楽園の終焉Ⅱ2011-82019年11月25日 19:50

11月も終わりに近づいてきました。
もうすぐ師走と思うと一年が更に短く感じます。
なのにまだ台風が発生するとは、もはやどこまで温暖化は進むのでしょうか。
 既にバタバタな私は、あらゆる雑用に苛まれていますが、なんとかかんとかやっています。

それではその8になります。

二人がかりでボートに上がったGTは、やや大きめの成魚サイズだった。
良く見ると、リアルベイトの背中と腹にヤツの歯が立って穴があちこち空いていた。

テイルフックは、下あごにかかりフロントフックは胸鰭の付け根付近に掛っていた。
これは、珍しいパターンであった。
半スレ状態であったが、水圧をもろに受ける態勢のままやり取りというのはかなりの消耗戦であった。
ルアーでの釣りでは時々ある事だが、特に水面直下のトップウォーターと言う釣り方では多い気がする。

GTは、殆ど動かなかった。
いや動けなかったと言うのが適切な表現かもしれない。
奴は、呼吸さえできるのかどうかも微妙な状態で横たわっていた。

というか鰓も動いてはいなかった。

私はといえば、息を荒げてぐったり。
60
kg…もはや春の夢の如し・・・三日天下ならぬ40分天下・・なのか。

GT成魚1

それでも立派な成魚には違いない。
それにしても、ここのロウニンアジは強力なファイターである。
その一太刀は、薩摩示現流を彷彿とさせる。
痺れる一撃であるのは今も昔も変わらない。

GT成魚2

90年代は30㎏超えが夢と言われたサイズではある。
そう易々と50㎏など獲れていない時代だった。
リールも、竿もついて行けなくて良く破損した。
あのステラでもあっさりと壊れた。

それでもロウニンアジは30kgを優に超えていてふてぶてしい大物の雰囲気をかもしだしていた。
 中年親父は、すっかりぐったりと疲れてしまい息も相当上がっていた。
自責の念はいつもの事で絶えないが、ぐうたら親父は始末に悪い。
心拍数も相当上がっている。
久々に40分ファイトした。
これが毎日56㎞でも走り込んでいれば相当違うと思う。

若い頃の貯金とT氏は、なかなか上手い表現をされるが、なるほど多少でも違うのかもしれない。
なんでも良いから若いうちはスポーツでみっちりと鍛えたほうが良いかもしれないと思った。
もちろん文化活動でもそれは絶対プラスになると思うが人間体を動かす事は必要であろう。
当たり前の話で言葉を打ち込む事さえ蛇足な事に思えた。
 ランディングが終わってから既に5分以上が経過しているにも関わらず親父の呼吸は、乱れたままであった。
水越しというのはなんと夢と希望を持たせてくれるのだろうか?
そこには想像が膨らむ。
夢の中の空想から現実が浮かび上がるかの如く。

その碧い海の中に光る一点。

人の希望もそうようなものなのであろうか。

それは言葉では余りにも相応しい表現ができない自分が悔しい。
それだけ人は夢を見たがり、その夢と興奮はいつまでも永遠に続くように願う。
なにかにすがりたくない気持ちの持ち主でさえも、きっと藁をも掴むような心境になる事がある筈に違いない。
それが聖者ならば悟りというのであろうが凡人には、それが何であるか解らない。

その9へつづく