儚き偶像の行方2011-後編番外編- 3 ― 2019年08月24日 14:53
朝夕は若干過ごしやすくなった房総です。
中学の頃から釣りを教えていた子が帰省したので久し振りに一緒に釣りをしました。
近くのコンビニによると、明りにカブトムシやクワガタが良く居ますがこの日は無残にも車に潰されていました。
ここのところ更に体力の衰えを感じます。
特に視力は落ちまくってます。
その後の701-umLB5pと言う名のブランクス
不変のライブベイトアクション
2006年6月の東海岸のケープメイでのLB5P、真意を発揮する場面。
ガイドはオーシャンガイドMNSGガンスモークカラー
底の上を横走りする感じだった。
ドラムフィッシングに、投入したLB5pでファイト中を撮影する。
当時は、なかなか今(2019年)のように、簡単にアクションカメラやドローンなどの技術は一般的では無かった。
ハイビジョン撮影が限界の中動画を撮影した後、編集したものを服部名人に観て頂いた。
名人と師匠以外の他同席者は、さほど関心もないようだったが、名人だけは違った。
食い入るように拝見され、その眼は、まだまだ探求心に満ち溢れていた。
製品化したいとの事だったので、よほどこの701-umLB5pがその目に留まったのだろう。
同5pのハードガイド仕様(富士ハードガイド)で早々ライン破断する事もない。
この程度の魚(20㎏)でも上がる。
富士ハードガイドは昭和時代の主役であったと思う。
バットからベリーにかけてはまだまだ余裕がある。
ブレイデットライン使用で力強く巻き上げる。
その先のボートもドラム狙いである。
竿は何度も曲がっていた。
その巨体の割には繊細なアタリから始まるブラックドラムである。
701-um-LB5pは、真価を発揮した。
2008年度のイレギュラーモデルコルク仕様にRECのAluminum seatを使用。対キハダ用
その後の行方は、月竿のライブベイトアクションの流れに加わる。
5pの後、7p、7xp、9xpまで展開されたが、7p、um7xp、um7xp-KVGはイシナギクラスのライブベイトフィッシングにも最適であった。
イシナギとスタンダップで対峙するLb7P-kvg
10㎏近いテンションでもまだ粘り切る。
このスタイルは日本の沖釣りでは今だ定着しないし、今後も主力になる事はないだろう。
電動リールやウインチという我が国独自の釣法に基づく広報や製品が一般的に受け入れられる。
その、娯楽性と継続性が高ければ高いほど、営業的にも戦略的にも理に適っているからかと思う。
2017年3月に上がった師匠オリジナル設計ブランク。
701-umLB5pオリジナルブランクでの仕上げ。
上記M1295 MOON/HARRY'S701-LB5P Stand upと同じ設計ブランク。
富士T-DPS20にALPSアルミスリーブ&ナット仕様でラークなどの置き竿に対応したモデル
東京湾、相模湾のコマセワラサ等々に使うと言う要望だった。
ダブルラッピング仕様/ナルトトリムゴールドシルバーライン。
トリムは、ナルト仕様
オーダー希望は、ラークでのホルダーポジションセットに手持ちファイト基本だった。
ここでオリジナルブランクは終わり、
2017年後半に同じ設計でリファインされたものとして引き継いだ。
新型701-umLB5pのムーチングアクションに近い粘りを体験してください。
あなたの釣を豊かにすることでしょう。
名人と師匠40年の親交と共に捧ぐ
2019年8月吉日
楽園の終焉2011-Ⅱへとつづく
儚き偶像の行方2011-番外編心の追記 ― 2019年08月21日 17:07
こころの追記
昭和の名人が残したもの
手紙の竿 赤と青 組み立ては私(月竿)ではない。
TIP穂先に近い部分/富士工業肝いりで発売されたLDBガイド
現在でも人気のガイドではある。
中央は、Harry’s Customのベースとなったもの
原案とも言うべき竿は未だ組まれていないままでいる。
朱色は本漆である。
服部名人直筆のコメント。
もう1通ある筈のものを探してみるが未だ発見できずにいる。
まさに昭和を代表する、釣師であった。
