南方回帰Ⅴ₋闇と光₋微残光2015₋7 ― 2026年01月16日 17:03
-漆黒の衝撃-
そこに浮かびあがるのは生命感の中の紫とも銀とも知れず
たまにはドラマを作って欲しい
しかも、想定外の・・・大勝負
フラッシュ越しのグアニン反射は少し紫かかっても見える
へとへとになって帰って来た彼らをよそにSYUは俄然やる気になっていたようだ。時々いたずらする奴雑魚たちを、今度は餌確保としてミジュンサビキを投入する。
投入後、直ぐに反応があった。JUNは言うと、ここら辺は手馴れたもので、いつものコバンアジを的確に仕留めていった。サイズは、30cm程で大きくても40cmくらいのものである。この餌取が案外多い。また、こいつの皮は相当硬い。それは、財布ができそうなくらい硬い感じの皮で、ケミカルシャープ針の切っ先さえ、非常に通しにくいのである。我々は、クブシミ(コブシメ)撃退作戦には失敗したものの、小判、コバン釣には成功した。猫に小判でないだけまだいい。
早速、SYUがそれを取り、上顎掛けにした。そしてキャスト。いよいよライブベイトの投入である。今まで散々餌取りとして齧り続けたその報いは、直ぐに訪れた。それは、自らが餌となるという制裁であった。何の躊躇もなく投入されたその30cm程のコバンは、何かに怯えているのか恐怖なのか、どうなのか手前に近づいてくるではないか。先ほどまで何処に投入しても喰いついて来たのに。
このコバンアジは、皮の硬さとは全く関係なくとても美味らしい。いつも餌になるだけなので、今度機会があれば試食してみたい。特に生が良いみたいである。
「えらい手前にくるなぁ…。」
「はい・・。」
コバン君は、ゆっくりと左方向へと移動している。
投入から数分後・・・・それは興った。
“ギィ~”
リールクリッカーが突然勢い良く鳴くと・・・同時に
「ああっ・・キタ~!」
SYUUのコールと共に一同一斉にその方向を見た。
一気に斜め左にラインが流れ走って行く!
彼は、グンとパワフルな合わせに入ると一気に竿は、弧を描くと、台湾製最上級コンベンショナルリールのスプールが逆転に転じた。クリッカー音が闇夜に鳴り響く。
「まえ!」
「前にでて!」
とは言うものの、踏ん張るので精いっぱいらしい。
「ムリッス!!」
突如襲った激しい引きに全力で耐えるSYUU氏
それは、間違いなく今までの外道とは違う引きだった。魚は、まっすぐに沖には向かう事もなく斜め左前へと方向を変えなかった。
「ああ、SYUU!そっちはマズイよ!」
と言われずとも解ってはいるが、相手がこちらの言う事を聞く筈もないのである。
「あああ…ぁ~すってる、擦ってる、スッテル!」
竿を伝わって根に擦れているのが解るようである。
あの嫌な感じ。
何かズリズリとするあの感覚。
何度も経験したなぁ。
正に真剣な表情で、SYUUは耐えていたが、その方向を変えられる事もなく、更に奴が走って行った。止まった感もあるが、バタバタ動く感じが伝わってくるらしい。
「イソンボではないなあ!」
「うーん。」
静寂から一気に騒然となるこの釣座が、なんとも踏ん張っているが・・・・。
言葉にならない緊張に変わる。
こいつが本命かどうか解らないけど、かなり強烈な引きを堪能する余裕は全くないSYUU。まさにその姿がそこにある。
彼の顔が真剣かつ紅潮しているのが分かった。耐えるしかなさそう・・・そんな感じであった。暫くすると、魚は止まったように思えた。彼は、その先にバタバタと暴れる奴がそのラインの先から伝わっているのが解る感じで、余裕がなさそうではあるが分析はしっかりしている様子だった。
「ああっ・・・・!」
「切れた!」
耐摩耗ラインが切れた。
その擦れた感じの中で何時切れるか解らない恐怖が、その結末によってはその恐怖からの解放には繋がったが、その代償は、落胆と言う大きな遺産が待っていたのである。
一体その先には何が付いていたのであろうか。
ラインブレイク(糸切れ)と言う事葉は、いつも悲しい。釣人にとって悲しい出来事のトップである。その歴史の中で、テグス切れと呼ばれて以来、釣師、漁師であればどれだけ悔しい思いを先人達はどれほど多く経験したのであろうか。一本の糸で繋がる事は、その事自体が一瞬で全てを失う事になる。それは案外、人の道もそうなのではないかと思ったりもするのである。幸いな事に、それはやり直しが利くと言う事であるが、備えが無ければ次のチャンスがない。それも人生と同じなのかもしれないと思った。チャンスは、一様に皆に回って来た事になる。
その結果は、別として。
それからまた我々は、俄然やる気が出てきて頑張った。
しかし・・・それから後はチャンスが再び訪れることは無かった。
それでも、全員の帰路の足取りは重くは無かっただろう。何せ、ドラマは訪れてそれなりの結果をもたらしたからのだから。また“明日頑張れば良い”と言う気持ちも多分にあったのであろう。その明日への期待は膨らむばかりであった。
誰でもその希望と言う名の希望を奪う事はできない。
誰であっても・・・。
奪う事ができるのは、一体何者だろうか。天は、それを奪う事は決して無いと思ったりもする。誰でもその加護と運を受けたいと思うこころは同じだからである。
そんな気持ちも都会ではその御利益を期待してしまう正月元旦以外は、殆ど持ちにくいのかもしれない。恐らく、そこに待ち受けるのはコンクリートとアスファルトと淀んだ空気の洗礼に継ぐ洗礼であって、希望が霞みやすいのかもしれない。そう思った。その生活感には、人間が作り上げたモノだけがさも当たり前の如くに存在していて、自然がそれに勝てていないのが日常である。しかしながら、時としてその逆が起こる時がある。それが、一番畏怖を失った現代人への最大の恐怖であったりするのか。
ラインは、何れも長い距離を擦っていた。傷だらけである。PEラインならば即殺だったのであろうか?未だPEラインの方が全てにおいて強いと信じている人が多いのには驚きだが、事実は事実として受け入れるしか方法はない。私は、釣糸の伝道師ではないのだから。何れにせよ、根擦れとの闘いになるのは、この釣りに於いては命題であろう。はたして、ラインメーカーの必死の説明というものは、一般には伝わらないのであろうか。恐らくは、伝わらないのだろう。
OKUMA
ANDROS 12Ⅱa
台湾を代表するリールメーカー
良くできている台湾製である
南方回帰Ⅴ₋闇と光₋微残光2015₋6 ― 2025年08月23日 17:51
静寂の中の興奮
肘を押さえつつ
仰ぎ見てはまた空
闇と雲の狭間
雲と雲の狭間
心と空間の狭間
実と虚
虚無と希望
海は、にわかに波だっていた
本日は北東の風が少し和らいだように感じる
波間に浮かぶ光が2つ
静寂とまた岩を切る風
北からの冷たい風
しばし、二人の後方で様子を見る事にした。
いつもながらこの狭間の空間は、悔しさと反省の中に現状への幻滅と反理想を見いだしてしまう。
その2つの重いリスクの払拭が急務の時間。
漸く息も整い、再度投入の気持ちの中、リールチェンジを済ませた。この手の釣では予備は必須である。現場で糸巻き換えとなるとなかなか辛い、また時間も大幅に取られてしまう。
“ふぅ~”
やる気満々の彼らと監督と共に見ていると……。
突然、クリッカーがほんのわずかにジィッ・・と鳴った。
その間一秒あるかないかである。
“んっ?!”
