楽園の終焉Ⅲ-13 ― 2021年06月01日 18:52
ホテル内のビ―チその2
毎朝綺麗に掃除され、ゴミひとつない素晴らしい情景
それは、プライベートビーチならではなのだろうか
その場所から早速10分程度車で移動すると、おなじみのボートがそこにあった。遠目には数年前と全く変わらない、同じ感じであるように見えた。変わった事と言えば、以前使っていたマリーナ風の事務所兼休憩所風&高級にしたい風のそのマリーナは全く使えなくなり、いきなりその裏手にある糞だらけのビーチに適当に降ろされた。
当時は、最新鋭風のカスタムボートで、GTを釣る為に生まれてきたボートその名も皇帝
しかしながら、いくらなんでも皇帝とは…だとは思ったがバリではそうなのだろう
そこに初老夫婦が営むカフェがひっそりと建っていた。
バラックに毛が生えた感じで、カフェと言ってはみたものの、古い駄菓子屋風茶屋と言った方が正しい表現なのかもしれない。
廃材で組み立てられた風のテーブルには、おなじみの蝿達がいったり来たりした。もちろんそのテーブルは全く拭かれた様子も無い。
椅子は長い板で組んだだけのもの。それも寄せ集めな感じである。
隣で焼きそばを焼いていたが、これまた木のまな板風に適当にキャベツを切ると、淡々と野菜を切り適当に炒めていた。そこで水を飲んだ。勿論、ミネラルウォーターである。これが最大のもてなしであったが、それを素直に受け入れた。前回来た時とは大きく異なったが、それも様々な事情故の事。我々の選択としては、ただそれらを受け入れる。それだけだ。それならばその焼きそばを私も・・ということを口にした時、現地のTさんは、その焼きそばを旨そうに食べながら「ああ、絶対腹壊すので止めてください。」と即答だった。そうでしょうね。
ここでは、汚いも臭いも受け入れなければこの先は我々に無いのである。汚物とゴミと楽園の浜。いいコンビネーションではなかろうか。ゴミと汚物の浜は、我々に相応しい。汚物の臭いは、NYの中華街でも時々風に乗って漂ってくる感じを思い出した。
その遠目にみるボートは、まさしく過去と同じであったが、強いて言えば経年劣化の兆しは否定できない。もっと綺麗にメンテすればいいのになぁとは思うがそれもこちらの感想に過ぎない。きっと殆どノーメンテなのだろう。
我々は、早々にライベル(活かし水槽)に魚を移して出港した。
キャプテンは、過去からおなじみバチョであったが、スタッフは代わっていた。過去2回は、いつもスタッフが二人付いていてくれたが、今回からいろいろあったらしく、Capt.バチョともう一人の計2人であったがそれに反対意見はない。ただただ受け入れてメニューをこなすだけである。そう言うと、ものすごく酷いところで汚いところで、味もそっけもない南アジアの島のように聞こえるが、馴れればまんざらでもない。全てを受け入れる事さえ出来れば楽園に近いとこ・・・ろ?・・・なのかも知れないとも思った。また、綺麗に心地よく過ごす事も贅沢をすることも可能なマジックな島なのである。そういうと幻想と魔術の島に聞こえそうですが、そうではないと思う。敢えていうならば、観光ガイドに書かないようなグレーゾーンの一部の事を取り上げてみただけ・・・・そう思えばなんの事はない。
喰わば皿まで。
上等ではないか。
観光ガイドや観光サイトに自らその暗さや、闇を書くことはあり得ない事なのは当たり前のことで、ただそれが現実の全てではなく、一部である事に直ぐに気が付く事であろう。いや気づかずに終わることも可能である。
ボートが出発すると暫くして、神に祈る事から始まる。海の神様に安全祈願と大漁祈願である。ここは、ある程度世界共通なのかもしれない。
誰も明日を信じたいからだと思う。
港の浮き桟橋から撮影する
出航と同時に思いと祈りを捧げる風
I氏とリアルベイト130
明日のない出港は、誰もが避けて通りたいと願うのだ。この島では無神論者でさえ頭を下げずには居られない不思議な力があるのか。
その長き歴史の中で祈られ続けて来たのであろう。
沖に向かうとその濁水の色は、青々と碧い水に代わる。
透明度の高い水が船に切られて行く。
南国の美しい海。
″たのむから、ビニール袋よ、姿を現せないでおくれ…‼“
″そして、もう二度と釣れないでくれ!ゴム草履よ!”
