楽園の終焉Ⅱ2011- 2 ― 2019年10月02日 15:21
10月に入ると言うのにツクツクボウシが鳴いたのにはびっくりしました。
秋の鯵釣りと余暇(少年とマアジ)
狂気の中の冷静
後輩のトラベルギア風撮影。
思い出がぎっしり
一体どこに終着点があるのだろうか?

その海の向こうへ何があるのか。
勝浦八幡岬公園から撮影してみる。
冷静の中に狂気が存在するという。
日常の中にも冷静という名の怪物。
秋もそろそろという季節のある日
「お父さん、今日は鯵釣りにいこう?」
と末っ子が言う。
「ええーえっ…。」
「アジかあ…。」
「なんかめんどくさいなあ…。」
ああ、きたきた、彼の釣り行こうモード。
最近夕飯を済ませると、ゴロリと横になりたくなり、メタボ親父と呼ばれてかっこ悪いなどと言われる始末。
おまけに禿げと言う言葉は、ひじょうに余計である。
典型的なかっこ悪い親父の代表格なのだろうか。
そう子供に急かされて、いやいや親父は道具を引っ張り出しにかかった。
「面倒くさいから●●イングでいい?」
「いやだぁ、面白くない。」
素直で率直なご意見で●●イングは却下された。
子供にゲームの楽しむという事に関しての手段は、そう重要ではないらしい。
のべ竿に道糸、電気浮き、袖5号にハリス0.8号このコンビネーション。
釣りの基本中の基本である。
のべ竿は、共産主義経済大国製の700円程度だったか。
こののべ竿を見ていると、また昔のことが思い出された。(よく回想してすみません。)
それは、35年以上も前に私が叔母の所で買ったのべ竿の事。
日本製の300円の竹継竿であったが、今はそのような仕事は何処を探しても日本にはおそらくないと思う。
もちろん並継。
疲れたと言い訳らしくない言い訳を言いつつも"鯵釣りいこう"コールのプッシュに負けてとても重くなりすぎた腰を無理やりあげようとするも、心はヒケヒケであって。
鯵釣りかぁ…寒いし…疲れるなぁ……。
その後のしごう(下ろし作業)は、親父の仕事かぁ・・・・・・・。
ますます不満の親父で、ぐうたらと言ったらしょうがない。
一体何時からこんなにぐうたらになってしまったのか。
ジンタのしごうがそう面倒くさいと言うようになったのは。
早速とも言わないが、近所の餌屋さんに立ち寄り刺し餌のみを1パック購入する。
シンヨウさんでまた少し立ち話。
子供はこの時間はどうでもいい時間である。
「お父さんまだぁ?」
釣り場に一刻もつきたいわが子と付き合いモード最頂点の親父。
確かに35年以上も前に行った父親と港で行ったママカリ(サッパ)、コイワシ(カタクチイワシ)、サバ釣りというのはものすごく面白かったのを良くいまだに覚えている。
それは昭和の40年台終わりから50年初頭の事である。(当時はグランドファミリアがまだ走っていました)
その頃、叔母が“釣り具屋さん”という商いをしていた。
保育園の頃からだったからかなり前からと言う事になるが、それは40年くらいも前の話。
丁度入り口から右手側端に竹竿が並んでいた。
それがその300円~竹竿だったと記憶している。
左側には当時の流行である振り出し投げ竿にリールが付いたコンボ(セット)があった。
リールは今思うと叔母さんが適当に付けたものだと思う。
そして糸付き。(糸も叔母さん達が巻いたに違いない)
このコンビは叔母さんのオリジナル?という事になる。
今でいえば店長お勧めのショップオリジナルコンボという事か。
リールはオリムピック製かリョービ製であった。(現在はそのどちらも生産を辞めている。)
ロッドは日本製だったが、しかしはっきり言うとそう良い作りではなかった。
特にガイドは富士のセラミクスガイドが付いていたかもしれないが、案外とあっさりリングは飛んで無くなった。
多くはフレーム割れから中のリングが欠落というパターンだったと記憶しているがそれも私が児童と呼ばれる歳の頃なので定かではない。
その割れたフレームのみで釣りをしたこともあった。
店の正面奥には、オリムピックのリールがガラス戸の中にあり、シマノは出たばかりだったか何台か在庫していた。
そのまた近所には、小さな商店がいくつかあり、釣り場から子供の足で5分ほど歩いた処、叔母さんの店から1分少々の店、そこで“トビキリサイダー”を買った。
とても美味しかったのだが、飲み切れなかった。
トビキリサイダー・・・また飲みたいと、ふとたまに思うのだが最後に飲んだのは2011年から遡る事30年前くらいだったかもしれない。
そのまた近所には小さな井上ストアというのがあり、そのまた近所にはおばさんが商いしているお好み焼き屋。
