある程度正確またはそれに近い表示にされているのでそこは今現在だとあらかじめ調べているのだと思います。
最近近くのスーパーでも多彩な魚種を見かけるようになりました。しかし、私はそれの殆どを買ったことがありません。とても買う気になれないのが本音です。それでもこれは?!と思った時には手が伸びることもあります。本日は、ボラが売っていました。ボラは本来の江戸前では中の上ランクにあった人気魚と聞いていますが、現在は、その都市汚染以来、とても都会河川に接続しているボラを買う気になどなれません。これをカラスミにする方も増えた?とかで本当に消費者減の中それはそれで多様化しているのだなあと思います。時代は、水産物をそう摂取しないという我が海洋国家です。比較的肉食が増えた我が国では、この先は一体どうなるのか見てみたいです。しかしながら、漁獲高は限りなく減っていて、その価格もそれなりになり、近海物を購入して自分で下して料理するということもかなり減ったようです。いつの間にか未利用魚になってしまったものも多いでしょう。それは、とても残念ではありますがブロイラーという名のとても安価でほぼ骨なしの唐揚げは美味しいものです。それは否定できません。ブロイラーは、すでに人間様がその肉を食すように改良管理生産されていて、スーパーでは既にから揚げにするようになって販売されているのですからとても安価で便利でかつ市時間を割くことができない方にとっては大変助かります。その時間もない方には、すでに唐揚げになって販売されてそれなりの価格で販売されています、ブロイラー様々です。ちょっと意味合いは異なりますが、後輩とナマズ釣りでリリースして遊んで、帰りに夜間でも営業している大手外食チェーンの冷凍唐揚げ定食を食べている私も矛盾だらけです。そういえば、さらにちょっとずれてしまいますが、なんとか怪魚と称して、その前後にチキン南蛮とか良く聞きます。因みに、筆者も誘われて何度か合間に食べたことがありますが胃もたれします。
水産資源も他の畜肉と同様に養殖へとシフトしてきていますので将来は天然魚を捌いて食べるということは少なくなってくるかもしれませんね。
空輸後のイソマグロ
なんとかなりそうである
当時は、120万画素程度のデジカメ
サクドリした画像が送られてきた
結構な量になっている
手巻寿司パーティーらしいが筆者は参加していない
楽しそうでなによりでした
魚あるあるになってしまいますが、今現在のことなら後輩であるフィッシュナビの八鳥にでも送ればそれなりに魚のことは理解してくれて、なおかつ料理もそれなりにこなしていたのは間違いなさそうです。それも私が日ごろまったくやらない少しおしゃれな風に撮影してくれるかもしれません。しかしながら当時としては、お世話になった友人に送るということが最優先であったようにおもいますのでこの件はこれでよかったと思っています。それもタイミングでしょうかね。思わず当時のことを思い出して画像を探してみたということなのですが、当時のデジカメはやはり今現在よりもかなり画素数も性能も当然かなり劣っています。折角ですのでここでその当時送られてきたそのパーティー画像を添付することにしました。
祝杯のルートビア
歯磨き粉の味がすると言われて久しい
元々は、健康飲料としていたらしいが
お変わり自由と言われても
大変危険な食べ物です
千葉でいうマックス珈琲レベルの甘さ?
スーパーフライとサンデー
それと、本編ではイソマグロの貴重な現場の画像が揚げられないことも多いのです。今現在は、編集ソフトもあり、それもAIを使えば勝手に画像を修正しまくれたりします。それは、もはやリアルかそうでないか見分けがつかないくらい綺麗かつ精巧に編集できてしいます。そんな中でもできるだけそのまま使いたいということもあり、画像付きとはいえ読む側にはインパクトが少ないかもしれません。そこを言葉で表現できる人のことを文豪というらしいですが、私にはその器はありません。ここら辺が限界なのかもしれないと思っています。20数年の間地道に通ったこの場所も、今では普通に動画で晒されてしまうようになり、とても悲しくも悔しさ満載の心境ですがそれも諦めるしか今のところないようです。晒す側には、そんなことは全くおかまいなしのようです。最近ではそれでトラブルも起きているとのようです。現在においては、もはや秘境や幻の場所ということはまずあり得ない時代になりました。
2024年もあっという間に11月が過ぎて2025年へと移り行きます。一体この9年間もの間どんな生き方をしてどんなドラマを作って、どんな希望を見出してきたのでしょうか。そう考えると今も心の曇りはとれそうもありません。そしてその曇りを払拭するために旅に出たくなるのかもしれませんが、それも年々、刻々とその気持ちが薄れて行くのはなぜでしょうか。曇ったままで良いということなのでしょうか。それは、人生が朽ち果てるということと変わりないようにも思えます。
こうして編集の為にと再び撮影したAVETを目の前にすると、今もそこに存在している愛機とその戦歴を物語る傷跡が、昨日のことのようにイソマグロとの戦いが蘇ってきます。心躍り、大袈裟に言えば全力で戦ったことが体のどこかに、衰えかけた脳にも迫ってくるようです。
筆者所有のAVET(2024年11月現在)
右はSXの初期型
それは歴史の刻みともなり得るのだろうか
1998年頃製造したごく古いもの
ブランクは1922年創業の超老舗だったFISHER USA製であるが倒産して久しい
2001年7月と2004年12月の2回ほど簡単にレストアしてある
若者であった私ももう初老です。昔のように飛び回ることなど到底できません。そんなことが自分に迫ってくるとは、その若い頃にはまったく思いませんでした。その時の竿達もレストア等はするものの、いくつかはそのまま存在しています。それを売ってしまうと自分の心まで売られて行く気がするのは私だけでしょうか。
ここ最近、月竿もオリジナルユーザーから手が離れて行くことも極僅かというか、少量ではありますが、他人の手に渡ることが多くなりました。当方は、そのユーザーシリアル所得者の希望を極力聞いてからの製品も多くありますが、それらが流れて行くのを散見するようになりました。それは、月竿の理想とは違うところにあるものも存在します。それをまた別の方が評価するということも多くなりました。月竿オリジナルユーザーの方はそれを良く承知の筈ですが、それが流れ流れて他の人に渡ると、全くちぐはぐな竿にしか見えないこともあることは当ブログでも挙げてきたことです。酷いものは、既に複数の手で転がされているようです。他ユーザー様へ申し上げておきますが、その点だけはご理解の程宜しくお願い申し上げます。
私の愛する道具達もいずれその時がくるのかもしれませんが、リール一つ、竿1本見ても当時の思い出が昨日の出来事のように思い出されます。そんな、小さな夢を見られただけでも幸せとしなければいけないのかな。とそう思うこの頃です。いずれその記憶も薄れていき、前も後ろも判らなくなる前に記述できること、撮影できることはできる限り、時間が許す限り、残していきたいと思っています。少年の頃のリールと今のリールではその性能は比較にもなりません。でも勝ち取った夢は同じ価値であることを信じたいです。
