儚き偶像の彼方-Ⅲ-72019年08月05日 16:29

暑い夏がやってきました。
そして台風も。
先日久し振りにオフショアに行ってきました。
海岸線の全く見えないオフショアラインは、やはり最高です。
しかしながら、UVカットの袖越しに日焼けしたのには驚きを隠せません。
それだけ、紫外線も年々強くなって来て最早、殺人級なのかもしれません。
勿論UPF50を少々塗った程度では、全く意味がないほどです。
この、強烈な日差しと暑さは心まで折りそうです。

それではその7になります。

それからの“おおな“は
2017
年の偶像崇拝

TUNApのtip

上段の青い竿2003年製のTUNApのコートは試験的に、
現在とは異なるエポキシを使用した。
かなり硬目のもので、月竿には向いていない気がした。
しかしながら、このTUNApは、完成まで使用した。


長年愛用してきた、本編にも多用されているM661-TUNApは、月竿の主力でした。
2003
年のM661-TUNAオリジナルから、M661-TUNApへと移行し改良されてきました。
ある面マルチパーパスに使えるこのブランクは、師匠の名作でもあります。
そしてそれらは、月竿を支えてきました。
近年のマグロブームが興るその何年も前から、ずっと製作し続けてきました。
日本では極数少ない船宿と協力店のお蔭で、それもコツコツと製作し続けましたが、マグロの他

にこのイシナギ釣りでも2003年から活躍して来ました。

ボールギンバル

リールシートとギンバルは、当時まだUSA製であった
Perfection MB-16&ball Gimbal

この竿(一番上の青い竿)は、2003年製作から2016年プチレストアをして13年振りに少しだけ衣装を替えて更に今でも活躍しています。
現在は、私が使うよりも貸し出される事も多くなりました。

ブランクは、2002年のオリジナルからその後素材の変更に伴い、アクションはそのままのツナレギュラーアクシションで、パワーだけ若干あがりました。

それでもまだ、ちゃんとした支持があるだけこのM661-TUNApを排除する訳にはいかないと思います。

マグロと言う存在が、急激な進化をしない限り。(しないと思う。)

TUNApをレストアする1

最上段がM661-TUNAp2003年モデルのレストア後の姿である。


TUNpレストア2

ガイドは、まだ現役のFuji RSGフレーム。

そのフレームは真鍮製である。

このガイドは、2003年当時まだ販売されていた。

TUNApをレストアする3

下のグレーは、701-SU20 Tuna casting仕様

レストアする4

その後、偶像さえ、儚き夢になりつつある。
儚き期待も、消えていった。

それでも偶像は、有り続けようとしている。
 儚き偶像の行方Ⅴは、簡単にでも書き留めておかなければならない

と少し思うこの頃である。

月竿3本


マグロを知り尽くした師匠のアナログ設計661-TUNAp永遠なれ。

20171220

その8へつづく

儚き偶像の行方2011-番外編2019年08月14日 08:45

8月に入り猛暑が続きます。
台風も益々大型化する昨今。
環境という自然がもたらすとは言え、元々人間の都合で環境が破壊されて行くのを黙殺してきた結果なのかもしれません。

お盆ですが、丁度故人を忍にはよい一日なのかとおもいます。
それでは
儚き偶像の行方の番外編になります。

名人は本当に名人でした

ありがとうございました

M1295 MOON/HARRY'S701-LB5P Stand up1

M1295 MOON/HARRY'S701-LB5P Stand up

Warasa Custom 2004/06/25納品

M1295 MOON/HARRY'S701-LB5P Stand up 2

2004年当時の撮影なので画素数はかなり低いです。

今年の異常な暑さからまだ解放されていない夏の終わりの頃にそれを知った。

名人が名人たる所以は、昭和と言われる戦後から更に我が国が先進国へとまっしぐらに進んでいる頃
そして、旧D社が世界進出を積極的に展開している頃の話であった。
 唯一と言ってもいいほど、世界中の釣りを紹介する番組に皆心躍らせたに違いない。
当時、海外旅行は庶民の余暇には余りにも贅沢すぎたし、当時のドルは世界最強であって円などとるに足らない時代だった。
そのような昭和の高度経済成長期は、名人と共にあった。
 その後名人と名の付く釣り人は現れていない。
ここでいう名人とは、そう服部善郎名人の事である。
当時釣りでここまで世界中を歩き、それを日本の釣り人に紹介した人はいなかったと思う。
そんな名人も今年の8月の終わりが近づく頃御永眠された。