天ぷら屋さんが2件ほどあった。
(祖母の話によると井上ストアも魚屋そごうも今は廃業しているとの事である。)
好きだった鯨の串天は、確か20円から30円だったと思う。
クジラ肉には醤油味醂の甘い味がした。
鯨カツもあったがこちらの串の方が好きだった。
当時通った小学校は、廃校となった呉市立鍋小学校。
実弟の話によれば、今から数年前には、廃校になっていたらしい。
呉の港の潮風を受けて的場の丘高く・・・・・そびゆる我らの鍋小の・・・・・・学びの庭に日は来る。
という歌だけが遺産になりつつある。
校歌は、空と海のとの・・・・・で始まるのであるが母親もそれは良く知っている。
なにせ実母は、その小学校を戦中戦後通っていたからである。
と…いろいろと昔の事を考えながら、末っ子と着いた地元の港。
水汲み反転機能付きバケツと、のべ竿2本それに仕掛け入れと小さな簡易クーラーボックス。
もくもくと支度をして子供とのべ竿を1本ずつ手に取り、試合開始。
近頃の刺し餌は、硬くて身落ちしにくいので若干の感動を覚えたが、すぐにそれが浸透圧調整で身を〆た事が解った。
おそらく、子供の頃、アナゴ釣りにサバを塩で〆て短冊にしたのと基本的には同じ理屈だろう。
少し舌で舐めて見ると糖質な甘い感じであった。
電気浮が時々ギュンと下降すると、仁丹(小アジ)が釣れた。
時折20㎝クラスがかかると少し糸鳴りがして、締め込んでくれた。
流石に青物。
これが20kg、30kg、40kg、50kgとなると・・・・・・。
容易に想像がついた。
だが今から35年前は、想像すらできない事であった。
がしかし当時は、それはそれでとても楽しかった。
既に35年以上も前にその興奮と感動を経験した私にとっては、その当時と同じ感動は今こそ無いが、その息子は体験中なのかもしれない。
そのジンタ釣りの経験は、後々になって彼の心の財産になるのであろう。
だが、それを持ち帰ってから下処理するのは、やはり大変という言葉に置き換えられるのであった。
今は岡田師匠方見の小出刃があるのでそれでサッサと下す事にしよう。
そう思うのであった。
「さあもうええかげんに帰るで。」(さあもういい加減に帰るよ。)
「うん。」
「ぶちさぶいけん、ホットでもこうてかえるか。」(ものすごく寒いのでホットドリングでも買って帰ろうか。)
田舎の町ともなると自販機の圧倒的勢力は、赤と白のツートンカラーのアメリカ最大の飲料メーカーのものが多い。
したがって選択枝はそう多くはない。
特にコーヒーとなるとTVCMとは裏腹に、個人的な嗜好性とは全く合わなかった。
息子は、車に乗るさまキャップを開けて、一口二口と口に運んだかと思うと直ぐに子供は寝ていた。(寝落ちしていた)
子供の電池が、既に底を尽いていたのだろう。
アイスボックスの中にはジンタが80匹ほど入っていた。
明日の下ごしらえは親父の仕事である。
ジンタと言っても、下し作業が一番面倒なクラスなのは頂けなかった。
その3へとつづく
楽園の終焉Ⅱ2011‐3 ― 2019年10月07日 21:54
勝浦といえば、ゆるきゃら「かっぴー」
勝浦と言えばカツオだが、釣り人の多くは港で釣る小アジがメインだろう。
2011年の秋も10月の中頃の事
「ジンタ釣りでも」という事になり、大人三人で性懲りもなくコアジ釣りとなった。
H氏(八鳥氏)は、時折、ギュンと消し込むウキを見て
「ああアジ科、GTとおんなじだなぁ。」
それを何度か言ってはまた仕掛けを投入した。
よほど魚が好きと見えて、一生懸命ウキを見つめては小アジを釣るのであった。
脱帽・・・。
それに比べてすっかりお疲れモードなのはやはり私であった。
「ああ・・GTねぇ。」
H氏はしきりとなにかぶつぶつと言っていると思ったら、これがGT云々という事みたいだった。
これの何百倍の鯵だから、恐ろしいとかなんとか・・・・。
コアジからそれが想像できるのだから、何とも発想豊(想像豊)かである。
確かにそれは当てはまるかもしれないと思った。
トップ(水面)に水柱を立ててルアーを咥えると一気に急降下する。
それをH氏は、自ら潜って浪人者の急降下を観察したと言う。
恐れいります。
名人殿。
私には、そのような事から一気に飛躍できる発想(想像)が足りなさ過ぎる秋であった。
その日は、豆ジンタンばかりであったが彼は面白い事を更に言ったようだった。
“小人(コビト)になりたい。”
なんと発想力豊かな方でしょうか。
この人は。
よほど、お魚というものが好きなのか。
とその次に言われる言葉が決まって“さかなくん”なのは、彼しか皆知らないという事に限りなく近づくのであろうか?