その瞬間の間、JUNが竿を大きく合わせリールを巻いてまた合わせをくれているではないか。CT1363-UM9pは、既に弧を描いてその先にオレンジの耐摩耗ラインが走っていた。ここは上手く、竿を立てられたみたいである。腰もしっかりと落としていた。
ここが第一ハードルの肝であろう。
魚は、その頭を思うように反転出来ていない感じで沖を目指そうとしている。このテンションのかけ方は良かった。
クリッカーは、勢い良くギィ―となるが、それもほんの数秒なのか1秒もあるかないかと言う感じだった。
常にテンションは掛かっている様子。
奴は、沖を目指そうともがく様子と見て取れたが、その竿はよく溜められていた。その加速は、あまり出来ていない様子だった。
一方JUNは、必死の形相だった。(勿論奴も必死と思うが)
息も一気に上がっている。
しかし、糸は何故か巻けている。そしてまた、ギィ―と鳴るとリールスプールは逆転して糸は出ていった。それも10m無い程度だろうか。
その状況をみて、彼の後ろにフォローとして入る。
「右、右に走ったよ。」
そう言うと竿を左に向ける。
そうしたかと思うと今度は、左に走る。
必死に耐えながら竿を握るJUN の姿。
腰を落としたままである。それから3分くらい経過すると、息はかなり上がってきた。少々乱れ気味だったが、彼の真剣さも、必死の形相も変わり無かった。
あと20mを切ったところだろうか、奴が完全に弱る事もなく、またそのオレンジ色に輝くラインがそのリールから滑っていった。その度に、JUNは竿を保持しようと必死であり、リールハンドルを回転させようと必死であった。
不思議とリールインされて行った。時々、荒い息に交じって、“くうっ~!”とも“んぅ!”とも解らない言葉と必死さが後ろを掴む私にも必要十分に伝わってきた。
その場の緊張感は最大。
これは、彼にしか解らない興奮なのは解っていているが、なんとか表現したい。一方ガイドする方は、安心感と正確な指示と誘導が必要となって来る。それを己に言い聞かせて、彼の腰を掴んだ。一気に戦闘モードでしかも、かなり息が荒いのは、その極度のアドレナリンのためなのかどうなのかは本人にしか解らないかもしれなかったがはたからもそう見えた。
そこで監督から指示が。
「ライト当ててみたら?」
「・・・・・・。」
少し早いとは思ったが、総監督からの指示では仕方あるまい。
高輝度LEDを燈火した。
この海が抜群の透明度を持ってしても、まだその魚影は見えない。
“やはり、まだ見えないか・・・・”
しかしラインが走るその方向はくっきりと見える。
「あと少しだよ!頑張って!」
と取りあえず励ましの声をかけるのだった。
最近では珍しくは無くなったが280ルーメンは強烈である。これが400とか600ってどんな感じなのだろうか。はたまた軍事用5000ってどんなものだろうか。恐るべし、LEDの進化。
ほんのわずか10年前の20ルーメンが主力の頃と比較すると、かなりしょぼく見えてくる。釣人は昔から変わらないが、工業、科学技術と言うものは日進月歩なのであろう。ハロゲンランプがとても懐かしい。(あれは、大変重かったがそれが当たり前だとおもったのも1990年代の話)
JUNは、1回転、2回転とリールハンドルを巻き取って行く。
すると、うっすらとそのLED光照射に白銀が反射してくるではないか。
その燻銀に映る魚体は、右に横切っているがその力は先ほどのそれとは比較できない程落ちているようだった。それがうっすらと漆黒の海に映るのは、とても神秘的でもあるように思えた。
それは、今度はまた左に方向を換えた。
水面下で漆黒に浮かびあがるその銀色の胴体が一回りも二回りも大きく映り、それが更に恐怖にも見えた。
その魚体が果たして水深何メールなのかは解らないが5mくらいはまだあるようにも思える。
ここがLEDの実力なのか。勿論海の透明度もあっての事なのだが。
「ああ、イソンボだぁ!」
いよいよ本命のお出ましである。
俄然力が入ったかと見えるJUNではあるが、それは気持ちだけで彼自身はかなり息を荒げていたのである。無理もなかろう、4本目にして漸くここまで辿り着いたのだから・・・・。
「あああ、確実!20㎏超えかも!」
水面下数メートルと言うところでヒラ打ちした魚体がはっきりと解った。それからそいつは力なく、岸際をいったりきたりと背中を見せて左右に泳いでいた。その背中が光に照らされてブラックメタリックのような怪しい魚影をくっきりと浮かび上がらせていた。
これは、イ・ソ・ン・ボ。
しかし、ここが危ないのである。
「よしよし、もうちょっと!」
「もうすぐひっくり返るよ!」
「おお、腹を見せた!」
イソンボは、最後必ず腹を浮かせる。ここが他のマグロ類には見ない光景であるが、とても面白い。明らかに他のマグロとは少し違っているのはここら辺にも出ているのかも知れない。
力無く奴がゴロリ、と腹を上にしていた。
それは、完全グロッキー状態で波間に浮いていた。何時見てもこの最後は、はっきりとしていた。殆ど動かせない尾鰭と左右に出た胸鰭を出して力なくプカプカとその波間に浮いていた。
さてここからが大変な作業である。一人では不可能とも思える作業である。二人掛かりでやっとこさとさっとギャフを掛けると、ゆっくりと引き揚げ作業に掛かった。ここまで5分以上手こずったのであるが、なんとか・・かんとか・・この落差を上げて来こられる時がきたのである。
「あれ!」
「やばい、外れた!」
引きあげていたSYUから、慌てた声が飛んだ。
その高さは1mくらいだったのか、波音にかき消されてかさほどでも無かった。ラインは切れていないようである。また、魚も外れてはいないので仕切り直しに入る。
「大丈夫、仕切り直し!」
再度ギャフ掛け作業に入った。
それから更に2~3分後、やっと掛ける事ができた。
先ずは、一番危険な波からの引き上げ。
ここがクリアできると半分は獲ったようなもの。
しかし、ここが一番の注意点であり、危険な場面である。
過去には、ここで何本も取り逃がしている。
SYUは、再度引き揚げにかかる。
30cm・・1m。
2m・・・3m・・・
そいつは、ゆっくりと引き揚げられてくる。
慎重かつ、パワフルにSYUがロープをタグリ寄せるのであった。
「やった~。」
そう言うJUNを制止して、
「まだ早い、まだ言うな~!」
ともう少し我慢するように促した。
奴の頭が見えた。
あんぐりと開けた口から牙が見える。
やっと頂点まで引き上げると、それを2人かかりでズリ上げた。
「よし!やったぁ~!!」
やっとこさ上げるとそこからは、爆発的に喜ぶ他ない。
それはチームプレー共有の証。
ここはお決まりの万歳を。
ここが欠けては、釣りは本当に面白くない。たぶん・・・・。
それは、良い釣りが出来た証拠でもあろう。
監督曰く、「目がぎょろぎょろ動くんだよなぁ~。」
「これがなんともいえないんだよなぁ。」
確かに、生きた証の目が動く。
これを我々は、何度も経験した。
彼が見る最後とは、一体どのようなものなのだろうか?
彼が最後に見たものは、水の中では無かったが
何がどうなっているのか。
何が現実なのか。
今オレ(イソンボ)の体に何が起こっているのか・・・。
俺は、死ぬのか・・・・
コレが見る現実なのか
ああ、意識が飛んで行く
そう思っている様にも思えてならない。
それは、生と死の狭間。
彼らに我々のような意識が存在するかどうかは解らないが、それはそれでこちら(人間)側の勝手な思いかもしれない。
がしかし、相手の気持ちが少しでも解ればそう無駄な殺生のない世の中になっているのかもしれなかった。
畜生にそう思う心があれば、人などそうあやめられるはずもないと思えるのだが。
激戦の痕は、生身と血で染められた現実である。
決して忘れる事はできない
現実の世界は、そうはなっていない。
本来即、処理になるのだが、やはり初物の記念撮影に少し時間を取ってしまった。
喜びは最大になるが、早速作業にとりかかる。
「監督!ガーラナイフある?」
「ああ、あるよ!」
そう言いながらも収容してあるのは、私の青いバッカンであるのだが。
それを、JUNに手渡した。八重山産琉球松をあしらった柄に琉球松の鞘作りのガーラナイフである。やはりここは、これの出番だろう。
月竿オリジナルガーラ(初期型)
〆る、切る、刺身までこなしてしまう
右からオリジナル2014、中オリジナル2014、2022記念極小、2020限定極極小
ガーラナイフを先ず鰓に立てる。南無阿弥陀仏。それは、活〆と言うよりは、もう既にその心臓には力が無かった。最早虫の息。
その刹那の息の中で鮮血は、少し闇夜には赤黒く映ってゆっくりと流れる。それでもその血は、流れ出て行った。血は、血で争うとかそうでないとか。
月竿オリジナルガーラナイフ各種(21周年記念時)
ハリスの編み込みステンワイヤーが、ところどころ切れて枝毛風になっていた。その牙を飛ばした代償としてなのだろうか。最初のバイトからのランでの衝撃故だろうか。
血抜き
水をかける
一度
二度そして三度
鰓抜き
つぼ抜き
腹を開けてから血合い(腎臓)を取り
今度は、何度も血を洗う。
ここの作業は、例えイソンボだろうがなんだろうがキープする以上迅速に行う。
折れた牙は、野生の突進力を意味していた
その牙を折って走った
顎の辺りを見ると、奴の象徴である筈のその牙が何本も折れていた。喰った瞬間の衝撃で飛ばされたのであろうか?それともその後の疾走の力でワイヤーと勝負して折れたのであろうか?
真剣勝負とはこの事なのか。
その牙と一本のワイヤーハリス。
その先の命のやりとり。
そしてここからがまた、一仕事である。
水と鮮血の入り混じった滴りがなくなると、それを準備していたアルミバックに入れる。それを今度は、通称自転車紐でアルミキャリア(おいこ)括りつける。尾柄部がすっかりはみ出てはいるものの、それはそれで無いよりはずっとましであった。
魚を背負い、車まで移動する。と一言で片づけてしまうが、ここからも一仕事である。建設的な労働ではあるが、重い物は重いのでできるだけ軽量な程良いのは人情と言うものであろうか。JUNはそれを担ぐと恐らく来た道を戻って行くことになる。
冬と言うには、まだまだ暑い南国の夜。
涼しいと言う時間にはなってはいるものの、それでも一汗かく事になる。
牙と鋼とステンレス。
その先には、強固なスイベルとナイロン糸。
その先には、その戦った人の思いがある。
血抜き、腸抜き後のイソンボを担ぐ専務ことJUN
自分の仕事なので致し方ないところだが
それとは裏腹に気分はすこぶる良いのだ
車には、予め氷が容易されていた。
“釣れても釣れなくてもここは万全にしておこう”との作戦会議であったが、 そこは今回計画通り行っていたのである。
JUNと監督のコンビで魚を移動するコンビになってもらい、SYUと私が現場に残った。
さて、順当で行けば次の番は、SYUになるのだが。
その後は、SYUを中心に積極的に竿を出した。
しかしながら、その期待とは裏腹にアタリは無かった。
60分をとっくに過ぎた頃、先ほどの二人組がやっと戻ってきた。
どうやら迷ったらしい。
“うわぁ、それは地獄道”
2人組で良かった。
そう思ったのは私だけではなく、一番そう思ったのは彼ら二人だったに違いない。
賽ノ河原は、永遠に続くようにも思える冬の岩場の出来事。
それを知るものは、その月と星、風と雲。南の潮風に乗るどこからともなく訪れる音。
そして、空の果て
ランディング直後の姿は既に満身創痍
お前はその眼でなにを見てきたのか
南方回帰Ⅴ-影と闇₋微残光2015₋4 ― 2025年04月03日 19:30
3日目
後半戦の日
何かがおこりますか?
ドラマや映画だと、それなりに何かないと困るのですが
はたして、リアルである=現実と言うものは?
