わだつみのかけら-72018年09月08日 11:10

その7
夏も終わりを告げたものの、残暑厳しく、一体この秋は、平穏無事でいられるのだろうか。
 今年は平成最後の夏になったが、それでも未来は明るくなって欲しい。
誰もが願う事なのだが、皆今日と言う日に追われて、明日の事を忘れてしまうのだろうか。

さて、その7ラストです。

終わりに添えて


帰り路は同郷の友人と2人、良い釣果にも恵まれてこの上なく楽しかった。

たかが釣り、されど釣り、趣味のものとしては、おそらく最も楽しいもののひとつに数えられるであろう。
 それは、老若男女誰もが一生続けられる数少ない?趣味の一つであろう。
職人(私)が釣りを覚えたのは三つの時であるが、安芸の住人も恐らく、もの心ついた時にはもう魚釣りをしていた事であろう。
 おそらく昭和40年代はまだ高度成長期の中にはあったが、現在のように子供の遊びの選択はオールアナログのものだったと思う。

戦前から釣りをスポーツ&レジャーとして確立し、日本が敗戦から立ち直るのに必死であった頃、もう既に多くの記録級のカジキやマグロがアメリカを中心とする欧米先進国では上げられていたころ(時代背景)であったと思う。

それから60年以上も経ち、道具もケタ違いに進化、発展し続けているが、過去の記録級の価値は今の道具のそれよりもかなり技術を要したものであったであろう。
 そう思うと、昔のアングラーの技量は相当高かったようにも思える。

呉の田舎からあの世界のD社が誕生し、戦後の1ドルリールを大量に米国に輸出することによって成長したこの総合釣具メーカーは、1970年代から準一流として、多くの欧米老舗釣具メーカー達をその太刀でめった切りにして一気に制圧したのであると聞く。
 その後、世界の釣具メーカーとして名声は得たものの、それは栄枯盛衰の流れ。

そんな我が国の日本製は、世界でもトップレベルに成ったが、今や同じ東洋にある共産主義国家にとって代わられようとしている。

時代は多様化を模索している。

道具が進化した21世紀の自国では、帰って大物に出会うチャンスを減らし、その心は小さくなっている気がする。
そしてその心まで奪って行こうとしているのか死んでしまったのか。

いつの日か釣りがまた高尚な趣味、紳士のスポーツに復権する日を夢見て、人はまた竿を振るのであった。

わだつみに祈る日がいつか成就するように。

それは、歪められ、傷つけられた輩には届きにくい真実の声。

龍馬さん、いつか会えますよね。

FTS302010年作


2006
年時完成した主役の竿701FTS-30

newllと竿


20106月吉日 

陰鬱と陶酔/終わりに添えて


DEEPPURPLE


今見てもDEEP PURPLE はかっこよい。

釣紀行(INDEX

あとがき

羽田の店からの風景


羽田について、暇な時間を店内で潰す。
その時の何を思っていたかはもう覚えてはいない。

NEWELL CUSTOM

 

まさかこれが最後のNEWELLになろうとは。
晩年のPURPLE MODEL(2008年頃)

 

この紀行文は、上記の通り、私自身がメインで書いたものではなく、郷里の友人が書いたものに付け加えたものです。

 友人の許可を得ての公開できました。
それでもまだ、約8年も前の出来事なので、ずいぶんと昔のようでありつつ、あのインパクトは8年経過した今でも脳裏に焼き付いています。

 あと何年焼き付いたままなのか、全く不明なところですが、現時点では、一生懸命友人と釣りをしたことは忘れていません。

 この後、想像し得なかった事はNEWELL社の創業者が亡くなる事による、会社譲渡がありました。
 次世代のNEWELLの誕生を期待したアメリカのアングラーと数少ない(殆どいない)日本のユーザーはそれでも、継続する事に安堵しました。
よって、次の予定でもあった、限定ブルーとピンクの予約まで受けていました。

