儚き偶像の行方2011-Ⅰ-7 ― 2019年04月27日 18:05
そろそろ我が国も分散を促すバケーション制度があったも良いのかなあ?
とも思います。
未だ有給もろくに使えない企業が多くある日本は、仕事中心社会である事を否定できない。
こんな国は、世界的には異例らしい。
管理人が置かれている駐車場で大出を振って釣りができる港は、そう多くない。
流石に参った様子だった。
撤去はされたが、時々まだコマセの臭いのする袋が落ちていたり、コマセのこびりついたまま撤収する釣り人は多く居る事に不快感を抱く。
おばちゃんの話
血抜き作業中のイシナギ。
その血はどんどん出てくるが。
近くに何年か暇つぶし(釣り)に通っている港の有料駐車場がある。
その管理のおばちゃんの話である。
ここ(この港町)に嫁に来て48年になるという。
つまりそろそろおばちゃんというには厳しくなってくる感じ。
一日いても平日の稼ぎは、いくらになるのだろうか。
また、時化の日は全く収益がない。
おばちゃんは自分の取り分が幾らかご丁寧に話してくれる事もあった。
それでもおばちゃんはせっせとスクーターで来ては小屋に通い、みなさんからわずかな駐車場代金を徴集する。
この間は脚の手術もしたと言っていたが、多少動きには脚を庇いながらの歩行ではあるが元気そうであった。
嘗てはゴミ箱も設置していたがあらゆる人が様々なゴミを捨てて行ったのだが何年か前、管理に困ったのか
大変なのか撤去された。
時には、釣り合羽や長靴、ジャンクな釣竿、紙おむつまで捨てられていた。
もはや、総合ゴミ置き場と化していた。
台風がまだまだ今年は居座っていてなかなか通りすぎないので海の様子を確認がてら駐車場(と言ってもただの広場)に車を停めておばちゃんの小屋にいく。
最近はベッド風になっている板も敷かれていた。
おばちゃんも横になりたいのは頷ける。
「おばちゃん!」
「はい!」
「おばちゃん元気ですか?」
「はい元気です。」
「最近はどうですか?」
「うぅうんとねぇ。」
「なにか今釣れていますか?」
「あのテレビによくでてくる○○さんたちがメジナ釣ってるよ!」とおばちゃんの元気のよい声ではあったが
正直その言葉は、何度も何度も耳にたこができるくらい聞きました。(実際多く通っておられるのだろう)
「アオリもいるよ。」
しばらくの間ネタを調整しつつ。
「○○は釣れる?」
「さあ、最近は聞かないねえ。」
またしばらくのやりとり後
イシナギの話になった。
おばちゃん:「今年はなんでも異常だねぇ・・・」
「この前も、マダイが異常にここで釣れてねぇ・・・今までこんな事なかったんだけど、ずらっと並ぶくらい人が来てたよ。」
「これ見てコレ。」
そう言っておばちゃんは年代もののボロボロ宝地図みたいになった普通上紙に荒い画像でプリントされていた兄さんが持っているマダイの画像を誇らしげに見せてくれた。
(一体春から何人に見せ続けたのだろうか・・・・。)
おばちゃんも持っているその宝地図風の4つに折られた画像は、釣った本人の顔も良くは解らず、辛うじてマダイであろう。と認識できるグレード。
異常な事情に耳を傾けると、イシナギも今まで見た事がなかったが今年は何度も水揚げを見たと言っていた。
「あれ、どうして食べるのかねぇ。」
「あのなんだかとか間違えたよぉ。」
「なんだかって?クエ?」
「ああぁ・・・・・・・そうそうそう。」
おばちゃん今年も元気で頑張ってください。
今年の夏も更に暑そうですがね。
そう思いながら車を近所のお気に入りである和菓子屋に向かわせた。
そんな2011年の台風6号の夏。
それから数えて10号が沖縄に接近しているこの夏であったがそれから真夏日と言われる日が少なくなった。
蒸し暑さには、あまり変わりはないのだが。
悪夢はまだ消えていない夏であった。
全く悪夢な夏と悪夢な夜。
血が抜けるとみるみる色が失われてくる。
七夕過ぎの昼下がりとイシナギ