楽園の終焉Ⅱ2011-後編鉄槌の衝撃-4 ― 2020年04月06日 17:12
庭の桜は散りましたが、まだ残っているところもあるでしょう。
県でもトップクラスの過疎でその大半が高齢者の我が町のこの先は、誰にもわからないのかもしれません。
この国と世界の未来も。
人はいつでも幸せに会える事ができると言うが、自らがそれを絶ってしまう事が多いらしい。
風化した地層のようにポロポロと崩れ落ち風雨に流される。
それが楽園の夢。
夢というのは、いずれ覚めて行くのであるからこれも過去になる。
楽園の夢など夢のまた夢で何時実現するのか誰も判らない。
その日、その後は、T-氏の快進撃で小型ながら追加に追加で数本をキャッチした。
T氏の追加は連発で中小型ながらそのヒット数を確実に伸ばしていった。
それはそれでとても良い事であった。
釣りですらその未来は誰にも予知できない我々。
まして、その先の未来も全くわからないのが我々人間なのか。
そしてまた我々の楽園への路は閉ざされた。
とても短い楽園の開門へと向かったのであるが。
またあの、落ちぶれつつある経済先進国へと駒を進めて行ったのである。
バチョが手際良くリリースする。
キャリアはかなり長い。
無事リリースされる。
それでも島人にとっては貴重な食糧である。
地元の人にリリースする姿はみられないが当たり前といえば当たり前である。
次々とキャッチして行くT氏
後半は、彼の独壇場であった。
楽園の終焉Ⅱ2011-後編鉄槌の衝撃-5 ― 2020年04月22日 16:10
-2011の最終戦-鯵-
The last countdown
12月中頃になっても地元外房では、鯵が釣れ続けていた。
土日ともなると港は、アジ狙いの人々で並び、場所によっては1m間隔のエリアもある。
数年前のこと、ついに堤防の先端はフェンスが張り巡らされて立ち入り禁止となり、釣り場が幾らか狭くなって人の並ぶ場所は少し狭くなった。
楽しいのかそうでないのか解らない感じだが、ざっと200人はいると思う。
それは、案外と皆さん笑顔がないからそう思ったのかもしれない。
しかも隣は赤の他人。
後始末の悪いのは必至で、沖アミの臭いが鼻を付く。
そして近くの水たまりからも腐臭がする。
更に無意味な殺生によって打ち捨てられた干からびたクサフグ達が、無造作に砂に塗れて干物になっている。
わざわざ数十のクサフグの砂味干物を作られるベテランカゴアジ釣り人も居た。
それは、処理されず放置されているのであろう。
トイレも歩いてゆけばある距離なのに、海ではなくなぜか港の壁側にて用を足す。
最近港内の看板も新しく代わり、ゴミを持ち帰るように促してはいるが、何の規制や罰則も無いためにそんな事はお構いなしで空き缶やゴミを放置していく人も一人や二人ではない。
車は汚さないが窓から灰は落とす。
そして、その日一番お世話になっているその場所と自然は汚すのには、あまり気にしてもいない様子である。
しっかりと沖アミは、真水で洗われて新設されて間もない公衆トイレもオキアミ臭いし、洗面所には沖アミと砂が取り残されていた。
全く迷惑な話ではあるが、それは釣り人だけではなく今の日本のモラルの基準が落ちているだけと思われるのだが、私の方が間違っているのかな?
誰もそれを指摘する人もなく、お巡りさんもそこまで暇ではないのか見た事もない。
ただただ釣り人は、多い。
逆に言うとレジャーで釣り場と名の付ける場所があまりにも少ないと言う事なのであろうか。
人の多いのは仕方ないとして、モラルの改善は必至であろう。
12月も10日の夕方、散歩に出た。
冬なのに少しコマセ臭い臭気が鼻をつく。
港の中をぐるぐると歩いてみるが相変わらずマアジは釣れている様子。
トウゴロイワシとおぼしき小魚の群れがいるようだが、釣り人の多くがアジ以外は外道のようである。
そのおこぼれをもらう為に港内には、何匹かの野良猫が住み着いている。
彼らは、釣り人の後ろでじっと座って待ち構え、おこぼれが確保できると思うと速効で近づいてくる。
いつものほぼ未処理排水流れるドブ川(最近は、浄化槽を設置しているところもあるらしい)には、多くのボラが遡上してくるが河口は即港の外側を流れ、すぐその横が海水浴場となっている不思議なロケーションのこの場所ではあるが、その先のテトラまで釣り人は並ぶ。
内側よりも少し危険を伴うのかその比は半分もない。
そんな、場所に突然若者が6~7人押し寄せ、アジング実践セミナーが開催されているらしかった。
なんとも良くは解らない感もありつつも、散歩がてら彼らの様子を伺うが、突然一人の若者が物凄く感動しているのが判った。
片手には20cm弱の鯵が一匹。
感動がほとばしり、笑顔が見えた。
彼は次にポリバケツに水を入れようと思案したかと思うと港のスロープを恐る恐る下って行った挙句、スニーカーが濡れるのに躊躇しながらやっとバケツに水を5cm位入れた。
そして、そのアジをそのままバケツ中に入れ、更に蓋をした。
その彼を見ていると35年前後前の事をふとまた思い出した。
その日、私は警固屋の町沿いの海でマコガレイの30cmオーバーを頭にアイナメ他を何匹か釣った。合計10匹程度だったか。
小学3~4年生にとっては、マコガレイの30cmオーバーは記録ものであった。
なんと言っても尺モノ?だ。
