南方回帰Ⅴ-影と闇-微残光2025-5 ― 2025年06月11日 12:35
-猛禽類と言う名のリール-
AVET HX RAPTOR
このリールと付き合って早5年近く過ぎた
ブランドと付き合って12年以上(2003年から)が経つ
だれも知らなかっ
たあの時から・・・
初期型AVET
JX Shark designは、あまり知られていない
恐らく、日本国内で最初に使ったのは間違いなく私がその一人に入ると思うが、その証明を出来る証明は残念ながらできない
我が国の高性能リールよ!今こそ大和魂を見せて欲しい
2005年頃のAVET
SXと2010年時のHX RAPTOR
この会社のリールを始めて観たのが2002年の事だった。当時日本には入ってはいなかった頃の事である。その頃は、まだフラットデザインサイドプレートに、シャークの絵がエングローブされていた。当時は、そのリールが特段すばらしいとも思わなかったが、その時聞いた価格に少し感心した。そのコストパフォーマンスには大変優れていたように思えた。いや驚いた。
「なにか、気になる点は?」と聞かれたので、
「個人的にはシャークは嫌いではない。またこの手の釣りがこの国(米国)でポピュラーなのは良く知っている。」
「だが、日本でこのリールを売るとするならば、このシャークのデザインは受け入れ難いものになるだろう。」
「なぜなら日本ではシャークは釣の対象とする人は大変少ないからだ。」
「むしろ、シャークは迷惑くらいに思っている釣人の方が圧倒的に多いと思う。」
そう言うと、彼は驚きを隠せない表情で
「それは、本当か?」
「日本人は、シャークが釣の対象としてはマイナーなのか?」
と聞いてきた。彼は、そのことがにわかには信じられない様子だった。
価値観の違いと言うのは、国によって大きく異なるのだ。それは、その国の主義、思想に大きく反映すると思う。アメリカの釣人は、サメを立派なゲームフィッシュとして認識している。また、その種類によっては食用とされる。寧ろ我々日本の釣人が少数派なのかもしれない。
サメは、我々日本人が太古の昔より漁の対象として捕獲、利用されて来た。そしてかつてほどではないものの現在も利用されているが不人気なのは謎である。日頃の釣人の言動からみて感じとれる部分は多々ある。恐らくではあるが獲物をかっさらう、また仕掛けを切るというミートフィッシャーマンにとっては厄介極まりない存在でもあったりするのかとも思う。一方で水族館の人気物であったりする。
2002年当時のAVET JX Single
Speed Shark
所謂初期型でとても面白いリールだと思った(2002年当時)
さてさて、そのRAPTORが発売になるとすぐに購入した。今までのノーマルデザインは、比較的スムーズにそのドラグは効いていた。滑り出しも悪くないナイロンラインとの相性もばっちりではあったがことどんどん細くかつ強力になっているブレイデッドラインに合わせる必要がでてきたのだろう。その強化ドラグとマグネットブレーキ搭載の2スピードリールは未だ日本のメーカーでは見たことがない。バリューも申し分のない。これは凄いなと思った。技術的には、日本の大手2社ならそう労せずしても難なくこなすレベルであるが、それが生産される事も、販売される事も2015年の冬の時点では無い。勝手に思えば、2016年のそれもないであろう。発売されるとすれば、海外市場が先で後に日本へ入ってくるパターンだろう。
日本の釣具メーカーも冬の時代なのか、勢いは全く感じられなかった。また、そちらの方向に開発される予定もなさそうだった。その方向は、電動モーターの威力向上とコンパクト化にあるように思える。持ち運びも、どんどんリチウム化されたコンパクトな電池になっていった。
さて今回も愛用のRAPTORをメイン機で使用したのだが、どうもドラグの調子が良くない感じである。その原因は・・・思い当たる節が大いにあった。それは・・・・。
今年の駿河湾での出来事だった。
さっぱり釣れないサットウとバラムツに身内俗称“魔の瀬”でトライすることになった。この瀬は、実に怪しい瀬である。
過去に何度も脅威のロングファイトを強いられた場所。脅威の瀬である。それは正に怪魚のレベルと言うよりテラーである。
その正体を知りたくて何度もトライしたが、一度だけ知人が4時間半のファイトの末に浮かせた事がある。船の半分以上あるその巨大魚は、恐らくカグラザメである。その魚体は今でも忘れる事ができない。
肩幅以上の頭部とその大きな鰭。
特徴のある尾鰭は、正に生きた化石だった。
3mどころではない4mも完全超えの更に長かった。それは5mだったのかどうかもうびっくりのサイズだった。その当時の視覚イメージは、5m~6mの 超大型軟骨魚類の感じだった。その独特のフォルムは、古代を思わせる闇と船の灯りに浮かで蠢く海竜にさえ思えたのだ。みんなで思わず後ずさりする程の脅威を感じた。
2002年頃の初期型AVETは、鮫のエングローブだったが特別リールには見えなかったが、今はRAPTORの2段変速リールである。
そいつが浮いて皆の驚きの様子だが、親父さん(船長)は全く怯まなかった。
「おおお!これは釣って東海大学に持って行くぞ!!」
とのお言葉に思わず我々は頑張ってしまった。つまり是が非でも揚げるということなのだ。親父さんは、それが学術的に価値のあるものであることが即理解できたのである。もちろん我々も。
誠に遺憾な事ではあるが、私の母校にその受け入れ先は見いだせなかった。
東海大ならそれが可能との事と言う事だったが、肝心の奴は一度水面まで姿を現すとゆっくりと船に近づいて来た。と思うと、また深海へと潜っていった。
恐るべき体力である。一気に数十メートル引き出された。
正に怪魚ならぬ、怪物である。
それならと今度は親父さんが、船のローラー巻き付け作戦を5時間経過近くなって行う事になった。10m位ローラーで巻きつけると滑り気味になり、更にテンションを上げて巻くとあのPE独特のブツリ・・と言う感覚と共にそれは、一気に軽くなった。
リーダーから切れていた。
リーダーはサメ肌で何度も擦られたか、ズタボロだった。
そんな過去が何度もあった場所。その格闘劇は何度も何度もあった。
そう、恐怖の瀬。それは恐らく、TVバラエティネタとしては、マックスであろうが当然そのようなアプローチはこちらではしたことは無い。ましてや、怪魚マニアでもない。
その後、証拠の撮影したビデオはそのテープカビてしまい。処分に至り証拠画像も恐らくない。アナログ写真があるかもしれないが、その後探しきれていない。
そんな恐怖の場所で同じくまたまた変なアタリ。
最初は、コツコツと触るようなアタリがあった。
少し聞き合わせると根掛かりのように重い。彼らのアタリは何時もそうだ。
それでも竿をベンドマックスまで曲げて、ゆっくりとリフトアップすると、首を大きく振るような引きがあり、更に無理に剥がそうとすると、そいつは急に走り出した。
“もしかして・・・・ああ奴かも・・・・。”
そう思っていると親父さんが
「ごりゃあ、特大のイシナギだぁ~!」
と申されるのでは、取りあえず一生懸命ファイトするしかない。
そう決め込み、10分、20分、30分と汗を流しながらファイトする。
魚は、すぐ下の110mラインまで寄せて更に浮かせて70~80mラインまで上げてくるとまた走りだす。
それを何度か繰り返す。
ドラグテンションを上げても同じ事だった。
2013年に筆者が揚げたイシナギ
即〆したため血痕が生々しい
※儚き偶像の行方参照https://tukinoturisi.asablo.jp/blog/2019/02/21/9039006
“奴だ、奴に違いない・・・”
特大のイシナギから、皆奴を確信しつつあった。
なんとか60分ほどやり取りしたが、全くあと70m以上は浮いてこないのでカグラ君と確信して、ラインカットと思ったが、寒い中皆さんが見てくれていたのでそれぞれ体験してもらう事になった。どうせならドラグを20㎏近くまで上げて、竿を寝かして折れないようにした。これを今流行?のスロージグファイトと称してリールの並行移動の距離分を巻きとることにしてみた。上半身だけでは到底無理なので、フットポンピングでリールインして行った。いままで根掛かりしかやった事がないこのやり方でのファイトは初めてだったが、この竿なしのIGFA失格のファールファイトでなら綱引き出来た。そのテンションでリールが壊れない事に関心を示したのは、SUG氏であった。
どうせラインカットならと試してみたが、これがぐんぐん寄せられた。
“これなら、浮かせられるかも”
体験学習の為にとSUG氏にも竿を御貸しすると・・・彼の恐ろしい、逆の意味でテラーなファイトが始まった。
リールテロリスト、あばれる君などといわれながらも壊れんばかりのリール操作に一同驚愕したが、さすがテロリスト、いやあばれるくん。まったく、動じなかった。しかも、彼は並行してあらんかぎりの力でハンドルを回そうとしているではないか。正に彼も脅威である。
“ちょっと待って、リールが壊れるから、もう交代!”
それから何分かしてまた私に交代して切るつもりでリフトした。
恐ろしい事に90分以上経つと、やつは少しまた浮いてきた。
あと30m。
良く浮いて来た。
これをあと2時間くらいやれば浮いてくるかも?そう思ったが、時間の無駄にも思えた。
決定的な事は、あとその30mと言うところで船の下に張り付いたようにうごかない。
ドラグをfullまでレバーを上げたが、動かない。
やはり怪物である。
「カットするよ~!」
親父さんの反対も無かったのでそこでカットした。
新品の8本撚りPEラインをあっさりとカットすると、何事も無かったように帰りしたくを始めた。
帰宅後、分解をしようと思いながらも、潮抜き程度の軽いメンテをしただけだった。
その数カ月後、そのまま伊豆でイシナギに使った。それから更に帰宅後、ハンドル周りのガタもないので分解する事もなく、今回の現場に至ったのである。どうも低いテンションの具合が悪い感じだった。レバーとブレーキが相対してのドラグ力が上がる仕組みなのだが、どうも今の私のリールの状態は、ブレーキプレートとの接触する部分の、コンタクトレンジがとても狭い感じだった。
これにもっと気がついていれば・・・なんて言い訳である。
何れにしてもこれは整備不良と言われても文句の言いようが無いし、体調不良も己の自己管理不良と言う事になる。
言い訳はできない。
結果が全てを表していた。
歴戦の勇士達のその後2024年11月撮影
敗北後
話を再び元のイソンボに戻す。
すっかり、巻き取った糸のバッキングが心細い状態になったRAPTORを竿から取り外し後方へ移動させて、バッグに仕舞い入れた。
さあ、気を取り直すと言うよりも、今の己の現実は、己と魚との勝負と言うよりもチームワークで勝利させる事ではなかろうか?