楽園の終焉Ⅲ-14 ― 2021年06月08日 14:21
成魚の体表を、撮影しようと思わないと上手く撮影できないが、この一枚もついつい人の顔へ行ってしまうが、それでもまあ撮影はできていた(I氏=専務撮影)
30分位走るとパトロール岩が見えてきた。
本命ポイントで特段、岩周辺から流れが切れて変化のある場所が一番の大場所なところである。キャプテンは、一度ボートをぐるりと大きく旋回させて潮の流れを確認する。さて、どちらから流すか、と言ったところであろう。潮は、河のような流れを呈していて、その流れもそれ相当である。流す位置や、ルアーを投げる位置、掛けてから取り込みまで全てシュミレーションしないと獲れるものも取れない。
キャプテンは、このポイントでの攻略を何度経験しているかは、その落ち着き振りを見れば理解出来る。むしろパターン化している状態に近いと思われるが、実際はその日、その時間によって少しずつ異なるのでそれは臨機応変な対応が必要となってくる。
「さあ、投げてください。左です。」
潮上からゆっくりとボートは流れて行く。
そのスピートはあの大きな岩に近づくと徐々に加速して行く。
岩への射程距離より少し離れたところからキャストを始める。
前衛は将軍様と専務の二人である。
勢い良くルアーが放出される。
近い未来への期待と共に竿を振るN氏と私
“飛ぶなあ”
素直な感想を述べてから、私はゆっくりと後衛で様子を伺った。
まだルアーは投げていない。
スプラッシュ音と飛沫が2つほど、いいリズム感覚で近づいてくる。
とても良い感覚と飛沫具合で、この強い流れにあっても負けていない。左方向に大きく流れを越えてクロスキャストする。あの流し方からすると彼らは、もう魚の居る場所を把握しているに違いない。常日頃から彼らは、あのような釣りをしているに違いなかった。その攻略法に間違いが無かったからである。釣り人としてのキャリアと感なのだろう。
″こりゃ、掛けるわな”
魚の活性さえ良ければ、間違いなく喰いそうなポイント&コースの通過具合である。更に上手く彼らはポッピングを繰り返していた。そしてリズミカル。
「うふぁ~!タノシイッ~ス!」
将軍様は、そう言いながらまた大きく86(8'6''feet)の竿を加速させる。ロッドが風を切る音は、素晴らしかった。その先に付いているルアーの着地点に於いても申し分なく飛び、そして良いポイントに入っていった。
″掛けるのも時間の問題だな”
そう思ってからわずか数投の事だった。
2つのうちの1つのポッパーの横を、背びれを水面から出して猛烈に横切る奴の姿があった。キャプテンが操舵室から飛び起きた。
「出た!!出たよ!!」
専務のロッドが弧を描いていた。
そして空かさず合わせを1回、2回と入れた。
次の瞬間、予期せぬ出来事が起きた。
「えっ??!?」
なんと、リールが衝撃で外れた。(あり得ない)
「ええええぇ!!」
彼が必死で合わせたまでは良かったのだが、リールはシートから外れてしまった。繋がっているところはラインとリールのみとなってしまった。
彼は、状況を理解して慌ててリールを付ける。しかし魚は、どうやらとうに外れていたようである。
「え~マジかよ!!」
あとの祭りとはこの事なのだろうか。
幸か不幸か魚が外れた。
勿論それは不幸なのであるが、これは不幸中の幸いと言って良いのではないか。もし外れていなければリールは、ストリップガイド(一番元の糸が通る大きな輪)に勢いよくぶつかり、リールも竿も思い切り使えないほど破損すると思われたからである。今回は、それを真逃れたのは不幸中の幸いなのでしょう。危険である。
現代の強力な8本撚りラインは、6号と言う細さでその強度は直強度36kgもある。それであの勢いで魚が走った時は、もう大変な事になっていただろう。
「締めたつもりだったんだけど・・・・。」
結果は、オーライと言う言葉よりも、今は不幸中の幸いとしか表現のしようがない。専務のいきなりのファーストコンタクトは、その洗礼を浴びる事となった。気を取り直してもうひと流しといったところであるが果して・・・・。
それは私の思った通りらしく、キャプテンは、
「もう一度、流します。」
とはっきりと日本語で我々に告げた。二度と同じ失敗は繰り返さないぞと言う気合で専務は、リールシートネジを増し締めした。
「締めたつもり・・・なんですがねぇ。」とぼやいても致し方ない。
同じポジショニングでまた、同じ様にキャストを3人で繰り返す。
勿論同じように、少し遅れてから親父がキャストに入った。キャプテンは、先ほどとは打って変わって、サングラス越しにもやる気が少し漲っていた。
″さあ、もう一丁!・・・でるぞ!”