私にはそのような想像力もファンタジーもないのに。
でもいつも恐怖と不安の念は付きまとう。
当然カッピーからは、その親父が考える夢の続きは現れなかった。
楽園の終焉Ⅱ2011-4 ― 2019年10月14日 21:13
それから約一ヶ月後、更に追い打ちで19号がその超巨大かつ強力な力を持って上陸通過して行きました。
我が家族もついに避難所へ行く事になりました。
それは、地震と竜巻と豪雨を持って恐怖の大王にも思えます。
悪夢の様でもありました。
皆様どうかご無事でいてくださるよう心より祈念致します。
-バリ到着-
Darkness
of a solar empire
昨年よりも一回り、いや二回りグレードアップしたホテル。
我々御一行は、到着してイミグレをあっさり通過したあと、勝手に荷物を持って行ってはやたらとチップを迫るポーターに「1000円ください」と手を出されて迫られた。
それを払うか払わないかは我々次第という事になるが、彼らのカモは日本人におおよそ絞られているのは想像がつく。
そこをH氏が適当にあしらう。(ここは百戦錬磨の忍者君)
強気にでると案外と彼らは、そそくさと引き下がった。
元々日本人のお人良し具合を利用した姑息な商売に過ぎない。
あっさり引きさがるのは、そこがバリらしさなのかもしれない。
我々釣り親父一行は、重い荷物を両手背中に背負って、ぞろぞろとゲート外に出た。
すると、そこには昨年と同じ顔のお出迎えがあった。
日本語が通じる国は殆どないが、この国の観光ガイドのユリアナ氏は、ちゃんとした日本語で出迎えてくれた。
早々に車に乗り込みそこからはホテルに直行した。
しかし、この路の混みようは、何とも昨年よりも何割もエスカレートしている気がする。
氏の話によると、景気が良く相当車の台数が増えたらしい。
一旦ホテルに荷物を置いた後、夕食に行くと予定を決めてから
昨年も行ったあの訳の判らないレストランへと向かった。
どうでも良いレストランで、これまたどうでも良い接客。
やせ細った、鶏がこのから揚げと焼き鳥になる。
美味しくはないし、身(肉)がない、その割にはお金だけは加算されてゆく
正直酷いのだが。
その料理と言えば、骨ばかりで肉が何処にあるのか解りにくく…
しかも、やたらと出来かけのフリトレーチートス(スナック菓子)のような"天かす"ばかりの揚げバリチキンメインの食事を済ませる頃には、疲れはピークになった。
※カットしました。
不気味な笑いのT氏と八鳥名人
もうこの店は、止めようと誓う。
眠い・・・。
そのジャンキーレストランは、日本人がやはりカモらしく、白人が来た時との呼び込みのテンションが10倍くらい違うのは笑える。
皿は、100円ショップにも今時あるかないかのような、使い廻しまくった傷だらけの赤いメラミン風皿。
メニューの画像とは裏腹の超しょぼい内容量。
そしてやたらと勧める水槽の中のグラミーだが、これがやたらと痩せていて骨ばかりでしかも不味いのは理解済である。(楽園の終焉Ⅰ参照)
そそくさと自ら安レストランの洗礼を浴びに行った後、さっさとホテルに帰った。
結構高いグラミー活魚
こいつは、食べたくないアイテムの一つ。
その痩せた肉は、とても不味い。
途中雨が降って足元はドロドロになりつつあった。
昨年見たと同じような物乞いの親子を見た。(いや同じかもしれない。)
雨が降っても地べたに座り、子供はビニールシートを被せられていた。
一体これはどうしたことであろうか…。
しかも、砂埃と排気ガスの飛散するこの路の歩道で。
これがこの国の、貧しい人々の現実。
こんなぬかるんだ地べたで・・・。
世界には、まだ物乞いと言う人々が存在する。
楽園の島は、当たり前のように地獄が存在するのか?
