簑魚のゆくえ特別番外編-竜王の使い-2024年10月08日 15:42

簑魚のゆくえ

ミノウオ1

特別番外編


岡田光紀著

竜王の使い


全日本希少魚保護協議会会報第11


にっぽんつくりばなし

四万十の夜


 昔々、ずうっと大昔のことです。

四万十川が海に流れ込むところより、ほんの少しだけ上手に大きな島がありました。島は川の中にポッカリと浮いたようで、それはそれは驚く程大きなエノキの木に囲まれた緑一色の美しい島でした。

 夏には島のまわりの水の中にアマモが茂り、その中にはたくさんの魚の仔が育ち、冬には一面ジュウタンのようなアオノリが育ち、島のまわりのエノキには、枝が折れるほどのたくさんの鳥達が止まって羽を休め、生き物の楽園のようでした。

 その島には二人の若い漁師が暮らしており、一人は弥助、もう一人は与助といいます。

 弥助も与助も丸太をくり抜いた小さな船で、ウナギ、スズキ、チヌ、コイ、ナマズ、ボラ、エバ、スミヒキ、アユ、そして、エビだのカニだの様々な川の幸を獲って生活をしていました。

ミノウオ2


 ある冬の風の凪いだ真夜中のことです。弥助と与助が舟を横に連ねて、タイ松の灯りをたよりにつきん棒漁でスズキやミノウオを獲っていた時のことです。

 二人の船の先に一そうの船がぼやーっと見えてきました。これまでに見たこともない形の船です。その船の上には人影も見えます。

 近づいてみると、まっ白な長いヒゲをたくわえた見知らぬ老人でした。

その老人が気になった弥助は老人に声をかけました。

「ジイさんジイさん、あなたはどこの漁師さんですか。」

白ヒゲの老人は答えました。

「ワシは、この沖の海の中にあるオガタゴウリという島のものじゃ。」

与助が言います。

「そんな島があるとは知らんが、そんな沖の人がどうしてこんな川の中まで来て、釣なんぞ古くさい漁をしておるんじゃ。そんな漁じゃ銭もうけ出来んぞ。」

 白ヒゲの老人は少しだまっていましたが、キリッとした眼を与助に向けてこう言いました。

 「お前様達は、暗夜にタイ松の灯りをつけて、つきん棒漁でミノウオを獲っておりなさるようじゃが、たくさん獲ることはつつしみなされるが良かろう。その魚は竜宮よりの使いで海と川を行き来して、川の民達に幸福(さいわい)をもたらしておるものじゃ。毎年毎年たくさんのミノウオを殺しておると竜王様が怒り、いずれ災いをもたらすことになるぞ、ワシの言うことを信じようが信じまいがお前様方の勝手じゃが、ワシの言うたこと、夢々忘れるでないぞ。」

ミノウオ3


 弥助も与助も老人の言うことを、馬鹿らしいと思い、聞く耳を持たず、又、つきん棒漁を始めました。カイをこいで老人の乗った船の脇をすり抜けて上手に廻ったすぐ後のことです。グァボーンと言うとてつもない水音に驚いていまが今しがた通った下手を振り返ったのですが、そこには何もなかったように、川の水が静かに流れているだけでした。

ミノウオ4


 それから後は、全く魚の姿が見えず漁にならなくて、二人は戻ることにしました。帰りの舟をこぎながら二人は今夜出逢った老人の話をしました。

 弥助はこう言いました。

「あのジイさんの言うておったことは本当かもしれん。オラはもうミノウオ漁はやめにしようかとおもうんじゃが。」

与助がこう言いかえします。

「なあに、そんな話はウソに決まっておる。本気にする方がおかしいぞ。どうせあのジジイはオラ達が大物のミノウオを獲るのを知ってうらめしく思っておるだけじゃ。オラはやめんぞ。獲って獲って獲りまくって大金持ちになってやる。」

 次の日から弥助はプッツリとミノウオ漁を止めてしまいました。でも与助は、毎日毎日ミノウオ漁をだけをして、これまでにも増してたくさんのミノウオを獲り続けました。その上、町に売りに行った時は、「この魚はミノウオという竜宮に住む幻の魚じゃ。喰うと万病にきくぞ。」と大ウソを言って高い値段で売りさばくのです。それでもあきたらず、大きなミノウオの獲れない時には小さなミノウオの仔を獲って、「このミノウオの仔をコンガリ焼いて粉に引いて飲むと一尾分で一日分若返るぞ。」と又々大ボラを吹いて大金を手に入れたのです。

 一方、弥助の方は、これまで通りの漁だけをしていましたから、いつまでも普通の暮らししかできていません。それでも、弥助は不満とは思わず漁に精出し、楽しくすごしていました。

ミノウオ5


 それから数年たったある夏の終わり頃のことです。四万十川にとんでもない大雨が降りました。

 昼過ぎまでにはカラリと晴れた良い天気だったのが、夕方からにわかに厚い雲におおわれて、急に空は夜のように暗くなり、息をつく間もない程の雷鳴がひびき、大粒の雨がたたきつけるように降り始め、雨はさながら滝のように降り続き止むことを知りません。三日目には四万十川はドロドロに濁って、まるで赤茶けた巨大な竜が山と山の間をのたうちまわるように轟音を鳴らして暴れまわります。

