わだつみのかけら-72018年09月08日 11:10

その7
夏も終わりを告げたものの、残暑厳しく、一体この秋は、平穏無事でいられるのだろうか。
 今年は平成最後の夏になったが、それでも未来は明るくなって欲しい。
誰もが願う事なのだが、皆今日と言う日に追われて、明日の事を忘れてしまうのだろうか。

さて、その7ラストです。

終わりに添えて


帰り路は同郷の友人と2人、良い釣果にも恵まれてこの上なく楽しかった。

たかが釣り、されど釣り、趣味のものとしては、おそらく最も楽しいもののひとつに数えられるであろう。
 それは、老若男女誰もが一生続けられる数少ない?趣味の一つであろう。
職人(私)が釣りを覚えたのは三つの時であるが、安芸の住人も恐らく、もの心ついた時にはもう魚釣りをしていた事であろう。
 おそらく昭和40年代はまだ高度成長期の中にはあったが、現在のように子供の遊びの選択はオールアナログのものだったと思う。

戦前から釣りをスポーツ&レジャーとして確立し、日本が敗戦から立ち直るのに必死であった頃、もう既に多くの記録級のカジキやマグロがアメリカを中心とする欧米先進国では上げられていたころ(時代背景)であったと思う。

それから60年以上も経ち、道具もケタ違いに進化、発展し続けているが、過去の記録級の価値は今の道具のそれよりもかなり技術を要したものであったであろう。
 そう思うと、昔のアングラーの技量は相当高かったようにも思える。

呉の田舎からあの世界のD社が誕生し、戦後の1ドルリールを大量に米国に輸出することによって成長したこの総合釣具メーカーは、1970年代から準一流として、多くの欧米老舗釣具メーカー達をその太刀でめった切りにして一気に制圧したのであると聞く。
 その後、世界の釣具メーカーとして名声は得たものの、それは栄枯盛衰の流れ。

そんな我が国の日本製は、世界でもトップレベルに成ったが、今や同じ東洋にある共産主義国家にとって代わられようとしている。

時代は多様化を模索している。

道具が進化した21世紀の自国では、帰って大物に出会うチャンスを減らし、その心は小さくなっている気がする。
そしてその心まで奪って行こうとしているのか死んでしまったのか。

いつの日か釣りがまた高尚な趣味、紳士のスポーツに復権する日を夢見て、人はまた竿を振るのであった。

わだつみに祈る日がいつか成就するように。

それは、歪められ、傷つけられた輩には届きにくい真実の声。

龍馬さん、いつか会えますよね。

FTS302010年作


2006
年時完成した主役の竿701FTS-30

newllと竿


20106月吉日 

陰鬱と陶酔/終わりに添えて


DEEPPURPLE


今見てもDEEP PURPLE はかっこよい。

釣紀行(INDEX

あとがき

羽田の店からの風景


羽田について、暇な時間を店内で潰す。
その時の何を思っていたかはもう覚えてはいない。

NEWELL CUSTOM

 

まさかこれが最後のNEWELLになろうとは。
晩年のPURPLE MODEL(2008年頃)

 

この紀行文は、上記の通り、私自身がメインで書いたものではなく、郷里の友人が書いたものに付け加えたものです。

 友人の許可を得ての公開できました。
それでもまだ、約8年も前の出来事なので、ずいぶんと昔のようでありつつ、あのインパクトは8年経過した今でも脳裏に焼き付いています。

 あと何年焼き付いたままなのか、全く不明なところですが、現時点では、一生懸命友人と釣りをしたことは忘れていません。

 この後、想像し得なかった事はNEWELL社の創業者が亡くなる事による、会社譲渡がありました。
 次世代のNEWELLの誕生を期待したアメリカのアングラーと数少ない(殆どいない)日本のユーザーはそれでも、継続する事に安堵しました。
よって、次の予定でもあった、限定ブルーとピンクの予約まで受けていました。

もちろんその中には、私が使用したかったピンクも含まれていました。

 それが、脆くも崩れ去るとは、残念の極みでした。
嘗ては、PENNを凌ぐのではないかとまで言われたNEWELL REEL

その超軽量グラファイトボディーは、極限までその強度を保持しつつ、軽量化されていました。

とっても惜しいリールの一つです。

 今でも存続していれば、更にモダンになった形が見られたのではないかと思います。

 この時、友人が使ったのは701FTS30と言う30Lbclassのライトな竿に、このNEWELLのパープルのコンボでした。

何ともベストマッチなコンボでした。

 未来は誰にも解りません。
そして、それは、誰にでもあてはまる事ではないでしょうか。

RED


ないものおねだりは世の常である。

限定レッド幻


NEWELL1


くすんで、薄汚れてしまったがパンフ
創業者は、コールニューエルと言う人。

NEWELL2


当時のバリエーション
驚異的でもあるラインナップ。 

NEWELL3


600シリーズは、あまり数が無いのであるが、キハダ用に一番欲しかったサイズである。

NEWELL4


これだけのバリエーションは、未だ日本のメーカーにはない。
F=Fluke
は、いわゆる日本のヒラメである。
最近、特定の方でわざわざフラットゲームとか云々と言う事を見かけるがフルークと言った方が正しいヒラメと理解されやすい。