もちろんその中には、私が使用したかったピンクも含まれていました。

 それが、脆くも崩れ去るとは、残念の極みでした。
嘗ては、PENNを凌ぐのではないかとまで言われたNEWELL REEL

その超軽量グラファイトボディーは、極限までその強度を保持しつつ、軽量化されていました。

とっても惜しいリールの一つです。

 今でも存続していれば、更にモダンになった形が見られたのではないかと思います。

 この時、友人が使ったのは701FTS30と言う30Lbclassのライトな竿に、このNEWELLのパープルのコンボでした。

何ともベストマッチなコンボでした。

 未来は誰にも解りません。
そして、それは、誰にでもあてはまる事ではないでしょうか。

RED


ないものおねだりは世の常である。

限定レッド幻


NEWELL1


くすんで、薄汚れてしまったがパンフ
創業者は、コールニューエルと言う人。

NEWELL2


当時のバリエーション
驚異的でもあるラインナップ。 

NEWELL3


600シリーズは、あまり数が無いのであるが、キハダ用に一番欲しかったサイズである。

NEWELL4


これだけのバリエーションは、未だ日本のメーカーにはない。
F=Fluke
は、いわゆる日本のヒラメである。
最近、特定の方でわざわざフラットゲームとか云々と言う事を見かけるがフルークと言った方が正しいヒラメと理解されやすい。

 

その後この地に、再びキハダを狙う事も無くなりました。
もちろん、夢を与えてくれたカジキも。

キャプテンが、メジカで掛けたあの大型クロカジキの話ももうそれ以上の続編もないまま。

前述の公開したBluefin~やYellowfinのところでも出てくる話ですが、キハダは特に異常なほど関東近郊でも大型を目にする事が多くなりました。

 この国の残念なところは、趣味産業、とりわけ遊漁の軽視傾向は依然として続いているのかもしれません。
単なる道楽としか見えない・・と傾向には、趣味産業の重要性を訴える人も、その機関も
教育の場もないところにもあろうかと思います。
これでは発展の余地は抹殺されています。

 アメリカに行ってから、何度もそう思ったのですが、我が国の役人は何を海外で視察してくるのだろう…と単純に思ったものです。

三平色紙


今回の旅で立ち寄った、釣具店にて

20171218日追記

わだつみのかれら
おわり

楽園の終焉 END OF PARADISE 2010-Ⅰ-12018年09月11日 01:00

その1

楽園の終焉
END OF PARADISE

2010-

バリの有名なビーチ


釣人はあまり寄りつかない有名なビーチ

過去と現実

若者とGT


 過去には皆誰と言わず若く、老いた自分の姿をそう想像する事はないだろう。
人はそれを後で理解する。
若気の至りと言ったりもするが、自分自身が若者の時はあまりそうも思わないのである。
角がとれると言われる歳になっても、何時までもとげとげしい人もいる。

そう若くはないが


 しかし、現実は確実に現実であって過去でも空想でもない。
しかも皆それを受け入れなくてはならなくなるのである。
 どうせ短い人生なら如何に生きるかが問題になってくる。
たとえあの世が無かったとしても、それはそれでいいではないか?

むしろあった時の事を考えて、 無理に自分を下げる必要もない。
 だれも一度死んで観てくることもできないし、取り返しもつく人はいない。
確かめたいなら死んでみるしかないのだ。

神々の島 最後の楽園

ビーチその2



GODS ISLAND LAST PARADISE

神々の島とか最後の楽園とか
そう言われて過去に旧D社のTV番組で観たバリはとても美しく、世界基準での映像をクリアして、釣り場も良く、文化も渦巻いて流れて、“いいとこどり”であったのは否めない。
 釣り人はそこに最後の希望を託す・・・・いや託したくもなる。
ふと今思えば、その構成はやはり人の意思によって作られたものであり、あくまでもドキュメンタリータッチでは描きようがないのであろう。
 夢を持ってもらう事は大事だが、作り上げられたものは、現実の前には砂上の城郭でしかないようだ。
むしろ何日もの遠征をわずか25分程度で仕上げなければならないのは、幸か不幸かバラエティの無駄なひっぱりよりはすっきりしているほうかも知れなかった。
(すっきりせざるを得なかったのでしょうが)