 時間と共に水かさはグングンと増し、弥助や与助の住む島も岸辺から順に濁流に呑みこまれて行き、島の高いところにあった弥助や与助の家の方にも濁流は押し寄せて来ます。

 その内、弥助の家が流れに呑み込まれてあっという間に流れだしました。弥助は何とか屋根の上までよじのぼったのでおぼれはしませんでしたが、このまま流されると家ごと大海原まで流されて戻ることはできなくなります。

 一方、与助の家はと言うと、ミノウオを大獲りしてかせいだ大金をつぎ込んで、とてつもない多いわの石垣を高く築き上げて造ったお城のような屋敷だったので、島中が水に浸かっても大丈夫なようになっていたので、シケなんざとうってことはないと、与助はまくらを高くして、グッスリと寝込んでいました。

 しかし、濁流の力はものすごく、まるで竜の群れが爪をむきだしてかきむしるように、与助の家の大岩をその根元からえぐりはじめました。そのすさまじいこと、すさまじいこと。あっという間に大岩の石垣は根元から、ゴーォォー……ッと崩れ与助共々赤茶けたウズの中に家もろともに引きずり込んでしまいました。

ミノウオ6


 その夜、雨は上がり、次の日には川の水は引ききって四万十川には元の静かな流れが戻ってきました。

 水の引いた流れの中に与助と弥助の住んでいた島がポッカリと浮かんでいるように見えます。

 島の中の与助の立派な家のあったところは跡形もなく何もかもが押し流され、その跡には青々とした深い池だけが残っていました。

 一方、流された弥助の家は、どうしたことかちゃんと元のところに元のように残っているではありませんか。一体どうしたことなんでしょう。


ミノウオ8
 
 それはこう言うことだったのです。

水につかり逃げ場のなくなった弥助は屋根によじ登り、その後濁流に家と一緒に流されたのですが、もうそこが海というギリギリというところまで流されたところ、とてつもない大きなうずがおきて、そのうずは、それまでの流れとは反対方向の上流へ上流へと向い、こんどは上流へも下流へも行かないで、ゆっくりと何どもまわっていましたが、そのうち静かに止まって動かなくなったのです。

その後少しずつ水が引き始めて解ったのですが、弥助の家は元の基礎石の上にぴったりと戻っていたのです。


 

ミノウオ9

 この時、与助は心から思いました。自分が竜宮の使いのミノウオを殺すことを止めたことで、竜王が大洪水から自分を助けてくれたのだと………。

 その年の秋、弥助は四万十川と海のつながるところの岸辺の岩の上に、竜王様を祭る小さなホコラを建て、いつまでも大切におまつりしたとのことです。

ミノウオ10


あとがき

四万十の夜2


 このお話しは、創作童話ですが、今でも、中村市の竹島という集落の一部の人達の間で『ミノウオ(アカメ)を殺しつづけると、その人の家には必ず不幸が訪れる』という伝説が語りつがれています。この話はその伝説を元に創作したものです。

 多分竹島集落で代々川漁を営んできた人達は、ミノウオ(アカメ)は本来希少な魚であるということを十分知っていて、このような伝説を創り上げて、乱獲からミノウオを保護しようとしたのではないでしょうか、私にはそのように思えてならないのです。

ミノウオ11


 岡田光紀

会報11号

表紙写真について

ヤエヤマノコギリハゼ

温暖化により四万十川に生息し始めた魚種の一種です

 

発行 全日本保護協議会

編集 全日本希少魚保護協議会事務局

平成 131215日発行【2001/12/15

通刊 第11

会長 岡田光紀著 にっぽんつくりばなし-竜王の使い-

2024年現在全日本希少魚保護協議会は解散となっています。

ミノウオ12

大型のミノウオと月夜と月竿


掲載に添えて

つりキチ三平


 『竜王の使い』は如何でしたでしょうか。当時の著者の気持ちをそのままに原文をコピーいたしました。文字等もそのままかと思います。当時の著者の思いはほぼあとがきに集約されていると私は思っています。

ここ最近の20249月に目が止ったことがあります。米国分子・進化学会(SMBE)が発行するGenome Biology and Evolution誌の20248月号のオンライン掲載されたものがネット上に紹介されたのを読んでみました。

そこにはアカメが種内の多様性が極めて低く、約3万年もの間個体数が少なく保たれてきたということがわかったそうです。その数はおおよそ約1000という数字も判ってきました。これは種の保存においてはかなり特殊なことは言うまでもありません。それには特殊な免疫のメカニズムもあるそうです。またアカメは、1984年の別種と同定されるまでバラマンディと同種とされていました。ご関心のある方は論文の原文等々をご一読ください。


涌風刀子1

湧風(ようふう)=岡田光紀作刀子


この竜王の使いは、全日本希少魚保護協議会の会長であった故岡田光紀先生の創作昔話ですが2001年の同会報に掲載されたものです。会報中には年度別汽水調査結果も出ていました。ことアカメに関しては999月に24匹が記録されています。これが967月から20004月までの記録のうち最高の数でした。

当時は、平成の真っただ中でしたがアナログ色がまだまだ濃い時代です。その後会は解散となり現在に至っています。この11号が出版されてからもう23年の月日が流れて行きました。時が流れることはとても早く感じられることは他の項でも何度も述べている私がそこにあります。