「でた!!」
船内騒然。
「誰!?」
専務が合わせを入れる。
一回、二回と立て続けに合わせる専務。
「えっ?・・!?」
またまた、あっと言う間にロッドが軽くなるのが見えた。
まさか、まさかのバラシ2回目。痛恨の極みの専務であった。
当然2回連続のバラシであれば、がっかりなのは誰でも同じ気持ちで辛いものだ。ここが、この浪人鯵釣りに於けるフッキングの難しいところであろうか。
ロウニンアジは、餌を見つけ攻撃に入った時には必ずその強い歯と顎で餌に致命傷を与えるらしい。(特段浪人鯵だけに特定される事でもなく、多くの魚食性魚食魚に共通する事なのですが)
当然、ウッドであろうが合成樹脂であろうが餌と思いこんでおもいっきり噛みつく。ルアーは、その魚が立てた歯が喰い込んで、もしくはそれと同時に穴を開けてしまい、多少違いはあれども、歯型がくっきりと付く。水面での釣りとなると、そのまま(咥えたまま)急下降を始めるのだが、
針にはまだ完全に掛かっていないという状態と言う理屈らしい。そこでアングラーは、大きく竿を何度も竿元を使って腰で合わせを何度も入れる。噛みついたルアーの位置をずらして(スライドさせてあるいは滑らせて)針を完全にその口蓋付近の骨奥まで入れる為である。これを合わせと言うが、不完全であると針が奥まで刺さっていない為に魚が掛からなかったり、外れたりする。刺さった様に思えても奥まで入っていないと針先が伸びてしまい、やはり外れてしまう。それを釣り用語では、バラシ、バレルと言うのである。
また、疑似餌による浪人鯵釣りの場合は、3本イカリ針のカエシの部分を潰しているか、最初からカエシの無いバーブレスタイプを殆どについて使用する。それは、安全性と、再放流と両方兼ね備えた意味がある。勿論、釣りなのでキャッチするのは当然と言えば当然なので極力バラシは無い方が良いに決まっているが、それが人間に刺さってしまってはとんでも無いことにも成りかねない。また深くカエシまで抜けてしまった魚の顎からその針を外すのは容易では無く、時間もかかるのでリリースがかなり遅れるばかりか致命傷も追いかねない。当然傷口も大きくなる。この矛盾との妥協点が今のこの釣り形態なのであろう。
多くの未経験の釣り人は、日頃のシーバス(スズキ)程度の合わせ程度では、当然乗るわけがないのだが、ついつい反射的に日常の釣りのレベルの合わせで満足してしまう。と言うよりも条件反射的にそう反応してしまうのである。
激しいバイトの後、急降下と当時に竿先が曲がって来るがその時が合わせのチャンスとなる。しかしその間は、ほんの数秒程度である。そこのタイミングと合わせの強さがフッキングするかしないかと言う事と大きく関わってくる。0か1かの瞬間が正にこの瞬間場面なのである。またこのロウニンアジ釣り、とりわけルアーによるキャスティングの釣りは、トップウォーター(水面)の釣りが主力となる。それは恐らく、魚が水面で釣れ易いと言う理由からではなくて、往々にしてこのルアーの釣りは、水面で捕食が派手に出る事を一つの醍醐味と捉える場合が多いからなのであろう。勿論、その可能性の殆どない魚種や時期によっては、その水面での釣りはある一部の所謂トップマニアと呼ばれる人々以外に於いては、選択から外されてしまう釣り方である。
ロウニンアジは、常に表層だけを意識している魚ではないのだが、条件が良いと果敢にその表層ないし、水面に身を乗り出してまで捕食しようとするので、その瞬間に魅せられたアングラーは、常にそうあって欲しいと願うのである。まさにそれは人間様の都合によるものであるが、数十キログラムにも及ぶ魚体が、その顎を限界にまで開け拡げ、背中を水面から丸出しで襲いかかるその瞬間は、他に類を見ない程迫力のあるものであり、それが釣り人の視覚からくる刺激となって本能を直撃するのである。
それが、 脳裏に焼き付いてゆくのであった。
そのシーンがエンドレスともなると・・・。
既に水面爆発症候群になっているのかもしれない。以降彼らは、そういう釣りの中毒者となってしまう傾向にあるらしい。故に、多少のヒット率を下げるリスクを背負ってでも、確立との天秤にかけても、やはりトップウォータープラグ(表層専用疑似餌)を優先して選択してしまうのである。あの一瞬が釣果に必ずしも繋がらないとしてもである。それでも、確立が高い方が良いには決まっているのだけれども。
最早その理屈は、本来の釣るという行為とは異なっているが、それもこれも、また漁との境が難しい場合も釣りは釣りである。もちろん本職の漁師さんから言わせれば一本釣り漁と言うことになるがアマチュアからすれば、ほぼ同じ行為でもただの釣りとなるのがこの言葉の許容範囲の大きさでもある。真に難しい言葉でもあるし、寛容でもある言葉に聞こえる。
その15(大きな岩)へとつづく
楽園の終焉Ⅲ-15 ― 2021年06月15日 14:00
楽園の終焉Ⅲ-15(大きい岩本編) ― 2021年06月18日 15:19
-そこは、大きい岩–
幾度となく見てきた船からの銘ポイント
バリ語でバトゥアバとは、大きい岩と言う意味らしい。
痛恨の連続の割には、やる気が落ちていない専務と、やる気は漲っている不敵な笑みの将軍様。そして、もうどうでも良い感じの筆者。
もはや、ヤジさんキタさん状態になって来た感があるが、やる気がある事は良いことである。
「大きい岩行きます。」
「はい。」
皆さんの異議は勿論ない。
暫く航行するとあの岩が見えて来た。
船のエンジン回転が落ちていき、徐々に遅い音に変わってくると、そろそろポンイントに近づいて来たと言う感じであろうか。
