南方回帰Ⅴ-影と闇₋微残光2015₋4 ― 2025年04月03日 19:30
3日目
後半戦の日
何かがおこりますか?
ドラマや映画だと、それなりに何かないと困るのですが
はたして、リアルである=現実と言うものは?
お決まりのヤギさんをJUNが撮影してみる
勿論家畜のヤギさん
ほぼ一年がかりで準備した遠征も、その時がもう半分が過ぎ去り、後半を迎えようとしている。国を背負う事と個人が背負う自らのプライドとは、全く異なる次元かつレベルは違う事が解ってはいるものの、丁度オリンピックに備えるアスリート達が何年もかかってその一瞬に全てを掛けるのに類似した心境に近いのかもしれない。あくまでも近いかもなのだが・・・・。
たかが釣、されど釣、趣味と言えば、趣味。道楽といえば道楽。競う相手が人間でもければ、スポーツと言えるのかもどうかも解らない位置ではあるが、我々が行っているのはスポーツフィッシングと言うものには違い無かった。
それは、一貫してブレてはいないと思う。それは、自分自身との闘いでもあり、自然に身を委ねることが前提の戦いでもある。自然と対峙してみるとその多くは、太刀打ちできないことへの裏返しでもあるのか。
日本における磯釣りは、ここ30年間でそう大きくは変わっていないようである。勿論、釣り方や道具は進化によって多少変わってはいるが、基本は同じかそれに近いかもしれない。ましてや今我々が行っている釣方は、その昔はあまり認知がない方法だった。
時代は大きく変わっているが、近代の遊漁の歴史程度はたかが知れている。
当時(昭和)が解らない方は、1988年刊の“別冊釣サンデー巨魚フィッシング”を参考にしていだだくと良いだろう。当時の通称“釣サン”は、小西ワールド全開でその主観に満ちてはいるものの、それはそれで面白かった。なかでもp34-35は、100kgの魚に耐えうるには、クランプを必ず付けて置くこと、などと書いてある。また当時の剛竿は、そのウエイトも2kg弱前後だった。故小西さんは、とてもこの釣が好きだったのであろう。それも今となっては聞くこともできない。
結局のところ人は、その釣り人生がとてもとても短いということなのだろう。寂しくも悲しいかもしれないがそれが釣り人生の現実である。ただその短い人生をいかに駆け抜けてきてその渦中で多くを体験、経験したかはその短さの中の華でもある。その華は、その人によって違う。その大きさや華やかさそして、華麗さ、美しさもそれぞれである。当然咲かないまま、終わってしまったり、腐り落ちたり、無理やり摘まれてしまうこともあるかもしれない。
それは、まだ私が若い頃こと。このグループの一人に偶然出会ったことがあった。その当時私は、サツキマスなるものを狙ってルアーを投げていた最中の事である。当時たしか使っていたロッドは、今となってはもうその存在もほぼ知られていないCOTAC社のCOMA SPINにMITCHELL630、ユニチカシルバースレッドナイロン6Lbだったと思う。その人は、遠征以外の遊びで時々野ゴイ(しかも巨鯉のmオーバー)を狙っているらしいが、メインはあくまでも遠征離島の磯と言う事だった。その体もボディビルとかで鍛えていたと言って、その太い上腕を見せていた。恐らく、当時の私よりも10歳は上だったと思うのでその人は当時30後半から40代始めと言う感じだった。彼は、小西さんと良く遠征に行くと言っていた。その会話より、磯からの勝負に燃えていた感じが溢れていた。当時は、そのような釣にはあまり興味が無かったのか、はたまたサツキマス釣りの邪魔をされては困ると思ったのかはとうに忘れたが、その詳細もあまり覚えていない。ただ、ここには10㎏オーバーのコイが居て、庭で飼っているとかそんな事を言っていたように思い出された。他には、石鯛釣とかしているとか言っていたようだった。そんな話をほぼ一方的に聞かされたが、それももう過去の話になる。後日のことだが、久々にその巨魚フィッシングを捲ってみるとなんとその彼らしき人物が写っていた。とても面白い縁だと思った。その方が現在も釣りをしているか、はたまたご存命であるかは定かではない。因みにそこで7㎝ミノーに喰ってきた大きな野鯉を禍何度か掛けたが、いずれも20~30分のファイトの後切られた。その殆どは障害物に巻かれてしまったのが原因だが、そもそもタックルがこのトラウトロッドではアンダーパワーだった受けたのは楽しい時間だったように思う。
1992年頃横浜で購入したコマスピン
主にサツキマスを狙ったが後に57㎝程度の小さなイトウをキャッチした
当時18000円くらいだったが、日本製である
まだまだ中国製はほぼ無かった時代
フレンチデザインの香港製MITCHELL630LS
辛うじてオフランスっぽいデザインだった
当時より最早国産リールにかなり後れを取った感があった
当時の“巨魚フィッシング”から、時は既に今は2015年なので27年前と言うことになろう。現在の道具は、当時の道具より遥かに軽量になったが当時はと言えば、細いラインを駆使して取る釣方はまだまだ確立されていなかったと思われるし、専用の道具も無かった時代だった。御関心のある方は、p84~を読んでも面白いと思う。