そう思ったりした。
早速監督の指令と激が飛ぶ。
「だから気を抜くなと行ったんだよ~!」
「なにやってんだよ~!」
真にごもっともでした。
日頃、私が皆さんに申している通りだし、昨年はそれで散々専務イジメしましたからねぇ。
猛反省。
「さぁさぁ~まだまだ来るよ~!気を抜くなよ~!」
更に監督から激が飛ぶ。
あとの2人に頑張ってもらうしかないと思った。
俄然やる気にった、JUNとSYUの二人。
気合い十分といったところだった。
まったく私が気を取り直してなどと言う間もなく、彼ら2人が早速投入したので暫し監督と共に様子を見る事にした。こんな状況の私では、20㎏以下でも獲り込めるまでに至らないであろう。しかしながら、このテニス肘とやらは一旦痛めるとなかなか回復に至らない。真に厄介なものでかつ生活にまで影響を及ぼす。釣人にとっても本当に厄介な慢性的持病である。左右共その症状とはもはや場末である。
AVET各種と上から新型1403-UM5-6XP
旧1363-UM7p
今回主役の旧1363-UM9p
旧1363-UM7p AK-SP
2000年作成のCT601-30SU-CUSTOMと2002年製JX、ナイロン神海30Lbのコンビでビンナガ(ビンチョウ)を上げた
22㎏程度だった
月竿シャツ2025夏秋 ― 2025年06月06日 19:14
MOON Original Dry zip Dry polo
2025年夏秋
いつもブログを見て頂き真に感謝申し上げます。
月竿オリジナルデザイン
ドライジップ、Tシャツ、ドライポロ半袖のご案内です。
初期より愛されてきた、仲間先生デザインのオリジナルクラッシックタイプも復活です。
長年ご要望されていた月竿の竿に銘打ちしてある“MOON”と“月竿”のオリジナルロゴデザインもご用意させて頂きました。是非この機会をご利用ください。
1.MOONオリジナルドライジップ
2.オリジナルドライTシャツ
3.MOONオリジナルポロ(半袖)
4.MOONオリジナルポロプロ仕様(半袖/左肩日の丸月竿のみ)
いずれもA~Cデザイン
A イソンボライドキジムナー
B ロウニンアジ老成魚デザイン
C MOON/月竿日の丸デザイン
2025夏デザイン
※ご注文方法並びに詳細は、お問い合わせください。
ご予約締め切りは2025年6月15日としております。
納期は、2025年7月初旬前後を予定しております。
2025年6月5日
釣竿工房 月
月竿振出 MOON STARGAZER Jr. Light7 ― 2025年05月30日 15:00
月竿の振出
MOON STARGAZER
Jr. Light7
S-Light Multi-Purpose
超高性能万能軽戦振出竿
それは、振出(Telescope)であっても最大限にその力を発揮できなければならない
そしてそれが実践性、つまり実用性のある製品でなければならない
たとえそれがライトクラスであっても、余暇用であってもそこに妥協は許されない
なぜならあなたの貴重な時間を失わせたくないから
そして、遊びの中にも本当の至福が潜んでいるから
軽戦に心して挑む
小さな夢をぎっしりと詰め込む
小粒でも親機譲りのスピリット
旅行型のベースとなったTRAVEL 73-BG 3pcsシリーズ
2010年発売当時は、このクラスでのマルチピースをほぼ見かけなかった
月の振出シリーズライト
Blank Material
その昔より、携帯性を重要視したトラベルロッドとかマルチピースとかテレスコロッドは主力ではないものの、古くから展開されてきました。それは、どちらかというと“ちょっとした”ということが前提のロッドであったことでしょう。昭和の時代から平成にかけて、過去には往年のキラク社やまた比較的容易に購入可能なリョービのものが多く存在はしていました。それはどちらかというと前者は、渓流寄りのもので、後者は、量産型万能小物竿という感じでした。
時系列順に並べてみる
上 1978年同時の振出 日本製
中 創業1917年のキラク 日本製
下 平成初期大量生産されたリョービのジョイスピン韓国製
どちらかというと携帯小物用のルアー竿のイメージだった
月竿平野は、90年代から2000年代初頭にかけてはとりわけロングロッドはそれ専用のロッドケースとかに入れて持ち歩くことがなんの問題もない頃なのであえて複数に分割したトラブル多めのそのような竿より、1pcsあるいはハンドル脱着という方式の竿で通してきました。それもどうやら10年経過するとよりコンパクトであることがある程度求められてくるようになりました。それは、輸送事情という一番のネックが一番の理由ということになるでしょうか。
当方に於けるマルチピースをどう展開して行くかと言う長年の課題を形にしてきたマルチピースロッドですが、その形式を一旦見つめ直し旧1363シリーズから1403シリーズの振出化を機に考えを一新しました。(※別途「月の振出」シリーズデジタルパンフレットをご参照ください)
同時に長年、要望があったシリーズをどうして行くかを検討しなおしました。その中でも、月竿ライトクラスシリーズのマルチピース化です。それは、月竿ラインナップにおいて1pcsメインの良さと比較するとその機能上どうしても二の足を踏むジャンルでもありました。そのラインナップの中でも特に要望が上げられるものが、UM+Graphite、CT662-UM100-シリーズと、月竿の根幹ともいうべきFTS(S-GLASS)シリーズでした。中でもUM-GLASS100シリーズからの派生機種から考えますと、これらは562-UM100-01pをUM100から一新してS-100%で製作しました。このUM100-シリーズでのマルチピース化も常に要望があり検討して来ましたが、その性能を限り無く引き出すにはやはりS-系のしかもルアー等の操作性がよいFTSシリーズと判断しこれに着目しました。また既に、73BGシリーズという当時業界でも珍しかった80Lb classのマルチピース化に成功していた事も大きな着眼点でした。(タイプSとタイプEの二機種)
MOON TRAVELLER
最上段:TRABEL 73-BGS 3pcs
中、下段:TRAVEL STAND UP SERIES
562-SU30KVGおよび同SU-50KVG

2010年同時は、とても珍しかった73-BGE Type 3pcs
そしてロウニンアジ
この当時は、そのような3pcsは殆ど聞いた事が無かった
※楽園の終焉-Ⅰ(2010)Ⅱ(2011)Ⅲ(2013)を参考にしてください
http://tukinoturisi.asablo.jp/blog/2018/09/11/8958994
そこで更にFTSシリーズのうち、とりわけ日本国内のライトラインクラスでの記録狙いとしてきた701-FTS6(IGFA6Lb)及び701-FTS8(IGFA8Lb)をメインで検討致しました。
MOON ROD の根幹を成す、FTSシリーズ
601-FTS-20(IGFA20Lb class)1pcs
IGFA20Lb class
指定の専用設計ではあるが、そのキャパは20Lbを大きく上回る実力を秘めている
※楽園の終焉2011/小楽園を参照
http://tukinoturisi.asablo.jp/blog/2020/05/29/9251995
その結果としてこの度、マルチピースでライトクラスの竿をS-GLASSしかも振出で製作する事にしました。
製作するにあたり、当社旧S-GLASS製品よりも新型S-GLASSは、1ランク強めに上がっていますのでそこは調整しています。また難点の一つでもあります、パーツとりわけガイドですが、そこは多分に漏れず、富士ガイドに合わせなければならないと言う制約の中での開発となりました。自由に選択ができないと言う事は、製品化を限りなく制限します。
テスト釣行は、少しオーバースペックでしておりますのでそれをメインターゲットとしている訳ではありませんが、ブランクの持てる最大クラスまでを目標としております。特に対象魚を絞り込んでいる訳でもありませんので万能竿として、気軽に使えるようなものを製作いたしました。しかしながら、ライトクラスでも何処でも本気で使える月竿に恥じない日本製振出竿を目指しています。ここは、一般的な万能竿とは大きく違う点のひとつです。
同2号機試作VS VR50とのコンボ、シングルフット仕様
シングルフットガイド試作機
ダブルフットコルク仕様試作3号機
MOON Master Rod Blanks純国産100% made in Japan
6'10''-1xp(2xp) type tele 振出ライト4本継 Multi-Purpose
CW/GW=キャスティング.又はジグウエイト最大DM=設計上最大ドラグ値
DS=設計上実用ドラグ/又は参考値TIP=先径㎜ BUTT=元径㎜ WT=ブランク重量
完成全長約7'0''(2.13m)
下2段:更にコンパクト化に成功
ベイトキャステングモデル(最下段)
船上にて試釣する
250gジグ+餌のスタンダードな仕掛けを使用
Solvkroken社のジグと直ぐにわかる人は、そういないのかもしれないノルウェーの会社である
オリジナルオイルリグ 錘スカリー50号を使用
最後の取り込み風景-信頼のSは健在である
実測24㎏の中型バラムツ、まだまだ大型は居る
オリジナルバラリグをライト化したもの
錘負荷は50号
本採用のエンドパーツ純国産
専用国産エンドパーツ
中型のナマズと黄昏時
CORK MODEL
やはりハンドル(グリップ)素材はコルクという方に
S-Light Multi-Purpose
Stargazer Jr・ Excellent
コルクリング1個から積み上げられる基本工程
カスタムロッドである以上、パーツの選択もある程度できなければなりません。勿論、握り部分はそのボディの中心でもあります。EVAとコルクの選択可能です。また、その長さと形状までカスタマイズできます。現在の多くの量産メーカーでは、コルクリングから成形すると言う事はほぼありませんが、月竿はその選択を可能にします。
コルクグリップ整形後
粗削り工程から成形加工を進めた状態
ダブルラッピング仕様(オプション)
独自のグラスパイプを介していますのでシングルラップでも特に問題はありませんが、選択枝としてダブルラップも可能です。むしろパイプは、ギリギリの短さですのでデザイン的にもダブルラップがよりバランス良いでしょう。
DAIWA USA UNDERSPIN120XD
ABU の名品44express高速モデル(1969年発売)
ABU505と釣りキチ三平時代には戻れないのか
本体仕舞寸法約64㎝
トップカバー装着時約68.5㎝
楽しいリールとジッタースティックでの1匹
DAIWA
USA UNDERSPIN120XD
こんなリールはやはり日本では売れない
ベイトモデル-Bait model-
Conventional
or Bait Casting
月竿にしかできない、両軸とベイトキャスティング