筆者とJUNN氏(2015年当時)
その心の牙は己の為に磨け
2024年11月20日
月竿代表
南方回帰Ⅴ‐闇と光₋微残光2015₋9 ― 2026年05月01日 18:40
終わりに添えて
JUN氏がオカヤドカリを撮影している
ソーキそばソーキ特盛
特注なのは言うまでもない
2015年は、世界情勢はますます複雑で、平和な国はそう多くはないと考えさせられた。また、国境が違えば文化も考え方も違う。だからといって、海水も空気の流れにも国境はないので、影響を受けてくるのは当然の事である。我々のそう遠くない未来に於いては、心を一つにして問題解決をして行かなければ我々に未来はないと思った。
たかが、その一瞬の遊び、釣りと言う趣味さえできない日が来ないように願うばかりである。
小さな我々の遠征も終わった。
2016年は一体どのような年になるのか。
どうせ早く過ぎ去ってしまう1年ならば、その内容だけは何とか濃くしていきたいと思うこのごろである。
小反省会の割には、豪華な模様
いつも最後の夜はこれになってしまうのは監督の希望でもある
方回帰そのⅥは訪れるのであろうか
それはきっと訪れる
2016年元旦
南方回帰Ⅴ‐闇と光- 微残光2015‐8 ― 2026年04月27日 15:54
随分と空いてしまいましたがその8へ入ります。恐れ入りますがその7以前からの続きを再度ご一読の上お読みください。
大多喜の猪バーガー
ジビエブームというか各地で展開されている昨今のようです。
闇の洗礼
光も自然であれば、闇もまた自然
その合間に朝まずめもあれば黄昏もある
白昼の光りも当然ある
終わりが闇で光が始まりであればそれはそれで良いのかもしれないが、それは誰にもわからない
オカヤドカリは沢山いた
SYUUに言われて撮影している
最終日、その朝の天候は荒れていた。北東の風もかなり吹いていた。
雨はスコールのように打ちつけたり、また止んだりの繰り返しだった。
単独釣行だと、ついつい休みになってしまう状況である。
そんな天候は、やはり気持ちを削がれる。それでもなんとか可能と言う判断で我々は、午後のやや悪天候中のポイントに向かったのである。
風は昨日のそれよりも吹き付けるようになり、体感温度もかなり低く感じた。それでもその先にある希望を掴むためには、前に進むしかないのだった。
波は高かった。飛沫が時々磯に上がる。波は一旦えぐれた磯にぶち当たりそれから返す波と混ざりあって上へ上っていくのである。
それでも竿を用意している我々。
希望を決して忘れない様にと祈る気持ちである。
それから早々に竿を出してみるが、反応はない。
波は、大きく、磯にあたっては飛沫を上げる。
時々“ドーン”と打ちつけた波がその飛沫を上げて迫る。
しばしの沈黙。
その波間にアタリがある。
南遠征にはつきものであるバラフエダイ
その凶悪な面構えもだが、中々の強力ファイターでもある
その正体は、バラフエ君であった。そこそこ、それなりの抵抗もあるが、それでも我々の敵はない。
そしてその後、ちょっと微妙なサイズで大物とも言えないネムリブカとのやり取りも、その波に揉まれに揉まれてのランディングとなるとかなり危険な感じであった。ほんとうに骨が折れる。仮に無事奴を寄せる事が出来たとしても、果たしてランディングできるだろうか?そう思ったが、幸いにもハリスが切れた。この番手のステンレスワイヤ-ハリスを切って行くとは。まあサメには良くあることである。昨日のサイズ以上だと、ランディングを断念と言う事も念頭に入れての釣となりつつあった。いや、そうならざるを得ない状況であった。思わずほっとした。ランディングできない場合は、リーダーから切るしかない状況だった。
そんな終盤戦。
それでも、希望は失わない。
失えないのだ。
その悠久なる歴史の中でこの陸が出来て以来、ずっと波は興りそしてそこに打ち続けてきた。その浸食は、今から数えて何年前からなのだろうか?
また、ところどころある、岩のそのポケット穴は、小石、石塊が回転して拡がったと言うが、それも一体何年の歳月を有したのであろうか?それだけ見ても長い時間をここで転がっていたことになる。
そんな事を考えることも早々に、何時止め時かを考えるばかりであった。
打ち付ける波はどんどん高くなっていった。
そうなると、釣り云々ではなくなってくる。
「うーん、どうするかぁ~。」
「そろそろ危険ですよ。」
「ここら辺でストップフィッシングかな。」
「そうするかぁ~。」
そんな会話が続いた後、撤収の判断を下した。
「では、撤収~!!」
それからは、できるだけ早い撤収作業に移った。
ここまでくると命あってのものだねと言うことになる。
我々はそそくさと撤収作業に入るが、何と言ってもリールクランプ外し作業が結構現場では手間取る。これって良い方法は無いものかと思ったりもするが、長いリールの歴史でさほど変わっていないところをみるとこのネジ式がベストなのかもしれない、そう思った。早々にネジを緩ませると、リールをバックにしまう。
それから、車までの到着は60分程かかった。これには、流石に地獄からの生還と言う感じの我々であった。
横なぶりの雨と風と共に、最終日はこのような結果になってしまったがこれも釣りのうちと理解して組み立てないといけないことである。
計画に想定外と言うことでの言い訳は通じない。この事くらいは想定内に入れておかないと・・・とは思うのだがやはり、最後は、“どうかやり切らせてくれ!”と言うのが正直な思いだった。それは、メンバー全員がそうだったと顔には書いてあった。真に残念である。
慌てるもその日の朝、船は出ると言うことを聞き決断した。最終便で島を後にすることにしたのだ。終わりも予定通りとは行かないものである。
無事最終便に乗ることができた。その日の夜は、島ブランドとなってしまったおきまりの在来和牛の焼き肉はそれなりに、胃に負担がかかったものの、それでも美味しかった。日頃、焼き肉など殆ど口にしなくなった歳にはなったが、1年に一回くらいの御褒美なら許される事なのかもしれない。あの、美味しい脂身とサクサクとあっさり噛み切れる赤身は、野生では先ずあり得ない筋肉なのだろう。正に、現代人に合わせ立て作られた牛なのである。そんな和牛を仲間と食べる。そんな食事は、やはり美味しいのである。ある時は、監督と2人で。またある時は、島人野人と私と監督で。また今回のメンバーで。一体何度この晩餐が繰り返されてきたのだろう。それは、その時々それで楽しいひとときであることには変わらない。
東京から帰宅
羽田に着くとやはり寒い。半袖から一気に上着が必要になってくる。そこから地元へ帰ってくると幾分暖かいと言う今年の冬とは言うものの、とても寒かった。一気に移動すると尚更である。
心も寒くならないようにと思いながら。
その日の夜は、手荷物で持ち帰ったそばを家族で啜った。