M1295 MOON/HARRY'S701-LB5P Stand up 3

以前お会いした時、話の流れの中で
「やあ、もう一度ロングレンジに行きたいねぇ。」
「ねぇ○○○ィ・・・。」
「じゃあ今度は三人でロングレンジにいきましょう!」
と私の心も便乗したのであった。
 私の師匠ももう高齢になりつつあるので、いつかロングレンジの夢をまた果たしたいと思った。
「君たちのジェネレーションはまだスポーツフィッシングのなんたるかを理解してくれる人も多いけれど、一昔前の人はその概念をなかなか理解できなかったから大変だった。」

そう言われた。

本音だと思う。

ドラグの使い方すら知らない当時の日本人から始まって、セネターのドラグから煙が出て9時間の格闘の末にあげた超巨大ブラックマーリンの話など・・・・・
その時の話は1時間くらい続いた。

また、最後に
「勝浦か・・・もう行くこともないなあ。」
その理由をお聞きしたが詳細は解らなかったままになってしまった。

そのことに関しては名人も多くは語らなかったが、なんでも地元のとある旅館と相当揉めたらしい。

よほど、勝浦でのその一日が嫌だったのだろう。
二度と行く事もないと言う名人のお言葉だった。

M1295 MOON/HARRY'S701-LB5P Stand up 4

名人のロッド製作に関するコスメの指定は、「コルクグリップ&ブラックスレッドが好き。」

そのお言葉だけであった。
これは、名人のこだわりの部分で、HARRYSという銘には必ずコルクグリップにブラ
ックスレッドの基本カラーであると言う。

M1295 MOON/HARRY'S701-LB5P Stand up 5

当時は、「リールはアンバーサダーだね。」

このころ末期状態になるアブには、EONと言う機種がなんとかかんとかまだ存在していた記憶があり、それを名人宅で拝見もしたと思う。

流石は昭和のお方。
当時あのすさまじく高価で、庶民のしかも子供風情が手にするにはほど遠い超高級舶来リールであったが
40
年以上も前からお使いになられていたのですね。
今はひたすら過去の名声を喰い潰す側になってはしまいましたが。


謹んでお悔やみを申し上げると同時にきっと天国に住んでおられる事を祈るばかりである。
 名人の釣りは、昭和の若者や子供達に世界への夢と希望を持たせてくれました。

またその節のご無礼を何卒お許しください。
 名人本当にありがとうございました。

M1288 HARRY'S 702-UM1 Mebaru Custom1

M1288 HARRY'S 702-UM1 Mebaru Custom 2004/04/12

M1288 HARRY'S 702-UM1 Mebaru Custom2

もう名人の手元にも私の手元にも無い。
MOON/Harry
s Customはわずか数本の生産で幕を閉じた。
もう永遠にHarrysMOONは存在しない事になる。

M1288 HARRY'S 702-UM1 Mebaru Custom3

メバルを春告魚と銘々したのは名人であると直接お聞きした。
これには、私の中の衝撃だった。


その9こころの追記へつづく

儚き偶像の行方2011-番外編心の追記2019年08月21日 17:07

 猛暑が続く8月9日、南房総和田浦の外房捕鯨さんへ、ツチクジラの解体を見学に行きました。
日本では、公開している場所は、この外房捕鯨さんだけみたいです。

和田漁港

 貴重な体験でした。
鯨肉で育った私でも、そう解体するところから見た事は当然ながらありませんでした。
学校給食では、鳥のから揚げと鯨の竜田揚げが良く出てきた記憶がありましたが、どちらかと言うと鯨竜田揚げの方が好きでした。
家に帰ると、夕飯は、鯨焼肉だったりしました。
警固屋の惣菜屋さん(てんぷらや)には、いつも鯨カツと鯨の串揚げがありました。
カツは1串30円だったのを覚えています。
カツは50円か60円でした。
 また、時々でてくる鯨の大和煮缶詰は、定番だったように思えます。
時代は、大きく変わり、今では特殊な食べ物に近くなりました。
当然平成生まれの子供達にとっては、身近な食べ物ではありません。
庶民の味であった、鯨肉は、戦後から平成、そして令和とどう変わって行くのか行く末を見守って行きたいと思います。