 

その後この地に、再びキハダを狙う事も無くなりました。
もちろん、夢を与えてくれたカジキも。

キャプテンが、メジカで掛けたあの大型クロカジキの話ももうそれ以上の続編もないまま。

前述の公開したBluefin~やYellowfinのところでも出てくる話ですが、キハダは特に異常なほど関東近郊でも大型を目にする事が多くなりました。

 この国の残念なところは、趣味産業、とりわけ遊漁の軽視傾向は依然として続いているのかもしれません。
単なる道楽としか見えない・・と傾向には、趣味産業の重要性を訴える人も、その機関も
教育の場もないところにもあろうかと思います。
これでは発展の余地は抹殺されています。

 アメリカに行ってから、何度もそう思ったのですが、我が国の役人は何を海外で視察してくるのだろう…と単純に思ったものです。

三平色紙


今回の旅で立ち寄った、釣具店にて

20171218日追記

わだつみのかれら
おわり

わだつみのかけら-62018年08月27日 15:57

その6
 近年テレビを視聴する度合いは、益々減ってきて、その役割も少しずつ減って来たような気もする。
お茶の間のチャンネル争いももはや昭和の産物であって、現代の家庭でそれをまだ行っている家庭も多くはないと思う。
ここで皆無としたいところだが、今のところ断言はできないでいる。
 そんなテレビの気象情報を見ていると、異常気象とか例外とかは使われる事が年々無くなるのではないか、と言うのを見て、こんな異常が日常では、とてもこの先平穏では生きて居られない気がすると思わざるを得なかった。
 その時は、「もう生きていない。」と言うが、その先の人の事を考えるのが成熟した真の先進国であると思うのは私だけなのだろうか? 
そうでない我が国であって欲しいと思う。

 釣り業界なる摩訶不思議なところへ魔界入りしてもう既に四半世紀になろうとしている、
 その中にあっても、良心に従い、異常を異常と言える、間違いを間違いと言える人間になりたいと何度も何度も思った。
 なのだが・・・・それでは永遠に大きくは成れない・・・と言われたあの日。
飼い犬が手を噛む、その日。
当たり前だが、人間は、犬ではない。
そして、犬も限界がくれば噛んでしまうのではないだろか。
残暑。

さてつづきその6です。


旧富士シート
平成30年ともなると、その面影すら知らない世代にもなったが、昭和の富士製品、富士山のスタンプがその誇り高かった日本の意地とプライドを感じる。これからと言う未来があったような気がする。

-掌握-

君は未来まで掌握できるのか。

カジキを釣る


小さいけど人生初のカジキ

予期せぬマカジキのHITで少しダレ気味になっていた気持ちが引き締まり、キハダのほかカジキまで視野に入れて淡々と仕掛けを流したが、それまでの渋い喰いが改善することは無く、約1時間後にキャプテンに20kgクラスがHITし、20分近くの格闘の末あとちょっとで取り込めるところまで引き寄せたけれど、最後の抵抗で痛恨の口切れをしてしまった。

中野船長とキハダ


キハダと格闘中のキャプテン、この後痛恨のバラシが・・

そのご4時間キャプテンに2度、平野氏に1度、私に1度アタリらしい反応はあったけれど何も釣れずに5時半に納竿し、港に帰港したのが夜9時前だった。

カジキとNEWELL


今回は思わぬ活躍をしたMOON

701-FTS30NEWEL 545 PURPLE 

今回は前回のような釣果には恵まれなかったけれど、朝4時の出港から帰港までのおよそ17時間も船を出してくれたNキャプテン、そしてこの釣行をセットしてくれた平野氏に、最後になりましたが、心から「有難う!」と感謝の意を示して終わりにします。

海中に旋回するストライプ模様にマカジキかと思って確信めいた事を発言したが、その後 どうしても疑問は残り、ブルー=クロカジキと解った。
100Lb
の小型もあってかてっきりの間違いである。
 今観るとブルーの小型とわかりますね。
その後の疑問も多少残ったままではあるが。


戦い後


今回のとりであった。

その2

銛を打った直後の撮影、まだその眼が生きている。

 平成22624

 安芸の住人

カジキと杜


この尾柄部も見事なフォークテイルで、その疾走っぷりを物語る。

友とカジキ


友人と一番楽しかった日。
楽しい事は短く、辛い事は長い。
小さいとは言うけれど、キャステング30Lb classでコンプリート。
(IGFA
トローリングクラスロッドではない。)