部屋に着くなり休憩。
なんと釣師の"師"という言葉からは程遠く、気合を入れようとしても、目の前のベッドの誘惑に負けて横たわってしまった。
なんとも情けないが、疲れた(たいぎいのう)。
エコノミーで7時間、自宅から12時間程度の旅。
ビジネスクラスが羨ましいが、身分相応なのはやはりエコノミーであったので誰にも文句は言えない。
隣の別途の忍者もぐうたら忍者になっていた。
しかし、ここで寝てしまってはもう明日はない・・・・ので眠気覚ましにバリコーヒーと言いたいところだが部屋にはそのようなものは無かった。
しかし、似たものは存在した。
日本では殆ど飲まなくなってしまった(30年前はこれが定番でしたが)ネスレのエクセラの袋を破ってカップにお湯を注いだ。
忍者は飲まないと申したので、自らうだうだと2袋目を破ってまたお湯を注いでからラインシステム作りに掛った。
横には出番をまだかまだかと待ちわびているリアルベイト130ウメイロカラー(ルアー)が私のほうを瞬き無のその目で見ていた。
処狭しと、並んだ道具達。
ここは釣り具店ではないが、もうこの部屋は釣り具店さながらであった。
なんともこの部屋に似つかわしくない風景。
並んだGTロッド。
大型スピニングリール。
20㎝を超える疑似餌たち・・・。
プライヤーにハサミ。
ごちゃごちゃと並ぶ小道具。
そして時々床に落としては、探してしまうスリーブ達。
(特にSSサイズは畳の上に落とすと最悪である。)
準備の時は、本来希望のひと時なのであるが、特に初日はこれがなかなかプレッシャーであり目途が付くまでは落ち着いていられないのは常であろうか。
忍者の話によると、このホテルは三ツ星らしい。
しかしながら、やはり湯船は付いていない。
簡易っぽい仕切りのバスに加えて、田舎もんの日本人にはなかなか理由が解りにくいトイレの便器が横にある。
もしかして・・・と嫌な事をふと思い出し、シャワーを捻ってみると・・・・・どう捻っても水しか出ない。
ああ再燃、昨年と同じパターンかと思った。
全く意味のない気合を入れて本日も水風呂となった。
少し、塩味はするのはこの島ではどこも変わりないが。
すっかり水浴びで気が引き締まり?準備も順調?風なのでロッドを3セット程組んで寝る事にした。
むろん、いつも通り寝付けなかった。
日が出ると共に目が覚めて、水を一杯ほど飲んだ。
忍者はすっかりお疲れの様子だった。
今まで準備と段取りに大変だったに違いなかったが、仕事とは往々にしてそのようなものなの。
お疲れ様。
※カットしました。
準備にかかる高村氏
その眼は獲物を見るハンターの如し。
昨年よりも星が一つ上のこのホテルは、白人客が多かった。
確かに昨年よりあからさまに星はひとつ上だぜという感じであった。
エレクトリック蚊取り線香という通訳は結構笑えたが、ホテルには装備されていたのは星ひとつの差なのであろうか?
