南方回帰Ⅲ- 闇からの一撃 Fishing from rocks near the shore of the ocean-11 ― 2018年07月09日 15:41
すべての段取りを終え、荷物ほ大半を高知へ送った。
6日の朝、それは興った。
「あんたぁ、今帰られんでぇ!」
安芸の守である。
-占星術師-STARGAZER-
夜半に近づきつつあるその時は、やはり突然やって来た。
闇からの一撃!
リッチーブラックモア再び。
別段気にもしなかったその時は、まさに一撃での上段攻撃、クリーンヒット。
大技というより、見えない段蹴りのようだった。
あっと言う間にこめかみにその衝撃が入り、崩れる感覚。
シビレル・・・。
「ヒット!」
そう言ってからクリッカーが
やはり1秒か2秒か、鳴いた。
空かさずクラッチを入れた。
それまでの流れのとおり、まだまだ気力十分であった私。
幾分余裕と先日までの釣果が、かなりのゆとりを持たせ勝手な判断が頭を擡げて自分ですでに余裕を持ち過ぎていた。
息を吐いて腹筋に力を入れてフックアップ。
リールを素早く2回程巻いた。
“乗った“
そう心の中で押し図り勝手にサイズまで判断してみる。
ラインの伸びの計算をしていないうちからサイズを判断したが、あっという間にドラグテンションを超えて、スプールは逆回転し始める。
パリパリパリィ・・・と糸が弾けて鳴いた。
野人もY氏もまだまだ余裕な私の顔を見て、これまた余裕の高みの見物になっていた。
またさらに私の判断は、完全に誤った発言にまで至ったのであった。
「まあまあのサイズだ・・・・・」
そう発言したのはいいのだが、どうもスプールの逆転は止まらない。
全くポンピングの間を与える暇もなく、溜めるのに精いっぱいとなってしまった。
ぎりぎり・・ギリギリ。
ギリギリっと、逆転の度、不安がちらほらと付き纏うのであった。
日米開戦の日がそうだったのかは全く分からないが、国が誤ると滅亡に繋がる。
それが私と魚なだけかなり小さい次元での中で、滅亡しなければよいのだか・・・果たしてその末路は・・。
少し緊張度が上がる。
「これはちょっと大変かも。」
「いいサイズなんじゃないの?」
野人が高み見物から、少し考えを変えていた。
明らかに違う引きと重さ。
圧倒的にパワーが違う。
桁違いの粘り。
“これは、ちょっと止まらんな”
“しかし、まだまだブレイクラインまではある?”
と勝手に思っていたが、逆転に継ぐ逆転でラインは既にスプール半分近くになっていた。
息が上がり、少々状況は不利。(無酸素エネルギーレッドゾーン、という感ありの感じだった。)
まさに状況は、戦局拮抗というところか?
いや、相手の方がかなり優勢になりつつある。
やはり体力低下は如実に表れて息切れと乳酸値を増加していた。
すでに無酸素運動分は消費尽くしているようだった。
息が切れる、切れる。
もうすでに余裕はない筈なのに、自分を落ち着かせて好機をうかがうが、手が痺れてきた。
ロッドフキをその股関節に挟んで、竿が伸されるのを防止する。
僅かに止まった瞬間。
リフトする。
重い。(なんとか頭をこちらに向かせたいところだが。)
これがとてつもなく重く感じるのだ。
いや、重い。
かなり、重い。
竿も簡単には起きないほど感じるものの、ゆっくりとリフトに相対してブランクのバット近くから、じわじわと起き上がる。
かなり粘っこい重たい寄せ、大物独特の重さとトルク。
ハンドルを1回転。
そしてなんとか・・・・もう一回転・・・。
ギリで2回転。
更にギリギリで3回転。
3回転程の回収の後、そこでまた糸が出されて行くのだった。
また、出される。
ドラグテンションは上がっている筈だが、それでもさらに勢い付いてラインはズルズルと出されてしまう。
さらに5m、10mと詰めるより、出される方が上になってラインは半分以下になっている。
バッキングまであと20mあるだろうか。(頭の中の計算が感覚的になって、まだなんとかなると思った。)
すでに100m近くは出されていることになる。
「これは、止まらんな・・・。」
「なんとも辛いわ。」