お決まりのヤギさんをJUNが撮影してみる
勿論家畜のヤギさん
ほぼ一年がかりで準備した遠征も、その時がもう半分が過ぎ去り、後半を迎えようとしている。国を背負う事と個人が背負う自らのプライドとは、全く異なる次元かつレベルは違う事が解ってはいるものの、丁度オリンピックに備えるアスリート達が何年もかかってその一瞬に全てを掛けるのに類似した心境に近いのかもしれない。あくまでも近いかもなのだが・・・・。
たかが釣、されど釣、趣味と言えば、趣味。道楽といえば道楽。競う相手が人間でもければ、スポーツと言えるのかもどうかも解らない位置ではあるが、我々が行っているのはスポーツフィッシングと言うものには違い無かった。
それは、一貫してブレてはいないと思う。それは、自分自身との闘いでもあり、自然に身を委ねることが前提の戦いでもある。自然と対峙してみるとその多くは、太刀打ちできないことへの裏返しでもあるのか。
日本における磯釣りは、ここ30年間でそう大きくは変わっていないようである。勿論、釣り方や道具は進化によって多少変わってはいるが、基本は同じかそれに近いかもしれない。ましてや今我々が行っている釣方は、その昔はあまり認知がない方法だった。
時代は大きく変わっているが、近代の遊漁の歴史程度はたかが知れている。
当時(昭和)が解らない方は、1988年刊の“別冊釣サンデー巨魚フィッシング”を参考にしていだだくと良いだろう。当時の通称“釣サン”は、小西ワールド全開でその主観に満ちてはいるものの、それはそれで面白かった。なかでもp34-35は、100kgの魚に耐えうるには、クランプを必ず付けて置くこと、などと書いてある。また当時の剛竿は、そのウエイトも2kg弱前後だった。故小西さんは、とてもこの釣が好きだったのであろう。それも今となっては聞くこともできない。
結局のところ人は、その釣り人生がとてもとても短いということなのだろう。寂しくも悲しいかもしれないがそれが釣り人生の現実である。ただその短い人生をいかに駆け抜けてきてその渦中で多くを体験、経験したかはその短さの中の華でもある。その華は、その人によって違う。その大きさや華やかさそして、華麗さ、美しさもそれぞれである。当然咲かないまま、終わってしまったり、腐り落ちたり、無理やり摘まれてしまうこともあるかもしれない。
それは、まだ私が若い頃こと。このグループの一人に偶然出会ったことがあった。その当時私は、サツキマスなるものを狙ってルアーを投げていた最中の事である。当時たしか使っていたロッドは、今となってはもうその存在もほぼ知られていないCOTAC社のCOMA SPINにMITCHELL630、ユニチカシルバースレッドナイロン6Lbだったと思う。その人は、遠征以外の遊びで時々野ゴイ(しかも巨鯉のmオーバー)を狙っているらしいが、メインはあくまでも遠征離島の磯と言う事だった。その体もボディビルとかで鍛えていたと言って、その太い上腕を見せていた。恐らく、当時の私よりも10歳は上だったと思うのでその人は当時30後半から40代始めと言う感じだった。彼は、小西さんと良く遠征に行くと言っていた。その会話より、磯からの勝負に燃えていた感じが溢れていた。当時は、そのような釣にはあまり興味が無かったのか、はたまたサツキマス釣りの邪魔をされては困ると思ったのかはとうに忘れたが、その詳細もあまり覚えていない。ただ、ここには10㎏オーバーのコイが居て、庭で飼っているとかそんな事を言っていたように思い出された。他には、石鯛釣とかしているとか言っていたようだった。そんな話をほぼ一方的に聞かされたが、それももう過去の話になる。後日のことだが、久々にその巨魚フィッシングを捲ってみるとなんとその彼らしき人物が写っていた。とても面白い縁だと思った。その方が現在も釣りをしているか、はたまたご存命であるかは定かではない。因みにそこで7㎝ミノーに喰ってきた大きな野鯉を禍何度か掛けたが、いずれも20~30分のファイトの後切られた。その殆どは障害物に巻かれてしまったのが原因だが、そもそもタックルがこのトラウトロッドではアンダーパワーだった受けたのは楽しい時間だったように思う。
1992年頃横浜で購入したコマスピン
主にサツキマスを狙ったが後に57㎝程度の小さなイトウをキャッチした
当時18000円くらいだったが、日本製である
まだまだ中国製はほぼ無かった時代
フレンチデザインの香港製MITCHELL630LS
辛うじてオフランスっぽいデザインだった
当時より最早国産リールにかなり後れを取った感があった
当時の“巨魚フィッシング”から、時は既に今は2015年なので27年前と言うことになろう。現在の道具は、当時の道具より遥かに軽量になったが当時はと言えば、細いラインを駆使して取る釣方はまだまだ確立されていなかったと思われるし、専用の道具も無かった時代だった。御関心のある方は、p84~を読んでも面白いと思う。
時間は、足早に流れて行った。
あっと言う間である。3日目と言う現実は、既に後半にさしかかり、泣いても笑っても明日には帰り支度をしなければならないと言う事である。そう言うことも考えながらの釣りである。本日は、勝負に出たいところではある。予期しかねる対戦を願うばかりだった。とは言うものの、やはり相手が自然と言うのは、こちらが勝負に出たいと思っても相手次第である。しかも、その時は何時やってくるか解らない。それが緊張と疲労を繰り返し、ダメージレベルが上がって行く。
JUN曰く、そのアドレナリン緊張状態と、気を抜いた時の疲労感が交互に繰り返されて相当精神的にも肉体的にも追い込まれるらしい。
所謂拷問を受けているに近い心理状態らしい。それはそれでとても大変な精神状態だろう。
「うわあ・・・緊張する~。」
「ああ・・疲れる~。」
そうなのか、確かにそうだ。
今までそう考えてこなかったが、確かにその繰り返しが何度も襲ってくるように思える。そして、最年長の私には、それがかなり堪えてくる。この境地は、なかなかそう出くわす事はない。恐怖にも似た興奮がせり出してはまた疲労に押されて眠くもなり、また興奮。それの繰り返しだった。
間に眠魔の恐怖
確かに拷問に近いような気がする。
監督から
「そろそろだよ~。」
恐怖が更に加速する。
「ああ~眠たい。」
と何げなくぼやく私。
「それをいっちゃ駄目だよぉ!」
即監督のお叱りを受ける。
潮に変化が訪れる。
夜10時を回ったところだった。
先ほどSYUが釣った70cm程のオオメカマスを使う事にする。大きく切ったオオメカマスの切り身餌を投入する。
猛禽類リールから糸が吐き出されていった。
クリッカーを入れ少しラインを送りこんでやる。
いい感じ・・。
いい糸馴染み。
いい流れ。
痛む右肘をかばいつつ、左前構えから左手で竿を持ち、右でラインを送っていった。流れは変わりつつある。
そんな予感がするものの、それは何時来るのかも解らない。
潮の流れと風。
波打つ音。
言い知れぬ恐怖と緊張。
その合間に襲ってくる眠魔。
そして降って涌いてくる緊張の連打。
その狭間の中、スプールに触れている左親指に僅かに摩擦感がする。
「ギィッ・・ギギィ」
同時にクリッカーか鳴き始めの瞬間での事
「イソンボ!!」
「なのか?!」
リールのレバーをストライクに入れる。
即、ずっしりと重さが乗って来る。竿は、大きく弧を描くではないか!
“合わせ!”
左前構え変わらず、そのままバット際で溜めつつ合わせを入れる。
そこはいつもと勝手が違ったが、そこまでは及第点の反応であるとおもった。
ロッドエンドを左わき腹にややアップで溜めて態勢を整えようとするのだが、これが、ベストのベルトに引っかかってしまった。
「ベルト!ベルト!」
そうは叫ぶが、態勢が整っていない。
中途半端な態勢からスタンドに持ち込むのにあまりにも不具合な態勢。
やはり左前構えにて、完全に体が開いてしまっている。
これは、辛い。
良くない。
テンションは、かかったままである。
これが、こと思いのほか重く感じる。
その奥の生命感も更に重く圧し掛かる。
仕方なく、そのまま耐える態勢になった。
ラインは伸びてクリッカーに勢いを与えつつあり、既に悲鳴に変わりつつある。
“これはかなりやばい”
既に冷や汗に変わっている。
そのままリフトする事も出来なく、JUNがフォローに入ってくれているにも関わらず態勢は、今一の左半身構えのままだった。
ただ糸が悲鳴と共に出ていった。
“これはまずい”
“かなりまずい”
“かなりやばい”
態勢もまずいばかりか、目をリールにやると既にラインは、ナイロンはあっと言う間に出されてしまってバッキング近くまで出ていた。
100m以上も走られてしまった。
“磯の暴走族”
とか
“磯のダンプカー”
と過去には呼ばれていたらしいが、勢いに乗ったイソンボは加速に加速をさせた。これは勢いづけてしまった。
“まっマジか!”
