南方回帰Ⅲ- 闇からの一撃 Fishing from rocks near the shore of the ocean-7 ― 2018年06月06日 16:30
-翌日-
今日という日が過ぎ明日と言う日が訪れる
そんな南国の夕べ
次の日は、師匠と二人。
野人は、さとうきび畑に駆り出されて行った。
何年振りの釣りだろうか。
ちょっとだけいい緊張とうれしさ。
師匠の顔も幾分明るい。
しかし師匠のその手には、ロッド&リールが無い。
「あれ、師匠、昨日買ったリールは持って行かないのですか?」
「今日は、竿出さないから・・・・・・・・。」
「何で?ですか?買ったばかりのリールも今日使う為では?」
少し、びっくりした表情で聞いてみる。(新調したリールがPENN9500ssであったところも師匠らしいし、普通に売っていた事が幾分びっくりだが)
「もうイソンボ釣りはしんどい、そろそろ大物は引退したいと思っている・・・・・・。」
そう還暦をとっくにすぎた師匠は、淡々と答えた。
それは、私が島に来る前の週のことであった。
師匠と内地出の若者と2人での出来事であった。
マグロがみたいという若者の申し出に、師匠が奮起したのは言うまでもない。
さすがは名門勝連家である。
「じゃあいっしょにいきましょう」
ということでポイントに立ったそうな。
座(磯)に入ってから気付いた事は、かつてない失敗であったという。
その日に限って、飲料水を忘れてしまったらしい。
ここにすべての原因があるのだが、そのこと自体が師匠にとっては汚点であったらしい。
磯に上がる前には、例え慣れて通い込んだポイントであっても、である。
いつも用意万端の師匠には、まずあり得なかった事らしい。
その日の釣った記憶はすべて飛んでしまい、翌日病院へ、人間ドックにも入って検査したという。
ふと気が付いた時は、家の前に居て、一人で13kgのイソンボを担いできたことのすべてを記憶せず、若者に「これ、誰が釣ったの?」と聞いたという。
それはかなり衝撃な出来事であったらしい。
それが引退宣言に結び付いた原因である。
この座で、過去、大物のロウニンを釣った内地の釣人がその場で亡くなったという例もある。
そんなポイント。
師匠はもう何トンも釣ったであろう、その場所で誰も関心の無かったころからこの島で牙達と戦ってきた。
一人で掛け、一人でファイトし、一人でランディング、そして帰路もそれを担いで、4往復ということもあったそうだ。
そのパワーは想像を絶する。
それが私と同じ歳ぐらいの時であった事を思うと、私はその半分も体力が無いことになろう。
師匠は、ここまで辿りついた20年の道のりを淡々と私に話してくれた。
私は、師匠に引退前に出会ったことがとても感謝であるし、今ここに一緒に語る機会を与えられた事も感謝であった。
もう5年の付き合いになるが、師匠の口からは、「もう歳をとった」
このような釣(1本勝負の限界)は、もうこの歳にはきつい。
そう言われるようになった。
肩入れもなく、ロープも張らず、頼れるのは己の竿一本、男である。 真の釣師であると思う。
そして、一人では戦えない時が近づいてきた時、己の引き際と己で悟り、一騎打ちが出来なければ引退すると言う精神は、今のオートマチカルな便利さをフル活用した釣り人には、そうできることではない。
なのに、深海でもない浅瀬の釣で、あのバッテリー付きの手持ちなんとかコンセプト、らくらくフィッシングは頂けない。
そこになんのゲーム性があるのか理解し難き難問ではあるが、それが今の日本の釣りの主流であることは否めない。
はるかに師匠よりも年齢が若いのに、大物釣りなんとかとTVで観るは、竿こそなんとかその手に持ってはいるものの、巻きとりパワーの“電気仕掛けの巻きとり機”の優位性を全面に出したるは、完全営業トークであって、
それを釣師の心得と呼べるのであろうか?
