儚き偶像の行方2011-Ⅰ-82019年04月30日 11:40

平成も本日で最後になります。
筆者は、昭和、平成、令和と三時代をまたいでの人生になります。
令和が、平和でよりよい環境にある事を祈念いたします。

それではその8
7月の小さな悪夢です。

七月の小さな悪夢
Nightmare of July

スミスウイックデビルずホース

多くのバザーが知っていた、SMITHWICK社の悪魔の馬

デビルズホース2

1982年前後に購入 USA製のウッドルアーであった。

 それは、F氏からの突然の携帯電話で始まった。
先日F氏らのグループがイシナギの50数キロを釣ったそうである。
 どれどれと早速サイトを確認してみると、
確かにブログ上には吊るし上げになっている大きな魚体が乱立されていた。
まさに非常事態宣言改め、異常事態。
F
氏の話によれば、頭部および内臓は、その後港にれっこされたとの事を聞いた。

 ノッコミとはいえ、ここまで連発するとは、船宿さえ想定できなかったのではなかろうか。
ここ勝浦では、午前船と午後船とがある。
他の地方では、午後船は無いところも多い。(もちろん他地域や釣りものによってあるとは思う)
 「明日どうですか?」
と急な話ではあったが、それを承諾した。

 心の憂鬱とは裏腹に、のんびりと午前10時半頃港に着く。
丁度船が帰ってきた。
 あろう事か皆クーラーというものを持ってきてはいるが、明らかに入るはずもない。
頭と尾鰭を半分以上はみ出してなお、あり余り状態でそれを納めるには、到底可能とは言えない無理な話である。
 イグロの160(クーラーボックス)でも35kgを超えると入りきらない。
イシナギは、目方の割に案外と全長が長く、この160サイズでは中小型しか、入らない。
最初から入らないつもりで持って来ているのかどうなのか意図も解らないが、‟とりあえず無いよりは良いだろう"という考えなのかもしれない。

でも簡単には頭も尾鰭も落とす事はできないのである。
驚愕したのは、軽自動車バンの荷台一杯に毛布で包んで行く人もいた。
これはかなり危ないと思ったが、3人がかりでくるくると巻いて軽自動車に斜めに入れた。
60kg
強サイズらしい。
 一歩間違えると、遺体にしか見えない。
いやそのものに見える。
氷も効かない状態で社内をエアコンでガンガンに冷やしてもたかが知れている。
どの程度の距離なのか解らないが、帰宅した頃は腐敗臭がしていそうだった。
その結末は、想像がつく。
キープするなら、その後もちゃんと考えてほしい。
 言葉を失って見学していた我々2人であったが、気を取り直し、船に乗り込んだ。
F
氏と顔を見合わせて、「あれ、大丈夫なのかな?」
と言ったのであるが、後の祭りという感じ。