相手の猛ダッシュを許してしまう。
正に、昨年の専務状態になってしまう。いやしまっている。ついにラインは、遂にバッキングまで出てしまい、最新鋭のYGKのブレイデッドラインの10号が出て行く。更に糸は出つづけて、120~130m出たところでふっと軽くなった。久々のファイトに、成す術もない状態だった。
これは、流石に堪えた。
あっさりのラインブレイク=糸擦れ切れである。AVETの調子もそうは良くないばかりか痛む肘のせいにもするが、それは単なる言い訳に過ぎない。
否定は誰もしなくても、自ら否定される。
否定の中の否定。
そしてその奥。
その奥は、反省と言うむなしい言葉では決して辿りつかない。
誰が責め無くても。
自分を責めろ。
自責の念を叩きつけろ。
なあ、自分。
これでは勝負にならないではないか。
南方回帰Ⅴ‐影と闇‐残微光‐2015‐3 ― 2025年03月12日 20:25
晩秋の釣り
このような題目の釣り雑誌があっても良さそうだか、そうすると秋しか釣が出来なくなるのでそんな雑誌は出てこないと言う当たり前の話をしてみる
実りの秋が終わると、それは冬への始まりなのだがそれを敢えて話しても何の意味があると言うのであろうか
ただ釣に行くと言う事
それだけな秋
凶悪面構えの牙付き魚
なぜこんな悪態面に見えてしまうのか
性格まで悪いと言う訳ではなさそうな感じなのに
口を閉じるとしっかり収まる
それは、神のみぞ知る
いざ、かの南方へと思うとまだまだ暑いだろうなぁということと、この房総の冷え込んだ朝の服装はどうしたものかということから始まる。その他準備は、計画通りに運ばなくてはならない。なのに、毎年、毎年、ごちゃごちゃと最後は駆け込み気味になるのは今もその前もあまり変わらない。僅か実釣日は何日間かというスケジュールしかない日本人的遠征であるが、半年前から構想を練る必要がある。その間が一番楽しい時と言う釣り人もいる。確かにそう思えたりもするが、この歳になるとそれも薄らいで行くのであった。遠足に行く前のワクワクした少年の頃が遠くに褪せているこの頃。
とても裕福とされる日本人に生まれた幸せと同時に、あくせくと働くバケーションと言う言葉の殆どを知らずに一生を終える我が民族。果たして本当のバケーションと言うのは、欧米並みの12日間の長い休みなのか?それとも、短くても幸せを掴む事ができるかもしれないことなのか?未だに解らないのは、この我が国に住んでいること故なのだろうか。その点は、先進国と言われる我が国は恐らく最低レベルなのだろう。
ただこの遠征で楽なことがひとつある。それは、それが北への遠征であれば、衣類だけで既に重量オーバーになりそうだからだ。所謂服装は、比較にならないほど身軽で軽量ということだ。
昨今の旅行事情は、とりわけ飛行機の荷物制限が必ずつきまとう。それは年々厳しくなり、今はLCCでないにも関わらず総重量が20㎏。パック旅行ならまだしも、釣りとなると(他に大変な装備のスポーツやレジャーは多々ありますが)そうは行かないのである。それもコストを気にしなければ何とでもなるのだが、ついつい貧乏根性が出てくる。恐らく日本の庶民の大半はそう考えるだろう。それを考えていない時点でエコノミーという選択肢は全くでてこない。
荷物のうちの半分は、既に別送しているにも関わらず、既に20㎏は超えている。問題は、ロッドケースだけでも空でも3㎏くらいあり、スーツケースの ハードも4㎏を超える。ロッドの中身は3本で、2.0kgになるかどうかだがパッキンを入れた時点で5㎏超え。スーツケースの中身は殆ど入れる事ができない。完全に中で遊んでいる。
手荷物の方が何故か重い。
それでもなんとか工夫して20㎏にした。
それにしても面倒な作業。
その割にはかの航空会社からは、男のロマン、釣りの旅プラン~などと案内メールが届いたりする。それは、航空会社が釣に対してほとんど理解が無いと判断するしかない。まったくもって。彼らのマーケティングというのはなんなのだろうか。
さてさて羽田にて手荷物を預ける際の事になる。
今回は、予想だにもしない質問が来た。
「お客様、電気のリールをお持ちですか?」
と始めて聞かれた。聞いてみると最近聞くようにと会社から言われたらしい。
今となっては、遠征も電気のリールとやらが主力となってきた事を示唆することなのだろう。そう言えば、何とかTVとかでも遠征先で電動リールを毎回使っているのを思い出した。おそらくは、その際のリチウム電池のことなのだろう。
ジャスト20㎏の重さだったので、なんとかかんとか行きはよいよいと言ったところになったような気がした。
そのような対応のやり取りで少し、ネタになりそうな感もしたが、JUNと二人でのくだらない話になった程度だった。
これは後で落ち合うSYUに言わなければならないネタである。
さてさて、南国へ、旅立つ。
島は、さらに大きく発展していた。
一年経つと幾分活気も出てきたかも知れないが、そろそろ開発も上に伸ばすか、原生林を伐採するかしかないが、今の御時世よほどの利権が絡まない限り森林伐採とはならないだろう。また、無理な開発は後で災害の元であろうからそこも考えてはいる様子なのか。気になる点は、それが外資系だったりすることである。
その日は集合の後、さほどバカを言う事もなく終わった。
強いて言うならば、SYUのホテル場所をちょっとしたÝ監督の勘違いで別館に行ってしまったことくらいの間違え程度だった。
さて、その日の昼時我々は、早々に荷物を出して準備にかかった。
リグも既に予め初日分は作製してある。ここは準備万端というところ。
主力リールのAVETと予備リールSEA LINEには既に耐摩耗ラインが巻いてある。ナイロン24号で90Lb近くの強度もあるそうで、幾分そのオレンジが頼もしくも見えたりした。それも気休めなのかも知れないが。
それでもなんとか午後3時過ぎにはそれなりの出撃態勢になり、初日出撃となった。さてさて、早速現場へ・・・・。
現場に着くと早々にセットする。
期待の一投目。アタリはない。以降これが、予想に反して、全くアタらなかった。投入しても、また投入するも全く音沙汰なしだった。外道のアタリがぽつぽつとくらいでフックアップ(針かかり)には至らなかったのである。その日は竿が一気に曲がることもなかった。これは、渋い。果して魚は、回遊しているのだろうか。
ならば翌日と気合いをいれて出撃するも、本命のアタリはやはり無かった。
風は北東。
肌寒い。
南国の暑さが消える。
星も見えたり見えなかったり。
月は雲の間に見えたり隠れたり。
雲は風に吹き流されて速い。
風を切る音が唸りを上げる。
キャスティングも潮の動きによっては、逆風に向かってのキャストであったりする。これが、なかなか飛距離を阻害する。それとバックラッシュ。
DCコントロール・・・欲しいかも。(と一瞬魔が差す意見が上がるが、しかしDCにこのクラスのリールは無い)
それとはまた違う方向に潮は流れるので、なかなか環境的には苦戦である。そんな中、ヨコスシマクロダイと言う愛嬌のあるお魚をJUNが初めて釣った。サイズは、30cm~40cm程を2本。と言うか一同初めてみる魚種である。なぜか撮影し忘れてしまったようである。それにお決まりのヒメフエダイ。(通称おいしい魚=ミミジャーと言われています)
ここまでガーラ(ロウニンアジ)の姿は、見えない。ガーラにとって水温が低いのだろうか。いや、凶悪な外道達も少ない。何の反応もないのは不安を掻き立てるが、潮が止まる前後にはやつら(コブシメ)がいたずらを仕掛けて来る。しかし、今回のやつらは少し小ぶりなのか、秘密兵器の傘(イカ針)も抱かないので益々ストレスを溜めそうにもなってくる。これでは秘密兵器とは全く呼べない。コブシメのおかず確保も、ほぼ諦め状態である。
ブーンと回転音がしては、回収の繰り返し。
通算で私のAVET RAPTORも早5年が過ぎようとしている。JUNのAVETも、既に3年が経つ。一方SYU先生の最新型のOKUMAアンドロスは調子が良いみたいである。このSYUのANDOROSのブレーキは、少しびっくりした事がある。それはと言うと、てっきりマグネットブレーキ搭載と思っていたのだが、それは、
ダイヤル式のメカニカルブレーキだった。ここら辺もしっかりと使いこなせば、もっとユーザーも快適なのだが果たして何人の方が理解してくれているかは 疑問なところであったりする。まあ、元々国内で売る側も米国での使用を全く参考にしていないようだった。そもそも、そのような使い方をするアングラーが国内に何人いるのか?相当疑問なところで、もしかしたら当方らが初めてではないかとも思う。何せ、売る側の総代理店でもそう使えるとは一言も説明がないのである。しかしながら、このダイヤル式のメカニカルブレーキは初めてなのでてっきりマグネットブレーキだと思いこんだ。後になって思えば、そもそもセンター位置にそれがある事で気付かなければならなかったかもしれない。結果としては、この釣には使えると言うことには間違いなさそうだった。いや使える…十分な性能である。
これがまた凶悪顔のバラフエ・・・そうシガテラ満載のお魚だがその引きもなかなか凶悪である
正に煮ても焼いても食えぬ存在だけれど
ゲームフィシュとしては、なかなかのいやかなりのパワーファイターである
厳しい状況下でも、時々お月さまは現れて我々にも平等に挨拶してくれた。ここには不平等という言葉はない。極めて平等である。
監督も来られて、その日は釣れないなりに外道と戯れたり、半分気休めの冗談を言ったりして、あっと言う間に釣は8時間を超えていた。
風は時々吹きつけて、メガネは潮風で真っ白になる程だが、それなりに楽しい時間であったように思える。釣れないなりの楽しみなのか、まだまだ余裕なのかは解らなかったが、遠征の過ごし方を経験しているメンバーと言うのはとても心強いことだ。いい時も悪い時も仲間というのはいいものだと思う。そんな夜中。
曇り空と風と・・・時々月な夜。
星がメガネの曇りもあって更に霞んで見える夜。
北寄りの風は、何処でも吹きつけて、竿を時々強く煽って行く様である。
「もう明日があるからそろそろ納竿にしようか?」
「はい~・・・。」
そうしてこの2日間があっと言う間に過ぎてしまった。
このような渋い日が続くと帰り道の荷物はずっしりと重くもあり、足取りも重かった。
その後、我々が寝床に入ったのは午前様とはもはや言えない朝4時を超えたところだった。早くもターニングポイントを我々は終えてしまったのである。
その4(3日目)へつづく
南方回帰Ⅴ‐影と闇‐残微光2015‐2 ― 2025年01月14日 14:24
CASTING-試投
2015年購入のTRUTH REEL
SM
結局この会社もその名称を2回替えたことになる
試し打ちでも試切りでもないのは幸いである。
その昔はその対象が人であったりしたからだ。
竿を試し振りで済むのは、それだけ平和な国と言うことなのだろうか・・・
それから30数年以上も経ってからの現実に戻るとする。
秋の房総はとても天候が不安定なのだが、その日は風もそうでもなかった。
そこで、夜時間も空いたので新型リールの試投に行った。
ロッドは、MOON 1363-UM7Pベースのロープロファイルリール仕様でリールシート位置は、大きくストリップガイド(バット)に近くなる。
いきなりブレイデッドラインにロングリーダーでの試投である。
まずは、軽く振ってみる。
マグネットブレーキは強めにと思ったが案外回転数は落ちていない感じだ。
むしろ回転が良く、サミングはもっと強めが必要かと思った程であった。
それと、メカニカルブレーキ併用は必須であった。
しかしそこは、進化に進化を遂げるDCコントロールとは訳が違った。
日本の町工場でも十分製作可能と思われるこの異質なリールは、特別異彩を放っている。このようなリールは、日本の技術があれば直ぐにでもできそうな感じだが、それをやってみようと言う日本人は今のところいない。いや、未来もあまり期待できない。
少しだけ大森製作所のことがまた頭をよぎった。ダイヤモンドリールのことを。高度成長期から数えても、多くの釣具メーカーと言うものが立ち上がり、そして倒産、閉鎖に追い込まれていった。それから、2000年以降もどんどんと倒れて行った。フィッシングショーと言うものも、私がブースに立っていた頃のピークからすると大きく衰退してしまい、今や会場は半分以下の弱小展示会に変わってしまった。それはすなわち、我が国の業界の現状レベルを推し量るには中心指標となると思える。