″みなさん、戦闘準備ですよ~”
少しずつ、この釣りのここでの流れが読めてきたのか、はたまたやる気が出てきたのか、彼らはその以前とは臨戦態勢フォームが異なっていた。Capt.は、様子を見ながら、船を大きくスロー旋回をしてみる。
他船が一船近くにみえる。
勿論、GT狙いの船である。
船と波との間、お互いが近い距離であったりした時、サングラス越しに観ると、もう既に何度も叩いている最中の様だった。
またその船は、攻めあぐねいている感じも観てとれた。
流す位置を少しずつ換えながら叩いて回っている様子。
しばし眺めていると、どうやら、ポッパーオンリーの釣らしい。
海上は、どうもざわついていた。
「ああ、イルカが見える。」
なるほど、よく見ると時々その背中を出してなにやらジャンプしている。岩のすぐ沖合をイルカの群れがジャンプをしていた。ベイトを捕食しているのか、追っている様子だった。通常ならばこのイルカ君はノーサンキューなのですがね・・・。少なくとも釣人には。
ふと下を見ると、海中をなにやら茶色い物体がゆっくりと進んでいる。イカ?な訳はないよね。
「なんだろう。」
「亀もみえます。」
「ああ、亀ね。」
ダツっぽいものが同じく飛んで、ボイルしている。
「ダツです。」
Capt.の意見は、的確であった。言葉もそのまま日本語で。
「はい、始めてください。」
この海面のざわつきは、良い傾向と観たが果して。
専務と将軍様は、舳に立ってポッパーを投げる。
出そうな雰囲気は、やる気も相乗されてなのか、満々である。やる気満々オーラ全開と言ったところであろうか。
同じ場所でも、毎日毎時その状況は異なる
この場所での主要なポイントは、いくつかある。
そのうちの大場所は、突きだした半島状の陸地と、恐らく太古の昔はそれが一つの陸地であったであろうその大岩と、その間を流れる激流がそれである。そしてその奥側に潮通しの穴があるもうひとつの吐き出し。主にこの2つが大場所である。ボートによっては、この大場所のみを繰り返し流し続けるものもいる。
あの有名船は、いつもこのパターンであると聞く。
我々にもそう映っているところをみると多分にそうであろう。
前衛二人の先頭は、将軍、そのすぐ後方は専務であったが、これまた使用するのは本日一番のヒット&バイト数のあのポッパーであった。
しかもあのブラックカラー。なんでも数年前は、パラオGTキラーとも言われたものである。(現在は死語になっているらしいが・・・・その後はあのプアマンズ○○○と異名と取る名品ペンシルが席巻しているらしい?)
ビュン!!と言う竿が風を切る音。その後、すぐさま糸が鳴る音、ガイドと干渉しての音なのかかすれた様な音。数十メートル先での着水する。
そして飛沫。
そして繰り広げられる、水飛沫とポップ音。
そのリズムは、なんとなく一定気味。
ロウニンアジ狙い。
ロッドをしゃくる度毎にその全面に飛び散る飛沫とポップサウンド。
一見繰り返しのようには見えるが、潮と流れを読みながらのポッピングである。
その直後のことであった。
「ああ、あっ!出たっ!!」
Capt.のヒットコールと共にまたまた船内騒然。
「合わせて!」バチョが叫ぶ!
専務が合わせを入れている。
乗ったみたいである。
今度こそは、乗ったみたいだった。(掛かったみたい)
Capt.の指示で、将軍と専務が入れ替わった。
彼は、舳(先端)に移動するも、やや慎重気味な動きで、本日まさかの3ヒット目である。これはもう凄いヒット率である。まあ、それが獲れればの話なのだが・・・祈り。
一回、また、一回とポンピングしてリールインする。ボートは、後進を掛けてゆっくりと根から剥がしにかかる。(ナイスフォロー)
「よしよし、そんなに大きくない 。」
専務は、今度は絶対にバラシたくないと言う意思と心が見てとれた。それは、バラシまくった人でないとその気持ちは判らないだろうけれど、多くの釣人はそれを何度も経験しているかと思う。
「ああああ。」
「・・・・・・・。」
「バレタ・・・・・・・・・・・。」
「えっ・・。」
船内は、更に落胆のため息で充満していた。
なんと本日連発3バラシは、かなり痛手である。
さっ3回・・・・・も・・・・あり得ない・・・・とほほほほ・・。
これも現実なのであろう。現実は、時にいつも冷たいことだけがエンドレスで付きまとう。
合わせを入れたのであるが。
何とも辛いところである。(辛いよなぁ)
しかしながら、どうやら魚の活性は、すこぶる良い感じである。落胆するのは後に置いてきて、気持ちを入れ替えてまたトライしようではないか諸君。
ここまで専務は、持てる気力と技術を持って挑んできた。
トライ&エラー。
そしてまたトライ&エラー。
そして、痛恨の3つ目のフックアウト。
なんとも耐えがたい事ではあるが、現実を受け入れましょう。
それしか我々の進む道はないのですから。
気を取り直して、船をまた同じ位置に廻しにかかる。
反円を描きながらゆっくりとボートを回しにかかる。
″専務と入れ替わってちょっとやってみるか”
と私が入れ替わる気に少しなった。
遅いはじまり-2016-2021へ ― 2021年06月23日 22:56
遅いはじまり-2016-その後の2021