その当時はまだクーラーボックスという名のものを持っていなかった。当然魚を〆るという事も知らなかったので当然野ジメ。
また、それを調理することも知らなかった。
もう誰かも覚えていないが、良く釣り場で会うおじさんやお兄さんとは友達になれた。
その釣り場仲間のおじさんの発言という事だけは記憶にある。
小学生の私:「おじさん、カレイつったよ!ほりゃあデカイでしょう!」
おじさん:「おい、ボーズ!こりゃ活きが悪いのう!カレイ大きいけどカラカラじゃあないか!」
そう、当時少年だった私は、クーラーボックスというものを持っていなかったのである。
欲しい欲しいとは思っていたのだが、そのクーラーボックスは小型でも高額だったように思える。
(日本製がまだ主力で価格も20?でも3000円くらいしたと思う。)
当時のお小遣い50円の小学生には到底、お年玉でも無ければ買う事が出来なかったのである。
したがって魚を入れるアイテムは、ビニール袋かバケツであった。
そこで私が取った行動は・・・。
「おい、M!バケツに水汲んでこい!」
という指示の名の下に結局弟のMと一緒に汲んだ海水にそれらの干からびかけた魚を入れた。
それがまたおじさん達の笑いを誘発させた。
おじさん達は爆笑した。
「おい、こんならみいや、水いれてきたで!!」
今思えば、その通りであるが、小学生のやることと言う事で恥はかいてもお咎めなしの歳頃であった。
そんな事を思い出しながら彼を見たが、どう見ても社会人らしかった。
彼は私が35年くらい前に経験したような事を今30歳前後になって経験している。
それはそれで彼の今後の良き経験材料になれば良いのだが果していかに?
そんな当時の事なのであるが、幼少時の大きな釣り仲間兼指導者の中には、親切な高校の先生も居た。当時の私が10歳前後だったが、その先生は、50近かったと思う。自宅にお邪魔すると、竿は沢山あった。4.2m、4.5mのグラスの継竿だった。
とても憧れたものである。
良き人間関係が成立した昭和の日本であって、小学生が一人でうろうろしても周りがすべて保護者としてしか見えなかった頃である。
中には人身売買もまだあった頃なのか、知らないおじさんに声を掛けられて連れて行かれないようにと時々学校や親からも注意があった事も覚えているが、2011年の現代よりも遥かに治安は良かったように思える。
当時は"人さらい"に気を付けよう!というような標語がまだあったように記憶している。
またある時は、アイスクリームバーの袋を路上に捨て中身を食べ始めたが、しっかりとおばさんに呼び止められ拾って持ち帰る事を促された。
今そんなモラルの指導をする人が何処にいるのか、全く見かけない。
その若者のアジングセミナーを観た数日後12月中頃、近所のGT釣師からお手軽にという事で、進洋さんで鯵釣りはどうかとお誘いを受けた。
14日の当日早朝私と彼とでシンヨウさんに向かったが、あいにく天候不順で・・と言うシンヨウさんの一言で中止となった。
オーナーの心使いもあって、ホットコーヒーをご馳走になった。
冷え切った心まで少し温まったように感じたが、すぐにそれはまた冷めていった気がした。
取り分けて仰々しい準備もしていなっかったが、背中に大きく2枚貼ってある使い捨てカイロがとても温かい。
ポケットにもそれのミニタイプもありとても室内では快適過ぎる。
早々にその場を引き揚げると、早朝からやることもなくなり、レギュラーコーヒーを淹れる事ができる環境にあっても、釣りに持参する筈のバッグから取り出した缶コーヒーをわざわざ鍋に放り込みガスを付けた。
しかし、取りだすタイミングが悪くアツアツのまま取り出して無駄を倍増させる。
そんな今年のアジ科釣りは終わりを告げようとしている。
“アジねえ…”
2011年のすべてが終わった感がふと頭の中を横切った。
塵は塵に…灰は灰に…無からは有が生じる。
それが創造ということなのか。
ロウニンアジは、アジ科最大で通称GTと呼ばれるようになってからもう20年以上が経とうとするが、その釣りの歴史はまだまだ浅い。
そしてまた釣人は、ロウニンアジなる魚を狙いに行くのだろうか?
GTは、現地(バリ)では特にその肉に毒があるわけではないので貴重な食料として扱われるのであるが、遠征客である我々は未だ食した事はないし、バリに於いてはその可能性もなかろう。
(メッキサイズは日本本州で良く食しました。)
経験者の話ではマアジのほうが断然美味しいそうだが、メッキクラスではまあ美味しいとは思えるレベルと思う。
ロウニンアジ、されどロウニンアジ。
それは、アジ科最大にして最強なのは間違いない。
人はまたそれを追いかけてゆくのであろう。
なんともアジアな釣りであろうか。
それでも幾分マイナーではあるが世界中の人が釣りの対象魚になって来ている。
今後の扱いもアジア諸国か、過去インド洋沿いに植民地を所有していた国々の連中が中心の釣りで終止符をうちそうである。
米国では更にマイナー扱いされる事であろう。
北米最後の州と言われるウルアの州を除いては。
ウルア釣りの良き開拓者は日系人と師匠から聞いた。
現地に行くとそれは頷けた。
ロウニンアジでもウルアでもGTでもカッポレでもそれはそれで良いのだ。
ロウニンアジよ、野性であれ。
2012年1月吉日