またこの竜宮の使いにでてくる竹島の言い伝え(竹島伝説)の竹島集落の人口は2020年現在で既に468人でその大半が高齢者になっているようです。何処も地方の田舎になれば同じような感じですが、その未来の竹島を含む四万十市(旧中村市)もそれに当てはまります。【2024年現在31557人】それこそ四万十市の方は良くご存知でしょうが、四万十市は前関白一条教房公が応仁の乱を避けてこの地に下向し、京都を模したまちづくりを始めたことから、「土佐の小京都」と呼ばれていた古い歴史のある街でした。よって現在の高知市街とはその文化のルーツは異なっていたことになります。その点については、四万十観光の際には是非中村城跡の四万十市郷土資料館をおたずねください。その昔は、アカメの表本が展示されていました。また天守閣からの展望は、その昔時の城主が見た同じ景色が想像をかき立てます。

 20年以上も経つと当然世の中も変わってきます。比較的解りにくい自然環境もこれまたしかりで特にここ10年のスパンはかなり変化が著しいかもしれません。

80年代はもちろん90年代は、アカメという魚については知らない方も多く、釣人であっても「なにそれ?」という感じであったのを覚えています。時代がまだまだアナログで推移している我が国の情報ではそのような感じだったと思います。昭和の大作である「つりキチ三平」で知った人も多いでしょう。当時のその時の釣具屋さんも健在しているそうです。

しかしながらそれ以降からここ最近は、多くの釣人や他の自然に関心のある方の中では一躍その認知度はあがり、度々ネット上でも他のSNS上でもここぞとばかり勢いを増すばかりです。それもその内容もそれぞれになり、もっぱら釣り業界となるとそのポジジョンも様々になりました。そしてその情報も様々となり、あちらこちらで散見されるようになりました。いいネタにされている気もしないでもないです。それに度々三大怪魚とか呼ばれ、はたまた神の魚とも呼ばれていますが、神の魚にしては神さまに対して大変失礼な扱いを受けていることもあるかもしれません。神の魚をやっつけた感は神さま以上になった気分なのでしょうか。そこには、過去の先人が頂いた畏怖や崇拝といった特別な感情や霊性は存在していないのかもしれません。

ミノウオ14


その後の現在ですが、岡田先生がこの物語を作った頃とはまた少しずつ環境は変わってきているようです。毎日のように川の様子を見ている関係者の話によれば、「最近まだ四万十産の稚魚として売られているものも見ますのでいつの時代も変わらないそうです。大島周りもすっかり様変わりしてアマモも見られなくなりました。これは中筋水系の水草全般が壊滅した事にも関係があると思っています。オオカナダモすらほぼ消えました。農薬、除草剤が高濃度で流出しているのではないかと思います。

危惧しているのは人間による環境的なプレッシャーが近年特に影響を与えて来ているという点です。

しかしいくら個人で異を唱えてもどうしようも出来ないのが実情であります。」

とのことでした。いずれこれらも明かにして行かなければならいことでしょう。

ミノウオ15


 前置きが大変長くなりましたが、この竜王の使い等が忘れ去られないように、いつか掲載したいと思いながらも既に何年も経過してしまいました。そして今日の運びとなりました。それもどの項で上げるか迷いましたが、まだブログにもアップしていない『ミノウオの行方』の特別番外編としてこれをアップすることにしました。ミノウオの行方の本編をアップしていないにも関わらず先に特別番外編とはまたちょっと変にも思いますがそうすることにしました。

 また、掲載にあたり会長は既に故人となりましたのでその御親族関係者に許可を得て掲載しております。掲載にあたってはより多くの方々にご一読をお願い申し上げます。なお昔ばなし風になっておりますので直接釣りに関心のない方でも楽しまれるとおもいます。ぜひご活用ください。

ミノウオ16


 多くの種が誕生したのは長い地球の歴史から生まれた産物であり、創造物とされるならば、それは多いなる全知全能の力であると思う方も世界的にみれば大変多いことでしょう。また、偶発的進化の過程と信じる方も我が国においては多いことでしょう。そうなれば、神の魚という表現は少しちぐはぐにも思えます。学校でも人間はサルが進化して人間になった・・・そう教わりました。その種が絶滅するなどという結果は、今の人類にとってはとても容易いことです。また一旦絶滅危惧に追いやられてしまうと、それを維持することがかなり難しくなってくるのは今までの歴史が証明していることでしょう。さてミノウオの未来はどうなるのでしょうか。

涌風刀子2


私がまだまだ若かった頃に岡田先生からオバチ(尾鰭)のつくほどのミノウオの話を聞いて以来それから30年以上も経過してしまいましたが、

またいつの日にかまた伝説のミノウオに出会ってみたいものだと思いながら初老になってしまった私がそこにいます。


CT702- FTS20DH RED MOON MOON


新型CT-702-FTS-20DH Simanto sp

おわり

202410月吉日

平野元紀

 


おわり

STARGAZER14-82024年09月19日 22:35

終わりに添えて

Stargazer14と1403

長い人生と思っていましたが、私が竿作りをして早30年を越えるようになり四半世紀以上をこれに投入してきました。30年も続けてくると当方が最初に言葉にしたことやコンセプト、釣はいつの間にか他のお株になってしまっているのも散見されるようになりました。それは私自身がやってきたことが全く無意味なことではなかったことの裏返しなのかもしれません。これで恐らく現役人生の半分前後を使ったことになりそうです。