そばとカマボコと…それで十二分だった。
明日は、またそばかな。
きっとそばである。
もちろん八重山そばです。
師匠に頂いたソーキそばの店は、もうかなり前から無かったけれどあの味以来時々欲しくなる味である。それは、1992年の冬からだったように思う。それからかなりの月日が流れて行ったがそばは、進化系も含めて繁栄しているようである。
今回、活躍してくれた主力道具達
その団欒の果てにあるもの。
趣味という遊びの中で勝負してみる。
闇から闇へ・・・
光から光へ・・・
そして、また空を仰ぎみてみるも、それは一様に平等だった。
その空は、暗くても明るくても誰でも・・・
皆その下にあるものには平等であった。
そんな、平和は我が人間社会に何時訪れてくれるのであろうか。
塩の結晶
2015年師走の吉日
その後の守破離 ― 2026年01月25日 10:00
その後の守破離
時は過ぎ、去りゆく過去にすがらない
それが“離”への道なのか
時が流れて2021年になり、独立した2002年時から既に19年が過ぎ20年目に突入しようとしています。一重に20年と申しましても、近年の時勢の変化は目まぐるしく、ついて行く事もままならないそんな20年間の出来事でした。そんな中当方の竿は、月竿とかMOON RODとか言われる様になりました。最初に掲げた守破離は、古い日本語です。その理屈などどうでもよい方も多いことでしょう。デジタルが師匠である現代には“見習いから”と言う事もないままに自分がその流派、派閥の長に名乗りを上げられる事もいとも簡単になりました。我流は、我流な筈で決して良い意味では語られない筈なのに、我流を多様性と言う事に置き換えてしまったのではないかと思ったりしてみる事もあります。
「死ななければ負けではない」
嘗ては私も高校生の頃が当然ありましたが、多感な時に学んだ宗道臣先生がおっしゃった言葉です。生死を掛けた戦いをされて来た方が、悟る境地であると思います。現在でも死ななければ負けではない、を実践できればと思います。
これから更に10年先となると2031年ですので私の良き師匠は、誰もこの世には存在しなくなるかもしれません。それでも守破離の道は捨てないで行きたいと思います。時々思うこの先“離”が訪れるまで、ぶれない芯を持つ事ができるだろうか。そう思うと夜も寝られなくなるくらい考えてしまいます。 そして、そろそろ弟子も育てなくてはならないとも感じながらも今に至っております。
弟子には、技術や性能を語る前に人の道が説ける程の人間になってみたいなどと思ったりもしますが、今のところいやこの先も凡人(私)が言えた立場ではないし、そのような庶民風情の言う事を聞くほど世の中は平和も余裕もなさそうです。
私のような職人風情がそう思ったりするほど、荒廃している世の中なのかもしれません。
それでは、月竿を宜しくお願い致します。
私の守破離(2002年当時)
友人達の指摘をうけて
2004年頃のNY自由の女神前で
その先にはストライパーがいる
竿は、亡き師匠の設計である
まだ若かった頃の筆者
日本人の美徳は決しておごらない、高ぶらない、謙虚で、自分を自慢しない、そう思って今日までやってまいりました。地道と感謝を自分に言い聞かせ、足らないながら精進してまいりましだが、何分短気で角もあり、縁の切れた友人も数しれず、思いはつきません。また、威張って得したことなど、日本ではありませんでした。アメリカでは、はったりをかます自己アピールは当然ですが。
呉と言う土地柄
昭和45年頃の呉の街と私
私は呉の海辺に生まれ3歳の頃から釣りを始め、野口英世や北里柴三郎のような立派な学者になるのが小学生からの夢でした。サーフ小僧だった私の釣りの相手はシロギス、マコガレイ、イシガレイ、アイナメ、クジメ、アナゴ,イシモチなどでした。この頃の釣り夢は呉にはいないイワナやヤマメ、アマゴでした。
中学の頃、まだまだマイナーだったルアー釣りとか言っていた時代のその釣を初め、この頃舶来ルアーをなけなしの小遣いで月に一個ほど購入するのがやっとでした。(舶来品なんて死語ですね)この釣りに傾倒し始めたのは、友人の「そがーなルアーみたいなおもちゃで魚が喰うか!」と言われたことや、父親の「そがいな釣れもへん訳のわからんもん集めるより勉強せぇ!」の一言でした。
この頃の私の取り巻くルアーを用いた釣りへの偏見は、今現在とは比較にならないほど強烈でした。また、当時釣れるとされたバスはまだまだ今の様にあちこちにギャング放流されておらず、現在の状況とは若干異なっておりました。その後父親は、実弟がヘドンタイニーダッドで釣った35㎝位のバスを見てからあまりルアーを馬鹿にしなくなりました。今でも当時父がとても驚いていたことを思い出します。この頃から折れた竿の改造など遊びでやっておりました。それでアイナメなどのブラクリ釣りなどやっていました。(当然ルアーで釣りたくてマンズのジェリーワームを切り刻んだりして使っていました)
1980年代の学生時代は、東北の渓流で鱒属を追っかけ、オカッパリでアイナメやクロソイをミスターツイスターのキラーシャド(当時バス用のプラスチックシャッド)で投げまくり、当時まだまだ超マイナーだった海のソフトルアーなどやっていました。このときのアイナメのマイレコードは防波堤で釣った46㎝2.6㎏でした。(東北では別に珍しくもないですが)
その後は、スズキなるものや目の赤い魚をおっかけたり、鉛の塊をしゃくったり(これまた大好きでした)、泳がせたり、近年まで、釣物の価値がなかなか認められなかった、海のドラド釣にポッパーで投げまくったり、深海のドーベルマンとか(4人で50匹、10~30㎏という事も過去にありました。)何とか鱒とか、本流ハードロックの王様2.5㎏とか…。縦縞のスズキ(これは釣りまくりました)とか釣らせてもらったニベの怪物とかまだまだ炭火のように中々つり熱はくすぶって消えません。魚達は私の心をまだ掴んでくれているようです。
倉橋島(旧長門島)
もともと、私の先祖は江戸時代まで倉橋島の多賀谷氏城下で鍛冶職人をしておりました。
職人気質は血筋でしょうか?2021年現在は安芸郡から呉市倉橋町となっています。父が子供の頃まで、本浦という町の海岸線に居を構えていました。父の母は、そこで「ひらのや」という食堂をしていました。戦後は叔母がひらのやを継いで、川原石で同じく「ひらのや」を経営しておりました。それももう昭和の時代のことです。
何十年振りかに訪れた西宇土
実は、みかんブランド“いしじ”は父の母型の実家にあたる
今は、荒れ地となっていてオリジナルは生産されていない
職人気質 Craftsmanship