昨今益々の高性能化が進むベイトキャステングリール及びその基本性能は向上しつつも、よりモダン化される両軸リール。コンパクトでありながらも、ボトムフィッシングからジグ、そしてベイトキャスティングこのバリエーションを実現いたします。所有者だけが知り得るその汎用性は、そのオーナーに恩恵を与えます。それぞれのご希望に可能な限りお応えいたします。
SHIMANO BB-1
Black&Gold-特57戦無敗小太刀仕様
Spincast
Reel Mastersに捧げる
それは、不滅の覆面を被ったリールなのか
それとも、だだの絶滅危惧種なのか
ただこの世には、スピンキャスターというアングラーが存在する
かつては、初心者向けでその大きな特徴としてバックラッシュしないと言う最大の利点を謳い文句にベイトキャステングリールを使う前に使ってもらう入門者、子供向けリールということが長年言われてきました。
しかしながら、そのバックラッシュしないという以外は、ほぼほぼ利点など見つからない存在でした。むしろ、エントリーやキッズには非常に使い辛いことも多かったとおもいます。また、ABU社を始めとてもエントリー価格ではなかった舶来高級品も存在していました。それらは、当時からの愛好家によって支えられてきたのかもしれません。
かつてクローズドフェイスリールとも呼ばれた第3の存在
かなり偏ったラインナップ
ABUと言えば・・・MATIC
嘗ての紳士のリールはガラスケースの中に存在して子供は触れなかったが…
ほぼ国内絶滅危惧の昨今においても極一部のスピンキャスト愛好家という人々が存在するらしい
不滅のマチックデザイン最高傑作の一つ
1980年代半ばまでは、存在感をそれなりに示していたスピンキャストリールもそれ以降は徐々に衰退していきました。その後は、大手と言われたメーカー4社のうちの半分2社も釣具製造から撤退してしまい、それ以降すっかり国内市場から消え去ってしまいました。がその一方で、米国では生産国を替えてそれなりに生き残ってきました。我が国においては、かつての全盛期からするとかなり隅に置かれてしまったこれらのリール達です。すべてにおいて現在のスピニングリールに劣るこのリールは、今でも愛好家によって愛され続けています。特に近年では再びフレッシュウォーターでの渓流等で若干存在感を示しているようです。その多くは、その剛性や高性能ドラグを要求しない使い方に集中していると思われますが、それでも嘗ての釣人を魅了してきたより大型の魚でその限界を試してみたいと思ってしまう何かがあります。不便さを嗜むあなたには理解頂けるものと考えます。
そんなあなたに捧げる1本を作成致します。
熱き1970~1980年代
誇り高きスパングスタ製505は、50年が過ぎても人気である
カスタムロッド仕立料金 \78.000~税別(2025年現在)
オプション
エンドキャップネジ/耐熱リールグリスCal’s
三河綿オリジナル竿袋 日本製にてカスタマイズを承ります
1970年代のミッチェル440オートマット、当時輸入総代理店ツネミのパンプ入りで、呉の店で購入したもの(2022現在は閉店してありません)
月竿の振出ライトStargazer Jr.で、ビジネスの合間から、家族旅行、余暇、世界をこの竿と一緒に渡ってください。
昭和時代のリールにもカスタマイズ
限り無い夢を
月竿であなたの幸せを
月竿に託してください
儚い夢はつづく
つづく
明日への希望のStargazer Jr. Hも開発中
最大限の小さな夢と希望
釣竿工房
月
南方回帰Ⅴ-影と闇₋微残光2015₋4 ― 2025年04月03日 19:30
3日目
後半戦の日
何かがおこりますか?
ドラマや映画だと、それなりに何かないと困るのですが
はたして、リアルである=現実と言うものは?
お決まりのヤギさんをJUNが撮影してみる
勿論家畜のヤギさん
ほぼ一年がかりで準備した遠征も、その時がもう半分が過ぎ去り、後半を迎えようとしている。国を背負う事と個人が背負う自らのプライドとは、全く異なる次元かつレベルは違う事が解ってはいるものの、丁度オリンピックに備えるアスリート達が何年もかかってその一瞬に全てを掛けるのに類似した心境に近いのかもしれない。あくまでも近いかもなのだが・・・・。
たかが釣、されど釣、趣味と言えば、趣味。道楽といえば道楽。競う相手が人間でもければ、スポーツと言えるのかもどうかも解らない位置ではあるが、我々が行っているのはスポーツフィッシングと言うものには違い無かった。
それは、一貫してブレてはいないと思う。それは、自分自身との闘いでもあり、自然に身を委ねることが前提の戦いでもある。自然と対峙してみるとその多くは、太刀打ちできないことへの裏返しでもあるのか。
日本における磯釣りは、ここ30年間でそう大きくは変わっていないようである。勿論、釣り方や道具は進化によって多少変わってはいるが、基本は同じかそれに近いかもしれない。ましてや今我々が行っている釣方は、その昔はあまり認知がない方法だった。
時代は大きく変わっているが、近代の遊漁の歴史程度はたかが知れている。
当時(昭和)が解らない方は、1988年刊の“別冊釣サンデー巨魚フィッシング”を参考にしていだだくと良いだろう。当時の通称“釣サン”は、小西ワールド全開でその主観に満ちてはいるものの、それはそれで面白かった。なかでもp34-35は、100kgの魚に耐えうるには、クランプを必ず付けて置くこと、などと書いてある。また当時の剛竿は、そのウエイトも2kg弱前後だった。故小西さんは、とてもこの釣が好きだったのであろう。それも今となっては聞くこともできない。
結局のところ人は、その釣り人生がとてもとても短いということなのだろう。寂しくも悲しいかもしれないがそれが釣り人生の現実である。ただその短い人生をいかに駆け抜けてきてその渦中で多くを体験、経験したかはその短さの中の華でもある。その華は、その人によって違う。その大きさや華やかさそして、華麗さ、美しさもそれぞれである。当然咲かないまま、終わってしまったり、腐り落ちたり、無理やり摘まれてしまうこともあるかもしれない。
それは、まだ私が若い頃こと。このグループの一人に偶然出会ったことがあった。その当時私は、サツキマスなるものを狙ってルアーを投げていた最中の事である。当時たしか使っていたロッドは、今となってはもうその存在もほぼ知られていないCOTAC社のCOMA SPINにMITCHELL630、ユニチカシルバースレッドナイロン6Lbだったと思う。その人は、遠征以外の遊びで時々野ゴイ(しかも巨鯉のmオーバー)を狙っているらしいが、メインはあくまでも遠征離島の磯と言う事だった。その体もボディビルとかで鍛えていたと言って、その太い上腕を見せていた。恐らく、当時の私よりも10歳は上だったと思うのでその人は当時30後半から40代始めと言う感じだった。彼は、小西さんと良く遠征に行くと言っていた。その会話より、磯からの勝負に燃えていた感じが溢れていた。当時は、そのような釣にはあまり興味が無かったのか、はたまたサツキマス釣りの邪魔をされては困ると思ったのかはとうに忘れたが、その詳細もあまり覚えていない。ただ、ここには10㎏オーバーのコイが居て、庭で飼っているとかそんな事を言っていたように思い出された。他には、石鯛釣とかしているとか言っていたようだった。そんな話をほぼ一方的に聞かされたが、それももう過去の話になる。後日のことだが、久々にその巨魚フィッシングを捲ってみるとなんとその彼らしき人物が写っていた。とても面白い縁だと思った。その方が現在も釣りをしているか、はたまたご存命であるかは定かではない。因みにそこで7㎝ミノーに喰ってきた大きな野鯉を禍何度か掛けたが、いずれも20~30分のファイトの後切られた。その殆どは障害物に巻かれてしまったのが原因だが、そもそもタックルがこのトラウトロッドではアンダーパワーだった受けたのは楽しい時間だったように思う。
1992年頃横浜で購入したコマスピン
主にサツキマスを狙ったが後に57㎝程度の小さなイトウをキャッチした
当時18000円くらいだったが、日本製である
まだまだ中国製はほぼ無かった時代
フレンチデザインの香港製MITCHELL630LS
辛うじてオフランスっぽいデザインだった
当時より最早国産リールにかなり後れを取った感があった
当時の“巨魚フィッシング”から、時は既に今は2015年なので27年前と言うことになろう。現在の道具は、当時の道具より遥かに軽量になったが当時はと言えば、細いラインを駆使して取る釣方はまだまだ確立されていなかったと思われるし、専用の道具も無かった時代だった。御関心のある方は、p84~を読んでも面白いと思う。
時間は、足早に流れて行った。
あっと言う間である。3日目と言う現実は、既に後半にさしかかり、泣いても笑っても明日には帰り支度をしなければならないと言う事である。そう言うことも考えながらの釣りである。本日は、勝負に出たいところではある。予期しかねる対戦を願うばかりだった。とは言うものの、やはり相手が自然と言うのは、こちらが勝負に出たいと思っても相手次第である。しかも、その時は何時やってくるか解らない。それが緊張と疲労を繰り返し、ダメージレベルが上がって行く。
JUN曰く、そのアドレナリン緊張状態と、気を抜いた時の疲労感が交互に繰り返されて相当精神的にも肉体的にも追い込まれるらしい。
所謂拷問を受けているに近い心理状態らしい。それはそれでとても大変な精神状態だろう。
「うわあ・・・緊張する~。」
「ああ・・疲れる~。」
そうなのか、確かにそうだ。
今までそう考えてこなかったが、確かにその繰り返しが何度も襲ってくるように思える。そして、最年長の私には、それがかなり堪えてくる。この境地は、なかなかそう出くわす事はない。恐怖にも似た興奮がせり出してはまた疲労に押されて眠くもなり、また興奮。それの繰り返しだった。
間に眠魔の恐怖
確かに拷問に近いような気がする。
監督から
「そろそろだよ~。」
恐怖が更に加速する。
「ああ~眠たい。」
と何げなくぼやく私。
「それをいっちゃ駄目だよぉ!」
即監督のお叱りを受ける。
潮に変化が訪れる。
夜10時を回ったところだった。
先ほどSYUが釣った70cm程のオオメカマスを使う事にする。大きく切ったオオメカマスの切り身餌を投入する。
猛禽類リールから糸が吐き出されていった。
クリッカーを入れ少しラインを送りこんでやる。
いい感じ・・。
いい糸馴染み。
いい流れ。
痛む右肘をかばいつつ、左前構えから左手で竿を持ち、右でラインを送っていった。流れは変わりつつある。
そんな予感がするものの、それは何時来るのかも解らない。
潮の流れと風。
波打つ音。
言い知れぬ恐怖と緊張。
その合間に襲ってくる眠魔。
そして降って涌いてくる緊張の連打。
その狭間の中、スプールに触れている左親指に僅かに摩擦感がする。
「ギィッ・・ギギィ」
同時にクリッカーか鳴き始めの瞬間での事
「イソンボ!!」
「なのか?!」
リールのレバーをストライクに入れる。
即、ずっしりと重さが乗って来る。竿は、大きく弧を描くではないか!