しかしながら、平成が進むにつれ、その名前も徐々に平成生まれの釣り人はよほどの事が無い限り、その名前も経歴もその釣り人生も忘れられて行った。
極たまに、ああ沖釣りするおじいさんがいたなぁ・・という感想程度に世代の交代を感じたのである。
それは、アブ社だけとってもエビスフィッシングからオリムピックやマミヤOP~と流れて行き、未だ流浪の民になりつつある誇り高きスウェーデン製のものが無くなるにつれて寂しい気もするが30年、40年と経つと釣具会社など、風前の灯火であったように思える。
令和となると、平成に置き忘れたようになってしまったのは、過去を振り返らない次世代の話に移行するのだと思った。
まさに、歴史とかに左右される事のない、たかが釣りと言う名の娯楽化ばかりがもてはやされる時代の流れなのかもしれない。
筆者は、二度程名人宅にお邪魔した事がある。
最寄りの駅まで来ると、名人の愛車で自ら運転して迎えに来てくださった。
私の師匠が、名人宅に行くから一緒について来いと言うので同席したのが始まりだったのだが。
名人は、多くの人と接する事が常だと思うが、師匠は別格らしく丁重にもてなしてくださった。
何せ、1970年代からの付き合いであるのだから。
その晩、名人宅にて師匠と奥様と4人で会食したのを今でも覚えている。
奥さまも、本当に笑顔が素敵でした。
名人は、なんとおさかなを食べる事がそう得意では無かったと言う事実に、少しばかり驚いた筆者だが、師匠はと言うと、40年来の付き合いなのでそれを良く承知していた。
その晩のディナーは、お寿司が並べられていたが、名人の前には、マグロの赤身一色のお寿司が鎮座していた。
何でもマグロ赤身だけは食べられるとおっしゃっていたのを思い出す。
奥さまが、笑顔でお話しするのを聞くだけだった。
その後、名人と師匠が、世界中を駆け巡った話をその横で聞き、楽しい夜を過ごした。
カナダのキングサーモンのムーチングの話は、楽しそうだった。
ダイワ精工のバイキングと言うリールもカナダダイワ1番の名品だったらしい。
そのような、釣りも日本では顧みる事はないけれど。
終わりに
磯、船、ルアーからなんでもこなすスタイルは、今現在殆ど見かけなくなりました。
名人が今現在の私の歳かもっと若い時に出会う事ができたら、と思ってもみます。
名人ほどの方でも、その歴史には殆ど記される事もなく、天才だった師匠の事を話す人も殆ど居なくなりましたが、本来ならば名人のこの話も続く筈でした。
それももうかなわぬ夢です。
真に紳士な方でした。
そんな方は、今の釣業界には多くはいない、いや殆ど居ない気がします。
名人と師匠のその全盛期は1970年代から1980年代半ばだったのだと思います。
道具はどんなに進化し発展しても、その間の対象魚は進化していません。
それは、誰もが認識する周知の事実です。
昭和から平成、そして令和。
何時の日か、釣りと言うものが道であり、その高尚な趣味であり、スポーツとして復権する日を夢見ています。
それは、名人と師匠、私の夢でもあります。
儚き偶像の行方Ⅳへと続く事が出来ればと思います。
西海岸のロングレンジ、カナダのキング、スチール、当時は秘境であった頃、尖閣諸島から、地中海、その世界を舞台にした釣り人生は、多くの日本人に夢と希望を与えたに違いない事でしょう。
名人も師匠も今はこの世には存在していませんが、良き思いでは私の中に生きています。
嘘も偽りも、傲慢も虚偽もない、そのままの方でした。
それで初めて名人と呼ばれるのではないでしょうか。
釣り名人、釣師と名の付くものを目指すあなたに捧げたい。
儚き偶像の行方2011-番外編 ― 2019年08月14日 08:45
名人は本当に名人でした
ありがとうございました
M1295 MOON/HARRY'S701-LB5P Stand up
Warasa
Custom 2004/06/25納品
2004年当時の撮影なので画素数はかなり低いです。
今年の異常な暑さからまだ解放されていない夏の終わりの頃にそれを知った。
名人が名人たる所以は、昭和と言われる戦後から更に我が国が先進国へとまっしぐらに進んでいる頃
そして、旧D社が世界進出を積極的に展開している頃の話であった。
唯一と言ってもいいほど、世界中の釣りを紹介する番組に皆心躍らせたに違いない。