※カットしました。
かなりヘビーは朝食をとる。
朝は爽快?な気がするが、朝食はBaffle Style(バイキング形式)で朝から酒池肉林?風の白人に合わせたメニューだった。
朝ごはんにしては少し詰め込み過ぎてしまったが、これから行われる事でカロリー的には問題ないであろうと決めつけで気にしないようにした。
しかし、高カロリーなのは間違いなかった。
ベーコンにソーセージ、更に目の前で焼いてくれるスクランブルエッグは、ミルクと大さじ3杯以上強のサラダ油と共に焼いてくれた。
これだけでものすごいカロリーだろう。
クロワッサンにオレンジジュース、バリコーヒー、サラダや菓子パンまである。
止めれば良いと思いながらもそのクロワッサンにミニカップのバターを付けて食べる。
まさにバターにバターをつけるようなものである。
※カットしました。
早朝のレストランは、我々のみだった。
そこらへんは適当に始まる感じだった。
帰り際になってようやくぽつぽつと。
30分以内でこれらを平らげて釣り道具をロビーまでえっちらおっちらと運んだ。
途中に何人ものオージーらしき白人に合うが全く無関心。
このホテルには、釣り人は我々だけらしかった。
ホテルの中庭は手入れが行き届いていた。
敷地内は、流石にゴミひとつない。
楽園の終焉Ⅱ2011-5 ― 2019年10月18日 16:00
一刻も早い復旧を祈念致します。
対決
-DUEL-
港に控えるボート名前だけはカイザー。
しかしながら、我々にとってはこのお蔭で釣りができる。
ドライバーは、昨年と同じ顔の人だったがそれが社長という事は昨年も聞いたのであえてそれは聞かなかったがその口調ですぐに解った。
ほどなく着いたマリーナは、一変して一大レジャーランド風?と化していた。
彼が申すのには、バチョがバリボートキャプテンのスターだと言っていた。
実際そうなのだろう。
彼らが目指すボートキャプテンの目標らしい。
サーファーも多いのか、スタッフの若者が我々に対して
「オツカレ~!」
と軽い挨拶をさも軽そうに言い放ってこちらのほうに来た。
いつも接する日本人がそうであるのだから仕方がないがお客に対して
「オツカレ~!」
という言葉はあまりにも軽すぎると思うがいかがなものだろうか。
我々から見ると誰がスタッフで誰が取り巻きで、誰が誰か全く判らない状況であったがマリーナはざっと20人ほどはうろついている。
中には制服らしきシャツの人と、まったくの普段着の人が入り混じっているのでなおさらである。
日本であれば、明らかに余剰人材である。
どう見ても若い子は18歳前後と思われるがもっと若い人もいるかもしれない。
ボートは、釣りの他にダイバーボートもある。
いやむしろ、ダイバーのほうが圧倒的に多い。
簡単なショールーム風のものもあるし、レストラン風の休憩所もある。
そのような中途半端な出迎えの後、我々小団体はボートに向かった。
明らかに手持ち無沙汰な人材が多くみられたが、だからと言って一生懸命働くという感じでもなく、なんとも不思議なマリーナ風であった。
初日の朝からモード全開とは行かないところで、気合と名のつく言葉にはほど遠い。
とにかく日焼け止めを塗りまくる、八鳥とY氏
しかし、ここは既に船上。
後下がりは、当然もうできない。
また性懲りもなくインド洋上に来てしまった。
徐々にボートのスピードは上がってゆく。
そして目的に向かう。
一体そこに何があるというのだろうか。
希望があるのか。
ないのか。
楽園か。
地獄なのか。
そのどれでも無い気がする。
釣場とポイントと名の付く岩礁、磯、島。
ボートが減速気味に大きく旋回する。
きのこ岩(パトロール岩)の名のつく?ポイントの一流し目に入った。
前衛の2人は、ゆっくりとポイントに入っていくのを確認しながらルアーを打ち込みにかかった。
1ラウンド目は、様子見と行きたいところだ。
潮の流れは悠々と流れてキノコ岩に当ると左右に分かれてまた一つになろうとする生き物のような気がした。
潮下に白く濁って、酸素を供給している事であろう。
如何にもここに定位していそうな雰囲気である。
魚の気配はムンムンである。
しかし、辺りに変化はない。
我々は、3名で打ち込みにかかる。
潮に沿ってゆっくりと船は流れて行く。
ルアーを打ち込んではジャークを繰り返す。
ルアーは、単なる木片から切り出して幾つかの工程を経て疑似餌にしてゆくのであるが、まさにこれはリアルベイト?