 梅雨明け間もないという感じであったがとても暑い。
湿度もこれでもかというほどありそうだ。
猛暑が訪れる気配を感じながら、肌露出部分に日焼け止めを塗りまくる。
 汗は滴るも、船の進行によってもたらす風が少しだけ気持ち良い。
 イシナギ釣りとは言ってもその大半は、餌であるスルメ(ヤリイカ)釣りがその半分程度の釣りとなる。
そのスルメが釣れなければその時間はさらに延長される。
それでも釣れない場合も考慮して、生か冷凍のスルメを購入しておくが、余りにも釣れない場合はその購入したスルメが餌の主力となる。
他泳がせ釣り、ライブベイトの釣りも我が国では、殆どがこのパターンとなるが、下手をすると餌釣りの時間のほうが長くなる可能性もある。
 今日もそんな雰囲気が匂ってくるが、2時間以上もかけてやっと一人数本のイカを確保した。
水温は23℃以上あり、スルメの泳層は水深120mとその水温差は10℃以上となって当然スルメに負担となる。
 「はい、ポイントに着きました、では投入してください。」
とのアナウンスを待って投入を開始する。
 フックは、孫バリを使わないネムリ針のタフムツ35号にスリーブ止めのシンプルな仕掛けである。
ハリスは、YGKFC130Lbを2m強ほど取る。
 ほどなくそれぞれ餌を投入して、一流し目となる。
サミングを入れながらボトムコンタクト(錘の着底)に集中する。
 ボトムコンタクト。(着底)
空かさずリールクラッチをいれて、ボトムから2mほど巻き上げ。
 船はゆっくりと流れる。
釣り船としては割と大型に入るこの船のローリングは小さく、安定してなかなか良い感じがした。
 投入してすぐに、棚を取るとゆっくりと船が流れる。
しばらくするとコツコツと小さな前アタリ。
 "奴だ。"
コツコツというアタリは、実際あの大口にあの魚体でどのようにつついているのであろうか?
疑問である。
心の焦りと偶像と不振と緊張とかぐるぐると回想し始める。
早く"合わせろ"と言う逸るこころが蠢く。
 そのコツコツと言うアタリは、次第に重みのあるゴツゴツというアタリに変わり、緊張感は増幅して行く。
しかしヒット宣言にはまだ早い。
 ここでいつも思う事は、この大胆不敵な面構えとは異なって細かいバイト(bite)である。
手持ちのロッド(661-TUNAp)から手元まで伸すような引きこみを23度と耐えて逸る気持ちを抑えてみるが、いつも早合わせで乗り切らない、或いはバレル事が多々あるこの釣りは、ここまでが一勝負一苦労となる。
 同船の方々は、孫バリ仕掛けを多用しているが私の仕掛けは1本針であり、サークルフックである。
 クラッチの入った状態で、ドラグが滑るくらいに溜め切って大きくスゥィープフッキング(アワセ)。
「乗りましたぁ!」

※画像カットしました。
やっとの1枚、これも一旦はボツになったのだが
他に全くないので仕方なく採用した。

ヒットコールすると、空かさず船長はそれが魚であると確認し、それが間違いなく魚であれば船中全員に仕掛けを回収するように皆に指示する。
 近年の釣人は、他人は他人の基本を船の上でも押し通すアーバンな香りは、どうする事もできない。
人によっては、仕方なく、あるいは関心なく、まさに東京そのものの流れとそう変わりはない感じであったりする。
ここが極最近の乗合船の辛いところでもある。
現代日本の東京という、世界有数の大都会が生み出すカラーが最大に出る瞬間である。
 船の上では、ヒットした者最優先の暗黙のルールがある。
それでも解らない人の為に船長の指示があるのである。
乗合の場合は、様々な釣り環境の人が乗り合わせるので現代に於ける乗合船のマナーは船長が通達するに限る。
それがスムーズに乗りあう基本となるのは明白だった。
 どうもやりにくい船というのは、船長の指示がないか或いは殆どないか、或いは、お客に気を使いすぎて指示出来ない等の様々は理由がある。
 その点はこの船アーバンなお客を常日頃相手にしているのか、特別サービスが良いという訳ではないが手慣れて快適であったりする。
まさに人間精神多様性とでも名付けるべきなのであろうか?
こちらの精神も多様化しそうで怖くなる気がした。
 ドラグ設定11㎏のSEALINE900H からはスプールが少しばかり滑っているが、ほんの数メートル程度のカクカクの出方で一気に逆回転には至らなかった。

がしかし、ロッドはフォアグリップから曲がっているまさに満月状態である。
それでも長年この竿と付き合ってきたので限界点はまだまだ上にあると確信してのファイトであった。

 このロッドは、作成して使い始めてからそろそろ10年が経つ。
当時このロッドのガイドラッピング剤(エポキシ樹脂)は、とあるメーカーの元同僚に勧められてテストで使ったものであるが、少々硬いのと黄変が気になるところだが、完成後のメンテが悪くなければ今も現役で使える。
 コート部分のクラック(ひび割れ)は、多く出来てきてそろそろ巻きなおしても良いかと思うが、それはそれで時間の重みがあるのでそのままになっている。
 本来ご法度である筈のエポキシ樹脂を溶剤で薄めると言う摩訶不思議な手段を使っていれば、そうは長くは持たないだろう。
(実際は、その作業の容易さから、薦めているところもあるそうだ。)