ラインクラス設定のこのFTSと言う竿で上げたのは素晴らしい。
その日が再び訪れるのであろうか。


FTS
シリーズは、亡き師匠の名設計のブランクである。
当時も今も私の知る限りでは、IGFAラインクラス別のこの手のラインナップを見た事がない。
月竿を支えた主力シリーズと言っても過言ではない。
いや今でも主力である。

その7へとつづく


わだつみのかけら-52018年08月25日 14:50

その5
はて今年も台風が多い。
20号通過後も房総は大荒れ。
南の風も強く、気温も上昇。
いったいいつまでこの暑さも続くのであろうか。

刹那の野生

野生の眼


その眼に映るものは何か

「あっ!アタリか?」とラインをリリースするがアタリとわかるような明確な引きは無く、メジカがひょろひょろと泳ぐようにスルスルっと少しラインが出ては止まり、また出ては止まる、の繰り返ししか無い。

「しまったぁ、離したか?」と先ほどの“ツンツン”をキハダのアタリとみてその時の違和感でメジカを離したものと、少し落胆した。それでも念のためにラインが出るままにリリースしていて、アタリから100m以上ラインが出たところで、見切りをつけるために大きくロッドをあわせてみた。

すると下を向いていたラインが船尾のほうに張りだし、同時に遥か後方で魚が大きく跳ねた!

ロッドにはHITを実感させる十分な重みが掛かり、フックアップを確認すると

「何かわかりませんが釣れました!」と言葉にした。それと同じくして無線で「ナイラゲがなんとかかんとか・・!(よく聞き取れなかったがカジキが喰いついたと言うようなことを言っていたらしい)」と報せが入った。

 改心のヒット‼

その時は確かに何がHITしたのかわからず、跳ねた魚がカジキだとも知らないままリールを巻いていると、目の前数十mのところを、背鰭を出して魚が横切った。

「サメだぁぁ・・サメを掛けたみたい?」とその背鰭を見て平野氏が言うと

「サメ?厄介なモノを掛けたねぇ~切ろうか?」と少し落胆して私が言い、「まぁまぁ、まだはっきりしてないので上げましょう!」と平野氏が言った。

釣りには、いや釣りに限った事ではないのだが、確認、確信できるまで判断を早まってはいけないという見本であった。
 このパターンでいつかも鮫にやられて来たので、そうすぐに思ってはしまったものの、その時ラインを切っていれば後は無い。
 最後まで気を抜くなと言うところである。

HITしたのが何かわからないけど、掛けたからにはできる限り、上げなければと、ファイトしていると、

キャプテンが

「さっきのは、カジキらしいぞ!お前が釣っていると無線で言いよった!」と言い、ラインの先を眺めていた平野氏も

「カジキだ!キャプテン、カジキが掛かっている!あの背鰭はカジキの背鰭だった!」と言う。

その言葉を聞いて俄然やる気が出てきたのはいいけれど、いままでに何人もの釣り人がカジキを掛けてはその走りこむ引きにドラグを焼かれラインブレイクされているので、私も同じ運命になるのではないかと心配になってきた。

HITしたのがカジキとわかりキャプテンも平野氏もなんとか私にキャッチさせてやろうとフォローに入り、私はリーリング、平野氏はカジキの走りをキャプテンに教え、キャプテンは操船でフォローしてくれた。

それでキハダよりは抵抗はあったけれど、想像よりは易くあと50mくらいまで寄せることができた。が、それからカジキが本領を発揮し、数十mラインを引きだしては数m回収する“イタチゴッコ”のようなやりとりが続き、次第にカジキも疲れてきたが私も疲れてハーネスをしてはいるものの慣れないから腕がパンパンになっていた。それでも徐々に巻き上げが勝ってきて水面下にカジキが見えるところまで引き寄せることができると、

「ストライプドマーリン、マカジキだぁ!」平野氏がその魚体を見てキャプテンに言う。

確かにその時はそう思えたし、誰もその発言を否定するものは無かった。

水面下に魚体を横にして必死に抵抗するその姿に紫に光る奇麗な横縞模様が見えている。この模様からその英名が付いているらしい。

魚体が見えてもそれ以上なかなか上がってこない状態が続き、さらにロッドのテンションはそのままなのにジワリジワリとラインが滑り出してきた。

「おかしい?これぐらいの引きではラインが出ることは無いはず!少し締めてみるか?」とドラグノブに手をやると火傷をしそうに熱くなっている。

やっぱりカジキは凄い!ドラグが摩擦で熱を出しているようだ。これ以上走られるとドラグが全く効かなくなり取り込みもできなくなる怖れもある。そうならないように早く取り込むために小刻みにポンピングしてはラインを巻きとるけど、なかなか思うように上がってこない。