魚にとっては、餌にしか見えないように、そう騙して動きを与えてはまた投げる。
中年男にはなかなか堪える動作であるが、時差が無いというと言うのは、これほど楽な事は無い。
3人のうち、最年長のおっさんは後方にいるのでどうしても前衛2人の叩いた後を流す事となるが
それも承知で覚悟の上。
与えられたポジションで最大の効果を狙うしか、方法はないのである。
そこもチームワークが問われる事となるが、お互い紳士のスポーツを自負する我々に於いてはこのボート上でのモラルやマナーの心配は全くない。
それが日頃の乗り合いやオカッパリと違うところであり、その部分に気を使うことはない。
ボートは、キノコ岩から少し離れた位置40m~をゆっくりと流れてゆく。
河川に例えれば、川の瀬にある大石の後下の白い流れの流芯をイメージすると表現すれば
マス釣り師もお分かりいただけると思う。
その流芯を少し外したポジションにダウンクロスキャストして、ルアーを流し操作してくる。
「あああ、いいとこ入っちゃった・・・。」
そう言うと空かさず忍者君が
「ああ、いやらしい動きですねぇ・・いやそれはだめでしょう・・・・。」
そう私が如何にもいやらしい人間かのように聞こえる口調で彼が言った。
ドキドキのポイント一投目には、そのままルアーは帰って来た。
「あっ!またまたいいところにはいっちゃった!」
「ああ・・更にいやらしいところに・・・・。」
ルアーは、少しずつ下流に押されながらもロッドを上手く操作するとその頭を白い水の中に突っ込んで左右にグリグリと動く。
「ああ・・・それは駄目でしょう!」
途端。
“ドッバン!”
強烈なバイトは、鮮烈で衝撃である。
ジャーク数回直後、それは飛沫と共に水柱が立った。
見事に水柱が立ったのが目前に見えた。
それは、瞬間の飛沫に過ぎない水柱であったがスローに見えるのは気のせいだろうか。
GO-PRO1からの切り抜きである。
時代が2011年当時としては画期的だと思った。
水飛沫を上げて襲い掛かるロウニンアジ
それがまさか疑似餌であるとは思いもよらないだろう。
彼に人間並みの知能があれば。
「出た!!」
そうヒットコールすると大きく追い合わせを入れて一回目のポンピング、そしてリーリング・間髪いれずに2回目のポンピング、リフト&リールイン。
4回目、5回目と寄せと巻き取り間合いを詰めて行く。
バイト後合わせをしっかりと入れてがっちり溜める。
フックアップの手ごたえは十二分にあった。
ここからが勝負である。
キャプテンは、空かさずフォローに入った。
一気に船内は、臨戦態勢になり慌ただしく総員配置に着いて操船となった。
ロッド76TCDH-KVG(ロッド)の先には、リアルベイト130gウメイロ(疑似餌)が付いていた。
初期設定は7.5㎏だったが何度か寄せにかかるがリールは逆転し、糸は僅かな躊躇後、安定して出て行った。
2002年から20015年まで支え続けてきたショアシリーズを一新します ― 2019年10月20日 09:11
ALL NEW MOON 1403 SURF&SHORE EXTREME BLANKS

1403‐5xp 1403-7xp Long Shooter 1403-9xp Extreme Shooter
1403-um5xp 1403-um7xp 1403-um9xp Multi Shooter
1403-um10xp Extreme Shooter
1403-um5-6xp-s-/blend S-Shooter
1403-um7-8xp-
1403-um9-10xp-
1202-um6p Reguler Shooter 12f
1202-um8p Reguler Shooter 12f
1202-um9p Reguler Shooter 12f
旧3663シリーズ以下旧マスターモデル(2002-2015)2019年10月より廃版

旧モデル
○M1363-3p UM3p ○M1363-5p UM5P○ M1363-7p UM7P
○M1363-9p UM9P ○M1363-UM7XP ○M1363-UM9XP
MOON創業以前から、師匠のアナログ設計ブランクでもあり、MOONのショアブランドとして、2016年まで支え続けてきいしたこの1363シリーズ。
多くのハードユーザー、アングラーをひたすらサポートし続けてドラマと感動を造り続けてきました。
そして、このシリーズも大きな転換点を迎えました。
師匠の比類なきこの剛柔一体化したブランクス。
同時期に当時は、Hawaii向けのライトクラス3PのMENPACHI(キントキ)から9pのULUA(浪人鯵)までのショア全般のマルチパーパス機種として設計されたものでもありました。
2017年以降、それらの青物~GT、イソマグロまで多くの実績と栄光の上にブランクを一新してゆきます。
月竿にしかできない、蓄積した多角戦闘型磯竿をあなたが新たに創りだしてください。
楽園の終焉Ⅱ2011-6 ― 2019年10月23日 14:08
ヒットしてから合わせを入れ態勢を立てると、どんどんと走っていった。
開始早々の初日に力も入らないが、相手は暴君だった。
「もっとドラグを締めて。」
キャプテンバチョがそう言う。
まあこんなもんかな?とも思ったがロッドにまだ余裕はあるし、魚はある程度先に居たので大きく半回転弱ほどリールのドラグノブを締めた。
ボートのフォローは程よく、アングラーに合わせてよく追従してくれている。
一発目にしては、なかなかの魚らしく、まだまだ試運転中の体にはかなり堪えていたが、一気にアドレナリンと共に回転数を上げてみる。
とそれがなかなかの相手らしく、早10分が過ぎようとしていた。
最初は、まあまあのサイズと言っていたキャプテンの話からするともう上がってもいい頃なのだが相手は一度浮上しかかったがまたもしつこく泳ぎ始めた。
激流の中を必死で突っ込むGT
人間も必死である。
「どうもこいつは変な感じだけれど。」
船は、どんどんと流れて行った。
魚は、反時計回気味に下へ下へと力がかかりどうにもこうにも辛いファイトとなってきた。
そう思いつつ、それからまたさらに数分が経過した。
一度浮きかけたような感じがして仕掛けを回収にかかったが、それから奴はまた下へ下へと先回気味に動こうとしている。
いきなりの長期戦にクルーも笑みがでる。
SARAGOSAは、快調でドラグも大変スムースである。
流石は日本を代表する自転車メーカー。
もしかしたら、巨大ロウニンアジかも・・・・と期待としてみるが。
「名人、スピンハーネス出して。」
すでに20分が経過していたので、さすがにキャプテンも大きいかも?