かつて私は、某量産釣竿製作メーカーにて丸6年間以上に渡り、何千、何万と言う釣竿を組み上げ、出荷、検品、企画までやって、更に毎日何十本というOEM並びに特注品まで、死に物狂いでこなしてきました。残念ながら作業環境はとてもいいとは言えず、決して環境のいい仕事とは言えませんでした。また、釣りは単なる道楽(ある面その通り)、釣りでは休暇や時間をとることは事実上禁止でした。今現在(2021年)では、それをブラック企業と言うらしいです。昭和の時代にもし当時からそのような言葉があったとすれば、真っ黒とは言い切れませんがより多数の企業がこれに入ってしまうということは誰もが思うことかもしれません。当時の地域柄、直ぐに思い出すのは、野麦峠であったり、姥捨て山であったりしました。特に子供の頃に見た「あゝ野麦峠」は強烈に脳裏に焼き付いています。そんな労働環境やそのストーリー通りであれば、生き地獄であり、人権など存在していないようです。その映画も、学校で皆が見たことは忘れません。それは、小学生の私にとって「はだしのゲン」に次ぐほどのインパクトでした。
釣具とはいえ、所詮量産品。
職人魂など伝わらず、どんな方が使ってくれるのかも分からず、人が楽しむ道具なのに当たり前のことですが気になるのは、コストダウンと経費削減、売上のみで言葉だけのハイテク、最先端でした。当然ながら工員さんたちにとっては、日銭稼ぎの商品がたまたま釣竿だった、それだけでした。また、単なる派手な側面だけで入社した若者達はあっと言う間に春蝉の抜け殻のようになってしましました。春蝉の抜け殻を触ったことがある人は、容易に想像がつくかも知れませんが、昔の人は良く言ったものです。
時には、新入社員の彼らに小学校中学年程度の簡単な読み書きや地理、英単語、算数を教えることもありまし、有給休暇取得書類をオールひらがなで提出した部下もいました。挨拶ができなくて、何度も社長から「挨拶はちゃんとしろ」と言われた若者もいました。開いた口が塞がらないとはこのことでした。それもこれも何もかもが昭和の闇がずっと先に見えていた気にもなったものです。
今思えば、そんな過去もありながらもとても懐かしい気になったりします。
きっと令和の時代には、そんな闇は、多少なりとも明るくなっていることを期待して止みません。時代と共にこの項は、またアップすることがあればしてみたいと思います。
心の刀とは
心を失った道具など武士の刀でもありませんし、釣師の命でもありません。見てくれはかっこよくても魂を失った抜け殻ではないでしょうか。それなら多少派手派手しい宣伝やデザインでなくても、温かみのある道具を作りたかった。故に私は、今までの位置と安定を捨てて今までとは違う路を選びました。勿論、大手一流メーカー品を選ぶことは、無難で、確実で、安定安心を約束してくれるかもしれません。またそれに釣師本人が思い入れを吹き込み生かす事もできます。そういう面では生かすも殺すも道具の持ち主、オーナー次第と思います。量産メーカーに真っ向から勝負する気はもうとうありませんし20年経った今となると余計に身の丈にありなさいということが身に沁みます。
「釣竿工房月の釣竿をぜひあなたの右腕にしてください」という言葉は、創業当時から変わりません。 当時もそう申しましたが、私が単なる思い付きや、にわかビルダー上がりでない事が少しお分かりいただけましたら幸いです。
あくまでも魂があってのモノ。それがお分かりいただけたら幸いです。
二千二年六月四日
釣竿職人 平野 元紀
2021年6月吉日加筆
おまけの話(その後の守破離補足)
1967年から1980年代を主に呉の街で過ごした人生も、かなり過去の出来事で、30数年も経てば様相も変わりました。あの、とてもきつい呉弁を話す人もいなくなり、大正生まれの祖母が使っていた本当のネイティブな言葉は、まるっきり聞かなくなったようです。懐かしい警固屋の釣り場は、埋め立てられて団地になっていました。桧垣のおばさんの釣り具店はもう無く、代わりに大型量販店になっていました。SHIMANOのリールがまだまだ他社に比べて今一だった頃でしたが、その桧垣釣具の奥にガラスケースに入っていました。景気もとてもいい感じでひっきりなしにお客さんが来ていたようです。いやそれを見てきました。
多くの地方の方言と言う親しい言葉は、薄れていき学校教育の賜物と言うべき標準語化されています。街並みも、ローカルな店舗も姿を消していきました。安くて美味しかった呉トビキリサイダーは、もうありません。今後の復活を願うところす。そう思うと私自身がもう過去の人なのかと思ったりしますが、それは私の昭和という時代だけなのかもしれません。未来はまだあるのかもしれないそんな、先祖代々のこの土地であるにもかかわらず、まるっきり他人な街になったようにも思えたのでした。
そんな、昭和50年代呉の街にわずか数年だけルアー専門店があっただけでもそこは天国か楽園だったのかもしれないと思います。それが、ルアー釣りと言う当時は超マイナーだった私の心を掴んで離さなかったのはどうやら事実のようです。
KENCORの6角グラスブランクは、レアでした。
上:Kenny先生の形見である
KENCOR Tenlew Magnaglas OG2
下:かつて最も全米で売れていたとされるShakespeare社のロッド
いまだ残念に思う事は、当時の子供達だけでは、その店の基盤を支える事が極めて困難だった事です。その一人が私でした。時代が早すぎたかもしれないし、需要にあっていないことは事実だったのでしょう。またそのオーナーは、釣りは全く関心がなくて、ダイバーだったと記憶しており、事務兼店番のお姉さんが、今日も暇であるとぼやいていた気がします。ご存命であるなら、そのお姉さんもそれなりに御歳を召しておられることでしょう。なにせ40年(1980年頃)も前の話ですから。それでも夢なお店でした。竿はKENCORのみかほぼそうでとても、地方の街の釣具店ではあり得ないアンテナショップに近い感じでした。
(ヒノウエのレスターファインは取り扱いしていたような気がします)しかしながら、ルアーは、へドンはもちろんなこと、フレッドアーボガスト、オリジナルのボーマー、ワース、トーナメントワームのバラ売り、ヒノウエのコブラ、そしてあのアルファ&クラフトのバルサ50のラインナップであったと思います。広島市内ならいざ知らず、呉の街にはなかなか厳しいながらも豪華なラインナップであったと思います。この話は、Kenny先生にCAの自宅へ訪問した際、直接お伺いしましたが、それはお兄さんがKENCOR HIROSIMAの会社を立ち上げて、その親族だったか甥っ子だったか誰かが呉の店をしていた...と言うことのようでしたがそれも忘れてしまいました。今思えばもっと良くお聞きしておけばよかったと後悔しています。どなたかこのお店の当時を知る方がいらしたらご連絡をお待ちしております。
