楽園の終焉Ⅲ-22021年03月24日 18:16

 庭の桜も満開から、少し散ってきました。とても早い春です。
春の訪れと共に、古い友人兼釣友兼が来られました。弟弟子にあたりますが今では、彼はすっかりリアルビックゲーマーです。よく今までサラリーマンをしながらもここまでやってこれたかと尊敬に値します。ある面シリアスに釣りを求めてきた苦労人で努力家です。私よりも1回り小さく、ウエイトも3ランク下のこの弟弟子ですが、彼も歳を感じるそうです。丁度彼は、私の実弟と同じ歳になります。久しぶりに、師匠の話しで盛り上がりました。GTという言葉の呼び方とPEでキャステングという釣り方と数々の記録と栄光も時代と共に狭い釣り世界界隈から忘れ去れてていくようです。彼と話しをする中で、それは釣り業界という独特の世界で定説のように当たり前の話ではなかろうか・・・。と言う結論でした。
 丁度、その彼が定期購読していた釣り専門雑誌の会社が倒産したそうで、本屋さんから「会社は変わるけど月刊誌になるので定期購読をお願いします。」と電話が掛かってきたそうです。それをどうしようかとそれなりに考えていました。紙面全盛時代から彼は、本を読むのが大変好きな人です。それを聞いて定期購読と言う言葉さえ忘れかけていました。私も中学時代は、その定期購読に随分と憧れたようです。また、大昔流行した子供の科学という科学雑誌を思い出しました。あの重量感が少しある本を薄い紙袋に入れてくれてそれを持ち歩く時、帰宅してゆっくりと読もうと思ったあの頃がとても懐かしく感じました。今はタッチするだけで文章は良い悪いに関わらずまた、その根拠や動機すら判らぬままに目を通してしまいます。情報化社会といっても寂しい気もします。
 そういえば、あの既に廃刊になって久しい、夢の釣雑誌アングリングの話も出てきました。本文の下りにもありますが、彼も私も愛読者の一人でした。

 一応兄弟子にあたる私ですが、彼の方が兄に相応しいのではないかと思います。

それではその2へつづきます。

その浜とは、その楽園の浜なのか?

ホテル内ビーチ1

ホテル内のビーチ

流石にここは管理されていてとても綺麗に見える

ホテル内ビーチ2

すべてこうならいいのだが、現実はかなり遠くにある

 そこに、楽園は決してないと思っても、また人はそこを訪ねてしまう。
その前の小さな幸せさえもが無いとも解っていても・・・。

なぜだろうか。

ホテル内ビーチ3

早朝のビーチは誰一人いない
掃除のスタッフが出勤している程度

 ゴミの浜とゴミの道、人混みの市街地もゴミだらけ、そしてそう言う都市特有の悪臭が少しする。衛生状態は、我が国とはかなり違うけれど、ここは楽園の島である。皆が現実を離れて旅をしようとするパンフ上の楽園なのである。
途中にある大きなゴミ集積場。何度見ても見たくない現実と現状。
島の経済発展がもたらすおつり。いやもうおつりどころではない。環境問題は、かなり深刻である。
 マリーナ?周辺でゴミを漁る牛達、野放しの犬達。
勿論の事その首には、首輪と言うものやリードなるものは存在しなく、自由奔放。
ディンゴみたいな逆三角形のスリムなボディ。
たまにその野生っぽい飼い犬か野良犬かも見分け付かない、解らない彼らの全力疾走をみかけたが、猛烈に早い。
かなり遅いチーターみたいな走りっぷりなのだった。また、その浜辺で鳥を貪る彼らの姿。
バリバリ、ゴリゴリと羽の根元の肉を貪っていた。
それも極自然に見えてくる。
 そして、その場その場凌ぎで取り繕った人間関係が大きく加算される。