大包丁
刺す、押す、引く等のあらゆる解体に万能な大包丁は、素晴らしい切れ味だった。

長くなりましたが
番外編-2こころの追記です。

こころの追記
昭和の名人が残したもの

701ライトゲーム1

手紙の竿 赤と青 組み立ては私(月竿)ではない。

701ライトゲーム穂先

TIP穂先に近い部分/富士工業肝いりで発売されたLDBガイド
現在でも人気のガイドではある。

701ライトゲーム3

中央は、Harrys Customのベースとなったもの
原案とも言うべき竿は未だ組まれていないままでいる。
朱色は本漆である。

名人直筆書1


名人直筆書2

服部名人直筆のコメント。
もう1通ある筈のものを探してみるが未だ発見できずにいる。

まさに昭和を代表する、釣師であった。
しかしながら、平成が進むにつれ、その名前も徐々に平成生まれの釣り人はよほどの事が無い限り、その名前も経歴もその釣り人生も忘れられて行った。

極たまに、ああ沖釣りするおじいさんがいたなぁ・・という感想程度に世代の交代を感じたのである。

それは、アブ社だけとってもエビスフィッシングからオリムピックやマミヤOP~と流れて行き、未だ流浪の民になりつつある誇り高きスウェーデン製のものが無くなるにつれて寂しい気もするが30年、40年と経つと釣具会社など、風前の灯火であったように思える。

令和となると、平成に置き忘れたようになってしまったのは、過去を振り返らない次世代の話に移行するのだと思った。
まさに、歴史とかに左右される事のない、たかが釣りと言う名の娯楽化ばかりがもてはやされる時代の流れなのかもしれない。

 筆者は、二度程名人宅にお邪魔した事がある。

最寄りの駅まで来ると、名人の愛車で自ら運転して迎えに来てくださった。
私の師匠が、名人宅に行くから一緒について来いと言うので同席したのが始まりだったのだが。
 名人は、多くの人と接する事が常だと思うが、師匠は別格らしく丁重にもてなしてくださった。
何せ、1970年代からの付き合いであるのだから。

その晩、名人宅にて師匠と奥様と4人で会食したのを今でも覚えている。

奥さまも、本当に笑顔が素敵でした。
名人は、なんとおさかなを食べる事がそう得意では無かったと言う事実に、少しばかり驚いた筆者だが、師匠はと言うと、40年来の付き合いなのでそれを良く承知していた。

 その晩のディナーは、お寿司が並べられていたが、名人の前には、マグロの赤身一色のお寿司が鎮座していた。

何でもマグロ赤身だけは食べられるとおっしゃっていたのを思い出す。

奥さまが、笑顔でお話しするのを聞くだけだった。
その後、名人と師匠が、世界中を駆け巡った話をその横で聞き、楽しい夜を過ごした。
カナダのキングサーモンのムーチングの話は、楽しそうだった。
ダイワ精工のバイキングと言うリールもカナダダイワ1番の名品だったらしい。
そのような、釣りも日本では顧みる事はないけれど。

終わりに

 磯、船、ルアーからなんでもこなすスタイルは、今現在殆ど見かけなくなりました。

 名人が今現在の私の歳かもっと若い時に出会う事ができたら、と思ってもみます。

名人ほどの方でも、その歴史には殆ど記される事もなく、天才だった師匠の事を話す人も殆ど居なくなりましたが、本来ならば名人のこの話も続く筈でした。

それももうかなわぬ夢です。

真に紳士な方でした。

そんな方は、今の釣業界には多くはいない、いや殆ど居ない気がします。

名人と師匠のその全盛期は1970年代から1980年代半ばだったのだと思います。

 道具はどんなに進化し発展しても、その間の対象魚は進化していません。
それは、誰もが認識する周知の事実です。

昭和から平成、そして令和。

何時の日か、釣りと言うものが道であり、その高尚な趣味であり、スポーツとして復権する日を夢見ています。
それは、名人と師匠、私の夢でもあります。

儚き偶像の行方Ⅳへと続く事が出来ればと思います。

西海岸のロングレンジ、カナダのキング、スチール、当時は秘境であった頃、尖閣諸島から、地中海、その世界を舞台にした釣り人生は、多くの日本人に夢と希望を与えたに違いない事でしょう。