その後の2025年、当時を思い出してその竿の他になぜか当時の店には、リールがすべてスピンキャストリールだったことをうる覚えでなんとか思い出してみると、当時はその何処とも思えないリールを買うことをしませんでした。それなりに高くも無かったとは思いますが、それならダイワのスピンキャストかリョービのダイナフィッシュでも買った方が良いと思えた頃です。いやもし私がもう少し、いやかなり無理して頑張れば、マチックが欲しいと思いました。今思えば買っておけば良かったと思いますが、それももう何十年も前の話になります。何度か手にしてハンドルを回したことも覚えています。その上に並んでいた当時の竿もなんとなく記憶しております。タラレバになりますが、ベイトキャスティングリールもあれば買ったかもしれません。いずれにせよ高度成長期の盛りであった我が国の製造業の頃でした。それからやっとその1機種状態の良いものを入手することができました。これ幸いに多少の傷のみで、ギアボックスの中はその固形化して劣化したグリス以外はとても良い状態でした。これもいずれ企画しているスピンキャストリールの項でいつか整理してアップして行こうと思います。
また当時の国産ルアーと言えば、コピー一辺倒、しかも使えない、動かない、品質の悪いものでしたが、今や世界の日本製ルアーとも称され、簡単に設計できてしまう時代になりました。しかもそれらは、国外へとその生産拠点を移し流れていきましたが、それがコストという天敵であったようにも思えます。他の工業製品の拠点も既に日本でなくなりましたが、釣具もその中の一つです。世界経済平準化を叫んでもそれは、遠い未来のようです。
“ルアーは紳士の釣である”
と言う言葉も死語であるかのように釣り場は、その様相も変わり、またその残骸も見受けるようになったような気がします。そんな時代もまた、国の釣り人口に比例して今後は衰退して行くのでしょうか。
だがそれでも、望みは捨てずに行こう。
望みだけは。
KENKORのお話は他にも出てきます。宜しければ下記の項をどうぞ。
さめないで・・・・・・・。
2026年1月10日追記
おわり
南方回帰Ⅴ₋闇と光₋微残光2015₋7 ― 2026年01月16日 17:03
-漆黒の衝撃-
そこに浮かびあがるのは生命感の中の紫とも銀とも知れず
たまにはドラマを作って欲しい
しかも、想定外の・・・大勝負
フラッシュ越しのグアニン反射は少し紫かかっても見える
へとへとになって帰って来た彼らをよそにSYUは俄然やる気になっていたようだ。時々いたずらする奴雑魚たちを、今度は餌確保としてミジュンサビキを投入する。
投入後、直ぐに反応があった。JUNは言うと、ここら辺は手馴れたもので、いつものコバンアジを的確に仕留めていった。サイズは、30cm程で大きくても40cmくらいのものである。この餌取が案外多い。また、こいつの皮は相当硬い。それは、財布ができそうなくらい硬い感じの皮で、ケミカルシャープ針の切っ先さえ、非常に通しにくいのである。我々は、クブシミ(コブシメ)撃退作戦には失敗したものの、小判、コバン釣には成功した。猫に小判でないだけまだいい。
早速、SYUがそれを取り、上顎掛けにした。そしてキャスト。いよいよライブベイトの投入である。今まで散々餌取りとして齧り続けたその報いは、直ぐに訪れた。それは、自らが餌となるという制裁であった。何の躊躇もなく投入されたその30cm程のコバンは、何かに怯えているのか恐怖なのか、どうなのか手前に近づいてくるではないか。先ほどまで何処に投入しても喰いついて来たのに。
このコバンアジは、皮の硬さとは全く関係なくとても美味らしい。いつも餌になるだけなので、今度機会があれば試食してみたい。特に生が良いみたいである。
「えらい手前にくるなぁ…。」
「はい・・。」
コバン君は、ゆっくりと左方向へと移動している。
投入から数分後・・・・それは興った。
“ギィ~”
リールクリッカーが突然勢い良く鳴くと・・・同時に
「ああっ・・キタ~!」
SYUUのコールと共に一同一斉にその方向を見た。
一気に斜め左にラインが流れ走って行く!
彼は、グンとパワフルな合わせに入ると一気に竿は、弧を描くと、台湾製最上級コンベンショナルリールのスプールが逆転に転じた。クリッカー音が闇夜に鳴り響く。
「まえ!」
「前にでて!」
とは言うものの、踏ん張るので精いっぱいらしい。
「ムリッス!!」
突如襲った激しい引きに全力で耐えるSYUU氏
それは、間違いなく今までの外道とは違う引きだった。魚は、まっすぐに沖には向かう事もなく斜め左前へと方向を変えなかった。
「ああ、SYUU!そっちはマズイよ!」
と言われずとも解ってはいるが、相手がこちらの言う事を聞く筈もないのである。
「あああ…ぁ~すってる、擦ってる、スッテル!」
竿を伝わって根に擦れているのが解るようである。
あの嫌な感じ。
何かズリズリとするあの感覚。
何度も経験したなぁ。
正に真剣な表情で、SYUUは耐えていたが、その方向を変えられる事もなく、更に奴が走って行った。止まった感もあるが、バタバタ動く感じが伝わってくるらしい。
「イソンボではないなあ!」
「うーん。」
静寂から一気に騒然となるこの釣座が、なんとも踏ん張っているが・・・・。
言葉にならない緊張に変わる。
こいつが本命かどうか解らないけど、かなり強烈な引きを堪能する余裕は全くないSYUU。まさにその姿がそこにある。
彼の顔が真剣かつ紅潮しているのが分かった。耐えるしかなさそう・・・そんな感じであった。暫くすると、魚は止まったように思えた。彼は、その先にバタバタと暴れる奴がそのラインの先から伝わっているのが解る感じで、余裕がなさそうではあるが分析はしっかりしている様子だった。
「ああっ・・・・!」
「切れた!」
耐摩耗ラインが切れた。
その擦れた感じの中で何時切れるか解らない恐怖が、その結末によってはその恐怖からの解放には繋がったが、その代償は、落胆と言う大きな遺産が待っていたのである。
一体その先には何が付いていたのであろうか。
ラインブレイク(糸切れ)と言う事葉は、いつも悲しい。釣人にとって悲しい出来事のトップである。その歴史の中で、テグス切れと呼ばれて以来、釣師、漁師であればどれだけ悔しい思いを先人達はどれほど多く経験したのであろうか。一本の糸で繋がる事は、その事自体が一瞬で全てを失う事になる。それは案外、人の道もそうなのではないかと思ったりもするのである。幸いな事に、それはやり直しが利くと言う事であるが、備えが無ければ次のチャンスがない。それも人生と同じなのかもしれないと思った。チャンスは、一様に皆に回って来た事になる。
その結果は、別として。
それからまた我々は、俄然やる気が出てきて頑張った。
しかし・・・それから後はチャンスが再び訪れることは無かった。
それでも、全員の帰路の足取りは重くは無かっただろう。何せ、ドラマは訪れてそれなりの結果をもたらしたからのだから。また“明日頑張れば良い”と言う気持ちも多分にあったのであろう。その明日への期待は膨らむばかりであった。
誰でもその希望と言う名の希望を奪う事はできない。
誰であっても・・・。
奪う事ができるのは、一体何者だろうか。天は、それを奪う事は決して無いと思ったりもする。誰でもその加護と運を受けたいと思うこころは同じだからである。