このブログは、釣竿工房 月のサイト上にある釣行記等をアップしようと思ったのが始まりでしたが・・・(はっきりと覚えていませんがそれは2005年頃~だったかな?と・・・思います。)それを実現する事も無くあっと言う間に10数年以上の歳月を過ぎさせてしまいました。2002年当時からするとHPを立ち上げるのにもかなり苦労しました。それから考えると時代が更に変わり今(2021)は、動画配信が主力の一翼かと思います。ですのでブログという形態も既に過去の遺物になりつつあるのかもしれません。
この不定期連載してきた、HP上の釣紀行を別の形で残そうかと思ったのがその後の経緯となります。その間に、友人の「磯の作法」という代弁者のようで、同志のようなブログが終了になってしまったと言う事も理由の一つにあると思います。
さて、2002年前後からここ18年以上は、釣り雑誌というものを殆ど読まなくなりました。それは、いつの間にかと言う表現が適当なのかもしれませんが、それがどうであれ、読む気力を削いでしまう内容にあるのかもしれません。いずれにしても、紙媒体の文は無くならないと思いますが、その重さはその本以上に重くあって欲しいと思ったりもします。
今更ブログ形式もどうなの? と思ってもみましたが、今までHP上に記載されている釣り紀行の継続をこちら(ブログ)ですることもよいかもしれないと思ったのが、今現在の2016年になってからという、なんとも遅い始まりであるのは事実であると思います。今更・・・ 遅すぎですよね。それから更に何年も過ぎてしまいました。
その紀行文旧ページは、こちらですので当ブログではこれをベースに編集、追加しております。一応参考までに旧ページもお知らせしておきます。(すみませんこちらからのメールでのアクセスも不可になっております)
http://www.ne.jp/asahi/craftsman/tuki/turikiokou/kikouhyousi.htm
そしてさらに今更ながら、当方の作品の色見本、仕上げ見本として こちらも挙げてみました。
https://www.facebook.com/customrodmoon/
どうぞご参考ください。忘れないうちにと思いながらも、時はどんどんと流れて行きます。 そして、そのことさえも忘れていくうちに、記憶はどんどんと目減りしてしまう現実に苛まれています。なんとも貧相な自分の心です。 紆余曲折の末にやっとここまでたどりついたようです。
さて、ゆっくりではありますが、HP上にない事も含めて綴ってみましょう。なお、記載される年代や月が多々でてくる)と思いますが、そこははっきりとメモ等に押さえていない部分も多いので時々時代背景のズレが生じる場合もあるかと思います。 その点は何卒ご了承ください。 旧ページに於いては大変ご迷惑をおかけしております。 メールアドレスも変わっておりますので、すみませんが下記までお願い致します。
釣竿工房 月 連絡先:0470-77-1680
mailでの問い合わせ
moon.fishers@master.email.ne.jp
2021年6月22日
月竿代表
楽園の終焉Ⅲ-16 ― 2021年06月25日 17:40
本日初の舳先への移動となる。何ともかんとも2年ぶりのこの船の先端だが、一気に見渡す限りのワイドビューなスクリーン感に変わった。
何とも言えないこの視野の広さは爽快風である。
″さてと、お手柔らかにお願い致します、鯵さん”
海面は、奴の匂いがする気がしてならない。
やる気満々風の彼らの匂いが、脳内空間全てを満たす。
中年オヤジには、ちょっとばかり辛いフルキャストで挑むことにする。その竿先(762-TCDH-KVG)には、‟あいつ“が付いている。
そう、新型兵器のクラフトベイト、リアルベイト130gオイカワカラーである。
クラフトベイト オイカワ MOON SP
筆者が絶大なる信頼している名品のひとつ
オイカワは、淡水魚で関東ではヤマベとも言われる
もちろん、バリには居ない
はい、そのオイカワですがなにか?
ええ、勿論淡水魚です。
清流のヤマベです。
それが、南海のこの激流で泳いではいけませんか?
泳げますけど・・なにか?
この疑似餌と言う名の木製のオイカワは(リアルベイトオイカワ)・・・・きっちりと泳がせて頂きます。
潮の利き方は上々、いや激強と言わざるを得ない。とても勢い良く流れている様子。その流芯では、ルアーがあっと言う間に流れてしまう模様。先ほどから専務は、流れの流芯を超えてキャストしてから一番良いコースをポッピングさせている様子である。
狙いは、全く外していない。
″うーむ、また出してしまうかも”
オイカワ君をその流芯越えのつもりで、キャストしてみる。
この複雑で速い流れの中でも、しっかりとオイカワ君は、水を絡めて泳いでいる。あのたまらない、ふらつき(よたつき)感と水中に光を反射してフラッシング効果も絶大だろう。
そして、良くまた水に絡む。
″うーん、出ない”
ヒットエリアを過ぎたところで、早々にリールを巻き上げ回収する。
次は、流芯の手前側を流す為にダウンストリーム気味にキャストする。ラインの放出音のあと着水。
リールのベイルを素早く戻して、ラインスラッグ(糸のたるみ)を即巻き取り、ロッドティップを手前に動かせ、オイカワ君をダイブさせる。グリグリィ・・・
と浅く潜りながらボディを回転させながらそのボディを左右に振りながらヒラ打ちする。相変わらず期待を裏切らないその動きである。
そして・・・・・。
電光石火!
水柱!
いつもの期待を裏切らない豪快なバイトだった。
一瞬姿が見えたか見えないかのタイミングで即反転!
と同時にヤツの鰭が水を押し上げて、空中に尾鰭を向けるあの瞬間が目前で訪れる。
飛沫そして、また飛沫!