「抵抗はなかなかですね!いままでのように取り込めないかも?」と少し弱気に言うとキャプテンが

「コンマイ!(小さい)から大丈夫!」と言い、私にしてはいままでで最大の魚だけどこれまでブレイクしたカジキからするとそれはかなり小さいらしかった。

そのうち、カジキも疲れてきたのか一気に数十mも走りだす力もなく、一進一退を繰り返しながらHITから20数分後にようやく船縁にその姿を現した。

それでもなお抵抗する魚体にタイミングをはかってキャプテンが用意した銛で仕留め、ギャフを掛けて3人がかりで船に取り込んだ。

その瞬間初めてのカジキに思わず「やったぁぁっ!」と叫び、フォローしてくれたキャプテン、それから平野氏と握手を交わした。

その6へつづく

わだつみのかけら-42018年08月24日 16:52

その4

起死回生
同じチャンスは二度とない

土佐清水

決してひっそりではない佇まいではあったが、この日は我々以外のお客さんは殆ど居なかった。とてもさみしかった。

それからまた1時間ほど経ったころ、だんだん慣れてきたラインの手繰り寄せを行っているとまたしてもラインに“コツッ!”とアタリがあると同時にメジカの泳ぐ力では無いちょっと強いテンションが掛かり、とっさに「来た!」と言ってラインを離すとスルスルスルーと手繰り寄せていた20mくらいのラインが出ていき、それが無くなるとスプールから引き出されていくのだが、バックラッシュをしないようにかつラインによけいなテンションをかけないようにと、1020、30mと送りこんでやった。

初めの時には30m送りこんでも不十分だったので、こんどは失敗しないように呑み込ますつもりでさらにラインを送りこみ計70mくらいでクラッチを入れてロッドを大きくあおった。

と、同時にロッドが大きくしなり、魚のノリを確かめて「掛かりました!」と言って慎重に素早くリールを巻き上げ出した。魚も突然わけのわからないところから引っ張られることに我を忘れているのか、102030mと重みはあるが抵抗無く寄ってくる。

「あまり大きくは無いかも?」と余裕をかましていると、魚も我にかえったのかいきなり走り出した。それからはロッドとドラグで耐えては少し巻き上げ、また走られての一進一退を繰り返しながら徐々に徐々に引き寄せてフックアップから20分がかりでようやく20kg弱のキハダを取り込むことができた。

やっとキハダ

ほっ・・とする間もなく撮影する。

中野船長とキハダ


キハダを〆ている中野キャプテン


わだつみのほほえみ

一時は“完全ボウズ”も覚悟し“早上がり”も考えていたのが20kgクラスを1尾釣りあげたことで皆テンションが高くなり真剣に仕掛けを流していた。が、それもしばらくアタリがこないとともにテンションは下がり、ただ黙々と仕掛けの手繰り寄せ&リリースを繰り返すようになっていた。

「腹減ったなぁ~・・いま何時くらいだろうか?そう言えばまだパンが残っていたな。それを食べようかなぁ、でも仕掛けをあげたらせっかくのメジカが死ぬからもったいないなぁ、この餌が死ぬまで釣ってそれからパンを食おう・・」と思いながら、いつもなら横へ走るメジカが下へ下へと突っ込んでいくのを不思議に思いつつも仕掛けを流し、ある程度ラインが出るとお決まりのように手繰り寄せようとすると、“ツンツン”とラインを小突くような反応が。

 その頃、すっかり戦意喪失の職人は、コックピットからCapと下らない会話をしていた。
異変にはまだ気が付いていなかったのである。

その5へつづく

わだつみのかけら-32018年08月15日 08:02

その3

いざ、ポイントへ

航行中


 1時間ほどたってようやく目的ポイントに着くと、当初予想していたのとは違い、数日前からばったりと喰いが悪くなっていたためか魚影を感じさせるモノが無く、土佐入りをした時に平野氏から

「来るのが遅かったです。釣況はかなり厳しく、全く何も釣れないかもしれません」と言われたことが頭をよぎった。

その時はキハダが釣れなくても瀬戸内海では見ることができないキハダやカジキをせめて見ることができればそれだけでも好いと思っていたが、それさえも見ることができないかもしれない現実がそこにあった。

キャビンではキャプテンと平野氏が

「少し釣ってみて釣れなかったら近くに帰ってなにか他のモノを釣ることにしよう?」と話し、とりあえずはここまで来たのだから仕掛けを流して釣ってみることにした。

釣り始める時に予定通りメインの661TUNAP KVGを使うか701FTS30Lbを使うか迷ったのだが、661TUNAPは前回釣って実力を発揮していたから、せっかく巻き締めを行ったのだし、普段ハマチ(ワラサ)釣りに使っている701FTS30がキハダ相手にどれだけのパフォーマンスを発揮するか試してみたい気持ちから701FTS30を使ってみることにした。

 

竿とリール 


※右端が701FTS-30NEWELL、隣が661TUNAP KVGSEALINELD20

メジカを針に掛け仕掛けを流しアタリを待つが一向にそれらしい反応は無い!「やはりキハダはいないのか?」はるばるここまで来たけど諦めて帰るしかないのかと思い始めていたころ、“バシャッ”とメジクラスが跳ねた。それは、手持ちの餌では釣れる望みがないほど小さいけれどまだキハダがいることがわかり一縷の望みが出てきた。