“合わせ!”
左前構え変わらず、そのままバット際で溜めつつ合わせを入れる。
そこはいつもと勝手が違ったが、そこまでは及第点の反応であるとおもった。
ロッドエンドを左わき腹にややアップで溜めて態勢を整えようとするのだが、これが、ベストのベルトに引っかかってしまった。
「ベルト!ベルト!」
そうは叫ぶが、態勢が整っていない。
中途半端な態勢からスタンドに持ち込むのにあまりにも不具合な態勢。
やはり左前構えにて、完全に体が開いてしまっている。
これは、辛い。
良くない。
テンションは、かかったままである。
これが、こと思いのほか重く感じる。
その奥の生命感も更に重く圧し掛かる。
仕方なく、そのまま耐える態勢になった。
ラインは伸びてクリッカーに勢いを与えつつあり、既に悲鳴に変わりつつある。
“これはかなりやばい”
既に冷や汗に変わっている。
そのままリフトする事も出来なく、JUNがフォローに入ってくれているにも関わらず態勢は、今一の左半身構えのままだった。
ただ糸が悲鳴と共に出ていった。
“これはまずい”
“かなりまずい”
“かなりやばい”
態勢もまずいばかりか、目をリールにやると既にラインは、ナイロンはあっと言う間に出されてしまってバッキング近くまで出ていた。
100m以上も走られてしまった。
“磯の暴走族”
とか
“磯のダンプカー”
と過去には呼ばれていたらしいが、勢いに乗ったイソンボは加速に加速をさせた。これは勢いづけてしまった。
“まっマジか!”
相手の猛ダッシュを許してしまう。
正に、昨年の専務状態になってしまう。いやしまっている。ついにラインは、遂にバッキングまで出てしまい、最新鋭のYGKのブレイデッドラインの10号が出て行く。更に糸は出つづけて、120~130m出たところでふっと軽くなった。久々のファイトに、成す術もない状態だった。
これは、流石に堪えた。
あっさりのラインブレイク=糸擦れ切れである。AVETの調子もそうは良くないばかりか痛む肘のせいにもするが、それは単なる言い訳に過ぎない。
否定は誰もしなくても、自ら否定される。
否定の中の否定。
そしてその奥。
その奥は、反省と言うむなしい言葉では決して辿りつかない。
誰が責め無くても。
自分を責めろ。
自責の念を叩きつけろ。
なあ、自分。
これでは勝負にならないではないか。
南方回帰Ⅴ‐影と闇‐残微光‐2015‐3 ― 2025年03月12日 20:25
晩秋の釣り
このような題目の釣り雑誌があっても良さそうだか、そうすると秋しか釣が出来なくなるのでそんな雑誌は出てこないと言う当たり前の話をしてみる
実りの秋が終わると、それは冬への始まりなのだがそれを敢えて話しても何の意味があると言うのであろうか
ただ釣に行くと言う事
それだけな秋
凶悪面構えの牙付き魚
なぜこんな悪態面に見えてしまうのか
性格まで悪いと言う訳ではなさそうな感じなのに
口を閉じるとしっかり収まる
それは、神のみぞ知る
いざ、かの南方へと思うとまだまだ暑いだろうなぁということと、この房総の冷え込んだ朝の服装はどうしたものかということから始まる。その他準備は、計画通りに運ばなくてはならない。なのに、毎年、毎年、ごちゃごちゃと最後は駆け込み気味になるのは今もその前もあまり変わらない。僅か実釣日は何日間かというスケジュールしかない日本人的遠征であるが、半年前から構想を練る必要がある。その間が一番楽しい時と言う釣り人もいる。確かにそう思えたりもするが、この歳になるとそれも薄らいで行くのであった。遠足に行く前のワクワクした少年の頃が遠くに褪せているこの頃。
とても裕福とされる日本人に生まれた幸せと同時に、あくせくと働くバケーションと言う言葉の殆どを知らずに一生を終える我が民族。果たして本当のバケーションと言うのは、欧米並みの12日間の長い休みなのか?それとも、短くても幸せを掴む事ができるかもしれないことなのか?未だに解らないのは、この我が国に住んでいること故なのだろうか。その点は、先進国と言われる我が国は恐らく最低レベルなのだろう。
ただこの遠征で楽なことがひとつある。それは、それが北への遠征であれば、衣類だけで既に重量オーバーになりそうだからだ。所謂服装は、比較にならないほど身軽で軽量ということだ。
昨今の旅行事情は、とりわけ飛行機の荷物制限が必ずつきまとう。それは年々厳しくなり、今はLCCでないにも関わらず総重量が20㎏。パック旅行ならまだしも、釣りとなると(他に大変な装備のスポーツやレジャーは多々ありますが)そうは行かないのである。それもコストを気にしなければ何とでもなるのだが、ついつい貧乏根性が出てくる。恐らく日本の庶民の大半はそう考えるだろう。それを考えていない時点でエコノミーという選択肢は全くでてこない。
荷物のうちの半分は、既に別送しているにも関わらず、既に20㎏は超えている。問題は、ロッドケースだけでも空でも3㎏くらいあり、スーツケースの ハードも4㎏を超える。ロッドの中身は3本で、2.0kgになるかどうかだがパッキンを入れた時点で5㎏超え。スーツケースの中身は殆ど入れる事ができない。完全に中で遊んでいる。
手荷物の方が何故か重い。
それでもなんとか工夫して20㎏にした。
それにしても面倒な作業。
その割にはかの航空会社からは、男のロマン、釣りの旅プラン~などと案内メールが届いたりする。それは、航空会社が釣に対してほとんど理解が無いと判断するしかない。まったくもって。彼らのマーケティングというのはなんなのだろうか。
さてさて羽田にて手荷物を預ける際の事になる。
今回は、予想だにもしない質問が来た。
「お客様、電気のリールをお持ちですか?」
と始めて聞かれた。聞いてみると最近聞くようにと会社から言われたらしい。
今となっては、遠征も電気のリールとやらが主力となってきた事を示唆することなのだろう。そう言えば、何とかTVとかでも遠征先で電動リールを毎回使っているのを思い出した。おそらくは、その際のリチウム電池のことなのだろう。
ジャスト20㎏の重さだったので、なんとかかんとか行きはよいよいと言ったところになったような気がした。
そのような対応のやり取りで少し、ネタになりそうな感もしたが、JUNと二人でのくだらない話になった程度だった。
これは後で落ち合うSYUに言わなければならないネタである。
さてさて、南国へ、旅立つ。
島は、さらに大きく発展していた。
一年経つと幾分活気も出てきたかも知れないが、そろそろ開発も上に伸ばすか、原生林を伐採するかしかないが、今の御時世よほどの利権が絡まない限り森林伐採とはならないだろう。また、無理な開発は後で災害の元であろうからそこも考えてはいる様子なのか。気になる点は、それが外資系だったりすることである。
その日は集合の後、さほどバカを言う事もなく終わった。
強いて言うならば、SYUのホテル場所をちょっとしたÝ監督の勘違いで別館に行ってしまったことくらいの間違え程度だった。
さて、その日の昼時我々は、早々に荷物を出して準備にかかった。
リグも既に予め初日分は作製してある。ここは準備万端というところ。
主力リールのAVETと予備リールSEA LINEには既に耐摩耗ラインが巻いてある。ナイロン24号で90Lb近くの強度もあるそうで、幾分そのオレンジが頼もしくも見えたりした。それも気休めなのかも知れないが。
それでもなんとか午後3時過ぎにはそれなりの出撃態勢になり、初日出撃となった。さてさて、早速現場へ・・・・。
現場に着くと早々にセットする。
期待の一投目。アタリはない。以降これが、予想に反して、全くアタらなかった。投入しても、また投入するも全く音沙汰なしだった。外道のアタリがぽつぽつとくらいでフックアップ(針かかり)には至らなかったのである。その日は竿が一気に曲がることもなかった。これは、渋い。果して魚は、回遊しているのだろうか。
ならば翌日と気合いをいれて出撃するも、本命のアタリはやはり無かった。
風は北東。
肌寒い。
南国の暑さが消える。
星も見えたり見えなかったり。
月は雲の間に見えたり隠れたり。
雲は風に吹き流されて速い。
風を切る音が唸りを上げる。
キャスティングも潮の動きによっては、逆風に向かってのキャストであったりする。これが、なかなか飛距離を阻害する。それとバックラッシュ。
DCコントロール・・・欲しいかも。(と一瞬魔が差す意見が上がるが、しかしDCにこのクラスのリールは無い)
それとはまた違う方向に潮は流れるので、なかなか環境的には苦戦である。そんな中、ヨコスシマクロダイと言う愛嬌のあるお魚をJUNが初めて釣った。サイズは、30cm~40cm程を2本。と言うか一同初めてみる魚種である。なぜか撮影し忘れてしまったようである。それにお決まりのヒメフエダイ。(通称おいしい魚=ミミジャーと言われています)
ここまでガーラ(ロウニンアジ)の姿は、見えない。ガーラにとって水温が低いのだろうか。いや、凶悪な外道達も少ない。何の反応もないのは不安を掻き立てるが、潮が止まる前後にはやつら(コブシメ)がいたずらを仕掛けて来る。しかし、今回のやつらは少し小ぶりなのか、秘密兵器の傘(イカ針)も抱かないので益々ストレスを溜めそうにもなってくる。これでは秘密兵器とは全く呼べない。コブシメのおかず確保も、ほぼ諦め状態である。
ブーンと回転音がしては、回収の繰り返し。
通算で私のAVET RAPTORも早5年が過ぎようとしている。JUNのAVETも、既に3年が経つ。一方SYU先生の最新型のOKUMAアンドロスは調子が良いみたいである。このSYUのANDOROSのブレーキは、少しびっくりした事がある。それはと言うと、てっきりマグネットブレーキ搭載と思っていたのだが、それは、