当時、海外旅行は庶民の余暇には余りにも贅沢すぎたし、当時のドルは世界最強であって円などとるに足らない時代だった。
そのような昭和の高度経済成長期は、名人と共にあった。
その後名人と名の付く釣り人は現れていない。
ここでいう名人とは、そう服部善郎名人の事である。
当時釣りでここまで世界中を歩き、それを日本の釣り人に紹介した人はいなかったと思う。
そんな名人も今年の8月の終わりが近づく頃御永眠された。
以前お会いした時、話の流れの中で
「やあ、もう一度ロングレンジに行きたいねぇ。」
「ねぇ○○○ィ・・・。」
「じゃあ今度は三人でロングレンジにいきましょう!」
と私の心も便乗したのであった。
私の師匠ももう高齢になりつつあるので、いつかロングレンジの夢をまた果たしたいと思った。
「君たちのジェネレーションはまだスポーツフィッシングのなんたるかを理解してくれる人も多いけれど、一昔前の人はその概念をなかなか理解できなかったから大変だった。」
そう言われた。
本音だと思う。
ドラグの使い方すら知らない当時の日本人から始まって、セネターのドラグから煙が出て9時間の格闘の末にあげた超巨大ブラックマーリンの話など・・・・・
その時の話は1時間くらい続いた。
また、最後に
「勝浦か・・・もう行くこともないなあ。」
その理由をお聞きしたが詳細は解らなかったままになってしまった。
そのことに関しては名人も多くは語らなかったが、なんでも地元のとある旅館と相当揉めたらしい。
よほど、勝浦でのその一日が嫌だったのだろう。
二度と行く事もないと言う名人のお言葉だった。
名人のロッド製作に関するコスメの指定は、「コルクグリップ&ブラックスレッドが好き。」
そのお言葉だけであった。
これは、名人のこだわりの部分で、HARRY‘Sという銘には必ずコルクグリップにブラックスレッドの基本カラーであると言う。

当時は、「リールはアンバーサダーだね。」
このころ末期状態になるアブには、EONと言う機種がなんとかかんとかまだ存在していた記憶があり、それを名人宅で拝見もしたと思う。
流石は昭和のお方。
当時あのすさまじく高価で、庶民のしかも子供風情が手にするにはほど遠い超高級舶来リールであったが
40年以上も前からお使いになられていたのですね。
今はひたすら過去の名声を喰い潰す側になってはしまいましたが。
謹んでお悔やみを申し上げると同時にきっと天国に住んでおられる事を祈るばかりである。
名人の釣りは、昭和の若者や子供達に世界への夢と希望を持たせてくれました。
またその節のご無礼を何卒お許しください。
名人本当にありがとうございました。
M1288 HARRY'S 702-UM1 Mebaru Custom 2004/04/12
もう名人の手元にも私の手元にも無い。
MOON/Harry‘s Customはわずか数本の生産で幕を閉じた。
もう永遠にHarry’s&MOONは存在しない事になる。
メバルを春告魚と銘々したのは名人であると直接お聞きした。
これには、私の中の衝撃だった。
儚き偶像の彼方-Ⅲ-7 ― 2019年08月05日 16:29
そして台風も。
海岸線の全く見えないオフショアラインは、やはり最高です。
それからの“おおな“は
2017年の偶像崇拝
上段の青い竿2003年製のTUNApのコートは試験的に、
現在とは異なるエポキシを使用した。
かなり硬目のもので、月竿には向いていない気がした。
しかしながら、このTUNApは、完成まで使用した。
長年愛用してきた、本編にも多用されているM661-TUNApは、月竿の主力でした。
2003年のM661-TUNAオリジナルから、M661-TUNApへと移行し改良されてきました。
ある面マルチパーパスに使えるこのブランクは、師匠の名作でもあります。
そしてそれらは、月竿を支えてきました。
近年のマグロブームが興るその何年も前から、ずっと製作し続けてきました。
日本では極数少ない船宿と協力店のお蔭で、それもコツコツと製作し続けましたが、マグロの他
にこのイシナギ釣りでも2003年から活躍して来ました。
リールシートとギンバルは、当時まだUSA製であった
Perfection MB-16&ball Gimbal