ドーナツ岩

超有名なかつての一級ポイント通称ドーナツ岩
潮が動けばこのドーナツ穴から潮流が出来て川のような流れがおきる

最も王道の釣場であった。


その2へつづく

楽園の終焉 END OF PARADISE 2010-Ⅰ-22018年09月15日 22:11

その2

ロウニンアジは浪人鯵

激流の中



激流のバトゥアバを攻める。
旧来のダイビングペンシルは案外攻めにくい。
そこは、あれしかないかも。

秋も早々の頃、Y氏の「メッキ釣れています!」
「昨日爆釣でした。」
の情報を得て我が弟子ワルガキ共を従えて(実際はせがまれて)いざ出陣した。
 ライズは観えるがエバ(メッキ=ロウニンアジ、ギンガメアジ等の幼魚総称)君達の食い気はどうなのか?
適当にライトタックルを持ちそれを彼らに渡す。
 彼ら直弟子達に表層をゆっくりと引いてくるように指示すると、暫く経ってから慣れてきたのか、竿捌きもそれなりに。
「ああ、来た!」
 と声の方向を観ると、ああ・・子弟共のM562-UM0xp(ロッド)は満月になっていた。
別段3Lbラインをけたたましく出してゆく訳でもなく、近年ジャンク化したカーディナルが壊れる程のパワーがある訳もなく、今流行の極小ジグヘッドにケミカルフレーバー400倍とかいうスクリューテイルを丸呑みしたエバ(メッキ=ロウニンアジの子供)が横走りしてそのボディ全体に水の抵抗を受けて尾柄部をバタつかせて最後の抵抗を試みている。
 案外と今でもこれが、死滅回遊魚の稚魚だという事に気が付かない釣り人多いのは意外であった。
どうもこの魚とGTという言葉は、連動していない様である。

 ロウニンアジは、アジ科最大の種でジャイアントトレバリーと呼ばれその昔はローカル兼マイナーな魚種であり、勿論我が国の水産上重要魚種リストには入っていないと思う。
もし30年以上も前に釣対象魚としてもメジャーであれば、“釣りキチ三平”にも登場したであろうし、開高健氏の筆の一躍を担ったであろう。
(三平 三平=ミヒラ サンペイは、どんなGTフィッシングをしただろう。 石鯛編でもえらい事になっていたのに・・磯編とボート編に分かれてやはりリールはPENNなのであろうか。開高先生ならどうなっていただろうか?やはりAmbassador7000にナイロン30LbラインにABUZOOM RODなのか。)
事実は、そのどちらのネタになることは無かったし、ひょっとすると候補に挙がっていたかも?と思う事すら皆無であったのかもしれない。
今開高先生が御存命であればどうだったのであろうか?
それだけロウニンアジ釣りは、過去にはマイナーな釣りであったのだろうと理解するのは容易であり、当時GTという言葉の釣りは日本には存在しなかったと思う。

それを一般に知らしめたのが、鈴木文雄師匠と言う事になるらしい。
 現在では、どうやらコアな釣り人の間ではメジャーらしいが、時々釣雑誌を読む輩にはその言葉だけは知っているかもしれない。

 ある私の先輩は、過去に「ああガーラ、ヒラアジなんて誰でも釣れた、なんのテクも要らない簡単な魚。」そう言っておられた。
1970
年代の環太平洋エリアは手つがずの筈だったに違いないし、その先輩のおっしゃる通り、入れ食いだったかもしれない。
がその頃の時代背景の私は、ロウニンアジという名前はおろか、マコガレイの30cmオーバーが目標であった私には、全くお金持ちの大人の釣りの世界の話で、ましてやそれが海外となると全く想像もつかなかった。
 「ぼくらの釣り入門」にも記載されていなかったし、その後の“ルアー釣り入門”を購入するも、その疑似餌で釣る入門書には、バスを中心とした淡水の釣りがメインで最後の数ページが海でも釣れるという 内容であったと記憶している。
それも、紙面でポッパーの使い方や、ペンシルの使い方を図で示されても全くそれがどうなのか理解できなかった。
 子供には、TOP WATER BASSING などと言う言葉事態、魔法の言葉に思えた。
当然、ナイロンリーダーの取り方の記載もいい加減だったように思える。

 これも今思えば、海(SW)のほうがその対象魚が膨大なのに、当時はまだマイナーな存在だったように記憶しているし、当時それを語れる人は、おそらく皆無に等しく少なかったと思う。
 今から(2010年)30数年以上も前に観たTV釣り番組で当時使用していたタックルは、グラスのスピンキャストロッドにまだUSA製だった頃のZEBCOのスピンキャストリール、ナイロンに直結のスプーンというもので、それを防波堤から投げて70cm程度のスズキを釣る、という構成は斬新であったし、是非真似したいと心から思ったものであった。
 この衝撃はいまでも脳裏に焼き付いている。