月竿は、ビルダーである平野1人と唯一の専属である家内と二人三脚でやってきた、最小規模の零細です。既に旧HPやブログの「はじめに」の項でも何度か述べた通り、釣具メーカーとしてある程度の規模とか大きさは望むところではありませんでした。規模と名声と言う野望のベクトルは既にここで大きく一般的なこととはズレてしまっていたのかもしれません。しかしながらその製品は、亡き師匠からの遺言でもある一流でなくてもいい「一級の名に恥じない本物」だけを追い続けてきました。今後も私が製作できなくなるまでそれは続きます。それは、月竿が持つ生涯保証です。いつかは忘れ去られるであろうことは重々承知しておりますが、それでも幻の名竿と呼ばれるならそれは私の中の成功であると感じております。この単純な短い人生に気付かぬまま、生きる人々へのせめてもの無駄な抵抗なのかも・・・しれません。

PENNとAVETとSEALINE
HXJRaptor

随分と昔の話、私にも駆け出しの若い頃がありました。私にも初めてのことでしたが、釣りの師匠になるその方はこう仰せでした

「なんでも最初にやった奴が偉いんだよ」

何十年経ってもそれを忘れることはありません。仰せの通りです。あとだしじゃんけんなど誰でもできることですからね。

Stargazer14カラー

唯一無二のカスタムロッドでありたいと願います

533-5.5

2000年初頭のNEWELL


PROGEAR

90年代のPRO GEAR

Spin model

スピンモデル

redpink

pinkred14model

newell jigmaster

Tip Collar

iustargazer14

ロウニンアジ

Stargazer14-M.

Wildfire14

K-FW野生火モデル

ロウニンアジ2

祈幸

月竿イソマグロ

闘うあなたに勝利を
荒廃の中の幸福を手中に・・・・・・

野生火と行方

あなたの静寂な日々の中に宿る情熱と

こみあげてくる闘志に・・・・

野生火と灯


その釣りという脆弱な歴史にその銘を残すことを諦めない


それが月竿

祈幸釣

2024年9月吉日

釣竿工房 月

代表:平野元紀


おわり【明日へとつづく】

STARGAZER14-72024年09月09日 16:40

スペック

構成パーツ1

構成パーツ2


 ブランクスペックは、以下の通りになります。適合パーツのうち特にガイドはストリップガイドであるPKWSG25またはTKWSG25PHBSG25になります。他のガイドはほぼ指定通りの一択になります。またエンドパーツ試作のアノダイズ加工(アルマイト)につきましては、本採用をシルバー/チタンシルバーかチタンシルバー/チタンシルバー2色の選択になります。

バットエンド


 

MOON Master Rod Blanks 

純国産100%made in Japan

素材 Blank data


スペック1

スペック2


MOON Master Rod Blanks 純国産100% made in Japan

CW/GW=キャスティング.又はジグウエイト最大

DM=設計上最大ドラグ値

DS=設計上実用ドラグ/又は参考値

TIP=先径㎜ BUTT=元径㎜ WT=ブランク重量g S-Blend=特殊Sグラス配合

UM/S=特殊UMグラス+特殊Sグラス

※完成全長約4.2m

6016は量産製品化していません。

独自のスパイラルガイド

オリジナルスパイラルガイド設定

クエと並べる


仕立料金

プロギアと


 お仕立てにつきましては、創業当時からビルダーの平野自らが仕立てております。今現在におきましても、従業員等にお願いすることもしておりません。

もちろん月竿と銘を打つならば、下請けやOEMにも出しておりません。よって納期にずれが生じる場合がありますがその点は何卒ご容赦ください。納期ずれに関してもその際は進行具合をみてご依頼者と相談及び確認の上進めて参ります。

WILDFIRE仕様


本体価格\174,700~税別 20248月より

納期/御成約より3ヶ月~


プロギアと


こころよりご予約をお待ちしております

Stargazer14見本


※仕上げ見本等は、公式FBにて公開されておりますのでぜひ御確認ください

仕上げ見本1

仕上げ見本2

仕上げ見本3


満を期しての完成

仕上げ見本5

仕上げ見本6

仕上げ見本7

仕上げ見本8

貝貼仕様とPROGEAR

HBSG紫

HBSG赤


ストリップガイドHBSG仕様

完成見本セット

幸にも手にしたユーザー様には、メンテナンスについて解説したMaintenance fileがございます。ご請求の上必ず一読ください。


その8へつづく

STARGAZER14-62024年08月05日 14:23

号機製造番号-M4414-M4415


再出発-再挑戦

5号機とNEWELL
五号機

 その後改良を重ねて行き、五号機から九号機は新たに月竿独自のプロテクト構造であるUM-Armorをブランクにコンポジットさせました。それにより更に耐久性と強度を上げて行きました。

また、ガイド設定の見直しを何度も行った結果仕舞寸法を更に短くすることに成功致しました。ブランク改良するにあたり再びふりだしに戻ります。しかしながらそこまでの試作や製造工程の蓄積は決して無駄ではありませんでした。リールシートサイズ、ガイドサイズの変更は当然のこと、エンドパーツまで新しく試作する必要も出てきました。結果的にロッド全体のパワーも少し上がりました。

五号機-2


2009年構想時試作から10年以上を経て開発4年いう超長期計画から、実践投入段階を経ていよいよ量産までに至りました。

他社にはまったく存在しない一からの構築になりましたが、幸いにも師匠のオリジナル設計である旧1363シリーズをそのベースとする事ができたことがとても大きな財産でした。かの服部名人をして、竿は師匠のものしか使いたくないと言ったことを思い出します。多くの若者は、服部名人という存在を既に知らないと思います。釣りの世界は、他の文化芸術、趣味の世界では顧みられない分野に過ぎないのかなと感じています。それは、それだけ歴史にとって必要なことでもないことを意味するのかもしれません。娯楽的要素からの脱却を目指す釣人は、ごく少数だからかもしれません。

