楽園の終焉-小楽園の幸福2011‐5 ― 2020年07月09日 20:32
-ジュクン-
なんとも不思議でライトな釣り風景だが、狙う人は本気らしい。
その胸鰭はまさしくロウニンの刀・・・果たしてその切れ味は。
バリにはジュクンという伝統的は小舟がある。元々は現地の漁師が使っていたもので、当然今でもそれで漁をしている人もいると思うが現在は観光用として多く使われていると聞く。
そのジュクンで釣りをしてみよう。
ライトタックルで。
と言う事なのだが…。
人のいい感じの船長は、元漁師で今はこの小舟で観光客を乗せている。
年齢は私と同じくらいらしい。
話によると、漁師よりも観光でボートを出す方がまだいいと言う事だった。
彼にもさまざまな、事情と決断があったであろう。
そのジュクンの流れ的には、船の大きさや安定性、踏ん張りの利き具合を考慮しながらここは、ライトロッドであろうと判断しての本日の釣りとなった。
狙いはGT、浪人鯵、ロウニンアジである。
日陰付の観光風船。
座り心地は悪いが贅沢は言えない。
船は、ゆっくりと回転した後ギリギリのところまで砂浜に近づいてステップを下ろすと、乗客はぞろぞろと降りて海に入った。丁度膝上くらいの深さになった。我々3人も海中へ足を入れて丘へ向かったが、既にその近くで小舟が待っていた。
ジュクン?と聞いていたがどうも作りは少し大き目。それは、FRP製でイスが何列か作ってあった。YAMAHAかSUZUKIか忘れてしまったが船外機1機がけ25馬力だった。
これも果たしてジュクンと呼んで良いのか判らか無かったが目的は観光の為に作られたものであって漁には使っていないようだった。
船長と立派な愛棒。
予備船外機が備え付けてあるが、予備タンクはなく、脆弱だった。
近くを簡単に周遊するためのボートらしい。
バリ語で釣りはマンチングといい、GTはカトッゥンというらしい。
船頭さんに握手してから乗り込み、早速沖に出た。
船頭さんは、私よりもかなり年上かとも思ったが案外同い年くらいかもしれない。
2時間―丘で休憩―2時間のスケジュールでチャーターしているとの説明をH氏から受けていたのだが、いつもと違って小ぶりで燃料タンクも小さいのでそう一日中という訳には行きそうもない。
幾分勝手も違うし、規模も違う、移動範囲も当然違うが、ジュクン風で海面スレスレ感もある。
それは、それで移動も楽しい。
辺りは、ジュクンやダイビングの船があちらことらと点在していて、これは案外釣り辛い場所も多いようである。そして何よりも投げるルアーの前を平気で横切ってゆく。(ほんとこれは、頂けないがそれも仕方がないと諦める)
最初サラシ際を打とうと接近するも、複雑な海流と波とで上手く近づけ無かった。小舟では、準危険レベルである。
と我々は、少し遠慮気味の位置からスタートした。
舳先に私と名人の2人が立って複雑に絡んだ流れにキャストする。疑似餌が表層を叩く(泳ぐ)。これまた確信すら持てないが、目ぼしいところには必ず二人で叩いてみる。魚群探知機もなく、当然レーダーもない。
水深も判らない。
「ユリアナさん、船長は漁師さんだったのかな?」
少し気になったので余興にユリアナ氏を通して船頭さんに聞いてみた。
少しの会話の後、
「昔は漁師もやっていたしトローリングもやっていたそうです。」
なるほど、その話に嘘偽りはなさそうだ。
「カトゥン狙いだからと伝えてください。」
漁師は頷いただけであった。それだけで、船頭さんは十分でだと言わんばかりだったように感じた。
諦めないで投げましょう。
と言い聞かせながらキャストする。
その後、めぼしきところは取りあえず投げて探った。何度も何度も同じことにみえるがその都度、少しずつ違う。
流れの複雑さはうず潮となって船をクルクルと回転させた。このクルクルがとても釣り辛い。
2時間が過ぎた頃、諦めムードが漂う。
ユリアナ氏は、このまったりとたるい雰囲気に、すっかりお休みのようだった。
毎日寝不足なのかな。24時間体制にちかいものね。そこは、まさに目をつぶってもバチはあたらないだろう。
しつこく、アクションを繰り返す。
ヒットするのか全く分からず。
船頭さんの顔もいつまでこんな事をするのかとも思える表情に、あとはこちらが折れるだけという雰囲気になった。少しの不安感もあるだろうか。