そんな気持ちも都会ではその御利益を期待してしまう正月元旦以外は、殆ど持ちにくいのかもしれない。恐らく、そこに待ち受けるのはコンクリートとアスファルトと淀んだ空気の洗礼に継ぐ洗礼であって、希望が霞みやすいのかもしれない。そう思った。その生活感には、人間が作り上げたモノだけがさも当たり前の如くに存在していて、自然がそれに勝てていないのが日常である。しかしながら、時としてその逆が起こる時がある。それが、一番畏怖を失った現代人への最大の恐怖であったりするのか。
ラインは、何れも長い距離を擦っていた。傷だらけである。PEラインならば即殺だったのであろうか?未だPEラインの方が全てにおいて強いと信じている人が多いのには驚きだが、事実は事実として受け入れるしか方法はない。私は、釣糸の伝道師ではないのだから。何れにせよ、根擦れとの闘いになるのは、この釣りに於いては命題であろう。はたして、ラインメーカーの必死の説明というものは、一般には伝わらないのであろうか。恐らくは、伝わらないのだろう。
OKUMA
ANDROS 12Ⅱa
台湾を代表するリールメーカー
良くできている台湾製である
新年あけましておめでどうございます ― 2026年01月04日 09:40
今年もたいへんお世話になりました ― 2025年12月31日 17:55
蓑魚のゆくえ特別番外編2 ― 2025年10月28日 21:03
蓑魚のゆくえ
特別番外編-2
四万十幻想
川は眠らない
今日も明日も眠らない
それが絶えても変わらない
闇に溶けても、声を失わず
砂礫に記憶をかき消されそうになっても
石の記憶を撫でながら
その岩の如く
永遠なるその普遍流れと共に
その真実の
次の語り部を待っている
冒頭の川は眠らないという言葉はかの文豪の“河は眠らない”という著書が無ければ思い浮かばなかった言葉である。それは、素人がいくら考えてもそのような表現には至らないということになるのだろうか。想像するに、その文豪がこれに向き合った釣りと執筆をしていたならば、それは超大作だったに違いない。あるいはそれが短編であったとしてもかなりのインパクトを与えた作品になったにちがいない。それは、容易に想像がつく。ただただ文豪がその昭和にトライできなかったのがとても残念に思えてならない。もしかすると、その時代に企画が上がらなかったのは、彼のスタイルにあった釣りで結果を出そうとするとこれは困難を極めるし、長期に至るリスクを敬遠してのことだろうか。いずれにしても、もう文豪は故人であるのでそれを聞くこともできない。
もし万が一にも彼が四万十川へと足を延ばしてそれを行ったなら、そのタックルは容易に想像がつく。ZOOMのヘビークラスにもちろん十八番の両軸リールだろう。開高健つながりと言えば皆さん、すぐにAbuのAmbassadeurを思い浮かべるだろう。その昔、私の旧友は、かつてのそのABU製品の輸入総代理店であったエビスフィッシングのMR.DONに6500Cのコンボで四万十の蓑魚クラスを釣った。それは20㎏を超えていた。もちろんナイロン30Lbにオリジナルルアーでの結果だった。現在の国産高性能ベイトキャスティングリールからするととても貧相に見えるが当時としては、ベイトタックルでとなるとベターな選択だったと思う。当時は、ベイトでやっている人はほとんどおらずもっぱらスピニングだった。当然専用タックルなどそんなマイナーな魚にある筈のなかった。いいとこシーバスタックルのヘビークラスがやっとの時代である。もちろんリールはpeラインに全く対応していなかった。先述の開高先生もきっとこのクラスのリールを使ったに違いない。
満月の大潮、月が昇る。
闇夜の大潮、そこに月は見えない。
その当たり前のそれを幾度となく繰り返してきたのだろう。
その長い歴史の中で彼らは、我々よりもそれを繰り返し見てきたのだろう。そして命をつないできた。
だが、今我々はそのような長い歴史と命、それらを我が物顔で踏みにじっているのだろうか。
最近は、それを神の使いとも神の魚とも呼ばれない。そこには、尊厳も畏怖も信仰も何もない。ただその疑似餌の対象魚でしかないのだろうか。それは、時と共に進化し続ける高性能リールと高性能ラインと驚くほど大きくかつデジタル設計されたルアーという疑似餌だったりする。そんな無機質な疑似餌達とその釣り人の前にはもはや、神の魚の勝ち目はあまり残されていないだろうか。それでもその太古より備わった強靭な顎の骨は、抜くことが極めて困難である。いや不可能に近いほどの硬さを誇る。また、その強烈に太い尾柄部と尾鰭とその筋肉から繰り出す豪快はジャンプと鰓洗いは、キャッチすることがコンプリートという観点からすると、勝負は最後まで分からない。
その硬い顎は、強力に科学研磨された日本製針をしっかりと突き抜けられるのか。無論突き抜けなければ意味はない。となるとそのポイントは、その釣りなるものを経験したものだけが知ることとなる。“掛かりどころ”それは、釣果にとっても獲物にとっても極めて重要である。所詮トレブルフックではその掛かる場所をフロントとリアフックの両方で捉えない限りその捕獲率を下げていくようである。その体の全身を蓑で纏ったようであるとのことからそれは蓑魚(ミノイヨ)と呼ばれてきた。しかしながらそれを知る人も最早少ない。ただただそれは、その眼が赤く見えることからアカメとなってそれが標準和名となり、その俗に言う正式名称と呼ばれるアカメがいつのまにかその欲望の端の獲物としてのアカメと呼ばれるようになった…とまでは断言できるのかどうか結論に至っていない。
そう言えるかどうかはその人次第であるが、なんとなくそう思えたりするのはその神の使いの位置からの転落がもたらした意識の没落からの故なのだろうか。いつから人はその神とその使いを恐れなくなったのだろうか。神の魚は、もう神の使いでもなんでもない、ただ怪魚として雑に扱われて行くのか。怪魚という名の崩壊なのかはまだそれは分からない。判らないので、もはや神の魚ではない家畜の延長線上の産物まで落ちていくのか。それは彼らの地獄なのかどうかもそれは知る由もない。神が神でなくなってしまった時点でそれはもう彼らの地獄なのかもしれない。たかが魚と言うなかれ、かつては神の魚であった。そして未だそれを神の魚としている人も存在しているのかもしれない。その数は決して多くはないだろうけれど。
月竿の誇り
日の丸と四万十
現在(2025年)においてもデザインこそ変わってしまったが
ジョージアオリジナルコーヒーもマックスコーヒーも健在である
ある面脅威のロングセラーである
既に周知ではあるが、マックスコーヒーの創業者は現在と異なる
「おお、おんしゃあアカメしっとるんかえ!」
「だいぶ前じゃけど、わしの船のしたにがいにふといアカメがついちょったがや。」
「ざまに太かった。」
「140をこえとった。」
「突いて上げたら、おばちが下へついたぐらいざまにふとかった…。」
それを話してくれたお世話になった人は、若かりし頃桂浜水族館に勤めたことがあると聞いた。それは意外だった。どうやら銛で突いたらしい。それは、釣りではなかったがそんな大型のアカメが昭和のその時代にはまだまだお目にかかることもあった時代なのだろう。
それが1960年代なのか70年代なのかは聞いていない。