話を元に戻す。
それではと、次にマグネットブレーキノブをほぼいっぱいに締めてから投げてみる。
グーンともギューンともつかない低い唸りを上げて糸は吐き出されて行った。ラインが細いとルアーの飛行角度やスピードによって途中からでもバックラッシュになりかけようとしながら指をラインが叩く感じが時々発生する。
“これはサミングコントロール”も細かく必要かな。
そう思ってまた投げた。
ああ良く飛ぶなあ。
“ファントムよ、時代はこうなった。”
“世界初電磁誘導ブレーキは決して無駄では無かったよ。”
“そう思える時が過ぎて行った。”
“ラパラモドキのバルサミノーは投げられなかったけど。”
“ダイワ精工もなくなったけど。”
“全く動かなかったロビンもハイロのコピー感満載のコネリーも好きだったし、このバルサミノーもアイ調整しなければまともに動かなかったけど・・・それでも好きでした。”
“コピー全開のあの頃のルアーもないけれど。”
それから何年も経ってからあの“ドリンカー”や“バスジャッカー”、“シーバスハンター”、“リブンシゲーダー”が出てきたのである。
まずはこのリールの癖を掴む事からなので、当然ナイロンから始めるのが一番良いのは解っていたものの、いきなりPE3号でキャストしてみた。ラインは、太ければ太い程トラブルは減って行くのは勿論解っていたけれど、細いとも太いとも言えない3号の8本撚り糸に80Lbナイロンリーダーのコンビ。
その状態で何度か投げると癖に馴れて来たようだ。
馴れてくると、段々と相性が良くなってくる。
そこでついつい距離を伸ばそうと力を入れてしまう。
その行為が、竿の曲がりとその戻りとリールの回転数のバランスを崩してしまう事になる。
そんな、秋の夜の試投。
SUPER MOONとやらの夜。
波間に常夜灯の光と影。
こっそりと投げているつもりでも、これが目立ってしまうようだった。
そこは、房総の港。
かなり向こうでアジングとやらをされている青年が近寄って来た。
ありきたりの挨拶ができるタイプか無視して通り過ぎるかの2択であるとおもうのだが、どうやら彼は前者のようだった。
「こんばんわ。」
「はいこんばんわ。」
「何がつれますか?」
「何もつれませんよ。」
「えっ?」
彼は、明らかにいぶかそうにこちらを向いた。
「何も狙っていないです。」
「・・・・・・・・・。」
「あぁ・・・この道具では何もつれませんよ。」
「・・・・・・・・・・。」
何故か彼は納得がいかないようだった。
「ただのためし投げと言うやつです。」
「あぁ、そう言うことかぁ・・・・・・・。」
彼は、特段に関心のある様子もなくそれがどういう道具かも当然関心がなさそうだった。ただ、鰺狙いでないということは、なんの情報も引き出せないのでさっさと行こう・・・というところだろうか?幾分納得したかの様子だった。
じゃあと言う言葉もなく、そっけもなく距離を置いて過ぎ去った。
現在のコミュニケーションの手筈を少々欠いた感はあったが、それも致し方ないところであろうか。最近は、良くあることだ。
そのような月夜は、全くない会話よりも少しはましな方かもしれなかった。
相変わらずの疑似餌であるギブスのポラリス31/2ozは、これに良く付き合って来てくれた。何も掛かる筈もないのに、やっぱりそのポップ音と前に押し出す水飛沫見たさに竿を操作するのであった。その先には、大きな水柱が立ったかと思ってもみても、ここにはその現実はない。脳裏に焼き付いた過去の水柱が突然脳天を刺激するだけである。
それからこれらを持って何度か試投に行った。
解った事は、結構タイトにメカニカルブレーキとマグネットブレーキを締めてトライした方が良さそうということだった。
それから、そいつ(ポラリス)とは直ぐにお別れになった。
ほぼ20年近く付き合ってくれたポラリス。今でも名品であって欲しい。昔からSimple is bestと何となく言葉を使っているが、その発想が続いていて製品化しているのは本当に必要なものと、そうでないものをはっきり区別したがる性格というか民族性というか。道具は、簡素で使い易く無ければならないという、一つの答えなのか。そして飽きの来ないデザインと言うのは、簡素にある美なのかもしれない。
1990年半代半ばに購入したPENCIL
POPPERとその後の2000年代のPOLARIS(左)いずれもGibbs社を代表するルアー
多くのモノに触れる事は、このありふれた現代社会にもそうないのだろうか。モノの無い時代に選択肢が無いのは当たり前で、それを大事に使う。今の日本には、それが気薄になっているのかと思う。それは、個人がそうしたくても、世の中の流れはそうは行かないと言うことの表れなのかもしれない。それには消費という経済の流れも影響しているのではないかと思う。時代は、大量消費時代なのだ。
南方回帰Ⅴ‐影と闇‐残微光2015‐1 ― 2024年12月31日 01:43
南方回帰Ⅴ
影と闇-残微光2015
Fishing from rocks near the
shore of the ocean
何が影で、それが闇で何が光なのかも明確ではないにも関わらず人はまた求め従う
定めが何かもその光がなんなのかも判らないのに
繰り返す光と闇
そこには、残光さえない恐ろしくも寂しい闇が・・
幸福は、幸福になろうとする光を掴んでいれば、必ず幸せが訪れると信じきる決意がいるのだろうか
ひとつだけ言える事は、幸せは誰もが願う事だが、それを決して諦めてはいけないと言う事である
N氏の勇士を撮影してみる。
さてさて年毎に訪れる人生の消費は、なんともし難くかつその期限が解らないのではなおさらのことである。あっと言う間というありきたりの表現で言わせてもらえば、その如くである。そう思うと長文をだらだらと打ってみても、はたして誰が読み、誰に影響や感動を与えられるかと思うと、それは全く無意味なものに感じてしまう。そう思い始めるとそれは、やる気を削ぐと言うこと以外の何物でもない。おまけに、通称テニス肘とやらで、右肘の痛みは消える事も無く、それが増大しているように感じる。流石にこれは、痛むばかりで、タイピングが更にそれを悪化共助しているみたいである。通称テニス肘(上腕骨外側上顆炎)を患ってみて味わう何度も何時でも迫ってくる痛みとのにらめっこである。
もう今回は止めようかなぁーと思っていると・・・。
「今回は、釣行記書かないのですか?」
とわざわざ質問してくれる後輩がおられたではないか。
幸か不幸か私のくだらない紀行文を読んでくれている人がいるという事は、明日への励みにはなるものの、正直面倒くさい症候群の兆しの今日である。
面倒くさいということを理由に書かない事を決めると正にそれは、更に敗北感がするので、なんとか重い腰を上げて打ち込む事にした。
しかも、これをやり始めると他に何も出来なくなってしまうネックもある。
素人なりにそれは大変だったりする。
執筆を本業とするプロとは遥かに自己趣味の延長線上のものなら好き勝手と思うのだが、それでも思いどおりには行かないのが現状である。とても何とかライターとか言える口ではない。もちろんそれをいとも簡単に申す人も昨今では少なからずいるらしい。何人かそれを知ってはいる。ライターと言えば少しカッコよくなった気にもなるが、その内容はまちまちなのは皆が知っての通りだろう。
昨今では、釣と言う話題すらもっぱらその主力は動画になり、動きを言葉で伝える事もそう多くは無くなった感は否めない。しかしながら、言葉が示す独特の響きは、読む人の思いを巡らせて想像力を働かせる。百聞は一見にしかずと言うことわざがあるが、それも今の動画では説得力が無さ過ぎる様にも思える。
所詮バーチャルなのか、自由に構成できるのか、必ずともそれが真実では無いようである。便利で誰でも解るこの動画は、新しい境地を見いだしてくれて、世界をますます狭くしてくれるのだが、なんでも度が過ぎるという事は真実を超えてしまうと思うこの頃である。そうかと言って、未だ現役の釣り雑誌の部類は明瞭会計の如く未だそのコンセプトのブレがないのかどうなのか解らないが続いているのは凄い事である。しかも、それがおまけDVDまで付録として付いているゴージャスさであるが、素人に近いホームビデオレベル以下のものも少なくないという。実際そのようなホームビデオの延長のようなDVDを何度か視た。実に面白くなかった。それは二度視ることもない内容に過ぎず、釣雑誌のくだらない記事の延長線上にあるただのディスクというものに過ぎない。実に、意味がないことか。
そんな肘を痛めて早一月が過ぎようとしている私。
そして、またいつもその時間が来てしまうのである。
房総の夜。
静かに訪れる夜は、いつものことだった。
秋口を過ぎると、少しばかり夜が長くなって来た。
月夜は、その光りと明るさをもたらすが、闇夜はすべてを覆う様でやる気を少し奪って行く気がする。それは、その満月よりも釣れそうなのですがね。
そのような田舎の夜。
静寂な夜。
それにしとしとと降る雨の音。
秋の空と空気は、静かに訪れては消えていくようである。
そんな夜。
CASTING-試投前夜
旧ダイワ精工製ミリオネアST-40
その昔(またかよ・・・と思う人も多いかとは思うが、今後もこの路線は展開されると思って頂いて間違いなさそう)の事、旧ダイワ精工が誇る?ファントムマグサーボと言う名品?があった。当時は、どうみてもフィンランド製のRapalaというルアーをその日頃の小遣いでは買えない子供が買う事ができたと言っても良い“ダイワバルサミノー3.5g”も投げる事ができてなおかつ、パーマと呼ばれたバックラッシュに対する救世主として急浮上した、電磁誘導ブレーキ搭載のダイワファントムマグサーボ。その電磁誘導ブレーキが効いて、脅威のバックラッシュ(パーマ)防止に役立つというTVCMに心躍らせたものであった。
(全ての記憶が頭の中に残っているのではないけれど)
しかし、当時はまだBait casting reelと言えば、まだまだABUだった時代に生きていた私は、可能であればあの北欧の輝く名品が欲しいと願うのであった。良き時代であり、モノがまだ溢れていない時代であり、道具と言うものの個性が光っていた時代でもあった。それは、それぞれの国がその特徴的なデザインと性能で勝負して世界へ出ていった時代である。ABUは、スウェーデンが誇る釣具会社であったのだ。実に、北欧の雰囲気の中にある遠い存在だった。
今でこそ、ロープロファイルで高速ギアが主力の様にも思えるベイトリール市場だが、この頃のデザインも未だ誕生前夜であり、ギアボックスをそのラウンドフレーム内に内蔵すると言う発想しか見当たらない時代なので、あの形状は、80年代独特の中途半端な出来具合の時代だったように思える。そんなデザインでも今の若者には斬新らしい。
後で師匠に聞いた話では、(また私の記憶も正しければ)高速ギアコンベンショナルリールを最初に開発したのはダイワだったと言うことだった。そしてその名は、SEALINE SHシリーズがその元祖と言うことらしい。そのギア比1:6.0と言う当時としては超高速であったと記憶している。
その後、90年代半ば過ぎになって 同社は、ジギング専用ベイトリールとしてこれをベースにグランウェーブと言うリールを発売したと記憶している。
(筆者はその初期型を所有していたが今から15年くらい前に手放してしまったのでその画像等はない)
なぜそれが今頃になって思い出させるのか疑問だが、よくよく考えてみると、それは今でもマグネットブレーキが主力ブレーキシステムの一翼を担っているからでもあり、現役の機構である事もさることながら、あのマグサーボがここまで進化しているのか、とても関心がある部分でもあったのかもしれない。(実際は大して発展はないと思うのだが)
それは、今(2015年)から遡る事、30数年前の事。
それに影響を真っ先に受けたのは当人(筆者)の弟であった。
その一万円を超える価格に躊躇した私をよそに、なんと弟はそのお年玉と言う子供最大の武器を片手に、呉の“ささき釣具”へまっしぐらであった。
今思えば値引きも価格も健全だったのであろうか?