この竿(一番上の青い竿)は、2003年製作から2016年プチレストアをして13年振りに少しだけ衣装を替えて更に今でも活躍しています。
現在は、私が使うよりも貸し出される事も多くなりました。
ブランクは、2002年のオリジナルからその後素材の変更に伴い、アクションはそのままのツナレギュラーアクシションで、パワーだけ若干あがりました。
それでもまだ、ちゃんとした支持があるだけこのM661-TUNApを排除する訳にはいかないと思います。
マグロと言う存在が、急激な進化をしない限り。(しないと思う。)
最上段がM661-TUNAp2003年モデルのレストア後の姿である。
ガイドは、まだ現役のFuji RSGフレーム。
そのフレームは真鍮製である。
このガイドは、2003年当時まだ販売されていた。
下のグレーは、701-SU20 Tuna casting仕様
その後、偶像さえ、儚き夢になりつつある。
儚き期待も、消えていった。
それでも偶像は、有り続けようとしている。
儚き偶像の行方Ⅴは、簡単にでも書き留めておかなければならない
と少し思うこの頃である。
マグロを知り尽くした師匠のアナログ設計661-TUNAp永遠なれ。
2017年12月20日
儚き偶像の彼方-Ⅲ-6 ― 2019年07月30日 17:10
終わりに添えて
とってもかわいいサイズのちびナギ
30㎝以上の活き鯵を丸のみだった。
今年はこの小さなチビナギクンからスタートした。
胃袋には40cm程度のサメが入っていた5.8kgのチビナギ。
水深は120mダチ
そんなこんなでこの夏は、イシナギ中心の釣りではあったが、心の平安はいつもなく、明日どうなるかともわからぬ心は、日々との戦いであった先進国が抱える悩みはいつもそのようなものであろうか。
これが明日食べるものがなくて、あるいは、明日撃たれて死んでしまうかもしれない恐怖と隣り合わせの毎日を送る世界の2/3の人々の事を思うと全く極めて贅沢な悩み話である。
今年は、日本人自殺者よりも急成長するお隣韓国のほうが多かったという事であるが、悩めるアジアの人々の中でもっとも贅沢な国の中の2つに入るのではなかろうか。
愚かな人間でたかが職人風情と言われても仕方がない事ではあるが、それでも考えてしまうのは仕方のない事である。
過去にとある人から言われた事がある。
「お前だけがそのような事を考えてどうなるのか?」
「お前は小石川療養所か?」
「その行く先々の貧乏人の事をいちいち・・・・・・・・」
とある遠征釣師に言われた事があるが、世界中を歩く遠征人の中にも考えは極めて心の狭い人はいるのが本当のところなのだろう。
彼だけのせいにするのも、なんとも不憫に思えた。
また名人というには、宇宙の果ての向こうにありそうな若者に
「釣りの事で解らない事があれば何時でも聞いてください。」
「はっきり言ってデータも持っていますから。」
などと言われ、蔑まれたが、それも己の小さき器の代償と受け入れがたきを受け入れた。
その目をじっくりと見ようとしたが、彼の眼は焦点定まらないかの如く泳いていた。
その二周り近く年下の彼から見下すようなあの顔が浮かび、忘れては時々思い出す。
その彼も今や社長さんである。
世の中の理不尽さを感じつつ、それを受け入れなければならない。
現在の日本は法治国家であって、人情沙汰などあってもその場で切り倒す事などまずあり得ないが、腰に大小を持ち合わせていた時代ならば、即袈裟がけで真二つになっていかもしれない。
2011年は様々な出来事があり、10月は、独裁者の40年の長き渡る支配も終焉を迎えた。
その最後を映像で観るにつけ、こうも悲惨な結末なのは歴史の通りなのかもしれない。
未だ世界は、混乱と貧困と飢餓にあるのは誰もが知る事実である。
そのような中で自由に発言し、国家という後ろ盾のある人間という保証があるのも過去の先人達が築き上げた土台の上に成り立っていることを改めて認識した。
2012年はより平和が訪れている事をひたすら願うのであった。
2011年10月24日
儚き偶像の彼方-Ⅲ-5 ― 2019年07月19日 16:19
本日19日午後から少し晴れ間が見えました。
その5-2011年8月19日
悪魔の飽食なのか?
