楽園の終焉 END OF PARADISE 2010-Ⅰ-9 ― 2018年11月26日 07:29
あれだけの猛暑だった2018年の夏。
それから数ヶ月経てばやはり冬は訪れる。
人生が300年くらいあったらもっと余裕なのかもしれませんが、それは架空であって
そして、釣りといえどもある程度の基準を保とうとするとその現役がとても短い気がします。
そんな遠征後には、膝痛と肘痛をこらえながら、キーを打ち込んんでいる今です。
-打撃-
「ヒット!」
T氏の過去のGTロッドが曲がっている。
S社の超高級スピニングリールの仕事も上々みたいである。
不備はない。
いきなり船上のテンションは浮上。
船上が急に慌ただしくなり、バトルになった模様。
急死に一生スペシャル。
(最初にそう思ったのはおそらくH氏であろう。)
クルーが跳ね起きて、速攻でネットを準備。
彼の静から動の動きはお見事である。
彼の先祖は忍者なのか。
難なくネットイン。
一気に皆ハイテンション。
歓声もあがる。
15kg~位のGTではあるが、この状況での1本は1本。
無からの有は、貴重で初物は初物。
気分もいい。
リアルベイトムーンレッドで。
笑顔の記念撮影も早々にリリース。
万歳三唱。
一気に祝福の嵐。
これだから釣りはやめられない。
しかしその後、笑顔は再び誰にも戻る事はなかった。
T氏の貴重な1本となった。
揺れるボートの中は幾分軽くはなったが、現実には既に前半戦は終了したのであった。
H氏の肩の荷は減ったみたいであったが、こころから喜ぶところにはまだ少し遠い所にあるみたいだ。
彼の心境はいかばかりか。
しかし、それは仕方のない事であって、確信の無い私のフォローは、あまり効き目が無いようだった。
“釣れない時の特効薬ください”。
あれば皆飲んだと思う。
それでは釣自体もとても面白くなくなるだろうが。
私以上に眠れない夜を過ごしたのはH氏に違いなかった。
そんなことも忘れるほどに、私の部屋のバスはお湯が壊れたままで、いくら蛇口を捻っても水しか出てこなかった。
しかし、別段腹も立たなかった。
民宿に毛が生えた程度の2星ホテル。
しかしながら、贅沢は言えない及第点。
風邪をひいたみたいだがそれもこの島では、簡単に受け入れてしまう。
これもバリの神様のいたずらかもしれない。
室内を撮影。
日本で言えば民宿レベルであるが、その湿度のせいかカビ臭い。
それでも、旅は面白い。
たとえボイラーが故障していても。
楽園の終焉 END OF PARADISE 2010-Ⅰ-10 ― 2018年11月29日 12:29
この世界有数の大都市の何時行ってもなじめない環境は、今も昔も変わらないと思いました。
一方、地方のある程度の街は、過疎の一方であったりします。
そんな、中、そろそろ古くなってきた文中に出てくる大学の後輩と暫く話をしました。
わずかな時間ではありましたが、やはり魚が好きである事には変わらないと思いました。
私も釣りよりも、海とその魚達が好きなのかもしれないと思わず思ってしまいましたが、何が好きなのか自分でも良く判らなくなってきました。
アグレッシブさが売りだったような、水産学部も今は別ものにはなっていました。
少し残念な気持ちも持ちつつも、明日への希望を託したいところです。
さて、それではその10です。
罪と罰 そして神々のきまぐれ
現地の子供達がサッカーをしている。
子供が明るい社会は、未来がある。
3日目の朝もナシゴレンと言いたいところだがなぜかヌードルにした。
硬めのインスタント麺が胃にやさしくなさそうだが、それはそれで旨かった。
基本の味付けはナシゴレンとそう変わりはなかったが。
それに、何故かまたバリコーヒー。
全くコーヒーに関心ないというより飲めないI先生とは対照的に私とT氏は旨いといいながら 2杯ほど飲むとすっかり出発時間になる。
それでも私は、三杯目を注いでそれも飲もうとしたが、飲みきる前に移動となった。
席を立つまで飲み続けたが。
移動。
通勤並みの当たり前のような気がした。
丁度通勤ラッシュのようだ。
牛が見つめる。
もちろん食料であるが肉付きはそういいとはいえない。
先に車を降り、眼の前のゴミを踏まずにそこから1歩踏み出し、沖のほうを眺める。
第一歩をゴミの上は御免である。
しかし如何に自分が気をつけようとも、突然に向こうから災難がやってくる場合も多々ある。
それは、 なんの前振りもなく興った。
「あああっ!平野さんゴメン!」
「えっ?」
一瞬何が起こったか解らなかった。
が次の瞬間生温かい飛沫が私の足首から脹脛にかけて噴射塗布されているではないか?