すると、潮が変わったのか所々で小振りのキハダがライズはじめ、大小は別として思っていたよりキハダがいることがわかりさらに望みが膨らんできた。

そのうち餌釣りと並行してジギングしていたキャプテンにキメジが釣れ、なんとか船全体のボウズは免れた。

けれど、肝心の餌釣りにはアタリが全く無い。

それでも時折ライズするキハダを見て、「これだけいるのだからいつかはバイトするだろう?」と、キャプテンの真似をしてメジカを150mくらい泳がせてはラインを数十m手繰り寄せながらライブベイトであるメジカにリアクションバイトをさせては再び150mくらいまで泳がせていた。それを数回行っているうち突然手繰り寄せるラインに“コツッ!”とアタリがあり同時にメジカの泳ぐ力では無いちょっと強いテンションが掛かった。

言うには簡単そうには思えるがこれが結構難しいのである。
スレスレの魚が相手では尚更で、咥えてもなかなか警戒して飲み込まないのである。

これには、参った。

「来た!」そう言うと、すかさず手を離しフリーでラインを送りこんだ。

102030mとラインが出ていきそろそろ充分に銜えこんだだろうと、スプールをロックしフッキングのために大きくロッドをあおった、と、同時にロッドが大きくしなりヒットを実感した。

あわてて、しかし慎重に素早くリールを巻き上げると20mも巻かないうちに急にテンションが軽くなり、獲物がこちらに向かってきているから軽くなったのかとさらにすばやく巻き上げる、けれど一向にテンションが掛からない・・・バレてしまったのだ・・

仕掛けを回収してみると胸鰭から後方に噛まれた痕がのこるメジカが上がってきた。痕から察するに十分に銜えこませることができずアワセが早すぎてまだ針まで口の中に入っていなかったようだった。

齧られたソウダ


キハダに噛まれたメジカ(マルソウダ)

もしかしたら最初で最後のアタリだったかもしれないチャンスをモノにできなくて落胆したが、落ち込んでいるわけにはいかずすぐに次の餌を付けて仕掛けを流した。しかし、しばらく経っても一向にアタリは無く、先ほどの“早アワセ”による失敗がじわじわと後悔として沁みだしていた。

それは職人()の〝もうそろそろ”という無責任な発言があったのかもしれない。

1時間ほど経って無線からキャプテンを呼ぶ声がして、応答するキャプテンから「誰かの仕掛けがあの船(無線の主)に絡んだらしい、確かめてみろ!」との指示があり確かめてみると、絡んでいたのは私の仕掛けだった。幸いその船はキャプテンの仲間らしく仕掛けを切ること無く丁寧に外してくれたのではあるがとんでもないミスをしてしまい、先ほどの“早アワセ”に続いての失敗に少し落ち込んでしまった。

だが、これが“今釣行唯一の獲物?”かもしれないとちゃっかり写真だけは撮った。

超大物


 それは間違いなかった。
それを上回る為には、鯨を釣るしかない・・・・・。


この日一番の大物? デカ過ぎです。

その4へつづく


わだつみのかけら-22018年08月07日 17:13

その2

安芸の守(文:長門の住人/職人加筆

足摺沖朝日


土佐沖へいざ出陣

平成2264日午前250分、けたたましいアラームに目を覚まし同室で寝ている“釣り竿職人”平野氏の反応を窺うと彼も目覚めているみたいで、おもむろに起き上がり身支度を始めた。
一足先に土佐入りした平野氏だけれど海況が悪くこの日が5日ぶりの釣りとなる。

階下に降りるとこの家の主でありお世話になる天光丸のキャプテンでもあるN氏も起きてきて目ざめのコーヒーを飲んでいた。

「おはようございます!今日はよろしくお願いします!」と挨拶をして、我々もコーヒーをいただき、目を覚ました。


 しかし、職人(私)だけは相も変わらず少々冴えない顔で座り込む
おまけに少々ストレスも加算されている様子でプレッシャーにも少々弱いのかも・・・・・・しれない。


キャプテンに今日も海況がよくないのか尋ねると、風は無いようなので釣行予定の最終になる我々のためにとりあえずは出船しようと言い、それから港に向かった。

港に着きタックルを天光丸に積み込み、漁協にて釣った魚を冷やすための氷を買うなどの準備を済ませて、港を出たのは4時前だった。

ガラガラと氷を砕く音、と落ちる音で辺りがいっぱいになったと思うとそれも刹那の響。


 この漁協は昔から(何年前からかは解らないが)自動販売機になっていて皆そこで氷を買う。
しかし、15kg単位である。


岸壁を離れるとともに私はキャビン下にある2畳くらいの部屋へ降り、きたるべきファイトのために“鋭気を養う?”つもりで仮眠をとった。
しかし、釣り師の性かこれから釣れるやもしれないまだ見ぬ大物のことを考えるとなかなか眠ることができず、しばらくすると夜が白けだし部屋の小窓から太平洋に上る朝日が見えてきた。


