DOGTOOTH IN RYUKYU-05 南方回帰Ⅰその1 -For Shore Fisherman-VOL1-7 ― 2017年10月15日 08:22
それから11年後
それから、何度もこの釣にトライするとは、今さらながら思いもよらなかった事である。
11年と言うスパンはとても短いが、それでも周りの状況も釣も大きく様変わりして行った。
最重要課題でもあった仕掛けの習得と完成は、その後少しずつ改良に改良を重ね、身内ではRYUSEIRIG-KAI(流星仕掛け改)と勝手に命名した。
2015年も多少の改良をしたが何といっても最初にそれを見いだした人が一番偉いと言う事には変わらない。
最初に開拓した師匠には、尊敬の念を決して忘れてはいない。
昨今では、釣りの情報も、それに付随するリグ(仕掛け)事情も大きく様変わりしてしまい、さも一から自分で作り上げた最高傑作風に紹介する風潮は、流石に如何なものかと思う。
それは、守・破・離の3原則に反している事は明白であるのだが、そもそも、その理屈などどうでも良いと思っている輩には到底理解できない事かもしれないとおもった。
その後参加する事になったJUNNやSYU、監督は、その先人の恩恵を多分に受けていると思う。
話を大きくすれば、
その他に於いても歴史の恩恵を受けている現在の我々は、その英知の結晶の恩恵をも受けているのである。
なんと言っても便利になったのは、ライト(懐中電灯)である。
師匠達は、単1アルカリ電池4個入りの豆電球懐中電灯に背負い籠無しのスタイルだった。
私自身もこの非常に重いライトに電球がこの頃くらいまではメインだった。
(思えば皆さんナショナルの白いヘッドライトを買ったものであるが私もこのころまでまだ家に転がっていたと思う。この辺りの話は、ある程度の経験のあるアングラーは皆さんご存知で懐かしいところかと思います。)
それから20ルーメン程度のLEDライトも導入し始めた頃である。
2015年時点では、通常の普通クラスの少し上の280ルーメンを使用している事からすると想像を超えている。
また交通に関しては、航空事情が大きく異なってしまった事である。
これには当時からするととても悩みの種である。
それだけ9・11の影響も大きかった事になる。
そして2015年は、世界でも激動の年となった。
師匠は、2015年時既に完全に磯からのイソンボ釣をリタイヤされてしまったが、その目は決して衰えてはおらず、まだまだ先を見ていたようであった。
こと釣の話となるとその皺の奥にある目を輝かせておられた。
この引き際は、言葉に言えないほど武人であると思う。
引き際の難しさは、先輩方が良く承知の事であるのであえて割愛させて頂く事にした。
この間にも師匠のお父さんも既に100年の人生を超えられた。
一旦話始めると止まらない性格は、先祖代々なのかそれとも個性なのかは解らないが、師匠も師匠の父上もその妹様もとてもお話の好きな方であった。
何時までも人は若くはない事を、若いアングラーに無駄とは解っていても話をしてしまう。
それは、彼らにはきっと将来がある筈だからである。
一時の勝手に作り上げた名声など、ほんの灯にさえならないまま、忘れられ、消え去る事を知らないでいるのは、あまりにも不憫でならないと思う親心からかもしれない。
経験値に裏付けられた実践度を尊重して行かなければ、我々に明日はないと思う。
最後になるが、この釣り紀行を続けるにあたり、10年以上も悩み続けた一番の課題は、釣りをしない人には全く理解されず、チンプンカンプンと言われて困ってはいるが、釣をする人対象なのだから、まあいいかというつもりで書き続けて来た。
だが、そこに落とし穴はあった。
釣をしている人と言う大きな括りでは、既に全く理解できないと言う釣り人の意見があったからである。
よくよく思えば2016年の時点では、釣専門誌、とりわけ紀行文等々メインの書籍と言うものは全く持って皆無に近くなっている上に、それを皆求めていない時代にネット上にそれに近い内容を記載してみても良く解らないと言うのがごもっともの様な気がした。
小学生の頃、無理して、釣り雑誌“フィッシング”を読んだのを思い出した。
それでも、当時の私(同世代)は、その意味が少々解らなくても、解ろうとして必死だったのかも知れない。
師匠譲りのトリプルラップデザイン。
苦労の果てには、その幸せを願う職人魂がある。
どうか良い釣りをしてほしい。
人生にとって良い思い出と共に。
2016年1月4日追記
2016年1月8日追記並びに訂正
(2017年10月15日ブログ版)
おわり