擦り込みに近い、インパクトであった。
ゼブコリールが8000円でガラスケースに入っていた頃、それが堪らなく欲しかった。
 しかし、例の如く、それを買うお金は相当な大金である。
やもなく、それはDAIWAのスピンキャストに変わってしまったのである。

ZEBCO made in USA  
それは、魔法の言葉だった。

既に、マニアな世界に踏み込みかけていた小学生であったのかもしれない。

リアルベイトワフー



その3へつづく

楽園の終焉 END OF PARADISE 2010-Ⅰ-32018年09月18日 17:23

その3

それから時は過ぎて

港の風景


 高知の良きアドバイサーであったO師匠は、20年位前、あと数本残っていた丹吉の手打ウルワ針を私にプレゼントして下さった。
現在からすれば、クラッシックな部類に入ってしまうかもしれないが、師匠は1970年代にトカラ磯通いをされた強兵である。
当時の道具は尖閣とか・・・・リールはPENN SENATORしか無かった時代でありそのヘビーな道具による“さしで”勝負したらしい。

SENETORが磯師のスタンダードであった時代。
 「ケツが踏ん張っても、踏ん張っても浮いて来て、このまま海に落ちそうなギリギリのファイトで、もう命がけよう!」と当時私にお話ししてくれた。
師匠は、30年以上も前の19701980年代前半に、既に一騎打ちで30kg以上のガーラ(GT)とガチンコファイトをしていたのである。
そのウルワ針が何処に仕舞ってしまったのかどうしても分からない。
人の記憶は、褪せていくものか。
師匠は、もうトカラでヒラアジ(浪人鯵)を狙う事もなくなったが、その話は私の脳裏の中で風化しかけては、またふっと思い出してしまうのであった。

 現在、日本の釣道具類は、世界最高水準であり、
浪人鯵という名は、ヒラアジとかロウニンとか言われるよりもGTと呼ばれる様になった。
しかし、このGTという呼び名は少々厄介であり、こと釣りをしない人への“GT釣り”という言葉は、全く通じない言葉になったりすることがままある。
「それってなに?」
「ロウニンアジといいます。」
「なんだぁ、アジか・・・・。」
「はい・・・・アジですがちょっと巨大です。」
「大きいアジね・・・・・・・。」
「・・・・・・・・。」

おおきな鯵


確かに大きい鯵には違いないけれど。

ああ釣りとは、なんてマイナーなスポーツ/趣味なのであろうか。
極たまに、釣りをしない人との会話がとても億劫になる
のである。

ロウニンアジを探す

確かに大きい鯵には違いないけれど。

その4へつづく

楽園の終焉 END OF PARADISE 2010-Ⅰ-42018年09月21日 13:17

その4

過去の残影と克服

出撃


港から出向する。
これからが本番である。


自国に於ける20年前(1980年初頭)のSWルアーの道具類は、まだまだ現在ほど確立されておらず、今ほど細分化されていなかったと記憶している。
30
年前ならばソルトウォータースピンニングリールは、確実にPENN SPINFISHERの名がまだまだ最右翼でその550SS850SS5500SS-8500SS)という機種が最高峰?であったように思えるが、それから日本製黄金時代の幕開けに移行しつつあり、
20
年前では国産リールがかなり優勢になって来た頃だったかもしれない。
 その頃から、所謂“舶来品”という言葉も死語となり、多くの海外老舗メーカーも栄枯盛衰を歩み自国での生産を打ち切るか、倒産か身売りかを迫られつつ時であったように思う。
そして、その後ついにペンリールジャパンと言う名前がこの世から過ぎ去って行く時代となるのである。
 1970年代後半から1980年代前半のあの国産ルアーのバッタ度(コピー品)は、今でもしばしば語り草になるほどだった。

今の日本のルアーの発想は、すべてと言っても過言ではないほど、
それらをベースとしていると思われる。
 もう残影すらないオリムピック社のルアーはHEDDONを始めコピーっぽいのが多数あったし、旧D社も似たりよったりでS社に関して言うならば、そのルアーはこの2社には到底及ばなかった。
RYOBI
もまだバスリールとかを頑張り始めたレベルだった。(懐かしい俳もおられると思うが、キャスプロ5000Vとか言うバスリールがTVCMで放映されていた。またRYOBIがスポンサーの釣番組も放映された。)

それからまた10年以上も経ってからのバブル時代の終わりの頃、日本の南国の冬。
一番寒い時期の離島。
それは小さな出来事であったろうが、私の人生の転換期でもあったであろうその時の会話。

