楽園の終焉Ⅱ2019年09月23日 11:10

16号が消え去ったあと、17号がまた迫ってきました。
どうか、皆さんご無事でいてください。
このままでは台風大国です。いや既に台風大国でしょうか。
その1

楽園の終焉Ⅱ2011
The end of Paradise-

寺院を望む

人は目に見えぬ不安と恐怖に畏怖を抱きつつも、

それをできるだけ見ないようにする。
理想は高くどこまでも天上にあるが、現実は深い闇の中にある。

聖地巡礼

それを地獄と呼ぶのだろうか?
バリヒンドゥーには、地獄はなく輪廻転生するらしい。
しかしながら、解脱と言う概念はないと言う。

その疑問は、幼少の頃から変わっていない。

ただ知識と言う余計なお荷物だけが加わって、表現が大人になっただけだった。
そしていつの日かそれすら判らないようになるのであろうか。
そこにあると思わしき楽園を目指したものの・・あるのは
荒涼とした乾いた心の大地と、何もかも無に帰す恐怖、底知れぬ畏怖とが交差する。
末法の世には、正義も心理も倫理も遠く、ひたすら己の快楽の中に生きようとするしかないらしい。
しかし、その果てにも見えるのは果てしない無限地獄なのかそれとも永遠の闇なのか。

Baliの神々が我々を歓迎して待っていて下さる確信はどこにも無いが、そうあって欲しいと願うのはここに来る旅人の誰もが願う事である。

 楽園それは、誰もが願う僅かな希望。

 それでも儚き刹那の夢と希望、何処までも延々と闇は続く・・・・。
闇の底に行きついた我々の人生が、その底の中で蠢いる。
決して脱する事のない深い闇を地獄の底と表現したら良いのだろうか。
 地獄があると思えば決して今を無駄に生きようとはしないのであるが、それに確信が持てない我々は、ついつい自分を中心として生きてひたすらに目の前の現実を行く。
人はそこから抜けだそうともがき、ずり落ちて行っては、またそれを繰り返す。
深い底なしアリ地獄のようなもの。
そんな悪夢を見たことはないであろうか?
私は幼少の頃よく見た。
地獄絵図の恐怖であった。

 カースト制度がまだ生きているこの国の事情は、疲弊衰弱したとは言え世界最高峰の経済大国の面目をとりあえず保とうとする我が国とは少し異なる様子だったようにみえる。
我々は、またこの国を

巡礼と言うなの観光

目指して、その目的地に到着してしまったのである。

 相変らずの空の旅は疲れる。
もちろんそれは、エコノミークラスが定番な人々の話なのであるが。
それは、乗る時よりもむしろ降りる前のビジネスクラスを通る時に実感する。
左側の席は、九州出身の青年で歳は30と言う。
 なかなか個性的ない出立ちである。
右側の席は、格安団体ツアーと思しきおばさんでこちらには全くの関心ない感じだった。
(まあ他人なので当たり前といえば当たり前なのであるが、それは人によって個人差があるのか)
青年のほうは、その奥さんが蒲刈島出身ということを聞き、なんとも少しびっくりした。
同じ瀬戸内の近くの島である倉橋島は、我が先祖の生まれ。
どちらも蜜柑の産地であるが、彼は蜜柑については良く判らなかったみたいだった。
なので、あまりその話はしなかったのだが、今では有名になったらしい超ブランド蜜柑の“石地”の蜜柑畑に幼少の頃何度か行ったのを思い出した。
当然三十数年以上も前の話である。
 石地は父の母方の姓で親戚にあたる。
今ではそのブランドは、おじさんの元を離れてその名前ばかりが有名になったらしい。
量産化の弊害というかメジャーになればなるほど、そのクオリティに差がでるのは常であるみたいだ。
もちろん、それが返ってさらに良い品質を生む場合もある。


その2秋の鯵釣りと余暇(少年とマアジ)へつづく