ダイヤル式のメカニカルブレーキだった。ここら辺もしっかりと使いこなせば、もっとユーザーも快適なのだが果たして何人の方が理解してくれているかは 疑問なところであったりする。まあ、元々国内で売る側も米国での使用を全く参考にしていないようだった。そもそも、そのような使い方をするアングラーが国内に何人いるのか?相当疑問なところで、もしかしたら当方らが初めてではないかとも思う。何せ、売る側の総代理店でもそう使えるとは一言も説明がないのである。しかしながら、このダイヤル式のメカニカルブレーキは初めてなのでてっきりマグネットブレーキだと思いこんだ。後になって思えば、そもそもセンター位置にそれがある事で気付かなければならなかったかもしれない。結果としては、この釣には使えると言うことには間違いなさそうだった。いや使える…十分な性能である。
これがまた凶悪顔のバラフエ・・・そうシガテラ満載のお魚だがその引きもなかなか凶悪である
正に煮ても焼いても食えぬ存在だけれど
ゲームフィシュとしては、なかなかのいやかなりのパワーファイターである
厳しい状況下でも、時々お月さまは現れて我々にも平等に挨拶してくれた。ここには不平等という言葉はない。極めて平等である。
監督も来られて、その日は釣れないなりに外道と戯れたり、半分気休めの冗談を言ったりして、あっと言う間に釣は8時間を超えていた。
風は時々吹きつけて、メガネは潮風で真っ白になる程だが、それなりに楽しい時間であったように思える。釣れないなりの楽しみなのか、まだまだ余裕なのかは解らなかったが、遠征の過ごし方を経験しているメンバーと言うのはとても心強いことだ。いい時も悪い時も仲間というのはいいものだと思う。そんな夜中。
曇り空と風と・・・時々月な夜。
星がメガネの曇りもあって更に霞んで見える夜。
北寄りの風は、何処でも吹きつけて、竿を時々強く煽って行く様である。
「もう明日があるからそろそろ納竿にしようか?」
「はい~・・・。」
そうしてこの2日間があっと言う間に過ぎてしまった。
このような渋い日が続くと帰り道の荷物はずっしりと重くもあり、足取りも重かった。
その後、我々が寝床に入ったのは午前様とはもはや言えない朝4時を超えたところだった。早くもターニングポイントを我々は終えてしまったのである。
その4(3日目)へつづく
MOON COMPACT GAFF ― 2025年03月05日 18:45
2025 NEW MOON COMPACT GAFF
オリジナルMOONロゴ入り新生コンパクトギャフ
2025最新型の保護バネ解放時
約10kgまでの魚を対象とした超小型ギャフ。
サーフフィッシングなど水面が近い釣りに最適です。
針の先端の角度を2段階にすることで先端が欠けにくく、刺さりやすい形状です。
安全用のバネカバーとカラビナ付きで持ち運びに便利です。
品番MP-164品名MOON コンパクトギャフ
材質本体・バネ:ステンレス、カラビナ:アルミニウム
サイズ:収納時:全長約205mm、最大伸時:全長約660mm、
ギャフ部:約47×59×Φ5mm 重量 約100g
耐荷重 約10kg(静荷重30kg)
※MADE
IN JAPAN
最大長66㎝+腕の長さはここぞという時には大きい
カラビナ付
初代コンパクトギャフ/旧型
画期的な携帯型の行方
旧タイプの製品と月竿
旧タイプ画像(平野所有)
旧コンパクトギャフを使用されていたまたは、ご存知の方はそう多くはないかもしれません。この旧コンパクトギャフが販売されていたのは、恐らく~2010年頃迄だったように思えます。なかなかマニアックながらシーバスウェーディングやサーフからの釣りに重宝していました。特筆すべきは、なんといってもその携帯性が一番でした。のちに廃版になって久しいですがその主たる原因は、その振出部分の抜けにあります。これは、致命的でした。特に口回りに掛ける時の瞬間的衝撃、抜き上げ時に抜けてしまうことが多かったようです。当方も友人がかけた80を優に超えるサイズのランディング時に抜けてしまったことがあります。以来、寄せるだけのアイテムにして抜き上げることはしませんでした。もちろん40~50サイズのセイゴやチヌなど問題はありませんがこのある程度の使用制限のある状態ではその製品価値は半減いやそれ以下だと言わざるを得ませんでした。問題は、当時でも4㎏超えの魚でもその節が抜けることがあったのはユーザーであれば周知の事実かと思います。そうしてかどうかは分かりませんが、廃版の方向へと進んでいきました。
2020年2月29日午後のこと荒波にもまれるテトラ際で友人がランディングしてくれたオオニベ
ポケットに忍ばせておいた旧コンパクトギャフに助けられた。
補助にフィッシュグリップをかけることができた。救われた一瞬の出来ことである。
友人に助けられて、ランディング成功後の記念撮影(128㎝)
その後、この弱点を改良して復活の要望を口頭で何度も同社へ申し上げてきましたがそれは10年たっても実現はしませんでした。
ほぼ諦めて、ここ数年が経ちました。一部では、プレミアがつくほどのレアなアイテムになっていたそうです。
ヒラスズキゲームにも
そして2025年春
突然改良されての発売となりました。耐久性も旧製品とは比較にならない10㎏まで上がりました。
一つ大幅に変わる点としては、当時は2000円程度のものでしたが価格はそれ相応に値上がりになっておりました。もちろん生産国は、当時と同じ国産ではあります。
特にサーフでの単独ずり上げランディンディングでは、そのコンパクト性と機能で活躍することでしょう。
これ80超えのヒラメ、マル、ヒラはもちろん特大のオオニベ等でもうまく扱えば(10㎏テンション以下)ずり上げも可能です。(静荷重30㎏)
2025年新型改良ギャフ/MOONで是非大物を仕留めてください。
2025年3月吉日
寒中お見舞い申し上げます ― 2025年01月15日 14:31
南方回帰Ⅴ‐影と闇‐残微光2015‐2 ― 2025年01月14日 14:24
CASTING-試投
2015年購入のTRUTH REEL
SM
結局この会社もその名称を2回替えたことになる
試し打ちでも試切りでもないのは幸いである。
その昔はその対象が人であったりしたからだ。
竿を試し振りで済むのは、それだけ平和な国と言うことなのだろうか・・・
それから30数年以上も経ってからの現実に戻るとする。
秋の房総はとても天候が不安定なのだが、その日は風もそうでもなかった。
そこで、夜時間も空いたので新型リールの試投に行った。
ロッドは、MOON 1363-UM7Pベースのロープロファイルリール仕様でリールシート位置は、大きくストリップガイド(バット)に近くなる。
いきなりブレイデッドラインにロングリーダーでの試投である。
まずは、軽く振ってみる。
マグネットブレーキは強めにと思ったが案外回転数は落ちていない感じだ。
むしろ回転が良く、サミングはもっと強めが必要かと思った程であった。
それと、メカニカルブレーキ併用は必須であった。
しかしそこは、進化に進化を遂げるDCコントロールとは訳が違った。
日本の町工場でも十分製作可能と思われるこの異質なリールは、特別異彩を放っている。このようなリールは、日本の技術があれば直ぐにでもできそうな感じだが、それをやってみようと言う日本人は今のところいない。いや、未来もあまり期待できない。
少しだけ大森製作所のことがまた頭をよぎった。ダイヤモンドリールのことを。高度成長期から数えても、多くの釣具メーカーと言うものが立ち上がり、そして倒産、閉鎖に追い込まれていった。それから、2000年以降もどんどんと倒れて行った。フィッシングショーと言うものも、私がブースに立っていた頃のピークからすると大きく衰退してしまい、今や会場は半分以下の弱小展示会に変わってしまった。それはすなわち、我が国の業界の現状レベルを推し量るには中心指標となると思える。
話を元に戻す。
それではと、次にマグネットブレーキノブをほぼいっぱいに締めてから投げてみる。
グーンともギューンともつかない低い唸りを上げて糸は吐き出されて行った。ラインが細いとルアーの飛行角度やスピードによって途中からでもバックラッシュになりかけようとしながら指をラインが叩く感じが時々発生する。
“これはサミングコントロール”も細かく必要かな。
そう思ってまた投げた。
ああ良く飛ぶなあ。
“ファントムよ、時代はこうなった。”
“世界初電磁誘導ブレーキは決して無駄では無かったよ。”
“そう思える時が過ぎて行った。”
“ラパラモドキのバルサミノーは投げられなかったけど。”
“ダイワ精工もなくなったけど。”
“全く動かなかったロビンもハイロのコピー感満載のコネリーも好きだったし、このバルサミノーもアイ調整しなければまともに動かなかったけど・・・それでも好きでした。”
“コピー全開のあの頃のルアーもないけれど。”
それから何年も経ってからあの“ドリンカー”や“バスジャッカー”、“シーバスハンター”、“リブンシゲーダー”が出てきたのである。
まずはこのリールの癖を掴む事からなので、当然ナイロンから始めるのが一番良いのは解っていたものの、いきなりPE3号でキャストしてみた。ラインは、太ければ太い程トラブルは減って行くのは勿論解っていたけれど、細いとも太いとも言えない3号の8本撚り糸に80Lbナイロンリーダーのコンビ。
その状態で何度か投げると癖に馴れて来たようだ。
馴れてくると、段々と相性が良くなってくる。
そこでついつい距離を伸ばそうと力を入れてしまう。
その行為が、竿の曲がりとその戻りとリールの回転数のバランスを崩してしまう事になる。
そんな、秋の夜の試投。
SUPER MOONとやらの夜。
波間に常夜灯の光と影。
こっそりと投げているつもりでも、これが目立ってしまうようだった。
そこは、房総の港。
かなり向こうでアジングとやらをされている青年が近寄って来た。
ありきたりの挨拶ができるタイプか無視して通り過ぎるかの2択であるとおもうのだが、どうやら彼は前者のようだった。
「こんばんわ。」
「はいこんばんわ。」
「何がつれますか?」