絶品とされているイシナギの刺身だが、その巨体故遊漁では
なかなか処理が難しい。
遂に憧れのイシナギを食した。
一見スズキとイメージしたものの、身質、食感、味、それは全くの別物でした。
美味しそうな昆布〆。彼の得意技らしい。
身を切る触感はとても柔らかいながらも、筋繊維がしっかりしており、日数が経ってもコリコリ感が劣る事はなく、また熱を加えても身崩れする事なく、プリプリ感
(例えるなら、エビや鳥モモ肉のような)が味わえるので、どんな料理でもしっかりとした歯ごたえだった。
刺身、しゃぶしゃぶ、昆布〆、漬け、塩焼き、煮付け、揚げなど、・・・何にしてもパーフェクトな魚で、その中で私が感動したのは、「昆布〆」であった。
昆布を敷いて3日ほど寝かせた身は、昆布のうま味を吸い、かつ味わい深くなっている。
一般的に魚身は時間が経つと柔らかくなるのですが、イシナギの身はこのコリコリ感を残したまま、味わいが深くなっていくのだ。ちょっと大げさな言い方かもしれませんが、究極の魚料理がここにあった。
私が知るイシナギは、肝臓にはビタミンAを多く含んでおり、その肝臓を食べるとビタミンA中毒(症状としては頭痛や吐き気、皮膚が剥がれる)になるので、1960年に食品衛生法で、肝臓の販売は禁止になった。
イシナギに問わず、サメ、大型魚、老成魚などの肝臓はたくさん食べない方がいい・・・というのが定説だが、特にイシナギの肝臓には、魚類の中でもスバ抜けてビタミンAを多く含んでいる。
ここで補足しておきたいのは、「ビタミンA」とは、生きる為には絶対に必要で、成長、粘膜や皮膚再生、免疫力UPに欠かせない化合物であるということ。
過剰摂取は先ほど述べた通りですが、逆に欠乏すると夜盲症(鳥目)になったりと、多くても少なくても体に良くないという事ですね。
よくビタミンAの欠乏による夜盲症の薬として、ヤツメウナギの乾物を食べると良いと言われており、これもイシナギ同様、ビタミンAを多量に含む魚であるからで(含有量はイシナギと比べると少ない)、もちろん頻繁に食べると中毒になる事は言うまでもない。
イシナギの「食」に関して、ほとんど知らない事ばかりで、魚人生を歩んでいる私にとって本当に良い経験をさせてもらいました。
儚き偶像の彼方-Ⅲ-4 ― 2019年07月15日 09:56
例年の日差しや暑さもなく、毎日降り続ける雨に嫌気を通り越して、心までカビが生えてきました。
それでも賑やかに魚でも遊んでくれればと思いますが、それもどうやら期待はでいない感じです。
それではその4です。
-その4-
2011年8月11日
釣りよりもやる気満々な後輩
ついに筆者・八鳥家に待望のイシナギ(30kg)がきた。
「心して食しますからな」
と早速解体作業に取りかかる。
まずは鋤引きにてウロコを取り、裸にされたイシナギは白肌でちょっとセクシー。
丸ごとの巨体はここで見納め、しっかり目に焼き付けて、その後は勢いよく解体を進め現実的な形に・・・。
夜中に解体する、後輩。
撮影は、奥さんである。
なんとも迷惑な旦那であるが付き合う奥さんも偉い。
背骨はまるで獣のよう、各パーツの大きさは規格外、全てがビックリではありましたが、包丁の入れる箇所、進める手順は普段やっているスズキと同じでした(やっぱスズキの仲間なんだな~)。
まあ丁寧にやるものです。
その間、私は一人ホテルで寝ずにゴロゴロする。
そんな解体も終盤に入り、お世話になっている方へのお裾分用は「刺身用と昆布〆用」のサクを1セットずつ用意し、各料理の用途に応じカット、それぞれ真空脱気シーラーして、解体完了!
