わだつみのかけら-1 ― 2018年07月26日 15:32
わだつみのかけら
(文:長門の住人/釣竿職人加筆)
全く本文とかけ離れた画像であるが、これがわたしの初日の画像
特急四万十は、楽しい旅へのいざないの筈である。
しかしながら、一人で乗っても楽しくもない。
陰鬱と陶酔
光と影の狭間に生きながらえて何が楽しいのか。
わだつみのかけらとなって生き続ける永世の魂もこの狭間に漂っているのだろうか。
それでも黒潮は大きくその大いなる力に翻弄される。
相変わらずも同じ言葉しか出ては来なく、自分の心理状態には進歩がないのか、はたまたそれが凡人の常なのか解らないままにCapt.Nの「早よ、来い!」
の言葉がエンドレスになり、ああそこに水があって、待っていてくれるものがあれば行かねばならないのだなあ。
と思うのであった。
安芸の守人が来るまでにはとても長く、いくら出てみたくなっても相変わらずの風と波、そしてさまざまな障害?
いつもながら憂鬱だなあ。
気分転換と言っても何も代用になることは貧相な遊びしかしらない私には、名案は浮かばないのであった。
坂本龍馬もこの土佐の自然と釣りに慣れ親しんでいたというが3代目廣瀬丹吉の針を使用していたとは初めて知った。
丹吉の針はもうこの世にはなく、ハワイでももはや過去の栄光になって、その伝説も消えかけている。
昔、岡田師匠に頂いた丹吉ウルワ針がどこにやってしまったか、全く思いだせないままでとても苦になっている。
そのような憂鬱の日々の合間にドラグが焼けた臭いにやっと我に返るのである。
高級スピニングのドラグノブが溶ける。
そうであろう。
元々はスピンの対象ではない彼ら。
時代は一部のスピニングマーリンなどと呼ぶが、それももう1960年代からスピン&フライでキャッチしていた国があった。
まだまだ日本が先進国となる前の話である。
勿論私も、まだ今は無きオリムピック社のスピニングに国産振り出し竿でアイナメの20~30cmと熱心に戯れていた頃である。
その時代には、まだセイルフィッシュでさえ満足に対応できるスピニングリールが国内には無かったのである。
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