「何もつれませんよ。」
「えっ?」
彼は、明らかにいぶかそうにこちらを向いた。
「何も狙っていないです。」
「・・・・・・・・・。」
「あぁ・・・この道具では何もつれませんよ。」
「・・・・・・・・・・。」
何故か彼は納得がいかないようだった。
「ただのためし投げと言うやつです。」
「あぁ、そう言うことかぁ・・・・・・・。」
彼は、特段に関心のある様子もなくそれがどういう道具かも当然関心がなさそうだった。ただ、鰺狙いでないということは、なんの情報も引き出せないのでさっさと行こう・・・というところだろうか?幾分納得したかの様子だった。
じゃあと言う言葉もなく、そっけもなく距離を置いて過ぎ去った。
現在のコミュニケーションの手筈を少々欠いた感はあったが、それも致し方ないところであろうか。最近は、良くあることだ。
そのような月夜は、全くない会話よりも少しはましな方かもしれなかった。
相変わらずの疑似餌であるギブスのポラリス31/2ozは、これに良く付き合って来てくれた。何も掛かる筈もないのに、やっぱりそのポップ音と前に押し出す水飛沫見たさに竿を操作するのであった。その先には、大きな水柱が立ったかと思ってもみても、ここにはその現実はない。脳裏に焼き付いた過去の水柱が突然脳天を刺激するだけである。
それからこれらを持って何度か試投に行った。
解った事は、結構タイトにメカニカルブレーキとマグネットブレーキを締めてトライした方が良さそうということだった。
それから、そいつ(ポラリス)とは直ぐにお別れになった。
ほぼ20年近く付き合ってくれたポラリス。今でも名品であって欲しい。昔からSimple is bestと何となく言葉を使っているが、その発想が続いていて製品化しているのは本当に必要なものと、そうでないものをはっきり区別したがる性格というか民族性というか。道具は、簡素で使い易く無ければならないという、一つの答えなのか。そして飽きの来ないデザインと言うのは、簡素にある美なのかもしれない。
1990年半代半ばに購入したPENCIL
POPPERとその後の2000年代のPOLARIS(左)いずれもGibbs社を代表するルアー
多くのモノに触れる事は、このありふれた現代社会にもそうないのだろうか。モノの無い時代に選択肢が無いのは当たり前で、それを大事に使う。今の日本には、それが気薄になっているのかと思う。それは、個人がそうしたくても、世の中の流れはそうは行かないと言うことの表れなのかもしれない。それには消費という経済の流れも影響しているのではないかと思う。時代は、大量消費時代なのだ。
南方回帰Ⅴ‐影と闇‐残微光2015‐1 ― 2024年12月31日 01:43
南方回帰Ⅴ
影と闇-残微光2015
Fishing from rocks near the
shore of the ocean
何が影で、それが闇で何が光なのかも明確ではないにも関わらず人はまた求め従う
定めが何かもその光がなんなのかも判らないのに
繰り返す光と闇
そこには、残光さえない恐ろしくも寂しい闇が・・
幸福は、幸福になろうとする光を掴んでいれば、必ず幸せが訪れると信じきる決意がいるのだろうか
ひとつだけ言える事は、幸せは誰もが願う事だが、それを決して諦めてはいけないと言う事である
N氏の勇士を撮影してみる。
さてさて年毎に訪れる人生の消費は、なんともし難くかつその期限が解らないのではなおさらのことである。あっと言う間というありきたりの表現で言わせてもらえば、その如くである。そう思うと長文をだらだらと打ってみても、はたして誰が読み、誰に影響や感動を与えられるかと思うと、それは全く無意味なものに感じてしまう。そう思い始めるとそれは、やる気を削ぐと言うこと以外の何物でもない。おまけに、通称テニス肘とやらで、右肘の痛みは消える事も無く、それが増大しているように感じる。流石にこれは、痛むばかりで、タイピングが更にそれを悪化共助しているみたいである。通称テニス肘(上腕骨外側上顆炎)を患ってみて味わう何度も何時でも迫ってくる痛みとのにらめっこである。
もう今回は止めようかなぁーと思っていると・・・。
「今回は、釣行記書かないのですか?」
とわざわざ質問してくれる後輩がおられたではないか。
幸か不幸か私のくだらない紀行文を読んでくれている人がいるという事は、明日への励みにはなるものの、正直面倒くさい症候群の兆しの今日である。
面倒くさいということを理由に書かない事を決めると正にそれは、更に敗北感がするので、なんとか重い腰を上げて打ち込む事にした。
しかも、これをやり始めると他に何も出来なくなってしまうネックもある。
素人なりにそれは大変だったりする。
執筆を本業とするプロとは遥かに自己趣味の延長線上のものなら好き勝手と思うのだが、それでも思いどおりには行かないのが現状である。とても何とかライターとか言える口ではない。もちろんそれをいとも簡単に申す人も昨今では少なからずいるらしい。何人かそれを知ってはいる。ライターと言えば少しカッコよくなった気にもなるが、その内容はまちまちなのは皆が知っての通りだろう。
昨今では、釣と言う話題すらもっぱらその主力は動画になり、動きを言葉で伝える事もそう多くは無くなった感は否めない。しかしながら、言葉が示す独特の響きは、読む人の思いを巡らせて想像力を働かせる。百聞は一見にしかずと言うことわざがあるが、それも今の動画では説得力が無さ過ぎる様にも思える。
所詮バーチャルなのか、自由に構成できるのか、必ずともそれが真実では無いようである。便利で誰でも解るこの動画は、新しい境地を見いだしてくれて、世界をますます狭くしてくれるのだが、なんでも度が過ぎるという事は真実を超えてしまうと思うこの頃である。そうかと言って、未だ現役の釣り雑誌の部類は明瞭会計の如く未だそのコンセプトのブレがないのかどうなのか解らないが続いているのは凄い事である。しかも、それがおまけDVDまで付録として付いているゴージャスさであるが、素人に近いホームビデオレベル以下のものも少なくないという。実際そのようなホームビデオの延長のようなDVDを何度か視た。実に面白くなかった。それは二度視ることもない内容に過ぎず、釣雑誌のくだらない記事の延長線上にあるただのディスクというものに過ぎない。実に、意味がないことか。
そんな肘を痛めて早一月が過ぎようとしている私。
そして、またいつもその時間が来てしまうのである。
房総の夜。
静かに訪れる夜は、いつものことだった。
秋口を過ぎると、少しばかり夜が長くなって来た。
月夜は、その光りと明るさをもたらすが、闇夜はすべてを覆う様でやる気を少し奪って行く気がする。それは、その満月よりも釣れそうなのですがね。
そのような田舎の夜。
静寂な夜。
それにしとしとと降る雨の音。
秋の空と空気は、静かに訪れては消えていくようである。
そんな夜。
CASTING-試投前夜
旧ダイワ精工製ミリオネアST-40
その昔(またかよ・・・と思う人も多いかとは思うが、今後もこの路線は展開されると思って頂いて間違いなさそう)の事、旧ダイワ精工が誇る?ファントムマグサーボと言う名品?があった。当時は、どうみてもフィンランド製のRapalaというルアーをその日頃の小遣いでは買えない子供が買う事ができたと言っても良い“ダイワバルサミノー3.5g”も投げる事ができてなおかつ、パーマと呼ばれたバックラッシュに対する救世主として急浮上した、電磁誘導ブレーキ搭載のダイワファントムマグサーボ。その電磁誘導ブレーキが効いて、脅威のバックラッシュ(パーマ)防止に役立つというTVCMに心躍らせたものであった。
(全ての記憶が頭の中に残っているのではないけれど)
しかし、当時はまだBait casting reelと言えば、まだまだABUだった時代に生きていた私は、可能であればあの北欧の輝く名品が欲しいと願うのであった。良き時代であり、モノがまだ溢れていない時代であり、道具と言うものの個性が光っていた時代でもあった。それは、それぞれの国がその特徴的なデザインと性能で勝負して世界へ出ていった時代である。ABUは、スウェーデンが誇る釣具会社であったのだ。実に、北欧の雰囲気の中にある遠い存在だった。
今でこそ、ロープロファイルで高速ギアが主力の様にも思えるベイトリール市場だが、この頃のデザインも未だ誕生前夜であり、ギアボックスをそのラウンドフレーム内に内蔵すると言う発想しか見当たらない時代なので、あの形状は、80年代独特の中途半端な出来具合の時代だったように思える。そんなデザインでも今の若者には斬新らしい。
後で師匠に聞いた話では、(また私の記憶も正しければ)高速ギアコンベンショナルリールを最初に開発したのはダイワだったと言うことだった。そしてその名は、SEALINE SHシリーズがその元祖と言うことらしい。そのギア比1:6.0と言う当時としては超高速であったと記憶している。
その後、90年代半ば過ぎになって 同社は、ジギング専用ベイトリールとしてこれをベースにグランウェーブと言うリールを発売したと記憶している。
(筆者はその初期型を所有していたが今から15年くらい前に手放してしまったのでその画像等はない)
なぜそれが今頃になって思い出させるのか疑問だが、よくよく考えてみると、それは今でもマグネットブレーキが主力ブレーキシステムの一翼を担っているからでもあり、現役の機構である事もさることながら、あのマグサーボがここまで進化しているのか、とても関心がある部分でもあったのかもしれない。(実際は大して発展はないと思うのだが)
それは、今(2015年)から遡る事、30数年前の事。
それに影響を真っ先に受けたのは当人(筆者)の弟であった。
その一万円を超える価格に躊躇した私をよそに、なんと弟はそのお年玉と言う子供最大の武器を片手に、呉の“ささき釣具”へまっしぐらであった。
今思えば値引きも価格も健全だったのであろうか?