気を持ち直して、竿を置き、疑似餌をダートベイト90から、折角ならと他の量産日本製18cmに替えた。GTルアーとしては、小ぶりな方に入る万能型ペンシル。ロッドとのバランスも良く、水絡みも良い。
疑似餌は、ロッドをスライドジャーク(横にゆっくりと煽る)すると頭を下げて左右に首を振った後、ぴょこんと頭を出す。
ボディの1/3くらいを水面から出しまた浮きが消し込むように前後する。
このタイミングがなんとも面白いが、魚が捕食する時はこのタイミングのような気がする。
601-FTS20 20Lb class
MOONRODでもライトクラスで最も信頼の厚い機種である。
しかし、喰わない。
何処にいるのか判らない。
いても喰わないのか。
ダイバー達は、悠々と泳ぐロウニンアジをこの下で観察しているのか?
判らない。
悔しいけれど…。
奴は、出て来ない。
シナリオ通りには、いつも行っていない。
ドラマにならない。
これが現実。
いつも理想は高く、現実は厳しい。
その厳しい現実にプレッシャーとストレスが乗っかっている。
頼みます、解放してください・・・。
腐敗した心の底に落ちて行ってしまいそうで。
「ふぅー。」
ため息風。
「ポイントを変えますよ。」
とユリアナさんが言う。
もちろんそれはキャプテンの意見ですけど。
その言葉に異議も最早無い。
ただペットボトルの水と燃料だけが消費された。
今日は、スプライト、コーラ飲み放題ではない。
既に500㎜ボトル3本目。その水は、みるみる汗に変わるのだった。
ビーチに近づくとこれまた、ダイバー船と他のマリンスポーツでどうも釣りづらい。(溜息交じり・・・)
そこで小島回りを叩く事にしたが、船長は、燃料があまり無いと言った。
時計を見ると既に2時間はオーバーしていた。
もう少し行けそうらしいので、いつものポイントの近くを流す事にした。
「もっと島に近づいて。」
名人が言う。
楽園の終焉-小楽園の幸福2011-4 ― 2020年06月30日 21:14
「今日の釣はリョービ」のテレビCMが懐かしい。(それが全国放送であったかどうかは謎ですが)
-小楽園への道のり-
レンボンガン島のレストラン。
リゾート感は満点に近い。
釣りでなければかなりエンジョイしたいところでもある。
やっぱり、幸福な事に同じように次の朝はやって来た。さらに幸福な事にいつもと同じ高カロリーな朝食が待っていた。なんだか判らないが同じようなメニューに開き直った我々は、ソーセージとベーコン、菓子パン。面倒なので、バリコーヒーを自分で2回ほど継いだ。
いちいちウエイターを呼ぶのが面倒になった。そこが、忙しい庶民の日本人の余裕の無さかもしれない。
ユリアナさんがお待ちかねらしいので適当に20分程度でさっさと口に運び、早々に移動した。
もう、口に入れば何でも良いという感じである。
ここまで開き直ればなんの事はない。
道具一式を手に取って2人、せっせとロビーに向かう。
案の定ユリアナさんは、ロビーの外で待っていた。
いつもスラックスにバリシャツで観光ガイドとしての出で立ちであったが、今日は少し違っていた。Tシャツに短パン、サングラス、野外に出掛ける用意が整っていた。
「さあ、出発しましょう。」
ロビー外には、見慣れないしかし、どこか懐かしい感じの車が待機していた。
それは、三菱製のワゴンで昭和の香りが程よくするのだった。昭和60年前後には、このようなデリカが良く走っていた。当時は、まだまだマニュアルミッション車が多かったと思ったがこれもそうであった。
バリでも最近このような歴史を感じさせる車は少ない。
このタイプの4WDは、その昔の学生時代に岩手や東北で良く見た感じだった。
当然この国では、舗装されていない道以外はあまり必要ない。(雪はないので)

人種の坩堝な待合スペース、日本人は我々だけだった。
車で揺られる事1時間程。
沢山のオージーと思しき人が圧倒的多数だった。
中国人と韓国人と我々日本人が少々。
所謂港も堤防も存在しない。すぐその先は、サーフである。
チケット売り場は、古い講演台風のものに案内のプレートが貼ってあるだけ。
もちろん、待合室などない。ベンチと屋根が付いた簡単な造り。
一体船は何処に附くのだろうか?