時間は、足早に流れて行った。
あっと言う間である。3日目と言う現実は、既に後半にさしかかり、泣いても笑っても明日には帰り支度をしなければならないと言う事である。そう言うことも考えながらの釣りである。本日は、勝負に出たいところではある。予期しかねる対戦を願うばかりだった。とは言うものの、やはり相手が自然と言うのは、こちらが勝負に出たいと思っても相手次第である。しかも、その時は何時やってくるか解らない。それが緊張と疲労を繰り返し、ダメージレベルが上がって行く。
JUN曰く、そのアドレナリン緊張状態と、気を抜いた時の疲労感が交互に繰り返されて相当精神的にも肉体的にも追い込まれるらしい。
所謂拷問を受けているに近い心理状態らしい。それはそれでとても大変な精神状態だろう。
「うわあ・・・緊張する~。」
「ああ・・疲れる~。」
そうなのか、確かにそうだ。
今までそう考えてこなかったが、確かにその繰り返しが何度も襲ってくるように思える。そして、最年長の私には、それがかなり堪えてくる。この境地は、なかなかそう出くわす事はない。恐怖にも似た興奮がせり出してはまた疲労に押されて眠くもなり、また興奮。それの繰り返しだった。
間に眠魔の恐怖
確かに拷問に近いような気がする。
監督から
「そろそろだよ~。」
恐怖が更に加速する。
「ああ~眠たい。」
と何げなくぼやく私。
「それをいっちゃ駄目だよぉ!」
即監督のお叱りを受ける。
潮に変化が訪れる。
夜10時を回ったところだった。
先ほどSYUが釣った70cm程のオオメカマスを使う事にする。大きく切ったオオメカマスの切り身餌を投入する。
猛禽類リールから糸が吐き出されていった。
クリッカーを入れ少しラインを送りこんでやる。
いい感じ・・。
いい糸馴染み。
いい流れ。
痛む右肘をかばいつつ、左前構えから左手で竿を持ち、右でラインを送っていった。流れは変わりつつある。
そんな予感がするものの、それは何時来るのかも解らない。
潮の流れと風。
波打つ音。
言い知れぬ恐怖と緊張。
その合間に襲ってくる眠魔。
そして降って涌いてくる緊張の連打。
その狭間の中、スプールに触れている左親指に僅かに摩擦感がする。
「ギィッ・・ギギィ」
同時にクリッカーか鳴き始めの瞬間での事
「イソンボ!!」
「なのか?!」
リールのレバーをストライクに入れる。
即、ずっしりと重さが乗って来る。竿は、大きく弧を描くではないか!
“合わせ!”
左前構え変わらず、そのままバット際で溜めつつ合わせを入れる。
そこはいつもと勝手が違ったが、そこまでは及第点の反応であるとおもった。
ロッドエンドを左わき腹にややアップで溜めて態勢を整えようとするのだが、これが、ベストのベルトに引っかかってしまった。
「ベルト!ベルト!」
そうは叫ぶが、態勢が整っていない。
中途半端な態勢からスタンドに持ち込むのにあまりにも不具合な態勢。
やはり左前構えにて、完全に体が開いてしまっている。
これは、辛い。
良くない。
テンションは、かかったままである。
これが、こと思いのほか重く感じる。
その奥の生命感も更に重く圧し掛かる。
仕方なく、そのまま耐える態勢になった。
ラインは伸びてクリッカーに勢いを与えつつあり、既に悲鳴に変わりつつある。
“これはかなりやばい”
既に冷や汗に変わっている。
そのままリフトする事も出来なく、JUNがフォローに入ってくれているにも関わらず態勢は、今一の左半身構えのままだった。
ただ糸が悲鳴と共に出ていった。
“これはまずい”
“かなりまずい”
“かなりやばい”
態勢もまずいばかりか、目をリールにやると既にラインは、ナイロンはあっと言う間に出されてしまってバッキング近くまで出ていた。
100m以上も走られてしまった。
“磯の暴走族”
とか
“磯のダンプカー”
と過去には呼ばれていたらしいが、勢いに乗ったイソンボは加速に加速をさせた。これは勢いづけてしまった。
“まっマジか!”
相手の猛ダッシュを許してしまう。
正に、昨年の専務状態になってしまう。いやしまっている。ついにラインは、遂にバッキングまで出てしまい、最新鋭のYGKのブレイデッドラインの10号が出て行く。更に糸は出つづけて、120~130m出たところでふっと軽くなった。久々のファイトに、成す術もない状態だった。
これは、流石に堪えた。
あっさりのラインブレイク=糸擦れ切れである。AVETの調子もそうは良くないばかりか痛む肘のせいにもするが、それは単なる言い訳に過ぎない。
否定は誰もしなくても、自ら否定される。
否定の中の否定。
そしてその奥。
その奥は、反省と言うむなしい言葉では決して辿りつかない。
誰が責め無くても。
自分を責めろ。
自責の念を叩きつけろ。
なあ、自分。
これでは勝負にならないではないか。
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