当時店内にはmade in China と称されているものは1つも無かったと思う。国産主体の品ぞろえで、高級品はすべて輸入品の舶来品と言った。
また店の活気は、凄まじいものだった。
イワイソメ(ホンムシ)やユムシ(コウジ)などは、とても子供が買える代物では無かった。チヌ狙いのモエビも升売りだったが、大人達は勿論なんの躊躇も無かった。大人達は、こぞって高級サーフリールを買い、餌もいわゆる大人買いであった。厳密には当時の子供でも買えたのであるが、それは量り売りと言うマジックに成り立つもので、とても大人の真似はできない所謂子供。
餌に1000円札数枚と言う驚愕の支払いは全くと言っていいほど不可能であった。定かでないが1980年でユムシは1匹150円から200円前後であったかと思う。それを20匹とか30匹とか・・・あり得ない話であるが、経済力のある大人の釣の世界では普通だったのであろう。そのおじさん達の目標は、マダイやクロダイ、大型アイナメであったのであろう。それも土曜は、はんどんといい、午後から基本フリーだったように思う。次の日である日曜日の早朝もしくは、その土曜の夜から夜釣りが当時の高度成長期の一般的労働者の流れだったように思う。今思うと労働条件は、かなり今と比べると悪く、有給という買い取りがまだまだ横行していた時代である。休みなし、なんて週もざらだったように思う。
その大人達の熱気の中を掻い潜って、弟は堂々のマグサーボを手中にしたのであった。これには私は驚いた。2つ下の弟が年一回とは言え、一気にそれを手中にしたからである。今思えば、それは釣具店の一コマにさえならない日常の流れだったと思える。それは、一瞬の出来事であり、それを凌駕する大人達の景気に上乗せされた消費をどんどん促していったのである。
「にいちゃんついにこうたど~!」
誇り高く物言いする弟には、このリールに対する期待感と夢を相乗させ、昇華させて言った。もはやそれは、 妄想に近い理想の形の夢の釣具に見えたに違いない。しかも、お年玉という子供の最大の武器を使ってである。がしかし、その少年の理想や夢、空想は、一気に崩れさる歯目になることをまだ我々兄弟は知る由も無かったのである。
「糸ななんにするかのう」
「ルアール(ダン)にするかストレーンにするか?」
「やっぱりストレーンの4号16ぽんどじゃろう。」
ルアールとは、当時ダン社が開発したルアー用カモフラカラーラインだった。
当時はそう抵抗もなく、受け入れたライン=ルアールだったが、それを受け入れた理由は、店主の強力かつゴリ押し気味の薦めと、その価格であった。ある意味それは、古き良き時代の現在でいう一押し商品だったに違いない。
それは“ささき”の歴史を見て来た古びたケースに連結スプールで収納していた。
「ルアールください。」
と言うと、ささきの当時おねえさんはそれを快く出してくれた。そのお姉さんは今では良い御婦人になられたが、末っ子と尋ねた今年(2015)のお正月には、まだまだお元気そうだった。少しだけほっこりと安心した。親子二代でお世話になった。それはそれでとても嬉しかった。ささきのお姉さんは、それなりにお歳を召されてしまったが、その心は和やかになった気がしたのは私だけであろうか?ワームもまだバラ売りされていた。末っ子はそれを喜んで選んでいた。昭和の当たり前の時代からそれは極レアな景色に違いない。
一方ストレーンは、当時DAIWAが主力で展開していたアメリカDu Pont社のナイロンラインだった。所謂輸入品であった為、その価格差は歴然であったが、信頼も厚かった。選択肢がそう無い時代の所謂信頼品であったようにも思える。勿論当時の我々にIGFAクラスの言葉や意味は全くチンプンカンプンであったのは言うまでもないが、その言葉は周りの大人にも解らなかったのである。またその10年前程は、ドラグ機能を使うと言うのも当時はレアなケースであったと思う。ドラグは前ネジだと思っていた私は、周りの大人がそう思っていたからである。DAIWAといえばストレーン。懐かしい時代だった。
はたして意気揚々と当時勝手に最新鋭と思い込んだこのコンビネーションで挑んだマグサーボは・・・・・いかに・・・・。
「あれ、ぜんぜんとばん・・・・。」
「電磁ブレーキがつよいんじゃぁないか?」
「ほうかのう・・・・」
「やっぱりとばん・・・」
「ほんまかぁ?」
「あらほんま・・・・。」
これには言葉を失った。
バルサミノーはおろか、Heddonのタイニークラスも論外であった。
「これは、こわれとんかも・・・・しれん・・。」
「こがあな、ことはないじゃろう。」
「テレビではぶち飛ぶかんじがしたけえのう・・・」
落胆は最大限にして最悪状態だった。
子供二人は、後悔の念が渦巻く。知恵を絞った。
子供ながらに打開策を考えた。それはと言うと、父親がダイワの工場に勤めていた友人にこの製品が不良なのか故障なのかを調べてもらうこと。そして壊れていたら直してもらう。それを実現する為に、その友人に依頼したのである。
当時はおおらかだった時代背景もあり、無事リールは熊野工場へ行った。友人の父親は、検査してくれた。とてもありがたかった。
回答は、というと
「どこもこわれとらん。」
と言う事だった。
「ほんまかぁ?」
「・・・・・・・・・」
我々は、また当然言葉を失ったのである。ああ、あの暗い衝撃は闇夜の一撃な気がした。当時国産最新鋭の超高性能ブレーキ付リールが、私達兄弟の中で急坂を転げ落ちていく瞬間だった。
「つ、つかえん…。」
それで半分諦めた頃、弟はそれなりに何とか投げる事は可能になり、ギリギリのウエイトであるヘドンタドポリーブラックで30㎝くらいのバスを釣った。良くもまあ、高額なヘドンルアーを買えたものである。しかも、どうみても釣れそうもない形状とカラー。無機物間満載のもの。驚きだった。
それから、彼が中学に上がった頃、釣りの回数はめっきり減り、そのままお倉入りする事になった。とってもつまらない部活に追われる日々だったように思う。なんで空手部もボクシング部もないんじゃあ。柔道部ですらない。一体何に入れというんじゃ。
その頃には、勉強もろくにしていないのに受験生と言う名目で私も釣りがめっきり減った。引っ越し先から海が少し遠くなったのもそれを加速させた。自転車では海に行けなくなったのである。
高校時代になると、更にそれは加速して行った。私は、高校の往復等に時間を費やしていった。次第にますます物理的に時間が取れなくなっていった事もある。時代は、子供の沢山いる時代競争というプレッシャーは高校生にも及んだ。とても詰め込みで、受験戦争とやらは加熱して行ったように思う。もちろん予備校は大いに栄えた時代である。
さてリールに話を戻すことにする。
結局のところ最新鋭のダイワファントムマグサーボSS10は、皮肉な事にブレーキもドラグも付いていない私のダイワのミリオネアGS1000cの方がその飛距離が出たと記憶している。
今思えば、最初からヘドンマグナムクラスを使っていれば、より問題は無かった様にも思えるが、誇大広告気味に感じた少年の頃の大人の会社社会のCMの存在は、鵜呑みにしてはならないと学習したようにも感じたのであった。最初からABUを買えば良かった・・・なんて・・・そう思ったが、そのお年玉の範囲では到底届く事のない、大人の高尚な趣味道具だったように思える。それだけ海外品は子供とは無縁のところにあった。
それからの80年代初頭もしばらくは、ABUの開発した自動遠心ブレーキ全盛期がまだまだ最高とされ、その後の機種でも主力であった。しかしながらマグネットブレーキは、より進化を遂げ続け、遂にその座を譲った様にも思えた。
それから30年以上過ぎてみると、それぞれ進化を遂げて今も生き残っている様である。しかも、一番エントリークラスに最も採用されているブレーキシステムになったのである。ここは、当時のダイワ精工の技術と先見の目があったのだろう・・・恐らく。
スウェーデン王室のエンブレムは、高貴で高尚に思えた昭和の50年そこそこである。そのABUも今となっては、興味の対象から大きくその本質を失ってサブのサブとして扱うようになった。ましてやもうABU社という存在はない。単なる買収された1ブランドに過ぎない。ただし、未だ世界一のベイトリールバリエーションの多さから、選択肢の中心にあるのは否めないのが現状である。とりわけREVOは、韓国製だが同社の高級仕様なのはおそらく間違いないであろう。たとえ、それが耐久性に大きく欠けるプラパーツが多くなったとしても・・・である。(ここは、物凄く残念ですが仕方ありません。)