後片付けをして、就寝・・・・・。
これからのイシナギ料理が楽しみである。
バラバラにされたイシナギ
身質は、良く冷やされていて良い状態である。
ここまで来れば、たいしたもんです
よくやります。しかも真夜中。
ここまでくると水産加工品。
後輩は、同じ魚類生理学研究室だった筈。
いつから、食品加工専門になったのだろうか
儚き偶像の彼方-Ⅲ-3 ― 2019年07月08日 17:48
それでも夕方少し青い空が覗いていましたね。
その3-2011年8月9日
あらら、皮一枚の白い姿に。
依然イシナギは好調、でも・・そんなイシナギ釣りにも複雑な事情がありそうだ。
まず、この釣りにおいて、釣った巨大イシナギの行方は、
(1)各自で持ち帰るか
(2)大き過ぎて対処できない場合は船長に引取ってもらうか
上記2択になる。
特に後者の場合、そのまま市場のセリに出すのですが、シーズン当初は浜値kg800円と高額取引されていたのが、もうkg200円を割っているとの事。「超」が付くほどの高級魚なのに、欲しがっている人が山ほどいるのに・・・・、それでも暴落しているのだ。
その理由は簡単、地域限定で爆発的に釣れ(漁でも獲れ)、その水揚げされるイシナギは全てヘビー級(30kg~100kg)、大波のように一気に押寄せたイシナギは、地元のバイヤーも捌き切れず、それぞれの受入先もパンクしているのであろう。
それでも滞りを避ける為、最終手段として値段を下げてでも流さなければならないのが本音だと思うが、魚の価値を下げるのは人間の勝手な都合にすぎない。
イシナギはまぎれもなく高級魚である、これもしっかり補足しておきたい。
イシナギについていろいろ調べるうちに、知れば知るほどこの魚に惚れてんでいく。
そんな日々の会話のなりゆきからであろう・・・
「で、八鳥さん、いる?」
とのお言葉、絶妙なタイミングで天からイシナギが舞い降りた感じがした。
彼自身、「ウチの家族もいっぱい堪能したし、あげる人にも全て渡した。価値のないものとして流通されるなら、欲がっている人(価値が分かる人)に渡ればイシナギも本望だろう、次に獲物が釣れたらの話だけどね」・・・・
そんな竿職人の言葉は、人に対しても、魚に対しても心意気を感じた。
そうなると、まずは弊社近くで磯料理屋(竹波)を営むマスターにプレゼントするのが本命の1本、
追加があれば私の分も・・・
「とにかく2本はノドから手が出るほど欲しい人がいますよ」
と伝えこれで【釣り手】、【受け手】、【運び手】の気持ちが一つになった瞬間だった。
・・・全ては成りゆきに任せ、でもすべき時が来たらビシッと・・、7月も終わりになろうとした時、遂にその日が来た。
朝6時に1本目、7時に2本目のコールが入った。
開始早々食ってきたとの事で、まさに船上からの生電話であった。
私もルンルン気分で勝浦へ車を走らす・・・。
勝浦に到着すると、氷でキンキンに冷えた2本のイシナギがそこにあった(30kgと35kg)。
「別にアベレージサイズだよ」といたってクールな態度、奥さんや子供も、横たわったイシナギには見向きもせず横をタッタッタッ・・・と通り過ぎる。
何ちゅう家庭や、きっとこの家庭では日常茶飯事で巨魚は見慣れているのでしょう・・・。
その場の雰因気に未練を残しながら、早々に2本のイシナギに車に積込み、立会人の釣主(彼)と共に帰路鎌倉へ。
到着すると竹波マスターが外で待っていてくれた。
イシナギを見つめる嬉しそうなマスターの顔。
店主の明るい表情に、勝浦から輸送して来た甲斐もあった。
かなり疲れた表情の筆者だが、為に生きられた気がした。
我々はそれで十分だった。
数日後、メニュー板を見ると、定食・刺身・鉢物・煮魚・塩焼き・・・・。
そのTOPをイシナギで飾り、地元や観光客の胃袋を満たした事は言うまでもない。
よかった、よかった、まずはミッション終了。
儚き偶像の彼方-Ⅲ-2 ― 2019年07月06日 13:42
その2
丁寧に鱗を引く後輩。
料理する事も食べる事も好きらしい。
依然イシナギは好調なよう・・・・
彼と共にイシナギを追う若手ながらベテランアングラーの磯野先生、昨年バリ島で見事ファーストGTを釣るも、このイシナギ釣りに関しては苦戦されているご様子・・・。
もちろん簡単に釣れる魚でないだけに、挫けそうな時もあったでしょう、もう嫌になった時もあるでしょう・・・・。
漁場の豊かな外房の海ではありますが、時にはそんな夢見るアングラーの心をいとも簡単にヘシ折ってしまうのです。
