楽園の終焉 END OF PARADISE 2010-Ⅰ-22018年09月15日 22:11

その2

ロウニンアジは浪人鯵

激流の中



激流のバトゥアバを攻める。
旧来のダイビングペンシルは案外攻めにくい。
そこは、あれしかないかも。

秋も早々の頃、Y氏の「メッキ釣れています!」
「昨日爆釣でした。」
の情報を得て我が弟子ワルガキ共を従えて(実際はせがまれて)いざ出陣した。
 ライズは観えるがエバ(メッキ=ロウニンアジ、ギンガメアジ等の幼魚総称)君達の食い気はどうなのか?
適当にライトタックルを持ちそれを彼らに渡す。
 彼ら直弟子達に表層をゆっくりと引いてくるように指示すると、暫く経ってから慣れてきたのか、竿捌きもそれなりに。
「ああ、来た!」
 と声の方向を観ると、ああ・・子弟共のM562-UM0xp(ロッド)は満月になっていた。
別段3Lbラインをけたたましく出してゆく訳でもなく、近年ジャンク化したカーディナルが壊れる程のパワーがある訳もなく、今流行の極小ジグヘッドにケミカルフレーバー400倍とかいうスクリューテイルを丸呑みしたエバ(メッキ=ロウニンアジの子供)が横走りしてそのボディ全体に水の抵抗を受けて尾柄部をバタつかせて最後の抵抗を試みている。
 案外と今でもこれが、死滅回遊魚の稚魚だという事に気が付かない釣り人多いのは意外であった。
どうもこの魚とGTという言葉は、連動していない様である。

 ロウニンアジは、アジ科最大の種でジャイアントトレバリーと呼ばれその昔はローカル兼マイナーな魚種であり、勿論我が国の水産上重要魚種リストには入っていないと思う。
もし30年以上も前に釣対象魚としてもメジャーであれば、“釣りキチ三平”にも登場したであろうし、開高健氏の筆の一躍を担ったであろう。
(三平 三平=ミヒラ サンペイは、どんなGTフィッシングをしただろう。 石鯛編でもえらい事になっていたのに・・磯編とボート編に分かれてやはりリールはPENNなのであろうか。開高先生ならどうなっていただろうか?やはりAmbassador7000にナイロン30LbラインにABUZOOM RODなのか。)
事実は、そのどちらのネタになることは無かったし、ひょっとすると候補に挙がっていたかも?と思う事すら皆無であったのかもしれない。
今開高先生が御存命であればどうだったのであろうか?
それだけロウニンアジ釣りは、過去にはマイナーな釣りであったのだろうと理解するのは容易であり、当時GTという言葉の釣りは日本には存在しなかったと思う。

それを一般に知らしめたのが、鈴木文雄師匠と言う事になるらしい。
 現在では、どうやらコアな釣り人の間ではメジャーらしいが、時々釣雑誌を読む輩にはその言葉だけは知っているかもしれない。

 ある私の先輩は、過去に「ああガーラ、ヒラアジなんて誰でも釣れた、なんのテクも要らない簡単な魚。」そう言っておられた。
1970
年代の環太平洋エリアは手つがずの筈だったに違いないし、その先輩のおっしゃる通り、入れ食いだったかもしれない。
がその頃の時代背景の私は、ロウニンアジという名前はおろか、マコガレイの30cmオーバーが目標であった私には、全くお金持ちの大人の釣りの世界の話で、ましてやそれが海外となると全く想像もつかなかった。
 「ぼくらの釣り入門」にも記載されていなかったし、その後の“ルアー釣り入門”を購入するも、その疑似餌で釣る入門書には、バスを中心とした淡水の釣りがメインで最後の数ページが海でも釣れるという 内容であったと記憶している。
それも、紙面でポッパーの使い方や、ペンシルの使い方を図で示されても全くそれがどうなのか理解できなかった。
 子供には、TOP WATER BASSING などと言う言葉事態、魔法の言葉に思えた。
当然、ナイロンリーダーの取り方の記載もいい加減だったように思える。

 これも今思えば、海(SW)のほうがその対象魚が膨大なのに、当時はまだマイナーな存在だったように記憶しているし、当時それを語れる人は、おそらく皆無に等しく少なかったと思う。
 今から(2010年)30数年以上も前に観たTV釣り番組で当時使用していたタックルは、グラスのスピンキャストロッドにまだUSA製だった頃のZEBCOのスピンキャストリール、ナイロンに直結のスプーンというもので、それを防波堤から投げて70cm程度のスズキを釣る、という構成は斬新であったし、是非真似したいと心から思ったものであった。
 この衝撃はいまでも脳裏に焼き付いている。

擦り込みに近い、インパクトであった。
ゼブコリールが8000円でガラスケースに入っていた頃、それが堪らなく欲しかった。
 しかし、例の如く、それを買うお金は相当な大金である。
やもなく、それはDAIWAのスピンキャストに変わってしまったのである。

ZEBCO made in USA  
それは、魔法の言葉だった。

既に、マニアな世界に踏み込みかけていた小学生であったのかもしれない。

リアルベイトワフー



その3へつづく