 ここ最近は、己の持久力と体力がめっきり落ちてはいるものの、無酸素運動が切れるまで・・・少し切れても・・・なんとか・・持つ感じがした。
 ショートポンプでリールインしてゆくと、あっと言う間に根は切れてこちらにも少し余裕がでてきた。
(※ショートポンピングと言う、ある程度引き込みの強い場合でも、ちょっとした隙でリールインして行く技術だが日本に於いては普及していない。)
やはりリム径の大きなローギアは、他のスピンとは比較にならないほどパワフルな巻き上げである。

キャビン内の船長から
「あと40mだね。」
の声が聞こえて一安心。
「あれ、なんで解りますか?」
「そのラインの色はそうだね、魚探にも映っているから。」
なるほどイシナギクラスだと魚探にもはっきり映るであろうと即納得した。
 海の色は透明で透き通った青。
徐々に横になって光る影が見えてくる。
鰭を立ててゆっくりと円を描きながら、泡を吐き。
 浮上。
底魚ならでは、と言いたいが浮き袋は出てはいなかった。
難なくギャフをその口元に掛け、船長とメイト(中乗り)2人がかりで船へズリ揚げる。
 全身の鰭をピンと立てて最後の抵抗を試みるイシナギ。
そして死体では決して見ることができないウリボウ風のこのカラーから放たれる活きた細胞。

横たわるイシナギ

だれのサポートも無か期待薄での乗り合い船の場合は、各自の思惑があって、いやあり過ぎて基本非協力体制ばっちりだった。
とても精神的にも辛い釣りである。

40㎏を切った小型のものであるが、成魚の雄であった。
ここまでに成長するまで2030年をかけたのであろう。
 この生きてきた長い年月を頂くには、少々気が引けたがそこは殺生という名の意味を借りて感謝して頂く事にした。
そのような概念と感覚は、日本人のDNAに刷り込まれた概念としてそう直ぐに無くなるものではないが、薄れて行くのも事実。

針掛かりしたイシナギ

オーナータフムツ35号が、閂の良いところにがっちりと掛かっていた。
その顎周りはかなり硬く、その骨は厚い。
これならまず、外れる事はないだろう。

 それから後は2時間が経とうとしていた。
独特の小さなアタリ(バイト)はあるものの、それ以上引き込む事もなく、乗らず(針掛かり)に皆焦りが見えてきた。
その中でアタリがまたあり、我慢したつもりではあったが、ズバリすっぽ抜けた。(なんとも情けない限りである。)

その辺りが名人とは言えない理由の一つであろうか。

 何度やってもこのパターンはあるのである。

そんな夏も盛りに移行しつつあった。

※画像カットしました。
何とか同行者F氏に頼み込んでなんとか数枚ほど撮って頂いた。
なんとも、さみしい限りであるが、これがブームに則ったバラバラの意識の中での他流試合である。

完全に私達は、部外者扱いであった。
このプレッシャーが案外と耐えられないのである。

※画像カットしました。
しぶりのイシナギも、〆てから撮影なので既に体色が褪せている。

血抜きをしたら、乗り子さんが水で放水して洗ってくれた。
そこは、とてもありがたかった。
小さな配慮に感謝しかなかった。

 イグロクーラーにギリギリ収まった風の雄イシナギを持ち帰り、次の早朝下ろす事にしたものの氷はものすごく少なくとても朝まで持ちこたえなさそうだった。

生命線の氷さえ、満足に与えられないこの環境はかなり厳しかった。

その夜、板氷を何枚も補充したのは言うまでもない。
一から十まで手間のかかる魚ではあったが、彼の長く生きた証に比べれば苦労という事もない。
 それからしばらくイシナギのラッシュはまだまだ終わる事は無かった。

イシナギノッコミラッシュな夏。

それは現実離れした実像で空想の中の実像に思えた。

※画像カットしました。
このような、環境では、写真撮影もままならず、これが精いっぱい
他の様々は撮影の余裕は全くない。
 こんなつらい気持ちの釣りも久々である。


その9令和元年 記録へと続く

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