夜間の撮影


夜間携帯撮影
なんとか竿の曲がりは撮影できたようではある
やはりデジカメはあった方がいいのかもしれない

吉田氏とロウニンアジ

試作五号機とロウニンアジを手にする吉田氏

 

五号機とNEWELL2


七号機および八号機

七号機と八号機


 七号機以降は、ほぼ完成の域に達してきました。本体は、ほぼこれで行くことにしました。ここで大きく転換した点は、替え穂先のことです。以前よりその昔のスペアトップの存在がとても気になっていたところでした。これを何とか復活させたいと考えていたからです。しかもスペアトップは、同じUM+グラファイトを採用せず調子を変えたS-100トップとしました。UMTOPより若干反発力が増してルアー等の操作性がよりし易くなると考え、より幅広い釣りを可能にしたかったというとても欲張りな発想からでした。しかしながら実釣を積み重ねていくにつれ、いくつか意見が出てきました。途中でのスペアは使わない、トップガイドを外すのが面倒である、ルアーロッドを別で使うとの意見からそれを見直すことになりました。また当然コストもアップします。

結局のところS-100トップは、以降採用されないことに決定しました。つまり幻の機種になってしまいました。あくまでも試作なのでそれも当然の必然なのかもしれません。その後着実に実績を積んでいきました。

AVETと七八機


七号機及び八号機はS-100穂先が採用された


七八バット部分

バットとS-100トップ及びエンドパーツ

アイスブルーとパープル(試作)

クエと占星術


どの魚もそうだが、活きた色が本来の色である

クエと占星術2


死体の色は既にそれは色ではない

占星術とバラフエ


 人は考えて、それを成す事がひとつの生き甲斐なのかもしれません。それが切れても引き継ぎされることで継続性と改善性が高まるのかと思います。

その7スペックへとつづく

STARGAZER14-52024年08月01日 18:01

試作初号機
その月竿的紀元の流れ

まず初号機は、両軸仕様にて仮設定した後絞り込みテストをしてみました。ドラグ負荷3.5㎏~4㎏位から良い感じで曲がり込みます。これでしたら67㎏ベースで戦えそうです。それから徐々に絞り込んで行き、9㎏まで絞り込みました。数値上は10㎏最大ですが、竿の角度を下げて曲げると11㎏超えしました。錘15-50号+餌OKクラスは、旧月竿でいう8Pクラス程度です。これには少なからずこの先への手ごたえを感じました。やれるという感覚が確信に変わる感じがしてきました。

初号機ベンド

初号機-1

初号機-2


初号機とロウニンアジ

ナイロン30Lb(約8)でのテスト

初号機とロウニンアジ2

ナイロン30LB8号でのロウニンアジ

大型ではないものの手ごたえの結果

船上と初号機

同じく一号機でテスト(船上)


初号機とイソマグロ

異例の船上に持ち込んでのイソマグロ

大型ではないが良いテストになった

再びの遠征テストに於いては、激渋の中で展開されました。そのまま終えるのも一つの手かとも思いますが、折角の計らいで船上にて試釣りすることになったそうです。船でノンフォローでのキャッチに至りました。磯の上ではほぼ自分より内側へ魚が入ることはないのでそこが一番危険であることは言うまでもありませんがノンフォローでの展開はその場面が訪れることは多々あり得ます。

直接関係のない話になってしまいますが、昨今はマグロ釣りでもノンフォローの釣が多いと聞きました。本来はこのような釣でノンフォローはあり得ない話ですが、キハダ程度ですと乗り合いのノンフォロー、2人、3人掛けもあるようです。また場合によって交代も致し方ない時もあるかもしれませんが、それ前提なら何もマグロ釣りでなくてもいいような気がします。船上ではその船(船長)の技量によって獲れたり獲れなかったりはある程度あるとおもいます。もちろん対戦するアングラーの必要最低限の技量とその精神にもよりますが。

試作号機


試作機各

試作二号機に至っても各所へ遠征に出向きさらなる結果をフィードバックして行きました。それに合わせて釣果を重ねていきました。結果がすべてとはいいいますが、そのプロセスが大事なのはこと釣りに限ったことではありませんが釣りもそれがないと結果至上主義にどんどん加速して行くようです。釣ってなんぼと良く言われますがそれはどうやって釣りましたか?はとても大事なことで至福をもたらします。

二号機-1

二号機とイソマグロ

二号機とイソマグロ2

クエと2号

クエと二号-1


二号機とイソマグロ


スケールとイソマグロ


号機テスト/イソマグロ/AVET HX RAPTOR

アオチビキ


大型のアオチビキ

なかなかのファイターである

一号2号近影


役目を終えた一号機及び二号機

一号二号のバット


 

その6(5号機)へとつづく

STARGAZER14-42024年07月22日 14:40

基本的志向

夕日と佇む

製品化への難関は、以降も続きましたがそれでも徐々に先は見えてきました。気がつくと、あっと言う間に更に数年以上が過ぎ去っていました。この間はとても短く感じましたが人生後半の数年は、とても貴重にも思えたりするものです。

それは、釣り人生という更に短い時間の中では貴重に思えます。若者はそれがとても理解し難いことに今更ながら気が付かされます。イケイケドンドンなんて言葉は、人生に於いてそう長い期間に於いてはそうあるものでなないようです。