そう言いだしたが、まったく浮いて来ようとしない相手になんだか本当に大きい魚の気配がした。
スピンハーネスを掛けてみたが魚は、相変わらず下へ下へと回り込みハーネスからリールフット、シート本体までに負担がかかってしまい、ついにFUJIのグラファイトシートは破損してしまった。
しかし、ここで慌ててしまっては、元もこもないので落ち着きつつもリールシートを締めなおしてもらおうとしたが、これがもう動かないほど固まっていてネジも切れなかった。
なんとか応急的に取り繕ったが、再び外れてしまうのを考慮し、できるだけシートに負担がかからない様に左手はシート部分を握りながらリフトし、右で少しずつ巻き取っていった。
右でリフトすると肩が悲鳴をあげるので、ロッドの持ち手は左が基本になってしまったのであるがそれが案外と不便であったりする。
それも仕方のない事ですべてを受け入れる事にした。
すべてを受け入れるとなぜか不安の塊まで呑みこんでしまった感があった。
万事に於いてそれが成立するならば、“喰わば皿まで” という本当の意味が解ったような気もした。
その7激動の大物へとつづく
1363-シリーズと言う平成の夢 ― 2019年10月30日 09:01
1363-シリーズと言う平成の夢
昭和という超高度成長期の量産ものづくりから、モノが有り余る平成への流れ
2004年の仙人モデルとその15年後(2019)は。
そして飽和の令和と。国力と若者の力は比例するのは言うまでもないかと思うが令和にそれが期待できるのか。
少子高齢化などと言う言葉も他人事に聞こえる我が国の多様性に未来があるのか。
2004年9月当時の撮影のまま。
当時のデジカメは言うまでもないレベルである。
2004年当時のトリプルラップデザイン(2004年撮影)
そのベースは亡き師匠から伝授を受けた。
日本国内に於いて誰もそのような事と技法を持ったビルダーは、知る範囲では見当たらないのが現状だった。
言葉だけの唯一無二はみたけれど。
2004年9月製造の1363-um9p(当時撮影)
2010年4月製造の
1363-um9p(当時の画像)
2010年4月製造の1363-um9p(当時の画像2)
当時はまだ、GUDEBROD社のスレッドがメインだった。
今は、跡形も無く釣り業界から消えていった。
その母体は、まだ(2019)現役企業である。
2019年10月修理で帰ってきた。(2019年10月28日撮影時)
とても綺麗に使って頂いているが、しかしながら、肝心要の富士ガイドSVSG16が破壊されていた。
リングは、とても衝撃に弱い。
今のところ注意して使ってもらうしか方法はない。
どうせ抱くなら大きな夢がいい。
誰も夢を追う事を否定する権利はない。
どう考えるかと言うことすら、大変難しい国家も存在する。
それを口にしただけで、粛清される国も未だ存在するのが実情であろう。
しかしながら、この世界でも類をみない豊かな我が国の現実の多くは、とても無慈悲で、悲惨な事が多いのかと思ったり、そうでなかったりこの先は全く見えていない。
ささやかな釣りの夢と言うことすら、現実に押しつぶされて、消滅してしまう昨今かもしれません。
案外、個々人が持つ課題や難題は、とても多く複雑で多岐にわたるようです。
人生がとても短く、それから睡眠、食事、労働を引くと、かなり余暇に充てられる時間は微々たるものとなり、更に力を入れる趣味となると更に短いのは、多くの先輩が知るところであります。
その微々たる時間さえ、許されないさまざまな現実が押し寄せる。
若い時には、時間があっても金がない。
いざ働く青年ともなると、我が国では時間もない。
いい年になると、お金があっても更に時間がない。
歳を重ねてみると、お金があって、時間があっても、体力がない。
その心=気力さえも奪われがちな人生。
そして、夢半ばで消えてゆくのかと思うととても儚くなる。
