台風15号 その自然の猛威2019年09月17日 17:46


台風15
その自然の猛威

 

98日夜から9日の台風15号は、千葉、房総を襲い、風速50m以上で(場所によってはそれをはるかに上回ると言う話も聞いています。)と言う体験した事のない暴風雨となりました。

当方も被災はしたものの、家族が無事であった事は不幸中の幸いです。

結局のところ、10日間以上も休みになっていた末っ子の通う学校も明日17日から再開になりました。

 

しかし、未だ報道されていない被災地も多く、916日現在も被災されてご苦労されている多くの方がいらっしゃいます。

 

 心よりお見舞い申し上げます。

 

昨日(15)鋸南が実家とご親戚と言う鋸南生まれのご婦人に会いました。

ご本人も南房総の方なので被災しています。

その話によれば、高齢者が多い街なので人手は足りないようですが、自衛隊も入って復旧されているようです。

 

地方には高齢者地域も多いと思いますが、今後もこのような場合もある事も考えて行かなければなりなせん。

大きな損壊物は、やはり自衛隊や消防等の重機を扱える機関が主力だとは思いますが、必要なら声をかけてください。と別れました。

 

いつも、災害の時は思う事は、その援助等に一過性が多くて、しばらくすると助けが減少してゆき、時間経過と共になくなってゆく傾向にあるかと思います。

 

 高齢者や、独り暮らしの方は、更にその後が大事だと思います。

そこは、行政の仕事が左右すると思いますが、それと同時に今後の日本全体の課題であると思います。

日頃災害救済等に携わっておられる友人が申されるには、

「災害記憶の風化はなかなか避けられないですね。いつまでも気を張っていては心が病み、しかし、心に留めていなくては災害が繰り返します。」

 

「行政のあり方は自治体により様々で、どこも正解が見えないのも事実です。災害形態の変化にいち早く対応したいものですが…」

 

ここまで凶悪化する台風や災害の対策は、国をあげてしていなければ今後の温暖化をはじめとする環境変化による被害は避けられないでしょう。

 

人間は、常に自分の事以外は関心のない事が多いものです。

そして、日ごろから、感謝する心や、神仏に頼ることはおろか初詣以外、その事すら忘れてしまいがちです。

 

私を含め、自分でなんでもできるかのように思ったりしてしまいがちです。

 

それでも、危機が訪れた時は、どんな無神論者や唯物論者であったとしても、藁をもすがる気持ちになってしまい、「神様、仏様どうか助けてください。」とその時だけは、切実に祈る都合のいい存在なのかと思ったりします。

 

今回も倒壊しそうな我が家を前に、手を合わせて「どうか無事でいさせてください。」と祈る事しかできない私とその家族を見ました。

 

アメリカの古い友人が、2012年のハリケーンサンディの事を思い出すと言っておられましたが、日本とは反対の北米から、多くの報道はされましたが、その悲鳴は届きませんでした。

他の災害もきっと、その住む世界が違えば、届きにくいです。

 

そのしわ寄せが、必ず来ると言う事を世界レベルで認識して対策してゆかなければ、世界規模でどんどん環境悪化になって行くのではないか思います。

地球は、なんとかバランスととろうとして台風を発生させますのでこの温暖化が進めば益々超強力な台風やハリケーンが発生する事が予想されても不思議ではありません。

早急に対策を練るべきかと思います。

サワガニメス

台風後、その住処を追われたのかサワガニが玄関に入ってきた。

サワガニメス抱卵

雌で、多くの卵を抱えていた。
逃がしてやろうと、したが、なんと私の不注意で踏んでしまった。
こんな小さな事さえ、思うようにいかないのは己の不甲斐なさを痛感した。

 

