楽園の終焉Ⅱ2011-102019年12月15日 17:30

師走も半分になりました。
とっても早いと言いながら、もう何年も同じ事を言う自分がいます。
こんな早い一年なら、一生などとるに足らない一生は、一瞬でもあったりする気がしています。

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562- um0p 2-4lb class と大森製作所製コメット 小学生の頃、店主から進められて冒険したダイヤ モンドリールは、昭和を代表する秀作リール会社だった。
その後、終焉を迎えるまで、そう長くはなかったのがとても残念である。

それではその10になります。

-持てる力はすべて出し切る-

出撃前

 次の日の朝を迎えたが、これが当たり前のように感じる。
それが、平和ということの証明なのであろうか。
明日確実にそれは与えられるという事の保障もないのだが。
 当たり前の空間を平和と呼べない事はない。
ただ、こうしている間も闘争は何処かで繰り広げられている。

朝は、前日と同じパターンとなり、脂ギッシュな朝食とテーブル下の足元に群がるバリの蚊の攻撃。
その痒みにやきもきしながら、前日からの期待と不安の中に精神がある。
心の平和は、当然まだない。

昨晩も寝つけず、水風呂の洗礼かとおもいきや、蛇口を右いっぱいに切ったまましばらく出し続ける事でお湯が出る事がやっと解った。
 お湯が出始めたらそれを微調整で徐々に少しずつ左に切ってゆけば丁度良い温度になる事を知り得たが、その範囲は、かなりタイトな微調整が必要なのである。
そこはテクニックの見せどころ?
であるのかもしれない。
 そして、それから後に傷んだラインとシステムをチェックした後、明日に備えて寝ようとしたが隣の名人ほど眠れなかった。
なぜなのか、床が変わると寝付けが悪いが、他に理由があるとすれば、あの強烈なバイトと最初の突っ込みの過激さへの恐怖と不安、興奮故なのかもしれない。
そう思いたかったが、いつも床が変わると寝付けが悪い事を思い出した。
釣りの時は、尚更寝付けにくい。

利用したことのないプール

一度も使った事のないホテル内のプール。
釣り以外の余暇は全くない。

その日の昼間は、3人で投げまくったけれど、浪人者の気配こそ感じられたが、これがさっぱり捕食してはくれそうもなかった。
手を変え、品を替えと、色々としてみてもどうにも反応は無かった。
もちろん流したポイントはどれも一級ポイントであるのだが。
それがリアルベイトであろうが他のルアーであろうが食わない時は、全くのルアーの往来だけでバイトはおろか反応が全く無かった。
 その夜は、なんとも寂しい結果の夜になったがそれでも気の合う仲間との反省会兼食事は楽しかった。
いや楽しくあらねばならないのかもしれない。
このような時の場の雰囲気はとても重要であろう。

目の前にあるカサゴのフルコースを前にそう思った。

釣ったカサゴ

何故か粉わさびがマッシュドポテトに見える。
真に申し訳ないがこのレベルなら私でもできそうである。

店長の言葉は、関西弁混じりの日本語であったが時々聞きとりにくい。
時々見せてくれるオーナーの笑顔の奥には、殆ど無い歯が見えた。
 皆と一緒にカサゴの刺身に舌鼓を打ってみる。
「スープが良いですよ。」
とオーナーが勧めて下さったのでそのアラは、スープにした。
 確かに旨かったのであるが、幾分グルソー(グルタミン酸ナトリウム)の濃い味が気になった。

釣ったカサゴ2

日本の割烹なら、あり得ない素人仕事ではあるが、ここは遠い南国の島これでよしとしなければならない。

忍者名人にその事を言うと
「この国で味の素はメジャーですから。」
その一言ですべては、片付いたように思えた。
噂には聞いていたがそれほどメジャーではなかろう。
と思った。

塩焼きになった。

なんとも可哀想な感じになっているカサゴの塩焼き
カサゴは、40㎝クラスが多かった。
ボトムフィッシングでは、カサゴは入れ食いだった。

ヒメダイ

ヒメダイ(オゴダイ)もおかずになる。
何故かカサゴの画像は一枚もない。

その後、スーパーに味の素とその他に沢山のグルソー系化学調味料が大量に在庫してあったのは、それだけで証明になった。
我が国であれば、それなりの店構えならば、このような手は使わないだろう。

その夜は、ラインチェックしてそのままと言いたいところであったがラインに傷がないか確認して取り替えるべきところは取り替える事にした。
その夜も短いか長いか解らないままやはり寝付けはしなかったが、それでも疲れのせいか幾分休めた。

孤独なのかそうでないのか

それもその人の心持ち次第であろうか

独りと言うのは、なにかと寂しいもので、例えそれが珠玉の美味なる料理を中心とした食事であったとしても、ジャンクフードを皆で楽しく食べる事のほうが美味しく感じられるのは、人の力がそれだけ大きいという事であろう。

最大の調味料は、心というスパイスなのかもしれない。

東京では、"おひとり様"というお店のシステムがあると聞くが、本当に楽しいのかどうか一度検証してみるしかない。
日本の大都会では、独りのほうが、煩わしさがなくそのプライベートな空間を持つことが出来て自分だけの我儘を許される時なのか。
その時が、唯一の至福の時なのかもしれない。
それは、それで良い点もあるかもしれない…とも思った。

釣りに於いては、独りでじっくり自然と対峙して釣り糸を垂れるという事もあろう。
そのような時は、人は独りであろうが、決して独りきりではないという事である。
波の音やとりの鳴き声、小さな虫達そして、その先にはいつか来るのであろう魚達がその海原に泳いでいる。
1
1の戦いにドラマもある。
故に単独釣行の場合は、孤独な釣り師というよりも孤高の釣り師でありたいと思ったりもするのである。
たかが釣りなのであるが天上天下唯我独尊な時なのかもしれない。

本日のボーズな夜。

三人並べて丸ボーズ。

そのような結果であっても、ラインとタックルのチェックは怠らず明日へと備えた。
その日からなんとなくお湯のシャワーが浴びられるようになった。
それは、なんとも贅沢な南国の夜であった。
隣がおっさんであっても、忍者であっても歌舞伎者であっても、独りよりは、楽しいものである。
独りというのは会話もできないし、壁に向かって独り言を言うようになってしまえば恐らく心をものすごく病んでいると言うことにもなりかねない。
多少寝付けなくても、工事の音がうるさくてもそれは独りに比べれば何でもない、という事になる。
そして隣には、やはりいつもの後輩の顔がその両目を閉じてお休みである。

その11 GT釣り連チャン・・・・強化合宿へとつづく