また現在のそれを扱う営業マン達は、そう彼らの看板であるABU製品の事を殆ど知らなくなった事がとても寂しいが、それも時代と共に忘れられて行くのだろうか。
とある若者に「ABUって安もののすぐ壊れるメーカーですよね?」と聞かれ思わず
「そうだなぁ。」と言わざるを得なかった。
亡霊を掴み取ろうともがく子供の私の心とは別に。
北欧の誇り高き亡霊様。
どうか、その亡霊が跡形もなくなりそうな気がしてならない。
南方回帰Ⅴ‐影と闇‐0 ― 2024年11月30日 17:53
いよいよ2024年も、あと30日あまりとなりました。いよいよ年の瀬が迫って参りましたがそれも毎年のことです。千葉も急に寒くなり、外房と言ってもそれなりに冬支度です。それも22年間付き合ってきました。炬燵も引っ張り出してきました。それでも、雪や霜が降りるのは年を越して数度あるかないかになってはきました。
ようやくですが、南方回帰シリーズⅤの編集が終わりました。(といっても完璧ではないので、そこはすみません)あとがきでもまた重複してしまうのでここでは多くは延べません。
それでは、南方回帰-Ⅴ-影と闇のその1からアップになります。序と言ってはなんですが本編及びあとがきに掲載しなかった画像の何枚かアップしておきます。
Truth
Reel SGとSM(2015年撮影)
その後Truthという真実の銘は終わりを告げる
OKUMA
RB20(2015年撮影)
特に意味はないが2015年当時、本編Androsと当時期に撮影した
プッシュボタン式はリアドラグに多く見られるシステムである
おそらく元祖はABU製品ではなかろうか
1990年代から2000年初頭のエントリーモデルを彷彿させる
一応撮影してよかった
南方回帰Ⅴ-影と闇-15その1へつづく
南方回帰Ⅳ-影と闇と残光2014-17あとがき ― 2023年06月26日 18:20
中央3pcsが新型CT1003-GTRK-UM-ARMOR
あとがき
誰でも過去は振り返るものですが、若者は先を見据えて行かなければなりません。それは、後で過去を振り返るにしても栄光と挫折を語らなければならないからです。挫折は多くの人が必ず味わうことですが、それが無意味とは私は思いません。2022年からすると、既にひと昔前の話になるこの2014年の暮れでの釣りもそんな人生の一コマでしかありません。それもどこかに書き留めていないとその記憶も曖昧になってしまい、歳を重ねる毎に忘れて行くことになるでしょう。また、記憶に残るようにデーターを保管していても、それを顧みる人がいないとそれは、単なるゴミにしかなりません。例えそれを引き継ぐ親族がいたとしても多くは消えていき、その足跡も風化して消えて行く運命なのかもしれません。自分が若い頃は、そんなことを微塵にも考えたこともありませんでした。当時の道具で当時の実績をより重ねること以外に興味がなかったのかもしれません。いつも申し上げているかもしれませんが、道具というものは、30年も過ぎるとかなり違うものです。比較的クラッシックな様式美を重んじる傾向にあるフライフィッシングにおいても、ブランクの性能やガイド、そして一見なにも変わっていないようなリールでさえ、その耐久性やドラグ性能はアップデートされていくようです。
それと異なり、魚というものはその100年、200年、そのまた100年後でも進化することはあり得ません。いつも申し上げていることですが、環境が大きく変わることがある昨今でも、魚は変わりません。(そう簡単には進化しません。)
私は、3歳の頃より魚と親しみ釣りや自然を体験してきました。一応不出来ながら大学の専攻も水産学部水産増殖学科魚類生理学専攻ですが、その名前というと現在はありません。また、懐かしいそのキャンパスも今は研修所になっています。それも当時の私からは全く想像もつきません。その後の人生も全く解りませんでした。解らないことばかりです。それが未来というものであれば、それが解っていれば、ああした、こうした、こうできたと分かるのですが、それも全く解らないものです。そうして10年が過ぎ、20年が過ぎて、30年が過ぎ、更に年数を重ねるとあっという間に生きていれば老人です。そんな短い人生の中での釣りの思い出は一体なんなのかと思います。それを単なる親父の趣味としては真に残念でもったいない気がしますが、人はふつう本人以外のことはあまり関心のないのが現実です。誰それがこんな魚を、こんな記録を、どんな釣法をなんていうことなど後の人にとってはどうでもいいことです。そんな中にある釣具会社というものも全くもって忘れられてしまうものです。この間にも多くの釣具会社が出てきては倒産していきました。それだけとっても解らないことだらけの人生であるとするならば、先人の辿った道を顧みてもいいのかもしれません。
この南方回帰シリーズも勝手にⅣまでになりました。そのⅤも既にある程度書き終わっていますので、若干の手直しをして近い将来勝手にまた更新してアップすることに致します。誰も期待していないでしょうけれどそれではここであとがきを終えたいと思います。
2022年6月吉日
2023年6月26日追記
月竿代表
南方回帰Ⅳ-影と闇と残光2014-16 ― 2023年06月20日 01:22
贅沢にも監督のお勧めの軟骨ソーキそば。それも軟骨ソーキ倍増設定の特注八重山そばは、胃袋を十分満足させてくれた。今回も様々な出来事があり、ギリギリまで島に居た。
明日からの現実が大きく見えてきたころ、監督の見送りに手を上げて答えた。
なんとも辛くも、楽しい紀行であった。
マスターオリジナルカレー
ゴーヤがハイインパクト
これが、明日への現実へと繋がるかどうかは、我々次第であるが、点と点は線でつなぐのが一番良い方向なのかもしれない。この島々は、この先も我が国の固有の領土であって欲しいと思うが、本島とのギャップに悩む頃、保安庁の船は何隻も係留されていた。中には、独立や大陸の植民地を選ぶと言う事も聞くが、果たしてその先にはもっと明るい未来があるとは到底思えないのだが。どの国の人も植民地が良いと言う人は無いと思うが、そこは少し信じがたい意見だった。
2014年も終わりを告げようとしていた。
特注軟骨ソーキ倍増そば
帰りの荷物は限界まで手持ちとなり、愛竿達も手持ちになった。恐らく、お土産がそのうち最低5㎏はあったと思う。なんとかかんとか、空港に降り立ち着いたがそこからがまた長かった。バスを待つこと2時間、何もすることはないが、離島から田舎道へのアクセスはその10年前よりは良くなったものの流行り田舎の不便なアクセス。それも旅ならば敢えて受け入れる。
バスを降りると、北風は更に冷たくなった。
「おおお、さぶ~。」
心が冷え固まる前に次への計画を立てないとまたまた凍結してしまいそうだった。まあ、いつも解凍作業からの計画であるから、特段何がと言う事もないが。
2015年という年が一体どういう年になるのだろうかと考える時、いっそ心は閉ざされようとした。
光と闇。
星と夜。
その先の天。
琉球への旅は、ここでは終わりそうもなく、おそらくは続くかもしれない。
さて、次は何処で待ってくれているのだろうか。
その5は・・未来へつづく
南方回帰Ⅳ-影と闇と残光2014-15 ― 2023年06月14日 17:38
反省会と言う名の小さな宴会
イソマグロとヨコシマクロダイの刺身
イソマグロはほぼこの鮮度が釣人では難しい
ヨコシマクロダイは、初めて食したがこれが絶品だった
仲間と酌み交わした酒とあるが、酌み交わしたのはオリオンとサンピンだった。しかしながら、その気持ちと心は変わらない。これほど良い時間は、短い人生にとってそう多くはないのではないか。孤独と仲間どっちを取るかといえば、間違いなく仲間である。恐らくそれは大半の人がそうだと思うのだが。極稀に孤独がいい人もいるのかもしれない。
その後に交わした会話は、当然ドラグ値のプリセットのことだった。
Y監督は、この状況が全く理解できていなかったが、やり取りさえ満足にできないまま糸が切れた事だけはしっかりと認識していた。
「それじゃ、とれないよ。」
「全く獲れる気がしないねぇ。」
と、いやごもっとも。最もやってはいけない事の代表格をやってしまったのだからなんの言い訳も成り立たないのは、専務自身が良く知っていた。その後、確認、議論及び反省会を執り行ったのは当然の事でもあり、自然な事でもあったようだ。
それは、翌日の昼間だったのだが、改めて確認したところ・・・。
“ドラグをFULLポジションに上げたのか?”