振出磯竿

stragazer14-typeS

Telescopic ISOShore/Rocky areaRod

最初にその対象魚クラスは、青物、底物、イソマグロ、ロウニンアジのマルチパーパスに対応できるもの。つまり、泳がせ、ブッコミ/打ち込みからルアーまでの用途を基本としました。それはスタンダップが基本で、ピトン打ち三点張り等の釣法は月竿の流れからも外すことにしました。(アカメはあえて謡っていませんがもっとも問題のないクラスです)

当初の基準は、月竿のもっとも汎用性の高いレギュラークラス、1403-UM7-8xpS/blend同等もしくは、前後のパワークラスの同じ調子に近いものと考えました。この月竿7-8クラスは、成人男子の平均的な日本人で対応できるつまり最も層の厚いクラスになります。旧製品で言うところのM1363 UM9p前後ということになります。

素材 Blank Material

Stargazer14Blanks

素材は、UMTIPのグラファイトモデル

#1はUM-TIPもしくは、#1そのものが100UM及び#1をS-GLASSコンポジットも試作しました。その後改良点が見つかり、改善して行く事にしました。それは試作1号機から4号機まで続きました。

UM-TIP【穂先】の硬さは、MOON-1202-UM9xp Blue Fangクラス同様にその用途が多用するために、少し硬めに仕上げています。それは、ルアーを用いた際の許容範囲を広げる為もあります。限られた磯場等での場合は、このこともある程度考慮しなければなりません。つまりルアーキャスティングのサブ機としても可能を意味します。そこは、旧1363-UMシリーズと異なる点です。

素材と見本

 

竿組設定


但し、以前の企画同様ガイドに大変制約があります。それは、常に悩みの種ですが、それでも2009年当時の不毛な時代からすればかなり大幅に前進したと思います。多くのガイドメーカーとりわけ我が国にはそう選択枝がほぼないこともあるかも知れません。パックロッド全般に言える事ですが、継数が増えると強度はどうしても落ちてしまいます。当社7-8クラスの設定でも継竿と比べると、1ランク下の強度になりますのでそれを如何に同程度または、その上に持っていくかということも課題としました。それはそれで大きな課題でした。それも徐々に改善されていきほぼ7-8クラス同等に強度は上がっています。

 

ナイロンライン対策

stragazer14-typeS

  他でもナイロンラインの使用に関して述べてはいましたが、国際的な釣団体であるIGFA及び日本国内の釣団体であるJGFAのルールで戦うには、やはりナイロンラインがある程度必要になってきます。とりわけ、ある意味日本独特の進化を遂げてきた磯釣りという釣りのジャンルは、極めて特異なものでした。その影響力もあってか、IGFAでは全く無視されていた岸からの釣りという部門は、その友好姉妹団体であるJGFAが1カテゴリとして認めました。これは、IGFAルールという国際ルールを磯及び岸という釣りに持ち込むことによる特異化への加速と挑戦だったかと思います。しかしながら、それも一部のこれらをスポーツとしての釣りとする人々やそれに同参する人々にしか人気はないようです。これらは、他の釣りジャンルにも言えることです。釣り業界は、娯楽度がますます増してきていますが、それでも少数派ながら狩猟や、スポーツと捉えるアングラーが今現在でもおられます。また、磯でのナイロンラインを用いての釣りが現在のPEライン一択の流れでは、無視されてきたところもありますが、既に釣り糸がPE主力に変わってから25年以上が経過していますので、多くのこの間の世代には、ナイロンラインの釣を全く未知の釣であるのも否めません。しかしながらナイロンラインの有効性は、今も磯のエキスパートからは認知されております。またそれを引き出す為には、そのガイドも並走しなければなりません。

ナイロンラインで勝負

ナイロンラインシステム=30LB7号~9号】をビミニツイストor三つ編みからのオルブライトノットが基本で、ライブベイト、フカセからキャスティングまでを考慮しています。またそれに伴うリーダーは80130Lb前後を使うのが基本となっていますので出来ればTOPガイド12径を使うのがベターです。それを考慮すると、12-径トップの使用を前提に組み立てることにしました。これらは、ラインシステムにもよりますが、道糸単線であれば、仮に30号数相当でも単線なら10径ガイドでも十二分に抜けます。単線でもJGFA記録申請は当然できますが、最大130Lb30号前後)ラインのオールタックルかラインクラスも後半のある程度太く強いラインクラスになります。そこは選択の自由度が高いほど良いに越したことはありません。

NEWELL533-5.5

その5(試作一号機につづく)

STARGAZER14-32024年07月16日 16:32

OLYMPIC

トカラファイターⅡ-1

激動の昭和時代に君臨したビックネーム


昭和のビックネームとしては、オリムピック社が挙がると思います。昭和生まれの釣人ですと一度はその名前を聞いたことがあるでしょう。昭和60年代辺りまで釣具店のほぼ大半が扱っていたと思います。この時代はまだまだ小売りと呼ばれ釣具店がメインの頃でした。またこれらの小売店が何処も流行っていた時代です。私も小売店を梯子するのが大変好きでした。それで一日が終わった日もありました。

トカラファイタ-Ⅱ-2

また、他に昭和の磯竿と言えばNFT社(昭和24年創業)でした。しかし、その名も吸収合併後それはもう跡形もありません。多くの若者はそんな会社があったのかさえ判りませんし、わかりません。そんなことは他にも良くあることです。昭和の終わり頃の50年代にはNFTの振出ルアー竿なんてあったのを記憶しております。