それまで余裕で観ていた両氏も情景に少しずつ呑まれて行った雰囲気に変わる。
力が入らなくなった両腕ではまだ己の腕という自覚はあったが、ロッドを起せず重心を後ろに移動して奴が止まった隙をみて体ごとリフトを試みる。
これが、とても辛いのだ。
10°程度ロッドを起こしてやっと1回、ハンドルを回す。
それなりのショートポンピングに切り替えるのだが。
もう時間の感覚も良く分らなくなっているか、時間は10分を過ぎていたが尚も奴はまだまだ余力ありそうだ。
キリキリ・・・キリ・・・とまた出される。
さらにスプールは逆回転速度も増しているではないか。
コリコリという感覚。
それがネズレであることを乳酸値MAXの頭が認識するには若干のタイムラグがある。
そのうち、ズリズリ・・・・という感覚が、ドロップオフの深みに向かう奴の走りをやっと認識した。
嫌な感触は、増幅して長くなる。
「くそっ‼擦れてる!」
ここで、初めて沖でネズレをおこしている事に気づくのであった。
生命感の間に無機物の抵抗。
いやな予感。
予感は、不安と一緒について回りつつある。
お約束通りの言葉で表すならば、その表現は、
突然ふっと軽くなった。
である。
これは、かなり頂けないありきたりの言葉ではあるが、そんな感じの切れ方だった。
ロッドはテンションを失って軽くなった。
絶望と安堵。
狂気と冷静。
痺れる体と落胆の精神。
激しく荒げる息。
それぞれが交差と連携して心が飛ぶ。
意識と心の間。
また今年も天を仰ぎみた。
占星術には関心ないが満点の星を雲が覆い、今の精神状態と重なる。
ああ、無常。
無情。
最後は、ラインブレイクの結末。
甘く見過ぎた罰は、やはり己の精神にも心にも矢のように降り注ぐ。
狂気を伝えたラインは先10mがネズレの後、サキイカの如し、に切れていた。
時代をもう少し進めれば、このファイト間も動画等に納められたのであるが。
また、当時のサポート側に回ってくれている筈の両名に気が利いていれば、ファイトシーンの写真もあったと思う。
これで全ての力が抜けた。
脱力感と虚脱感がすべてを支配する。
ごつごつとした岩場にあおむけになる。
「そうがっかりるすな、次があるさあ!」
と他人に気遣うY氏の温かいフォローによって我に返る。
Y氏は、こころ暖かい人である。
人の気持ちが解る人と言うのは、この人の事を言うのかもしれない。
我に帰った精神で言葉にならない唖を吐き捨てる。
「あああああっー切れたくそー!」
落胆の境地。
そして、脱力と緊張。
痺れと麻痺。
相手にとって不足はない、と言いたいところだが
しかし相手にとってこちらが不足であった。
人と人との争いであれば疲労とストレスだけが残るだけだが、相手は魚。
魚に恨みも遺恨もない。
ただ一騎討ちに負けただけ。
そこには、まだ見ぬ希望がぶら下がっているが手が届かないでいる。
そしてまた次へのステップとなるであろう、その日を待つ。
ただ自分が不足なだけ。
それで充分。
戦う相手は人間ではないので魚に対して悔やんでも仕方がない、と悟る。
事実上の私の戦いは今年も終わった。
ふふん、といった感で野人は私を見て、
「なにやってんのかと思った!」
と一言。
野人の太っ腹なところは変わらない。
彼なりのエールなのは解っていた。
野人は野人である。
南方回帰Ⅲ- 闇からの一撃 Fishing from rocks near the shore of the ocean-12 ― 2018年07月12日 17:30
‐DNA‐海人
50歳前半当時
その引き継がれたDNAとは
あとは、まだまだやる気十分な野人にバトンタッチとした。
野人と言えば一向に気にしていないのか、マイペース。
にこにこしながら、気合のキャスト。
さすが野人、余裕綽々。
すでに“あしたのジョー”になってしまった私とは裏腹に、野人は竿を投入し続けるのだった。
落胆の後の力無い私のあとを何事もなかったようにロッドが振れるその豪胆ぶり。
直ぐには何も無かった。
また、静かな時間。
その事件から30分が経過しただろうか?
全てを失って座って見学の私の前でそれは起った。
「来た!!」
野人吠える!