 てっきりお休みかと思いましたがそうでしたか。


「そうだ、日の出は“縁起物”だから写真を撮ろう!」と起き上がり、カメラを用意して外に出ると、もうすでに太陽は水平線上に出ていた。

朝日と舳先



再びキャビン下にもぐりこむことなくしばらく景色を眺めていると右前方に足摺岬灯台が見え出し、これも一応写真を撮っておくことにした。
前回来た時は足摺を過ぎてしばらくのところまだかすかに岬が見える辺りで餌となるメジカ(マルソウダ)を釣ったので、今回もそろそろ餌釣りの準備に入るのかなと心構えをしていた。しかし、その気配は無く船は速度を落とさずポイントへと向かって進んだ。

しばらく経っても一向に餌釣りを始める気配が無く、釣りが始まると餌のメジカを生け簀に運ぶのに忙しくなると身構えていたのがなかなか始まらないので、身構えた気持ちの押さえどころが無く手持無沙汰になり、キャプテンの許しも無くかってにリールのラインの巻き締めを始めた。前夜のこと、予備にと用意していたMOON 701FTS30LbロッドとNEWEL545を仮にSETしていた時にロッドの製作者である平野氏が

「このタックルで釣ってみたら面白いかも?キハダなら充分に対応できるはず!」と言い、私もおもしろそうだと思った。

しかし、あくまで予備のつもりだったのでラインを巻き締めていなくてそのままでは使い物にならなかった。そこへ会話を聞いていたキャプテンが

「明日、ポイントへの移動中に巻き締めれば良い!」と言った。

その話があったので退屈しのぎにラインの巻き締めを始めたが500mちかくでたラインはそれ自体がかなりの抵抗になり巡航中ではなかなか巻きとれるモノでは無かった。結局キャプテンが船の速度を落としてくれて、10分近くかけてようやく巻きとることができた。


ラインのプレッシャーは相当なものでこれにナイロンの伸びが加われば、魚には相当負担になる事は明白であった。
これを魚が引っ張るだけでも相当な力を要するであろう。

足摺岬を望む

これは、考えれば重大なマナー違反だったがキャプテンは立腹することも無くおおらかに協力(許して)してくれた。大変ありがたいことだった。

足摺をすぎてから1時間ほど経ってメジカの良い群れを見つけたのか、それとも元からこのポイントで餌を釣るつもりだったのか、船は速度を落としゆっくりと左旋回させながら、キャビンからキャプテンが出てきておもむろに仕掛けを流し始めた。

2mほどの竿に小型の潜航板と疑似針が付いただけのシンプルな仕掛けだけど、潜航板の微妙な動きの違いによって喰いが違うのかキャプテンはその動きを確かめていた。

ソウダ釣り


※メジカ(マルソウダ)を釣っている

ほどなくすると仕掛けにメジカが掛かりだし、我々2人はそれを殺さぬように急いでバケツでカンコと呼ばれる生け簀へと運んだ。小さいとは言えカツオ類直進癖があるらしく上手く生け簀に入れてやらないと生け簀の壁に当たっていとも簡単に死んでしまうから、運んだ数が餌の数となるのでは無かった。

これが案外大変で、息切れしながらバケツリレーの繰り返し。
揺れる船上は戦場になる。
それにしても今回のメジカはでかい。
ヒラソウダも多く混じる。

小一時間ほど経って、メジカを釣りながら時折生け簀を確認していたキャプテンがおおよそ必要数の餌を確保できたとみて「もういいだろう!」と言い、仕掛けを回収するとともに再びポイントへと船を進め出した。

しかし職人はしばらく小刻みに息を切らして、まったく情けのない状態と自分で思ってはいるが後の先生方はさほど気にも留めていないようである。


その3へつづく

わだつみのかけら-12018年07月26日 15:32

その1

わだつみのかけら

(文:長門の住人/釣竿職人加筆)

くろしお



全く本文とかけ離れた画像であるが、これがわたしの初日の画像
特急四万十は、楽しい旅へのいざないの筈である。
しかしながら、一人で乗っても楽しくもない。

陰鬱と陶酔

カジキの頭部


光と影の狭間に生きながらえて何が楽しいのか。
わだつみのかけらとなって生き続ける永世の魂もこの狭間に漂っているのだろうか。

それでも黒潮は大きくその大いなる力に翻弄される。

相変わらずも同じ言葉しか出ては来なく、自分の心理状態には進歩がないのか、はたまたそれが凡人の常なのか解らないままにCapt.Nの「早よ、来い!」
の言葉がエンドレスになり、ああそこに水があって、待っていてくれるものがあれば行かねばならないのだなあ。
と思うのであった。

安芸の守人が来るまでにはとても長く、いくら出てみたくなっても相変わらずの風と波、そしてさまざまな障害?