キャストする。


ええっ!!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
まさか、師匠、こんなところで合うなんて・・・・・・・・・。
唖然、呆然・・・・・しかもピンポイント。
この地球上で・・・・もう絶句するしかなかった。

あのフォームは、師匠に間違いない。
そうT氏が申したのはダメ押しである。


F師匠:「おまえノットを作ってみろ。」
若者():「ビミニツイストでもいいですか?」
師匠:「なんでもいいからやってみろ。」
若者:「はい。」
若者:「できました。」
師匠:「なんだぁこりゃ、これじゃダメだ。」
人生には否定はつきものであり、当然20年前の私もそれを受け入れなければ道はなかった。

次の試験は、こうである。

師匠は、おもむろに9fレコードに、クレイジースイマーを持ち外へと出る。
 恐怖その2だった。
しかし、ここで帰るわけにはいかない。
すべてがアナログの頃。

師匠:「なげてみろ。」

若者:「はい・・・。」


緊張は最大であり、もうそこから逃げたくもなった。
何故今自分がそこにいて、そのような事をしているのか、あるいは自分のしようとしている事がなんなのか、もうどうでも良くなりつつあった気もした。


2
3kgの巨メッキ(ロウニンの幼魚)が湾内をところせましと、スイマーの後ろをじゃれつく。
もう魚の事などどうでもよく、背水の陣では、未熟な若者が考える思考はただ今あるこの現実から脱却したい。
それだけだった。
まだまだGT Fishingが一部のマイナーな釣りであったと思う頃の事であった。

ましてや、ロウニンアジと言っても、ほとんど理解されなかった。

「大物をやるには、おまえ、あと2ランク腕を上げて来い。」

その後、長い説教が続いたのは言うまでもない。

長い、長い説教と威圧。
辛かった。
 それでも、昭和を引きずる私には当たり前の事だった。

その言葉を最後に現実には私はその程度レベルと理解した。
シーバスの延長での考えでは無かったつもりであったが、そのロウニンアジという魚は、まったく実践を伴わない若者にとっては未知数であった。
 当時の師匠の釣りは、パワーファイトで、まだまだロウニンアジをルアーで釣るという事が一部のマニアの中のジャンルであった。

それにも関わらず、何故そこの真っただ中に自分が立たされていたのか。
それさえも見失ってしまうほど寂れた南国は、やさしくは映らなかったのである。

冬の島は、今から想像もできないほど閑散としていた。
そしてその気候以上に寒さを覚えた記憶がある。

おそらく、もう再び来る事もないであろうその島をこの目で焼き付けておくつもりだった。

最初頃の師匠の道具はと言うと、ナイロン30LbPENN650ssだったか6500ssだったかと思う。
そのナイロンラインで20kg overGTをぐいぐい上げる師匠の雄姿は、これからのGTという釣りの牽引役にはぴったりのオーラに満ちていた。

結果と言えば、であるが、

師匠は、言葉とは裏腹にとても慈悲深い方だった。
なんと、合格をお情けでくれたのである。

それから更に20年が過ぎて私も親父と言われるようになり、子供達からはメタボ親父とか呼ばれるようになった。

年々、年を追う毎に記録ラッシュは、次々に更新されるようになり、非公式ならばその記録は80kg台に届くようにさえなった。
 道具の進歩は、完全に道糸12号という細さでIGFAの規格をはるかに超えるスペックとなった。
スピンウインチ釣法にまでエスカレートし、もはや勝てば官軍。
戦にルールはあれども、最終的には結果勝てば善しとなるのは、どの戦争でも有りとなってしまう。
 それが毒ガスであろうと、細菌兵器であろうと、原爆であろうと“勝ったもの勝ち”それが戦争と言わる。

戦勝国と言われるならば、釣りに於いてもルールがなくなれば、何でもありの釣ったもの勝ち なのであろうか。

 また、近年は、日本人でもシステム(仕掛け作り)も満足にできない輩が気軽に遠征に行ける環境になり、すべてガイド任せという事も多々あると聞く。
 通常、北米等では、ガイドシステムがしっかりしていて、コアアングラーでなくても気軽に釣を楽しむことができる。
流石に スポーツ、レジャー大国ならではと言う事なので、チャーターする人でさえもすべてメイト任せ、という事実であり、メイトやガイドは嫌な顔一つ見せずに全てをこなしてくれる。
勿論すべては、究極のチップ制という事もあるがそれはそれでサービス業の極みであろう。
それだけ、役割分担がはっきりしているのだ。