ポリネシアンパワーでum9Pの曲がりをバットまで溜めさせて最初の引きに耐える。
生まれながらの野生の勘かDNAに刻みこまれた先祖伝来の天性か、余裕の表情である。
彼の父は、150㎝前後程の昔の島人の背丈ではあったが、小舟でカジキやマグロ、イソンボやガーラをその腕一本で捕獲してきた、言わば生粋の海人である。
野人曰く、俺以上にタフで怪力の持ち主だったという。
それは、T-シャツに海人と書かなくてもその背中にはくっきりと刻みこまれ、DNAの中に先祖の霊とともにある血筋である。
そのような、タフな父でも今はこの世にはいないが息子にはその勘とともに生き続けているのだろう。
どう見ても弥生人系の私とは比較にならないようであった。
当然その背中には、海神祭とも書いてはいないけれど。
ところが、である。
今日の相手はそう簡単ではなかった。
本日の3本目もそれは強烈であった。
江戸時代では人生を終わる平均の歳ではある野人であるが、そのどっしりとした姿勢と体力は野人という名に相応しい。
ライトパッドは、ボートではその力を十分発揮できるが、しゃがんだ姿勢をある程度強いられる磯場では、かえって扱い辛い。
相手が沖に向かってぐんぐん走っている時は、竿をまっすぐに立てられるので問題はないのだが、左右、下、バンク下を泳ぐ奴らのそこからは案外厳しい。
D社が誇る6500EXPから逆転音が鋭く「ジーッッ・・・・。」と鳴る。
耐えては鳴る。
耐える。
巻く。
寄せる。
巻く。
鳴る。
野人パワー全開。
巻く。
10分はとっくに過ぎていた。
野人からは汗が滴って、まさに野生。
息はあがって、しんどそうには観えるが、心にはまだ余裕が見られる。
私と異なる点は、牙が止まった時の迅速なポンピングで間合いを詰めるペースがとてもいい。
ここが、功を期すのか。
牙もなかなかの猛獣で決して諦めてはいないようだが、野人は顔が幾分必至には見得たが少し余裕の顔がちらほら。
「大きいんしゃない? 20-30kgは確実にあるよ・・」とかなり、小さく見積もる私。
本当はもっと大きいとは思っていたが、あまり大きく言ってから
“なんだ、そんなに大きくないじゃないか!”と言われることを恐れてなのか、かなり小さく見積もってしまっている私がそこに居た。
さらに10分が経過した頃、奴に変化が出てきた。
既に磯の上で20分以上も戦っている。
相変わらずドラグは出るものの、その出方は少しずつ短くなっており、左右に走りを変えて来た。
疲れて来た証拠だろうか。
野人も少し疲れて来たようで魚とうまい具合に相対している。
後ろからベルトをつかむ私に、彼の疲れが伺える。
珍しく余裕も消えかけ・・・。
更に時間が経過した頃、奴に変化が表れて来た。
寄せに応じるようになったのである。
ゆっくりと寄ってくる。
「あああ・そこでは擦れるよ。もっと竿を!」
とY氏もアドバイスして少し興奮気味だった。
野人にも少しゆとりがなくなってきたのだろうか、我々の適格なアドバイスが彼の正気を呼び覚ましてまた、力強く溜めに代わっているようだ。
左右に走り始めてからも牙は浮こうとしなかった。
ドラグを出し切るパワーも無くなってきたか、でも浮かない。
幾分野人の膝も少し笑っているように感じた。
さらに5分ほどこのやりとりをする。
浮かない。
右に走れば竿を左に、左に走れば竿を右に、基本動作を繰り返す。
「まだ浮かないなあ・・。」
「ロッドを少し起こしてみて?」
そう簡単には浮いてはくれないが足元のバンク下も磯際をゆっくりと右に行ったかと思うと左に方向を変える。
円に近い運動になっている。
奴が疲れている証拠である。
漆黒の海原に映らない影は、ぐらりと腹を見せた瞬間、反射してその力に陰りを見せた。
船からのゲームであればとっくにゲームセット。
ファイト時間も半分であろう。
あとは船頭さんのギャフが入るだけ。
たまらず、奴が。
ころりと返ってその闇から白い腹を見せた。
グロッキー。
完全に腹を見せた状態になる。
「止った!」
「やっと止ったよ!」
「浮いた、浮いた!」
「ああ本当だ!」とY氏。
磯際で奴が完全に参っていた。
動かない。
波に身を漂わせているだけの状態。
さあランディングにて交代する。
「掛った?」
ギャフを入れなおすこと3度、4度、波はそうないがやはり崖下なかなかうまくはいかない。
「あれ、上がらないぞ!」
「ちょっと待って今行く!」
ベイルをフリーにしてロッドを立て置く。
二人がかりでランディング。
「おおデカイぞ‼」
しかし問題はまだあった。
「おい、ギャフが唇端に掛ってて・・・切れそうだぞ!」
Y氏の声が潮騒を割って響く。
野人にも多少の焦りはあるだろうが至って冷静な発言が
「ロープを鰓に通すからロープ!」
しかし素手で鰓から口は通せない。
見事な牙が生えそろっているからだ。
「Yさん黄色い小さいギャフ持って来て!」と私。
しかし、Y氏が持ってきたのはなんとボガグリップのバッタもんのエコノリパーであった。