「あんちゃんらぁ、わしは海軍で鍛えちょったけぇそこらへんのやつらにはまだまだ負けんどぉ。」
「鍛え方が違う。」
「まあ、コーヒーでも飲んで…」
と言ってはジョージアのオリジナルミルクコーヒーを出してくれた。それはとてもとても甘かった。甘過ぎた。それを筆者はもう何十年も飲んではいないが、恐らく千葉県民のソウルドリンク?と称されるMAX COFFEEと同レベルだったように思う。人生はそんなにも世知辛いのに…なぜジョージアはそんなにも甘かったのか、MAX COFFEEは未だ加糖練乳と砂糖マックスが健在なのか。なぜその初老の先生はとても優しかったのか。
「アカメ?ミノイオかぁ…若いころはなんぼでもおったがのぅ。夕方涼みよったらざまに太いがおったがのぅ。」
それは、彼が戦後故郷に帰った1940年代後半なのか50年代なのかは分からない。聞いておけばよかったと思うこの頃である。
「最近は、あんまりみんようなった。」
「コーヒーがあったかって?」
「ああ呉の海軍にはあったよ。」
「ふつうに美味しかった。インスタントなんてない。」
よくコーヒーを飲みながら戦時中の話、特に呉の海軍兵学校に居た頃の話を聞いた。それだけ当時は生きるか死ぬかの選択の中で生きてこられたのだろう。
故のやさしさは、本当の厳しさを熟知しているが故のやさしさというものを知っておられたのかもしれない。そして、そんなある日のこと、ちいさなその街の午後
「焼き肉を食べに行こう。」
と誘って頂き、ご馳走になりすっかり甘えてしまった若い頃を。
もうその肉の味もその店のタレの味ももう思い出すことはできないし、その店が今もあるのかないのかも分からない。ただそのやさしさの味は忘れてはいない。そのやさしさは、やはり死闘の中の平和を誰よりもわかっているからの他ならないのだと思う。その平和を熟知している人の一人ではないかと思う。
学校で先生から教えられたことよりも何倍も何十倍もいや比較対象にならないくらいその重みは違うと思った。それは、黒板に平和と書かなくても・・である。教育者は、その重みと深みも加わったほうが間違いなく良いとは思うが現実は、その薄い紙のページと黒板ですぐに消される重みと深みが現実なのかもしれない。あの時の大先輩、どうもありがとうございます。
先の大戦以来、80年も我が国では戦争をしていない。先人の粉になるまでの玉砕と戦闘、死闘、それら戦いの犠牲の上に成り立つ報酬なのだろうか。それは誰にも分らないが80年もの間に戦争または戦闘に巻き込まれたことのないという国はそう多くはない。むしろ極少ないといってもいいだろうか。世の人々の中には、平和、平和と叫ぶ人や団体は多いけれど、わずかな平和を勝ち取るために多くの犠牲の上に成り立っているのかを考える人は、そう平和という言葉だけを一人歩きさせない。戦争と平和は常に表裏一体の歴史な気もするのは私だけなのだろうか。戦後は、誰もがそれを否定してみたがどうやら戦争や紛争は終わっていないようである。そして今現在もその戦闘に巻き込まれて真の平和を願っている人は多い。それを現実と取れないのは、80年とう月日がそうさせたのもあるだろうが、どうもそれだけが原因ではないのだろう。
そんな争いを川はずっと見てきたかもしれないが、それは関与していない。その流れに偽りはない。
清流の中にその蓑の如き鱗を纏うミノイヨ
それは老成魚とも呼ばれる歴史を刻む
それから30年もあっという間に過ぎていった。30年という時間は、人のそれには当然かなり長い。述冒頭の話の主も今は故人である。その優しかった長老も故人である。その四万十川で一緒に釣りをした親友も若くして既に故人である。その1の岡田光紀先生も故人となって久しい。それだけ無常にも時は私の親しい人をこの世からあの世に連れ去っていくと思うと次は誰なのだろうか、あるいは私なのかと思ってしまう。
大型になるとその皮膚は厚く鱗も大きい
その骨は、はやり硬い、硬いのだ
私が学生時代の1980年代では、釣りキチ三平の四万十川の潜水艦と呼ばれる巨大アカメと三平、中村の町でのストーリーも既に終わっていた頃であったが、それの影響をみても一般的にはとてもマイナーでマニアックな魚だった。それは現在のSNSスピードからすると異次元である。
当時水産学部という枠組みの中にいた私でもそれを知っているのは数人だった。当然ながらそれから40年も過ぎて2025年ともなると矢口高雄も釣りキチ三平もはるか過去のことで多くの平成生まれの釣人はそれを読んだこともないのだろう。しかし、よく潜水艦という名前を付けたものである。さすがに4mの特大潜水艦は、幻想をはるかに超えた大きさなのだが、もし仮に本当に居たらそれはそれで楽しいけれどその半分の2mでさえ今のところ上がった記録はない。また当時の矢口先生にも三平にもルアーという疑似餌で釣る発想はない。そこが同イトウ編と違うところである。
「平野、四万十川へアカメを釣りに行こうぜ。」と言った当時(1989年頃)の同級生は、今頃何処で何をしているのだろう。そこが高知であること以外何も知らないその時に。そして、その彼の誘いのその後はというと全く分からないし、実現していない。いや既に絶望的に実現しないだろう。また、その当時の恩師もすでに故人である。
人は、その時多くの約束をするがそれが実現することは決して多くはない。いやむしろ忘れ去られていくことも多いのだろう。常に現実は、明日への希望を打ち砕いてしまい、それを地に撒いてしまう。全く無常とも言え無慈悲でもある。
蓑魚の行方本編を掲載する前に番外編の方がすでに今回で2回目となるのは今現在(2025年晩秋)の私にも5年いや10年前の私にとっても以外だった。20年前の私はどうだろう。そのことすら掲載する気もなかった。最初の原稿が1993年くらいと考えると短くもちっぽけな人生なことに悲観してみたくもなったりする。
そしてそれは未だ幻でもあり、幻想でもある。
ゆくえ知らずの幻想に過ぎない。
その幻想の中の幻想に救われたいという思いが駆け巡って行くのだ。現実は、常に辛かったとしても。それは、消えることのない幻想なのだ。それは、逃避なのか。
それは、まさに釣り人が描く妄想なのだろうか。幻という名の幻想なのだろうか。そこに怪魚なる言葉は似合わない。全く何が怪しいのかも分からない。
2024年友人の釣ったストライパーと
新型CT702-FTS-20 RED MOON SP
ストライパーとの相性もとても良い…それは40Lb超えであっても
ストライパーは、日本のスズキとは異なってより大型化しパワフルかつとても人気の魚である。
ただし私が経験した中では、ジャンプすることはなかった。
月竿のリアルダブルラッピングとシングルラッピング
昨今は、簡易ダブルラップ仕様の竿も多いらしい
簡易なのはいいとして、通常の工程を踏んだダブルラップと一緒にされるのは職人としては少し心外でもある
四万十川よ、眠るな
それがあらゆる人の手で蝕まれても
あらゆる物理的、科学的汚染されても
その砂礫の流れの記憶の中にも
四万十幻想交響曲
それは、突然やってくる。
その手は、誰の手なのか。