心技体が揃う人はそう多くはない。
そしてその心技体にも順番がある。
それは文字どおり、心➔技➔体の順ではあるが、更にそれのバランスが取れていなければならないとなると、そう簡単ではない。
またその時間がとても短い。
守破離となると更にない。
そもそも最初の守る事すらままならない現実であるから致し方ない。
習い事には見習いとあるが、それはとにかくその型を意味が解らなくても理解できなくても言われた通りやるのが守であるからだ。
それができなければその先はないのである。
何もない。
気が付いたら、心も折れて、何もない。
それが、無と言うならそれでよいが、それもない。
ただ過去を悔やむだけにならないようにしたい。
それが極些細な、釣りと言うことであっても。
1363シリーズ平成最後の作品群1(メンテナンス、レストアを含む)
1363シリーズと言えば、月竿流磯竿の代名詞と言えるまで、勝手にその名前だけが拡がって行きました。
2002年から製作を続けてきたこの竿は、職人仕事と人生の苦楽を共にしてきた思い出の竿でもあります。
当時末っ子がまだとても小さい頃で、その彼が大学生になろうとしている年月になりました。
その当時が、小学生であったうちの長男を含めた人が社会人であることからも人の一生ほど短きものはないと感じるようになりました。
それに代わって、かつて私と同じように釣りを良い趣味として嗜んだ旧友達は、諸藩の事情と言うことでしょうか?そんな釣りから手を引いていましました。
その間、多くの釣具メーカーも消えてゆきました。
その中には、既に世の中から名前も出てこないところも多くあります。
そうして時代が変わろうとも、ブランクマテリアルが進化の波に乗って進んでいっても、そのアクションは不変と思います。
そして、魚が急に進化する筈もありません。
すくなくとも有史以来は。
それは、仙人と化した古き良き盟友からも、なんの躊躇もなく出てくる言葉でした。
1363シリーズ平成最後の作品群2(メンテナンス、レストアを含む)
それから一人生過ぎていくと、良く似た竿も出てきました。
創造と製造と実践と言う一人生を食いものにしても、有り余るままに出てくるようです。
時代は、代わり次世代、第三世代までになりましたが、継承と言う言葉はどこかへ行ったかのようでした。
それから更に数年が過ぎてゆきました。
月竿には、それを超えるオリジナルの手技があるのかもしれません。
また、それを否定してしまうことも多くあるかもしれません。
1363シリーズ平成最後の作品群1(メンテナンス、レストアを含む)
1363-um5p 対IGFA20Lbクラス対応のこの竿が正規最後になろうかと思います。
1363-um5pとの相性はとても良い。真実と言う名のリールと共に。
2004年製造以来2019年10月で現役の1363-um9pと盟友
まだ一度も、レストアしたことはない。
変わったとすればこの画質のクォリティ
チビキもこうなればなかなか美しい色彩である。
(画質は落として掲載しています。)
右腕であり続ける事は容易ではない。
定番で怪力のバラフエ。
1403及びその亜種に世代交代へと代替わりしていきます。
月竿は、ビルダーがその製作を辞めるまでは続くでしょう。
多くの次世代アングラーが育つことを祈念しつつ未来を1403へ繋げます。
この先にいた正体はサメだったと言う。
国内では、あまり対象になっていないサメではあるが、外洋性のサメである程度の大きさとなるとかなり気力、体力を消耗する。
むしろ、消耗戦を強いられる事は多くの経験者であれば周知の事実であるが、筆者もその一人である。
勇気は、きっとあなたを裏切らない。
誇り高き月竿求道者に捧げる
祈幸釣
2019年10月30日 月竿










