「違う、違う、それじゃあない!」
「どれ?!」
「ああそれでもいいや!」と野人。
野人は器用に口からロープをリパーではさんで抜いた。
「おおお!」
「よし、掛った。あげるぞ!」
「せえの!よいしょ!」
「せえの、よいしょ!」
「せいの、よいしょ‼」
「やった‼」
「でかい!!」
隣の小イソンボがとっても小さく見える。
その体格は数倍だった。
小さい方は、サバみたいである。
確かに今までのそれとは比較にもならないほどデカかった。
島人は海人、野人は野神となる。
3人が一体化した心の充足感で満たされて、釣りの最も重要な醍醐味と達成感を分かちあった。
久々の幸福。
闇夜と潮騒、風と勝利感の中に3人だけが味わう祝福の時。
苦労と挫折、高いハードル、長くて短い人生、蠢く鬱との間に見える一夜の閃光。
それでいいではないか。
「いやあ、ありがとう!」
そう言って野神がイソンボをぽんぽんと叩き検討を称えた。
その眼だけが動いて、我々に語りかけたような気がした。
ぴくりとも動かず、ただ眼だけが動く。
そしてまだ闘いは終わっていない。
ブレイクした奴がまだ待っている。
手の届くところにあって到達できない到達点。
土佐鋼が鰓を突き刺し、鮮血が溢れる。
活きた証は徐々に流れを止め、自然に還る。
人はまた故郷の地を踏む。
ロッドフキのキャップがいつの間にか外れていた。
この竿YUU-SPの完成画像を探してみたが、これがなかなか見つからなかった。
データーは少し残っていた。
この画像がそのメインになってしまった。
バットは補強パイプと、尻手管を搭載している。
故郷。
それは、誰もが持つ真実。
過去も未来も飲み込む人生のターニングポイント。
人は必ず歳を取り、必ず死は訪れるがそれを人は決められない。
2010年も再び八重山の自然と神に出会いたい。
海神の島、多くの民族が通り過ぎていった長い歴史。
悠久の歴史と届かぬ未来。
その後調べてみあると、YUU-SPは、2006年2月に出荷レコードがあった。
当時の撮影でもかなり画像は粗いが致し方無いところである。
記念にと記載してみるが、何とも今一であるがそこはご了承願いたいところである。
2006年仕上がり時撮影のもので、シリアルはかなり若い。
バット部撮影、当時デカアテなるものが少しだけ流行した。
案外使いにくかったか
、その後消滅へと前進していった。
今でもその作風は残っているが、当時はまだまだこれからと言う感じだったように思える。
-09南方回帰Ⅲ-タックル
ROD:
MOON 1363-um9p Yuu‐Special Spin
MOON 1363-um9p Tungsten Special
conventional
MOON 1363-um7p conventional SIC
LINE:
BIGI 24 80LB DMV 170Lb
参加者:八重山の神、師匠、ベスマ野人、島人 最後に私。
まあ、これほど、うれしかった事はない1枚。
1992年にその話をF先輩から聞いてから、既に17年が経過していた。
その当時は、”ふーん“と言う程度にしか聞いて無かった私。
従兄が、島へ帰ってマグロ釣りに嵌っていると聞いていた。
まだ、ネット環境も全くない頃で、釣り道具の購入も紙上通販が最も最盛期の頃だった。
ツボ抜き後のイソンボ。
それでも強烈な走りに対して、50SHAは一度も壊れた事は無かった。
時代は変わって行くのである。
激動の時代。
2009年梅雨吉日
2016年1月追記
その13おまけへとつづく。
南方回帰Ⅲ- 闇からの一撃 Fishing from rocks near the shore of the ocean-13 ― 2018年07月23日 12:27
しかし、しかし暑いのである。
日本中が未体験ゾーンに突入しているのではないだろうか?
と思ったりもします。
気候も変動し、温暖化は避けれない必須のこの頃。
これ以上、温暖化が進むと、住む事すらままならない場所ができてくるのではないかと
心配しても仕方がない事なのだろうか?
ニイニイゼミとミンミンゼミ、アブラゼミの3重奏を聞きながら、この暑さに耐えています。
さて、海況もどんどん変わって、手放しに喜んでいる場合ではないと思うのですが、
そんな事もお構いなしに売り込む事だけに集中する、釣業界の一部にもうんざり度がこの暑さと相乗効果を生み、前向きに行こうとする心まで浸食してくるような錯覚を覚える今日この頃であります。
皆様くれぐれもご自愛ください。
ダイワ精工株式会社
その革命的リールの先駆け
その昔ダイワ精工株式会社という釣具主体の会社があった。
創業者は、何度もこの紀行文にでてくる事なのだが、広島県の呉市出身であることは、創業当時の関係者しかあまり知られていない。
名実共に世界一のトップメーカーまでに上り詰めたと思う90年代まで、世界を日本製がすべてを凌駕していて、それが何時まで続くかなんて気にもしていなかった、栄耀栄華時代?