と言う質問に対して、なんと上げていなかったと言う事であった。
何故上げなかったのかと言う事に対して専務は、フルポジション=ロックと勘違いしていた事をその時始めて知ったのであった。
なんと、そこに穴があったか・・・。私もそこを反省した。
そこまで彼には説明していなかったからである。
FULL=LOCKではない。また昨今の和製英語のフルロックは、ちょっとおかしい表現になろうかと思う。
この事が、仇になったとは。
あの2~3㎏のドラグテンションであれば、FULLに上げたとしても1㎏上がるかどうかだったと思うのだが、 それが仮に1㎏でも上がっていれば、止まったかも?知れない。仮にそうだとしても、獲れると言う保障は全く無かったが、プラススプール横をグローブで押えていれば何とかなったかもしれない。
そこで、デモ、シカは禁句なのだがどうしても言ってしまう。
「そこで一旦止まっていれば、プリセットし直せたかも?」
などと話してみても、それは全て後の祭りである。そもそも、ドラグが何故緩んでいたのか?と言う疑問が最初に生じるのだが、その点が今回の最大の失敗であったのは言うまでもない。
これは、そもそも釣り始める前にレバーのストライクポジションでのドラグ値を確認し怠ったのがそもそもの原因である。後の祭りとはこのことであるが仕方がない。
後の後悔先に立たず。
そのどれをとっても当てはまる。
私も専務への確認を怠ったのも敗因の一つでもある。確認は、大事だと再認識した。
ここで更にY監督の手厳しいご指導が、いっそ怖くなったのである。
それからもY監督の痛い恐怖指導が続くのであった。
Y監督から差し入れの野菜ジュースを頂きながらのご指導だった。
さて、お昼ご飯となった。その日は、Yコーチ改め、監督、専務、私の3人でと先日釣ったイソンボのお造りと、タマンの薄造り、イソンボ腹身の炙り少々、煮付け少々と島おにぎり、さんぴん茶と専務はオリオンビール。
ささやかであるが、島のごちそうだった。おにぎりには、伝統?のスパムが挟まれている。
そして、時々、監督の厳しいご意見がまたとうとうと続くのである。
イソンボのハラミ
この状態のイソマグロハラミはなかなかお目にかかれない
質素だが楽しい宴会、いや反省会。
さてさて、野人の捌いてくれたイソンボの腹身は、私の予想よりも遥かに身が硬かった。あと1日寝かせなければ味の濃さもまだまだと言う感じだった。そう言えば20年前、F先生と島のすし屋で食べたあの握りは一体なんだったんだろう。口の中でぐしゃりと潰れてしまうあの味気ないネタを思い出した。Y監督に5年前、御馳走になった定食のマグロの味噌和えはなんだったのだろう。それと同じ魚には、思えなかった程に鮮度は保たれていた。
あとは、どれだけ上手に熟成出来るかなのだが。
そのような小宴会場での時の流れは止まったようにも感じられたが、止まってはいなかった。
ここにも壁掛け時計がしっかりと時を刻んでいたのであるから・・・・。
小宴会も早々、後片付けをする。
ハラミの部分
大トロなどという表現とは程遠いが最下部の脂肪に見えるのは結合組織なのかとても硬い
火を入れてみるがこれがなかなかでキャキシャキな歯ごたえだった
反省会後、それから、釣具の準備にとりかかった。
本日の専務はと言うと、仕掛け総入れ替えとなった。一気に、道糸と仕掛けを失って非常に忙しそうにも見えた。対して、私の方は、バラフエの5㎏強くらいのを1本釣っただけでそう慌てる事も無かったが、コブシメのイジメには逢ってしまいワイロンは、ボロボロだった。ワイロンは被膜とソフトさが命であるから、そのどちらかが欠けてもNGである。ワイロンの欠点は、そこにある。
風は一気に北に代わり、気温がぐっと下がっていった。島は、一気に真冬になった。半袖では、とても寒くなって来たので長袖と上着を着る。更に風も雨も強くなった。時折その雨足は、屋根を打ちつけて来る。
それが我々を不安にさせた。
それでも北であるから、師匠はポイントへは問題ないと言ったので若干安心した。
“そうだ、冬はこの感じの釣りだったな”
いつものように現場に向かい車を降りると案の定、風はものすごかった。そして予報通り、一気に寒くなっていた。
歩く工程は、その風により倍の辛さがあった。汗よりも、荷物の上に強風で吹き飛ばされそうな感じだった。ビュービューと強風が我々に容赦なく吹き付けたが、それでも最後と移動を始めた。これは辛い。専務も監督も風が凄いし、雨が酷いなんて言うものの落ち着いたものだった。崖から見下ろすと、荒れ模様の海上でこの急な天候の変化に果たして魚が掛かるのかと言う不安も少しずつ出始めた。がそれはいつものこと、我々に明日と言う日は無いのはわかっている。泣いても笑っても最終日には変わりないのである。
北風のフォローもあって仕掛けは良く飛んでくれるし、バックラッシュの心配も殆ど無かったが、磯に立つ我々には過酷な環境であった。今回の遠征では、もう必要ないと思っていた長袖を着こみ、風雨対策にと予備に積んできた、レインギアの上下を取り出した。流石に今日は、防寒具もフル稼働で、役にたったと同時にここの準備を怠らなくて良かったと思った。万が一に備えて持参するのは、アウトドアスポーツには鉄則である。今日は、その備えの有り難さを実感する事となった。
吹きつける北風。
体を吹きぬけては、体温を奪って行く。
そして、追い打ちの雨。
よこなぶり。
体感温度はかなり低く感じた。
フードまで被っての本日となった。
実弾も底をついてきたので、まずはコバンくんを始めとした、ベイトの確保から入った。そのような状況1時間が過ぎると、体力もかなり落ちて行った。
体温が奪われる。
そこで、冷やしておいた水をクーラーボックス外に出し、その水温を上げた。
こんな日に冷水は、更に体温を奪うのでNGである。
雨の合間を縫って、菓子パンを齧って体力を補おうとした。
それから2時間が過ぎても、反応は全く無かった。
とても辛くなってはきたものの、まだ諦めてはいない。
監督が、崖を上がって風の様子を見に行った。
暫くすると
「おお、凄い風だよ!」
「吹き飛ばされそうだ!」
そう言うと、何やら歌など謳われている様子だった。
月が雲に覆われて隠れていた。
雲と雲の間に僅かに出てはまた隠れた。
光と光の狭間。
闇の中の闇と雲。
心も闇の中。
光は何処に見えるのか。
闇の月
BLACK MOON
ブラックムーン。
黒い心と闇と鬱。
光と希望。
それが交互に映って行く。
流石に3時間。
この風雨に晒されて、体力も更に低下して行った。それでも私と専務は、希望を捨てることは出来ずに最後の望みにかけた。
万が一の餌不足対策として、コバンアジを確保する。ことのほか、こいつの皮はものすごく硬かった。カットゴリラ針でさえ、ある程度貫通させるのに力を要したのには少しびっくりした。更に潮止まりともなると、このような状況でもコブシメのバイトは、何度もあった。彼らは、どれだけ餌に執着するのか。
4時間が過ぎて、更に希望が薄らいできた。
全く持って本命の反応はない。
開始から6時間が過ぎた頃のこと。
専務に待望の反応があった。
「なんか、怪しい反応だなぁ。」
「また、外道かな・・・・。」
専務は、完全に気を抜いていた。
その言葉を聞いて、一先ずテンションを下げた私ではあったが少し気になった。
「判らんよ、ちょっと寄せて合わせてみたら?」
専務は、それを聞いて、次のアタリでその如くに合わせを入れてみた。
13.6fを1回煽り、二回目の追い合わせを入れた。
するとそいつは、一気に沖を目指して勢い良く糸が走りだした。
「ああっ、それはイソンボだよ!!」
それから、専務は、我に帰った如く、必死の形相に代わった。
その間が果たして良かったのか、悪かったのか、奴は沖にぐんぐんを走りだした。ギューン、ギューンとリールからクリッカー音がけたたましく夜空と風の狭間に鳴り響き、竿は弧を描いたまま一度もポンピング出来ないでいた。
魚は、勢いを増してどんどん沖を目指して行く。彼が完全に腰を落としての姿勢を確認してから、何とか映像に撮っておきたいと考えた。
ここは、デジカメよりもムービーに残したい。
“ええと、撮影、撮影”
監督に任せたいところではあったが、監督は撮影する事は出来ないので、私がカメラを取りだす事になった。
漸くセットして、スイッチを入れた。
糸は、相当出されている事が気になった。
ギリギリリとリールが音を出したままで更に焦りを誘うのであった。
クリッカー音に紛れてナイロンのパリパリと弾ける音が合い重なった。
「ああああ、っ・・・・・。」
「えっ・・・・。」
「まさか・・・・。」
そこで落胆してしまった。
「やはり気を抜くと駄目なんだよな~。」
と監督からも厳しい意見が下された。
後にも先にも本日の一撃は、この一発だった。
重い水達をすべて磯場に撒いて、掃除片付けに入った。
食べ物もすべて片付けた。
餌ももう残ってはいない。
補充したコバンアジももう必要なくなった。
ここでストップフィッシングとなった。
その後、監督はおろか師匠からもお叱りを受けた事は言うまでもないが、専務はそれを喜びながら受けていた。最後は、実践と現実を受け入れた分がすべて財産なのを我々は知っている。いくら情報がありふれて、氾濫してやまないバーチャルや動画の世界では決して悟り得る事もない、現実で結ばれた体験と人間関係。最後はそれに尽きるのではなかろうか。
釣りと言う行為は、バーチャルゲームでも動画だけの世界でもない。
そこには、実践のみが全てなのである。情報や動画は、目標を掴む為の一手段に過ぎない。また、その人が積み上げたものでも経験したように見えてもそれは見えただけ。
何も残る事はない。
そのような当たり前の事ですら、私達は忘れてしまう場合があるのはとても残念である。














































