大物ラッシュが続く中、今期こそが最大のチャンスであると、彼と共に気持ちを奮い立たせ、その想いを全て餌イカに託し、ひたすらポイントに流す・・・、流す・・・・、そして流す。
水深150mに潜む大きな黒い目は、投入されたイカをしっかり見ていたのでしょう、そんな磯野さんの竿を曲げたのは、何と“63kg”という巨大イシナギでした。
15分程のファイトの末、水面に浮上した規格外の大きさに歓喜よりは唖然。磯野さんにとっても念願のファースト・イシナギ!でもサイズはその名に似つかない驚愕60kgオーバー!「写真や動画では伝わらない!八鳥君に実物を見せたかったと、お化けサイズだった」・・・彼がその時の様子を熱く語ってくれた。
言うまでもなく、この水揚げは勝浦港のギャラリー達を沸かせたであろう。
磯野さんは、この数日後には入籍という人生の節目を迎えるにあたり、その最高のお祝いに匹敵するプレゼントになった事でしょう・・・。
ここまで重量級だと個人レベルではどうこうできないので、漁協に贈呈されたそうです。
磯野さん自らハードルを高くしてしまった・・・(笑)。これを越すのは難しいですよ~。
いや、もしかしたらこの勢いで更新してしまうかも(恐)。「W」でおめでとうございます。今年のバリ島ではお手柔らかにです・・・・
儚き偶像の彼方-Ⅲ- 1 ― 2019年07月01日 12:20
梅雨とは言えど、蒸し暑いです。
今年は、災害が無ければよいなあと思ってはいますが、この環境変化では、今日も大雨、豪雨の被害が心配です。
その5として、「名人は本当に名人でした」の章は、番外編として後日に後回しする事に致しました。
よって元々の番外編と言うべき 儚き偶像の彼方-Ⅲをアップして行きたいと思います。
この章は、私の後輩である八鳥氏が自身のブログにアップ公開していたものが基本です。
儚き偶像の彼方-Ⅲ-
FISH NAVIの向こうから
その1-2011年8月4日

いきなりですが、これが巷を騒がせている?“イシナギ”です。
竿師MOONが釣り上げたものです。
ちょっと解説すると、ここでいうイシナギは俗に「オオクチイシナギ」のことを言い、スズキ科の魚では最大かと思われます(クエなどはハタ科なので・・・)。普段は水深400mもの深海に生息しておりますが、初夏~夏にかけて産卵の為に浅場(水深150mほど)へ移動するので、この間が釣りの好ターゲットとなります。アベレージでも30kgと驚きですが、釣師が目標に掲げているのは全長2m(100kg)オーバーとまさに畳サイズ!イシナギはイカが大好物なので、まずは活イカを確保すべくイカ釣りから始め、そこから本命のイシナギに展開していきます。泳がせ用のヘビータックルを用い、狙う獲物が大物だけに、むしろ釣れない方が正しいといっても過言で
はないほど一発大物狙いの世界であります。
「食」においても超高級魚で味は絶品!まさに季節魚でありながら狙って釣れる(獲れる)魚でないので市場にはほとんど出回る事がありません。イシナギの名前は知っていても、その素顔や生態はまだまだ謎な魚でありました。
そんなイシナギを愛して止まない竿職人の彼から、その過熱ぶりは普段から聞いておりましたが、どうやら今年は特別なようだ。
1回の出船でトータル10本ぐらい釣上げられているそうで、多い人だと1人で数本、中には今期通算で10本以上釣っている人もいるとか。
驚くべき事は、釣れるサイズも半端なくつい最近、勝浦で100kgオーバーが釣り上げられ、50kgオーバーは数知れず・・・・と言っている事がケタ外れ。
釣り船が帰港しイシナギの水揚げが始まると周囲のギャラリー達が集まるほどで、過去にさかのぼってもここまで釣れた事はないそうだ。
その大物釣りを実現する為、調整や段取り、身を削って、気を振り絞って・・・・・、日々費やしてきた努力と、その努力を支える精神力は相当なものであったと思います。
そのプレッシャーの中で獲ったイシナギは紛れもなく貴重な1本になった事でしょう(平均サイズだけどねと冷静でしたが)。
彼のJr.と比較してもかなり大きい事が分かりますが、親父が苦労して取った獲物、そんなオヤジの背中に映ったものを感じ取ったに違いないでしょうね(たぶん)。
こういう風景が今の時代に足りない「食育」の一つなのかもしれません。
とにかく相手は巨魚なので、仲間に近所に親戚に・・・おすそ分けされたそうです。そりゃ~当然ですわね(大きいですから)。
釣師しか味わえない特典がここにある事を改めて教わりました。


















