 いつもながら憂鬱だなあ。
気分転換と言っても何も代用になることは貧相な遊びしかしらない私には、名案は浮かばないのであった。

坂本龍馬もこの土佐の自然と釣りに慣れ親しんでいたというが3代目廣瀬丹吉の針を使用していたとは初めて知った。
丹吉の針はもうこの世にはなく、ハワイでももはや過去の栄光になって、その伝説も消えかけている。

昔、岡田師匠に頂いた丹吉ウルワ針がどこにやってしまったか、全く思いだせないままでとても苦になっている。

そのような憂鬱の日々の合間にドラグが焼けた臭いにやっと我に返るのである。

高級スピニングのドラグノブが溶ける。
そうであろう。

元々はスピンの対象ではない彼ら。

時代は一部のスピニングマーリンなどと呼ぶが、それももう1960年代からスピン&フライでキャッチしていた国があった。

まだまだ日本が先進国となる前の話である。

勿論私も、まだ今は無きオリムピック社のスピニングに国産振り出し竿でアイナメの2030cmと熱心に戯れていた頃である。

その時代には、まだセイルフィッシュでさえ満足に対応できるスピニングリールが国内には無かったのである。

その2へつづく

Yellow fin in Tosa(黄色い聖地)08-82018年02月07日 16:37

その8

ダイワ精工株式会社DAIWA SEALINE20SLD 2Speed


当時のダイワ精工の技術の高さを証明する一つではあったが、何とも残念で極短命なリールだった。
これが日本製(呉熊野工場製)であったなら10万は下らなかったのではなかろうかと勝手に考えてみる。
惜しい。
とっても惜しい。

しかし、これでキハダ、バラ、イシナギと釣った。

旧ダイワ精工熊野製と思わしきオリジナルSEALINEHシリーズ(日本製)のアノダイズ=アルマイトはその点、強個なまでの耐久性でとても素晴らしかった。
 この20のタイランド製は、デザインこそ良かったが角の焼き付けなのかなんなのか解らないが、アノダイズor塗装は直ぐに落ちてしまった。

 スプールの腐食もかなり早く、関係者の話によれば、タイの水の影響もあるとか聞いた。

電蝕したDAIWAスプール


あっと思った時には、時既に遅しであった。
電蝕のスプール、本来強いとされるゴールドアノダイズだが。

しかし、とても残念な機種であった。
DAIWA
の中でも最も売れなかったリールの1つだったのかもしれない。

20Ⅱスピード


その仕様頻度は900Hの方がはるかに高いのだが、こちらの方の表面劣化は著しい。特に剥げる筈もないところからもどんどん剥がれていった。
とっても残念なリールだった。


腐食した、スプールを新品に交換後を撮影。
中央のスプールだけが変に輝かしい。


オーバーホール途中の分解時。
ギアもステンレスが使ってあった。

とても残念なリールではあったが、お世話になったのも事実で、綺麗にして御倉入れにした。

20Ⅱスピードハンドル側


DAIWA
精工の技術の高さを証明しているのは間違いなさそうだ。

明日の為に、また日の出を見る機会もないかもしれないが。

202ドラグ構造


ドラグ構造もちょっと複雑気味。
少しだがまだDAIWAスピリットを伺わせる。
かつてのDAIWA愛は今の私には、存在しないが、
それでも世界を代表していたのは事実だろう。

ダイワ精工永遠なれ

20171213日追記


おわり。

Yellow fin in Tosa(黄色い聖地)08-72018年02月03日 10:41

その7

-実弾-

キハダ弾丸


その快進撃がいつまでも続くと言う事は、恐らくない。
そんな、現実が間もなくやって来るのか・・・できればその現実はやってきて欲しくはないのだが。

「いかん、弾が無い!」

もはや、撃つ弾が無い。


「もう4時か、そろそろ帰るか。」とCapt.

そう言うと、進路を丘にとり、3時間の上り潮を進みだした。

それは、アッとゆう間にその現実になった。
 船上にて20時間。
なかなかの良いショートトリップである。
疲れはあるものの、こんな疲れなら何度でも良い。

本日の成果は、236㎏程度の計上になった。
バラしや、ランディングの失敗の7本を入れれば400㎏以上になる計算である。
Capt.Nはまずまずの微笑のうちに梶を切る。