疑問は、絶えない。
すると、船が沖に見えて来た。
ゆっくりと近寄ってみると・・・。
直ぐに謎は解けた。
ハイスピードらしいが、チケット販売は極めてスローだった。
所謂島時間なのだろうか。
あれっ!船外機??・・・・なのか?
そうそれは、想定外の船外機4機掛けであった。
ギリギリまで船は近付くと船外機は4機共上がった。(直ぐに砂に接触するので)このような大型船外機は日本で見た事がない。
そして更に謎は解けたのだった。
それぞれ皆さん、靴(サンダル)を脱いで、荷物を濡れないように担いで並んだ。スーツケースはスタッフが担いでそれぞれが乗船している。
それは、何かを思わず連想させた。
そうだ。歴史の教科書にあった、川渡し。そう言えば、水戸黄門にも良く出てきたと思う。
船のステップを上がると直ぐにサンダル入れがあった。
レンボンガン島は、リゾートホテルやコテージがあるらしく多くの観光客はそこで何泊かするようだ。荷物は、水に触れないようにはして運ぶ。
ここまで来ての日帰りは、まず殆どあり得ないだろう。
荷物を運ぶのも一苦労
日本ではこのような感じは観た事がない。
なるほど船外機でなければ乗る事は出来ない。
もちろんロッドを担いでいるのは我々3人のみ。更に言及すれば、日本人は我々2人のみ。
ロッドを担でいるにも関わらず関心を持つ人は誰もいない。
また、その目的はさまざまなのは、当たり前の話である。
2階から景色をのぞむ。
立っているのは私と忍者君だけ。
一種独特の日本人2人だが、それを気にする人もいない。
2Fに上がっても良いかと聞いてみると、スタッフが問題無いと言うのでステンレスの梯子を上がってゆくと、そこには操縦席と、6人程度の客が座れるベンチがあった。
早速上がってみると、オージーと思しきおじさん3人と恐らく英語ではなくフランス語っぽかったカップル2人。
おそらくオージーのお姉さんが一人という構成であった。
そこに現れた、東洋人2人の我々。
全く人種の坩堝状態の船内。
偏光レンズ越しに景色を見ていると、時々嫌でも視界に入ってくる彼らを見ていると、20分が過ぎたところ前後でフランス人カップルは寝ていた。
歳は私よりは恐らく若いとは思うが40歳は超えてそうだった。また、私のすぐ前の白人のお姉さんは、恐らく20歳前後。一人旅の様子をペンで一生懸命綴っていた。日記なのか、なんなのかな。その彼女のノートは相当書き込んでいるらしく、学生なのか物書きなのかは判らなかったが、彼女はひたすら書いていた。がしばらくすると彼女も寝転がっていた。そして異常に長い脚を私のほうに向けた。
皆我々東洋人からすると異常に高いその鼻は、見慣れていない。
丁度寝転がっていると鼻だけが異常に高いのが良く目立つ。同じ人間なのだが。
ボートはざっと30人程度を乗せてレンボンガン島へと向かっていた。
船の旅とはいいもの?かもしれないが、船内は何処も塩水で濡れていて砂も上がっていた。
このシステムである以上は、今後も変わる事はないに違いない。
目的地は皆さんレンボンガン島なのであるが、思惑はそれぞれ異なる。
上陸前の景色。
水の色もとても綺麗だった。
海岸線に望むホテル群、コテージ風なのか。
何度もいうことにはなるが、恐らくこの中には釣りに関心のある人はいない。
しばらくすると島の湾が見えてきて、船は減速し始めた。
また新天地風の上陸の筈なのだが・・・。
そこは、リゾート観光地には違い無いようだった。
理想は新天地であって欲しいが、その現実は、多くの邪な思いを毎日運んでいる。いつも先に入るのは、邪気に満ちた心なのだろうか。