嘗て4大メーカーと言われた、マミヤ(オリムピック)、リョービがまた存在していた時代であった。
オリジナル、DAIWA SEALINE50SH 日本製
これがハイスピード両軸リールの先駆けである事を、
多くの釣り人は知らない。
上記は1996年前後頃購入したものである。
当時の完成度としては、かなり高いものであった。
JAPANの文字がくっきりと
その後、ジギングブームの到来により、このリールは、日本向けに変に改良されてしまい、その名もグランウェーブとなった。
なんともかっこ悪く思えたが、かなりそのモデルを宣伝していたように思える。
その後のXシリーズとしてマイナーチェンジしたもの。
タイランド製に変わってしまい、国内市場から消えていった。
2017年末現在でも国際市場に存在するこのリールは、ダイワ精工の当時の完成度を物語っている。
因みにこの設計をされた本人から、私はその当時の開発秘話から実情をお聞きしている。
ほぼマイナーチェンジだけのこのシリーズ。
ボディは共通と思われる。
ドラグだけは、組み替えてある。
オリジナルが悪い訳ではないが、少し強化させてこの釣りに対応させた。
比較すると記載内容が少し異なる。

ここがダイワ精工のプライドだったように思える。
因みにこの保証書を一度も使わなかった。
あのダイワ精工は、もう帰っては来ないが、ひょっとすると未来はアジアからそんな、メーカーがでてくるのかもしれない。
GS BRACKET USA
GSブラケット。
これも導入してみた。
補助的にハーネスを掛けられる。
日本人には、この発想がないのが残念である。
ものづくりとその考えは世界有数を唱える我が国だが、
遊びの発想はいつも海外からである。
特にアメリカの遊び文化は、世界一なのかもしれない。
そう思うと現代日本発祥の遊びは、あまり見当たらないのは気のせいであろうかと少し考えてみるこの頃である。
2017年12月14日ブログ版編集
南方回帰Ⅳへとつづく
わだつみのかけら-1 ― 2018年07月26日 15:32
わだつみのかけら
(文:長門の住人/釣竿職人加筆)
全く本文とかけ離れた画像であるが、これがわたしの初日の画像
特急四万十は、楽しい旅へのいざないの筈である。
しかしながら、一人で乗っても楽しくもない。
陰鬱と陶酔
光と影の狭間に生きながらえて何が楽しいのか。
わだつみのかけらとなって生き続ける永世の魂もこの狭間に漂っているのだろうか。
それでも黒潮は大きくその大いなる力に翻弄される。
相変わらずも同じ言葉しか出ては来なく、自分の心理状態には進歩がないのか、はたまたそれが凡人の常なのか解らないままにCapt.Nの「早よ、来い!」
の言葉がエンドレスになり、ああそこに水があって、待っていてくれるものがあれば行かねばならないのだなあ。
と思うのであった。
安芸の守人が来るまでにはとても長く、いくら出てみたくなっても相変わらずの風と波、そしてさまざまな障害?
いつもながら憂鬱だなあ。
気分転換と言っても何も代用になることは貧相な遊びしかしらない私には、名案は浮かばないのであった。
坂本龍馬もこの土佐の自然と釣りに慣れ親しんでいたというが3代目廣瀬丹吉の針を使用していたとは初めて知った。
丹吉の針はもうこの世にはなく、ハワイでももはや過去の栄光になって、その伝説も消えかけている。
昔、岡田師匠に頂いた丹吉ウルワ針がどこにやってしまったか、全く思いだせないままでとても苦になっている。
そのような憂鬱の日々の合間にドラグが焼けた臭いにやっと我に返るのである。
高級スピニングのドラグノブが溶ける。
そうであろう。
元々はスピンの対象ではない彼ら。
時代は一部のスピニングマーリンなどと呼ぶが、それももう1960年代からスピン&フライでキャッチしていた国があった。
まだまだ日本が先進国となる前の話である。
勿論私も、まだ今は無きオリムピック社のスピニングに国産振り出し竿でアイナメの20~30cmと熱心に戯れていた頃である。
その時代には、まだセイルフィッシュでさえ満足に対応できるスピニングリールが国内には無かったのである。
