その5へつづく

楽園の終焉 END OF PARADISE 2010-Ⅰ-52018年09月24日 16:47

その5

経験のみが事実と観える

激流1


この渦巻く流れのどこかに奴は待ち構えている。
人生の坩堝にも見えなく無かった。


長男が、5歳の頃、自分の背丈より小さい魚は小さいと言った。

46cmのイワナを目にして言った言葉である。
僅か5歳の経験値はいと小さき事実であるのと同様に、その後何年経ってもその経験がなければ、世界は広いという事実も解らぬまま歳をとってしまう。

残影を断ち切る為には、克服が必要なのであろう。

人生はその繰り返し。

それを脱出したものに与えられる称号は、何といったであろうか?

小さな人間の考えなど地球の塵にも満たない大きさ。

それでもまた人は考える。

そしてまた、出て行くのである。


神々の起源

名勝ドーナツ岩


名ポイントドーナツ岩
かつて多くのドラマを作った場所
今でも健在らしいが私はあまり良い思いをしたことがない。


そこは、旅行ガイドには“最後の楽園”と書いてある。

“神々の住む島”とも書いてある。

過去には大東亜共栄圏になりつつあった事もあった。

その長き歴史にあっても今でもまだ途上の島で有ることには間違いなさそうだ。

貧富の差や格差は、まだまだ2010年の我が国と比較してもあまりにも大きすぎる。

そしてバリビンドゥーがこのバリを支えているのは、事実であろう。

そこに他民族が異文化を押しつける意味も見出せないほど寛容にも見える。

神々の住む島とか楽園とかとても良い響きは、綺麗好きな日本人から見れば、既に言葉の一人歩きで
 私には雑踏と排気ガス、ゴミと腐臭が漂い、乞食、もの売り、ポン引きと、訳のわからぬ日本語を並べて勧誘する親父。
「ちょっと、フジヤマ、ヨシワラ、キノコ、味の素。」
全く持って知っている日本語を並べて、いるが意図するところは理解できる。
この親父にほいほいとついて行く日本人は、全くの馬鹿か同等の人であろう。

ゴミというゴミはそこここらとも分別もなく散乱し、神々は寛容なのか、呆れているのか、解らないがこれが現実で、年端も行かぬ子供達の物乞いやベビーをその胸に抱いたまま物乞いする若い母親。
そこを、刺青と肌を露出した白人達が素通りする。
一見したところ、彼らにこの地を敬う気など毛頭ない雰囲気であって、日本人観光客の中にもそのような気もない人々が観察できる。
彼らの中にはバリの神々の守護はないのかもしれないが、それも許そうとするバリ人と環境と神々。

 我々の進行方向に白人の妊婦が、黒のタンクトップで近づいてきた。
その大きなお腹の部分には、それいっぱいにしどろおどろしい骸骨のプリントがしてあった。
少なからず我が国では、そんな妊婦さんを見たことが無かったので若干想定外ではあったが、それも小さな現実として受け入れる事にした。
でもその時とっさに思った事は、
「この生まれてくる子は骸骨好きになるのだろうか?」
という事であった。
 これが楽園と言うならば私は、行きたくない。
先進国の金持ちだけが行く所が楽園ならば、それが“最後の楽園“と言えるのか。
 失楽園そのものではないのか。
そう思っても、ゴミとその匂いは、地獄が同居しているかに思える。

そびえる崖を攻める


 神々が宿る島。

その一部をD社やS社だけの責任とは決して言えないが、番組の構成上から仕方ないので、それを非難する理由もなく、
綺麗で美しく、明るく、澄んだ、その大地と海と文化は、かなり偏った見方からできたものであり、それは釣り番組でも釣り雑誌でも語られる事はなく、観光ガイドでも語られる事は殆どない。
過去の悠久の歴史にバリが最後の楽園だったとしたら今は、2010年の楽園は終焉であろう。

ロウニン腹

お帰り頂く途中のロウニンアジ

ただそのほほ笑みと合掌の心は、単なるビジネスだけではないかもしれない、本質は神々が宿るところかもしれない。

それだけバリの神は寛容で偉大ですべてを受け入れる器があると言えるのかもしれない。


その6へつづく