手に持つ安心の愛竿76TCDHに力が掛かると、一気に撓る。腰を溜めて一回、二回、とまた追い合わせを入れる。ロッドは、大きく弧を描いて曲がり切ると今度は、‟これはたまらん!“とばかりに、リールから最新鋭高分子ポリエチレンライン(糸)が吐き出される。リールは、最近S-社を多く使う機会が増えていたが、この逆転装置(ドラグ)はすこぶる良く動く。しかしながら、どうもその残念な逆転音やそのボディデザインは気に入らない。あの金属音が全くないのは何故か寂しく感じるのであった。そこは、往年のPENN病なのかもしれない。どの分野に於いても選択肢の無いと言う事は、この事であろうか。大きく分けて2社択一なのは、とても残念ではある。しかし、その実力はあっても消えて行ったもう2社のリールは、もう使う事も目にする事も出来ないだろう。既にロウニアジ釣りという分野が隆盛を極めつつある頃から、その選択枝から消えつつあったのだから。
ああ大森製作所が頑張っていれば、ダイヤモンドGTシリーズなんてあったらとても素敵だったと思うがそれは妄想でしかなかった。
それはもう、ただの空想でしかない。
オリムピックリールで、あのトビウオ風に五輪マークでも、今日の釣りはリョービでも良かった・・・のだが、それもまた過去の遺物である。(最後のサファリ5000の次が出ると当時の関係者には変な夢は持たされたのだが)もし生き残っていたら、隅っこにでも日の丸を付けてほしい。それもこれも、もう過去への空想でしかない現実。そして多くの若者は、それを知らないで生まれてこのロウニンアジ釣りに参戦するのだった。時代の流れは刻々と変化してしまうのだ。それに生き残ったとしても、時代の流れには逆らえない。もちろん人間の生涯も。
鯵の最初のダッシュは、勢いが少しばかり良かった。暫く糸を引き出した後、一旦止まり、また糸を引き出していった。数度の攻防が続くと、魚が一旦止まってから反撃に移るとする。
ゆっくりと船は流れを下っていった。
そこからガンガンと巻きにかかる。今までの出された分をせっせと巻きとる。
「それは、あまり大きく無いです。」
Capt.は、淡々とそう言い放ったのであった。
そうかもね。でも少しでも大きい方がいいなあ。
手前ボート下まで糸が入って行くと、再びヤツが竿を伸しにかかった。いつもの浪人鯵のパターンである。
手元にグッ、グッと鰭と首を振る感触が伝わる生命感。命と命が繋がるような気になった。いやなってもいいのではないか。
そいつは、だいたい5分くらいで浮いて来た。まあまあのレギュラーサイズであった。
″よう、お久しぶり鯵君”
そいつは、オイカワ君をおもいきり齧って傷だらけにした後、日本製匠トレブル5/0フックが刺さっていた。
※カットしました。
特段大型でもないロウニンアジだが、1日目のウォーミングアップにしては、刺激は強
い
間一髪テイルフックにギリギリで顎に掛かっていた
危ないところであったけれど
少しの撮影後彼には、早々に御帰り頂いた。そいつを優しく水に入れると、勢いよくその蒼の中へ消えていった。感無量である。
「さあ、次は皆さんですよ!」
「次をやっつけてください!」
勿論ですね。将軍様&専務は、その一本目を見てかどうか俄然やる気になった様な気がした。いや気がしたという表現は、かなり弱い。
その後の守破離 ― 2021年06月29日 20:30
その後の守破離
時は過ぎ、去りゆく過去にすがらない
それが“離”への道なのか
時が流れて2021年になり、独立した2002年時から既に19年が過ぎ20年目に突入しようとしています。一重に20年と申しましても、近年の時勢の変化は目まぐるしく、ついて行く事もままならないそんな20年間の出来事でした。そんな中当方の竿は、月竿とかMOON RODとか言われる様になりました。最初に掲げた守破離は、古い日本語です。その理屈などどうでもよい方も多いことでしょう。デジタルが師匠である現代には“見習いから”と言う事もないままに自分がその流派、派閥の長に名乗りを上げられる事もいとも簡単になりました。我流は、我流な筈で決して良い意味では語られない筈なのに、我流を多様性と言う事に置き換えてしまったのではないかと思ったりしてみる事もあります。
「死ななければ負けではない」
嘗ては私も高校生の頃が当然ありましたが、多感な時に学んだ宗道臣先生がおっしゃった言葉です。生死を掛けた戦いをされて来た方が、悟る境地であると思います。現在でも死ななければ負けではない、を実践できればと思います。
これから更に10年先となると2031年ですので私の良き師匠は、誰もこの世には存在しなくなるかもしれません。それでも守破離の道は捨てないで行きたいと思います。時々思うこの先“離”が訪れるまで、ぶれない芯を持つ事ができるだろうか。そう思うと夜も寝られなくなるくらい考えてしまいます。 そして、そろそろ弟子も育てなくてはならないとも感じながらも今に至っております。
弟子には、技術や性能を語る前に人の道が説ける程の人間になってみたいなどと思ったりもしますが、今のところいやこの先も凡人(私)が言えた立場ではないし、そのような庶民風情の言う事を聞くほど世の中は平和も余裕もなさそうです。
私のような職人風情がそう思ったりするほど、荒廃している世の中なのかもしれません。
それでは、月竿を宜しくお願い致します。
私の守破離(2002年当時)
友人達の指摘をうけて
2004年頃のNY自由の女神前で
その先にはストライパーがいる
竿は、亡き師匠の設計である
まだ若かった頃の筆者