そうとも思う人も少なく、その多くは、疑問にさえ思わないメジャー度である。
業界関係者にその話をしたところ、所詮娯楽、レジャーですから。
となんともあっさりと結論を頂いた。
それをお前も受け入れろよ。
と言う事の他ならなかったに違いない。
なんとも悲しい趣味産業=レジャー産業なのだろうか。
-波間にて-
師匠と会話をしながら、その何処か洋上を回遊する奴らを迎え撃つ。
「ほら来た!!」
と言ったのは私ではなく、師匠の方だった。
師匠が言ったと同時にクリッカーが1秒ほど鳴り、その声と同時に手探りでクラッチを入れた。
カチッとギアが入った音がした。
合わせのタイミングになる。
息はぴったり。
なんとも、いい感じの一体感だった。
1363um9pは、理想通りの弧を描きクリッカーを入れたままのリールから逆転音がする。
ガリガリガリというかジジジジ・・・・というか何とも景色にマッチしない機械音。
「休むなよ。」
と師匠も落ち着いた声でアドバイスを頂く。
何度もこの光景に出くわした余裕の様子。
その単純で一言には、その人生が経験した何百という数との闘いを制してきた重みがあった。
潮に流されていると同じリグは左に流され、魚の走りはその潮に乗ってかラインは最初の走りでトータル50mほど。
左沖方向にまっしぐら。
沖のドロップオフまではまだ30m以上はある事になる。
いい感じの半円の竿とそして星空。
張りつめたラインとその先の奴と己。
一気に戦闘モードに突入を余儀なくされる。
静寂と対話。
そして、“闇からの一撃”。
それは、怒りの鉄槌。
フォークテイルは(尾鰭)、高速で水を掻き速度を上げようとするが、それをラインと竿が上手く吸収している様子。
牙、本命、と疑う余地はない。
「はい、左に走ったよ!」と師匠は適切にアドバイスしてくれる。
牙は左に右に今度は磯際を行ったり来たりして根ギリギリに泳いでいる。
「はいあとは浮くまで我慢するよ。」
“はい、我慢します”と言ったところか・・・・。
その我慢が結構辛いもので、浮かせるまでひたすら溜めて待つ。
ここの部分だけ師匠がいままで行ってきた事とは、少し勝手が違うのは、我々(野人と私)のやり方だと一人ではランディングできない。
魚に力がなくなっても波の上下に揺すられてそれだけでも体力消耗。
案外と非効率だが仕方がない。
最低2人の人員が必要となる。
ボートからだったらと、すぐに想像するが、今頃は既にリーダーが入り、ギャフを打っている頃であろう。
がしかし、危険極まるこの場所では、相手が完全に腹を見せて動かなくなってからでないと、とてもランディングできるものではない。
「もう逝っていますか?」
「ああもうちょっとだね、しかしずっと持つと疲れるだろう。」
「はあ、でも一応ランディングまでは、持っていますよ。」
勿論持っていないとロッドは海の中なので持たざるを得ないのであるが。
我々は(野人と私)、何度となくこのランディングで失敗して来た。
時には荒波に揉まれて、中々上手くいかなかった。
何度失敗したか。
荒波は強敵であった。
波に揉まれて外れたイソンボも何匹かいた。
何度も何度も悔しい思いをした。
「そろそろ行けるかな。」
と師匠はランディング体勢に入る。
歳を感じさせぬ身のこなしは、都会で燻ったものではなく、人間の本来の身のこなしかもしれない。
18kg弱の魚体は牙の中ではそう大きな方では無いが、やはりそれはそれなりのパワーはある。
ましてや、限定された場所で移動もままならないここでは、それなりにかなりきつい場所である。
ボートからなら難なく獲れるサイズもここではそんなには甘くはない。
ましてや、百戦錬磨の磯師友人達にはお世辞にも磯は得意とは言えない私にとっては、上出来な方、という結論に至る。
ロッドフキよりも大きな尾鰭。
ツナ類の中では、他の外洋性のツナに比べて遊泳力は劣るとか話にはあるが、やはりそこは、青物の遊泳力であって差し詰め中距離ランナーと言ったところかと思う。
締まった尾柄部とフォークテイルはそれを物語っている。
「じゃあ野人と交代するか。」
土佐打ちナイフを鰓に突き立てると。
鮮血があふれて鰓動脈からどくどくと。
そう言って血抜き腸だししたイソンボをひょいと担いで磯場を上がり、師匠は行ってしまった。
何度観ても、還暦をとっくに過ぎた人の身のこなしではなかった。
師匠と野人は従兄で私のそれよりも当然ながら血は濃い。
その日は、夜半を過ぎるまで野人と2人で竿を振り続けたが、それからドラグが咆哮を上げることは無かった。
しかし、 その日も決して悪い日ではなかった。
誰が獲っても良しは、良しである。
星を眺めよう、とはしなくても、一面に溢れる天空の下。
納竿。
撤収は、迅速に、限るが案外時間のかかるものである。
そしてまた帰路に向かう。
荷物は、限りなく軽量に限る。
カラになったペットボトル分と食糧がカットされるだけ。
予備の水もここで捨てる。
あとは、そこに魚があるかないかであるがそれはその時の運であろうか。
そんな、星空の夜。
その8へつづく
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