よこしまな思いが出てくるところとは、一見遠く感じるのだが。
こんな上陸は、異例といえば異例であるが、なるほど、日本ではどんな島でも港が整備されているのでこのような体験はそうそうない。
今度は、その逆で下船と同時にそこは膝上までの水深の波打ち際だった。我々の上陸である。
楽園の終焉-小楽園の幸福2011-3 ― 2020年06月15日 17:04
-居残り組-の気持ち‐
バリ最終戦の後(楽園の終焉Ⅱを参照)。
三つ星ホテルのロビー外から前衛を一人ずつそれぞれ見送る。
一人また一人と抜けて行き、帰国へと旅立つ。
戦友が先に帰国する気分のような気がした。
心の穴が少しずつ空いて行くようであり、実から虚へと心が移動していくような感覚と寂しさを抱きながらその手を振った。
虚と実その2つの繰り返し。
次の日は、我々も帰国となるのだがね・・・。
なんとも寂しく感じた。
居残り組2人が部屋に戻る。
「ああなんとも寂しい限りだなぁ。」
「ええ私はいつもこんな感じですけどこの時が一番寂しいですね。」
室内には、初日に盛られた果物がそのまま、そこにまだあった。
綺麗に盛られてラップがかかっていたが、結局今日まで手付かずのまま。
"これじゃあ勿体ないな。"
流石にバナナの一本でもと思って良く見てみると・・・。
果物達は、すべてカビが生えていた。
「うわ、やってしまった。」
それを見てH氏はと言うと
「あぁ…。」というリアクションであった。
それでそのままテーブルに置かれた。
流石に冷蔵庫に入れておけば良かったと思った。
これを"後の祭り"という。
しかし、どちらもそれを今から冷蔵庫に入れる気もなく、ゴミ箱に入れる気も無かった。きっとホテルのベットメイキング係もどうして良いのか迷っていたのかもしれない。
「さあ、もうひと仕事するか。」
そう言うとH氏にもその旨が伝わるように声をかける。
ラインシステムをチェックしながらベッドの隣にあるスタンドテーブルに置いてあるチョコナッツバーに手が届く。
「あんたも食べる?」
一人で食べるのも申し訳ない気がして声をかけてはみたが、即
「要りません。」
とあきられた様子で返答してくれた。
それでもしつこく
「旨いぞ。」
と言うと、ちょっと信じられないという風な顔をされた。
それは、何処のメーカーかも忘れたがインドネシア製と思う。
それに補充されたエクセラの袋をまたひとつ破って、お湯を注いだ。
これだから寝付けないのかもしれない。
次に竿をセットしてみた。
秘密兵器の登場である。
MOON 601FTS-20 20Lb class&Dart Bait 200mm 90g
それは、601-FTS20という文字通りのIGFA20Lbクラスの
ライトロッドである。
通常は、ワラサ~ブリやシイラをメインに展開するロッドである。
今回はそれでGTを狙う事にした。
ボートは、船外機で観光用ジュクンと呼ばれるものに近いそうで、それを半開拓で浪人を狙うと言うものであった。
通常のグラファイトマテリアルシイラ用であれば軽くてシャープな感じではあるが、曲がりの限界は早く、折れる危険性を大きく孕んでいた為にブランクは限界ギリギリまで絞れるSと決めていた。
それは、当初からの計画通りである。
また、使用するルアーは100gを切る物と決めていた為にこのブランクが採用された。
丁度ヒラマサ等に使うダイビングペンシル系が60~100gが多く、クラフトベイトの新機種ダートベイト90gが上がったばかりなのでそれも使いたかったので尚更であった。
さあリールはどれにしようか?