日本人の美徳は決しておごらない、高ぶらない、謙虚で、自分を自慢しない、そう思って今日までやってまいりました。地道と感謝を自分に言い聞かせ、足らないながら精進してまいりましだが、何分短気で角もあり、縁の切れた友人も数しれず、思いはつきません。また、威張って得したことなど、日本ではありませんでした。アメリカでは、はったりをかます自己アピールは当然ですが。
呉と言う土地柄
昭和45年頃の呉の街と私
私は呉の海辺に生まれ3歳の頃から釣りを始め、野口英世や北里柴三郎のような立派な学者になるのが小学生からの夢でした。サーフ小僧だった私の釣りの相手はシロギス、マコガレイ、イシガレイ、アイナメ、クジメ、アナゴ,イシモチなどでした。この頃の釣り夢は呉にはいないイワナやヤマメ、アマゴでした。
中学の頃、まだまだマイナーだったルアー釣りとか言っていた時代のその釣を初め、この頃舶来ルアーをなけなしの小遣いで月に一個ほど購入するのがやっとでした。(舶来品なんて死語ですね)この釣りに傾倒し始めたのは、友人の「そがーなルアーみたいなおもちゃで魚が喰うか!」と言われたことや、父親の「そがいな釣れもへん訳のわからんもん集めるより勉強せぇ!」の一言でした。
この頃の私の取り巻くルアーを用いた釣りへの偏見は、今現在とは比較にならないほど強烈でした。また、当時釣れるとされたバスはまだまだ今の様にあちこちにギャング放流されておらず、現在の状況とは若干異なっておりました。その後父親は、実弟がヘドンタイニーダッドで釣った35㎝位のバスを見てからあまりルアーを馬鹿にしなくなりました。今でも当時父がとても驚いていたことを思い出します。この頃から折れた竿の改造など遊びでやっておりました。それでアイナメなどのブラクリ釣りなどやっていました。(当然ルアーで釣りたくてマンズのジェリーワームを切り刻んだりして使っていました)
1980年代の学生時代は、東北の渓流で鱒属を追っかけ、オカッパリでアイナメやクロソイをミスターツイスターのキラーシャド(当時バス用のプラスチックシャッド)で投げまくり、当時まだまだ超マイナーだった海のソフトルアーなどやっていました。このときのアイナメのマイレコードは防波堤で釣った46㎝2.6㎏でした。(東北では別に珍しくもないですが)
その後は、スズキなるものや目の赤い魚をおっかけたり、鉛の塊をしゃくったり(これまた大好きでした)、泳がせたり、近年まで、釣物の価値がなかなか認められなかった、海のドラド釣にポッパーで投げまくったり、深海のドーベルマンとか(4人で50匹、10~30㎏という事も過去にありました。)何とか鱒とか、本流ハードロックの王様2.5㎏とか…。縦縞のスズキ(これは釣りまくりました)とか釣らせてもらったニベの怪物とかまだまだ炭火のように中々つり熱はくすぶって消えません。魚達は私の心をまだ掴んでくれているようです。
倉橋島(旧長門島)
もともと、私の先祖は江戸時代まで倉橋島の多賀谷氏城下で鍛冶職人をしておりました。職人気質は血筋でしょうか?2021年現在は安芸郡から呉市倉橋町となっています。父が子供の頃まで、本浦という町の海岸線に居を構えていました。父の母は、そこで「ひらのや」という食堂をしていました。戦後は叔母がひらのやを継いで、川原石で同じく「ひらのや」を経営しておりました。それももう昭和の時代のことです。
職人気質 Craftsmanship
かつて私は、某量産釣竿製作メーカーにて丸6年間以上に渡り、何千、何万と言う釣竿を組み上げ、出荷、検品、企画までやって、更に毎日何十本というOEM並びに特注品まで、死に物狂いでこなしてきました。残念ながら作業環境はとてもいいとは言えず、決して環境のいい仕事とは言えませんでした。また、釣りは単なる道楽(ある面その通り)、釣りでは休暇や時間をとることは事実上禁止でした。今現在(2021年)では、それをブラック企業と言うらしいです。昭和の時代にもし当時からそのような言葉があったとすれば、真っ黒とは言い切れませんがより多数の企業がこれに入ってしまうということは誰もが思うことかもしれません。当時の地域柄、直ぐに思い出すのは、野麦峠であったり、姥捨て山であったりしました。特に子供の頃に見た「あゝ野麦峠」は強烈に脳裏に焼き付いています。そんな労働環境やそのストーリー通りであれば、生き地獄であり、人権など存在していないようです。その映画も、学校で皆が見たことは忘れません。それは、小学生の私にとって「はだしのゲン」に次ぐほどのインパクトでした。
釣具とはいえ、所詮量産品。
職人魂など伝わらず、どんな方が使ってくれるのかも分からず、人が楽しむ道具なのに当たり前のことですが気になるのは、コストダウンと経費削減、売上のみで言葉だけのハイテク、最先端でした。当然ながら工員さんたちにとっては、日銭稼ぎの商品がたまたま釣竿だった、それだけでした。また、単なる派手な側面だけで入社した若者達はあっと言う間に春蝉の抜け殻のようになってしましました。春蝉の抜け殻を触ったことがある人は、容易に想像がつくかも知れませんが、昔の人は良く言ったものです。
時には、新入社員の彼らに小学校中学年程度の簡単な読み書きや地理、英単語、算数を教えることもありまし、有給休暇取得書類をオールひらがなで提出した部下もいました。挨拶ができなくて、何度も社長から「挨拶はちゃんとしろ」と言われた若者もいました。開いた口が塞がらないとはこのことでした。それもこれも何もかもが昭和の闇がずっと先に見えていた気にもなったものです。