それはGHQ気どりで先に降りた私のすぐ横に舞い降りて、第一歩を袋入りのクリーム状のものを踏んだT氏が速攻で詫びをいれた瞬間だった。
横にいた運転手は、お客の手前笑うに笑えずただ必至に苦笑するのであった。
ゴミと共に船長バチョと私。
しかし、とても観光地には思えないほどのギャップである。
地元の人にとっては、何もない日常の一コマ。
いつ見ても酷い光景だが、我が国にはあまり、いやほとんど見られないがこれが現実である。
T氏も一瞬死を覚悟したのかもしれない。
その昔ほんの150年くらいならば・・・・。
「そこへ直れ!」
と一蹴りされて一刀両断。
首を跳ねられていただろう・・・・・・・・。
とI氏のご意見。(ごもっとも)
ああ侍の時代で無くて良かった。
当然ながらそれがなんであったか確認は取っていない。
そのものが腐っての腐臭であれば絶対に確認したくなかったからだ。
ボートでなくて丘でリバースはNGである。
これで運が付いたと皆から祝福されて、ボートに乗り込んだ。
ボートに乗ってすかさずこれまたゴミが浮かぶ少々濁った海水をバケツに汲み一気にその物体Xを洗い流した。
あの瞬間を一刻も早く払拭したかったが、次に目に浮かんだのはその姿を観た若いドライバーの必至の苦笑であった。
お客の前では絶対に大笑いなどできない苦しい立場、しかし笑いは押さえられない。
しかしサービス業のプロ根性で、なんとかここを上手く切り抜けなければ・・・という心境なのだろうか。
翌日他の理由という事であるが、彼は職を失ったらしい。(飲酒寝坊の常習犯だったという事らしい。)
彼は暫く無職という、最も厳しい現実を突き付けられた結果となった。
まだまだ20代前半なのでやり直す事はできるだろう。
荷物はキャプテン自らも運んでくれて、なんだか少し悪い気もした。
日本では、絶対に船頭さんが荷物を運ぶという事はまずよほどの事がない限りないだろう。
天国への橋なのか?
いや、その下は既に地獄なのかもしれない。
ゆらりゆられて90分。
ちょっと横幅の狭い感じのこのボート。
もう少しワイドならばなあ。
さあ、勝負開始か。
少々不調気味の体も脂肪が少し落ちてきて幾分動きやすくなった気がする。
これがなかなかの激流である。
この攻略は、ここならではの醍醐味でもある。
このような場所は、そう多くはないと思う。
激流の中に白波サラシ。
潮の干満とチョークに絞られた地形により、流れはとても早く、しかも底の地形も入り組んでいるらしく、複雑な流れを形成している。
この流れはいい感じであるが、ミニ鳴門状態。
白波を立ててぶつかりあい、サラシと流芯、ヒラキと巻き上げ。
小粒な渦。
海が活きている。
ここには淀んだ水は無く。
透明度の高い活きた水。
偏光を通して海底がぼんやりと映る。
前衛のキャスト1投目。
「ヒット!」
歓声もあがる。
いきなりのいいカーブを放ってその先には明らかに生命感ある引き。
KVG(ロッド)がいい仕事しながらI氏の操作に答えている。
船内は一気にテンション浮上。
辺りの船は、二漕程。 付近を流している。
一艇は、日本人らしく釣り人は2人。
一艇は、少し遠くだがこれも日本人と思われる。
入れ替わりで地元連中なのかどうか判らないがもう一艇。
お互いに魚の出るところは判っているのか、それぞれがいい間合いを保ちつつ流す。
それにちりちりと暑い日差しがupf50の日焼止防御皮膚を上から照りつくす。
I氏のKVGは、彼の操作通りにいい仕事をしている。
ツインスピン(リール)の誤作動もない。
とても観ていて心配はない。
ただ一人だけ、心の中でひたすらにキャッチを願う人がいる。
それは、勿論本人I氏であるが、それを節に願うのはH氏だった。
(私も勿論同じ気持ちではあるが、恐らくH氏のドキドキ感の半分以下であろう。)