儚き偶像の行方2011-Ⅰ-5 ― 2019年04月16日 15:30
房総のすべてではない・・と現在でも思ってはいますが、その激動のポイントからその声は聞こえてこなくなりました。
驚いた事は、サビキ仕掛けセットの様に仕掛けセットまで売られたいた事です。
先進国で唯一根絶やし?が認められている我が国も、少しは考えなくてはならないと思ったりもするこの頃です。
おおな魚
おおな魚。
春、菜の花の咲く頃から釣れはじめ、五月末までがシーズン。
標準和名オオクチイシナギ。本州南岸では和深沖の「おおな地」だけで釣れるという。
ある冷たい冬の日。空腹と寒さで疲れきって和深の里へたどりついた貧しい旅僧が、ある漁家で一夜の宿を乞うた。
そのあたたかいもてなしに感謝した僧は「この沖一里(四キロ)、深さ百ひろ(約百五十メートル)のあたりに"おおな"という魚がいる」と言い残して旅立った。
おおな魚は、そのころから釣れはじめたのだ……と。
和深東平見にある大師堂は、さきの旅僧が弘法大師だったと知った村人が、その功徳に感じて建立したといい、旧歴一月二十一日にモチ投げがある。
(和歌山県昭和57年刊「紀州 民話の旅」小冊子より抜粋一部改訂)
房総小湊には、日蓮上人とマダイの話があるがこのおおな魚(オオクチイシナギ)も弘法大師とも縁がある由緒正しき魚?であるかもしれない。
硬骨魚類における大型種はそう多くはないがとりわけこのスズキ目イシナギ科に分類される。
通常は水深200~400mの岩礁帯に生息されるとあるが、最大2.5mに達するともあるがこの多回性産卵型の最大は
3m近いものも存在してもおかしくはなかろう。
自転車のスポークの如く鋭く硬いこの棘条は、これぞ硬骨魚類の真骨頂と勝手に称賛する。
また自国に於いては、古くは縄文の時代から利用されていた記録されているらしい。
地元には過去イシナギ漁というものがあったらしい。
現代の近代一本釣り漁の基本は、勝浦松部の石橋宗吉翁が基本を築いたとあり、イシナギのテンヤ釣りというのもあったそうで、餌にヤリイカを使い誘い(アクション)をかけて釣ったそうである。
(これには、賛否両論があるらしいが、文章に残っているものでしか第三者は資料とすることしかできない)
それから半世紀以上も経ってから、現代ではイシナギ漁はなかったが遊漁という形を変えて職漁まで復活するようになり小さな街に波紋がひとつ、またひとつ。
房総の夏は、やはり暑く変に熱い。
資源管理されることが非常に少ない我が国の水産事情は、かなり遅れた感があるのは、資源管理型漁業や、インターナショナルアングラーを育てるには厳しい環境にあるかもしれない。
また、漁業先進国と言われるノルウェー等からはこの点は大きく遅れている事になる。
アジアではお隣の韓国でも資源管理型漁業が一部実施される方向性にあると聞いた。
我が国の漁業衰退の原因の一つは、管理する機関がないということと、それを行使する権利がない、処罰の規定もないということも少なからずあるだろう。
私は欧米のやり方すべてが正しいとは決して思わないが、この点については、もはやアメリカナイズされた個人主義者と個人の権利ばかり強調した現代教育の行く末の現代では、モラルとかマナーという言葉はもう歯が立たないのが現状ではなかろうか?
その代り自由の国として名高い米国も、多くの法に則っている。
その処罰規定も日本では考えられないほど厳しく、厳格である。
勿論自由の国の闇は多くはあるが、そこは今回触れずにおこう。
その6、血塗られた安息日につづく
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