当時店内にはmade in China と称されているものは1つも無かったと思う。国産主体の品ぞろえで、高級品はすべて輸入品の舶来品と言った。
また店の活気は、凄まじいものだった。
イワイソメ(ホンムシ)やユムシ(コウジ)などは、とても子供が買える代物では無かった。チヌ狙いのモエビも升売りだったが、大人達は勿論なんの躊躇も無かった。大人達は、こぞって高級サーフリールを買い、餌もいわゆる大人買いであった。厳密には当時の子供でも買えたのであるが、それは量り売りと言うマジックに成り立つもので、とても大人の真似はできない所謂子供。
餌に1000円札数枚と言う驚愕の支払いは全くと言っていいほど不可能であった。定かでないが1980年でユムシは1匹150円から200円前後であったかと思う。それを20匹とか30匹とか・・・あり得ない話であるが、経済力のある大人の釣の世界では普通だったのであろう。そのおじさん達の目標は、マダイやクロダイ、大型アイナメであったのであろう。それも土曜は、はんどんといい、午後から基本フリーだったように思う。次の日である日曜日の早朝もしくは、その土曜の夜から夜釣りが当時の高度成長期の一般的労働者の流れだったように思う。今思うと労働条件は、かなり今と比べると悪く、有給という買い取りがまだまだ横行していた時代である。休みなし、なんて週もざらだったように思う。
その大人達の熱気の中を掻い潜って、弟は堂々のマグサーボを手中にしたのであった。これには私は驚いた。2つ下の弟が年一回とは言え、一気にそれを手中にしたからである。今思えば、それは釣具店の一コマにさえならない日常の流れだったと思える。それは、一瞬の出来事であり、それを凌駕する大人達の景気に上乗せされた消費をどんどん促していったのである。
「にいちゃんついにこうたど~!」
誇り高く物言いする弟には、このリールに対する期待感と夢を相乗させ、昇華させて言った。もはやそれは、 妄想に近い理想の形の夢の釣具に見えたに違いない。しかも、お年玉という子供の最大の武器を使ってである。がしかし、その少年の理想や夢、空想は、一気に崩れさる歯目になることをまだ我々兄弟は知る由も無かったのである。
「糸ななんにするかのう」
「ルアール(ダン)にするかストレーンにするか?」
「やっぱりストレーンの4号16ぽんどじゃろう。」
ルアールとは、当時ダン社が開発したルアー用カモフラカラーラインだった。
当時はそう抵抗もなく、受け入れたライン=ルアールだったが、それを受け入れた理由は、店主の強力かつゴリ押し気味の薦めと、その価格であった。ある意味それは、古き良き時代の現在でいう一押し商品だったに違いない。
それは“ささき”の歴史を見て来た古びたケースに連結スプールで収納していた。
「ルアールください。」
と言うと、ささきの当時おねえさんはそれを快く出してくれた。そのお姉さんは今では良い御婦人になられたが、末っ子と尋ねた今年(2015)のお正月には、まだまだお元気そうだった。少しだけほっこりと安心した。親子二代でお世話になった。それはそれでとても嬉しかった。ささきのお姉さんは、それなりにお歳を召されてしまったが、その心は和やかになった気がしたのは私だけであろうか?ワームもまだバラ売りされていた。末っ子はそれを喜んで選んでいた。昭和の当たり前の時代からそれは極レアな景色に違いない。
一方ストレーンは、当時DAIWAが主力で展開していたアメリカDu Pont社のナイロンラインだった。所謂輸入品であった為、その価格差は歴然であったが、信頼も厚かった。選択肢がそう無い時代の所謂信頼品であったようにも思える。勿論当時の我々にIGFAクラスの言葉や意味は全くチンプンカンプンであったのは言うまでもないが、その言葉は周りの大人にも解らなかったのである。またその10年前程は、ドラグ機能を使うと言うのも当時はレアなケースであったと思う。ドラグは前ネジだと思っていた私は、周りの大人がそう思っていたからである。DAIWAといえばストレーン。懐かしい時代だった。
はたして意気揚々と当時勝手に最新鋭と思い込んだこのコンビネーションで挑んだマグサーボは・・・・・いかに・・・・。
「あれ、ぜんぜんとばん・・・・。」
「電磁ブレーキがつよいんじゃぁないか?」
「ほうかのう・・・・」
「やっぱりとばん・・・」
「ほんまかぁ?」
「あらほんま・・・・。」
これには言葉を失った。
バルサミノーはおろか、Heddonのタイニークラスも論外であった。
「これは、こわれとんかも・・・・しれん・・。」
「こがあな、ことはないじゃろう。」
「テレビではぶち飛ぶかんじがしたけえのう・・・」
落胆は最大限にして最悪状態だった。
子供二人は、後悔の念が渦巻く。知恵を絞った。
子供ながらに打開策を考えた。それはと言うと、父親がダイワの工場に勤めていた友人にこの製品が不良なのか故障なのかを調べてもらうこと。そして壊れていたら直してもらう。それを実現する為に、その友人に依頼したのである。
当時はおおらかだった時代背景もあり、無事リールは熊野工場へ行った。友人の父親は、検査してくれた。とてもありがたかった。
回答は、というと
「どこもこわれとらん。」
と言う事だった。
「ほんまかぁ?」
「・・・・・・・・・」
我々は、また当然言葉を失ったのである。ああ、あの暗い衝撃は闇夜の一撃な気がした。当時国産最新鋭の超高性能ブレーキ付リールが、私達兄弟の中で急坂を転げ落ちていく瞬間だった。
「つ、つかえん…。」
それで半分諦めた頃、弟はそれなりに何とか投げる事は可能になり、ギリギリのウエイトであるヘドンタドポリーブラックで30㎝くらいのバスを釣った。良くもまあ、高額なヘドンルアーを買えたものである。しかも、どうみても釣れそうもない形状とカラー。無機物間満載のもの。驚きだった。
それから、彼が中学に上がった頃、釣りの回数はめっきり減り、そのままお倉入りする事になった。とってもつまらない部活に追われる日々だったように思う。なんで空手部もボクシング部もないんじゃあ。柔道部ですらない。一体何に入れというんじゃ。
その頃には、勉強もろくにしていないのに受験生と言う名目で私も釣りがめっきり減った。引っ越し先から海が少し遠くなったのもそれを加速させた。自転車では海に行けなくなったのである。
高校時代になると、更にそれは加速して行った。私は、高校の往復等に時間を費やしていった。次第にますます物理的に時間が取れなくなっていった事もある。時代は、子供の沢山いる時代競争というプレッシャーは高校生にも及んだ。とても詰め込みで、受験戦争とやらは加熱して行ったように思う。もちろん予備校は大いに栄えた時代である。
さてリールに話を戻すことにする。
結局のところ最新鋭のダイワファントムマグサーボSS10は、皮肉な事にブレーキもドラグも付いていない私のダイワのミリオネアGS1000cの方がその飛距離が出たと記憶している。
今思えば、最初からヘドンマグナムクラスを使っていれば、より問題は無かった様にも思えるが、誇大広告気味に感じた少年の頃の大人の会社社会のCMの存在は、鵜呑みにしてはならないと学習したようにも感じたのであった。最初からABUを買えば良かった・・・なんて・・・そう思ったが、そのお年玉の範囲では到底届く事のない、大人の高尚な趣味道具だったように思える。それだけ海外品は子供とは無縁のところにあった。
それからの80年代初頭もしばらくは、ABUの開発した自動遠心ブレーキ全盛期がまだまだ最高とされ、その後の機種でも主力であった。しかしながらマグネットブレーキは、より進化を遂げ続け、遂にその座を譲った様にも思えた。
それから30年以上過ぎてみると、それぞれ進化を遂げて今も生き残っている様である。しかも、一番エントリークラスに最も採用されているブレーキシステムになったのである。ここは、当時のダイワ精工の技術と先見の目があったのだろう・・・恐らく。
スウェーデン王室のエンブレムは、高貴で高尚に思えた昭和の50年そこそこである。そのABUも今となっては、興味の対象から大きくその本質を失ってサブのサブとして扱うようになった。ましてやもうABU社という存在はない。単なる買収された1ブランドに過ぎない。ただし、未だ世界一のベイトリールバリエーションの多さから、選択肢の中心にあるのは否めないのが現状である。とりわけREVOは、韓国製だが同社の高級仕様なのはおそらく間違いないであろう。たとえ、それが耐久性に大きく欠けるプラパーツが多くなったとしても・・・である。(ここは、物凄く残念ですが仕方ありません。)
また現在のそれを扱う営業マン達は、そう彼らの看板であるABU製品の事を殆ど知らなくなった事がとても寂しいが、それも時代と共に忘れられて行くのだろうか。
とある若者に「ABUって安もののすぐ壊れるメーカーですよね?」と聞かれ思わず
「そうだなぁ。」と言わざるを得なかった。
亡霊を掴み取ろうともがく子供の私の心とは別に。
北欧の誇り高き亡霊様。
どうか、その亡霊が跡形もなくなりそうな気がしてならない。
はじめにお読みください。 ― 2024年12月02日 10:26
初めにお読みください
この度は釣竿工房 月のサイトおよびブログ等々にアクセス頂き誠に感謝申し上げます。
以下の「初めに・・・」の主文は、2010年現在のものとなっております。
そらからまた何年も過ぎてしまい、人生の短さもとても感じる歳となりました。国内釣り人口も今後どんどん減っていく事でしょうし、益々大量消費時代にも陰りがあるかと思います。それを海外に活路を見出すのは、どの企業も考える事ですが、貿易も絡むとそう簡単には行かないものです。ましてや、国内製造を殆どしていない現在の釣り具ではそれは、あまり意味のない事で、対策として多くの大手企業は現地法人での経営をしている事と思います。
そのような流れとは全く関係ないとは言えませんが、MOON RODは、数少ない守破離、心技体の道具が必要な貴方の為に精進を惜しまないことをお約束致します。
カスタムロッド=CUSTOM RODとは
カスタムロッドとは何か?