NFT-IM65-2P

昭和の時代を牽引したNFT

案外中古屋さんと呼ばれるところにはジャンクのコーナー等に存在するが状態の良いものはかなり少ない

それだけハードユーズに耐えてきたのだろう

NFT- IM65-2p-2

IM65-SPINING-P

またNFTに限ったことではないがそのコートの品質は。現在とは比較にならない程低品質であったこともある


また、磯竿が得意と言われた大丸興業(ダイコー)も平成への流れにはついて行けませんでした。当時の国産釣竿メーカーとしては、比較的大きい方でした。時代の流れとは思っていても、それはそれで寂しいものです。これらは、素材から国内製作していた老舗製造元でありました。それらは、いずれももう存在しません。釣竿という名の量産品は、もっぱら海外の人件費のより安いところへとシフトしていきました。まさに激動の時代の切れ端の出来事ではありますが、それでもこの弱小業界に於いてはある程度の衝撃だったに違いありませんでした。

トカラファイターⅡ-3

旧オリムピック社トカラファイターⅡ48

調子の違う替え穂先付

FPS28

富士旧FPS28最大サイズ

その後FPSからDPSへと引き継がれるが28サイズはもう存在していない

トカラファイターⅡの仕上げ

量産化は複雑さを排除する傾向にある

石突き部分

1931年創業の旧オリムピック社は、日本で初めて釣用リール発明しました。昭和を代表する大手釣具メーカーだったことは間違いありません。社名変更してその後の2000年釣具事業から完全撤退してからその生産は終わりました。

それは、正に昭和の大横綱の引退でした。

栄枯盛衰

嘗ての最大手も栄枯盛衰である


その4(基本的志向)へつづく

STARGAZER14-22024年07月06日 20:10

国産素材

月と太陽の狭間

国産という名の誇り

磯竿の進化と月竿化

STARGAZER14-4

The pride of being made in Japan and the evolution of the moon rod

End Parts

純日本製オリジナル高強度アルミエンドパーツ(試作)


blanks

 月竿の伝統を引き継いだ国産素材


はじめに

gyosinV14

Stargazer14Stargazer Jr.7

蜻蛉切と脇差


MOON END BUTT-2


遠征という名につきまとう制限。それは、ロッドの携帯化もある程度は必要なことになってきます。特に旅行や遠征に於いてまたは、地磯等でもその装備に一定の制限がある場合はその装備と荷物量のことが重要課題のひとつでした。それは、小型飛行機やヘリを使うとかになればなおさらのことで更に必要に迫られることも多いでしょう。そのような昨今、月竿主力でもある1403シリーズ3pcs(継竿)の派生亜種を以前から考えてきました。本来ならこれらの計画は、もう一昔前の2009年頃のことになります。当時師匠から、一度遠征振出竿の提案があったモデルです。その当時の案は、ブランク素材がオールグラファイトの5.0m4pcsという予定で進めていました。また、その当時には主力の1363-UMシリーズ継竿の予備として、その補助竿程度として考えていました。荷物の制限も今現在ほどに厳しいものでもありませんでした。当時はまだ、LCCが全盛期を迎えてはいませんでした。よって当時の私の考え方は、あくまでもサブ機、補助機に過ぎなく、限りなく手頃な価格で提供したいと考えていたのも事実です。国産でしかもリーズナブルな設定それは、当時としても必要であることを感じていました。当時は5万円代とまで絞り込んでのできるだけ実践オンリーのシンプルな作りとまで考えておりました。

それから暫くして、ブランク設計が終わり量産体制にありました。しかしながら適合ガイドの生産未定かつそのバリエーションが無いために延期に延期され実現できませんでした。とても残念だったのは言うまでもありませんでした。いくら良いブランク素材を開発設計したとしても、そのパーツの根幹にあたるガイドが無ければ話になりません。これでは打つ砲台があっても砲弾がないのと同じです。以来、その計画から10年以上の月日が過ぎてしまいました。とても短いようで長いものでした。この10年は、あっという間に過ぎましたがそれでも後になると一人生過ぎたことになります。一人生10年は、とても大きな節目なのはいうまでもありません。下手をすると現役世代を越えて行ってしまいかねません。

それからの時代が、振出という形態のカスタムロッドが一端を担う時代になるとは22年前の2002年独立時には考えてもみませんでした。故に、この類のご要望、要求、ご依頼をお断りしてきました。当時は、そんなことは月竿がやることでもないと思いつつも折角のご依頼に対して申し訳ない気がしました。そんなもやもやした感を残したまま、時折その構想や思いは頭の片隅を刺激するものです。今になって思うと当時から磯の振出をやってくれないかというユーザーさんがいらっしゃったことは私にも以外なことでした。わからないものです。

その間にも、かつての昭和から平成の全盛期をよそに磯関連は市場が激減し、釣り業界も多くが倒産に追い込まれました。メーカー名を上げると懐かしいブランドや思い出がいっぱいです。しかも、国産自社生産メーカーばかりでした。既に淘汰と大陸への生産移動が加速し始めていた頃かと思います。そしてその大陸も転換点を迎えています。時代は、刻々と流れて行くようです。そして今日の常識は明日の非常識なんてこともあり得る時代です。