新調したPENNのCONQUER8000と予備に例のジャンク8000高級風オフショア風のリールにした。
ジャンクと言っても最早既にGTを2本も獲ってしまったので以降はジャンクと言う言葉は使わないようにしようか。
こちゃこちゃとやっているうちに夜は更けて行った。
気が付くとカップのインスタントコーヒーは冷たくなっていた。
エアコンは25℃設定になっていたが、コーヒーはアイスに感じるほど冷たかった。
不味い。
ただでさえアロマの少ないこのコーヒーでは、もう飲める状態では無かったが、予備の袋がもう無いのに気が付いた。結局、この数日間このインスタントコーヒーの殆どは私が開けて使っていたのであることに今更ながら気が付いた。
飲めるだけでも感謝と言う事さえも忘れていたのかもしれない。
リゾート風ではあるが、その気分ではないので、改めてそれを認識した。
「まあ、どうなるかは判りませんがあまり期待しないでくださいね。」
今更確認など必要ないのだが、名人がそう念を押して行った。
商売柄当然と言えば当然の事なのだろう。
半分開拓という事は、リスクもすべて含んで理解できなければならないのではなかろうか。
それが出来ない人は、開拓という言葉を使うべきではないと思うが、そもそも遠征だからと言って絶対は無い。
これは、バーチャル釣りゲームではないのだ。
そして、明日夜には引き上げなければならない。
明日の夜中にはまたあの飛行機の中なのだ。
先を考えると疲労困憊な気持ちになるので途中で想像するのを止めた。
FTS20のグリーンと忍者のブラックスペシャルの竿を2本並べて、明日の荷物を防水バックに詰めた。
きっと今夜も夢を見ることもなかろう。
焦りと不安は常に同室随行のようだった。
まぁ、悪夢を見ないだけ幸せなのかもしれない。
深い底に沈んでゆく。
駿河湾の底のような。
オンデンザメが悠々と泳ぐ深海。
最大級は1t以上あると聞く。
深海の生態系。
時々カグラザメの姿がチラつく。
夢にはそれは出てこない。
ただ出てくるのは、暗闇の中に埋もれた人々。
上を向いてはいれども決して上がる事もない。
永遠の底。
そのような幻覚を見たか見ていないか解らないバリの夜中。
ふと思い出した。
1995年の終りだか96年の終りだったか、サラリーマン時代の真っただ中に書いた文がある。"川端談義"という題目でA4サイズ5枚程度の短文であったが元々リサイクルとリユースと駿河湾のアブラソコムツ釣りを重ねたものであった。それで、ふと深海というキーワードでなんとなく思い出し、それをひっぱりだして読んでみた。
少し恥ずかしい。
今から15~16年前のもので今よりも配慮の足りない文でいつか掲載しようと思っているのだがそのまま。(未だいつかは、掲載しようと考えている。)
今回追記を兼ねて挿入してみようと思ったのであるが、それも止めた。
楽園から更に遠くなる気がしたのだ。
そんな事は、実際にはないのだが。そもそも楽園なんてないのかもしれない。
レンボンガン島の景色は素晴らしかった。海流のせいか、掃除のせいかゴミはほとんど流れついてない。狭い島周りもゴミは見当たらなかった。
楽園の終焉-小楽園の幸福2011-2 ― 2020年06月09日 15:12
-幸楽苑-
その入り口の看板に偽りはないかもしれない。
ただ確信には至っていない。
小舟に佇む601-FTS20 Custom 20Lb class
福島に始まったこのラーメン店は、会津若松「味よし食堂」がそのルーツらしい。今や関東から全国へ展開しているらしいが詳細はネットでいくらでも調べられる世の中なので省略することにした。
アナログの時代であればそのレポートだけで良いものが書けそうな気もした。
