南方回帰Ⅲ- 闇からの一撃 Fishing from rocks near the shore of the ocean-12 ― 2018年07月12日 17:30
‐DNA‐海人
50歳前半当時
その引き継がれたDNAとは
あとは、まだまだやる気十分な野人にバトンタッチとした。
野人と言えば一向に気にしていないのか、マイペース。
にこにこしながら、気合のキャスト。
さすが野人、余裕綽々。
すでに“あしたのジョー”になってしまった私とは裏腹に、野人は竿を投入し続けるのだった。
落胆の後の力無い私のあとを何事もなかったようにロッドが振れるその豪胆ぶり。
直ぐには何も無かった。
また、静かな時間。
その事件から30分が経過しただろうか?
全てを失って座って見学の私の前でそれは起った。
「来た!!」
野人吠える!
ポリネシアンパワーでum9Pの曲がりをバットまで溜めさせて最初の引きに耐える。
生まれながらの野生の勘かDNAに刻みこまれた先祖伝来の天性か、余裕の表情である。
彼の父は、150㎝前後程の昔の島人の背丈ではあったが、小舟でカジキやマグロ、イソンボやガーラをその腕一本で捕獲してきた、言わば生粋の海人である。
野人曰く、俺以上にタフで怪力の持ち主だったという。
それは、T-シャツに海人と書かなくてもその背中にはくっきりと刻みこまれ、DNAの中に先祖の霊とともにある血筋である。
そのような、タフな父でも今はこの世にはいないが息子にはその勘とともに生き続けているのだろう。
どう見ても弥生人系の私とは比較にならないようであった。
当然その背中には、海神祭とも書いてはいないけれど。
ところが、である。
今日の相手はそう簡単ではなかった。
本日の3本目もそれは強烈であった。
江戸時代では人生を終わる平均の歳ではある野人であるが、そのどっしりとした姿勢と体力は野人という名に相応しい。
ライトパッドは、ボートではその力を十分発揮できるが、しゃがんだ姿勢をある程度強いられる磯場では、かえって扱い辛い。
相手が沖に向かってぐんぐん走っている時は、竿をまっすぐに立てられるので問題はないのだが、左右、下、バンク下を泳ぐ奴らのそこからは案外厳しい。
D社が誇る6500EXPから逆転音が鋭く「ジーッッ・・・・。」と鳴る。
耐えては鳴る。
耐える。
巻く。
寄せる。
巻く。
鳴る。
野人パワー全開。
巻く。
10分はとっくに過ぎていた。
野人からは汗が滴って、まさに野生。
息はあがって、しんどそうには観えるが、心にはまだ余裕が見られる。
私と異なる点は、牙が止まった時の迅速なポンピングで間合いを詰めるペースがとてもいい。
ここが、功を期すのか。
牙もなかなかの猛獣で決して諦めてはいないようだが、野人は顔が幾分必至には見得たが少し余裕の顔がちらほら。
「大きいんしゃない? 20-30kgは確実にあるよ・・」とかなり、小さく見積もる私。
本当はもっと大きいとは思っていたが、あまり大きく言ってから
“なんだ、そんなに大きくないじゃないか!”と言われることを恐れてなのか、かなり小さく見積もってしまっている私がそこに居た。
さらに10分が経過した頃、奴に変化が出てきた。
既に磯の上で20分以上も戦っている。
相変わらずドラグは出るものの、その出方は少しずつ短くなっており、左右に走りを変えて来た。
疲れて来た証拠だろうか。
野人も少し疲れて来たようで魚とうまい具合に相対している。
後ろからベルトをつかむ私に、彼の疲れが伺える。
珍しく余裕も消えかけ・・・。
更に時間が経過した頃、奴に変化が表れて来た。
寄せに応じるようになったのである。
ゆっくりと寄ってくる。
「あああ・そこでは擦れるよ。もっと竿を!」
とY氏もアドバイスして少し興奮気味だった。
野人にも少しゆとりがなくなってきたのだろうか、我々の適格なアドバイスが彼の正気を呼び覚ましてまた、力強く溜めに代わっているようだ。
左右に走り始めてからも牙は浮こうとしなかった。
ドラグを出し切るパワーも無くなってきたか、でも浮かない。
幾分野人の膝も少し笑っているように感じた。
さらに5分ほどこのやりとりをする。
浮かない。
右に走れば竿を左に、左に走れば竿を右に、基本動作を繰り返す。
「まだ浮かないなあ・・。」
「ロッドを少し起こしてみて?」
そう簡単には浮いてはくれないが足元のバンク下も磯際をゆっくりと右に行ったかと思うと左に方向を変える。
円に近い運動になっている。
奴が疲れている証拠である。
漆黒の海原に映らない影は、ぐらりと腹を見せた瞬間、反射してその力に陰りを見せた。
船からのゲームであればとっくにゲームセット。
ファイト時間も半分であろう。