釣れないからいいともいう釣師の言葉を良く耳にするが、やはり釣れないよりは釣れたほうが良いのであると思う。

様々な経験から釣れない時があってこその釣れる時であるが、たかが釣り、されど釣り。

キハダ撮影


友人にお願いしたキハダの頭部は残念ながら写ってはいなかった。
アナログのリバーサルフィルムでの撮影だから致し方ない。

リバーサルフィルムから

釣れない思い出よりも、あのときあの魚に出会ったという時の方が何時でも脳裏には優勢であることは、誰でも同じであろうかと思う。

 多くの釣り人は、魚と出会った思い出を語るときには、眼は活きていて、逆では死んでいるように感じるのはその通り物語っているのかもしれない。

道求者には、まだ三つの頃の瀬戸内での小船でのハオコゼが忘れなれ無く、キュウセンやキスがまだ片隅で泳いでいる。

そのハココゼはカナコギとか言われ、私の目の前で粉砕されて

海にれっこ(投棄)された。

多くの釣り師が健全で幸せな気持ちでいられるのは、その大洋が誰にでも平等で自然体であるからであろう。

そこには、差別も理由も貧富の差もなにもない。
全てを受け入れる海があった。

思いやりやおもてなしと言う事を失いつつある我が国の現状は、どの釣り雑誌にも記載されていない。

三文紙ならば当然であるが何とも耐え難い

その理由は、おそらく"売れないから”であろう。

裏返しは、その対象の読者がそれを求めてはいないと言う事なのだろうか。

また求道がある限り、ひとは求め続けて、行き着く場所も分からずその日を迎えるのか。

短い旅は終わり、また次の旅までしばし待とう。


天光丸とD先生

TENKO


レギュラーサイズと共にこの日は弾切れにより、11本ほどで終わりを告げた。

 たまには、こんな時もあるみたいだ。

黄色い聖地があるなら、そこへ行ってみたい。

二〇〇八年五月吉日

その後、そのうち1本を持ち帰り
安芸の国の剥げ山団地にて、年老いた両親とささやかな食事をとる。
水温20℃程度ならキハダは、少しばかり脂が乗っていたので中落をネギトロにしてみた。
画像の刺身は頭の部分、3日目の熟成途中と記載したが、少々無様な画像故掲載しない事にした。

今回のタックル:2008年時点

RodMOON 661-TUNAP Turugi Conventional

LineYAMATOYO BIGI80Lb
  Reel
DAIWA Sealine900HMade in Japan
  Hook
Gorilla 1/0

Rod661-TUNAP-KVG(ケブラープロテクト)

ReelSealine20-2speedSmoooth drag

HookGorilla 1/0

Rod661-TUNAP-Commercial(職漁仕様)

Rod510-FP5P samurai jigging
  Reel
FIN-NOR OFR75

Rod:MOON 601-SU30 Katana Jigging
  Reel
NEWELL533-5.5 Tuned

その8へつづく

Yellow fin in Tosa(黄色い聖地)08-72018年01月29日 14:05

その7

-実弾-

実弾


 その快進撃が何時までも続くと言う事は、恐らくない。
そんな、現実が間もなくやって来るのか・・・できればその現実はやってきて欲しくはないのだが。

「いかん、弾が無い!」
もはや、撃つ弾が無い。
「もう4時か、そろそろ帰るか。」とCapt.

 そう言うと、進路を丘にとり、3時間の上り潮を進みだした。

アッとゆう間にその現実になった。
 船上にて20時間。
なかなかの良いショートトリップである。
疲れはあるものの、こんな疲れなら何度でも良い。

本日の成果は、236㎏程度の計上になった。
バラしや、ランディングの失敗の7本を入れれば400㎏以上になる計算である。
 Capt.Nはまずまずの微笑のうちに梶を切る。

釣れないからいいともいう釣師の言葉を良く耳にするが、やはり釣れないよりは釣れたほうが良いのであると思う。
 様々な経験から釣れない時があってこその釣れる時であるが、たかが釣り、されど釣り。

実弾2


友人にお願いしたキハダの頭部は残念ながら写ってはいなかった。
アナログのリバーサルフィルムでの撮影だから致し方ない。

釣れない思い出よりも、あのときあの魚に出会ったという時の方が何時でも脳裏には優勢であることは、誰でも同じであろうかと思う。
 多くの釣り人は、魚と出会った思い出を語るときには、眼は活きていて、逆では死んでいるように感じるのはその通り物語っているのかもしれない。

道求者には、まだ三つの頃の瀬戸内での小船でのハオコゼが忘れなれ無く、キュウセンやキスがまだ片隅で泳いでいる。

そのハココゼはカナコギとか言われ、私の目の前で粉砕されて

海にれっこされた。

多くの釣り師が健全で幸せな気持ちでいられるのは、その大洋が誰にでも平等で自然体であるからであろう。

そこには、差別も理由も貧富の差もなにもない。
全てを受け入れる海があった。

思いやりやおもてなしと言う事を失いつつある我が国の現状は、どの釣り雑誌にも記載されていない、三文紙ならば当然であるが何とも耐えがたい。

その理由は、おそらく"売れないから”であろう。

また求道がある限り、ひとは求め続けて、行き着く場所も分からずその日を迎えるのか。


天光丸とD先生

天光丸



レギュラーサイズと共にこの日は弾切れにより、11本ほどで終わりを告げた。

 たまには、こんな時もあるみたいだ。

黄色い聖地があるなら、そこへ行ってみたい。

二〇〇八年五月吉日

その8へつづく