牛の糞とゴミだらけのビーチを直射日光が、躊躇なく照りつけること半日もすると、 あっと言う間にそれらが乾燥してしまったかと思うと今度は、スコールが打ちつける。
そして、その浜辺で元気よく遊ぶ子供達。
男の子も女の子も一緒にワイルドに遊ぶ。
そのゴミと糞の浜であってもお構いなし。
その砂で遊び転がり、通称コンビニ袋なるビニール袋が浮遊する中、海に飛び込む。
何度も、何度も、楽しそうに。

 我が国もその一昔はそのような子供達の光景が多少なりともあったと思うのだが、今は公園の砂場で遊ぶ事さえあまり無いと言う。
砂場遊びの子供も居なくなって行く。

抗菌と無菌、除菌とオンパレード。
北里先生は、その当時には、その後の日本にそのような除菌、抗菌な世の中が訪れるとは思っていなかったかもしれないと思った。そりゃ屋台の食べ物も水も彼らはアタル事もないだろう・・・とそう思うには長い時間はかからなかった。
 それとは一転してホテルの敷地内は、ゴミ一つさえ落ちていない。
汚さは感じられず、ビーチを含んだエリアにもゴミ一つない。もちろん悪臭、腐敗臭もない。

ビーチ4

美しい・・・・・・・・・・。

ただその一言だけ・・。

絵はがきそのもののようであるが、それはプライベートビーチあるいは、管理が厳しい敷地内という徹底された管理下における産物であったりする。一見したところだけではなく、何の問題もなく快適であったりする。
快適なビーチ。

 そこには、世界でも類を見ないほど複雑で不思議な日本語なる言語は、殆ど見かけないし、通じもしない。 

 ホテルの朝食は、やはりどこもバッフェスタイルである。クタエリアともなるとその多くは、欧米人とりわけ土地柄なのかオーストラリア人とおぼしき人々が多く見られた。しかも、リタイアされたと思われる初老の夫婦がやけに目立つように思うのであった。そして予想通り彼らは、その白い皿にカリカリに焼いたベーコンを山盛りにして、更にやはりお玉いっぱいのサラダ油の入ったオムレツを運んで来る。
それなら、と我々も多少の真似と若者2人と3人で同じ事をやっては見るが、その後はやはり辛い結果となってしまった。

暫くすると部屋には、その後正露丸の匂いが立ち込めていた。

正露丸の匂いは、子供の頃から慣れっこなのではあるがそそくさと退散したほうが良いと考え自分の部屋に戻った。

‟まったく、正露丸でもとても助かる”

 部屋に帰ってから仕切り直しと、ポットに水を入れてお湯のスイッチを入れた。僅かに1分位後、お湯は煮立っているみたいだった。
とても早い。しかしながらこの島に来ると、この挽いて粉末と化したバリ珈琲は、この気候にとても合っているのかとても旨い。私だけが何故かカップ3杯ほど飲んでみる。粉末にした時の苦みは加算されているだろうがそれは・・・・・・・・。
"
ああ、旨い"
あまり口にすることが無かったが、ジャワからの紅茶が部屋にあるので試してみた。紅茶もそこそこいけるのではないか。

それを毎朝繰り返す事5日間、行動はほぼ同じだった。

 流石に我々日本人には、これだけの油料理はかなり堪えるのであったが、やはり皿に盛ってしまうのである。しかしながら若者2人は、おかわりが日増しに少なくなり、2皿目が4日目には無くなっていった。専務(I)のベーコン量は確実に目減りして行き、最終日にはそのかけらさえ盛られていなかった。最後までそれを入れたのは、不思議な事に最年長の私だけだった。なぜだろう。将軍様(N)に於かれては、ベーコンやハム、ソーセージと言うものは皆無になったが、ワッフルだけは何故かあった。但し、誰もが胃もたれしていたのは共通事項であった。どうやらそこには、多少の年齢差はあまり関係ないらしい。

ホテル内のリス

ホテル内にいるリス
かなり人馴れしている


その3へつづく

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