HOOK UP! -Bluefin 2002 -82017年07月13日 09:50

その8です。

2002年頃のKENNY大先輩は
かなりご高齢になられていたが、やる気は削がれてはいなかったようにお見受した。

KENCOR ZEBLA


この時CAの会社訪問した際に頂いたチラシ
今更であるがカラーで欲しかった 。

KENCOR社最後の開発案内となったこのパンフも廃棄せず取っておいたのを思い出して探してみた。
ファイルされていたので何とか見つける事ができたのは少し嬉しかった。


KENCOR RODS FULL


 当時現物を拝見したが、なんともアメリカンな作りでグリップは、ハイパロン製であった。
ハイパロンは、日本人にはなじみの無いマテリアルであるがアメリカの竿には多い。
EVA
よりも握ると潰れて行く感じのするこの素材は、これまた日本人には全く受けそうもなかった。
 



2002年当時は、シーカヤック用の竿も日本では見られなかったが、KENCORにはしっかりラインナップされていた。

PROGEAR440


CA育ちのPRO GEAR REELである。

440はこの釣行で里帰りしたが良い結果は出せなかった。

このサイズが最大機種となっていた。

シンプルかつ実践向きで、及第点なリールだった。

90年代後半近くまで釣り雑誌でも掲載されて販売されていた。

何れにしても日本では全く振るわなかったが、日本の沖釣り市場は電気仕掛けモーターリールに依存していたので致し方ないところだった。

その流れは益々加速していて主戦力となっていると思われる。

 電動スタンディングなる我が国独自の釣かたもあるが、筆者はそれを行った事がないのでそれは一体どんな楽しさや夢が潜んでいるのかは解らないが、電気の力と小型ハイパワー化するモーターが偉大なのは理解できる。
 蛇足ながら、STAND UP がなぜ日本ではSTANDINGになってしまったのかは今だ謎である。

今更ながらこんなリールは、日本では売れないと思う。

PROGEAR4402


 PENNで言えばSENETOR133サイズ。
スタードラグ搭載で基本は殆どそのセネターであった。
ドラグはスムーズドラグ社の製品が使われていた。 
ハンドルは、今の日本メーカーのリールにも影響したのかもしれない。
その後のスタードラグもステン打ちぬきパーツの時代から、大きく変わった。


198907

KENCOR46 MAGNAGLASS 


最初で最後となったKENCOR HIROSIMA社製 グラスロッド 日本製(1981年頃購入?)
そのガイドは当然SICなどではない。マッチガイドと呼ばれる小さなガイドが数個付いていたが、ストリップガイド(バット)はかなり小さかった。


非常に残念な事にカタログは捨てられてしまったが、当時富士SICリングガイドモデルのラインナップは無かったと思う。

 その1981年頃に購入したKENCOR RODは、その後の(19877月写真にはそうあるが)1989年頃に渓流にて完全無放流河川でのエゾイワナの46cmを獲る事になった。
 リールは、オリムピック製でこの頃はこれも日本製であった。(画像の機種は忘れたが、竿と同じ時期に呉で購入したもの)
ラインは、当時ダイワ精工が輸入していたストレーン4Lbだったか忘れてしまった。
ルアーは、当時エバンス社製であったハスルアー1/8ozブラック&プリズムであった。
 当時は、この竿の持つポテンシャルをさほど理解していなかったが、ほぼ円近くU字になる竿にとても痺れたのを思い出す。
 腐りかかった昔の写真を思わず引っ張り出してみる。
当時は、当然ながらアナログ時代でPCは大学の研究室にこそあったが、とても使える品物ではなかったし、私自身さ関心もさほどなかった。
そんな私でも、ワープロなどと言う化石のようなものを後生大事に使用していた時代である。

 当然写真は、すべてフィルム現像であるが、何分貧乏学生と言う立場にとってカメラは貴重品であった。
また現像とプリントで結構出費した。 
従って、せいぜい今は殆ど見なくなった“写るんです”使い捨てカメラでの撮影が殆どで、昭和生まれなら誰でも思っていた事だが、現像処理をし終わるまでその写真がどう映っているのかとても不安であった。
ここら辺は、私の子供達には到底理解できない昔の事である。


 この竿で、イワナ、ヤマメ、アメマスを何本とったかと思えば数えていないので不明であるが100本や200本では無かった様に思える。
この竿のレコードは上記のエゾイワナ46㎝であったが、その次の魚は小型のアメマスの35㎝程度のものである。
 周りは無放流の小河川が多かったが、アベレージは2025cmが多かったが30クラス前後も案外釣れた。
その後この竿は、学生時代に不注意で折ってしまった。
この竿はもう永遠に造られる事はないのだ。