言葉で言うには簡単に発信もできるけれど、その深いところまでは、感じるその人によるということがあるのも事実であると思ったりします。

2019916

楽園の終焉-Ⅱ-Ⅱ小楽園とつづく


楽園の終焉シリーズⅡ Ⅱ小楽園 Ⅱ番外編2019年09月19日 15:47

9月も中盤にはいり、不安定な天気が続きます。
復旧作業の皆様大変お疲れ様です。
どうかみなさんくれぐれもご自愛ください。

楽園の終焉シリーズⅡ
Ⅱ小楽園 Ⅱ番外編

GT TACKLE

それぞれ出番を待つ道具達。

それらにメーカーとかブランドとかで差別されるいわれはないが、往々にしてメーカー絡みだと他社はアップされるどころか、撮影されないのが普通である。
それが、利害を求める商売の正論と言う事なのだろうか。
もしそれが正論ならば、よほど正論外れか商売下手な人間なのだろう。


序章

giant86

90年代皆が憧れた名竿FISHERMAN GIANT86
その名はまさに対浪人鯵に相応しいものだった。


 このシリーズもやっとⅡまで進みました。

 当時と今(2019)との感覚とは少し違いますが、その1からするともう8年が過ぎています。8年は、ある年齢にとっては(特に人生後半となると)とても短いのですが、子供の頃の8年はとても長いものです。その時の思い出も次第に薄れ褪せて行きますが、画像と映像を再確認すると血肉脇踊る自分があるのかも知れません。

当時のたわいもない会話とその内容については、忘れたかもしれませんが後輩と2人で投げたその時の事を忘れません。

その時のメンバーも忘れません。
それも高齢になるに従って忘れてしまうものなのでしょうか?

そこに立って、同じように同じ目的で人生の一時を過ごす。

忘れないと言うその思い出は、良いに越した事はありません。

良く昔からの言葉に、お金の切れ目が縁の切れ目と良くいいますが、それだけの目的でなければ案外腐れ縁といいながら、未だ年数回のくだらない話を楽しみにしてくれる後輩八鳥がいます。後輩は、良く三陸の話もします。それだけ良い思い出が沢山詰まっているのでしょう。

 友人は、かけがえのない財産であります。栄耀栄華を持ってしても、びた一文持って行けないのがあの世だと言いますが、もしそれが本当であったとしても、思い出は持って行けるのでしょうか?

三途の川を渡るにも、三文銭を持たせてもらわなくてはならないそうですがその事さえどうか判りません。思い起こしながら、映像からカットしてみました。

ヒット直後の後輩

投げろ!と言われ、投げる後輩と超一流大場所バトゥアバ

ジャークを始めて何回目だろうか。
激流に揉まれるルアー(リアルベイト130サンマカラー)に襲いかかるロウニンアジと、その爆発的攻撃にビビり気味の後輩八鳥 

しかしながら、しっかり?とフッキングを決めた。

キャッチする後輩

その先のGTはキャッチされ、リアルベイトサンマを外すクルー 後輩にとっても恐らくレコードクラスのGT。

その後輩は、草食動物の野生本能とやらで、その恐怖と畏怖が解るらしい。ある意味真の野生なのかもしれない。

TRAVELBG73とGT

TRAVEL73BGをぶち曲げるレコードGT
相手にとって不足はない
激流の中をこの大型GTは猛ダッシュしてくれた。

 

TRAVELBG73とGT2

未だに後輩は、この時の事を時々話してくれる。
後輩だけは、そのトラベルロッドの威力を真剣に語る。
確かに2010年当時は、他にこのクラスのこのトラベルロッドは釣具に携わってからの間著者も後輩も見た事が無かった。

TRAVELBG73とダイバーご一行

ほぼ直下に近い底で頑張るGTとそれを見学するタイバーの船 

彼らが暫く見ていた

 

大型ロウニンアジ

こいつもリアルベイトサンマだった。
サンマが居る筈もないこの海でもロウニンアジの野生を呼び覚ますには、十二分だった。
人間の見るリアルと魚の見るリアルは、明らかに違う。
しかしながら疑似餌は、量販店にディスプレイするとリアルカラーばかり売れて行くと言う。

街の小売店は、すさまじく減少し、大手通販と量販しか残っていない現実には、適格なアドバイスもそう多くは望めない。
勿論、その先の動画配信にも・・・・真実は見えてくるのだろうか。

