楽園の終焉Ⅲ-142021年06月08日 14:21

 先日の帰り道、ホタルが単体で飛行しているのを目撃。
LEDで照らすと全く見えないので暗くして捕獲しようとして叢にいるのを捕まえた。
がそいつがボロリと落ちて探そうとしたが、止めて帰宅しました。
 また今度捕まえて撮影してみたいと思います。
昔のコレクション
 もう25年以上も前に揃えていたリールの一部です。次男と同い年の青年とのやりとりから撮影してみました。 44と44EXは、復刻ではないものです。使うとまたスプール爆発するでしょう。

それではその14です。

ロウニアジを手にするN氏

成魚の体表を、撮影しようと思わないと上手く撮影できないが、この一枚もついつい人の顔へ行ってしまうが、それでもまあ撮影はできていたI氏=専務撮影)

 30分位走るとパトロール岩が見えてきた。
本命ポイントで特段、岩周辺から流れが切れて変化のある場所が一番の大場所なところである。キャプテンは、一度ボートをぐるりと大きく旋回させて潮の流れを確認する。さて、どちらから流すか、と言ったところであろう。潮は、河のような流れを呈していて、その流れもそれ相当である。流す位置や、ルアーを投げる位置、掛けてから取り込みまで全てシュミレーショ
ンしないと獲れるものも取れない。

N氏のキャストとキノコ岩

キャプテンは、このポイントでの攻略を何度経験しているかは、その落ち着き振りを見れば理解出来る。むしろパターン化している状態に近いと思われるが、実際はその日、その時間によって少しずつ異なるのでそれは臨機応変な対応が必要となってくる。
「さあ、投げてください。左です。」

潮上からゆっくりとボートは流れて行く。
そのスピートはあの大きな岩に近づくと徐々に加速して行く。
岩への射程距離より少し離れたところからキャストを始める。
前衛は将軍様と専務の二人である。
勢い良くルアーが放出される。

フルキャスト

近い未来への期待と共に竿を振るN氏と私

“飛ぶなあ”
素直な感想を述べてから、私はゆっくりと後衛で様子を伺った。
まだルアーは投げていない。

スプラッシュ音と飛沫が2つほど、いいリズム感覚で近づいてくる。
とても良い感覚と飛沫具合で、この強い流れにあっても負けていない。左方向に大きく流れを越えてクロスキャストする。あの流し方からすると彼らは、もう魚の居る場所を把握しているに違いない。常日頃から彼らは、あのような釣りをしているに違いなかった。その攻略法に間違いが無かったからである。釣り人としてのキャリアと感なのだろう。
″こりゃ、掛けるわな”
魚の活性さえ良ければ、間違いなく喰いそうなポイント&コースの通過具合である。更に上手く彼らはポッピングを繰り返していた。そしてリズミカル。

「うふぁ~!タノシイッ~ス!」
将軍様は、そう言いながらまた大きく868'6''feet)の竿を加速させる。ロッドが風を切る音は、素晴らしかった。その先に付いているルアーの着地点に於いても申し分なく飛び、そして良いポイントに入っていった。
″掛けるのも時間の問題だな”

そう思ってからわずか数投の事だった。
2
つのうちの1つのポッパーの横を、背びれを水面から出して猛烈に横切る奴の姿があった。キャプテンが操舵室から飛び起きた。
「出た!!出たよ!!

専務のロッドが弧を描いていた。
そして空かさず合わせを1回、2回と入れた。
次の瞬間、予期せぬ出来事が起きた。

「えっ??!?
なんと、リールが衝撃で外れた。(あり得ない)
「ええええぇ!!
彼が必死で合わせたまでは良かったのだが、リールはシートから外れてしまった。繋がっているところはラインとリールのみとなってしまった。
彼は、状況を理解して慌ててリールを付ける。しかし魚は、どうやらとうに外れていたようである。

「え~マジかよ!!
あとの祭りとはこの事なのだろうか。

幸か不幸か魚が外れた。
勿論それは不幸なのであるが、これは不幸中の幸いと言って良いのではないか。もし外れていなければリールは、ストリップガイド(一番元の糸が通る大きな輪)に勢いよくぶつかり、リールも竿も思い切り使えないほど破損すると思われたからである。今回は、それを真逃れたのは不幸中の幸いなのでしょう。危険である。
 現代の強力な8本撚りラインは、6号と言う細さでその強度は直強度36kgもある。それであの勢いで魚が走った時は、もう大変な事になっていただろう。

「締めたつもりだったんだけど・・・・。」

結果は、オーライと言う言葉よりも、今は不幸中の幸いとしか表現のしようがない。専務のいきなりのファーストコンタクトは、その洗礼を浴びる事となった。気を取り直してもうひと流しといったところであるが果して・・・・。
それは私の思った通りらしく、キャプテンは、
「もう一度、流します。」
とはっきりと日本語で我々に告げた。二度と同じ失敗は繰り返さないぞと言う気合で専務は、リールシートネジを増し締めした。

「締めたつもり・・・なんですがねぇ。」とぼやいても致し方ない。

 

 同じポジショニングでまた、同じ様にキャストを3人で繰り返す。
勿論同じように、少し遅れてから親父がキャストに入った。キャプテンは、先ほどとは打って変わって、サングラス越しにもやる気が少し漲っていた。

操舵から望む

″さあ、もう一丁!・・・でるぞ!