そんな事も解らずに乱暴に扱った自分は、自身の思い出と教訓にはなったが、心には深く後悔の念と共に残っている。

これらの全てが、点から線になりかけた頃の道具達。

その道具達のおかげで今がある。

その9へつづく

HOOK UP! -Bluefin 2002 -92017年07月18日 15:13

その9

今がある。

最後の最後に

Tenlew Magnaglass


形見となってしまった、Kencor Tenlew Magnaglass OG2 5’8”
同社ブランクス。6角が特徴のグラスファイバー製

kencor rods&blanks true


もうどうでもよくなったヒノウエのコブラと撮影。
これもその呉の店で買った。

 それでも、話はしておかなければと思って追記に至っているのかもしれない。
その対象が誰かも何かも解らずに・・・・。

TF MOON RODS 2002


 2016年もあっと言う間に早12日が過ぎようとしている。
今年の流れはもっと早いのだろうかと思ったりする。

この竿は、2002年当時のボートスピンの納品前の状態で撮影したもの。

シリアルは1200番代である。

世界の激動は止まりそうもないが

皆さんに幸が訪れる年であるように祈るばかりである。

2016112日追記

2017517日ブログ用編集

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おわり。

Yellow fin in Tosa 輪廻 -for stand up fisherman-2017年07月19日 17:36

時は、2004年も師走の終わりから

土佐沖のイルカ

土佐にて秋から喰って好調と言われていたキハダが、まだ釣続けているとの場末の誘惑情報をキャプテンから聞きつけた。
善は急げというには、あまりにも遅い決断の末に車を出して土佐に向った。

諸事情で広島回りを余儀なくされて、呉の街へ。
翌日呉~松山フェリーに27日早朝乗り込んだ。
相変わらずのフェリーは、5年前と全く変わらずというか20年以上変わっていない感じだったが
未だ喫煙可のスペースのほうが圧倒的に多いのはフェリー会社の愛煙家保護政策なのであろうか?
にしても、少しの船旅は案外のんびりとして楽しいものである。

(その後数年して、呉~松山フェリーは無くなってしまった。
時代の流れを感じざるを得ないが、これだけ橋がかかれば当然と言えば当然である。
子供の頃から四国と言えばフェリーが楽しみでもあったが、そんな子供の頃の夢ももう本当に夢になってしまった。)

 松山経由で土佐入りするのは、何年振りかと考えるともうすでに5年振りにはなる。
たしかその時は、河川下流からのショアキャスティングの釣だった。
 その釣はと言うともう世代交代になっているらしく、10年前嘗て一緒に川面にたった連中は極僅からしいとか
聞いている。

5年も通って無ければ道も随分変わったもので、観光客にとっては、都合のいい自動車道とバイパスが所々出来ており
風貌代わり映えしないコンビニの乱立以前は、困ったトイレと休息に於いては、格段に解消し便利になった。
国道も随分とお金は掛けた様子が伺える。

到着も早々に、休息がてら?明日は出られるという安心感に浸りながら道具を準備する。

しかしながら
 結局のところ出られたのは、28日と近海ジギングの31日のみで帰省予定の1日はすでに出られなかったが
28日は10kサイズを上げてキャプテンは30kのキハダをあげた。)

中野キャプテンの

「明日はなんとかなるがやないかぁ・・・。」
との言葉を信じ延泊する事を決意した。

こう天候だけは、どうこう言ってもどうしようもなく、1日中コーヒーをすすりながら明日の天気だけを気にして道具の手入れをする。

道具を対キハダライブベイトタックルにすべて仕立てる。
それは、スタンダップコンベンショナルとスタンダップヘビースピンタックルの2本に絞り込み、他は予備とした。

コンベンショナルタックル(両軸リール)は、ラインキャパも十分な為バッキング(下巻き)に200m程PEラインを巻き、300m前後はモノフィラメントライン(ナイロン)60Lbを一杯まで巻いた。
スピンは、やはりPENN9500ssといえども、そうナイロン50Lb以上のラインキャパはあるものではないのでPE5号プラストップショット(ロングリーダー)を100mほどモノ50Lbを巻くシステムである。

イルカその2

少し沖へ出るとよくイルカに出くわす。
クジラも普通に見られたりする。
 釣り人にとっては、案外邪魔であったりするがそこは愛嬌で。

 その2へつづく