レンボンガン島のレストランで

さてそれでは、楽園の終焉Ⅱと小楽園と続きます。明日と言う未来が幸福な事を願って。

寺院への道

楽園の終焉-Ⅱと小楽園とつづく。

20199月吉日

楽園の終焉Ⅱ2019年09月23日 11:10

16号が消え去ったあと、17号がまた迫ってきました。
どうか、皆さんご無事でいてください。
このままでは台風大国です。いや既に台風大国でしょうか。
その1

楽園の終焉Ⅱ2011
The end of Paradise-

寺院を望む

人は目に見えぬ不安と恐怖に畏怖を抱きつつも、

それをできるだけ見ないようにする。
理想は高くどこまでも天上にあるが、現実は深い闇の中にある。

聖地巡礼

それを地獄と呼ぶのだろうか?
バリヒンドゥーには、地獄はなく輪廻転生するらしい。
しかしながら、解脱と言う概念はないと言う。

その疑問は、幼少の頃から変わっていない。

ただ知識と言う余計なお荷物だけが加わって、表現が大人になっただけだった。
そしていつの日かそれすら判らないようになるのであろうか。
そこにあると思わしき楽園を目指したものの・・あるのは
荒涼とした乾いた心の大地と、何もかも無に帰す恐怖、底知れぬ畏怖とが交差する。
末法の世には、正義も心理も倫理も遠く、ひたすら己の快楽の中に生きようとするしかないらしい。
しかし、その果てにも見えるのは果てしない無限地獄なのかそれとも永遠の闇なのか。

Baliの神々が我々を歓迎して待っていて下さる確信はどこにも無いが、そうあって欲しいと願うのはここに来る旅人の誰もが願う事である。

 楽園それは、誰もが願う僅かな希望。

 それでも儚き刹那の夢と希望、何処までも延々と闇は続く・・・・。
闇の底に行きついた我々の人生が、その底の中で蠢いる。
決して脱する事のない深い闇を地獄の底と表現したら良いのだろうか。
 地獄があると思えば決して今を無駄に生きようとはしないのであるが、それに確信が持てない我々は、ついつい自分を中心として生きてひたすらに目の前の現実を行く。
人はそこから抜けだそうともがき、ずり落ちて行っては、またそれを繰り返す。
深い底なしアリ地獄のようなもの。
そんな悪夢を見たことはないであろうか?
私は幼少の頃よく見た。
地獄絵図の恐怖であった。

 カースト制度がまだ生きているこの国の事情は、疲弊衰弱したとは言え世界最高峰の経済大国の面目をとりあえず保とうとする我が国とは少し異なる様子だったようにみえる。
我々は、またこの国を

巡礼と言うなの観光

目指して、その目的地に到着してしまったのである。

 相変らずの空の旅は疲れる。
もちろんそれは、エコノミークラスが定番な人々の話なのであるが。
それは、乗る時よりもむしろ降りる前のビジネスクラスを通る時に実感する。
左側の席は、九州出身の青年で歳は30と言う。
 なかなか個性的ない出立ちである。
右側の席は、格安団体ツアーと思しきおばさんでこちらには全くの関心ない感じだった。
(まあ他人なので当たり前といえば当たり前なのであるが、それは人によって個人差があるのか)
青年のほうは、その奥さんが蒲刈島出身ということを聞き、なんとも少しびっくりした。
同じ瀬戸内の近くの島である倉橋島は、我が先祖の生まれ。
どちらも蜜柑の産地であるが、彼は蜜柑については良く判らなかったみたいだった。
なので、あまりその話はしなかったのだが、今では有名になったらしい超ブランド蜜柑の“石地”の蜜柑畑に幼少の頃何度か行ったのを思い出した。
当然三十数年以上も前の話である。
 石地は父の母方の姓で親戚にあたる。
今ではそのブランドは、おじさんの元を離れてその名前ばかりが有名になったらしい。
量産化の弊害というかメジャーになればなるほど、そのクオリティに差がでるのは常であるみたいだ。
もちろん、それが返ってさらに良い品質を生む場合もある。


その2秋の鯵釣りと余暇(少年とマアジ)へつづく