儚き偶像の彼方-Ⅲ-6 ― 2019年07月30日 17:10
終わりに添えて
とってもかわいいサイズのちびナギ
30㎝以上の活き鯵を丸のみだった。
今年はこの小さなチビナギクンからスタートした。
胃袋には40cm程度のサメが入っていた5.8kgのチビナギ。
水深は120mダチ
そんなこんなでこの夏は、イシナギ中心の釣りではあったが、心の平安はいつもなく、明日どうなるかともわからぬ心は、日々との戦いであった先進国が抱える悩みはいつもそのようなものであろうか。
これが明日食べるものがなくて、あるいは、明日撃たれて死んでしまうかもしれない恐怖と隣り合わせの毎日を送る世界の2/3の人々の事を思うと全く極めて贅沢な悩み話である。
今年は、日本人自殺者よりも急成長するお隣韓国のほうが多かったという事であるが、悩めるアジアの人々の中でもっとも贅沢な国の中の2つに入るのではなかろうか。
愚かな人間でたかが職人風情と言われても仕方がない事ではあるが、それでも考えてしまうのは仕方のない事である。
過去にとある人から言われた事がある。
「お前だけがそのような事を考えてどうなるのか?」
「お前は小石川療養所か?」
「その行く先々の貧乏人の事をいちいち・・・・・・・・」
とある遠征釣師に言われた事があるが、世界中を歩く遠征人の中にも考えは極めて心の狭い人はいるのが本当のところなのだろう。
彼だけのせいにするのも、なんとも不憫に思えた。
また名人というには、宇宙の果ての向こうにありそうな若者に
「釣りの事で解らない事があれば何時でも聞いてください。」
「はっきり言ってデータも持っていますから。」
などと言われ、蔑まれたが、それも己の小さき器の代償と受け入れがたきを受け入れた。
その目をじっくりと見ようとしたが、彼の眼は焦点定まらないかの如く泳いていた。
その二周り近く年下の彼から見下すようなあの顔が浮かび、忘れては時々思い出す。
その彼も今や社長さんである。
世の中の理不尽さを感じつつ、それを受け入れなければならない。
現在の日本は法治国家であって、人情沙汰などあってもその場で切り倒す事などまずあり得ないが、腰に大小を持ち合わせていた時代ならば、即袈裟がけで真二つになっていかもしれない。
2011年は様々な出来事があり、10月は、独裁者の40年の長き渡る支配も終焉を迎えた。
その最後を映像で観るにつけ、こうも悲惨な結末なのは歴史の通りなのかもしれない。
未だ世界は、混乱と貧困と飢餓にあるのは誰もが知る事実である。
そのような中で自由に発言し、国家という後ろ盾のある人間という保証があるのも過去の先人達が築き上げた土台の上に成り立っていることを改めて認識した。
2012年はより平和が訪れている事をひたすら願うのであった。
2011年10月24日