カスタムロッド=仕立て竿をはじめて聞く方やこれからご注文を検討される方に、ご参考までに述べてみたいと思います。
カスタムロッドビルダー(Custom Rod Builder)釣竿師,釣竿職人
元々釣竿は、他の製品もそうであったように大量生産を主力とする以前には、お客様の要望に答えて仕上げてゆくものが主体であり、古き良き日本の仕立て文化の上に成り立っていました。もちろん、海外でも大筋はその通りですし、今でもクラフトマンとかビルダーという言葉は、当然生きております。むしろ国によっては、未だその言葉が生きていると思います。
カスタムロッドビルダーとは、 文字通り釣竿職人=釣竿師の事でそれを生業として生計を立てている専業人、職人(Professional)を指すと思います。
昨今になって私自身も、良く出くわしたり、聞いたりする事の中で趣味で釣竿を作っておられる方もビルダーと単純に言う事が多々あります。その場合は、アマチュアロッドビルダーというのが適切な言葉だと思います。 時々、「私はビルダー」だとおっしゃる方がいらっしゃいますので、プロとして失礼があってはならないと思い、プロとして踏まえた上でお話を進めていくと、実は他に職業をお持ちで・・・・趣味でロッド作りをされている・・・・なんて言うこともよくあります。または、他に本業をお持ちになり、副業としてロッド作りをされている方もいらっしゃいます。 それに関しては、現在日本では、職業の自由は保障されており、多様化は免れないのでそれはそれで良いことと理解しております。しかしながら、 ビルダー=Builderという言葉は日本語の響と少しことなり、英語を使うと聞こえが良い感じがするのかもしれませんが、日本語で「私は釣竿職人=竿師です。」と言えば即専業=プロの釣竿職人にあたります。
例えば、イミグレの職務質問等でも、職業は?と聞かれればカスタムロッドビルダーと答えるには、本業で答えなければならないのは当たり前の事です。当然いまさらながら私は専業=プロの釣竿職人になります。
カスタムロッド(Custom Rod)
当工房のカスタムロッドは、完全仕立てのオーダーメイドが基本で構成されています。よって、同じ魚を釣るという目的の道具であっても一般に市販されているロッドや、量産メーカーが作り出すロッドとは少し性質が異なります。また、カスタムロッドと分類されるあるいは記述されたり言われたりするものの中にも、本来の持つカスタムロッドとは相違点があるものが存在していますのでとてもややこしくなっているのが現状なのは否めないところです。
そういう諸事情も事実ありますので、当工房は、完全仕立てのものを=フルオーダーカスタムロッドまたはフルカスタムロッドと呼んで区別しております。 それに対して、ある程度の規模で同じロッドが量産化されたものを単に量産品、一般市販品、あるいは、メーカー品と呼ぶ事にしております。
以上の点において、ここで言うカスタムロッドはフルオーダーについて述べたものが基本となりますのでその点をご理解ください。
(ただし、当方でも一部‟BLACK MOON”というセミカスタム品も扱っています=2021年現在基本的に廃止)
人間には個性や体格、釣り方などによって、自分にあった道具選びをするというのは、ごく自然な事でそれは、ある程度のキャリアや時間、体験、経験した方の中、あるいは始められたばかりの方であっても自分専用の道具の選択は、当然あっても良い事だと思います。
シリアルナンバー管理
カスタムロッドの基本は、任意のブランク=竿の素材の形から、ユーザーの要求に答えて、それを形にして、1本のロッドとして完成させて行くのが基本となります。 それは、その要望にできるだけ答えて見えない形を具現化したものであります。よって、そのロッドはそのユーザー個人のオリジナルであり、シリアルナンバーで識別されるように管理されています。シリアルナンバーで管理する事で、複雑多様化する仕様をすぐに追跡調査してユーザーの好みや仕様を理解できるように成り立っております。これは、病院に於けるカルテと同じ意味を持つとご理解頂ければ幸いです。
お仕立ての際は、ユーザーの技量や経歴等とは全く比例していませんので、基本的には"自分に合った釣竿が欲しい"というお気持ちさえ持って頂ければ、決してカスタムロッドは、難しいものでは無くお客様の ニーズによってご相談に応じてご相談に乗らせて頂くのもビルダーの基本と思います。ですのでその点は、何卒お気軽ご相談くだされば幸いです。
ご注意ください
以上の内容を踏まえた上で、カスタムロッドの持つ性質や道具としての特性上以下の点にご注意ください。
月竿=MOONのカスタムロッドは、コアユーザー/ハードユーザー=お客様の中には、とても強烈な個性や釣り方、場所等にあった物作りを具現化したロッドが多々あります。それは、当然の成り行きでオリジナルユーザーであれば特には問題はないと思います。しかしながら昨今は、物流の形態も様々に多様化しています。その中で何らかの事情により、そのロッドを手放す方(オリジナルユーザー)もいらっしゃいます。それは、個人の事情の自由ですから仕方がないことと理解しております。
また、オリジナルユーザーが、万が一手放す場合においてもこの特性をご理解した上で譲り受けられた場合には、大きく威力を発揮する可能性もありますがそうでない場合もあります。
例えば、転売に次ぐ転売で不特定多数の方が手にされる場合、まったく使い難い場合がありますし本来の用途と全く違う仕様として売られ方をしたケースを しばしばおみかけします。
四半世紀近く製造していますと、最近は本来出回らないプロトや破損及びジャンク扱いのものまで取引されているようです。一般の量産製品とは異なりその仕様が全く違うものが大半ですので部品や補充パーツとしてのご利用は全く推奨しませんのでその旨ご理解の程宜しくお願い申し上げます。
それは、今に始まった事ではなく、形態は変われども過去の歴史の中で、武士が自分用に打ってもらった刀を事情で手放なさなくてはならなかった場合もあったように、それが質から質へと流れて行ったことも当然あった事でしょうから、その範囲はスピードはともかく、今も昔もそう変わらないかもしれません。そう思えば、自然の流れと言えば理解できるところです。実に21世紀は、デジタル化してより多くの流れるルートが存在します。それは、水が高いところから低いところへと自然に流れていくように、物と人も流れていくものかもしれません。
21世紀の我が国日本は、自由主義、資本主義経済が保障された国ですから、今更あえて述べるのもどうかとは思います。強いて申すならば、転売やオークションも個人の良識の範囲で自由ですが、カスタムロッドの場合はその特性を上手に活かしたもの(竿)がかえって使い辛い場合もかなりの確率である事をご理解ください。
つまり、すでにシリアルを所得したオリジナルユーザーの手を離れた時点でそれは、カスタムロッドでは無いという事も同時に発生する可能性を大きく含んだ事になります。
例えば、同じマグロの竿でも人によっては、ギンバルが必要無かったり、グリップの位置もその人に合わせていたり、釣り方もマグロ用ブランクであっても他の魚用に製作したり、乗船する船が変わったり、釣法が違っていたり、 他のパーツをお客さんの指定でどうしても組み込まなければならなかったりと……事情は様々のようです。
月のカスタムロッドはあくまでもシリアルナンバーを所得したオリジナルユーザーに対して
保障されたものであり、すべての保障内容は、オリジナルユーザーが所得した優遇されるべき権利であります。逆に、これだけの個性によってさまざまな仕立形態=バリエーションが存在するので唯一の鍵がシリアルナンバーです。それだけシリアルは大切なものとご理解ください。
また、何らかのご事情で転売品を入手された方のロッドの修理や仕立て直し=チューンをお断りする場合もありますので予めご了承ください。以上の点において、当工房でのオリジナルのお仕立てでは無く、上記のような何かのご事情で"月=MOON"のカスタムロッドを手にされる方はご理解の上末永く使って頂ければ幸いです。
当工房の釣竿は、あらゆる釣りや自然を愛する方々にその楽しみや思い出や幸福を作る手段の一つとして出来るだけの協力は惜しまないつもりでこれからも製作してゆきたいと思っております。
読み苦しい点も多々あるとは存じますがその点は、その点につきましては何卒ご容赦願います。
最後までご拝読頂きまして誠にありがとうございました。
連絡先:0470-77-1680
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2010年3月吉日 釣竿工房 月
2024年12月2日一部加筆