もう勝手なお話であるが、それと"一杯のかけそば"という一時話題と物議になったお話とが重複する。(関心のある方は、一杯のかけそばと言う話で調べてみてください)
我が家にとっては、ここの中華そばには助けられた事が少なからずあったということだが、特にお子様セットには大変感謝している。190円と言う価格が存在したからだ。
今時子供の食事とはいえども190円と言うのは私の知る限りでは見たことがない。現在それをオーダーする者は、うちの家族にはいない。
しかし、うちの子供達はすべてお世話になった口である。
少なくとも、我が家の救世主メニューだったと言える。
例えそのカップに注がれたオレンジジュースが果汁10%未満としても・・・・。
それは、変わらなかった。
バリ遠征から既に4ヶ月が過ぎた頃のビックひなまつり最終に近い日、H氏と会った。
釣りのイベントに行ってみたが、我々には収穫というものは全く無いかの如く空しかった。いや、探そうともしなかったのかもしれない。
そこには、銀座とは違う欲が溢れていてそれが人間関係をいっそう疎遠へと導いていたからかもしれない。
帰り道の途中、雨のち曇り午後。
昼食には遅すぎる時間。
"その店に行った事がない"と言うのをきっかけに思わず立ち寄り、今回で2回目の東京駅前店でそれを食べた。
幸楽苑の基本は、何処で食べても同じだった。
彼は、その価格には少々びっくりしていたが、価格の割にそのまた味が良いらしく若干の感動があったらしい。
食べる事ができなくて、不幸にも命を落とす人々からすれば、何とも贅沢な話であるが現在の我が国ではあきらかに安い。
この時点でこの290円の看板に偽りは無い。
できれば、皆この楽苑でも楽園でもいいから連れて行って欲しい。
ここのお子様セットに付いているおまけのガチャポンのように。
それが次の日には、忘れ去られて部屋の隅に転がっている中国製の人形だとしても。
ガリガリガリッと音のする一捻りの至福とその末にゴロリと落ちてくるカプセルに詰まった僅かな幸福があったに違いない。
そのおまけは、時によって様々なアイテムであるがその後彼らが大事にしている姿はあまり見ていない。
彼ら(ガチャポンおまけの中身)は、知らないうちに何処かへ行って紛失してしまい、ある時は半年後の車の座席下から、またある時は、部屋の片隅の隙間の中から、埃を被って出てくる。
たった一瞬の幸せとは、実に儚い。
しかもパーツが一部欠損していたり、紛失していたり、動かなかったり、タイヤが外れている時もある。
その目に焼き付く情景は、案外少ない。
そうやって記憶からも消えてゆくのか。
春雨は続き、携帯折りたたみ傘はそのコンパクトな割に、役に立っているようだった。
これまた偶然にもその折りたたみ傘は同じ製品だった。
Hよ、おまえも○○○ロか。
二人してその似たような傘で埃っぽい駅前を歩いた。
ズボン足元の裾が徐々に濡れて行った。
中学校の頃、雨の日の通学はいつもこんな風に濡れた。雨の日の通学は、すべてが湿った。
ずっとこの雨なのだな。
冷たいね。
疲れきった体には、細かく降る雨は更に冷たさを倍増させた。
そんな春の夜は、寂しくも感じた。
いつも都会の道は賑やかではあるが、寂しい。
東京駅は、人の冷たい流れが押し寄せていた。
その寂しい中に人は皆集まる。
そしてその歩調は早く、瞬時に避けてぶつかる事もない。
また、ぶつかっても挨拶を交わす事もない。
そんな大都会。
すみませんと言う言葉さえ忘れてしまったかのようだ。
これが親切で有名な日本人なのか。
楽園の終焉-小楽園の幸福2011 ― 2020年05月29日 18:53