あとは船頭さんのギャフが入るだけ。
たまらず、奴が。
ころりと返ってその闇から白い腹を見せた。
グロッキー。
完全に腹を見せた状態になる。
「止った!」
「やっと止ったよ!」
「浮いた、浮いた!」
「ああ本当だ!」とY氏。
磯際で奴が完全に参っていた。
動かない。
波に身を漂わせているだけの状態。
さあランディングにて交代する。
「掛った?」
ギャフを入れなおすこと3度、4度、波はそうないがやはり崖下なかなかうまくはいかない。
「あれ、上がらないぞ!」
「ちょっと待って今行く!」
ベイルをフリーにしてロッドを立て置く。
二人がかりでランディング。
「おおデカイぞ‼」
しかし問題はまだあった。
「おい、ギャフが唇端に掛ってて・・・切れそうだぞ!」
Y氏の声が潮騒を割って響く。
野人にも多少の焦りはあるだろうが至って冷静な発言が
「ロープを鰓に通すからロープ!」
しかし素手で鰓から口は通せない。
見事な牙が生えそろっているからだ。
「Yさん黄色い小さいギャフ持って来て!」と私。
しかし、Y氏が持ってきたのはなんとボガグリップのバッタもんのエコノリパーであった。
「違う、違う、それじゃあない!」
「どれ?!」
「ああそれでもいいや!」と野人。
野人は器用に口からロープをリパーではさんで抜いた。
「おおお!」
「よし、掛った。あげるぞ!」
「せえの!よいしょ!」
「せえの、よいしょ!」
「せいの、よいしょ‼」
「やった‼」
「でかい!!」
隣の小イソンボがとっても小さく見える。
その体格は数倍だった。
小さい方は、サバみたいである。
確かに今までのそれとは比較にもならないほどデカかった。
島人は海人、野人は野神となる。
3人が一体化した心の充足感で満たされて、釣りの最も重要な醍醐味と達成感を分かちあった。
久々の幸福。
闇夜と潮騒、風と勝利感の中に3人だけが味わう祝福の時。
苦労と挫折、高いハードル、長くて短い人生、蠢く鬱との間に見える一夜の閃光。
それでいいではないか。
「いやあ、ありがとう!」
そう言って野神がイソンボをぽんぽんと叩き検討を称えた。
その眼だけが動いて、我々に語りかけたような気がした。
ぴくりとも動かず、ただ眼だけが動く。
そしてまだ闘いは終わっていない。
ブレイクした奴がまだ待っている。
手の届くところにあって到達できない到達点。
土佐鋼が鰓を突き刺し、鮮血が溢れる。
活きた証は徐々に流れを止め、自然に還る。
人はまた故郷の地を踏む。
ロッドフキのキャップがいつの間にか外れていた。
この竿YUU-SPの完成画像を探してみたが、これがなかなか見つからなかった。
データーは少し残っていた。
この画像がそのメインになってしまった。
バットは補強パイプと、尻手管を搭載している。
故郷。
それは、誰もが持つ真実。
過去も未来も飲み込む人生のターニングポイント。
人は必ず歳を取り、必ず死は訪れるがそれを人は決められない。
2010年も再び八重山の自然と神に出会いたい。
海神の島、多くの民族が通り過ぎていった長い歴史。
悠久の歴史と届かぬ未来。
その後調べてみあると、YUU-SPは、2006年2月に出荷レコードがあった。
当時の撮影でもかなり画像は粗いが致し方無いところである。
記念にと記載してみるが、何とも今一であるがそこはご了承願いたいところである。
2006年仕上がり時撮影のもので、シリアルはかなり若い。
バット部撮影、当時デカアテなるものが少しだけ流行した。
案外使いにくかったか
、その後消滅へと前進していった。
今でもその作風は残っているが、当時はまだまだこれからと言う感じだったように思える。
-09南方回帰Ⅲ-タックル
ROD:
MOON 1363-um9p Yuu‐Special Spin
MOON 1363-um9p Tungsten Special
conventional
MOON 1363-um7p conventional SIC
LINE:
BIGI 24 80LB DMV 170Lb
参加者:八重山の神、師匠、ベスマ野人、島人 最後に私。
まあ、これほど、うれしかった事はない1枚。
1992年にその話をF先輩から聞いてから、既に17年が経過していた。
その当時は、”ふーん“と言う程度にしか聞いて無かった私。
従兄が、島へ帰ってマグロ釣りに嵌っていると聞いていた。
まだ、ネット環境も全くない頃で、釣り道具の購入も紙上通販が最も最盛期の頃だった。
ツボ抜き後のイソンボ。
それでも強烈な走りに対して、50SHAは一度も壊れた事は無かった。
時代は変わって行くのである。
激動の時代。
2009年梅雨吉日
2016年1月追記
その13おまけへとつづく。