「でた!!
船内騒然。

「誰!?」
専務が合わせを入れる。

一回、二回と立て続けに合わせる専務。
「えっ?・・!?」

またまた、あっと言う間にロッドが軽くなるのが見えた。
まさか、まさかのバラシ2回目。痛恨の極みの専務であった。
当然2回連続のバラシであれば、がっかりなのは誰でも同じ気持ちで辛いものだ。ここが、この浪人鯵釣りに於けるフッキングの難しいところであろうか。

 ロウニンアジは、餌を見つけ攻撃に入った時には必ずその強い歯と顎で餌に致命傷を与えるらしい。(特段浪人鯵だけに特定される事でもなく、多くの魚食性魚食魚に共通する事なのですが)
当然、ウッドであろうが合成樹脂であろうが餌と思いこんでおもいっきり噛みつく。ルアーは、その魚が立てた歯が喰い込んで、もしくはそれと同時に穴を開けてしまい、多少違いはあれども、歯型がくっきりと付く。水面での釣りとなると、そのまま(咥えたまま)急下降を始めるのだが、 針にはまだ完全に掛かっていないという状態と言う理屈らしい。そこでアングラーは、大きく竿を何度も竿元を使って腰で合わせを何度も入れる。噛みついたルアーの位置をずらして(スライドさせてあるいは滑らせて)針を完全にその口蓋付近の骨奥まで入れる為である。これを合わせと言うが、不完全であると針が奥まで刺さっていない為に魚が掛からなかったり、外れたりする。刺さった様に思えても奥まで入っていないと針先が伸びてしまい、やはり外れてしまう。それを釣り用語では、バラシ、バレルと言うのである。
 また、疑似餌による浪人鯵釣りの場合は、3本イカリ針のカエシの部分を潰しているか、最初からカエシの無いバーブレスタイプを殆どについて使用する。それは、安全性と、再放流と両方兼ね備えた意味がある。勿論、釣りなのでキャッチするのは当然と言えば当然なので極力バラシは無い方が良いに決まっているが、それが人間に刺さってしまってはとんでも無いことにも成りかねない。また深くカエシまで抜けてしまった魚の顎からその針を外すのは容易では無く、時間もかかるのでリリースがかなり遅れるばかりか致命傷も追いかねない。当然傷口も大きくなる。この矛盾との妥協点が今のこの釣り形態なのであろう。
  多くの未経験の釣り人は、日頃のシーバス(スズキ)程度の合わせ程度では、当然乗るわけがないのだが、ついつい反射的に日常の釣りのレベルの合わせで満足してしまう。と言うよりも条件反射的にそう反応してしまうのである。
 激しいバイトの後、急降下と当時に竿先が曲がって来るがその時が合わせのチャンスとなる。しかしその間は、ほんの数秒程度である。そこのタイミングと合わせの強さがフッキングするかしないかと言う事と大きく関わってくる。0か1かの瞬間が正にこの瞬間場面なのである。またこのロウニンアジ釣り、とりわけルアーによるキャスティングの釣りは、トップウォーター(水面)の釣りが主力となる。それは恐らく、魚が水面で釣れ易いと言う理由からではなくて、往々にしてこのルアーの釣りは、水面で捕食が派手に出る事を一つの醍醐味と捉える場合が多いからなのであろう。勿論、その可能性の殆どない魚種や時期によっては、その水面での釣りはある一部の所謂トップマニアと呼ばれる人々以外に於いては、選択から外されてしまう釣り方である。

 ロウニンアジは、常に表層だけを意識している魚ではないのだが、条件が良いと果敢にその表層ないし、水面に身を乗り出してまで捕食しようとするので、その瞬間に魅せられたアングラーは、常にそうあって欲しいと願うのである。まさにそれは人間様の都合によるものであるが、数十キログラムにも及ぶ魚体が、その顎を限界にまで開け拡げ、背中を水面から丸出しで襲いかかるその瞬間は、他に類を見ない程迫力のあるものであり、それが釣り人の視覚からくる刺激となって本能を直撃するのである。
それが、 脳裏に焼き付いてゆくのであった。
そのシーンがエンドレスともなると・・・。
既に水面爆発症候群になっているのかもしれない。以降彼らは、そういう釣りの中毒者となってしまう傾向にあるらしい。故に、多少のヒット率を下げるリスクを背負ってでも、確立との天秤にかけても、やはりトップウォータープラグ(表層専用疑似餌)を優先して選択してしまうのである。あの一瞬が釣果に必ずしも繋がらないとしてもである。それでも、確立が高い方が良いには決まっているのだけれども。

最早その理屈は、本来の釣るという行為とは異なっているが、それもこれも、また漁との境が難しい場合も釣りは釣りである。もちろん本職の漁師さんから言わせれば一本釣り漁と言うことになるがアマチュアからすれば、ほぼ同じ行為でもただの釣りとなるのがこの言葉の許容範囲の大きさでもある。真に難しい言葉でもあるし、寛容でもある言葉に聞こえる。

その15(大きな岩)へとつづく

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