楽園の終焉-小楽園の幸福2011
The
end of small paradise
人は力なく伏せる時、僅かな幸福でも何処かにあったらと願う。
それは、世の中が余りにも切ないからであろうか。
何処まで行っても、島を巡っても幸せは落ちてはいなかった。
それでも落ちてそうでまた探しに行った。
楽園は遠い、果てしなく遠い…。
2005年NY、ボートからマンハッタンを望む。
開高健も見たその風景。
NYにも無かったし、泥水のようなハドソン川にも無かった。
西側にあるかもしれないと、西海岸にも行ってみた。
Delaware湾にも無かった。
ストライパーをフェザージグで釣る。
とても綺麗とは言い難いイーストリバー河口には、都会からのあらゆる邪気を吸っていてそうで尚更無かった。
流れてくるのは、都会からの下水が混じったいつまでも濁った水とゴミであった。
ブルーフィッシュ。ルアーでもフライでも、襲い掛かってくる。
東海岸では一般的なゲームフィッシュ。和名はアミキリ。
ダイヤモンドリーフで、新型キャステングロッドを使う。
ギブスのペンシルで釣る。
この日も入れぐいだった。
アミキリの魚影はかなり濃い。
群れで回遊しているのか、開口健はこれを釣るにも苦労したらしい。
寒い結氷寸前の道北の流れにも無かったし、四万十の流れにも無かった。
それどころか旧後川の中下流からは、未処理と思わしき下水が流れ込んでいた。
それでもその浄化作用で幾分水質は保たれていて、今でもブランド名は取りあえず保たれている。
夏の日の四万十下流は、暖かい30℃近い水温の日が続いては台風が来て冷えて、また一週間前後は徐々に澄んで行った。
そのような、蒸し暑い夜の河には、あいつが堂々とその魚体で餌を探しているのであろう。
バリの河川はと言うと、汚水という汚水の全てが流れ込んでいる感じで大雨の後は島全体のゴミと汚物の全てを洗い流れ込む。
そしてそれは海へと流れ込む。
流れ込んだ汚水は海で拡散され、自浄作用のキャパ内にあるらしく、少し沖にでれば碧い海の色であった。
人の邪心や強欲なる欲望もすべてこのように流して浄化してくれれば楽園なのに・・・。
今期間中も昨年もだが、この河川の水は綺麗になることは一度も無かったが、それでも沖は澄んで青かった。
ただ残念な事に、ビニールやプラスチック類は、何時までも漂っていた。
これに関してはその文明の高さの是非にかかわらずその海で見る事になる。
それは、割合流れの早い外房の海も変わらない。
複雑怪奇に絡みあった人間関係と、金と欲の絡んだ利害関係の狭間の午後。
なぜか場違いな場所それは、銀座の新築で綺麗なホテルのロビーで話合った時に感じたのであった。
何故かここは銀座のホテル。
そこは、スーツに身を固めた白人紳士が多かった。
チェックアウト時に、丁度隣部屋の人と同じ時間に出てはち会った。
70前後の老紳士と20代のモデルのような女性の不思議なカップルであった。
その女性は、老紳士よりもはるかに背が高かった。
彼らは、なんとなく気不味い気がしたのか同じエレベーターには乗らなかった。
非常に違和感を覚えたが、それはそれで都会の一部であろうか。
残ったのは、気が吸い取られて干からびかげた義と誠、増大する脱力感と無力感であった。
「こんなホテルバリにもあんの?」
と参考までに忍者に聞いてみた。
「ありますよ。」
なんとも当たり前かのような返事だった。
明らかにこのホテルは、バリイスタマラマホテルよりも星はひとつ上のランクであろう。
そんな、3月の銀座の雨は芯までは冷たくしなかったが心は冷たくした。





