名人も師匠も今はこの世には存在していませんが、良き思いでは私の中に生きています。


 嘘も偽りも、傲慢も虚偽もない、そのままの方でした。
それで初めて名人と呼ばれるのではないでしょうか。

釣り名人、釣師と名の付くものを目指すあなたに捧げたい。

「その後の701um-LB5p不変のライブベイトアクション」へとつづく

儚き偶像の行方2011-後編番外編- 32019年08月24日 14:53

 だいぶ日が短くなってきました。
朝夕は若干過ごしやすくなった房総です。
中学の頃から釣りを教えていた子が帰省したので久し振りに一緒に釣りをしました。
近くのコンビニによると、明りにカブトムシやクワガタが良く居ますがこの日は無残にも車に潰されていました。

ここのところ更に体力の衰えを感じます。
特に視力は落ちまくってます。
 さて番外編のつづきになります。

その後の701-umLBpと言う名のブランクス
不変のライブベイトアクション

ドラムと5p1

20066月の東海岸のケープメイでのLB5P、真意を発揮する場面。
ガイドはオーシャンガイドMNSGガンスモークカラー
底の上を横走りする感じだった。

ドラムと5p2

 ドラムフィッシングに、投入しLB5pでファイト中を撮影する。

当時は、なかなか今(2019年)のように、簡単にアクションカメラやドローンなどの技術は一般的では無かった。
 ハイビジョン撮影が限界の中動画を撮影した後、編集したものを服部名人に観て頂いた。
名人と師匠以外の他同席者は、さほど関心もないようだったが、名人だけは違った。
食い入るように拝見され、その眼は、まだまだ探求心に満ち溢れていた。
製品化したいとの事だったので、よほどこの701-umLB5pがその目に留まったのだろう。

ドラムと5p3

5pのハードガイド仕様(富士ハードガイド)で早々ライン破断する事もない。
この程度の魚(20)でも上がる。
富士ハードガイドは昭和時代の主役であったと思う。

バットからベリーにかけてはまだまだ余裕がある。
ブレイデットライン使用で力強く巻き上げる。
その先のボートもドラム狙いである。
竿は何度も曲がっていた。

ドラムと5p4

その巨体の割には繊細なアタリから始まるブラックドラムである。

701-um-LB5pは、真価を発揮した。 

LB5p コルク1

2008年度のイレギュラーモデルコルク仕様にRECAluminum seatを使用。対キハダ用

LB5pコルク2

LB5pコルク3

その後の行方は、月竿のライブベイトアクションの流れに加わる。

5pの後、7p7xp9xpまで展開されたが、7pum7xpum7xp-KVGはイシナギクラスのライブベイトフィッシングにも最適であった。


M701-umLB5p-KVG

イシナギとスタンダップで対峙するLb7P-kvg

M701-um5p-KVG2

10㎏近いテンションでもまだ粘り切る。
このスタイルは日本の沖釣りでは今だ定着しないし、今後も主力になる事はないだろう。
電動リールやウインチという我が国独自の釣法に基づく広報や製品が一般的に受け入れられる。
その、娯楽性と継続性が高ければ高いほど、営業的にも戦略的にも理に適っているからかと思う。

LB5p-SFC1

20173月に上がった師匠オリジナル設計ブランク。
701-umLB5p
オリジナルブランクでの仕上げ。

LB5p-SFC2

上記M1295 MOON/HARRY'S701-LB5P Stand upと同じ設計ブランク。

LB5P-SFC3

富士T-DPS20ALPSアルミスリーブ&ナット仕様でラークなどの置き竿に対応したモデル

LB5P-SFC5

東京湾、相模湾のコマセワラサ等々に使うと言う要望だった

LB5P-SFC6

LB5P-SFC7

ダブルラッピング仕様/ナルトトリムゴールドシルバーライン。
トリムは、ナルト仕様

オーダー希望は、ラークでのホルダーポジションセットに手持ちファイト基本だった。

LB5P-SFC8

ここでオリジナルブランクは終わり、

2017年後半に同じ設計でリファインされたものとして引き継いだ。


新型701-umLB5pのムーチングアクションに近い粘りを体験してください。
あなたの釣を豊かにすることでしょう。

名人と師匠40年の親交と共に捧ぐ

20198月吉日

番外編 おわり
楽園の終焉2011-Ⅱへとつづく