MOON BUTT-02


14red



その3【昭和の名横綱旧OLIMPIC】へつづく

STRAGAZER14-12024年07月02日 11:12


南の島の夕日

月竿

占星術師14

Stargazer14ijy1

MOON Stargazer14

イソマグロ初号機

Stargazer14-初号機試作

MOONendbuttprototype

月竿の振出

STARGEZER14ijyu2

携帯性と高性能そして月竿品質

Portability, high performance and MOON ROD quality

Stargazer14Full

それは、月竿である限り振出であっても最大限にその力を発揮できなければならない

14ijyFight

それは、月竿とすれば実践性つまり実用性のある製品でなければならない

14ijyuFight1

なおかつ、月竿であるならばカスタマイズが可能でなければならない


それは、月竿があるべき姿の月竿でなくてはならない最終到達天

である

14lineup


ぞの2(はじめに)へつづく

22期にはりました。2024年06月05日 19:50

 

CT1003-GTRK-3pcs&VS300

皆さん随分と長い間更新していませんでしたがお元気でいらっしゃったでしょうか?

気が付くと更新しないまま数ヶ月が過ぎていました。これはいけませんね。

数少ない読者の皆さま大変申し訳ございませんでした。

動画配信やライブメインの時代にブログなんてほんと誰が喜んで読んでくれるのでしょうかね。もちろん、著名人やそれなりの有名人等々でしたらそれでもかなりの方が読まれているとはおもいますがたかが職人風情のブログなどほぼ意味のない程度にしか思えないかもしれません。

 

 月竿も22期に入り数ヶ月が過ぎました。つきましては、先回のブログで感謝のお礼を述べさせて頂いたので今回は次の話に行かねばならないと思います。

CT1003-GTRK&VS300-2

 さて21一周年記念モデルの企画も無事終えましたが元祖GTRKシリーズにつきましては、当方のお株でもあったフルカスタムにて受注を承ります。これを機に思い気ってお仕立てなど如何でしょう。はい、もちろん今の我が国の経済状態が芳しくないのは承知です。ご無理のない程度に気が向いたらお願いいたします。

CT1003-GTRK-VISSER8

釣紀行文もペースこそ落ちていますが、書きかけの原稿が溜まっています。また過去のバトルも改定及びブラッシュアップして行きたいと思っております。時間を見て続きをアップしていきたいと思います。非公開の「ミノウオの行方」に関しては今のところアップする気はありませんので受け取ってお読みになった方は幸いかと勝手に思っております。(大した文面でもありませんが)またご迷惑をおかけしておりますHPにおきましては2016年以降からアップしておりませんので過去のものとしてご参考にして頂ければと思います。新機種ならびに新製品につきましてもシリアルをお持ちの方は既に周知されているかと思いますが、そうで無い方の為にもブログとFB等で少しずつではありますがアップして行きたいと思います。それでも不明な点はどうぞお電話にてお問い合わせください。

STARGAZER14&Jr .

時にSTARGAZER14につきましては、その作品例を公式FBにてアップしておりますがこれもこちらのブログでは説明も含めて近日アップして行きたいと思います。STARGAZER Jr.につきましては既にアップしておりますので「STARGAZER/高性能振出」のページをご覧ください。なお月竿としての公式インスタは今現在のところはありませんが、個人のインスタは一応あります。これに関しては、月竿の本質や細かいことを上げることは今のところはありません。幸いにも見つけられた方は、どうでもいい日常ネタが多いですが、リクエストしてみてください。できればFB同様にコメント、メッセージを添えて下されば幸いです。

CT1003-GTRK-3pcs-琉球

時が過ぎていき足掛け30年も経つと、1つまた1つとご縁が切れてしまったりもします。特に近年は月竿第一世代とも言われる2002年製~2010年製前後のオリジナルユーザーの方やその時代の試作品や提供品まで流れてしまうのはもうどうしようもありません。当方の釣竿は、基本的にシリアル管理されておりますが人生の最後の時まで大事にされておられた方、または現役を退いてしまわれた方も当然いらっしゃいます。御親族におかれましては、その方の趣味の世界など知る由もない方も多くおられることでしょう。「ゴミにするぐらいなら売って整理したい」とされるのも当然の流れかもしれません。

また少々個人的なことになってしまいますが、ついに今年は私の大学時代の恩師まで故人となられました。若輩者の私を学生時代からとてもかわいがって頂き、その後も数少ない理解者であったことは間違いありません。師弟とはいいもので最後まで教え子の行方を案じておられました。中には業界有名人である一期生の諸先輩方のことも時々私に様子を聞かれておられました。釣り業界という狭い中での評判がまちまちであっても恩師にとっては数少ない弟子であることは間違いありません。昨今はそのような師弟関係がとても気薄になってしまい学校教育も師弟と言う関係から、だだの知識とその技術を伝達する伝達職員となってしまった傾向もあるかもしれません。世間も師弟という関係が極めて煩わしいものに変わってしまっているのかもしれません。また今までご縁のあった職人さんもそうです。私の使う道具特に握り鋏は職人さんの完全ハンドメイドであったりします。それももう風前の灯です。また当方が最も信頼していたルアーのクラフトベイト社もついに連絡が途絶えてしまいました。特にリアルベイトは、生涯忘れることのできない名品でした。

CT1003-GTRK-CUSTOM


 月竿の「はじめに」をご覧になった方及びそれを熟知されておられる方は、それが何を意味するのか良くご存知と思いますがもしそうで無い方がこのブログをお読みでしたら当方の「はじめに」からご覧くだされば幸いに存じます。

20246月吉日 月竿代表