その人が誰なのか。
まさか、神の魚が選ぶのか。
神の魚ではなくなったのに。
そんなことはないと思いながらも蓑魚伝説を現実に換えたい人達がいる。
極まれにそれを実現しようとする人が。
蓑魚は蓑魚、四万十川でなければならないともないだろうに。
それは、たまたま訪れるかもしれないし、狙ったから訪れるかもしれない。狙ってとれるならば誰もが狙うだろうが、それには時の運も左右することを知っておくべきである。そうなると運はとても重要な条件になるかもしれない。幸運なのか不運なのか悪運なのかは選択できるものだろうか。それは、また信じるものが救われるという信仰と神への畏怖の上に成り立つのか立たないのか、それを知るのはそれを勝ち取った者のみへの特別な問い掛けでもあるのか。いやいやそれは単なる妄想であって現実は、ハイテクな道具であっさりとやっつけるものであると若者は言う。そしてそれを引きずり上げるだけ。それだけのモノ、それだけのネタとしていいのではないか。はたまたそこまでは言わないがただの釣り。それだけ。それはそれで寂しい限りだと思うけれどもそれも本人の自由だろう。世の中は。その場当たり的画像か映像に重きをおきつつあるからか。撮影自体もただのデジタルなのか、フィルムという過去の遺物に捕らわれない今の価値観なのか。それは、私には分からない。
たしかに突然やってくる
狙いがそこでなくても
それは誰も判らない
選ぶのは神なのか神の魚なのか
ただの怪魚と言われる見世物なのか
四万十の蓑魚老成魚
その赤い目で河を見続けたのか
はたまた一度も人の針にかかったことはないのか
とても気になるが聞くことはできない
それが判れば神の使いは本当なのだろう
潜水艦は、夢のまた夢
多くは夢で終わる
儚き幻想
四万十の幻想
137㎝はあまりにも特大である
それは潜水艦なのか
まだまだ潜水艦ではない
それは幻想
それは137㎝という人生のレコード
誰もがそれを手にすることを希望するが
それを手にするものは、ごくわずかである
それを選ばれた人とするか偶然とするか
幻とするか妄想とするか
現実とするのか
あなたの未来を切り開く唯一の釣竿
それが月竿でありたい
今日それを出す人にも明日出す人にも
未来に出すひとにも、月竿はともにいる
祈幸釣
あとがき
わずか10㎝にも満たない彼らの仲間から、あのミノウオになる
丁度わずか一年後に特別番外編その2をアップするとは思いもよりませんでした。もっと先になるいやもうないかもしれないと思っていた矢先、それはいつも突然です。もっと早くアップするつもりでしたが結局今となってしまいました。書きかけては途中までのものが今書きかけのファイルと日増しに薄らいで行く記憶の様を時は待ってはくれずまた過ぎていきます。今回は、私が若い頃、その眼に焼き付けてきた四万十の情景とその昔の話。また、少しの間だけその情熱を注いだ四万十川での記憶とその後の経過を交えて少しだけ断片的に書いてみました。
また、今回の本来の主役、一気に飛び越えてレコードをたたき出してくれた高橋氏を心よりお祝い申し上げます。今までも何度も申しおりますが、チャンスは等しくの話です。人生の中でチャンスは等しく与えられているのかもしれませんがそのチャンスを幸運に変えてさらに、それが目の前の現実として現れることなどそう多くはないとおもいます。むしろ人間不幸を呪うことも多々あるでしょう。月竿は、そんなチャンスを少しでもものに出来るようにお手伝いすることができたらと思い1本1本手を抜かずこつこつと丁寧に仕上げて参りました。そんな平野屋謹製月竿が幸運をもたらすラッキーな竿であることは、それを手にした方にしか分からないのかもしれません。そのうちのその何人かは確実にその人生のチャンスの一つを掴んでいることでしょう。それは、私が23年前に独立した理由の一部でもあったりします。しばらくハードコアな夢ばかりを追い続けることにすべてを投入してきましたが、年齢に伴う身体能力とその立ち向かう気力も、どうやら過去のようです。あとは、それはマイナーだけど知る人ぞ知る奇蹟の竿と呼ばれるようになれたら…本望かと思ってはおります。そんなバカなことばかり言いよってという方もいらっしゃるかもしれませんが、そこは大目にみてやってください。実に釣りなどという単なる趣味程度、娯楽程度と考えてみると、儚くも空虚なものですが、ひとたびそれをその先の戦う主戦場にしてみると少し見えるところも体験する感覚も異なるのは誰でもそれを経験した方ならばおのずとお分かりかと思います。また、ここまで辿りついて幸いにも月竿を手にしたユーザーの皆さんには心より感謝申し上げます。あなたがより幸運な釣人であることを願います。さらに、手にされた方は幸運がいつか訪れてくれることを切に願います。また、当初よりこのブログを読んで頂いている方にも真に感謝申し上げます。以前にも釣りは好きだけれどあんたの言っていることは良く分からんし、書いてあることの良く分からないその特殊な専門用語はもう理解不能と言われたことがあったりします。そう、好きという感覚にはその人によって案外大きな開きや温度差があります。傍から見ると、「あの人は釣りばかりしている、うちの旦那は相当の釣り好きなので話が合うと思う。」と言われたことがあります。そうその通りなのかと思いきや、そうでもなかったりします。そこはその人の感覚が大きく異なる他ありません。
あとどれだけこのようなことを書くことができるのか全く分かりませんが、あまり期待せずお待ちください。もしかしたらその3が追加されるような140クラスの弩級の蓑魚老成魚があなたの手に収まる時がくるかもしれません。単独または2人組では、それの重量を計量することはもはや至難の業でありますが、もしかしたらその伝説に迫る100Lbクラスにであうかもしれませんね。それも伝説を呼びこしてきた四万十川で。それはあなたかもしれません。たぶんそれは私ではないことでしょう。もしかすると、既にその時私はこの世に存在しいないかつての友人たちのところなのかもしれません。そんなこと若かりし頃は、ほとんど考えなったとことです。
筆者が愛用していた師匠作のFISHERMAN
AKAME9一号機と星条旗はためくPENN SPINFISHER Z 5500SS 6500SS
当時としては、最高のドラグの滑りとその金属的サウンドで玄人を魅了してきた
それが静寂の四万十川で鳴り響くと
心も同調して鳴りやまない
もてる魂の釣竿
月竿
1990年代初頭筆者のタックル
6500SSはのちにCCMチューンしてある
ベイルリターン問題は常に我々の悩みだった
遠い過去の四万十川と私、親友
2025年10月吉日
その3へつづく…かもしれない























































































































