今思えば、そんな過去もありながらもとても懐かしい気になったりします。
きっと令和の時代には、そんな闇は、多少なりとも明るくなっていることを期待して止みません。時代と共にこの項は、またアップすることがあればしてみたいと思います。
心の刀とは
心を失った道具など武士の刀でもありませんし、釣師の命でもありません。見てくれはかっこよくても魂を失った抜け殻ではないでしょうか。それなら多少派手派手しい宣伝やデザインでなくても、温かみのある道具を作りたかった。故に私は、今までの位置と安定を捨てて今までとは違う路を選びました。勿論、大手一流メーカー品を選ぶことは、無難で、確実で、安定安心を約束してくれるかもしれません。またそれに釣師本人が思い入れを吹き込み生かす事もできます。そういう面では生かすも殺すも道具の持ち主、オーナー次第と思います。量産メーカーに真っ向から勝負する気はもうとうありませんし20年経った今となると余計に身の丈にありなさいということが身に沁みます。
「釣竿工房月の釣竿をぜひあなたの右腕にしてください」という言葉は、創業当時から変わりません。 当時もそう申しましたが、私が単なる思い付きや、にわかビルダー上がりでない事が少しお分かりいただけましたら幸いです。
あくまでも魂があってのモノ。それがお分かりいただけたら幸いです。
二千二年六月四日
釣竿職人 平野 元紀
2021年6月吉日加筆
おまけの話(その後の守破離補足)
1967年から1980年代を主に呉の街で過ごした人生も、かなり過去の出来事で、30数年も経てば様相も変わりました。あの、とてもきつい呉弁を話す人もいなくなり、大正生まれの祖母が使っていた本当のネイティブな言葉は、まるっきり聞かなくなったようです。懐かしい警固屋の釣り場は、埋め立てられて団地になっていました。桧垣のおばさんの釣り具店はもう無く、代わりに大型量販店になっていました。SHIMANOのリールがまだまだ他社に比べて今一だった頃でしたが、その桧垣釣具の奥にガラスケースに入っていました。景気もとてもいい感じでひっきりなしにお客さんが来ていたようです。
多くの地方の方言と言う親しい言葉は、薄れていき学校教育の賜物と言うべき標準語化されています。街並みも、ローカルな店舗も姿を消していきました。安くて美味しかった呉トビキリサイダーは、もうありません。今後の復活を願うところす。そう思うと私自身がもう過去の人なのかと思ったりしますが、それは私の昭和という時代だけなのかもしれません。未来はまだあるのかもしれないそんな、先祖代々のこの土地であるにもかかわらず、まるっきり他人な街になったようにも思えたのでした。
そんな、昭和50年代呉の街にわずか数年だけルアー専門店があっただけでもそこは天国か楽園だったのかもしれないと思います。それが、ルアー釣りと言う当時は超マイナーだった私の心を掴んで離さなかったのはどうやら事実のようです。
KENCORの6角グラスブランクは、レアでした。
上:Kenny先生の形見である
KENCOR Tenlew Magnaglas OG2
下:かつて最も全米で売れていたとされるShakespeare社のロッド
いまだ残念に思う事は、当時の子供達だけでは、その店の基盤を支える事が極めて困難だった事です。その一人が私でした。時代が早すぎたかもしれないし、需要にあっていないことは事実だったのでしょう。またそのオーナーは、釣りは全く関心がなくて、ダイバーだったと記憶しており、事務兼店番のお姉さんが、今日も暇であるとぼやいていた気がします。ご存命であるなら、そのお姉さんもそれなりに御歳を召しておられることでしょう。なにせ40年も前の話ですから。それでも夢なお店でした。竿はKENCORのみかほぼそうでとても、地方の街の釣具店ではあり得ないアンテナショップに近い感じでした。(ヒノウエのレスターファインは取り扱いしていたような気がします)しかしながら、ルアーは、へドンはもちろんなこと、フレッドアーボガスト、オリジナルのボーマー、ワース、トーナメントワームのバラ売り、ヒノウエのコブラ、そしてあのアルファ&クラフトのバルサ50のラインナップであったと思います。広島市内ならいざ知らず、呉の街にはなかなか厳しいながらも豪華なラインナップであったと思います。この話は、Kenny先生にCAの自宅へ訪問した際、直接お伺いしましたが、それはお兄さんがKENCOR HIROSIMAの会社を立ち上げて、その親族だったか甥っ子だったか誰かが呉の店をしていた...と言うことのようでしたがそれも忘れてしまいました。今思えばもっと良くお聞きしておけばよかったと後悔しています。どなたかこのお店の当時を知る方がいらしたらご連絡をお待ちしております。
また当時の国産ルアーと言えば、コピー一辺倒、しかも使えない、動かない、品質の悪いものでしたが、今や世界の日本製ルアーとも称され、簡単に設計できてしまう時代になりました。しかもそれらは、国外へとその生産拠点を移し流れていきましたが、それがコストという天敵であったようにも思えます。他の工業製品の拠点も既に日本でなくなりましたが、釣具もその中の一つです。世界経済平準化を叫んでもそれは、遠い未来のようです。
“ルアーは紳士の釣である”
と言う言葉も死語であるかのように釣り場は、その様相も変わり、またその残骸も見受けるようになったような気がします。そんな時代もまた、国の釣り人口に比例して今後は衰退して行くのでしょうか。
だがそれでも、望みは捨てずに行こう。
望みだけは。
さめないで・・・・・・・。
おわり